告げるべきことは告げましたので、言葉の仕組み「米」教の解説は終了させていただきます。これからは立替の嵐の中を突き進む

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    これまで使用しているブログ会社のエディターがトラブル続きで、記事が何故か「非公開」となるトラブルまで出ましたので、15日付けの記事ですが16日付けで再掲します。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【私はこの世の幕を降ろすに当たって、人類を助ける為にそなたをこの世に使わした。この国は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはそれらの仕組みを知って人々に告げなさい】でした。
    この日本は世界に唯一つの国であり、その旧約聖書の神と名乗る神の教えが満ちあふれている?。まったく意味など解る話ではありませんでした。
     

    その旧約聖書の神と名乗る声はそれだけでなく、私に一種の【脅し】をかけて来ました。【もしも、そなたがそれをしなければ、そなたは二度と天に帰ることなく、この地球という星で永遠に輪廻転生の中で暮らすがよい】と。
    それは、私自身もその神の言葉に従わず自分の幸せにかまけていれば、二度と天には戻れないということなのです。
    今回私がしていることは自分が天に戻りたいからではないのです。私は自分に課せられた任務があるならば、その任務から逃げたくないだけのことてす。責任感です。その結果、天に戻るも天に戻らないのも自分が為したことの結果論に過ぎないからです。
    そこにあるのは蛇霊の囁きから脱却して【天(エデンの園)に戻るチャンス】を掴むのか、それとも放棄するかです。
     

    子供であった私は意味も解らずおりましたが、昭和「五十五」年に私の身の上に起きた摩訶不思議な出来事から、その時が来たと覚悟を決めて神霊世界に修業にと入り、大本教神諭が予告する【九つ花】を紐解いたしだいです。
     
    その九つ花から【五十六億七千万の弥勒(369)】の意味を知り、その「真柱」となる仕組みから【ラ神論】に入り、お釈迦様の本当の悟りが「人に内在する良心神」であり、朝鮮に残されていた最後の審判前、人類救済の為に【米一字】の教えが起きる。その【米】の教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでない者達の上には天罰が降りるがあることを知りました。

    どう考えても、誰が考えても「米」一字で教えなど出来るものではありません。
    だが、その【米一字】の仕組みを知った時、【言葉で仕組んで来た神】とはスピリチュアルで言うところの霊の様の存在ではなく、世に出ておられる神々の段階ではない存在だと認識したしだいです。

    ただ、この「九つ花」は大本教神諭に【誠の者】でないとそのお世話が出来ないと予告されたように、

    「誠」の意味が解らぬ人達に対しては【豚に真珠】【猫に小判】の教えなのです。

     

    何故?。このような【言葉】の仕組みがなされているのかと私自身考えるに、霊界を見聞して来ますと解りますが、非常に【嘘】を言う霊が多く、真実が掴みにくいがあります。
    大変著名な霊能者の方が私に言われたのですが、「神霊の声が聞こえる人は万人に一人は出て、仏(一般霊)の声を聞ける人は千人に一人は出る。そうした人が万人修業を積んでも本物は一人しか出ない。それ以外の人達は霊の【嘘】の言葉に踊らされるなのです。

    この修業を積んでもなかなか本物にはなれないは私の最初の師匠も言っておりましたが、その過程の中には【お試し】と称される【嘘】や【欺し(騙し)】がこれでもかこれでもかとやって来るです。特に神霊に化けた霊の言葉に騙される注意を受けました。
    最初から【御神霊や天使の言葉には嘘が無い】と思っていると、おまえはバカだとなるだけなのです。

    神霊世界は、欺されたおまえが悪いなのです。

    霊能者と呼ばれても霊能者千人、万人に一人しか本物級は居ないとされますが、甘く見ても優秀な霊能者は百人に一人程度で、ここからも99%の霊能者は邪神に踊っていると言われているわけです。
    それ自体は大本教神諭予告、この神(国常立尊)が神々を誑かして使っているであって、「言葉に狂わさせて」いるなのです。



    霊が出す言葉に狂わされるのではなくて、言葉の仕組みに「真実」があるなのです

    為には、神々の【嘘の皮を叩いて、誠の骨とせよ】です

    夢々疑うことなかれでなく、夢すら疑ってかかれなのです


    神霊の嘘の言葉を突破して来た者だけが本物と成る道を行く

    その霊能者の方が、【あなたはその本物と言える数少ない一人です】と告げられたのですが、私が霊能者の道に進むことは許されてはおりませんでした。
    私の最初の師匠は豊受様のお代で、豊受様によれば当時の日本では10本指に入る霊能者と告げられておりましたが、その師匠から【貴方は低い霊的世界は見えませんが、高い霊的世界が見える方です。貴方に見えている霊物に間違いはありません】と告げられたのですが、これは霊能者としては使い物にならないなのです。この世の霊能者は低い霊的世界に関われてナンボなのです。そちらの方が優秀なのです。

    ほとんどの人が困っているのは【霊障】などであり、その原因は「カルマ」などもあるのですが、動物霊と呼ばれる存在のものが多くて、それに対処するには蛇霊や狐霊に対する霊力が要るからです。蛇霊や狐霊を押さえられないと、現実界の解決には向かわないからです。既存の神霊界はこちらに頼っているのです。
    霊界マッチポンプで知られるように、小さな蛇の霊障に困って大きな蛇霊が支配するところに行くと問題が解決された。これらは全て今の霊界が蛇霊の力による支配から来ているからです。

    霊的世界の低い段階においては、多くの霊能力がある方は霊的世界を見ることが出来ます。しかし、その霊的段階が高い世界に向かって行きますと、まったく見えないが起きて来るのです。アクセスする世界が違って来るからです。
    自分が交信している霊が自分は低い段階ですと言っている霊ならば、知らないことは知らない。解らないことは解らないと答えますので問題はないのですが、その霊が自分は高い霊だと見せかけようとしてくると、それらの内容は当たらない。予言し来ても【嘘】となって行くのです。

