日本神道の祓いとは?、各自の魂の過去世からの借金払いもあれば、祓いが持つ意味の恐ろしさ

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    私は仏教徒でもありますが、神霊世界の見聞は【日本神道】の世界を中心に学ばさせてもらいました。その中で感じたことは、私達は【祓い】の言葉の意味を何か間違えていないかです。

    私達が一般的に思う日本神道の【祓い】とは、神社に正式参拝すると、神主がおおぬさ(大麻)をくくりつけた串を持って「祓い給え清め給え」と振ります。その祓い程度しか頭に浮かびません。
    そのおおぬさ(大麻)をつけた串が立ててある台座を含めて、「祓戸(ハラエド)」の神という言い方もされています。 日本神道では祓戸の神としては天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)にある【瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売】の四神を言う場合もあれば、「祓詞(はらへのことば)」の【伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等】として、筑紫の住吉龍神(表筒男命 (うわつつのおのみこと) ・中筒男命 (なかつつのおのみこと) ・底筒男命 (そこつつのおのみこと) の三柱神を言うもあります。通常、三柱神で【住吉】大神とされています。

    私は全国の一宮を回っていて博多の一宮・住吉神社に参拝した時、その本殿内に龍神の姿を見て、祓いと龍神との関係を考えたことがあります。博多の住吉神社では豊受姫が出て来られたので、その龍神の姿を見せて貰えたのかも知れません。
    私は霊能者と呼ばれるような霊能力者ではなくて、通常はほとんど霊を見ませんので、大阪の住吉大社や下関の住吉神社では何も見えませんでした。ただ、龍神が見えたのは博多だったので「筑紫」の言葉の意味を考えたに過ぎません。

    私が豊受姫の命令でこの地に家を建てて神棚を設けたところ、その神棚に設けてもいないのに霊的な「おおぬさ(大麻)をつけた串が立ててある台座」が見えるのです。何とも面妖なことよと思っていました。
    その後、自宅前の空家を買って取り壊して駐車が出来るようにしたところ、その空き地の中心にも以前に見たような霊的な「おおぬさ(大麻)をつけた串が立つ台座」が見えて来たのです。それは神棚で見た霊物よりも大きな霊的物でした。
    私が住む場所は、大本教の出口王仁三郎聖師が綾部の大本教神苑内の金龍海は型で、本当の「金龍海」とされた沼跡の淵の一角に住んでいます。その地で龍神を見るか見ないかは、その人が持っている霊能力しだいと言えます。過去にこの地で金龍神を見た霊能者達は少なからず居られるからです。 龍神と祓いとが関係するならば、その地は「祓戸」の龍神の場とも言えます。

    で、そんな簡単なことで自分の魂の汚れが祓い清められる???

    私達の肉体に日常的に懸かって来る「ゴミ・チリ」的類いの霊であれば、神社参拝での祓い串でも祓えています。だが、全ての人は過去世を持ちます。その過去の人生において、自分がどれほどの悪業を犯して来たのかを誰も知らないのです。私も自分の過去世の罪を知りません。
    一部の霊能者は、この地球は【魂の刑務所】で本当に浄化された魂はこの地球には降りて来ないと言います。大本教の出口王仁三郎聖師は、この地球は【天人の苗床】と言われましたが、意味に大差はありません。この世は魂の【修業場】です。

    お釈迦様とかイエスや弘法大師さんや日蓮さん等は、汚れた魂の持ち主ではなくて、人々に教えをする為にこの世に降りて来られた貴き存在で、神の存在を言いながら過去に多くの罪を犯して来たシャーマンや巫女や元魔女の類いの魂ではないのです。

    仏教ではこの世に出てこない為には【執着心】から離れなさいと説いて来ましたが、大多数の人は【執着心】に縛られているがあります。その執着心を【蛇の性(さが)】とも言い、聖書におけるアダムとイヴに囁いた蛇ともなります。人間と執着心(蛇の性)は切っても切れないほど、自分の心(魂)にまとわりついて来るものなのです。
    私達の過去世の悪業は全て自己の魂に【カルマ】として存続しています。その魂の過去の悪業が神主の「祓い」で精算されるかと言いますと、ほとんど精算はされていないのです。

    自分で【天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)】を読む方ならば、祝詞に書いてある意味は、ある意味とても怖ろしいことが書かれていることに気づく方もあるでしょうが、ほとんどの人はそれを意識して読んではおられないと思います。
    もしも祝詞通りの内容が起きるとすれば、それはとんでもないことが起きていなければなりません。だが、【天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)】を唱えたからといって、誰もそんな怖ろしい事柄に遭遇した人など誰一人といないでしょう。

    では、これは何かと言うと【世の大立替の時に起きる事象の予言】と言えるのです。
     

     

    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、日本神道の神話等は全てこの私の創作であると告げて来られました。
    ですから、天津祝詞(大祓詞・中臣祓詞)には【天の岩戸を押しひらき】とまで書かれているのです。大本教でも、【本当の天の岩戸明け】は、未だ起きていないことを告げたはずです。どの霊能者も、未だ天の岩戸は開いていないというのもそこにあります。

    そこで「天津祝詞」の前半を見ますと、
    【国中(くぬち)に荒振(あらぶる)神等(かみども)をば、神問(かむとは)しに問(とは)したまひ。神掃(かむはらひ)に掃(はらひ)たまいて、語問(こととひ)し磐根樹(いはねき)立草之(たちくさの)垣葉(かきは)をも、語止(ことやめ)て】とあります。


