2018年は【祓】の犬年で、2019年の猪年は【獣の者】と【亥】の者とに別れ?

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    明治25年(西暦1892年・いち早くに)に世の大立替を宣伝した大本教から、艮(丑寅)金神国常立尊と坤(未申)金神豊国姫の存在が世に出されました。

    国常立尊の神名は日本書紀には初発の神として、古事記では最初が「天之御中主」で、別天津神の後に神世七代の最初の神として「豊雲野尊」と共に出て来ます。だが、記紀神話では「豊国姫」と呼ばれる存在は出て来ておりません。大本教が最初かと考えられます。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【日本神話は私が創作させたものであって事実には有らず。何故に私がそうしたことを仕組んだのか?。そなたはその意味を紐解きなさい】と告げられました。

    また、私の霊界修業のお世話になった豊受姫からも、日本神話は事実にはあらずと承りました。神話とは時の権力者の都合が良いように何等かの作為がなされたものであることは、世界の神話を見てもそれは言えます。神話から真実を掴むなど困難と言えます。まして、今の世に出ておられる比較的若い末端の御神霊達は、それが事実だとまで思い込んで居られる節があります。

     

    大本教から出された【艮(丑寅)】と【坤(未申)】は、十二の方位と時を示した言葉でもあります。

     

    子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥

     

    そこに、誰も考えなかったのでしょうが、何故に一年間は365日で、一日は24時間で、24×60分で、一分は60秒であらねばならないのか?。

     

    そんなこと、誰が決めたのでしょうか?。誰がそれを見つけたのでしょうか?。今日まで、私達はその説明を誰かから聞いたでしょうか?。どこを調べても解らないのに西洋でも日本でも時計は「12」の数値を持っているわけです。そこには宇宙の【法(のり)】があります。

     

    私が西暦1998年に見せられたものは【神の時計】であり、大本教霊界物語に記載された、主の神は約【三十五万年前に御引退】で、神の時計を見ていてとんでもないことを知ったのです。

    そこに大本教出口王仁三郎聖師の遺言とされる【時節を待っていたならば、みのか尾張の国から現れる誠の女子】の意味があったとも言えます。【言霊】は言葉の構成ですが、【数霊(かずたま)】と呼ばれる存在も霊的世界では働きを持っていることは知られています。

    そこに【言霊】と【数霊】が密接に絡み合っているとも言えます。

     

     

     

     

    私が昨年見せられたことは、西暦2018年の【戌(犬)年は祓いの年】であり、次の西暦2019年は【猪(獣の者)の年であり、亥の年】となるです。

     

    私の夢に【馬小屋の救世主】ではなくて、女子で【豚小屋の救世主】と出て来た時には何の意味かと考え込んでしまいました。豚に掛かる意味は「猪」です。豚は元は猪からの改良です。猪には【獣】偏の漢字が出ますが、豚の漢字には獣偏がありません。すなわち、豚は【獣偏】たる存在では無くなったなのです。

     

    猪(獣の者)とは

     

    人の顔をしていても、その魂は獣(毛物)のことであり

     

    亥の者とは、亥は【核】を意味しており

     

    人に内在する魂の核(天帝の分魂で良心神)が表に出ている者 

     

    この【亥】の漢字だけを見ていると、あまり意味がよく解りません。大本教からウシトラ(丑寅)とヒツジサル(未申)が出されましたが、丑寅は神が掛けた【紐によって演じ(劇)る】意味であり、未申は【未来を申す】様に、【亥】に関わる漢字を見ることによって意味が解るようになってはいるのです。

    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれ世界で唯一つの国であり、そなはそれを見て人々に告げなさい】と、言われたことでもあるからです。

    大本教神諭に、この仕組みに三千年かかったとありますが、大本教霊界物語の【中国の盤古大神から、国祖国常立尊に神界の大政奉還(返還)】とは、漢字の変換であり、漢字で言葉の仕組みを組み立ててきたのは実は中国の盤古大神ではなくて国常立尊であり、言葉の仕組みは日本で紐解けるものだからです。

     