    私の最初の師匠は豊受様のお代で、阪神淡路大震災や島原普賢岳爆発など数々のことを事前に言っており、予言者として知られる大本教の出口王仁三郎聖師の予言者のレベルには達しておられませんでしたが、スピリチュアルでミカエルとかガブリエルと称する霊の何の中味も無いメッセージとは異にしておられたのです。
    多くのスピリチュアルで宇宙人からのメッセージと称されるもので、これまで当たった試しがないことは周知の事実です。低級霊ほど自分を高く見せようとして【嘘】をつくことが非常に多いからです。為にはデタラメの中をくぐり抜けなければならないのです。

    私の最初の師匠のように豊受様のトップ級お代とか、此花咲耶姫様のトップ級のお代まで進むと、御神霊から的確に当たる予言が聞けるようにもなるのです。

    神霊サイドからすると、どこどこに大地震が起きると解っていても、それを人民に事前に告げる義務などどこにもないのです。お代となる人の力量しだいで、事前に教えてもらえるなのです。

    神霊などは「豆ちゃん」みたいに小さくもなれば巨大にもなります。龍神ともなれば何十キロも長さがある存在が人の胎内に入れるほど縮小もします。10センチ四方の神棚が10キロ四方の神苑にもなる世界なのです。​そうした目に見えたサイズでは判断出来ない世界なのです。

    私が2番目の師匠とした方は言霊師で、その霊力は目を見張るものでした。神仙界で修業されただけのことはあり、そんじょそこらの霊能者の比ではありませんでした。が、その御祭神は【国常立尊】とのことでしたが、本当の「国常立尊」様ではありませんでした。
    結果的には、それほどの霊能力を持ちながら「ニセ神」に踊らされてしまったのです。それは【猫科】の姿の神霊でした。
    その2番目の師匠は、自分が祭神として奉っている御神霊が「猫科」であるこことをご存じではありませんでした。この世を去るまでそれが本当の「国常立尊」だと思っておられたわけです。

    霊はどのようにも化けることが出来ます。しかし、いくら化けていても蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊等と見破られてしまったならば、それを見破った者を殺す以外にはどうすることも出来ないわけですが、見破られた時点で力負けしているのです。
    私もたまに霊的相談を受けますが、霊能者をしているのではないのでほとんど解りません。ところが、たまにその相談の原因となっている霊の姿が見えることがあります。そうした霊が見えたらその問題は解決します。その正体見たりなのです。

    だが、最初から自分は蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊等と正体を告げて来ていれば何の問題も無いわけです。嘘を吐く必要が無いからです。なまじその正体を隠そうとすることから問題が生じるわけです。

    私は自分が子供の頃に聞こえていた【旧約聖書の神】と名乗る声が本当にそうした存在なのか知るよしもありません。私を見た霊能者は数知れずですが、そうした中で豊受様の他に7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は「国常立尊」様だと告げられたことで、そうかと思っているだけのことです。
    まして今の世を終わらせて、嬉し嬉しの新しい世の到来など信じろと言われても途方も無い話だと私自身心得ています。
    しかしながら、【この国(日本)は私の教え(日本語の仕組み)で満ちあふれた世界で唯一つ国である】は、認めざるにはおえないのです。


    もしもこの日本が【世界の大陸ひな型で無かったならば】
    日本の国の重大性も解らずでした

    ※南アメリカ大陸は隣接の「台湾」をひな形とする
     


     

     

    出口王仁三郎予言の【美濃か尾張】から、ス(十三)神の【富山】がなければ
    国道「41」号線には気がつかず
    イエスとモーゼの「41」の意味も解らずにいたでしょう

     

     


     

     

     

    もしも大本教神諭が予告した【九つ花】が九の数理版と気がつかなかったならば

    大本教神諭「ダルマ大師」として現れたで

    今の世がダルマ(真理)の七転び八起で「56億7千万」を知らせ、次は無限の【8の世】

    【九つ花】は縦も横も斜めも369(みろく)となる仕組み

     


    朝鮮に残されていた予言、この世の終わりの教えが【米】型で無かったならば
     

     

     


    鍾馗神の案内で木星神とされる中国の【盤古大神】に拝謁して

    大本教霊界物語、盤古大神から国祖「国常立尊」に神界の大政奉還

    もしも盤古大神に出会っていなければ、日本語の意味すら理解していなかった

     

    日本の国に常に立つ御言とは、「日本語」のことではないか!
     

     

     


    中国の落水に現れた亀甲陣、龍宮の【音秘め】て咲くや【九つ花】

    なごみ(753)役の女子に出会っていなければ、最後の舞台が見えませんでした

     

     

     

    昭和【五十五】年。私の目の前を真っ暗闇にして、地獄の底から響いて来るような恐ろしき声に告げられて
    京都で「米」徴の旗場所で一人の女子を待つ

    その女子は【ジンギスカン】の曲に乗り、「良子」と名乗るも白狐の霊
    何で白狐がと首をかしげながらでした


    大本教の出口王仁三郎聖師の蒙古行きの演技は【ジンギスカン(成吉思汗)】モンゴル大王。
    女子達のみで歌い踊るジンギスカン(ユーチューブからお借りします)
    https://www.youtube.com/watch?v=HkaLStTp8Bs
     
    二度とは燃えない嵐が吹くぜ
    弥勒(いよいよ始まる改革力)世の永遠の地位や天に帰るチャンスを掴め
    大本教神諭予告、上の神(者)が下に行き、下の神(者)が上に行く

    ​天帝・国常立尊様に従い仕える神(者)達は新しい世の幹部として登用されます

     
    大本教から出された【節分の炒り豆にも花が咲く】
    牛虎(ウシトラ)の鬼と云う【魂】に咲く花はあれど
    全人類の肉体から一気に魂を抜くことは可能にて
    世の大立替を完全否定は出来ないのです


     
     
    人の肉体の目には特殊なシャッターが仕組まれており
    全ての人に聖書の太陽も月も星も見えない暗闇世界を見させることも可能


     
    私は霊能者はしていません。だが霊的世界を見聞して来て、個人の存在としてだけならば奇跡力を見せる御神霊は多数居られます。
    しかし、そうした御神霊達にこれだけの仕組みが出来る御神霊は居られません。もしもこうした仕組みが解っていたならば、どうしてこれまでそうしたことを何一つ言わなかったかと聞きたいものです。
     