    それは荒振神等も掃(はらひ)に掃(はらひ)、あまりの凄まじい掃(はらひ)に、磐根樹や立草の垣葉まで言葉を喋るのを止めてしまった。それはどれほど怖ろしい状況を告げているかです。
    いくら俺様は凄い神霊だと言っていても、そんな存在程度では掃(はらひ)されてしまいますよなのです。その時には、大掃除をされてしまうなのです。

    私が初めて伏見稲荷山に上がった時、稲荷首座神の豊受姫は私に対して【貴方の言葉の教えは天帝の「詔」に等しきもの。貴方の言葉の教えが聞けぬ神は如何なる神と言えども天帝に罰せられる】と告げられましたが、ほとんどの方は私がしていることは【言葉遊び】程度としか受け取っておられないはずです。
    それは一つに、私には神を見られた過去の宗教家の方や霊能力者の様な特別の霊力がないからです。神霊からの予言的な神示も受け取りませんし、病気治しも出来ません。

    私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る声は、【そなたにこの神の力を与えない。力を与えるのは最後の最後の時である。されど、そなたの背後にこの私があることが解らぬ神では使い物にならない】で、特段の霊力を与えられていないからです。


    私は霊能者から、「あなたは邪悪の神に欺されているのだと」言われれば、そうなのかも知れないと言いますが、私が日本語をもって「言葉の仕組み」を解き明かして来たことは、世に理解されまいと世に出ておられる神々には出来なかったことなのです。それはどの神社に行っても、言葉を仕組めるだけの御神霊が存在しておられないからです。

    天の神が告げる祓いとは、地上世界の【大掃除】の掃(はらい)なのです。

    そして天津祝詞の後半に入りますと、もっと怖ろしいことが書いてあります。この状況に入れば身震いをするような光景なのです。そこまでしないと、誰も【悔い改めよう】とはしないからでしょう。

    一部の霊能者達は世の立替に関して、重要なことは「過去世からの罪の帳消し」たる借金払いが起きる。為に、生きている内にどれだけ過去世の借金を清算するか。そうしたことを述べて来ておられます。だが、こうした方達が述べて来られた警告は、能天気な霊感女子達のスピリチュアルに消されて行きました。


    単に神主から祝詞を上げて貰ったからと言って、普通の神主では自己の魂の過去世からの汚れを浄化して貰っているとは言えないのです。 しかし、祓詞の伊邪那岐大神の汚れさえも祓った祓戸大神等が【龍神】であるならば、話はかなり変わるなのです。 だが、現在のどの神社に行っても、魂の汚れを祓うだけの力を持った神霊は存在していないと思われます。

    私はかって、こんな霊能者がいるのかと驚いた霊能者の方がおられました。当時はテレビに出ておられて、この方は【龍男】だと気づきました。今は亡くなっておられて、その方が造られたお宮と宗教はその息子さんが管長をされていますが、その息子さんの霊能力に関しては私も存じません。
    ただ、今回の相撲騒動に関してテレビに出て来られる方の名前を拝見して、あの驚くほどの霊能者であった方の息子さんだと気づかされました。それで、またもや「龍神」を考えるとなりました。

    世に【龍女】と呼ばれる女性達が居られることは解っています。私も龍女に関しては何人も出会っています。その背後には龍が存在しています。スピリチュアルの霊感女子とは明らかに一線を画しています。
    その龍女の存在に関しては【法華経】に「龍女の解脱」があり、お釈迦様の弟子であった「舎利仏」ですら相手にはしていなかったことが書かれています。解脱した龍女が尊敬する存在と認めたのは、お釈迦様と文殊菩薩だけとなっています。
    私は実に怖ろしい一人の龍女に出会いましたが、霊感女子のスピリチュアル程度では最後は乗り切れないと言います。差がありすぎなのです。

    私は修業時代、蛇霊に悔い改めの言向けをしていました。悔い改めた蛇霊は現実界の蛇が棒の様に直立して天に帰って行く様を見せましたが、ほとんどの蛇霊は【悔い改めるぐらいならば死んでやる。最後の最後の前には暴れに暴れてやる】でした。聞く耳など持たないと一蹴して来るのです。

    スピリチュアルの人達の大多数が悔い改めた蛇霊で蛇が棒の様に直立するを知らないのは、何をしても神の愛で赦されるのだと、【悔い改める】を説かないからでしょう。


    スピリチュアルで、【問答無用】。【力の支配こそ正義】とする存在に対して「神は愛ですから」と金科玉条のごとく言っていても、彼等はその態度を変えるなどはほとんどないのです。何時までも彼等の反省を待つと、のほほんとしていればこの地球は崩壊してしまいます。天はそんなことを許さないでしょう。

    最近、とある霊能力がある方からメールをいただきました。その方の背後は通常の龍神を上回る大白蛇霊で、その配下霊は数千体にのぼる白狐霊や蛇霊が従っていたそうですが、その方の背後霊団でとんでもないことが起き出しているとの情報です。
    突然に聖書で説かれる様な騎士の集団(馬に乗る者の意)が現れて、帰順を示した大白蛇霊と白狐達は別として、悔い改めをしない蛇霊達をその騎士団が斬り殺しで成敗されているです。その方にすれば突然に聖書で説かれる最後の審判前に現れるとされる様な騎士団(馬に乗る者の意)が出て来たことに驚かれたのです。しかも、蛇霊を敵ともしない強さです。


