トドメノフミは【改心は午の年の秋まで】。未の皮むきとは?

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    最近、私の身に起きた出来事から、ある事柄に触れないといけなくなりました。
     
    それは、金神の艮の文(トドメノフミ)と呼ばれる予言書があります。その文はどうも天理教の中山みき開祖の「教祖・本席のお守り役、別席取次人、息のさづけ」たる差し添え人であった「増井りん(1843〜1939)」さんに降りた文のようです。
    増井りんさんは、大本教の出口なお開祖(1837〜1918)より少し若い方で、ほぼ同時期の方です。そのトドメノフミには大本教のことも出口なおさんのことも記されていますので、天理教と大本教が関連していることを天理教サイドからも出されたわけです。

    そのトドメノフミ

    【金神正体明かすぞよ。 天理教にて金の龍、元(もと)の神にて実(じつ)の神、できたばかりのこの大地、泥海の如き有様を、ここまで馳駆(ちく)し固めたる親神、天の将軍は金剛力(こんごうりき)の金龍とかしこみつつしみ知るがよい。
    天の命にて三千年隠棲(いんせい)いたせし大本の神の出口の口開(くちびら)き艮(うしとら)の神と現われて三千世界を建て直す。】とあります。
     
    内容からすると、大本教開祖出口なおさんが出られた後に降りた文のようです。
     
    だが、大本教の出口なお開祖の大本教神諭、また増井りんさんに降りたこうした立替神示は何一つ実行されておりません。それらは全て予告の為の【宣伝文】と言えます。
    故・金井南龍師によれば、大本教の出口なお開祖に降りた艮金神・国常立尊様は七合目の神であり、頂上神と呼ばれるところの国常立尊様では無かったと述べておられますが、それは増井りんさんや日月神示の岡本天明氏にも当てはまることです。もしも頂上神で在るところの国常立尊様様が本当に出て来ておられたならば、その時点で本番に入っているからです。

    巷には自分が「国常立尊」と自称される御神霊が多々おられますが、こられは頂上神というべき「国常立尊」様がどこにも見られないことから名乗っている神霊であって、そうしたニセ神の艮金神・国常立尊の文もかなり世に出回っています。
    私も最初はトドメノフミもそうしたニセ神の神示かと疑問視していました。一つに「日月」に触れていても大本教の出口王仁三郎聖師の存在に触れていないこと、「言霊」を説明していないこと、大本教神諭にあります「牛虎」も出ていません。そして根本的にイエスに対する記述が間違っているからです。
    大本教の出口王仁三郎聖師さんは自分は「イエス」に何一つ負けていないと述べておられますが、神界の格の高さがイエスとほぼ同じだったからです。イエスに頂上神は臨んでいません。それを知るならば、トドメノフミはニセ書になります。本番ではイエス以上の神格を持つ肉体が要求されます。
    故・金井南龍師は出口王仁三郎聖師さんは神界の八合目。本番は九合目以上でないと無理だと述べておられますが、そうでないと頂上神を受けることが出来ないからです。

    この内容では、やはり「九分九厘」から逃げられません。これでは「一厘」が出て来ません。が、しかしなのです。増井りんさんが天理教開祖の中山みきさんの差し添えであれば、
    人がニセ文だと見て、さほど騒がれないであろう内容に隠されていることがあるからです。で、読み返したしだいです。

     
    そのトドメノフミの中に
    【改心いたすは午の秋、ここまでなりぞと申すぞよ。
    午の秋ぞと申すぞよ。
    未が出たなら皮を剥むき敷しき物もの変えると申すぞよ。】とあります。

     
    また、
    【未(ひつじ)に米は大当り、ドンドコできると喜びておむすびこさえてやりたとて、あっと驚き、その米は喰えぬ人には大当り、触さわる事とてかなわずや。
    同じ米でも大違い、一厘違いの米と米。
    同じ人でも大違い、一厘違いの人と人。
    一厘有ると無いのでは別ものなりぞと申すぞよ。

     
    秋にはあちらとこちらでは隔(へだ)ての併(へい)ぞ現われて、隔ての線ぞ現われて、目には見えねど現われて、ヘイ、あきまセンとはこの事ぞ。
    ギリギリ午の秋までと申して来たるその日まで、改心いたしてくだしゃんせ
    とあります。
     
    私は朝鮮に残された予言に、最後の審判前に救世の為に「米」一字の教えが起きるとありまして、その「米」一字は大本教神諭予告「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸を誠で紐解くお方が只一人出る」と重なっており、その「米」と一厘の仕組みを解説して来ました。トドメノフミにあります「一厘ある米」です。
     
    しかし、残念ながらいくら解説しても解ろうとしない方達がほとんどだったと言えます。特になまじ霊感持ちほど、自分の目に見えた霊に対して自信過剰で聞く耳をもたれていませんでした。基本的に「言霊」と呼ばれるものが何かを知っておられません。アイウエオとかイロハとかヒフミだと言うことが「言霊」の意味とは違うからです。それを知っておられたのは大本教の出口王仁三郎聖師や若干名の方だけでした。

    トドメノフミに
    人の世の中終る頃、狐、狐の狐憑(きつねつ)きき、上から下まで霊憑り、その九分九厘が狐ぞと人間様にはわかられぬ。
    あら、情無や狐憑き、月の守護の時代ゆえ憑きもの有利の時期ゆえに狐、狸やその他の種々雑多なる憑きものが人間世界に踊り出て悪さしてたと申しても、人の学理で固まりた頭で理解不可能ぞ】。


    この中の月の守護の時代ゆえとは、太陽神たる真性「天照大御神」は未だ世に出ていないことです。ですから、私も伊勢神宮に君臨している天照大御神とされる御神霊はいったいどなたかと調べていました。ここがはっきりしないと【鶴と亀がすべった】にならないからです。

    私自身は人に対して見せる霊能力は持ち合わせていませんが、私から見ていると、失礼ながらほとんどの霊感者は狐狸憑きの段階と言えます。狸霊に踊らされて自分が創造神だと名乗っておらる方もありました。ただ、国常立尊様の神業に奉仕する白狐であれば、それは狐霊でもここで記される狐狸ではなくて正神界となります。が、白狐の中にも反国常立尊派の神々に使える白狐もあれば、既に邪神界に入っている白狐もいますので全ての白狐に当てはまりません。
     