    私の役目は、旧約聖書の神と名乗る声が、【この国(日本)は私の教えで満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはその仕組みを見せるので、それを人々に告げなさい】でした。

    最後の審判は天人界に行った方が天人達から聞いたと言われるように、【各自の良心神】の点数となりますので私もそれに介在は出来ません。為に【ウシトラ(牛虎)の魂論】で、各自の魂に内在する良心神の点数の嵩上げを説いてまいりました。
    私は自分に与えられた任務の内、【神の仕組み】を告げる役目は遂行したと考えています。ただ、私の全ての任務が終了したではありません。

    豊受様から、貴方は立替の大嵐の中を突破しなければいけないと告げられておりますので、皆さんと一緒に私も大嵐の中を突破したいと思います。
     
    もう立替の峠の中でも大峠の大峠の入口にと入って来ています。その大峠の大峠の入口として起きたのが【熊本の大地震】なのです。また日本各地に現れた「熊」による被害です。この大峠は米教を学んだからと言って突破出来るものではありません。
     
    米教を学んだ者は天帝神に従う神々の御守護を受けるので、大峠を楽に行けるだけのことです。私もその大嵐は受けなければなりません。逃げることは出来ません。
    そうしたことで、これまでのような長い説明をしてきたブログの内容は終わらせて貰います。学びたい方は過去のブログ等を遡って読んでください。

    私が受けている内容は【そなたのHPやブログを読んできた者達には、魂の点数に加算が起きる】でした。
     
    ですから、以前の内容も読んでいただければ魂の点数に加算は裁きの日まで生じるはずです。メール等で私が説いたHPやブログを読むことによって自分が変わって来たと言われるのは、その為です。魂に浄化も起きて、人を変えて行く為の教えです。

    大本教神諭予告、【心の立替・立て直し】の神の仕組みです

    この7月の半ばまでに、説くべき事は全て説くようにと出ましたので、ここ最近はブログの更新がかなりのハイペースとなりました。7月15日付けで、なんとか総まとめをすることが出来ました。
    一度、これにて中締めとさせていただきます。

     
    どうも長い間、ありがとうございました。読まれた方に御礼申し上げます
     
    だが、誰がいったいこんな仕組みを考えられたのでしょうか?
     
    それとも単なる偶然の産物なのでしょうか?
     
    この仕組みに創造神(天帝)の存在を見る神(者)は幸いなり

     

     

     

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    神の舞台の役者として、私に与えられた前世役は【源義経】で謎解き

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      今回、そなたの前世は誰であったのかを世に告げるべしと出て来ました。

      私が子供の時に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたの前世は悲劇の武将であった。そなたはあまりにも心根が優しく、人を疑うことをしなかった為に、そなたを利用しようとする者達の魂胆が何一つ解らずに、それらの者達の魂胆によって結果的に悲劇の武将となってしまった。
      今生のそなたにとって必要なことは、【人の魂胆を見抜く力である】と告げられたのです。
      しかし、その武将が誰であるかは一切言われませんでした。前世は前世であり、大切なのは前世の自分云々では無く今生の自分です。今生の名をもって演じるべしなのです。

      いくら自分の前世は某(なにがし)だと言ったところで、その時代と環境が再び戻って来るなどあり得ないことだから意味がないわけです。昔に戻ってやり直しなど出来ないからです。ですから前世にこだわる必要はどこにも無いわけです。


      私は豊受の神様から【貴方は言葉の神】とお呼びする方ですと告げられて、これまで日本語に仕組まれた「言葉の仕組み」の解説に従事して来たしだいです。そこに自分の前世など要らぬことだったからです。

      今生の私に課せられたのは、過去世で失敗した人の魂胆を見抜く力を磨くでした。すると不思議なもので人の表面ではなくて、その人の心の内を知るに向かって行きました。表面はいくら善人ぶっていても、中味は悪が見えるようになって来たのです。人が持つ魂はその汚れを隠すことなど出来ないからです。
      また、人の魂胆とはそれが正しいとか悪とかではなくて、自分の家を守ろうとか地位を得ようとか世の中のしがらみの中に置かれてしまって、人が本来持っている大切なものを失うに入って来るのです。そこに「魂胆」があるのです。

      私が【人に内在する良心神】を説けたのも、その人を外見や学歴や職業等の表面で判断しないで、全てはその人の魂胆を見るがあったからだとも言えます。

      誠や義の者に裏表は無いが、誠や義が無き者には裏表(魂胆)がある


      私が豊受様の命により現在地に引っ越して来て5年ぐらい経過した忘れもしない平成2年の大晦日の夜の0時直前から、私の家に大ラップ現象が生じました。その当時はその師匠の元を離れていたので、他の霊能者の方を頼って、その大ラップ現象を鎮めてくださる神々を探しましたが、どなたも鎮めることが出来ませんでした。
      稲荷様とお不動様の行者をされていた霊能者の方から、この大ラップ現象は日本国中のどの神をもってしても鎮めることなど出来ない。その土地に行けと言ったあんたの最初の師匠が、それを言った豊受様が責任を取るべきことだ。これを鎮めることは出来るのはあんた以外には無理だと言われて、やむなく自分で鎮めるに入ったのです。

      約40日間ほどは夜はほとんど眠ることが出来ない有様で、幸いに仕事は机に座っている仕事でなかったので、仕事の合間を見て少し眠っていました。それでも車で外に出なければいけません。睡眠不足で電柱にぶつかりそうになったりガードレールにぶつかりそうになったり崖から転落しそうになったりで、よく命が保てたと思います。

      その家から引っ越そうかと幾度も考えましたが、豊受様から命じられて母親共々全財産を注ぎ込んでの家であり、他に財産は無し。そんなラップ現象を起こしている家を、霊能力が無い方なら何も感じないかも知れませんが他人さんに売るなども出来ません。必死の思いで祝詞や経典を上げ続けていたのです。そこまで追い詰められたと言えます。

      あるサイキッカーの方から、そこを鎮めることが出来たのは貴方だからであり、他の人や神々には出来ないことだったのです。しかし、今度起きたらもう貴方にも止められません。貴方がこの世を去られる時が三次元世界の終わりで、なんとか貴方がこの世を去る日まではそこを死守してくださいと言われましたが、私も老いたので今度起きたら止めることなど出来ないでしょう。体力的にも難しいのです。