    聖書における天使長ミカエルとは、モーゼ外伝に蛇霊を成敗する存在とあるように、スピリチュアルで自分に天使長ミカエルが降りてきた等の存在ではないのです。蛇を返す【巳(蛇)かえる】が解らない天使長などニセ者の霊だからです。

    ただ、この方の場合は背後に存在した蛇霊の規模がかなり大きかったので、そうした事態が起きたのかも知れませんが、数体や数十体の蛇霊が従っている程度のスピリチュアル段階の方には、未だそうした事態は起きてはいないと考えられます。
     

     

    私の2016年7月1日のブログに下記の図を出しました。天の神の剣が蛇霊に突き刺さり、もしも動けば斬るぞと出た霊的映像からです。それから1年半ほど経過したのですが、いよいよ天の剣が動き出しているのかも知れません。
    ​なお、私は予言者ではなく、言葉を仕組んだ神の仕組みの解説者にしか過ぎません。為に、霊的映像を見せられても、それが何時起きるのかはまったく解らない身なのです。で、情報をいただいて、霊界で起き出したと解る程度なのです。
     



     

     

    最後の審判前、【ニセ救世主】達が乱立するとされて来ました

    1999年当時、幸福の科学の大川氏のように自分が救世主だと称する人達の乱立がありました。幸福の科学によれば、1999年は大川氏の力で食い止めたとの主張のようですが、またもやあらちこちらに自称救世主の乱立が起き出しています。かなりきな臭い状況が出て来ているのです。

    私の元にも、誰々さんが救世主ですのでその元に参加してくださいのメールや、誰々さんが救世主なので是非に調べてみてください等のメールが来だしました。○○さんは東京直下型大地震を事前に止めたとか、△△さんは東日本大震災を事前に告げていた等が救世主たる証拠だと言われます。

    誰が【救世主】役をされてもかまいませんが、果たして天の【祓い】を食い止めることが出来るのかです。 一部の方に出ている霊的事物は、霊的世界における祓いの大掃除なのでしょうが、もう神霊世界では起きて来ているのでしょう。ですから、変な犯罪が勃発して来ています。それまでは眠っていた悪も起こされて、悔い改めるのではなくて、最後の最後の前には暴れてやるです。
    私は豊受姫から大立替は【嵐】だと聞かされましたが、その嵐の意味がよく解っていませんでした。
     

     

    いくら自分は正しい道を歩んでいても、そうした者達が犯す犯罪に何時自分が被害者として巻き込まれないとは限りません。

    それは、多くの人が思っている祓いではなく、掃(はらい)だからです。 江戸時代、悪しきことを犯した者は奉行所から「所払い」がありました。

    この地球霊界からの【所払い】もあるでしょう


     

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    出口王仁三郎聖師予言の【陸の龍宮城】に見られる霊的光景(写真)

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      大本教の出口王仁三郎聖師は、綾部の大本教神苑内にある「金龍海」は型であり、本当の金龍海は別の場所だと述べておられます。そこを「陸の龍宮城」と言っておられます。

      その金龍海とは明治の初め頃までは排水路が無い池で「底なし沼」とされていたのですが、綾部藩最後の藩主であった宇宙の元津神を【ウシトラ(宇志採羅)神】とする九鬼神道家の九鬼氏が、その沼から由良川(和知川)までの排水路を付けたことにより、その沼そのものは干し上がって消滅したことが文献には記録されています。現在はその沼跡地の上には家々が建ち並んでいます。
      ただ、一部の霊能力者によれば、その底なし沼跡地から若狭湾の国常立尊が御引退の島とされる「冠島」までは、霊的な水脈の道が存在していると言います。その水脈に沿って龍神達が動くです。海の中に水脈が存在するなどはこの世の感覚ではピンと来ません。

      その意見に関しては、私はかねてよりモグラに「土竜」の漢字が当てられていますが、何故にモグラが土の「竜(龍)」なのかと首を捻っていました。すると、霊的に龍神達が大地の中に「龍道」を掘って往来している光景が出て来たのです。「大地の中にも龍道」が存在する。それを知った時は、一種のカルチャーショックが起きました。それで海の中の水脈も、そういう意味かと気づかされました。モグラは大地にトンネルを掘っているので「土竜」の漢字なのです。

      創造神はこの日本に「言葉の仕組み」をされていますが、それもその一環と言えます。

      その大本教で「陸の龍宮城」とされた底なし沼の跡地の淵の一角に、霊能者によれば「龍宮城の呼吸口」とする場所があります。その地は大本教の出口王仁三郎聖師が大正九年以前に一部の信徒に教団には内密でその土地を死守せよと命じられた場所でもあったのです。
      また、出口王仁三郎聖師は一部の直弟子に、その地に【みろく世で使われるお宝が眠っている】と残されたことも解っています。直弟子の一部がその土地を掘り返したからです。

      一般的に【龍宮城=お宝】は言われていることですが、その詳細は解っていないのです。
       

       

       

      大本教のみならず、ウシトラ金神の名で出された各種の予告には

      みろくの世は、無尽蔵にある【龍宮】のお宝を出す
       

      とあります。そのお宝でみろく世には【貧困】などは生じないです。貧困が生じない世は「犯罪」が減って来ます。人が犯す悪の一つに「貧困」の問題が常に生じているからです。

       

      しかし、未だ来てもいない【みろく世に出るお宝】を論じても意味はありませんが、その呼吸口とされる場所では、どのようなものが霊的に見られるかです。通常の人の目では下記の光景は見えません。 写真にも撮れません。