    私達は時間のことを【時刻】と言います。この「刻」は【亥の刑】で【きざむ】ということです。そして時計は時を刻んでいるのです。

    また、刻は獣の皮を刻剥する。そこから【苛刻(苛酷)】の言葉が出ます。

     

    創造神は私達に神とも成る為に【犠牲】を課しておられました

     

    その犠牲は、犠牲の漢字を見れば【牛】と【羊】が出て来ます

     

    しかし、今回やっと私に解ったのですが、犠牲と云う漢字以外に犠牲の示しの働きとして【豚】がありました。確かに、牛、羊、豚は私達に肉として食べられているのです。私はどうして牛と羊だけが犠牲で、豚はどこに行ったのかと首を傾げてはいたのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師は【漢字】の研究をされていましたが、出口なお開祖派の過激な信徒達は大本教神諭が「ひら仮名」であったので、「ひら仮名」を重んじるのではなくて漢字を研究をしているで出口王仁三郎聖師の住まいを襲い、その研究書を全て燃やすという事件がありました。

    それらの信徒は、日本の「ひら仮名」が【漢字】を元にして創られたものであることすら何も理解していなかったと言えます。信仰の狂信が起こしたのです。

     

    この場合重要なのは「豚」の漢字ではなく、肉月が無い【豕】の漢字です。この「豕」がどの漢字に使われているかに意味があると言えます。

    一番解りやすいのは【スイ】の漢字ですが、これは通常のPC上では出せません。紙に書かれたものでしか解りません。隧道(墓に通じる道・トンネル)の【隧】の漢字の一番右の部分の漢字です。

    私が子供の頃、トンネルのことを【豚(トン)が寝る(ネル)】などと言っておりました。それは単に語呂合わせなどと思っておりましたが、漢字としても意味を持っていたと言えます。

    この【スイ】の漢字は、犠牲として殺された獣によって願うことで、願いを達成する意味が【遂行】なのです。古代において、神に何等かの動物を犠牲に差し出して願うはシャーマン達がして来ました。すなわち「豚」もまた犠牲と言えます。

     

    私達は【切磋琢磨】という言葉を知ります。切は刻む。磋はとぐ。琢は打つ。磨はみがく。私達の【魂】はこの社会で、刻まれて打たれて研ぎ磨かれるのです。琢の字そのものは【玉を遂行】させるなのです。

    スピリチュアルで【何をしても神の愛で赦されます】と説いている存在は、真逆の道を教えている者達なのです。霊界には【正負の原則(目には目を、歯には歯を)があり】。それらは私達に【カルマ】として起きています。それを無視続けるということは、そうした人達の教えに従うと案内されるのは【墜ちる】道なのです。

    何も知らない人達は神社仏閣に参拝すれば、そこに正しい神仏霊が存在しているとばかり思っています。今の神霊世界は【力の強い者が勝つ】の獣の論理が支配しているのです。

     

    今年の「犬」年は【祓い】の年で、来年の節分までは祓いの期間でしょうが、【祓い】とは魂の表面に付着したゴミやチリ程度の霊的な【ダスト】の除去(祓い)であって、魂を大きく汚して魂から【毛物(獣)】を発生させた【禊ぎ(身削ぎ)】の状態ではありません。来年の節分以降が、人の顔をしていてもその魂は獣(毛物)の者と、そうでない人達を霊的に分離する流れになるのかも知れません。

    西暦2019年節分から各自の救世主たる【魂の核】の動きが世の表面に現れて、その後の西暦2020年に、地、水、火、風、空とされる【五輪】の働きが御臨終に向かい。私が豊受姫から聞かされた【立替の嵐】がやって来るとも考えられます。

     

    その立替の嵐の期間を【楽に越せる】か、【苦しむことになるか】は自分の魂を獣(猪)にしているか、魂の中味の【核(亥)】を出しているかとなります。

     

    その時、人々は神は【むごい仕打ち(刻)をする】と言うのかも知れません。

     

    だが、それは【一時苦のイチジク(無花果)】であり、魂の実りの時となる

     

    イエスの教え、イチジクの葉が色づく頃を知りなさい。

     

     

     

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    この世と地球の霊界は重なり、霊場の霊に移動が起き出している可能性?。に、注意

