先の先のブログで、私は魂の【禊の水行】を書かせて貰いました。それに関してその水行の仕方に関して質問が来ていましたので、前回のブログその方法を書きました。
そうしたことからか、「水行」に取り組まれた方達が出始めたようで、そうした方達の中で水行後に早くも「巳(蛇)帰る」の夢を見られる方達が出て来ました。私もそこまでは予想もしていませんでした。
ただ、誰も水行したからといって、自分の夢の中に「巳(蛇)帰る」が出て来るではないでしょう。また、その方に蛇霊がさほど居なければ出る夢も見ないでしょうし、大量に自分の中に蛇霊が居れば出て行くのも時間はかかります。ただ、天から降りたと思われる魂の禊の「水行」には、そうした効果があるということにはなります。
この「巳(蛇)帰る」は、私も瀧行の後に夢で見たのですが、当時はまったく意味が解らず、たまたま訪れた田舎の小さな小さな本屋にあった一冊の本にその答えが書いてあると閃いて、その本を買って読んだところ、ヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典の中にある【人の中に眠る蛇(コブラ)が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】でした。それから私の真理の探求が始まったのです。
その後、私の地元の本屋にその本があるかと探しましたが地元には存在せず、試しに燐市の大きな本屋に行って見ましたが、その本屋にも存在しませんでした。それは偶然ではなく、私がその訪れた地で時間があったのでたまたまその本屋に入った。その本屋にその本が置いてあったことが必然性の中にあったことになります。そして閃きでそのことを私は教えられたわけです。
そうしたこともありますので、単にスピリチュアルで走っても、こうした内容があることはほとんどの方が知らないと言えます。
聖書における人類の原罪とされるものは、エデンの園において人類に対して囁いた蛇にあるからです。
人類は蛇を帰らせることによって、エデンの園に戻れるです
蛇の意味には「よこしま(邪)」があるなど、これまでも幾度も説いて来ましたが
真っ直ぐに「舵」を取れない存在。中心となる真柱神(良心神)に巻きついてそれを飲み込もうとする存在。すなわち「真ん中」を無視(虫)したなのです。またそこに出て来る「它」は「仏陀」の教えを無視(虫)した者達です。お釈迦様の本当の悟りは、悪魔は実態を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在するでした。
人々がそのお釈迦様の悟りを忘れたことにより、それは大本教神諭予告「九つ花」によって、五十六億七千万の「みろく」を引き出すことが出来たわけです。
だが、人は蛇霊の囁きを受けている間は、いったい誰がこんな【壮大な計画】をなされたのか、そのこと自体に気づけません。蛇霊がその気づきの邪魔をするからです。
霊的蛇とは別に爬虫類の蛇のことではないのです。元は神や人であった存在が霊界で蛇の姿に身変わってしまった存在のことなのです。ですから、蛇霊であった存在が悔い改められると現実界の蛇が棒の様に「直立」をして、蛇霊の姿をされていた存在は感謝の涙と共に元の天人たる姿に復帰されて行くことも書いてまいりました。
ただ、誰も水行したからといって、自分の夢の中に「巳(蛇)帰る」が出て来るではないでしょう。また、その方に蛇霊がさほど居なければ出る夢も見ないでしょうし、大量に自分の中に蛇霊が居れば出て行くのも時間はかかります。ただ、天から降りたと思われる魂の禊の「水行」には、そうした効果があるということにはなります。
この「巳(蛇)帰る」は、私も瀧行の後に夢で見たのですが、当時はまったく意味が解らず、たまたま訪れた田舎の小さな小さな本屋にあった一冊の本にその答えが書いてあると閃いて、その本を買って読んだところ、ヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典の中にある【人の中に眠る蛇(コブラ)が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】でした。それから私の真理の探求が始まったのです。
その後、私の地元の本屋にその本があるかと探しましたが地元には存在せず、試しに燐市の大きな本屋に行って見ましたが、その本屋にも存在しませんでした。それは偶然ではなく、私がその訪れた地で時間があったのでたまたまその本屋に入った。その本屋にその本が置いてあったことが必然性の中にあったことになります。そして閃きでそのことを私は教えられたわけです。