      百聞は一見にしかずと言います。これらの写真は霊媒体質者が撮影したものです。



      これらは玉(霊)が飛んでいるのです。こうした状態の霊を「流神(りゅうじん)」とも言います。その光跡がまるで、龍が飛んでいるようなので「龍(流)神」なのです。 また、その姿を霊視しますと、俗に言う【龍】の姿に見えるのです。 霊能者であれば、この地で龍を見るはあるでしょう。





      これらの玉(霊)の光跡には、いろんな色が見られることが解ります。

      数年前、3人の女性霊能者が東京から綾部に向かっていて、綾部に入る国道173号線の市境の質山峠にて上空に大金龍を3人とも霊視して、大本教を訪れたが神苑内の金龍海のどこにもその金龍の姿が見られなかったので首を捻っておられましたが、この地においてその金龍を見られたがありました。


      私は豊受姫から、【その地は秘められた神の神域で有り、本来は人間は住んではならない聖域。この神業は世に出ておられる神々では出来ず。そなたでないと出来ぬ神業。よって、その土地に戻るべし】と告げられて、何も解らぬままに住んだしだいです。
      私もこの地で【大金龍】がとぐろを巻いているのを霊視して、この地はいったいどうなっているのだと思ったことがあります。出口王仁三郎聖師が残された本当の金龍海で、納得が出来たがあります。

      ​私が霊界修行に入って5年目の頃、激しい大雨の日でした。すると一体の黒龍神が私の前に現れて、自分は聖書のノアの箱舟にある四十日間の大雨を降らした黒龍神だ。この大雨が四十日間続いたらどうなると私に聞くので、私は「洪水になるだろう」と素っ気なく答えたところ、答えはそれだけかと怒って帰ると言います。
      その時、私の腹の中から霊的な手が出て来ると、その黒龍神を私の腹の中に閉じ込めてしまったのです。その翌日、当時の私は職場勤めでしたが特殊な仕事なので机に座っているのではなく、出かける任務が無い時は職場内のどこかに定時まで居ればいいだけでした。


      すると、私のお腹が妊婦のように膨れあがります。その黒龍神の汚れからです。即座にトイレに入って下痢です。だが、下痢を終えると、またもや妊婦腹です。太陽に向かって天津祝詞を上げると、またもやトイレで大量の下痢です。その繰り返しを幾度もしていましたが体が弱って、当時の2番目の師匠に職場から電話したところ、その師匠は言います。
      「おまえは、黒海黒龍神を自分の体内に入れた。その黒龍神の長さは40Kmもある黒海の大黒龍神であり黒龍神界の大物。それを浄霊できれば、そのお礼におまえの力となる。我慢して浄霊しろ」と言われましたが、当時の私は未だ未熟であったが為に耐えきれずにその黒海黒龍神を体内から外して貰って事なきを得ました。

      その師匠から黒海の黒龍神だと告げられて、もしかするとノアの箱舟伝説の雨は黒海から運ばれた水かとも考えたしだいです。ノアの箱舟伝説のトルコの「アララト山」からすれば、黒海は裾野の海とも言えます。

      私にはその黒龍神は1メートルほどの黒蛇程度の大きさにしか見えていませんでしたが、優秀な霊能者であった2番目の師匠がその長さは40Kmもあると言ったのも、あながち誇張とは言えません。その頃の私はテレビに出て来る霊能者に見られる数十体の霊に憑依されてのびているではなく、数万もの霊に憑依されたらのびているなどがあったからです。
      2番目の師匠が当時の私につけたあだ名は、【霊界の歩くバキュームカー】でした。汚れた霊を自分の肉体に入れて浄化浄霊する能力は秀でいたのです。
       

       

      その地は、幾多の霊能者によれば汚れた霊が集まる場所だとも言われていました。私はその土地で信じられない大ラップ現象を体験して来ました。テレビで放映される超常現象など可愛いものなのです。本当に死ぬかと思う期間でした。生きているのが不思議なぐらいです。私は3年間に渡って、その土地に居る霊の浄化をして来てラップ現象は「音無しく」なりました。
       

      それは私が霊能者のように霊が見えないから出来たのであって、なまじ霊が見えたらとても住めるような場所ではなかったのです。人は誰でも「霊性」はあります。だが、この世ではあまり霊が見えると、差し障りがあるのです。霊はいくら見えても、本人の人間性がなっていないでは邪神に踊らされてしまうだけなのです。


      人によっては大山の様な高さほどある神霊を見たとしても、人によってはその神霊が小人程度の大きさにしか見えないがあります。山の様な大きな神様を見たからと言って、何の自慢にもならないのです。

      人の肉体は私のような小柄な肉体もあれば大柄の方もあります。成人ならば体重的には数倍程度の差です。しかし、人は【霊(ひ)止(と)】と言われるように、肉体の大小では無くて霊止たる容量の違いで肉体に入れられる霊は数体ではなく、数十体、数百体、数千体、数万体、時には数百万体〜という桁違いも生じるのです。
      スピリチュアルではなく、優秀な霊能者であれば霊止としてその肉体に入る霊は数千とか数万の単位の霊となるのです。
       

