その内容は、自分に臨んで来る霊が創造神の異名ともされる神名を名乗って出て来る。他にも神代七代の神の御神名を名乗って来る霊。他に大身の神の御神名を名乗って出て来る霊等、そうそうたる名の御神霊が出て来られるです。
で、霊能者の方に調べてもらったところ間違いがないということだったけれども腑に落ちないところがあったようで、私にサニワをしていいだきたいという願いです。
私は霊能者をしていません。時には霊的なことが見えますが、それは神界から特別の用事がある時ぐらいです。普段はまったく見えません。別にサニワは霊が見えなくても、優秀な霊媒者が側に居てくれさえすれば可能です。
ただ、私の側にはそれが出来るほどの優秀な霊媒者は存在しません。霊媒質の方は世に多数居られますが、真に霊媒者と言える人となると極端に少ないのです。霊媒質者イコール神界の用事が出来る霊媒者ではないのです。
へたな霊媒質の方を霊媒者として使いますと、こちらがその言葉に欺されたり振り回されてしてしまいます。だが、現実にはその手の霊媒者を使っていて、その霊媒者に入った動物霊の言葉に振り回されておられる行者さんも多数居られます。
それが本当に名乗り通りの神霊なのか。あるいはそうした名を使う動物霊なのかの見分けは、霊は化けて出て来ますので単に霊が見えるではダメなのです。その姿の奥が見える霊視とか、その言葉使いで本物かニセ物かを見極めることになります。
一番よいのが優秀な霊媒者を介在させて、その神霊が霊媒者を通じて言う言葉に対して質問を浴びせて、どういう答えを言って来るかです。その時、その霊が出す言葉を鵜呑みにしていると見破るは出来ないのです。霊とは多くの嘘を言い、その出した言葉に頬被りをしようとします。で、言葉を聞いていて、ここぞと思うところでその言葉に対して突っ込みを入れるのです。ですから優秀な霊媒者が居ないと、即座に突っ込みを入れることが出来ません。
元々サニワとは、検事とか弁護士のように裁判で被告から真実を引き出す。江戸時代の奉行所の「白州(白砂)」のような【清庭】の意味で、それに今は「審神」の漢字を当てているのに過ぎないのです。裁判の席では、その人の見てくれの風体では判断はしません。本人が何を語るかです。
その霊(被告)が如何なる【言葉】を出すかです。その言葉によってその霊が真実そうなのか。はたまた嘘で名乗っているのか。その白黒を決める。これが本来のサニワなのです。
ですから、被告席に立たせた霊が自分は創造神です。天照大御神です。マリアです。ミカエルですなどといくら名乗っても、閻魔庁(霊界裁判所)にはそうした名乗りは一切通用しないのです。その閻魔庁の判官に代わって、この世で霊を吟味するのが「サニワ」なのです。
以前、私のブログに「自分を観音として祀れと言った大白蛇霊」を書いていますが、これは霊能者ではあるけれども、プロとして活動はされていない霊能者の方が、会社を辞めてまで自分を観音として祀れという存在に対して、会社は辞めてまで霊能者をしたくはないということで私にメール相談をされたのです。
その霊能者の方はその存在が大変な光で、その霊能者の方が伏見稲荷山に行くと十二単衣をまとった稲荷神としての姫神達が自分に挨拶してくださるので、自分に懸かっていたその存在が「天帝」の様に思っておられたわけです。私に対する相談は、何とか会社を辞めないようにして欲しいです。
で、その方はその御神霊との会話が出来ますので、その御神霊に対する質問をメールに書いて、その御神霊の返答を私に送って下さいです。で、その答えが少しでもおかしいと思ったら、そこを突く質問を返すわけです。そうしたメールのやり取りの中で、自分を観音として祀れと言っていた霊が自分は自然界の大白蛇霊で、伏見稲荷山において十二単衣で出て来た姫神達はその配下にいた白狐達であったと解ったのです。