    「米」教は、稲を荷なう教えです。ですから、稲荷をベースにしています。だが、それは日本の言葉である「国に常に立つ御言(みこと)」を主神として置いていますので、【言霊】の仕組みを知る必要があり、現世御利益を求めて稲荷だ稲荷だで走っているのとは違い、米を作らぬ「田抜き(狸)」の教えでもないのです。
     
     
    私が天から見せられたものは、やがて人類が「二線」に別れるでした。一線は「みろくの世」と呼ばれる未来永劫の嬉し嬉しの世界に、一線は「泥海の世界(地獄界)」にと進んで行く道です。

    これに関しては、以前の私のブログに同じ図を出していますが、少しその図に書き加えました。
    私は西暦1998年にノストラダムスの1999の予言には「15」の間違いがあるとの示しを受けました。1999の本来の意味は二線(2000)に別れる手前と言う意味で、その年に別れ目の「ポイント」があるという意味であり、別に1999年に人類滅亡とかの意味ではありませんでした。ただ、その「15」が年の数のことなのかどうかが掴めませんでした。

    そこに重大な意味を持つのは、恐怖の宇宙大王です。モンゴル(アンゴルモア)大王とは大本教の出口王仁三郎聖師が救世主と称して蒙古に渡る演技をされたことで解るように「源の義経」の意味ですが、そこに秘められた義経の意味は「義のお経」。聖書には「義」の者が一人でもいれば、私は人類を滅ぼさないの「義の者」のことです。
     
    しかし、その義は「我れは羊(未)」という意味でもあり、人類を「未来」に渡す「羊(未)」のことでもあるのです。

    未が羊であると解らぬようでは、天の神が相手にする段階の者にはなれません。
    好き勝手なことを述べておられたらいいのです。
    トドメノフミにもあります「サヨウナラ」になります。


    皆さん、まだサヨウナラの意味を理解されておりません。「さようならば、致し方がないのでしかじかするぞ」に使うのがサヨウナラです。

     


    私が九州と四国の一の宮の旅を終えた後、ある霊能者のグループの方が私の元を訪れて来られました。お話を伺うと、この午の年(西暦2014の秋で、人の目にはしかとは見えないけれども「みろく世に行かれる」方と「そうでない」方の線引きが完了しましたという報告の話なのです。
    確かに、私もこの夏頃にこの秋で「米」の教は終わったと感じていました。「米」教は立替の線引きが終わるまでの教えであり、みろく世に渡る人達を育てる為の教えです。その線引きが終わればもう「米」教そのものは説く必要が無い教えとなります。私の役目も終了です。
     また、立替に入ったと思われる映像をも見てもいました。だが、私は確信が取れるまでは黙していました。

    その霊能者のグループの方が見せられた光景には、黄金色に輝く稲が一面に広がっていた田だそうです。「米」の教えを読んで実った人達のことです。そして、既に目には見えない霊線が引かれていて、人に隔てが起きているとのことです。

    この隔てとは、一種の霊的バリアーでその中に置かれた人は、これから起きて来るであろう「立替の嵐・大峠」になる天災等から命を失うことが免れるということになります。それが朝鮮に残されていた予言「米一字の教えに従う人達の上には神の罰が降りない」の意味かと思われます。ただ、この霊バリアーは人の目には見えませんが、本当の霊能者であれば見えるでしょう。
     
    問題はその実った米の殻剥き(脱穀)が何時起きるかです。それは来年の「未」ではないでしょうかで話を終えたのですが、午や未の年とは12年に一度は巡って来ますので、単に午年とか未年だけでは判断できないわけです。改めて「トドメノフミ」を見ますと、【未に米は大当たり】となっています。
     
    私は1998年にノストラダムスの予言はに「15」の違いがあると示しを受けたのですが、改めて見ると西暦2014年が「午」年であり、西暦2015年が「未」年になっています。すると、私に対してのその「15」の示しは間違っていなかったことになります。それは、ノストラダムスの予言を午と未の年に合わせる必要があったことになります。

    では、1999(2014年午)の7の月、恐怖の宇宙大王が天下るの恐怖の宇宙大王が何かとなります。ここがかなり難しく、私も意味を間違えておりました。私が見た別の霊的光景に「天の十字が地に突き刺さる」光景がありました。それを見た人々は、恐怖の中で神道の人は祝詞を懸命にあげて、仏教徒は一生懸命にお題目。キリスト教徒は必死に神に祈る光景。その「十字」のことが恐怖の宇宙大王かと思っておりました。

    これはトドメノフミを見ますと
    天地十字に結ばれし嬉し嬉しの大異変、この時、神が現われて各宗各派を統治する。まず宗教は大異変、宗教界は大異変、一厘入った宗教はこれまでやり来たさまざまな事ではこれより立ち行かぬ、これよりやり方変えようぞ、あちらにやり方変えようぞ、打って変りて翻(ひるがえ)り、手のひら返してお出直(でなお))し、それはそうなり、そうなりと各宗各派は蘇(よみがえ))る。
    これまでの日本の新神道の宗教界における一厘とは、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた「ス」の神のことです。それを日本の新神道の宗派は「一厘」と言っているからです。また、キリスト教もその「ス」神と言えます。
    他に私が見せられた光景に綾部が「神の聖都」となっていて、綾部に各宗派が神殿を建てているがありました。大本教神諭に書かれた、末で世界の宗教は一つに統一されるを指しているのかも知れません。

    この午の年の秋前の夏頃に私が見た物にあることがありました。それは「マルス」が終わった内容でした。それは私達の目に見える事柄ではありません。そのマルスは火星の話でもありません。月の守護から日の守護に替わった意味です。
    問題は、それが「恐怖」に当たるかどうかです。

    また、私が見せられたのはトドメノフミにあります未が出たなら皮を剥むではなく、米の殻を剥く「脱穀」の光景でした。そこに単なる皮剥きではなくて、もっと深い意味が存在しています。しかし、私が見せられたのは点と点であり、それらがどの様な順番でこの世に現れて来るのかは未だ見通せません。
     
    私が見せられた光景の一つに、トドメノフミに彼岸の岸に行く舟を見送るしかない人々がどっと出たるは可哀そう、ゆえに延ばしに延ばし来た】。
    その彼岸の岸に行く舟がありました。その舟に乗れず、何とかその舟に乗ろうとする人達が水面でアップアップして溺れていても、舟はそうした人達を見捨てて行く光景です。その舟は「弥勒丸」という舟でした。弥勒丸が積み込むのは「米」として実った人達だけなのです。