そうしたこともありますので、単にスピリチュアルで走っても、こうした内容があることはほとんどの方が知らないと言えます。
聖書における人類の原罪とされるものは、エデンの園において人類に対して囁いた蛇にあるからです。
人類は蛇を帰らせることによって、エデンの園に戻れるです
蛇の意味には「よこしま(邪)」があるなど、これまでも幾度も説いて来ましたが
真っ直ぐに「舵」を取れない存在。中心となる真柱神(良心神)に巻きついてそれを飲み込もうとする存在。すなわち「真ん中」を無視(虫)したなのです。またそこに出て来る「它」は「仏陀」の教えを無視(虫)した者達です。お釈迦様の本当の悟りは、悪魔は実態を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在するでした。
人々がそのお釈迦様の悟りを忘れたことにより、それは大本教神諭予告「九つ花」によって、五十六億七千万の「みろく」を引き出すことが出来たわけです。
だが、人は蛇霊の囁きを受けている間は、いったい誰がこんな【壮大な計画】をなされたのか、そのこと自体に気づけません。蛇霊がその気づきの邪魔をするからです。
霊的蛇とは別に爬虫類の蛇のことではないのです。元は神や人であった存在が霊界で蛇の姿に身変わってしまった存在のことなのです。ですから、蛇霊であった存在が悔い改められると現実界の蛇が棒の様に「直立」をして、蛇霊の姿をされていた存在は感謝の涙と共に元の天人たる姿に復帰されて行くことも書いてまいりました。
前にも書きましたが、ミカエルとはモーゼ外伝に最後の審判前、蛇霊を退治する天使長のことを指した言葉で、スピリチュアルを標榜する霊感者の上に臨むような存在ではないのです。ですから大本教の出口王仁三郎聖師は、西洋で言うところの天使長ミカエルは存在していないと述べられたのです。
これはヴェーダ典の奥義書に書かれている「蛇が自分から去って行く」意味なのです。しかし、それは「神の言葉」である日本語をもってしないと解らなかったわけです。
同じスピリチュアルを言う方でも、一部の方達は自分にミカエルが降りて来る式のスピリチュアルの方は蛇霊に支配されている者と指摘されていますが、そうした実態を書いたメールをいただきました。少し抜粋させていただきます。原文です。
これはヴェーダ典の奥義書に書かれている「蛇が自分から去って行く」意味なのです。しかし、それは「神の言葉」である日本語をもってしないと解らなかったわけです。
同じスピリチュアルを言う方でも、一部の方達は自分にミカエルが降りて来る式のスピリチュアルの方は蛇霊に支配されている者と指摘されていますが、そうした実態を書いたメールをいただきました。少し抜粋させていただきます。原文です。
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私の 近い身内には もう一人 病院送りになった者がおります。上野公園様が 何度も 警鐘を鳴らされている自己啓発と称したスピリチュアル講習会に行った事が原因でした。15年も前の話しです。当時はガブリエルが ミカエルが 自動書記がで 私も一時その神秘な響きに 心惹かれました。その内に 誰の話しも聞かなくなり 後は お決まりのコースでした。自己啓発など大嘘で悩みを抱える者達の心を巧みに操った、集団コックリさんの様な事をローソクの灯りの中毎日行っていたそうです。後で 同じクラスのほとんどが病院送りになったと聞いたそうです。治った当時 本人が話しておりました。 色々な声が聞こえてくる中で 内から 静かに 引き留める声がして、それに救われたとたと。
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私は修業時代、宇宙神が式のスピリチュアルの人達が宇宙神ではなくて、龍神と呼ばれる存在に操られていることを見て来ました。それらの配下の蛇霊は宇宙人と称しても出て来ます。宇宙司令官などの名に引っかかるのも所詮修行無しのスピリチュアルだからです。
また私の先のブログに「自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊」のブログ記事も書かせて貰いました。観音菩薩が出て来たからと言っても蛇霊だったりするのです。