      霊能者が肉体に憑依する霊の一体を出して話を聞いたとしても、それは憑依している内の霊の一体だけから話を聞いたであって、その人の本質を見たではないのです。

      私自身は幻視でも霊視でもいいのですが、出口王仁三郎聖師が告げられた金龍海とされる底なし沼から数万の龍神達が空に向かって上がって行く様を見たことがあります。箱根の芦ノ湖ではかなりの龍神が見られるとされています。箱根の芦ノ湖は出口王仁三郎聖師が本当の金龍海とした土地の大きさとは比較にならないほ大きな湖です。が、芦ノ湖は底なし沼ではないのでその数は限られているのです。
      もしも、国常立尊が御引退後に住まわれたとされる若狭の舞鶴沖の「冠島」まで、底なし沼とされた「陸の龍宮城」まで龍神の水脈が在るとするならば、その底なし沼からは数え切れないほどの龍神が出るともなるのです。

      されど、出口王仁三郎聖師が本当の金龍海と告げられた場所は、綾部で大本教が発祥する以前から存在した地で有り、その金龍海が戦前には大本教を一大勢力にする為に動いたとしても、出口王仁三郎聖師と言う希にみる大予言者を有しながら、大本教は当時の国家皇室神道に叩き潰されたのは事実であり、その神力が当時より特段に増したとは言えません。

      今の状況であれば、大本教の失敗を鑑み見れば【立替】が成功するとは言えないのです。

      豊受姫のお代をしていた最初の師匠は、この地は時が来れば【天帝が降臨する場所】と言っておりました。その【天帝】とは国常立尊様のことではないのです。その師匠は豊受姫のお代として国常立尊とされる神霊は見ていたからです。その「国常立尊」様を豊受姫は【天帝】とは呼称はされていないのです。
      大本教では【五六七(みろく大神)】の命にて、大国常立尊様と豊雲野尊様の厳霊と瑞霊の両神が中心となって宇宙を創成されたとあるように、未だその【天帝】は世には出ていないなのです。

      世に【龍神】と呼ばれる存在は、聖書に【霊界の年老いた大蛇霊】とありますが、私の最初の師匠も龍神とは「霊界で三千年間修行した蛇霊」と言っていました。大本教の出口王仁三郎聖師は世に龍神と呼ばれる存在の大半は蛇霊だが、そうでない「龍神」が存在すると述べておられます。この霊界で年老いた蛇霊では無い「龍神」が【龍宮城】となるのです。
      しかし、龍神とは霊界の力(火水のエネルギー)を持った存在を意味しますので、蛇霊出身であろうとそうでなかろうと、その外形だけでは判断が出来ないのです。例え蛇霊出身の龍神であろうと、その存在が持つエネルギーとはとてつもない「光」を出して来ます。そこに起きるのが「光の存在に欺される」なのです。

      太陽の様に光輝く存在を霊的に見ても、それは蛇界の龍神であったりもするのです。

       

       

      だが、その龍神の教えによって、蛇霊系とそうでない龍神の判別は出来ます。

      蛇霊系出身の龍神は【愛】の教えしか説けず
      創造神は「言葉」とされる意味の理解も出来ない

       

       

       

      世の大立替は地球に天帝の降臨が起きない限りあり得ない


      仮に出口王仁三郎聖師が本当の金龍海とされた地に天帝が降臨出来るとするならば、その【依代】となるものがなければなりません。その【依代】が何なのか?。出口王仁三郎聖師の予言にそれがあるのか?。現時点では私にも解りませんが、創造神に何が出来るかと高をくくっていると危ないとは言えます。
      それは「言葉の仕組み」を為すには、たいへんな時の経過を使っているからです。いくら霊力があっても、そこらの霊には言葉の仕組みは出来ないからです。


      天帝の降臨など、本当に起きるのかの問題はありますが
      今の霊界の様は、その登場の前段となる【祓い】の力が生じて来ています


      今のこの世の流れは何かおかしいぞと感じる方は、優れた霊覚が備わっているのかも知れません。
      ​これまでは【三途の川】で三途の道がありましたが、これからは二途に別れて行くのです。



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      立春に秘められた みろくの世は嬉し嬉しの青春時代に若返った様な世界

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        明治25年節分の夜。大本教の「出口なお開祖」に艮(ウシトラ)金神国常立尊の神懸かりが起きました。

        何故、節分の夜だったのでしょうか? 

        そこには「牛虎」の鬼が云うの「魂」の存在を知らせむ意味はありました。世の大立替は各自の「魂」を審査して、永遠(みろく)の世に入る各魂の地位を定めるからです。聖書に記載される「最後の審判」の意味は、単なる天国と地獄に分けるではなくて、永遠の世に向かうので、これまでの長きに渡った魂の【輪廻転生】の終わりともなるからです。

        大本教から出された世の立替論は、聖書のみでは意味が解らず。仏教だけでは意味が解らず。日本神道だけでは意味が解らず。キリスト教・イスラム教・ユダヤ教。仏教。ヒンズー教。日本神道のみならず、霊界や精神世界(スピリチュアル)まで全て含めて見ていかないと解らないがあります。
        どの宗教も部分しか説いておらず。総合された物が世に出ていないからです。

        そうした中で、大本教から出された【みろくの世】は、大本教のみならず日本の新神道各派やスピリチュアルでは盛んに説かれています。
        しかし、みろくの世はどんな世かとなりますと、 今日まで【嬉し嬉しの世である】としか出されていません。聖書で言えば【神の御国】なのですが、よく解らないが実態です。何故ならば、未だその世界はどこにも存在していないからです。これからなのです。



        その弥勒の世に至る道筋としては【次元上昇】を伴っているは「一致」した見方ですが、その次元上昇に関しては二つの見方があります。 その二派ともみろくの世は【五次元世界】の見方は一致しているのですが、その五次元世界に上昇する過程においての見方が違います。