その方にとっては信じていた存在がそうした物と解った時、それはかなりのショックで自分と別れて欲しいと告げられたのですが、その大白蛇霊が嫌だ。別れたくないと言い、その後はどう決着したのかは解りません。男女間の別れる別れない的な話になってしまうのです。
そして今回の相談者も、神霊と称する存在から来る言葉は「愛している」。「愛している」の繰り返しなのです。
この相談者の方が霊との会話が出来るので、私の側に霊媒者が存在していなくても、メールで何回もやり取りをする煩わしさはありますがサニワが出来たわけです。
霊の姿が見えなくても、その存在と会話が出来る(霊媒者の役どころ)方が媒介に入ればサニワは出来ます。
この時、神霊世界のことに関して詳しくない方は、ある疑問が湧くかと思います。その大白蛇霊はどうして「シラを切り通す」ことが出来なかったかです。
それは私は2番目の言霊師の方を師匠としましたので解ったのですが、【言葉は神】なのです。言葉を創って来たのは創造神なので、サニワ者の言葉そのものも【神の剣】として働くのです。
聖書のヨハネの黙示録第十九章に「天が開かれて、見よ。そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、【忠実で真実なる者】と呼ばれ、義によって裁き、また戦う方である」。「その名は神の言(ことば)と呼ばれた」。「その口からは諸国民を打つ為に、鋭いつるぎか出ていた」があります。言葉そのものが【神の剣】となって霊を裁くのです。
で、サニワ者の前で「嘘」をつくと、その罪は非常に重くなるのです。嘘を言って裁かれるよりも、自分は大白蛇霊ですと正直に告白した方が賢明なのです。
私が出したのはメールですが、そのサニワの文章を霊能力がある方が読み上げると同様の働きをするのです。それは「サニワ」文であり、霊的には裁判の申し開きの「白州」に引っ張りだされていることになるからです。
では、誰でも「サニワ」が可能かとなった時、そこには「言霊」鍛錬が物を言うのです。出す言葉が霊界で「ツルギ」となる。
神は言葉というは、そこにも出るのです
で、新たな相談者の方にも、そうした神霊達がその方に出している言葉の内容を送っていただいたら、その言葉遣いや内容から端から創造神とか神代七代の神とか大身の神たる存在ではないと判断出来ます。完全に低級霊。俗に言う動物霊の段階です。
そうなりますと、それらの神霊を創造神とか神代七代の神とか大身の神だとサニワした霊能者が問題です。で、その霊能者の方の言動もメールで送って貰って読むと、完全にお笑い吹き出しものです。神界に対する知識がゼロに等しいのです。ただ、自分の目に霊が見える霊の声が聞こえるだけで霊能者の看板を上げておられたです。しょせんその霊能者の方のバックも低度の動物霊なのです。
そうしたことが解ったからと言って、それでその方の問題が解決するわけではありません。どうしてその方にそうした動物霊が取り憑く原因があるのか、判明が出来たとはならないからです。それには優秀な霊能者でないと難しいとなります。
さりとて、今の世にはそうしことが解るほど優秀な霊能者の方はほとんどいないとなります。八方ふさがりにはなって来ています。
スピリチュアルでは、その多くが自分にマリア霊が降りる。ミカエルが降りる。天照大御神が降りる式の方ばかりですが、この相談メールを送って来られた方も、自分に創造神、神代七代の神、大身の神が降りて来る。最初は信じられないから霊能者の元に確かめに行かれたわけですが、その霊能者一人が太鼓判を押すと本当なのかとなります。
私はそうした霊界からのメッセージが降りて来るとなったならば、最低10人ぐらいの優秀な霊能者に見て貰ってくださいとアドバイスしています。単にスピの霊感者レベルに判断を仰いではいけません。そして、いくら優秀な霊能者でも一人や二人ではダメなのです。