    私は立替の選別で、みろく世に行けない方に選ばれた人達がどうなるのかの詳細までは解りません。私はただただ「米」教を説いて、その教えに従った方達は弥勒の世に進める道を説いて来ただけであり、それを持って私の役目は終了したわけです。
     
    しかし、天帝には一人でも多くの者を救ってやりたいという「大御心」が存在しています。確かに、最後の審判前、救世の為に「米一字の教えが起きる」は使命を終えたでしょう。が、朝鮮に残されていた「米」一字の予言には、「米」一字の教えに従わなかった人達も「白十字」によって救われるとあります。それがいかなる事柄なのかは未だ不明ですが、選に漏れた人はそれを待つより道はないのかも知れません。

    日本では「救世主」と呼ばれる存在が言われています。


    豊受様の御代をしていた私の最初の師匠は、この世を去る前に私に「複数形の救世主」が既に世に生まれ出ていると言っておりました。
    それは、豊受様はその存在に関して、誰かということを御存知だということになります


    そのことに関して、故・金井南龍師は男子と女子のペアであり、男子は「スメラミコト」。既に世に出ているが自分から名乗りはしないであろう。自分でその存在を探して、その弟子に成る必要があると言われています。女子の方は普通の者では理解出来ない存在のことを言っておられます。
    これは大本教では「日之出神と龍宮の乙姫」様として演技がなされましたが、一般に言われる日本神話の豊玉姫が龍宮の乙姫様ではありません。まったく別の存在です。また「日之出神」とは通称名で有り、日之出神と呼ばれる神が存在するのでもなかったのです。国常立尊様の仕掛けとは、神々でも解らないものなのです。

    私の元には自分は神様からその「女子」と言われていますと言って来られる方がかなりおられますが、どうも神々もその女子がいかなる存在なのか未だ理解されておられないようです。それらが見えて来るか来ないかは、これからでしょう。あるいは、その役割を本人が拒否しているのかも知れないのです。

    私が説いて来た「米」教は

    「個々が自力で救済される立場で、救世主の存在を必要としない」教えです。

    米教の教えを無視して来た人達は、神の罰を受けざる得ないでしょう。
    だから救いが無いではなく、米として実らなかった人達は「救世主」か「白十字」呼ばれる存在を待たなければならないでしょう。


    未年から
    義(我れは羊)の道にと入ります


    今回、わざわざ交通費をかけてまで私の元を訪ねて来られた霊能者のグループの方は、私の肉体に入り「米の教え」を説かれていた魂は天における貴き魂の御方でしたが、その任務を終えて天に帰られました。今の貴方の肉体にある魂はその魂と替わって天から出て来られた存在であり、肉体である貴方はゼロからのスタートであり、肉体に米教を説かれた魂の意識が染み残っているので、早くその新しい魂と霊肉一致(霊主体従)に入っていただきたいということでした。私も、また一からやり直し的なことは自分でも解ります。

    私自身、最初の師匠の魂は入れ替わりましたが、その肉体はそのことに気づかなかったを知っています。外から見る人には解っても肉体本人には解らないことも知っています。ただ、私自身の中から「米」の教えを説こうとする存在が消えたということは実感しています。その魂が天に帰ったということも理解します。


    魂が入れ替わるは「肉体の死」ではありません。みろく世に渡るには、誰しも魂に入れ替えが起きます。それは神と成る魂です。肉体の我にしがみついてはいけないのです。

    私が住むところは大本教の出口王仁三郎聖師が大本神苑の金龍海は型で有り、本当の金龍海と呼ばれた淵の一角に居て、龍宮の呼吸口と霊能者の方達から言われていた場所です。私はその「金龍海の門番」と任じていましたが、今回私の元を訪ねて来て下さった霊能者のグループの方は、その「門番」の役目も既に終わっていますと言われます。


    私自身、長年の「米」教を終えて、これから何に向かって行けばいいのか虚脱状態ではあるのです。

    私が子供の頃に臨んだ声は、そなたは神の舞台の台詞回し。最終幕は「女子が主役」。

    それで、今年でブログを終えようかとも思いましたが、新たな魂にはそれなりの役目があります。

    米教の後には「何があるのか?」。探って行きたいと思います。





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    全国一の宮。上一宮大粟神社、八倉比売神社、伊弉諾神宮。八倉比売神社に天照大神は死んだ⁉

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      阿波国の一の宮には大麻比古神社、一宮神社、上一宮大粟神社、八倉比売神社があります。その中で「大麻比古神社」は阿波国・淡路国の総鎮守社と言うことで、私に降りた阿波国の一の宮を起点として全国の一の宮を回る旅は「大麻比古神社」からスタートしました。
      一の宮巡りなので、阿波国にある他の一宮神社、上一宮大粟神社、八倉比売神社も回らなければなりません。その中で徳島市にある「一宮神社」は元々が「上一宮大粟神社」が参拝には不便だということで分祠としてつくられたもので、同一社となりますので元々の上一宮大粟神社に参拝して、分祠たる徳島市の一宮神社はそれで回ったことにしました。

      上一宮大粟神社はお参りに不便だということで徳島市に一の宮の分祠が創られただけあって、山の中にあります。今は川と山の間をぬうように二車線の立派な道路が走っていましたが、昔は川沿いの山裾の細い道を行ったのだろうということは走っていても解ります。
      今の住所地を「神山町神領」と言い、合併前は「神領村」と呼ばれただけあって、古代には何か神に関わるだけのものがあったのでしょう。

      山の中を走って行くと、少し開けた集落があり、鳥居の手前が郵便局で駐車している車は参拝者の車ではなく、郵便局関係のようでした。あまり参拝はないと思われます。

      上一宮大粟神社鳥居。
       

      この神門から参道がありました。右にある道は上にお寺があり、その参道のようです。帰りはこの道を下って来ました。
       

      上一宮大粟神社に向かう参道。
       

      上一宮大粟神社本殿。
       

      御祭神は日本神話の中の「大宜都比売命 (おおげつひめのみこと) 」となっています。この大宜都比売命は霊能者の間では「豊受」様だと言われる方が多く。俗説でもそう言われていますが、日本の記紀神話で行くと「大宜都比売命」は「豊受」様とはなりません。日本神話ではこの2神は完全に別の存在として書かれています。
      神殿で拝していますと、出て来られたのは「豊受」様でした。俗に言われていることが正しいようです。豊受様から一言いただいて帰りました。ただ、それは私が見たのは豊受様であり、学者さん達の大宜都比売命と豊受神は別神だという説を否定するのではありません。