      その夜は眠れないほどの大ラップ現象は約40日間ほどで終了しましたが、ラップ現象そのものは「平成3年4年5年」と丸3年間も起きていました。今にして思えば【345(みよいづ)】の型演技だったのかも知れません。
      その後、私にをその地に行けと命じられた豊受様に話を聞く為に最初の師匠のところに行くと、【やっぱり豊受様が言われた通り。どの神様にも出来ないことを貴方はされてしまわれた】と言います。確かに最初からこの神業が出来る者は神では無理で、人間であるそなた一人と言われてはおりましたが、詳細を言われないのであまりよく意味は解りませんでした。私にすると、過ぎ去ったことはどうでもいいなのです。
       
      それらが落ち着くと、真っ暗闇の中に首だけが晒された武将の頭だけがあり、私はその武将の首に向かって「弥勒の世は間近です。もう過去の恨みや辛みは忘れましょう」と言ったところ、上空から黄金の光が入ると周囲は明るくなり、その武将の首はカット目を見開き、私に向かってニッコリと微笑んだのです。それを見た私は「よし」の一言です。
      その翌日、その武将の霊は緋色の鎧を身にまとい、私の家の仏壇を拝んでいます。その配下に弁慶のような姿の者達もいます。私にすれば何故に私の家の仏壇を拝んでいる?。です。
      ただ弁慶さんらしき霊がその武将霊に従っていることから、もしかするとこの霊は「源の義経」さんかの疑いが生じました。
       
      その武将霊が私の横に来た時から、私に言葉の【発想飛び】が起き出したのです。私の言葉の解釈はこの【武将霊】の存在から起きたのです。それが仮に「源の義経」さんだとしても、どうして言葉の仕組みの解読とつながるのかよく理解は出来ませんでした。
      そして私が見せられた物は「戦艦陸奥と長門は同型艦」。陸奥の国から長門の国の下関まで本州の端から端へと転戦したのは「源の義経」となります。
       
      その後、この武将霊は私の家の神棚に移り、この武将の配下霊と思われる侍姿の者達がその武将霊のことを【御館(おやかた)】様と呼ぶことから、私も何時しかこの武将霊を【御館(おやかた)】様と呼んでいました。
      その武将霊を見ていて、これは単に「源の義経」だと言う霊では無いことが解って来たのです。それは剣を持てば神界随一の剣の神である【御劔(みつるぎ)大神】がその従属神としての儀礼を取られたからです。 御劔(みつるぎ)大神を従属神として従えるといことは、今から800年ほど前の平安末期に出られた武将の「源の義経」さんではどうにも説明が不可能なのです。
       
      いったいこの「源の義経」霊は何者だ!。神々や諸神よりも霊界では格上ではないか!。
      その兜には太陽と月があしらわれ、その旗は「○十」の薩摩紋で軍馬を並べる轡(くつわ)紋。白馬に跨がり、霊軍や無数の白狐達を従えるその姿は、単に「源の義経」霊とは言えないのです。
       
      私が東京の著名な霊能者に霊査を受けたところ、【貴方の背後には神界を統一できるだけの力を持った存在が居られます】と言われます。神界を統一出来るだけの存在と聞かされて、「国常立尊」様のことだろうかと思い。どんなお姿ですかと尋ねしましたところ、たいへん若い侍姿の方だと言われます。
      私はたいへん若い侍姿に首を捻っていましたが、その白馬に跨がった武者姿は非常に若々しいものでした。美少年と言うのか美青年です。無論、私とは似ても似つかない姿の存在です。

      私が21〜22歳の頃、平泉の毛越寺に行った時、あまりの懐かしさに泣いていました。自分はこの地を知っている。住んでいたことがあるです。しかし、それ以上のことは解らないです。私が最初の師匠と伏見稲荷山で修業している時、その師匠に御神霊が降りてその師匠がふらふらになったことがあります。
      その時、その師匠に降りたのは「木曽御嶽山の神」であり、私に吉野山の脳天大神の元に参拝せよです。その吉野山に入った時、私はまたもや泣いていました。初めての吉野が自分には何故か懐かしい土地だったからです。

      私の元に自分は「国常立尊」様に仕える者だと言う方からメールが来まして、その国常立尊様が「貴方の前世は明智光秀」だと言っておられますと言われましたが、確かに明智光秀も悲劇の武将ですが、その方が私に言われる「国常立尊」の神示よりも、私の前に現れた武将霊は自分は何者とは何一つ言いませんが、私にはその霊が「源の義経」霊だと確信が出来たのです。
       
      巷には、自分の前世は「源の義経」であったと称しておられる方達は多数いられます。私はそうした自称の方を別に「ニセ者」とは言いません。逆に私の前世は「源の義経」だと言ったならば、そうした方達から今度は私が「ニセ者」と言われてしまうのが霊的世界の実情です。自分の前世など確かめようがないからです。
      私はその武将霊を見ていて、自分の前世は「源の義経」であったとは言いません。ただ神の芝居の舞台の上では、その若武者姿の霊は間違いなく「源の義経」の役割を演じておられるなのです。
       
      その霊が本当の「源の義経」であるのかどうかの真偽は別として、その霊から解って来たことはその魂は源の義経として世に出る前には【素戔嗚尊】と呼ばれていた時代があったなのです。
      何故にそれが言えるかと言いますと、源の義経の生母であった「常盤御前」の魂は【豊国姫】の系譜であったことが掴めたからです。
       
      大本教神典においては、【素戔嗚尊】は【豊国姫(坤金神)】の子であったと記されています。それが時代が降って、「源の義経」と「常盤御前」として再度親子関係が演じられたということなのです。時代を超えて繰り返される「霊界物語」となるわけです。
      大本教によれば大本教で聖地とする「本宮山」は豊受姫が降臨された場所としますが、それ以前に「素戔嗚尊」が母である「豊国姫」の亡骸を葬った場所としています。綾部という土地は素戔嗚尊と豊国姫が神代に存在した土地ということです。
      大本教霊界物語に、「この仕組みに三千年」かかったとありますが、とんでもない長い歴史の仕組みの中で神の芝居は演じられて来ているなのです。
       