霊能者と称しておられても、100人居れば100人が100人ともバラバラなことを言う世界です。10人ほどの優秀な霊能者にあたって、その内の3人〜4人ぐらいが同じ判定ならば、大きく間違っていないはずなのです。
霊感者に毛が生えた程度でも、動物霊の力で病気などを治すことは出来ます。私は何度も蛇霊は病気治しには強いと述べて来ています。特に聖書で【龍神とは霊界で年老いた蛇霊】とあるように蛇霊は病気治しに強いのです。そうした存在が自己の後ろにあれば、時にはそれが大教団になることもあります。教祖にもなれるのです。
私の最初の師匠は豊受様の御代でありながら、その著書に自分は神様は蛇や狐だと思いますと書いたように、創造神だ天照大御神だと名乗っていても、その実体の多くは蛇や狐や狸や猫などの姿をした霊達なのです。だが、チャネリングしている本人にはその本当の姿は見せない。見させないようにしているのです。
それを見抜くには、霊能者と称していても見えるだけでは欺かれてしまいますので、その言動で「サニワ」するが欠かせないのです。
私は今の霊界は「力が強い霊が勝つ」と言っています。狸霊だとしても力があればその下に蛇霊上がりの龍神とか、はぐれ稲荷と言われるような本当の稲荷から離れた白狐達を従えていますから、自分に霊能力があるで、龍神が出て来た。十二単衣の姫姿の稲荷が出て来たからと言って、その創造神が動物霊ではないとは言い切れないのです。
私は神霊界に修業に入った時、早い段階で不動明王さんが出て来られると、その師匠から「不動明王如きを見て何とする」と叱られ、観音さんで喜んでいると「黒龍神如きに負けて何とする」と叱られておりました。観音様と言っても、蛇霊上がりの龍神かと学んで来たのです。
そして観音菩薩を見ていても、その多くは蛇霊でした。人を助けたいと思う気持ちは大切ですが、助けたいという思いも度を超えてしまいますと自分自身が蛇化してしまうのです。私の前に如来と称する霊が出てきても今は動じません。私の前に天使長ミカエルだとか大日如来だと名乗って出て来たら、それが本当かどうかの証明をしなさいと言います。
霊が名乗ったからと言って、それは頭から信じてはいけないのです。
これらは最初の師匠が不動明王で私を叱り、観音菩薩で私を叱ってくれた。そうした道があったからです。そうした指導者を持たずにいると、自分の前に出て来た霊の姿でその言葉にコロリと欺されてしまうのです。
先日も自分は龍神だと称する祈祷師が、糖尿病の子供さんにインシュリン注射を打たせないで死なせて逮捕されましたが、その自分は龍神と称する者の手かざしとは、手かざしは蛇霊系龍神がすることであり、ずば抜けた力を持つ蛇霊系龍神でもない限り重病など治せません。そうした蛇霊系龍神だと新興宗教興しに向かいます。
なまじ霊が見えたり、その声が聞こえり、少しは病気を治したが出来た。奇跡的なことを見せたで、あの人は凄いとな!。となっていたら、自己の魂に成長などありません。スピに憧れるのは非常に危険なのです。
自分の手かざしで病気が治せるで、結果的には病人を医師にも診せず死なせてしまうことなどになるのです。
私が修業のお世話になった豊受様は、「病気は神ではなくて医師の元に行くがいい。その医師が医学では治らないと言ったならば、その時には相談に来るがいい」でした。最初から病気治しを売りにしているのは危ないのです。
その後、その相談者から自分に憑いていたのは本当の神ではなくて黒蛇霊だったようですと報告が来ました。そうして、自分は大白蛇霊ですとか黒蛇霊ですと姿を出せば、閻魔庁も反省ありと見てくれるのです。
【悔い改めて、己の正体を出すならば】閻魔庁にも慈悲あり
そうしたことを他人事と無関心であることは自分の為にもなりません。
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