      ただ、それで「アワ国」の「アワ」の意味には、阿波(泡)のみならず、五穀神「豊受神(大宜都比売命)」に関しての「粟(あわ)」もあるのだと思っただけのことです。
       


      次に阿波国一の宮である「八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)」にと向かいました。さて、鳥居は見つかったのですが、石段を上がっても「祠」のような社があるだけで、一の宮らしき神社が見当たりません。

       

      そこで、付近を探していると宮司さんの家らしき建物がありました。建物の看板に「天石門別(あまのいわとわけ)」八倉比売(やくらひめ)神社社務所」と上がっていますので、間違いなく社務所です。だが、その付近にも神社が見当たらないのです。
      なお八倉比売とは「天照大神」の別名とされています。
       

      で、付近を探していると公園化された山の中にあることが解りました。遊歩道のようになっているので車で行っていいのか悪いのか判断が出来ず、距離もあるので車で上がって行きました。すると鳥居がありました。車が2台ほど駐められるスペースがあったので、そこに駐めて石の階段です。

      八倉比売神社鳥居。
       

      八倉比売神社本殿。
       

      八倉比売神社の略記です。ここにとんでもないことが書かれています。【当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神(いまりのかみ)、葬儀委員長大地主神(おおくにぬしのかみ)、木股神(きまたがみ)、松熊(まつくま)二神、神衣を縫った広浜神(ひろはまのかみ)が記され、八百萬(やおよろずのかみ)のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。】とあります。

      天照大神がこの地で亡くなって、その葬儀委員長が大国主命(大地主神)であったなど、日本の皇室主観主義の偉い学者さんが聞いたら、ひっくり返ってしまうようなことが書かれています。
      ただ、この地は徳島市に合併するまで「国府町」と呼ばれており、古代には「国府」が存在していたことになります。また、近くに阿波国分寺もあります。さらにその先を流れる川は「吉野川」であることから、卑弥呼論争が起きても不思議な場所ではないのです。
       

      この八倉比売神社の鳥居から本殿まで行く道は公園のようになっていますが、その中に「矢野遺跡」が存在します。縄文時代からのものです。そうなりますと、「天石門別(あまのいわとわけ)」の意味もかなり持つとも考えられます。

      矢野遺跡1。同様の建物は出雲の「八雲立つ風土記の丘」にも存在します。
       

      矢野遺跡2。住居内部。
       

      矢野遺跡3。高床式建物で古代は穀物の貯蔵庫だったとされる形式です。
       


      阿波国一の宮を終えて、鳴門海峡を渡って淡路市多賀の「伊弉諾神宮」にと向かいました。私が40年ほど前に淡路島の洲本に住んでいた頃は、ここは津名町と呼ばれていました。当時は洲本に居ても、信仰心など無かったので訪れてもいません。

      数年前、多賀の伊弉諾と名乗る声から、あることを告げられて近江の多賀大社に参拝したことがあります。それはある人を近江の多賀大社に私と一緒に連れて来て欲しいでした。だが、本人に言っても聞く耳はないので、申し訳ありませんが直接に本人に言ってくださいと返したところ、直接本人に告げられて一緒に近江の多賀大社に参ったことがあります。
      すると、ある霊能者の方が私がお多賀の伊弉諾様からお呼び出しを受けてある方をお多賀に連れて行かれたが、本当はその方がメインではなくて、貴方がお多賀から呼び出しを受けられたのです。だが、貴方に関わる伊弉諾様は多賀よりも、淡路の伊弉諾宮のはずですがと告げられたことがあります。
      その時、私が一緒に連れて行った方はその多賀で伊弉冉様からある物を見せられたのですが、ご本人もその意味が解らなかったようです。が、今年白山神社で私に菊理媛様が出て来られたことで、その意味がようやく解りました。

      それに関することは、これから起きて来ることに関係しているのかも知れません。大本教の出口王仁三郎聖師が予告された「綾部は神の聖都」に関して白山菊理媛のお働きです。


      近江の多賀大社は伊弉諾尊・伊弉冉尊の2柱神ですが、こちらは昔は伊弉諾尊様単独となっていました。だが、ここも地名は「多賀」であり関連していると解ります。明治以後、御祭神が伊弉諾尊・伊弉冉尊となったことで、名前は伊弉諾宮でも2尊と言えます。そして、こちらも古代は多賀明神と呼ばれていたのです。

      淡路国一の宮・伊弉諾宮一の鳥居。
       


      伊弉諾宮表神門。
       

      淡路は日本神話における伊弉諾尊・伊弉冉尊の国産みの地であり、伊弉諾尊の終焉(幽宮)の地と言うことで、「淡路幽宮」となっています。ここにある「日之少宮」の意味は、その名で隠居しておられたの意味のようです。
      ここでは、伊弉諾尊・伊弉冉尊の2神の絵が描かれていますが、明治時代より以前は伊弉諾尊単独で祭られていたようです。
       

      伊弉諾神宮拝殿。拝殿正面が一般参拝用。その右手の方にテントが見えますが、拝殿でご祈祷を受ける時はそこで待って、それから拝殿と上がります。
      今回、御祈祷を受けましたところ、この拝殿に上がって神職の祝詞や巫女のお神楽が終わりましたら、玉串を持って拝殿の向こう側から降りて履き物を替えて、本殿に一人で進んで柏手を打って玉串を奉納します。神職はついて来ませんので、玉串の上げ方を知っておく必要があります。
       

      左が拝殿で右側が本殿。この間を神職の案内ではなく、自分で歩いて行くという他の神社では見られない様式になっていました。自分が拝して帰って来るまで、神職は拝殿で待っていてくれます。その後に拝殿内で御神酒です。
       

      拝殿脇から見る本殿。
       


      その日、この伊弉諾宮でテレビロケが行われていました。ロケの方に話を聞くと中村俊介さん主演の「浅見光彦」シリーズで今年の8月に放映されるそうです。


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      全国一の宮 大山祇神社、土佐神社、田村神社。国常立尊様は大山積様なのか?。

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        四国は阿波国(徳島県)と伊予国(愛媛県)と土佐国(土佐県)と讃岐国(香川県)と律令制(りつりょうせい)に基づく国と現在の県が一致しています。まさに「四国」なのです。