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      私達は死後の世界を一般的に【あの世】と称していますが、その霊界はどこに在るのだとなります。宇宙の星に行く魂もあれば、この地球に留まる魂もあると言えます。

       

      今の日本では一般的に人は死ぬと【天国】だと云う言い方がなされていますが、それは最近の話で以前の日本では【死者は草場の陰から見守っている】などと云われて来ました。

      また、一部に仏教の理想王国として【シャンバラ帝国】が云われて来ました。仏陀が説いたとされる【理想郷(極楽浄土)】のことだとする説です。この「シャンバラ帝国」とは人は死ねば空の上とされる天国世界では無く【地底王国】とも呼ばれていますが、それは理想王国だとする説もあれば、地底の中だから地獄界ではないかと考える人もあるようです。

       

      西洋で言う天国とは【パラダイス(楽園)】の意味であり、仏教で言えば【極楽】ですが、それは「空の上」だと勘違いしたのが人は死ねば「天国」論と言えます。別に「パラダイス(楽園)」は空の上とは限らないのです。

       

      地球に関わる霊界は、この地球と重なる様に層として存在する

       

      地球の内部に霊界が存在すること自体も、何の不思議でもない

       

      私は霊能者と呼ばれるほどの霊能者ではありませんが、熊野本宮の元跡地や各地の瀧場や神社等から地底に降りる道があることを霊的に見たことがあります。それは俗に言われる【亡者道】とは別の道とは言えます。神霊達そのものが地下に存在するです。

      伏見稲荷山に行くと一万基とも称されるお塚群があります。死者を葬る【墓石】的なものです。そのお塚に祀られている神霊や白狐等の眷属霊はどこに居るかとなります。死ねば天国の空中でしょうか?。地球の地下内部が地獄界だと決めつけるのは理解不足と言えます。

      そうした霊的な道を見た時、出来ることならばこの肉体から魂(意識)を脱いで、その世界がどうなっているのか見たいという好奇心はあったのですが、如何せんそうした時に限って肉体から自己の魂を飛ばせないとなります。

       

      元の熊野本宮跡地にある二つの石塔の一つから白いモヤの様な物が現れて、私と同行していた女性を覆ったので何事かと御本人に聞くと、二人の白いドレス(日本の飛鳥天平時代の貴族女性の様な衣装)の女性霊が、その石塔から現れて自分をその石塔の中に連れ込もうとしたので振り払ったと言います。そこで私は、せっかくのチャンスだったので、その石塔の中から地底に入って見聞してくれば良かったのにと言ったことがあります。

      そうした霊能力がある人は、そうした世界を見聞するのも霊界を知る貴重な体験になるからです。無論そうした時には肉体は失神状態になりますが、そこは元に肉体にその魂を戻す自信はあったのです。私は霊能者はしていませんが、私の背後にはそれが出来るだけの霊達が存在しているからです。

      私は霊能者から幾度か命を狙われましたが、その攻撃から命を守ってくれたのもそうした守護霊達のおかげです。

       

      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、社会人となって霊的世界に修行に飛び込んだところ、豊受姫を初めとして7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は「国常立尊」様ですと告げられて、それは旧約聖書の神と同一神でないのだろうかという考えに立ちました。

      そうした中で私に告げられたことは、【みろくの世】とはこの地球ではなくて、未だ人類が知ることが無いこの地球と同型(瓜二つ)の【新地球】であると告げられたのですが、そんな途方も無い話を信じる等は霊に【騙されている】と言われたならば、その可能性は否定は出来ません。しかし、今の人類は霊的世界に対してあまりにも無知であり、もっと霊界を知る必要はあるのです。

      ただ、私は日本語であれ【言葉の仕組み】を知った時、これは単なる霊。神社等に鎮まっている神霊では無理だと気づかされて、単なる霊の存在云々ではなく【言葉の仕組み】をした神の存在があると確信に至ったなのです。

       

      私はUFO肯定派の者です。実際にUFOを見るではありませんが、自分の夢の中ではよくUFOが出て来ます。それもUFOの大軍団の来襲です。最終局面では夜空を覆い尽くすほどのUFO群団が出現するのではないかと見ています。ノストラダムス予言の【恐怖の宇宙大王】の正体です。

