自分は欺されているかもと進むが【鷺(サギ)】の路。鳥(十里)が行く路

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    日本では大本教から世の大立替論が出されました。だが、それは大本教だけではなく、天理教も初期の頃は世の大立替論は出ていたのです。ですから、大本教から妙霊、黒住、金光、天理の先走りと出されたわけです。

    そうしたことは別にこの日本だけではなく、外国でも【人は天から降りて来た者で天に帰る者。だが天に帰れなくなって輪廻転生に入った。人類がこの地球を汚した結果、この地球に間もなく大天災が生じて悪しき人達は滅亡する。正しき人達のみが天に帰還するとします。そして輪廻転生の時代が終わるなのです。その為の警告活動をしている外国の組織もあります。立替論そのものは別にこの日本だけのことではありません。

     

    問題は、それをどれだけの世の人々が理解しているかです。その終わり(尾張)の時期が解らない為、立替論を説くと、どうしても【嘘】呼ばわりをされてしまいます。ひどければ邪神呼ばわりです。

    だが、先駆者にはその時期は解らないが起きることは解っているので、それを説き続けなければならないがあります。大本教の出口王仁三郎聖師は「未だ来ない未来を予言して、その予言の多くを当てて来た世界的な大予言者」でした。その出口王仁三郎聖師は、【霊界に起きた出来事は必ずこの世にも起きる。しかし、それが千年先なのか二千年先なのかが解らない】と述べておられます。

    聖書のヨハネの黙示録にある「今の地球は消えて、私は新しい天地を見た」の新地球の霊映像が霊界にあります。宇宙の初発を見せる映像もあります。この地球が破滅する映像もあるのです。しかし、その時期が何時かは解らないなのです。解るのは創造神とされる神のみでしょう。

    イエスの千年王国にしても、イエスがこの世を去って既に二千年以上でないかと突っ込めを入れれば、キリスト教も何をやっているのだとなります。自分に見えた霊的映像が現実化して来る時期を言い当てるのは、非常に難しいとは言えるのです。

     

    そうした霊界の映像から立替を警告する人達があり、それによって悔い改める人が多ければ多いほど、その大天災が起きる時期を先に延ばせるがあります。

     

    それは【転ばぬ先の杖】なのです 

     

    そこには別に正神も邪神もありません。人類のこの先を憂(うれ)いているです。正神とか邪神とかは善悪のみならず、自己の権力の覇権争いがあるからです。勝てば官軍。負ければ賊軍の習いがあるからです。創造神とされる「国常立尊」様にしても神界の戦いの中で敗軍となり、悪神の汚名を着せられて来たがあります。

    邪神でも自己の欲得からではなく、人類の行く先を憂いて立替の警告をして来た邪神達であるならば、天帝はこれを罰せずに褒められるでしょう。

     

    天帝がもっとも嫌われるのは、神の名を利用して自己の欲得を謀る者達です。特に甘い言葉を吐き続けるスピリチュアルです。スピリチュアル標榜者の多くの霊感女性の前世として、シャーマンや魔女の時代が言われています。魔女と言っても白魔術も黒魔術もありますが、魔女となった自分とお釈迦様の様な覚者(悟り)との違いに対する【悔い改め】が足りていないが見られます。

    いくら霊的な世界が見えても、覚者の路を歩かなければ輪廻転生からは逃げられないとなります。

     

    嘘の言葉を作って(偽って)欺くことを【詐欺】と言います。一方、大本教で出された【十里四方外囲い】とは、【トリ(十里)の路】と言います。詐欺と鷺(鳥の路)のサギ違いです。

     

    大本教では、福知山舞鶴十里四方外囲いと出しましたので、福知山舞鶴の意味に囚われて【十里四方外囲い】の意味の理解が出来なかったがあります。その意味ではその内容は【詐欺】なので、【鷺】に至らなかったなのです。

    私は東京から綾部に帰って来て、福知山と舞鶴勤務の仕事を約30年間勤めました。綾部から福知山と舞鶴の路を通っていたのです。当然にその距離からして【十里四方】の言葉がおかしいと気づきました。綾部から福知山迄は3〜4里だからです。舞鶴も西舞鶴が5里、東舞鶴で7里程です。変だと気づきます。

     

    私がこの【十里四方】の意味に辿り着けたのは、私に【鷺の宮】に行く夢が幾度も出て来たからと言えます。鷺の宮?。鳥が路を行く?。他に「将棋盤」と駒が出て来ました。そして、天の頂に【白十字路と五重の塔とひょうたん池】。これが大本教神諭予告の【九つ花】の意味だったのです。ひょうたんから駒?。駒は言葉の句?。

    為に、大本教神諭はこの仕組みは【誠】の者でないとお世話が出来ないと予告したわけです。

     

    いくら自分は神霊が見える。神霊と会話が出来ると言っても、【誠】でなければ言葉で成る仕組みの意味が何一つ理解出来ないとなります。

    日本語は世界で唯一つの【神の言葉】だとされています。日本民族だけが「神の言葉」を使用することが許されているのです。

     

    大いなる宇宙の意識から、

    「さぎのみや」に行けと出されたならば、霊界の詐欺師となるのか

    「とりのはねを持て」と出されたならば、十里の八根でなく鳥形の羽根を持って天使と称するか

    誠がなければ言葉の解釈は難しく。【米】型が理解出来ないとなります。

     

     

     

     