        伊予国一の宮は大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)で、全国にある大山祇神社の総本社とされています。
        なお、大山祇神社には駐車場がありませんが、付近のお土産店などに駐めることが出来ます。

        大山祇神社の二の鳥居。
         

        この大山祇神社の社号の石柱は、「大日本総鎮守大山祇神社」となっています。これは昔、朝廷から「日本総鎮守」の号が贈られたことからです。
         

        大山祇神社の由緒。何が書かれているかと言いますと、大山祇神社の「御祭神は大山積大神一座で天照大神の兄神に当たらせる」とあります。普通の神社ですと、相殿などと言って数座の神が祭られていますが、ここは大山積大神一柱だけを祭ってあると書いてあります。
        日本神話では大山積大神は、木花咲耶姫の父神とされています。この大山祇大神は「国常立尊」と同一視する向きもあります。そこから世の立替は木花咲耶姫様が主体となる様な話が起きています。が、国常立尊は初発の神とされており、神代七代目の伊弉諾尊・伊弉冉尊の子とされる大山積大神では、いくら日本神話の内容は事実ではないとしても、意味が解らないことになってしまいます。初発の神が弉諾尊・伊弉冉尊の子として出た???。
         

        大山祇神社 総門。
         

        大山祇神社由緒。国祖・国常立尊=大山積大神の根拠論が出て来る原因とも考えられる「大山積大神は日本民族の祖神」の文章。
         

        大山祇神社本殿。
         

        大山祇神社に行くのには、一般的には西瀬戸自動車道(しまなみ街道)の大三島ICを利用します。大三島の井口港から「しまなみ街道」の風景。
         


        土佐国の一の宮は「土佐神社」となります。御祭神は2柱で、味鋤高彦根神(アヂスキタカヒコネ)と一言主神です。味鋤高彦根神は大国主の子と言われ、日本神話の中では下照姫と天稚彦(アメノワカヒコ)の話の中に登場して来る神です。この話は御伽草子(おとぎぞうし)の中にもあり、為に、よく知られる話になります。

        土佐神社鳥居。
         

        土佐神社拝殿。拝殿の手前に拝する場所があります。
         

        拝殿です。通常参拝は前の写真の場所です。
         

        この土佐神社、横から見ると他にはない形をしています。
         

        土佐神社境内。輪抜祓所と呼ばれて、茅の輪くぐりではありませんが、同じくぐり方をします。
         

        輪抜祓所の説明文。
         

        土佐神社鼓楼。私のカーナビは裏参道から駐車場に案内したので楼門の場所を通らずでした。私のカーナビはおかしな道ばかりを案内して来るのです。
         

        讃岐国の一の宮。田村神社の鳥居。ここも私のカーナビではとんでもない田んぼ道に案内してくれました。
         

        田村神社本殿。御祭神は時代によって変化しているようです。
         

        田村神社の横は宇都伎(うつき)社となっています。その鳥居。

         

        その宇都伎社の本殿。文献では御祭神は大地主神、倉稲魂神となっていますが、左に金色の布袋さんらしき像。右に金色の大黒さん像があって、神社と言うよりも寺院だろうと思わせます。右手前の像も全て「仏」像です。


         
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        全国一の宮 都農神社、西寒多神社、柞原八幡宮、宇佐八幡宮 

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          日本神話は日向に関することは多いのですが、日向国の一の宮は「都農神社」です。私達は宮崎と言えば「宮崎神宮」が頭に浮かびますが、この都農神も明治以前は「宮崎宮」と呼ばれていました。
          宮崎神宮が「宮崎宮」と言うようになったのは明治以降になっています。

          都農神社鳥居。
           

          都農神社神門。
           

          都農神社御由緒。なんと御祭神は宮崎神宮と違って大己貴命(大国主命)様となっています。
           

          都農神社御本殿。
           

          日向から豊後国に向かいますと、豊後国の一の宮は柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)と西寒多神社(ささむたじんじゃ)があります。

          西寒多神社(ささむたじんじゃ)の石柱。
           

          西寒多神社の鳥居と御本殿。

           

          西寒多神社の説明書。
           

          柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)と向かったのですが、途中からこの道は何だと言うほど細い道になりました。マイクロバス一台がいっぱいいっぱい程度の道幅で、カーブで車同士鉢合わせするとバックが難しいような細い道でした。幸いそうした道の距離が短いので、途中で鉢合わせをしましたが、少しバックすればなんとかなります。住所地は大分市ですが、山間の場所です。
          以前、熊野本宮を交点とする「8の字」周りを指示されて、熊野の山の中、スタンドで通れるかと聞いたら2トントラック以下ならば通れますよで走ったら、すれ違う場所が見当たらな道。これで鉢合わせをしたならばどうしょうと走りましたが、ここはさほどそうした道は長々とはありません。

          柞原八幡宮の西門。
           

          柞原八幡宮。左に見えているのは申殿。右側は楼門ですが、履き物を脱いで右に見えている廊下を進みます。
           

          奥が本殿で手前が申殿。ここは醸し出す雰囲気が本当に神社だと思わせます。
           

          柞原八幡宮拝殿。奥は申殿。
           


          翌日、豊前国の宇佐八幡宮にと向かいました。数年前にも参拝しましたので、私にとっては2回目となります。宇佐八幡宮は全国の八幡宮の総本社となります。

          宇佐八幡宮。入口。
           

          宇佐八幡宮。神橋を通ります。


          宇佐八幡宮。大鳥居。
           

          宇佐八幡宮。春宮神社。
           

          宇佐八幡宮。鳥居。
           

          宇佐八幡宮。若宮。
           

          宇佐八幡宮。宇佐鳥居と西大門。
           

          宇佐八幡宮。上宮南中楼門。ここが一般拝殿。
           

          宇佐八幡宮。下宮。
           


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          全国一の宮 牧聞神社と鹿島神宮。知覧の特攻基地平和会館

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            薩摩国の一の宮と称され神社には新田神社と枚聞神社(ひらききじんじゃ)があります。新田神社は前日に参ったので牧聞神社に向かいました。