        一派は、何もしなくてもこの地球が五次元世界に行く、それがみろくの世です。
        一派は、五次元世界でも今の地球ではなくて同型の五次元界の新地球に移るです。


        今の地球が自動的に五次元界に進むであっても、五次元の新地球に移るであっても、そのプラットホームは五次元世界なので、そこに差異はありません。
        ただ、新地球に移るとなると今の肉体のままで新しい世界に移行が出来るかの問題が生じるわけです。そこに輪廻転生が終わる【最後の審判】を説くかどうかなのです。
        今のままで地球が五次元界に上昇して【みろくの世】であるならば、【最後の審判】など起きる気遣いもないなのです。何の為に、そうしたものが今日まで予告されてきたのかとなります。

        三次元世界に進む私達にとっては、そもそも【次元】などの論はピンと来ないのです。ほとんどの人が、自分の目で見た世界しか存在していないと思っているからです。
        世の大立替を宣伝した大本教でも、【次元】に関してはほとんど説いていません。さらに「新地球」に関しても言及していません。
        一部の霊能者達だけがみろくの世が「新地球」であることを説いていますが、新しい地球に関しては聖書の【ヨハネの黙示録】に、私はこれまでの天地が消えて、新しい天地を見たとある程度のことで、次元の話など詳細に説かれてはいません。ヨハネの黙示録はキリスト教の蒙昧牧師達には受け付けがたい話でしょうが、何故に聖書には残っているのかです。 

        私は子供の頃、【私はアブラハムの神で有り。そなたの神である】と告げる声が臨み、私がどなたですかと聞き返したところ、【旧約聖書の神である】と答えられて、【私はこの世の幕を引く】。そして、【人類を永遠の嬉し嬉しの世に渡らせる】と告げられたのですが、その永遠の世界はこの地球上ではなくて、【その永遠の世界は、この地球と同型の瓜二つの新しい地球上である】と告げられたわけです。
        この地球では無い。もう一つの瓜二つの地球など本当にあるのだろうかと探って来た結果。天文学や科学の論理としてはあり得ない【五次元】世界にそれ以上の次元から降下して存在しているなのです。為には、私達人類が「五次元世界の存在」にならなければなりません。その点だけを見れば、別にスピリチュアルの論理も間違っていないとなります。
         

         

        しかし、私の肉体は老いました。今のままの老いた肉体で新しい地球で永遠の命を授けると言われても嬉しくも何ともありません。それでは自分に若さがありません。では、この老いた今の肉体が若返るかとなりますと、今の肉体が若返るなどはないのです。
        だが、五次元界に居る私の魂は若い姿をしています。まるで青年のような姿です。この老いた肉体そのものが若返って、その若い姿になるのではありません。人の肉体は【魂の服】であり、その肉体と言う服を脱ぎ捨てた時、そこに青年の様な魂の私が存在するのです。そして、永遠の世とされるみろくの世に渡るなのです。

        世には自分が創造神だとか救世主だと名乗る人は、自称であれ他称であれ後を絶ちません。ある自称創造神だと名乗っている方は、自分は【三千億】次元の創造神だと称しておられましたが、スピリチュアルなどでも自分は「五百万」次元の者とか、「百万」次元の者とか、まるでバナナの叩き売り的なところがあります。これは実際には何次元あるのかが定かではないからです。

        ただ、妙に一致しているは、みろくの世は【五次元世界】なのです。

        俗に言う神霊の蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊は、同じ眷属に分類される【龍神】が五次元界以上とされるので、それらの神霊も五次元界以上であろうと推察されているわけです。そして、創造に関わる神霊の段階は七次元界から上とみられているわけです。
        そこに、自分はそれらの存在より遙かに高い者だの自称者の高次元界の存在だと言うバナナの叩き売りが起きて来るわけです。


        私達人は誰でも死ねば霊界に渡りますが、何の神位(天国行き資格)も無いとなれば四次元界であり、死ねば自動的に五次元界以上とされる神霊に成れるではないのです。人が死んで霊となっても、この世の私達に見えないのは、霊が住む次元が違っているからなのです。ただ、霊能力があると三次元界よりも高い次元界を見るなのです。
        世には神霊を称するニセ者の霊は多数ありますが、それらの多くの霊は本来の霊界に渡ってはいない霊達で有り、正神であろうと邪神であろう五次元界以上になれば【神位】は持っていると見なさなければなりません。

        そこに大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた正神界百八十段、邪神界百八十段の神階級があるなのです。

        大本教神諭に、【人は神とも成れる身なのに】とありますが

        巷には蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊が神霊として存在しますが、これは動物が死ねば神霊ではなく、その霊の心の姿が言葉の意味で示す蛇や狐や狸や猫の姿に【身変わって】いるだけなのです。動物そのものは動物霊界のリーダーで高い神霊に仕えていたような動物霊で無いと神霊には成れません。俗に言う野狐霊と白狐霊は違うなどです。 
        ですから、これらの神霊を浄霊をすると、元の天人の姿に戻って行きます。決して蛇や狐や狸や猫が神霊に成っているではないのです。

        霊が単に見えるのと、神霊を浄霊する浄化能力を持つのはまったく違うのです。
        いずれにしても、三次元世界に身を置く私達にとっては、四次元界以上は霊眼が備わっていないと見えない世界なのです。

        さて、みろくの世は宣伝ばかりがなされていますが、具体的にどんな世界かとなりますと、世に出ておられる御神霊でも解らないとなります。それは既存の霊界ではなくて、まったく新しい霊界の登場でもあるからです。