    縦も横も斜めも総和は【369(みろく)】であり、中心の九つの枡の縦と横の総和はおのおのが【123(ひふみ)】となります。「ひふみ」の言葉の意味すら間違えていないかです。ひふみは最初から「123」と示されたはずです。

    今は神代七代であり、81枡の7掛けは【567】となり、七度霊(0)界が立ったので五十六億七千万。これを九つの枠たる9霊界にすれば【龍宮の音秘め】の仕組みすら出せるのです。次は8の世で、∞(無限)となる末広がりで「永遠」と予告されるのです。

    しかもこの仕組みは、お釈迦様の本当の悟りであった「人に内在する良心神」を骨(舎利)としているのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師の予言の「みのか尾張の国の中から誠の女子」で、みのか尾張の国から出る国道【41】号線に乗せまして、モーゼは40年間荒野を彷徨(さまよ)い。イエスは40日間荒野を彷徨う。

     

    お釈迦様とモーゼとイエスの3体を合体させた仕組み

    皇神も神界の40の路の彷徨いで、この世の時間にして約三十五万年

    地球は何故に一太陽年365.24日で回るのか?

     

    それらの謎の紐解きのヒントを出して来たのが大本教と言えます。

    私は霊能者をしている者ではありません。単に【十里(トリ)の路】を説いているだけの者にしか過ぎません。さりとて、霊能力がゼロと言うのでもありません。必要な時には霊的世界から見させられるはあります。その時に私が見る霊能力は霊能者段階を超えていると言われる霊能者の方達もあります。

    しかしながら、私はほとんど下の霊界が見えていない。蛇霊や狐霊段階に関わられないから霊能者としては失格だとの指摘を霊能者から受けて来ました。この世では蛇霊や狐霊と呼ばれる神霊が人間世界に深く関わっているからです。そうした蛇霊や狐霊と関わられないでは、実践霊能者としては致命傷なのです。

     

    私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたを宗教家にさせる気は無い。そなたが歩く路は、これまでの人類で誰一人として歩いたことが無い路であり、そなたの後にそなたと同じ路を歩く者は出ず。その路はそなたが最初の者で有り最後の者となる】でした。

    この最後の者とは、私の死後にはこの【九つ花】を説く者の存在は出て来ないと言うことです。それは、この【九つ花】の教えに従った者達は私と同様に新しき永遠の未来の世に行くからです。それは旧約聖書の神と称する声が私に約束したからです。でも、そんなことは空手形なのかも知れません。

    一部の霊能者や超霊能力者は私がこの世を去る時が三次元世界の終わりで、五次元界に移行との時と言われます。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【そなたは人類の最期を見届ける役】と告げられましたが、そうした話はどこまで信じられるかを私自身も疑問として抱えているのです。

     

    それは旧約聖書の神と称する声の【詐欺】の言葉であったとしても、【鷺】の路を行くのが私の使命だったからです。私は旧約聖書の神と称した霊が言った内容を信じているではなく、その内容の真偽のほどを確かめようとして来たのです。

     

    この【九つ花】の中心の「41」は、「みのか尾張の国から出る国道ナンバー」となります

     

    そしてその国道41号線は高山を経て富山【十三(富)】にとなるのです。最後には【火の雨】が降る。その時には【十三(富)山】に逃げなさい。創造神たる神がこの日本に仕掛けたであろう言葉の仕組み。何故に大本教から第十三の【ス神】が出たのか?。その意味は今の世に出ておられる神々では解らないことなのです。その証拠に誰も「ス」の神を知らず見ていないはずです。

     

    しかし、霊的世界では何の力も無い者が、いくらあれはニセ者だと言っていても敗者となります。

     

    この世の霊界では霊力さえあれば、詐欺師も本物と見なされます

    そうした霊力がない者は、【鷺】の鳥(十里)の路を行くだけ

     

    日月神示に99%は邪神だと出ているようですが、蛇霊や狐霊の段階から抜け切れていないのに、自分に天照大御神や三輪大神や豊受姫とか菊理姫とか大国主命と称して出て来る霊が非常に多いということなのです。

    為に、そうした神を名乗る霊が言った神示が本当に当たるのか?。その吟味がいるのです。嘘の神示を出す霊に、どこまでもついて行くではダメなのです。ところがなまじ霊が見えると、そこから簡単に脱却出来なくなるのです。

     

    私が神霊世界に修業に入った時、お世話になったのが豊受姫の神でした。この豊受姫は阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に伝えられました。この私がお世話になったその豊受姫を黒狐だと言う豊受姫があると聞きましたが、ではその豊受姫は東日本大震災を事前に告げられるほどの存在であったかです。

    私が修業のお世話になった最初の師匠は豊受姫のお代さんで、当時の日本ではトップクラスの実践霊能者でしたが、もし東日本大震災の時にその師匠が存命であったならば、事前にその師匠には告げていたでしょう。

    私から見ると、黒狐程度で阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前に告げられるだけの力はありません。白狐など数多く存在しますが、どの白狐も事前にそうした発信をした等の情報すら聞きません。豊受姫と言っても、どれだけ数多くのニセ神が出回っているかなのです。

     

    いくら某神社に参拝せよと言われてその神社に行ったら、その神社の御祭神が出て来られたで本物と出会っているとは言えないのです。伊勢神宮に行って、伊勢神宮でそなたが本物の「みのか尾張の国から出る誠の女子」だと告げられて、自分は三河出身なのでと綾部の大本教にその変性女子は自分ですと押しかけた男性霊能者も現に存在していたのです。