            その途中に池田湖があり、開聞岳が見えています。
             

            牧聞神社の入口と開聞岳。
             

            牧聞神社の案内図。御祭神は天照大御神とあり、開聞岳の頂上に牧聞神社の末社「御獄(みたけ)」神社が鎮座してあり、琉球国からの崇敬もあったと記されています。
             

            牧聞神社の鳥居。
             

            牧聞神社の御本殿。
             

            この日に予定していました新田神社と霧島神宮を前日に参っていたので、予定時間に余裕があったので開聞岳が美しく見える長崎鼻に行こうと思ってカーナビを見ると「知覧」の平和会館が近くにあります。
            今回の予定は一の宮参拝で「知覧」を組んでいませんでした。長崎鼻から開聞岳を見る観光ではなくて、特攻隊の戦史を知る上でも知覧を知るべきです。そこで知覧の平和会館にと向かいました。
            知覧のお茶は有名ですが、これほど広大な茶畑とは予想もしていませんでした。

            知覧の平和会館の入口。平和会館の内部は撮影禁止となっています。
             

            私は知覧の平和会館を訪れる前、特攻隊と言えば旧海軍「鹿屋基地」の方が主たる特攻隊基地と思っておりました。
            どうしても特攻隊と言えば、特攻隊の海の親と言われる海軍大西中将、神風特別攻撃隊、ゼロ戦、予科練。そして海軍航空隊に所属して特攻機に載る前に終戦になったと言われていて、軍歌「同期の桜」で知られる俳優「鶴田浩二(海軍少尉)」さんのイメージを持つからです。
            鹿屋基地から飛び立った特攻隊員は908柱の英霊となっています。他に現在は鹿屋市ですが、旧「串良」町の海軍基地からも特攻に飛び立った363柱の英霊があります。

            私は特攻隊に関して「知覧」のことはよく知りませんでした。こちらは海軍ではなくて陸軍でした。
            知覧の平和会館にあるのは陸軍の特攻隊員1036名の英霊の遺影や資料であり、知覧基地から飛び立った特攻隊員は陸軍の439柱英霊。1036名は知覧以外の陸軍の特攻基地から飛び立たれた旧陸軍英霊の数も含んでいますので、一つの基地としてはやはり旧海軍鹿屋基地が最大の特攻基地だったようです。

            平和会館のパンフに載る銅像。横の飛行機は特攻隊で使用されたものではなく、実物は平和会館の中にあります。もっと大きな機体です。
             

            私は陸軍の特攻隊員の英霊達の階級と残された遺影の当時の階級を見ていて、戦死につき2階級昇進であったと解りました。その1036柱の階級の大多数が少尉であり、飛び立った時の階級が飛行兵曹だからです。これは海軍で言った予科練であり、旧制中学校を在学中に採用された少年兵だったと思われます。
            次に多いのは大尉の階級であり、これは学徒出陣で動員されてパイロットとなって少尉の階級だった人達と思われます。いずれにしても特攻に選ばれたのは10代20代の若者達がほとんどであったということです。
            そうした中で、准尉の階級、曹長の階級、軍曹の階級、伍長の階級、兵長の階級者がそれぞれ若干名ありました。兵長は当時一等兵であり、伍長は上等兵、軍曹は兵長、曹長は伍長、准尉は軍曹であったと考えられます。これは戦闘機乗りの階級としてはあり得ないので、かなり大型の爆撃機の操縦士以外の乗員の階級と思われます。
            だとすれば、足が速い戦闘機だけでなく、一部の爆撃機も特攻に参画したのかも知れません。

            私はそうした特攻隊員の遺書を読んでいて、中には勇ましい遺書もありましたが、その多くは御国の為とは言いながら父母に対して親よりも早く先立つ不幸を詫びる内容に涙を拭っていました。
            公の為に自己の命を投げ出す者。それは何時の世にも神の世界にと向かって行く道ではあるのです。
            自分の幸せだけを祈っている。それのどこが悪いのかとの指摘はあるでしょうが、そうした魂に未来永劫はないのです。魂が腐る。魂が潰れる。そうなれば未来永劫はないのです。


            大隅国の一の宮は鹿児島神宮となります。

            鹿児島神宮拝殿。
             

            鹿児島神宮の拝殿を見上げると「正八幡宮」となっています。
             

            鹿児島神宮御本殿。
             

            鹿児島神宮案内版。御祭神は天津日高彦穂穂出見尊(山幸彦)、豊玉比売命、帯中比子尊(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気尊(応神天皇)、中比売命(同皇后)となっています。



             
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            全国一の宮 新田神社。弊立神宮と霧島神宮

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              その日、午前中は高千穂を巡る予定でしたが前日に回ったので、その夜は薩摩川内市のビジネスホテルを予約しており、時間が余るので霧島高原の火山状況を見ようと高千穂から霧島に向かって走っていました。
              ふと、カーナビを覗くと「弊立神社」が出ています。その街道筋です。そこで立ち寄ることにしました。

              弊立神社と言っても、ほとんど知る方はないと思います。格付けとしては郷社にしか過ぎませんが、神宮と呼称し、こここそ「高天原発祥の地」と一部の神道関係者や霊能者が言われ、この神社に参拝すれば最高神たる天之御中主様や国常立尊に出会える式のことを言われるので、ここをわざわざ訪ねられる方も多々あるようです。
              駐車場には休憩の為に止まっている車はありましたが、他に参拝に来られたような車は一台も存在しませんでしたので、平常はさほど参拝に来る方はないのかと思われます。
              祭っていますと実際にそこに神が降臨したでは、まったく意味が違って来ます。

              弊立神社(神宮)鳥居。
               

              弊立神社(神宮)中鳥居。
               

              その参道の側にある柱。何が書かれているかと言いますと、「神々の故郷・高天原白保古峯」「万世に輝く 日本文化発祥の地」「邇々杵の命(にぎにぎのみこと) ここより天降り高千穂に天孫降臨の偉業あり」と書かれています。

              だが、ウィキペディアには、社伝では神武天皇の孫である健磐龍命(阿蘇神社の御祭神)が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったとあり。その後、延喜年間(901年 - 923年)、阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立社と号したとあります。神宮と呼称しているのもそのことによるのでしょう。
              つまり、伊勢の両宮をお祭りしたのは健磐龍命(阿蘇神社の御祭神)が幣帛を立て後の話であり、天之御中主とか国常立尊とかの話を持って来たのはさらに後の話でしょう。
               

              弊立神社(神宮)の本殿。社務所があるので覗いてみますと無人の社務所でした。田舎の神社によくある御用の方は宮司にご連絡くださいで、ここの社務所は常時誰かが駐在ではないようです。
               