      こうしたUFOは宇宙の彼方の星から母船と共に来る物もあれば。この地球の地底に存在するとする説もあります。私達が持っている科学の常識からすれば地底にそうしたUFO基地がある等は納得し難いでしょうが、次元が違って来るとそれも可能となります。

      私の2番目の師匠は、日本の幾つかの山である地名を上げて、そこにはUFOの出入口があると言っておりましたが、【シャンバラ帝国(地底王国)】があるとするならば、そうしたこともありえるなのです。

       

      私の自宅を2回も訪れてくれた精神世界系列の霊能力者の人気ブロガーさんが、私の自宅の神棚に出て来た白狐霊から、【この家の神棚を通した地下は忍者屋敷のようなもので道には秘密のカラクリが幾重にも施されており、霊能者だからと言ってこの家の下の地下世界の様子を知ることは出来ない。】と告げられたと私に語ってくれました。

      私は自分が住んでいる自宅の地下のことは解りかねますが、前に住んでいた家では横に天之御中主を祭る神社があり、私の家の横に霊的な地下に降りる道は見ました。そうした地下に降りる道がある場所が【霊場】等と呼ばれていたりします。

       

      大本教から出された世の大立替説は、正神界も邪神界もそれは三次元世界の終わりであり、人類が五次元世界に向かうは一致しており、その時には聖書に記載される今の太陽は輝いていないで、国常立尊派は新地球に移行して、反国常立尊派はこの地球内に人工太陽を創り自分達の帝国を築くで動いてはいるのです。元々、地底王国とされるシャンバラ帝国も人工太陽で明かりを持っているとする説もあります。

      この反国常立尊派の霊能者の方達はある【マーク】を使いますので、それで見分けがつきます。この派は国常立尊を唯一神と拝することはしません。反国常立尊を鮮明にしています。そこには多くの実践霊能者達も参画しています。しかし、最近はそのマークそのものをあまり見かけなくなって来ました。霊的世界で何か変化が起きている可能性があります。

       

       

      アメリカの貿易センタービルに旅客機を乗っ取ったイスラム教過激派のテロ一味がビルに突っ込む同時多発テロを起こし、これは【9.11事件】として人々の脳裏に焼き付きましたが、この事件の前に私の最初の師匠に不思議な出来事が起きました。

      私はその当時はその師匠の元を離れていましたので、後日、その話をその師匠から直接に聞いたしだいです。それを後付け話と言われれば、それもいいでしょう。後付けの話は何とでも言えるからです。

      ただ、私が霊界修業のお世話になった豊受姫は、阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前にその師匠に告げていた存在です。頭から後付け話だと否定も出来ません。【9.11事件】の数日前、その師匠に豊受姫が不思議なことを言われたとその師匠が私に言いました。

      それは、【代、そなたには少しの間だが眠って貰わなければならない。】です。その師匠は豊受姫の言葉には絶対服従だったので眠りに就くことを了解されて、神社の社務所は当分の間は留守なので相談お断りとしたのです。神社の境内地にある自宅も鍵を閉めて、誰も家に来ないようにしたのです。

       

      その師匠が目覚めて、自分はいったい何日間眠っていたのだろうとテレビをつけると、そこに映し出された映像は【9.11事件】のアメリカの貿易センタービルに乗っ取られた旅客機が突っ込んで貿易センタービルが崩れ落ちる悲惨な光景です。

      そこで、その師匠は慌てて社務所の祭壇に額づいて豊受姫から話を聞くと、アメリカの貿易センタービルは多数の霊が眠る霊場の上に建っており、【9.11事件】が起きることは豊受姫は事前に解っており、その霊場にこのテロで亡くなった霊達を収容するので、以前からその地に居た霊を別の場所に移行させる為に、その霊達の浄化を代の肉体を持ってした。その為の代の眠りである。】と告げられたと私に言うのです。

       

      そんな話は一般的にはにわかには信じられる話でないことぐらいは、私も重々解っています。ただ、その地に居た霊を他所に移行させる為に霊媒質者の肉体を使って霊を浄化させることで、その霊媒質者が眠るということはあります。現に私はそうした作業を長年して来たのです。