    誰も、伊勢神宮に参拝して出て来た霊がニセ者の霊だとは考えも及びつかないからです。私は修業時代、大社などに行ってもニセ霊が出て来ることを見聞させてもらいました。そんな大社が幾つもありました。

     

    そこに出て来る問題は、

    【未だ神界は唯一神によって神界統一がなされていない】なのです

    この状態が今は表舞台から退いていますの【艮】の意味なのです。

    どの神社に行っても、自分の魂の霊格に応じた存在しか出て来ない

     

    唯一神の神界統一の為の降臨時には、神界は神々の血の雨が降る(殺戮の丘)

     

    最近、一部の霊能者の方の元には天帝に帰順を示す神々の軍勢が集結して来ておられるとの報告があります。私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方。貴方の言葉による教えは天帝の【詔】と同じであり、貴方の言葉の教えが聞けぬ神は如何なる神でも天帝に対する反逆罪で天帝により処罰されると告げられましたが、その兆候が出始めているのではないかと考えられる節もあります。だからと言って、今日や明日に何かが起きるではないのです。

     

    霊的世界の関わりにおいては、どの神社に行っても自分の霊格に応じた存在しか出て来ないがあります。肉体の自分が、人として出来てもいないのに、そんな自分に高級神霊が出て来るかです。

     

    古来より、健全な心の持ち主には健全な神が宿る

    人を嫉んだり悪口の言い放題で健全な心を持ってもいないのに、高級神霊がそんな自分に降りるのがおかしいと気づかないといけないのです。

    下級霊ばかりと交流している霊感霊能者同志で、互いに貴方は高いと認め合ったところで無意味なのです。

    いくら霊能力が強くても、邪神に毒されている霊能者も数が多いのです。

     

    それが本当にその神なのかを確かめるには、その神霊の神示はよく当たる。また、その霊の配下として数えられないような眷属の霊達が従っている。そうした見極めが必要なのです。

     

    いくらその霊が自分は天照大御神、三輪大神、豊受姫、菊理姫、大国主命。イエス、マリア、ミカエル、ガブリエルと名乗っていても、そこに無数の配下霊がいないとなれば数は力なりの現状の神霊界では本物とは言えないのです。

    某自称創造神と称する方の天照大御神は狸霊で、その自称創造神の方に従っていた龍神とか白狐霊とはさほどの数ではありませんでした。それではいくら自分が創造神だと称しても力の範囲は限られます。その方に憑いている霊団の中で、諸霊が天照大御神や大国主命や諸仏霊の役を演じているなのです。役割分担でニセ神達が演じるなのです。

     

    今の神霊世界の現状は力の支配であり、数は力なり

     

    それは日本の政(まつりごと)の世界を見れば、自民党の数は力なりで、少数野党が何を言おうが通じないのと同じなのです。

     

    神名詐称の霊の言葉ではなく、その霊にはどれほどの配下霊が従っているのか。そうした見極めが必要なのです。

    だが、【言葉の仕組み】とは、そうした神霊の力の段階では不可能と言えます。大本教が出した「ウシトラ」一つからでも、【牛虎】で鬼が云うの【魂】論となり、今は「退いています」の【艮の道】。東北(艮)金神で【みちのく】も出せるのです。それが言葉の仕組みの特徴なのです。

     

    【路(みち)の九】も出るのです

     

     

     

     

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    【ビデオ実写版】 踊る精霊達 人は自然破壊の恐ろしさの重要性を知らなかった

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      前に壁を通り越えて来るオーブ達のビデオをアップさせて貰いましたが、今回踊る精霊達としてオーブのビデオ実写版をアップします。

       

      http://www.youtube.com/watch?v=xzv4eGzGpig

       

      テレビ番組において、超常現象などでオーブの映像は出されていますが、このような映像はテレビ放映では今日まで見たことがないようなものです。

      こうした映像はどこでも撮影出来るではなくて、やはり限られた場所になります。山麓の清流が流れるようなせせらぎの場所とか、樹木が多い霊山の神域や自然が一杯の場所に出て来ます。

       

      最近、テレビ番組で俳優原田龍二さんが【屋久島の木霊】写真の撮影に臨まれて木霊の写真を撮られましたが、屋久島などはそうした写真が撮りやすい場所なのです。自然がそのままに残されている。原始林が残るからです。

      ただ、そうした木霊のことを「こだま」と言う呼び方をしていますが、【ことだま】とまったく違うものなのです。

       

      今回のものは日本有数の霊山とされていて、古来より多くの信仰者が参拝する霊山の麓の元は講宿であった小さな旅館で、旅館の内部に田舎の氏神社ほどの大きな立派な神社様式の祭壇が設けられており、大国主命(大黒天)様と事代主(恵比寿)様が宿内の社の御祭神として祭られています。 その旅館の部屋で撮影されたものです。

       

      自然を破壊すると、精霊的な存在も失われる 

      都会が【穢土】となるのは、自然が失われたから 

       

      古い小さな旅館ですが、その旅館に居ると心が落ち着くのです。心が洗われるです。ある意味、神社の内に泊まっているようなものです。旅館の名を出すと迷惑になりますので名を伏せますが、飛び回っているオーブーは旅館の中の祭壇の御祭神である大国主命様に関わる精霊ではないかと推察されます。これだけオーブが飛び回っていてもラップ音が何一つ出て来ないからです。