              弊立神社(神宮)の由緒。
               

              霧島の状態を知りたくて「えびの高原」に向かいましたが、途中で「小林市」方面は通行止めと出ています。カーナビを見ますと「えびの高原レストハウス」迄はいけそうなのでそこをインプットしました。
              カーナビではえびの高原レストハウスでもグーグルの地図では「えびのエコミュージックセンター」となっていて、2棟ほど建物が建っているのですが、その駐車場は完全封鎖になっていました。
              写真は完全封鎖されていて、一台も車が止まっていない駐車場。ここから小林市に行く道路は封鎖されていました。
              どの山を見ているかと思っておりましたが「韓国岳」の写真と一致しますので韓国岳です。
               

              そこから霧島神宮が近いので、明日予定した霧島神宮にと向かいました。

              霧島神宮鳥居。
               

              霧島神宮本殿。以前に2回参拝しているのですが、自分の記憶より小さな神社だったので、やはり40年前の記憶は不確かだなと思っておりました。御祭神は「ニニギノミコト」となっていますが、元々は火山信仰かと思われます。
               

              その霧島神宮から薩摩川内に向かう高速道路で黒っぽい雲が上空に上がっているので何事かと思っていましたら、桜島の噴火でした。

              写真は薩摩川内の薩摩国一の宮の「新田神社」の参道。
               

              新田神社の御本殿。
               

              新田神社の由緒書。御祭神は「ニニギノミコト」ですが、元は八幡社であったとされています。
               


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              全国一の宮 阿蘇神社。高千穂の天安河原が最強のパワースポット???

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                予定していた祐徳稲荷神社参拝を前日に終えましたので、次の日は余裕を持って肥後国一の宮である「阿蘇」神社に向かうことが出来ました。阿蘇神社は初めてですが、阿蘇は高校生の時の南九州への修学旅行と20代の東京に居る時に友人達と名神高速が開通したで九州にドライブ旅行に行っており、約40年振りに阿蘇の地を訪れることが出来ました。

                阿蘇に向かう途中、阿蘇山か桜島のどちらかが爆発する予感を得て、旅の行程が狂わなければいいがなと思っていました。

                阿蘇神社鳥居。本殿に面するのではなくて横鳥居という珍しい建て方です。ずっと奥の反対側にも鳥居があります。


                阿蘇神社楼門(日本三大楼門の一つとされています)。
                 

                阿蘇神社本殿。
                 

                阿蘇神社本殿の向かって右隣(本殿からすると左隣)が一の宮となっており、その御祭神は「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」で、日本神話では神武天皇の孫となっています。
                 

                阿蘇神社由緒。
                 

                阿蘇と言えば「阿蘇山」で、40年ぶりに向かって見ました。阿蘇山からは煙がたなびいており、露店のおばちゃんが昨日までの煙と比べたら、今日は倍の量が出ていると言われます。これは近いうちに阿蘇が爆発するなと見ていましたが、阿蘇の爆発はそれから19日後の11月25日でした。
                その翌日、高速道路で霧島から鹿児島に向かっていて変な雲が出ているので、何だと見ていましたら、それは桜島の噴火でした。
                九州は阿蘇・霧島・桜島と非常に危険な状況になって来ています。だが、それは九州の火山のみならず、世界の火山が危険な状況になって来ていると言えます。

                草千里から煙たなびく阿蘇山を見る。
                 

                高千穂の神楽を見たくて、最初は日向から高千穂に向かう計画をしていましたが、高千穂で泊まるところを探しましたが一人旅だと泊まるところに苦労します。高千穂で一人旅で泊まれる宿が空いている日を検索しますと、日程としては阿蘇から高千穂に行けば宿が確保出来ると解ったので、高千穂を先にと変更しました。

                秋の高千穂と言えば、これから先はどの宿も満員なのかも知れません。

                写真ではおなじみの高千穂峡ですが、写真で見るのと実際に見るのとでは、ここまで違うのかです。思ったよりこぢんまりしています。
                 

                高千穂神社鳥居。高千穂神社は一の宮ではありませんが、日本神話の故郷と言えます。
                 

                高千穂神社本殿。
                 

                高千穂神社由緒書。
                 

                私は多くのスピ系の方達が、高千穂の「天岩戸神社」の「天安河原」が最強のパワースポットと言われますので、私は霊能者と言えるほどの霊感持ちではありませんが、日本には霊的鈍感者の私でも拝しているだけで足がずずっと吸い込まれるような場所があります。そうした場所では霊能者の方だと、よろめいて持って行かれる時があります。そうした場所とどちらが強いか比較して見たかったのです。

                天岩戸神社鳥居。
                 

                天岩戸神社の本殿。
                 

                天安河原の岩戸川。こうした山の中を流れる川は霊気が強いので霊気があるのが自然と言えます。
                 

                天安河原神社。
                 

                確かにパワースポット言えばパワースポットでしょう。しかし、日本最強のパワースポットとか最大のパワースポットと言うのは、どうでしょうか?。

                そうしたことを宣伝されている霊能者江原啓之さんは、テレビのオーラの泉で俳優宇梶さんに憑いていた数十体の霊に攻撃されてのびてしまわれ、横におられた美輪明宏さんが急遽助けるがありました。

                神霊世界では龍神が群れをなして攻撃して来るなどのチャンバラ劇もあります。数十体程度の憑依霊でのびているわけには行かないのです。霊が見えるではなくて、どれだけ動かせるかです。今は中年かと思いますが、何百体もの黒龍神を動員する恐ろしい少女に接したことがあります。そんな存在に出会うと白狐でも逃げて行きます。いくらブログの世界で自分は光で浄化すると豪語していても、そんな存在に出会ったら自分が逃げて行かなければならないのです。

                霊的に敏感すぎる方は、そうしたチャンバラが起きる霊的世界では不向きになります。いくら神刀を保持していようと、それでは戦えないからです。

                その夜、高千穂の夜神楽を見たかったので高千穂神社から歩いて僅かな小さな小さな宿に泊まりましたが、夜神楽を見るのであれば早く行ってください。満員になりますよと言われて、平日に満員などないだろうと多寡をくくっておりました。
                高千穂神社の神楽殿に行くと、あちらのホテルこちらのホテルとホテルの送迎バスが並んで駐車していて、定員300人の会場は満員でした。ざっと数えても300人どころではなくすし詰めでした。入場料が700円で300人としても、毎夜、毎夜、20万円以上の入場料が入って来る。興行として見るならば大成功です。
                それを思うと、津和野の石見夜神楽は生演奏者や出演者も多いのに、観客は僅かの違いが気の毒になって来ました。

                高千穂夜神楽「手力雄の舞」。
                 

                高千穂夜神楽「鈿女の舞」。
                 

                高千穂夜神楽「戸取の舞」。
                 

                最後に「御神体の舞」があります。演じておられるは町内にいくつもあるグループが交代で演じておられるそうです。で、年間を通して公演されています。


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                肥前国一の宮 千栗八幡宮、興止日女神社と祐徳稲荷で貰った女物の反物???