        そこに、大本教は何故に節分の夜から始まったのかがあります 
        節分の夜が明けると【立春】なのです。

        この「立春」は、眠っていた草花が芽吹く季節を指します。そして魂の世界では【青春時代】に突入なのです。
        私達は大国主命に多数の呼び方があり、大国主命として若い姿もあれば大黒天のような壮年姿もあることを知ります。世に出ておられる神々はその時の状況に応じて、老神の姿も取られます。ある意味、自在なのです。
        だが、天人界では男性は青年、女性は乙女のような歳をしているのが多いのです。この世では老いて爺や婆の姿になって去って行きますが、天国界では若返った青春時代のような姿で生きるのです。みろくの世は永遠の天国界でもあるのです。

        そこから来るのは、【いつでも夢を いつでも夢を】の青春時代なのです。 誰でも【青春時代】に戻ってみたいと思うでしょう。この世での【青春時代】が例え辛い思い出であったとしても、みろくの世は何度でもやり直せる青春時代なのです。だから、神は「嬉し嬉しの世」と言われているわけです。

        ​節分の夜が明ければ【立春】。誰もそこまでは考えが及びもつかなかったでしょう。

        私も気づいていませんでした。こんな仕組みが出来る神とは、日本の神社に鎮まっている神の段階では無理なのです。


        日本の国花は桜と菊。春の世には、咲くラー 咲くラー
         

         

        新しき世は一人一人のこの世の生き方しだいで、五次元世界・六次元世界・七次元世界が用意されているので、新しき世は【五六七(みろく)】の世と、これまで宣伝されて来ました。

        また、これまでの世は三次元・四次元・五次元が主体なので【三四五(みよいづ)】の世と呼ばれて来たわけです。

        こうしたことは今日までに既に説かれて来たことです。しかし、その理解に至っていなかったと言えます。知らなかった言うのは、そうしたことに何の興味も持たず、勉強不足だったからと言えます。


        今の世の五次元界と新しい世の五次元界に乗り換えの為の【プラットホーム】が出て来るなのです。問題は別の新しい世界に行くので、その乗車キップを手に入れることなのです。
         

        この乗り換えの駅のことが「馬小屋(駅)」なのです


         

         

         

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        三千世界一度に開く梅の花の【梅の花とは?】

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          丹波の片田舎綾部(漢部)で発祥した大本教から出された「世の立替」に関して、大本教神諭に【三千世界一度に開く梅の花 艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ】が出されました。予告と言えます。

           

          それを受けて、大本教の基本宣伝歌に【三千世界の梅の花 一度に開く神の教(のり) 開いて散りて実を結ぶ 月日と地(つち)の恩を知れ この世を救ふ生神(いきがみ)は 高天原(たかあまはら)に神集(かむつど)ふ 神が表に現はれて善と悪とを立別ける この世を造りし神直日(かむなおひ) 心も広き大直日 ただ何事も人の世は直日に見直せ聞直せ 身の過ちは宣り直せ】と歌われました。

           

          この「艮(ウシトラ)」は、大本教神諭に【牛虎】もあるぞよとありますように、牛頭虎パンツの【鬼が云う】で解るように【魂】論なのです。

          また、綾部藩の藩主であった元鳥羽藩で熊野別当家筋の【九鬼神道】では、【宇志採羅真神】ともしたように、宇宙の意志は【ラ(羅)を採るラ神論】を指します。

          この綾部九鬼藩では【鬼は内、福は外】と徹底していました。大本教で出された節分の煎り豆で【国常立尊を追いやった】の逆と言えます。為に綾部藩の総氏神社である若宮神社では、今日も【節分祭】は行われていません。

           

          さらに「神直日」とか「大直日」とは、正邪の判断する神の働きで、お釈迦様が悟られた【人には良心と呼ばれる神が内在する】の「良心」の神としての働きを意味します。

          ただ、その「良心神」とは、ほとんどの人が考える単に【良い心】のことではないのです。各自の【魂の核として存在する天帝の直霊たる分霊】の働きと言えます。それを説明する為に、大本教から「節分の煎り豆にも花が咲く」などが出されたと言えます。節分の煎り豆で「鬼が云う」の【魂】論だと気づかないようでは、世に出ておられる神々はどうなっていたのかと言いたいところです。

           

          【身の過ちは宣り直せ】は、単に「良い心」で宜り直せではないのです

          常に自己を「悔い改める」反省の良心神が要求されるのです。

           

          せっかく、大本教の出口喜三郎師に「喜」ではなくて「鬼」と名乗れと言った神の言葉の意味が理解されていなかったとなります。

           

           

          そうした中で、私が「?」をしていたのは、【梅の花】でした。梅の花が咲いて、散りて実を結べば種が出来ます。その種の中の核のことを【天神様】と言います。これは梅の菅原道真公から来ているのでしょうが、菅原道真公が「天の神」その方など天地がひっくり返ってもあり得ないことです。また、その種の核のことを【仁】とも言います。

          しかし、種の中の「仁」は別に【梅の種】だけの話ではありません。あらゆる果実の種に対しても言えることなのです。人の魂の核にも天帝の分魂が宿っているです。本来の天の神でも無い「菅原道真公」を出したところで、「梅の花」の神意が読み取れません。大本教で言ったことは「三千世界に一度に開く梅の花」だからです。

          一般的に考えれば「梅」で【宇目】であり、梅に母の字があることから【産め】とも読めます。万物を生み出した存在です。

           

          改めて【梅】を調べましたところ

          梅の字は【某】を意味したものであり、神意を謀るでした

           

          そこには「梅の花」の言葉に何かしらの「謀り事」が隠されていることが読み取れます。

           

           

          私は白馬に乗り頭には官軍の指揮官を意味する獅子頭の被り物を着けて、「○十」の旗を掲げた白狐達を引き連れていた存在を霊的に見ました。

          ところが、数日前にその白馬に乗った獅子頭の被りを着けた方の横に、新たに栗毛の馬に乗って赤の獅子頭を被った官軍の指揮官が居て、その赤の獅子頭を被った官軍の指揮官は馬から下りて、私に【これが最後の浄化の為の祓い】と言ったのです。

           

          最後の浄化の為の祓い? 