      そこに居る霊と自分が持つ霊との波長が合わないと騒霊(ラップ)現象が生じます。霊と霊が争うからです。

      こうしたオーブ玉と敵対するオーブ玉とがぶつかりますと、花火のような閃光を出してどちらかが破裂します。ですから、ラップ音のことを【騒霊】と示す日本語は正しい表現なのです。

       

      私が豊受姫の命令で建てて住んだ家では、3年間に渡り大ラップ現象に襲われました。そのラップ現象を鎮めて欲しいと霊能者の方達を頼ったのですが、どの霊能者にも出来ませんでした。

      私がある霊能者から告げられたのは、このラップ現象を鎮めるだけの神は日本には存在しない。伊勢神宮の天照大御神様でも出雲の大国主命様で稲荷様でも不動明王様でも無理だと言う言葉でした。実際に出雲の神、稲荷の神、不動明王、大本教の神、仏界の取次者たる霊能者を頼ったのですが、どの霊能者もどうにもなりませんでした。

       

      そこに存在したのは、大本教で明らかにした【国常立尊様の御引退に関わる35万年前の超太古の霊達】で、現在の世に出ている神々の話ではなかったのです。超太古の神代に起きた出来事とは、今の世に出ている神達では解らぬことであり、日本神話の中の神々を持ち出してきても、どうにも理解不能となるのです。

       

      みろく世に入る前には【大峠】が語られていますが、私はそれには三つの側面があると見ています。それらが混同して来るので、話が解りにくくなっているです。

       

      一つは、聖書に記載される【殺戮の丘(ハルマゲドン)】で、神界における神々の最終戦争。

      一つは、人類が地球の自然現象を破壊した為に起きるであろう自然の【しっぺ返し】。

      一つは、新しき未来永劫の世に進む為の各自の魂を【審査】する最後の審判。

       

      私が主に説いているのは、新しいみろくの世に進む時には各自の魂の審査があるので、その点数は各自の良心神の点数が問われるので【人に内在する良心神】を説いているのであって、神界における神々の最終戦争(ハルマゲドン)やこの地球の自然が崩壊されたことによる地球崩壊は私の様な肉体を持った者にはどうすることも出来ない問題なのです。

      そこにあるのが、【天地創造の神】を唯一神とするのか、どうかなのです。

       

       

      世界中で自然環境の破壊が起きていて、

      今の世はやがて天変地異が起きると予想されていますが、人類が自然を破壊して来たことで、自然のしっぺ返しを受けるのです。

       

      それは、精霊と呼ばれる存在が失せて行くからです。

       

       

       

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      天国界に一気に上がる超特急エレベーターと天国に一歩一歩上がる既存の階段

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        私達はこれまで【輪廻転生】の中で、神の御国たる天国界に進むのに一歩一歩階段を上がっていました。その道は果てしなく遠い道で、仏教では【化城喩品第七】にそうしたことが説かれて来ました。

         

        その【化城喩品第七】が説く内容とは、インターネット上に出ているものから一部を抜粋させてもらいました。

         

        【たとえば、人跡未踏の荒野があるとする。五百由旬の悪路を大勢の人たちが、宝を求めて歩いていくとする。道は険しく、 人びとは途中で口々に不平をいい始める。疲れた、これ以上は歩けない、前途なお遠い、引き返そう、と。道案内人は、このままでは 宝の処まで行けないと判断し、方便を使って一行を導こうとした。すなわち神通力で、道の途上に城を作って、一行に言ったのである。 あそこに城がある、ゆっくり休んでいこう、そこに滞在してもいい、と。一行は大いに喜んで、そこに止宿した。そうして道案内人は 人びとが、ゆったり保養し元気を回復したのを見はからって、城を消滅させて、言ったのである。諸君、宝の場所はもうすぐ近くだ、 この城はみんなを休養させるために、私が仮に作ったものだ、と。一行はまた元気よく、宝の場所へ向かって歩き出した。

        僧たちよ、如来もまたこのようなものである。衆生のために道案内となり、生死、煩悩の悪路を通り過ぎなければならない。 もし衆生が一仏乗のみを聞いて導かれるならば、衆生はこうおもうだろう。 仏道ははるかに遠い、久しく苦しい道のりを 歩いていかなければ、到達できない、と。こうして仏は方便をもって、道の途中に止宿するため、 二乗すなわち声聞乗と独覚乗 を設けて、言うのである。この城は仮のものだ、宝の場所はすぐ近くだ、と 】

         

        このことを【化城(まぼろしの城)】と言います。

         

        仏教においても、他の宗教においても【我が宗派の教えを信じれば天国(極楽)】は、こうした「化城(まぼろしの城)」の教えと言えます。天国は遙かに遠い等と言えば悲観する人達も当然に出ます。そこには【嘘も方便】もあります。

        世には葬儀の時にお坊さんにお経を上げて貰えば極楽に行けると信じている人達があります。しかし、仏典には僧侶がお経を唱えたから極楽に往生だとは書かれてはいないのです。学ぶことによって。自分が思っていたことが間違っていたことに気づくなのです。

         

        大本教の出口王仁三郎聖師は、魂の旅は辛いものだと記しておられます。この世に人として出て死んで、この世に人として出て死んで。そうした繰り返しの「輪廻転生」の中で天国への階段を一歩一歩を歩んで来たわけです。