      大本教の出口王仁三郎聖師はこの仕組みを演じる為に、「源の日出雄」と名乗って蒙古に渡られました。モンゴル大王(ジンギスカン)の型を演じる為です。日本における源義経は蒙古に渡ってジンギスカンになったの伝説です。無論そんなことは事実ではないでしょうが、何故にそうした仕組みがなされたかなのです。
      出口王仁三郎聖師の蒙古への演技は既に「源義経」演技であることは知られていますし、また出口王仁三郎聖師は他に「素戔嗚尊」としての演技もなされたわけです。
       
      そこにあるのは、
      素戔嗚尊=源義経の神の舞台の演技なのです
       
      出口王仁三郎聖師が蒙古に渡る時、源の日出雄と名乗られた理由は、大本教で日之出神の演技をされた出口日出麿さんの日之出神も予告の為のニセ型で、「源の義経」の演技に【真性天照大御神】役割も入っているからです。

      大本教出口なお開祖の娘であった福島久さんに降りた「義理天上日之出神」などは完全に引っかけだったのです。私は「日之出神」の正式名を豊受様から聞かされて、正直唸りました。神界の機密はそこまで深いのかです。その豊受様が私に明かされた日之出神の正式神名は今日まで誰も言っていない神名です。また私も世には明かしていません。
       
      為に源の義経とおぼしき霊の兜には、太陽(天照大御神)と月(素戔嗚尊・月夜見尊)があしらわれているのです。
       
      では、何故に神の舞台に【源の義経】の演技が必要だったのでしょうか?。
      それは聖書、【私は義の者が居るならば人類を滅ぼさないが、義の者が一人も居なくなれば人類を滅ぼす】の
      最後の【義の者】の意味からです。義の経
       
      私が驚いたのは、私の神霊界修行の初期の頃に私を守護してくれていた日蓮さんとその弟子達の霊が、その「源の義経」らしき霊の着替えのお世話をされていることでした。その衣装とは「白衣」ですが【白蓮】の意味する白衣でした。
       
      南無妙法蓮華経とは、サンスクリット語で「私は白蓮の様な仏様に帰依します」の意味だとされています。別に「南無妙法蓮華経」と連呼するではないのです。
      妙法蓮華経の「無量寿義経」を重要視される方の中に、この「義経」は源の義経のことだと言われる方もありますが、その霊的映像を見せられた時、必ずしも間違った解釈でもなかったようです。
       
      義(我は羊)の経は無量なり
      泥の中でも咲く、汚れ無き心に限度は無い
       
      私が霊的に見て来た白馬に跨がった若い武将霊は日本では「源の義経」となりますが、聖書のヨハネの黙示録では白馬に跨がった「神の言(ことば)」と表現されている存在のことかと読みました。
       
      貴方の前に緋色の鎧兜の美青年が現れたならば、それは【源の義経】役の演技霊
       

      それが何故に【源の義経】役でなければならないのか?。他の役どころではいけないのか?。そこには、そういうことだったのかと後で驚くことが隠されているからです。為にこれは「源の義経」の演技がどうしても必要とされるのです。
      大本教では役者不足で演じきれなかった「霊界物語」のスケールの大きさは、まさに無量と言えます。
       
      今回、私にそなたの前世を世に明らかにせよと出ましたが、それが本当に私の前世が【源の義経】であったかの証拠にも証明にもなりません。ただ、私が見て来た霊界で【源の義経】の役を演じておられる若い侍姿の霊の行動で、私は「言葉の仕組み」を紐解いているということなのです。

      それこそ、私が子供の時に旧約聖書の神と名乗る声から告げられた【神の舞台を演じる役者】達なのです。
      そんなことは自分には何の関係も無いと言い方が圧倒的大多数のはずです。しかしながら、大本教と呼ばれる宗教が私達に何を教えようとしていたのか?。特に出口王仁三郎聖師の演技を見るならば、私は大拍手をします。
      我さえよければそれでよいのか!。創造神がどうしてこんな仕組みをなされたのか?。何も考えないで、裁いていただいて結構ですと「悔い改めに」行こうとしないのであれば無限(∞)となる【8の世】においては、無限に置かれかねないのです。
       
      僅かな瞬間の時間の為に【己の我を張るな】なのです
       
      創造神は貴方の「感情」など何も聞いてはいないのです
       
      自己の感情論に流されることは邪神の囁きに乗ったと同じ

       

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      神の芝居の舞台には悪役も必要。神の芝居の舞台に立つ役者と見学者。最後の幕のフィナーレは女子達の勢揃い

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        私が子供の頃に臨んだ「旧約聖書の神」と名乗る声は、私はこの世の幕を降ろす。次に嬉し嬉しの永遠の世を創ると言われます。私も成長してそれが「みろくの世」と表現されている世界のことだと解って来たしだいです。

        大本教神諭予告の【九つ花】を紐解いた時、この仕組みがお釈迦様の本当の悟りを忘れた人達に【五十六億七千万】の仕組みで日本語で「みろく」を現す仕組みだったと解った時には、さすがに度肝を抜かれたわけです。
        それまで弥勒の【五六億七千万】の数字がどこから出て来たのか意味が解りませんでした。大本教の出口王仁三郎聖師の太陽系が出来て「五六億七千万」の説明など、天文学からしても論理が通るようなものではないからです。
        それが紐解けた時、あまりにも途方も無い大きな仕組みであり、大本教神諭に【誠】の者でないとそのお世話が出来ないとあるように、単に霊が見えるとか霊の声が聞こえるでは、それが逆に災いとなって言葉の仕組みのスケールの大きさに気づくことが出来ない難しい話になると解りました。
         
        その旧約聖書の神と名乗る声は一度この世の幕を降ろして、新しい世の幕が開くと言われたので、それはこの世の舞台の幕が一度は降りて、また新しい演目の舞台の幕が開くことは子供心にも理解しました。