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                  肥前国には一の宮が千栗八幡宮と與止日女神社の二つがあります。最初千栗八幡宮に向かおうと思って私のカーナビで検索しても該当神社がなく、その住所地をカーナビに打ち込んで向かった場所には神社らしきものは何もありません。山裾の車が一台ギリギリの場所。その付近を拡大して探っても神社らしきものはなく、ようやくカーナビ地図に一つの八幡神社があったので行って見たのですが、千栗八幡宮でもなければ住所地も違いました。

                  もう諦めようと思い、それでもとスマートフォンで調べると、千栗八幡宮がありましたのでその地図を見ると、カーナビが指図した場所と大きな道路を隔てまったく正反対の方向に存在しました。そこをカーナビで探ると千栗八幡宮が記載されています。
                  もしかするとカーナビの住所を打ち間違えたのかと再度打ち込んでも、やはり正反対の方向の場所を指します。そんな一つの番地で解らないほどの広い地域などは考えられませんので、カーナビの地図にバグでも存在したのでしょう。30分ほど余分な時間を使ってしまいました。

                  千栗八幡宮の鳥居。
                   

                  その鳥居が町の重要有形文化財となっていました。
                   

                  千栗八幡宮の本殿。宇佐八幡宮の別宮とも言われているようです。
                   

                  肥前国のもう一つの一の宮は與止日女(よどひめ)神社と言います。淀姫神社とも呼ばれて、その横を美しい嘉瀬川(かせがわ)が流れており、対岸には大きなホテルも存在しました。見ると○十のマークに「ホテル登龍園」とありました。この日は太宰府で登龍門の文字を見て、また登龍でした。

                  與止日女神社の鳥居。
                   

                  與止日女神社の本殿。
                   

                  與止日女神とは聞き慣れない神名ですが、由緒書きには神功皇后の御妹、また豊玉姫(竜宮城の乙姫様)とも伝えられているとあります。それで対岸のホテルが登龍園かと解りましたが、どうして○十の紋なのか?。龍宮と薩摩紋は関係しているのだろうかと余分なことを考えておりました。
                   

                  この日はこの與止日女神社の奥にあります温泉宿に宿泊を予定していまして、翌日の朝に祐徳稲荷に向かう予定をしていましたが、かなり時間が残っていたので祐徳稲荷まで走ることにしました。

                  祐徳稲荷は日本三大稲荷の一つと言われています。私の最初の師匠は伏見稲荷大社講務本庁の婦人部長もしていた豊受様の御代たる霊能者で、伏見稲荷大社、最上稲荷、祐徳稲荷は実際に鎮座されている主宰御祭神は豊受様ですよと言っていました。

                  祐徳稲荷の鳥居。
                   

                  祐徳稲荷の楼門。
                   

                  写真などで知られる祐徳稲荷の風景。


                  祐徳稲荷の御本殿を見上げる。
                   

                  祐徳稲荷御本殿の拝殿。
                   

                  この祐徳稲荷の裏山に奥の院があるので上がってみましたが、年老いた私にはここの階段はきつくて、日も暮れて来たので途中で断念しました。

                  断念して御本殿近くまで降りて来ると、豊受様が出て来られて私にお土産があるから神楽殿に来るようにと言われます。
                  で、神楽殿に行って拝しましたところ、霊的な話ですが、奥に豊受様が居られて、その前に三つほどの三宝が置かれていました。最初に私に渡された三宝には「反物」が載っていました。
                  その反物をチラリと見ると男物の反物ではなくて、何故か女物の反物。男である私に女物の反物を下さるとは、どういうことだと考え込んでいる内に、その光景は消えてしまいました。

                  以前、私と一緒に同行していた女性は大きな神社では必ずと言ってよいほど御祭神から「神刀」を授与されて、こんなに神刀ばかり貰っても困ると笑いになりましたが、神刀や玉を授与された話はいろいろ聞きますが、反物を貰ったはこれまで聞いたことがないケースです。
                  男の私に女物を着させる???。外的に私に女に成れということか?。それとも大本教の出口王仁三郎聖師が演じられた外見は男だが魂的には女性だと言う変性女子の意味なのか?。と、首を傾げておりました。

                  祐徳稲荷神楽殿(祈祷殿)。
                   

                  なお、この場を借りて申し上げたいことがあります。最近、数名の方から私に自分の稲荷神を調べて欲しいと頼み事が来ましたが、私は霊能者と呼ばれるほどの霊能力者ではなくて、日本の国に常に立つ御言(国常立尊)の日本語の仕組みを紐解く為に必要なことに限って霊的世界を見させて貰っているだけです。

                  8〜9名ほどの霊能者の方から、私の本守護神は「国常立尊」様だと聞いてはおりますが、通常言われる守護神は豊受様と豊川様となっています。為に豊受様は時々顔を顔は見せられますが、完全な一方通行で私から豊受様に対してコンタクトが取れません。で、私から豊受様にお聞きすることは出来ません。不可能と申し上げておきます。

                  もし、私が最初の師匠の様に、豊受様の御代となる者であれば会話も可能だったでしょうが、私の役目は豊受様の御代ではなくて、豊受様曰く、天帝の詔(言葉の仕組み)を世に告げることになっています。その役目に従事している者です。皆さんがそれを聞こうが聞くまいが、私の役目はそれを告げるだけのことです。

                  そうした守護神調べの御相談は、霊能者の看板を上げておられる方にお頼みください。また、優秀な霊能者のご紹介も昔は存じていましたが、私ももはや老いた者であり、私が知っていた優秀な霊能者の方達は皆様私より年上で、既にどなたも御存命ではありません。自分でお探しください。

                  天帝が求めておられるのは天帝に従う者達であり、神への登龍門をくぐる人達なのです。


                  最初、このブログで肥前と備前の漢字を間違えて打っていました。ご指摘ありがとうございます。


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