        その階段は霊界でと言うことではなく、【この世での私達の生き方】において天国階段を登っているわけです。二歩登って一歩下がる。三歩登って二歩下がる。だが、時には失敗もします。その時には一気に階段を降りてしまうです。

        私達は自動車の任意保険でそうした体験をします。一年間無事故であれば保険料が割り引かれて一等級あがります。しかし、事故を起こせば事故によっては三階級ぐらい落とされます。一年に2回も事故を起こせば一気に五〜六等級ぐらい落ちます。そこから元の階級に戻すのにそれだけの年数が余分にかかってしまいます。

         

        そして、これは肉体を持った魂だけではなく、人にはその肉体を守護しているところの守護霊で本守護神・正守護神ではなく、その肉体を指導することで自分達の霊界での階級を上げようとしている霊達、一般的には【副守護神(霊)格】の存在もその肉体と同じ状態にあるのです。自分が指導して導いていた肉体が階段を上がれば、自分達も霊界での階段を上がれるです。

        一部の霊感者には、大本教や他の神道系でも説かれた【本守護神・正守護神】は肉体が道を誤れば一緒に落ちるものだとの錯覚があるようですが、自己の内在神たる【本守護神と正守護神】は階級が落ちることはなく、その地位は不動なのです。

        それは肉体を指導しているのは本守護神や正守護神ではないからです。肉体はその本守護神や正守護神が居る段階まで上がらないと、自己の魂には帰結出来ないからです。それまでは他の指導神霊に従っています。

        スピリチュアルでは貴方の本守護神とか正守護神などはほとんど出て来ないのが一般的です。貴方には天使が就いている式で終わってしまうからです。自分の本守護神や正守護神が下の界に落ちるのではなく、その人を背後で指導や守護していて○○大神や天使など称している外から来た外在の神霊が下位の霊と交代したりするのです。

         

        本守護神・正守護神は自分の魂の源元で、高い霊世界に存在している

        その世界に帰るのか、帰らないのかの帰結の問題

         

        一部の霊能力者の方達が既に説かれるように、今は各自の外在神ではなくて、自分の魂の系譜たる内在神に切り替わろうとしています。外在神の霊力を頼るのではなくて、自己の内在神を成長させる時なのです。それは高い霊界に帰る為にです。

        外在神に頼って霊力を誇って、自分は凄いのだ!。偉いのだ!。等とおかしなプライドを振り回していても、自己の本守護神・正守護神には何一つ帰結していないのです。逆にそのプライド(誇り)が、【埃(ほこり)】的なものに化してしまいます。

        自己に懸かる外在神の名は解っても、自己の内在である本守護神や正守護神がどこからも出ていないとすれば、それは実に変な話なのです。

         

         

        通常、霊界に行くには仏教で説かれた死後の世界は三方向の途がありますよの【三途の川】を渡って天国への途です。仏教で「化城」の教えにあるように天国への道は遠いのです。為に、大多数の方は輪廻転生が強く働く「中有界」です。中有界と言ってもその上界では天国に似たような世界も存在して来ます。ただ、本当の天国と違って輪廻転生が強く出て来るです。あるスピリチュアルの女性は、自分は一万回も輪廻転生して来たと誇っておられましたが、それは自慢にはならない話です。

        天国に入るには僧侶のお経ではなく、神主の祝詞でもなく、自分がこの世で積んだ【徳】分がどれだけあるかてす。良心神の点数です。

         

        ところが、大本教の出口王仁三郎聖師はそうした「三途川」だけではなくて、神一筋の「少途川」の存在を説かれました。だが、この道を行く人は当然に【希(まれ)】なのです。

        これは【天帝】たる万物の創造神を命を賭しての信仰なのです。出口王仁三郎聖師と共に苦難の道を歩まれた当時の大本教の宣伝使達は、皆さん高い霊界に行かれたと、宇佐八幡宮の御使いと称する霊は私に伝えて来ました。ただそれは、出口王仁三郎聖師に率いられたいた当時の宣伝使達で、今の大本教の信徒と言うことではないのです。

        だが、創造神に向かう道は少途で解るように厳しき道で、一歩道を誤れば谷底に墜ちるなのです。私がこれまで接して来た豊受姫や木花咲耶姫の分魂の持ち主は、皆さん「国常立尊」様で走っておられました。

         

        私は、これを【天神様の細道】と言っています

         

        私が言う天神様とは、人間であった学問の神として信仰される「菅原道真」公のことではありません。西洋ではエホバの神、アラーの神。日本では【天之御中主(地上界は国常立尊)】と呼ばれる存在です。

        今日まで誰も仏教では聞いたことがない【少途川】。大本教から「少途川」の存在は出されましたが、詳細が述べられていません。しかし、私が知る「艮金神・国常立尊」様を主神と仰ぐ霊能力がある方達は、少なからずもこの川の名前を知らずにその道の存在のことは知っておられるなのです。

         

        ただ、私が言霊の教えを受けた二番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と名乗っておられましたが、ニセ神でした。その師匠の元に自分が本当の国常立尊様を祭神としている者だと称する霊能者の方も多数出て来られて、その中でどちらが本物かの霊術合戦も行われました。そうしたことでも解る様に国常立尊と名乗るニセ神も存在するように、豊受姫と名乗るニセ神も存在しています。天照皇大御神や大国主命と名乗るニセ神達も多数跋扈しています。

        私が今の神霊世界は一筋縄では行かないと言っているのは、そうした神霊達の跋扈があまりにも多いからです。

         