        その旧約聖書の神と名乗った声は、このことを世に知らせむ為に、神の芝居の舞台が用意されている。その神の舞台に上がる役には「善」の役もあれば「悪」の役もある。その神の舞台の主演を演じる者もあれば助演も脇役もある。与えられた台詞(セリフ)が何も無く、ただ神の舞台を通り過ぎるだけの通行役の者もある。それらが混然として神の芝居の舞台が演じられる。

        神の芝居の舞台を演じる役者に舞台の上での演技として、高い身分の地位を演じる役とか低い身分の地位の役を演じさせるはあれども、神の芝居の舞台は終われば全員皆同じ立場なり。今回、高い地位の役を演じさせて貰っても、それは「役目」上のものと知りなさい。
        その神の舞台を見事に演じたならば、次の舞台では悪役から転じて正義の役の主演もある。だが、神の舞台の役の上での悪の演技と言えども、その役者の化粧を落とす時、性根まで悪に染まっていたならば、それはもはや神の役者には非ずと言われたのです。

        だが、次の様なことも言われたのです。この神が脚本を書いて監督する神の芝居の舞台の筋書き(シナリオ)は誰もが知らず。世に出て居られる神々達もその筋書き(シナリオ)は知らない。この神が見せる神の芝居の舞台に立つ役者も、この神の筋書き(シナリオ)を知らずに演じることになる。
        この神が見せる神の芝居の舞台を見学する観客は、世に出ておられる神々であり、舞台には立たない人民である。全てが終わったならば、世に出て居られる神々も人民も、こんな「仕掛け」だったのかと驚いて、この神の栄光を讃えるであろう。そうしたことを告げられたのです。
         
        つまり、【世の大立替とされるものは創造神が見せられる神の芝居たる舞台であり、創造神たる神の存在を神々や人民が知ることであり、全てが終わったならばとんでもないドンデン返しが待っている】なのです。
         
        その内容は一度は私達が見ているこの世の天地は崩れてしまうのです。全てが終わったと思うと、そこには新しい天地が存在しているのです。だがその新しい天地はこれまで見た天地と何等違和感が無い世界、為にこの地球が次元上昇しただけと判じる方も出るでしょうが、その地球に住むメンバーがこれまでと同じではなくなるのです。そこには【選別(餞別)】があるのです。餞別を渡されて違う世界に行く人も出るでしょう。
         
        大本教神諭に【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】。

        また大本教神諭に【今度の大事業(大望)は人民の知りた事では無いぞよ。神界へ出ておでます神にも御存知ないような深い仕組みであるから】とあります。

        しかしながら、その神の芝居の舞台に立つ役者も、何の筋書きも持たせてもらっていないとすれば、誰が主演で誰が助演で誰が脇役かさえ解らないとなります。舞台の役者のメンバーすら誰も解らないなのです。

        明治31年の大本教神諭には
        【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たなれば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ】。
        ある意味、世界に一人しか知らないことをいくら言っても、圧倒的多数の人はそれを知らないとなると、いくら叫んでも世の中には通りません。何故にそんな無体な仕組みをされたのかは、それは創造神のみがその意味を知るなのです。
        私が子供の時に臨まれた旧約聖書の神と名乗る声は、【そなた一人と全人類との戦いぞ】と告げられましたが、世界に一人知りておるの意味とは思いもしませんでした。

        ​大本教関係者はこの神諭の存在を「出口王仁三郎聖師」のことだと思っておられたことでしょう。だが、出口王仁三郎聖師は「九つ花」を紐解かれることはなかったわけです。この神諭の該当の役目では無かったからです。それは、それそれが持ち場持ち場に応じて神の芝居を演じているなのです。
        豊受の神様も此花咲耶姫様にしても世の立替はあり、人民は一人も残らないと言われますが、さりとて全てを御存知ではないのです。まして末端の神々ともなれば、立替など話すとそりゃ「何じゃ」と言われます。まったくご存じない有様と言えます。
        私なども立替が起きるぞ。立替が起きるぞの空宣伝ばかりで、実際に立替等と言う事態が起きるのかと問われたならば、正直言って解らないとしか言いようがないのです。ただ、万一起きてもそれに対処する道を説くしか出来ないわけです。
         
        何の台本(シナリオ)も渡されておらず、神の舞台を演じろ演じろと言われても、正直なところ戸惑うだけなのです。豊受の神様にしても、人類は全員死ぬとは言われても、では何時のことなのかと尋ねれば、その時期は解らない。ただ、言えることは貴方は間違いなくその立替の大嵐の中を突破されるだけです。
        ただ、解っているのは人類は全員死ぬとしても、聖書で予告されている【復活】にと進むと言うことです。ただ、それには魂の【更生(甦る)】が必要とされるです。
         
        更生=甦る
         
        その最終幕としての霊的映像は、「女子達」による幕締めの【大フィナーレ】です。その霊的映像が出た時、私が子供の頃から聞いている声が私に臨んだのです。

        この世の終わりの最終幕は女子のみの舞台ぞ そなたに出番は無い

        最終章におけるそなたの役は舞台の解説の台詞回し(ナレター役)だけである。その幕が降りた時、アンコールの拍手が鳴り響く。その時アンコールの為の一度は降りた幕が開き、そなたは男子なれども女子達の舞台に上がり、その最前列の真ん中の中央に立ち、女子達と一緒にこの世のラストのご挨拶。
        その幕が降りたなれば、観客は拍手喝采の総立ちとなる。まさかこんな仕組みだとは誰も思わなかったである。そして新しい嬉し嬉しの世に渡るでした。

        大本教の出口王仁三郎聖師が予言された「みのか尾張の国の中から出る女子」ではなくて

        「身の終わりの時に出る女子」達なのです

         
        この世の幕閉めが拍手喝采の総立ちとなる?。
         
        私にはその意味が完全には解りません。私は子供の時、旧約聖書の神と名乗る声からそなた一人だけに【この神の仕組み】を見せるから人々に告げなさいと言われましたが、そなたには最後の最後の時にならないとこの神の力は何も授けないで、既存の神の取次者や霊能者が見せる神霊力を保有しておりません。そうした神霊力を持たない私と違って、今日まで知られるような神霊力を発揮して神の存在を知らせるのが女子の役目なのでしょう。