           

          その方が着ている軍服とは、今で言うとお粗末な木綿のゴワゴワした黒地と言えます。薩長連合の官軍が着用していた軍服とは、生地としてはお粗末な物だったのですが、袴をはいていた徳川軍よりは行動力はズボンの方が遙かに勝れていたと思われます。

          その赤の獅子頭を被った方と白の獅子頭を被った方の違いは、白の獅子頭を被った方は上物の陣羽織の着用ですが、赤の獅子頭を被った方は陣羽織を着用はしていませんでした。それは階級の違いと読み取れました。

          私はその霊的スクリーンを見ていて、他に誰が居るのかと見渡すと、他に馬上姿の黒の獅子頭を被った方と青の獅子頭を被った方が見えます。白と赤と黒と青?。もしかすると、これは【五行】の意味であり、他に【黄色】の獅子頭を被った存在も居るのではないかと推察しました。

           

          歌舞伎などの獅子頭の連獅子に秘められた意味は、

          師たる獅子の父は、自分の子を険しい谷底に落とす。険しい谷底(この世の地獄)から自力で這い上がって来た子獅の子だけを我が子として認めるです。

           

          だが、私はこれを中国の思想の【五行】に当てはめようとしているのではないのです。私自身が感じたのは、これは大本教神諭の【三千世界一度に開く梅の花】の梅の五弁を型としているのではないかです。

           

           

          大本教の出口王仁三郎聖師は、【アオウエイ(アイウエオ)】の五母音によって宇宙は生育されたと述べておられます。
          中国で語られた一つの物(太極)が【陰陽】に別れて、【火・水・木・金・土】の五つの元素から成り立つとするのが「五行思想」です。その五元素に色を配当したのが、火は赤(紅)、水は黒(玄)、木は青(緑)、金は白、土は黄の思想です。
          されど、聖書に【初めに言葉は神と共にあった】とするように、大本教の出口王仁三郎聖師は宇宙はアオウエイ(アイウエオ)の言霊で生成されたと述べられたように、万物の創造は宇宙創造神の【音(言霊)】から成り立っています。中国の五行の概念には、その言霊が抜けていると言えます。

           

          このアオウエイ(アイウエオ)の五大母音の各言霊と五色の配置は定かには解りませんが、「三千世界一度に開く梅の花」は、私達が見ている「梅の樹の花」とは関係が無かったのではないかです。

          いくら梅の花を見ていても、【三千世界】とは結びつかなかったはずです。

           

          中国の思想で説かれた【五行の元素論】であれば、「三千世界(全宇宙)」も意味として理解出来ます。

           

          これは、 全宇宙(三千世界)に祓いが始まるとも言えます

           

          ただ、それに対して悲観する必要は何もないのです。何故ならば、既に大本教の出口王仁三郎聖師は既に私達にあることを残してくれているからです。

           

          それは【アオウエイ(アイウエオ)】の言霊を説いてくれているからです

           

          しかし、【アオウエイ、アオウエイ】と唱えていれば、万事安泰などはあり得ません。アオウエイの言霊が自分の魂の汚れの祓いにつながり、自分の魂の力を強めるとしても、自分が邪悪であれば邪悪の力を強めます。魂の汚れを祓うことと自己の【魂を磨く】こととは別物と言えます。

           

          天の祓いの力が強くなると、この世の自然現象が穏やかではなくて、当然に天変地異の作用も出て来ます。その自然の災害に善なる人も悪なる人も同じように巻き込まれてしまいます。

          私は豊受姫から【貴方はその嵐の中を突破するだろうと】告げられましたが、実際には解りかねます。安穏としていて嵐を受けないなどあり得ないからです。その嵐がどれだけの期間続くのかさえ読めないからです。五年続くのか?。十年続くのか?。もっともっと続くのか?。

           

          ただ、嵐が過ぎれば【みろくの世】が見えて来る

           

          私は修業時代、この【アオウエイ】の言霊を唱えていて、聖書に記載される【初めに言葉は神と共にあった】を見ました。そこから、【神は言葉で示し申す】の漢字で言葉は仕組まれていることに気づいたのです。

           

          それは単に【アオウエイ】と言うのはなくて、私がこれまでHPで開示して来た言霊発生方の上げ方からです。大本教の出口王仁三郎聖師の直弟子の方を師匠とした孫弟子の方を、私が2番目の師匠として言霊の上げ方を教わったなのです。

           

           

          アオウエイの言霊の発生練習は、神言会としてYouTubeにあげていますので、再度紹介します。

          なお、その場面で鳴っている太鼓の音色は、故人の鈴木雄詞師によれば天から降りた【みろく太鼓】の叩き方とのことです。

          この太鼓の音で、自分に降りかかっていた霊障が和らいだ方もいます。

           

          https://www.youtube.com/watch?v=AwrVfk3ZyEY

           

           

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