        大本教の出口王仁三郎聖師か説かれた「少途川」以外にも、天国への特急コースは存在しています。例えば、四国八十八カ所遍路旅がそうです。バスや自家用車で回るのではなくて徒歩コース。おそらく【善根】を知る【四国の米(八十八)】の世根コース版とも言えるでしょう。

        ただ、この特急コースは霊界の壁を登るコースで、その登り方を指導する神霊や天使の補助が無ければ何人も自力では上がれません。これは【この世概念】に縛られてしまうと無理なのです。牧師や僧侶をしていると、神仏を拝んでいればとその教義に縛られてしまい、概念が邪魔してしまうなのです。実践として神仏の存在を素直に信じるのが良いのです。

         

        神仏の存在を「ス直(すなお)」に信じるのがスの神論

        信じる者は【儲(信じる者)かる】の道です

         

        私がこれまで接した「国常立尊」様を言われる方達は、皆さん、霊界の壁の登り方を知っているがありました。私の母親は霊が見えるではありませんでしたが、夢の中で女神からその霊界の壁の登り方を教えられた言います。たぶん、その指導神は「豊国姫」だっと思われます。

         

        優秀な霊能力者達が、人はその存在が正神なのか邪神なのか見分けるのは難しい。仮にそれが邪神と知らずに信仰したとしても、その人の信仰が【至誠】に通じていれば、天はその人を助けると言われます。至誠天に通ずるです。

         

        その信仰の「姿勢」が悪ければ、【至誠】は天に通じず

         

        日月神示などでは、【九十九%は邪神】との説が出ていますが、数多くの小さな力の邪神のパワーと数少ない力強い正神のパワーとでバランスが取られていると言えます。 だからこそ、その教団の教義を鵜呑みにするのではなく、自己の良心神を磨いて照らし合わせなければならないのです。

         

         

        大本教からは【世の大立替】が予告されました。それは今日までの【輪廻転生】の終わりを告げます。そうすれば、これまで「輪廻転生」で天国への階段を上がっていた人達からすれば、【冗談】ではないとなります。俺達はもっともっと上の霊界に行きたかったのにそのチャンスを奪い取るのかです。

        そこに天の御国に一気に上げる「超特急エレべター」が用意されているのです。それは【天の御柱(天之御中主)】と【地(国)の御柱(国常立尊)】とを結ぶ神界の超特急エレベーターです。大本教から天の主宰神たる天之御中主と、その地位を追われた元の地の主宰神の国常立尊は【同一】神であると説かれて来ました。

         

        これは天の御柱神と地の御柱神の直結にしか出来ない仕組みなのです。

         

        一部の霊能力者の方は、それを【神界機密ゲート】と称しておられます。しかし、その機密ゲートの存在を知っているからと言って、誰もそれを大々的には言われません。それは、未だゲートそのものが機能していないからです。

        世の大立替時には【天帝たる創造神】が現れると考えられています。それに処するものとして、天と地を結ぶ場所が無いと、その【超特急エレベーター】が運航出来なくなります。そこに大本教神諭は、綾部は【神戸(かんべ)】と出しました。

         

        つまり、綾部には天の岩戸は無いが、【神の出口たる戸】が「直」にあるなのです。 大本教開祖は【出口直】。

        綾部(あやべ)の古来名は【漢部】

        漢部(かんべ)は【神戸(かんべ)】

         

        大本教神諭の、ここは綾部に「神戸」の漢字を振られたのは出口王仁三郎聖師です。当時の大本教内部では出口なお開祖のお筆先がひらかなであったことから「ひらかな」文字に固執する開祖派と漢字の研究に没頭した出口王仁三郎聖師との間には確執がありました。綾部は、ここは「漢部」だからこそ、漢字の仕組みが存在していたのです。綾部は漢からの帰化人「秦氏」が絹の織物をしていた土地なのです。そこで、漢の人達(部)で漢部と呼ばれたのです。

         

        綾部に創造神の降臨が起きた時、このエレベターは機能するです。階段ではなくて、一気に天国に渡すです。

         

        そこに大本教は綾部に天の造化三神が降下されると、綾部は神の【聖都】と予告したのです。大本教では平成に入ってその造化三神が降臨される場所としての【平成神殿】群が建立されましたが、創造神はその「依代」として人の肉体を使って降下するのであり、建物や神像や道具類に降りるではないのです。 いわんや紙に書かれた「文字」に降臨するではないのです。

         

        こうしたことは、私達の魂には【霊子線(西洋ではシルバーコードと称されるが、必ずしも銀色線ではない)】の存在が説かれていますが、地球の玉にもそうした「霊子線」が存在しているなのです。私達の目には見えない霊界であっても、一つ一つ証拠を固めて行けば、そうした存在も解ることなのです。

        私は【霊子線】の存在を神から教えられたではなくて、自分の目で見てきたことからその存在の正しさを言いますが、その存在すら説明しない○○大神と名乗る霊が自分に出て来たからでは、その人の目は狂っているなのです。「霊子線」のことは、大本教や日月神示や他の書やスピリチュアルですら既に出されていることなのです。

        邪神達はそうしたことを他から学ばれることを非常に嫌います。自分達がそれらに対しての説明能力を持たないからです。

         

        私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えで満ちあふれている】と言われましたが、自分に臨んで来た神霊の言葉ではなく、この日本には創造神の仕組みが満ちあふれているのです。自己の努力の学びしだいで、日本人ならば創造神の仕組みが見えて来るなのです。

         

        神社参りをしたからと言って、天国階段が上れているとは限りません

        それらは神の存在を認識するだけであり、自己の魂磨きとは別物です

         

         

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        この世の地獄と霊界での地獄 どちらの地獄がよいのか?