        大本教の出口王仁三郎聖師霊や出口日出麿さん霊が霊界で今もなお「みのおわりの女子」探しておられることは解っています。大本教のみろく殿において、私が案内したとある女性を大本教の出口王仁三郎聖師の霊が大本教みろく殿の神前に引っ張ろうとされたことがあります。
        そこで私の最初の師匠に直に出会って貰ってその女子の魂の霊査を頼んだところ、その師匠が言うのには「待ちに待った人がやっと出て来た」です。しかし、その正体がバレると邪神達に命を狙われるので、為にその肉体が自我の塊になっておられるです。自我がありすぎて神界の御用は勤まらないかも知れないと言われます。
        立替の難しいことは、舞台を演じる重要な魂をこの世に卸しても、肉体の自我により必ずしも神の期待通りには働くとは限らないなのです。
         
        それはある意味、誰にも言えることです。自我だらけの塊であれば邪神には狙われない。だが、自我を離れて自己の神性に目覚めて来ると邪神達に狙われるです。
         
        その女子は最終幕の舞台の候補の一人であることは確認出来ましたが、その役を演じきれるとは限りません。しかしその【女子が持つ魂】から最終章の主演を演じる女神がどなたであるかまでは解りました。
        最終幕が降りる日は神々にも解らないで私にも解りませんし、その日迄にそうした女子達が全て間に合うかどうかも解りませんが、最後の幕の役者はその女子一人ではないのです。人民サイドでは解らない深い創造神の仕組みがなされているからです。
         
        この記事に関わることを以前のブログに少し書いたところ、真偽の程は判定は出来ませんが伊勢神宮の天照大御神様からのメッセージなる物を私に送って来られた方があります。
        その伊勢神宮の天照大御神と名乗る神霊曰く、【女子は七名】とことでしたが、それは主演や助演のスター級であり、全員で48名なのか?。80名ぐらいなのか?。どう勢揃いさせて、どうやってこの世の幕を引かれるのかまったく解らないわけです。


        世の大立替論は、最初は聖書のヨハネの黙示録からとなります。日本では世の大立替論は既に天理教の段階で現れて、世に大宣伝をした大本教にと進みます。しかし、その大本教の型演技を見ていますと、「女子の教祖で七代続く」となっています。
        過去に数々の予言を当ててきた大本教の正統の教祖たる女子は七代目も育っておられますから最終局面に来ているのは確かでしょうが、神の舞台を演じる女子は大本教からではないのです。主演助演スター級で【七名の女子】なのです。
         
        それらの身の終わりの女子達は全員が同じ役を演じるではないのです。一人一人が神の舞台の役者であり、当然に個々に与えられた役割が違うからです。その数は多人数なので、自分が単独の「みのおわりの女子」だと思う必要は何もないのです。
        男子は「立役者」であり、女子は「横役者」。ただ、この女子達をどうやって見つけるかです。

        自分がその「みの終わり」の女子ですと言って来られる方は多数ありますが、それらの中には該当すると思われる女子は存在しておられないようです。それはそもそも「みのおわり」の女子という役名ではないからです。ですから、自分が「みの終わり」の女子と思う人には該当者は一人も居ないのです。

         
        その女子が如何なる神を自分の魂の本守護神・正守護神にしているかで、その方に立替の役目があるのか無いのかが解って来るのです

        その女子達を育成されるのは、その魂の本守護神・正守護神たる存在なのです
        世間が世間がと世間を気にしていると、誰も助けることが出来なかったで終わりかねないのです




         

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        蛇霊を討つ神の剣、発動を開始したのか? 霊力を失う者達が出るだろう

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          最近、霊的世界に何らかの変化が生じて来ている節があります。

          私の過去のブログに「自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊」のことを書いておりますが、こうした蛇霊とか狐霊などはいろんな存在に化けられます。観音菩薩も然りですが天照大神もあります。
          スピリチュアルで自分に天使長ミカエルと観音菩薩が一緒に出て来たと言い出すと、かなり危ないのです。サニワをされると、まず蛇霊等に犯されておられるようです。

          大本教の出口王仁三郎聖師は、天使長「ミカエル」などは存在していない。「ミカエル」とは「省みる」ことだと述べておられます。ただ、それとは別に天使長ミカエルたる働きは【伊都能売】神のことだと残しておられます。
          この【伊都能売】神とは「日本書紀」には出て来ませんが「古事記」には記載はあります。ただしその詳細は語られておりません。

          ただ【伊都能売】神が大直日・神直日神の間からだとすると、意味することは【良心・誠・正義・公平・反省心】を司る存在です。
          天使長「ミカエル」たる存在が【伊都能売】であれば、説くのは「愛」で無くて【誠や正義や良心や反省心】でないと嘘になります。

          出口王仁三郎聖師の弟子であった世界救世教の岡田茂吉師が【伊都能売】神に関して述べておられますが、岡田茂吉師が説かれた内容はそれが本当に正しいのかどうかは疑問符がつくものが多々ありますが、岡田茂吉師の説では【伊都能売】神はお釈迦様に対して教えをなされた方。お釈迦様よりも上位の存在ということになります。

          スピリチュアルでは自分に天使長「ミカエル」がメッセージを送って来ると言う方が後を絶たないのですが、聖書にミカエルの名は少しはあっても詳細な内容はほとんどないのが実態です。為に欺す側の霊からすると「ミカエル」や「ガブリエル」だと名乗ってもバレにくいがあります。調べようが無いからです。

          人を欺して来る霊からすると別に西洋名の天使ではなくて、日本の天照大神なども平気で名乗って来ます。あるブロガーさんが、天使名を名乗って出て来る霊は未成仏霊だと言っておられますが、あまり上等の霊でないことは確かなのです。

          スピリチュアルで「光」だ!。「光」だ!と言っておられる方達が見ている「光」とはかなり下の世界の光にしか過ぎません。
          これはと思うほどの霊力を持った行者さんが自分の我にあまりにも固執されたので、本当の神の光をその行者さんに見せてあげてくださいとお願いしていたところ、その方は【光に殺される】と私に平謝りして来られましたが、閻魔(円真)の光たる天の岩戸の中の光とは、光によって殺されると言うほどの光なのです。
          その行者さんがこれまで見て来られた神仏の光の段階ではないからです。だが、全ての人にその「光」を見させてくださいとお願いすることは恐ろしいことになります。私もこの行者さんが並の行者さんではないので、閻魔(円真)の「光」に耐えられる段階だと思ってお願いしたしだいです。その光に耐えられない段階の方には見せてあげてくださいとはお願いは出来ません。
           