私の 近い身内には もう一人 病院送りになった者がおります。上野公園様が 何度も 警鐘を鳴らされている自己啓発と称したスピリチュアル講習会に行った事が原因でした。15年も前の話しです。当時はガブリエルが ミカエルが 自動書記がで 私も一時その神秘な響きに 心惹かれました。その内に 誰の話しも聞かなくなり 後は お決まりのコースでした。自己啓発など大嘘で悩みを抱える者達の心を巧みに操った、集団コックリさんの様な事をローソクの灯りの中毎日行っていたそうです。後で 同じクラスのほとんどが病院送りになったと聞いたそうです。治った当時 本人が話しておりました。 色々な声が聞こえてくる中で 内から 静かに 引き留める声がして、それに救われたとたと。
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私は修業時代、宇宙神が式のスピリチュアルの人達が宇宙神ではなくて、龍神と呼ばれる存在に操られていることを見て来ました。それらの配下の蛇霊は宇宙人と称しても出て来ます。宇宙司令官などの名に引っかかるのも所詮修行無しのスピリチュアルだからです。
また私の先のブログに「自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊」のブログ記事も書かせて貰いました。観音菩薩が出て来たからと言っても蛇霊だったりするのです。
私が修業に入った未熟な当時、菩提寺で父の供養をして貰っていた時、私の組んだ手が上下します。霊的にはよくあるケースです。他から来る霊のパワーで私の組んだ手が上下に動かされるわけです。本堂の御本尊は釈迦牟尼仏と脇仏の三体。だがそこからは何のパワーも出ていない?。
本堂の右奥の襖で見えない部屋に観音菩薩の像があるはず。そこから来ていると解ったので、和尚に本堂の右奥の部屋に何が祀ってありますかと聞くと、この寺の前身となる寺の御本尊であった観音菩薩像が祀ってあると言われます。観音さんかと帰ったのです。
その話を最初の師匠にすると烈火のごとく怒ります。それは観音様等では無い。観音菩薩に化けて出ている黒龍神だ!。黒龍神がごときに自分の手を上下させられてどうするです。龍神と呼ばれる蛇霊に貴方は負けていると叱られたのです。
その師匠は、私に火炎を上げて不動明王が出て来て熱くて熱くて、そのことをその師匠に話したところ、「不動明王如きを出してどないする」とも叱られて、如来や菩薩や明王の段階ではなくて「天帝」にと、よりその道を固めたと言えます。
そうした数々の体験を経て、自分の前に天使姿の者が出て来ようが観音さんの様な姿の者が出て来ようが、それがどうした式になったのです。
私はある意味、豊受様の御代をしていた当時の日本のトップクラスの優秀な霊能者に出会えたので、龍神とか菩薩・明王と呼ばれる存在よりも高い次元の神へと導かれても行ったのです。
私はどの御神霊に対しても言葉の表現上、神と言う言葉は使いますが、私が神として認めるのは宇宙創造神たる「唯一神」だけなのです。
本堂の右奥の襖で見えない部屋に観音菩薩の像があるはず。そこから来ていると解ったので、和尚に本堂の右奥の部屋に何が祀ってありますかと聞くと、この寺の前身となる寺の御本尊であった観音菩薩像が祀ってあると言われます。観音さんかと帰ったのです。
その話を最初の師匠にすると烈火のごとく怒ります。それは観音様等では無い。観音菩薩に化けて出ている黒龍神だ!。黒龍神がごときに自分の手を上下させられてどうするです。龍神と呼ばれる蛇霊に貴方は負けていると叱られたのです。
その師匠は、私に火炎を上げて不動明王が出て来て熱くて熱くて、そのことをその師匠に話したところ、「不動明王如きを出してどないする」とも叱られて、如来や菩薩や明王の段階ではなくて「天帝」にと、よりその道を固めたと言えます。
そうした数々の体験を経て、自分の前に天使姿の者が出て来ようが観音さんの様な姿の者が出て来ようが、それがどうした式になったのです。
私はある意味、豊受様の御代をしていた当時の日本のトップクラスの優秀な霊能者に出会えたので、龍神とか菩薩・明王と呼ばれる存在よりも高い次元の神へと導かれても行ったのです。
私はどの御神霊に対しても言葉の表現上、神と言う言葉は使いますが、私が神として認めるのは宇宙創造神たる「唯一神」だけなのです。
最後の判定は各自に内在する「良心神」の点数なのです
自分はミカエルとかカブリエルとか天照大御神とか観音菩薩とか名乗って出て来る霊でも、各自に内在する「良心神」の点数の加点など出来ないのです。各自に内在する良心神の点数は自分で上げるしか道はないのです。