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          多くの科学者や医学者は自分の目に見えた世界しか肯定しませんので、死後の世界や魂の存在を否定する方達が大多数です。

           

          無論、霊世界を言う方の中にも精神病に一歩手前の方とか、まったくインチキで霊感商法をする方とか、確かに霊は見えてはいるのでしょうが低級霊に踊らされている方達が多数ありますので、自分の目に見えない物は全て否定する方達から見ればインチキだとかオカルトだとか批判されてしまう側面はあります。

          そうした中で、公然と死後の世界などは無いと言う某仏教宗派もありますが、宗教はどの宗派であろうとも【天国と地獄】論を展開します。では、宗教家達はその【天国と地獄】を見たことがありますかと質問されたら、否。自分は見たことがないけれども、昔からの教えだ。宗教開祖の教えに地獄の存在があるで終わってしまうでしょう。

           

          日本における地獄の概念は、天台宗の僧であった「源信」が仏教の経典等から集約した【往生要集】にあるとされます。

          原始仏教においては【六道輪廻】が説かれました。「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」です。その六道を「輪廻」しているです。

           

          仏教の六道輪廻を簡略に言えば、

          ・天道は、天人達が住む世界ですが、未だ解脱には至っていないです。

          ・人間道は、私達が住む世界ですが、「四苦八苦」は免れないです。

          ・修羅道は、戦いに明け暮れて、苦しみや怒りが絶えない世界です。

          ・畜生道は、牛馬などの畜生の世界のことです。

          ・餓鬼道は、餓鬼の世界のことです。

          ・地獄道は、この世での罪を償う、世界のことです。

           

          この【六道輪廻】の観念が本当に正しいかどうかは別として、【輪廻転生】そのものは存在しており地獄界は存在しているとは言えます。

          私自身は少しばかりの霊界体験に過ぎませんが地獄の存在を見て来ました。仏教では八大地獄(八熱地獄)とは別の八寒地獄と合わせて十六の地獄が説かれていますが、私は「氷の世界」を見ましたが、その氷の世界を寒さで分類したのが八寒地獄なのかも知れません。

           

          俗に仏教で言われる地獄には牛頭や馬頭姿の鬼達が居て、地獄に墜ちた亡者達を苛む獄卒とされていますが、私がこれまで見て来た【閻魔庁】の役人達は、神社などに参拝すると出て来る平安時代や鎌倉時代の警備の武士の様な姿で、鬼のような牛頭虎パンツで金棒を持った出で立ちの者は一度も見たことはありません。

          私は大本教の型演技で、この艮(ウシトラ)には【牛虎】もあるぞよで。牛頭虎パンツの地獄の獄卒とされる鬼は、言葉の意味合いで「魂(鬼が云う)」論であることに気づきましたが、そうした鬼的な獄卒が地獄にいたとしても別におかしくはないと言います。霊界はこの世と違って、いろんな存在があるからです。

           

          霊的世界は広大であり、自分が全てを見るなどは出来ません。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【人はその一生において何もかも解る立場ではない。自分は見ていなくても、他の人は見たのかも知れない。自分が見ていないからと否定するのは実に愚かな者が言う言葉である。他の人が見た物も知識として得るならば自分の知識となる。人はそれによっては多くのことを学ぶことが出来る。】と告げられました。

          霊的世界は霊能力が備わっていないと見えません。しかし、自分に霊的能力があるからと言って、自分が見ている霊的世界だけに固執している方達もあります。【神界ピラミッド】が語られますが、自分がその神界ピラミッドのどの辺に存在するのかそれすら見定めていないで、自分が見た神霊の言葉だけで視野を広げない方達が多数あります。

           

          そうした中で私が見た地獄の一つに、俗に「奈落の底」と呼ばれる世界もありました。私はその底を降りて見ようと降りたのですが、降りても降りても行き着かない。これは「無間地獄」で降りても降りても底に着かないかも知れないと諦めて、途中で反転して帰って来たがあります。

           

          魂は【玉型の思惟】であり【意識体】です。その意思によって、ある程度は【自在】です。だが、いくら自在であっても、自分は天国に行くで天国には行けませんし。自分は地獄には絶対に行かないと頑張っても、地獄に向かって行くなのです。そこには【法則】があり、自己の意思だけでは【法則】を越えられないなのです。

          スピリチュアルでは知識として【引き寄せ】の法則を言います。格言として言えば【類は友(類)を呼ぶ】です。自己の犠牲をいとわずに他の人のことを助ける様な人達は、そうした人達ばかりが引き寄せられるので自然と天国界を創ります。しかし、自己中心主義の自分勝手な人達はそうした人達ばかりが引き寄せられるので自然と地獄界と呼ばれるような世界を創るとなるのです。

           

          宗教家の任務とは、天国天人の生き方。他を救って自らは世根として働く犠牲心。それに向かっての指導なのです。

          ですから、宗教とは【人の胸(宗)】の中にある存在の教えであり、イエスが説いた【愛】の教えもその【人の胸(宗)】の中の存在の一部ではあるのですが、愛は「正義と公平」を失うと自己の家族だけとかの狭い了見になって【偏蛇】に陥りやすいのです。愛は善と結びつかないと【良心神】としての機能が発揮出来ないのです。