          今まで神の光だ神の光だと見ておられた光は、本当の神の光では無かったということです。

          私は【言霊】を知った時、愕然としました。これでは聖書に「初めに言葉は神と共にあった」と記載されていても、誰もこの意味を理解していないからです。そんな中でミカエルやガブリエルなどといくら出しても意味をなさないなのです。
          これらが全て解けるのは【日本語】の仕組みであり、その前提には【言霊】を理解する必要があります。その【言霊】を世に出したのが大本教と言えます。
           
          前回のブログで【自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊】の大白蛇霊が「良心」が解らないと言ったことで、神々には良心神が解らないことを書きましたが、その方からまたメールが来ました。

          *************************************************************************
          先日、明朝、公園でトレーニングしていたら、目の前に白い馬に乗った騎士?のような存在が数体現れて、剣を、私と私の中に入っている大白蛇霊の方に向けてきました。
          すぐに消えましたが、一体、なんなんだろうと不思議で、理由も分からず、不思議な出来事でした。
          大白蛇霊に聞いても、何か分からないと言います。

          以上です。
          **************************************************************************

          私は霊能者の様に他人が見た霊的映像をビデオの様に巻き戻して見る能力がありません。また目の前に白い馬に乗った騎士、西洋の「ナイト」だと思われる霊も見たことがないので、答えようが無いと返答したのです。

          が、その後に私がこの6月の初めに見た霊的映像からブログ記事を書いていて、その途中であったことを思い出しました。それに関係しているようなのです。
           
          その​ブログ題は、【良心(真柱)神に巻き付く蛇霊。蛇霊に反撃に転じた良心(真柱)神は【神剣」と成る】
           
          その書きかけのブログ記事の内容は
          最近とある事件に首を突っ込んでおりました。そこで見えて来たものがあります。(この大白蛇霊が三輪大神などたいしたことが無い神だ。自分より弱い神だと、この方に発言したことから本当に三輪大神は弱い神なのかと質問を受けていたのです)。この方自身が最初は三輪大神からお札を受けていて、三輪大神としてやって来た蛇霊がその大白蛇霊に追いやられたからです。
           
          私の過去ブログで、魂(玉思惟)が「丸(○)」であれば、そこには必ず魂の【心棒】が存在すると述べて来ました。その心棒のことを私は【良心神柱】とも言って来ました。魂が丸くないと「歪み」から「不正」を糺す心が起きて来ません。
          が、その魂の【心棒】に霊界の蛇霊が巻き付こうとします。そしてその蛇霊が大きければ大きいほど、その心棒そのものを飲み込もうとするのです。そして蛇霊に心棒を飲み込まれたならば、その人は蛇の魂と成ってしまうのです。
           
          皆さんがよく知っている【素戔嗚尊の八岐大蛇退治】の神話の「蛇に飲み込まれた剣」がこのことを如実に語っているのです。私がそれを神話だと取らずに神の言葉の仕組みと読んだのは、私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声が、【日本神話は事実を伝えているのではなく、この私が最後の時の為に仕組んだ】と告げられていたからです。その日本神話を読み解けでした。
           
          この心棒は時には【神の剣】として作用するもので【破邪剣】となります。人に内在する良心神を邪神や悪魔達は恐れます。
          愛だ!。愛だ!。何をしても神の愛で赦されるのだ!。こうしたことを言ってくれるスピリチュアルとは悪魔界・邪神界にとっては大歓迎なのです。
          だが「良心神」を持っている者は「正義とか誠」で悪魔や邪神に立ち向かって来ますので、悪魔界や邪神界にとっては実にやっかいな人達なのです。で、この「良心神」を持っている人の魂の心棒とは【破蛇(邪)剣】ともなってしまうのです。

          スピリチュアル界では自分には天使長ミカエルが降りて来る式の方は後を絶ちませんが、大本教の出口王仁三郎聖師がその著本で天使長ミカエルなどは存在していないと述べておられますが、スピリチュアルで降りているのは本物の天使長等ではなくて邪神霊達の名乗りに過ぎません。基本的に「トリ(十里)」間違いを犯した霊達だからです。ですから、八根の意味も別に要らぬ「羽根」と間違ったわけです。



          だが、全ての人に【巳(蛇)帰る】が起きるのは最後の【火の審判(天の岩戸開け)】の時であり、
          それまでは時を待たなければなりません。
           
          2年ほど前ですか、ある霊能力者から蛇霊の頭に【神剣】が突き刺さっている光景が出たと言われましたが、私自身はそれを確認するまでには至っておりませんでした。
           
          今回私が霊的に見たのは蛇霊の頭部では無く、蛇霊の胴体を「神剣」がピンの様に大地に向けて突き刺さっている光景でした。この神剣は両刃の剣である為に前に進んでも後ろに下がっても、横に動いてもその剣で自らが切られてしまうことになります。つまり、もう蛇霊は動くに動けなくなるです。
           


           
          私はイラストが描けませんので、イラスト部品からこうした絵を描きましたが、霊界では蛇霊達が動けなくなる。力を失って来る光景の様です。

          私がこの方に言ったのは、蛇霊の身を浄霊させないといけませんですが、蛇霊は浄化するとその霊力を失います。代わりに天人への道が開けます。だがこの方は、蛇霊が持つ霊力を自分は失いたくは無いと言われます。
          私は一度は忠告を言って、自分はこうしたいと言うのであれば後は何も言いません。それがどいうい結果になろうとも、何事も自分自身が選ぶ道だからです。
           
          私達はそうした道を選ぶ自由を創造神から与えられているのです。
           
          人は自由です。何を選ぼうが、どう振る舞おうが自由です。

          しかし、その結果は自分が負わなければならないのです。

          人は常に「自業自得」の【カルマ】の中にあるのです。

           

          蛇霊の霊力で力を得ている者達は、やがてその霊力を失って行くのです




           
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