私は3月の末頃から「風呂に暖かい湯を張る」教えは殺人罪で指名手配の夢を見せられて、「水行による禊」のことかと気づかされたのですが、まさかそれによって水行をされた方達の中から「巳(蛇)帰る」現象が起きるとは予想もしていませんでした。
それは、そうしたことが今日までの瀧行や水行で起きた現象の報告として見当たらないからです。私自身は瀧行でその体験をしたのですが、それは私が特別の役目を背負っているから起きたかと思っていました。
自分はミカエルとかカブリエルとか天照大御神とか観音菩薩とか名乗って出て来る霊でも、各自に内在する「良心神」の点数の加点など出来ないのです。各自に内在する良心神の点数は自分で上げるしか道はないのです。
私は3月の末頃から「風呂に暖かい湯を張る」教えは殺人罪で指名手配の夢を見せられて、「水行による禊」のことかと気づかされたのですが、まさかそれによって水行をされた方達の中から「巳(蛇)帰る」現象が起きるとは予想もしていませんでした。
それは、そうしたことが今日までの瀧行や水行で起きた現象の報告として見当たらないからです。私自身は瀧行でその体験をしたのですが、それは私が特別の役目を背負っているから起きたかと思っていました。
それが今回、初心者として水行された方達にも起きたことは、もう既に世の立替の中に入っているからと考えられます。立替そのものの道は2年前の「午」年の秋から入っているのですが、立替の峠には差し掛かっていなかった為に穏やかに来ていました。だが「猿」年に入って、道は立替の峠にかかって来ています。
この立替の大峠の期間がどれだけ続くかは、もはや世に出ている神々では予測が立たずであり先が急がれます
大本教の出口王仁三郎聖師ほどの大予言者の方がいられれば別ですが、居ない者を望めません
これまでの様な悠長なことを言ってはおられません。そこに天から魂の「禊の水行」が示されて、最後の審判前のミカエルたる「巳(蛇)帰る」現象が起きたと推察されます。
こうした蛇は、イエスがその弟子達に「蛇のように賢くあれ」と説いたように、知恵にと昇華する蛇もあれば、罪や汚れの地を這う蛇もあります。水行によって落ちた蛇とは罪や汚れの要因となった地を這う蛇のことです。
しかし、その蛇霊の落ち方は少しの蛇霊と大量の蛇霊が憑いている方では違います。早々と「巳(蛇)帰る」たる現象の夢を見られた方は、蛇霊の憑き方が軽かったともなります。
この立替の大峠の期間がどれだけ続くかは、もはや世に出ている神々では予測が立たずであり先が急がれます
大本教の出口王仁三郎聖師ほどの大予言者の方がいられれば別ですが、居ない者を望めません
これまでの様な悠長なことを言ってはおられません。そこに天から魂の「禊の水行」が示されて、最後の審判前のミカエルたる「巳(蛇)帰る」現象が起きたと推察されます。
こうした蛇は、イエスがその弟子達に「蛇のように賢くあれ」と説いたように、知恵にと昇華する蛇もあれば、罪や汚れの地を這う蛇もあります。水行によって落ちた蛇とは罪や汚れの要因となった地を這う蛇のことです。
しかし、その蛇霊の落ち方は少しの蛇霊と大量の蛇霊が憑いている方では違います。早々と「巳(蛇)帰る」たる現象の夢を見られた方は、蛇霊の憑き方が軽かったともなります。
新興宗教やスピリチュアル講習会に行って蛇霊を憑けられて帰って来るは、霊的世界に関わっている者の常識なのですが、それを知りながら警告を出す方が少ないのです。引っ掛かった者が悪いと切って捨ててしまえばそれまでです。
蛇霊の教えの特徴は【愛】しか言わないなのです。愛で何をしても赦されるであれば【悔い改める・省みる】が消えるのです。
蛇霊に取り憑かれているスピリチュアルの者達は、いくらお釈迦様の悟りであった「人に内在する良心神」を言ったところで聞く耳無しなのです。蛇霊に支配されているから理解出来ないのです。
ですから最後の審判は「各自の良心神」の点数で判定されるのです
その良心神の点数として出るのは、各自の【誠・真・正義・犠牲・忠・博愛・公正】等の行いなのです。それは自分自身の結果論でもあるのです。
蛇霊の教えの特徴は【愛】しか言わないなのです。愛で何をしても赦されるであれば【悔い改める・省みる】が消えるのです。
蛇霊に取り憑かれているスピリチュアルの者達は、いくらお釈迦様の悟りであった「人に内在する良心神」を言ったところで聞く耳無しなのです。蛇霊に支配されているから理解出来ないのです。
ですから最後の審判は「各自の良心神」の点数で判定されるのです
その良心神の点数として出るのは、各自の【誠・真・正義・犠牲・忠・博愛・公正】等の行いなのです。それは自分自身の結果論でもあるのです。