          大本教では魂の核(奥)たる【良心神】を教えきれなかったので、その出口として「愛善」の教えになったのです。

           

           

          私は奈落の底を見ずに反転して引き返しましたが、私の母親がやはり奈落の底を見ようと降りたと言います。そして底に着いたと言います。そこで私の母親が見たのは意外な光景でした。私の母親の魂は、私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、その豊受姫をして自分より上の神の分魂だと言った存在です。豊受姫より上位の神とは、大本教で説かれた豊国姫(坤金神)の分魂だったのです。ならば、豊受姫の自分よりも上位の神の分魂の言葉も頷けます。

          そもそも日本の記紀神話には、豊国姫(坤金神)の存在は説かれていません。記紀神話は「国常立尊」そのものが名があるだけで消された神であり、ましてその妻神たる「豊国姫」が無くてもおかしくはないのです。「牛虎(艮)があれば羊猿(坤)」がないとおかしいのです。

           

          私はこの世の地位や身分でその人の魂を判断してはいけないと言っているのは、私自身豊受姫から私の母親の神力は豊受姫より上と聞かされても信じられませんでしたが、その母親がこの世を去る半年前から母親に豊国姫と思われる霊が出て来ておられるのを見て、大本教の出口王仁三郎聖師が一部の信徒達に死守せよと命じた土地を私の母親が苦労の末に買ったのも、全ては神界の仕組みの一環だったのかと認識させられたしだいからです。

          大本教で出した坤金神の豊国姫は日本神話における伊弉冉尊と同じ様な存在になりますので、伊弉冉尊が「黄泉国」を知る立場ならば、豊国姫の分魂であった私の母親が奈落の底まで降りて行ったとしても別に不思議ではありません。

           

          その母親が奈落の底に行き着くまでに見た地獄とは、牛頭馬頭の鬼が罪人を苛んでいる世界ではなかったのです。当然に光が無い暗闇の様な世界で、僅かな明かりの中で見た地獄の住人達は【魂が抜けた】よう腑抜けのような人達がヨロヨロ歩いていたり、寝ていたりボケッとしている世界だったと言います。

          その光景を見た私の母親は、あんな地獄だけは絶対に行きたくないと言いました。あんな世界に住むのはもう人間じゃないです。

          私はそれを聞いた時、その地獄ならば私も過去に見た世界と解りました。簡単に言うと、

           

          私も見た地獄は映画の「ゾンビ」の様な存在の人が集まる世界

           

          私はかって何人かの霊能力者の方達から、ある教祖に出会って欲しいと頼まれて、東京に行って出会いました。その教祖は、単に私の名刺を見ただけで何も言いませんでしたが、その教祖の周りを取り巻いている熱狂的な信徒達を見ると、その頭には白の三角頭巾。この教祖は信徒達を皆、亡者道に行かせると解りました。墜ちて行く先は、そうした「ゾンビ」の様な人の姿の状態の世界にです。

          その教祖はその教祖を一時は崇めていた女性霊能者に、自分は地獄に墜ちるであろう。その地獄に信者達も引き連れて行き、地獄で自分の王国を造る。貴女も一緒にその地獄に行こうと誘ったので、その女性霊能者が断ったところ自分を離してくれないと告げて来られたので、陰からその引き離しを神仏にお願いしたことがあります。

           

          悪魔と契約をすれば、自分の魂を食べられるがこの世での幸せを得られる等と言われています。もうこの世には出られないような状態を言うのかも知れません。ただ、生きているだけ。死ぬことも出来ないのです。

          死後の霊的世界において地縛化した霊は、同じ行為を繰り返していることが報告されています。霊の地縛化(幽霊として出て来る)は、自殺をすれば陥るとされています。そして、同じ光景を繰り返しているとされます。すなわち、ゾンビと同じと言えます。

           

          この世には、この世の地獄と呼ばれるような辛い環境もあります。しかし、霊界に入って映画の「ゾンビ」のような状態になって、どれほどの時間か解らない状態で暮らすよりも、この世の地獄の方がどれだけましかです。

          この地獄の「ゾンビ」の様な世界を見た方は、私や私の母親以外にもおられるようで、どなたもあんな世界には絶対に行きたくないと言われます。あまりにもおぞましい光景なのです。魂が無くなるとは、生ける屍と言えます。

           

          この世の地獄には終わりの日があるが

          あの世の地獄には終わりがあるとは言い切れない

           

          私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【人は死んで産まれるを繰り返す。この世に居る時間とは魂の命からすると僅かな時間に過ぎない。その僅かな時間に「刹那心」に溺れてはいけない。刹那心に溺れると自分の魂を腐らせる】と告げられました。

          魂が腐ってしまいますと、もう人としてこの世に出ることはないのです。

           

          どんなにこの世で置かれた環境が劣悪でも

          それに立ち向かう勇気が要るのです

           

          天国は「禄(6)の世界」で、この世は「苦(9)」界です。天国で「禄(火水)」の花を咲かせるには、この世の「苦」を逆転させなければならないのです。この世では幸せばかりで、あの世でも幸せばかりは、あり得ないのです。

          日月神示などでは「でんぐり返し」の言葉があるようですが、【6と9】のでんぐり返しもあるのです。

           

          天国での花を咲かせるには、この世の「苦労」を積ことです

           

           

           

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