      私は子供の頃、どうして自分はこんなに眠るのだろうかと不思議に思ってましたが、その師匠に出会って他者の霊(自分を供養してくれる肉体の子孫を持たない霊)の為に、そうした浄化浄霊作業があることを知ったのです。

       

      最近、とある話を聞くようになって来ました。そこに霊が居た(霊力を感じた)と思われる場所に霊の存在を感じなくなった。これまでは霊を感じなかった場所で霊の存在を感じるなどの話です。つまり、霊が住む場所を移動したのではないかと言う話です。

      この手の話は以前からありました。そこには元々は神霊が存在していたが、その神社が何時の間にか空の神社になっているです。こうした【空神社】の存在は霊能者サイドからかなりの報告がされていました。そこにある疑問がなされていました。

       

      神社に鎮座していた神霊達どこに行ったのかです

       

      私が前々回に伏見稲荷山に上がった時、荒れ果てたお塚を見て、そこにはもう本来の祭神たる稲荷の神霊が居らず。仕えるべき主(ぬし)神達が居なくなった眷属の白狐霊達を大量に引き取って帰って来たがありました。その白狐霊達のことを書いたのが私がブログの4番目の記事になりますので、今から七年も前の話になります。

      その中で私が首を捻ったのは、これらの白狐霊が仕えてた主(ぬし)たる稲荷神は自分の部下達を稲荷山に残して、いったいどこに行ったのだ!。です。そうしたことに関しては、一部で神霊達の引き上げが起きているとの説はありました。

       

      その後、一時は寂れて露店も減った伏見稲荷山は信仰の山から外国人の観光地のようになり人の数は賑わっています。今はこの世から去りましたが豊受姫のお代であった最初の師匠の著本であったかと思いますが、その師匠が伏見稲荷山は信仰心を持たない外国人が大量に来る観光の山となったことで、白狐霊達が外国人を恐れてその姿を見せなくなったと書いています。

      私は霊能者商売をしている者ではなく、一介の霊界見聞者にしか過ぎません。私が神霊世界から見せられる光景には限りがありますし、何もかも語れる者ではありません。ただ、今は神社巡りは卒業して神社参拝もしておりませんが、観光で訪れた神社仏閣で、ここにはもう本当の神霊は存在していないのではないだろうかと感じる場所が増えています。

       

       

      今年(西暦2018年)の9月上旬、伏見稲荷山は台風30号により、甚大な被害に見舞われました。一週間ほど閉山を余儀なくされたようですが、私が修業時代にお世話になった豊受姫たる伏見稲荷山三ノ峰の白菊社のお塚もひどい惨状となったようてす。

      かなり前ですが、私はある事柄で京都市を直撃予想の台風を豊受姫に対して、その事柄が神界で必要な事案であるならば台風の進路を変えてくださいと願ったことがあります。すると、和歌山の手前で京都市を直撃予想の台風が右に変わるという気象予想を外れるコースを取ったがあります。

      その頼みとは私個人のことではなく、神界に関わる重大な出来事だからお頼みしたことですが、そうした力を持った豊受姫が首座神の伏見稲荷山に、何故にあれほどの被害が起きたのかとなります。

      大本教が時の官憲の手により、神殿群はダイナマイトで爆破される等の大弾圧事件がありましたが、大本教の出口王仁三郎聖師は大本教が潰されることが、それまでの日本の国のカルマの解消になったと述べておられます。前回のブログに書いた【代物弁済】が起きたか?。です。

       

      磁場たる霊場も霊力が強ければ、自然災害の猛威を防ぎます

       

      しかし、その磁場たる霊力が弱くなっていると自然の猛威には逆らえないが起きて来ます。

      鰯の頭も信心からと言いますが、お釈迦様もイエスも【偶像信仰】を禁じられましたが、偶像も多くの人がそれに対する祈りを捧げれば霊が宿り、その霊力も増します。それは、祈りたる祝詞や御経の言葉には【言霊の光】が存在するからです。

      私は修業時代、神霊から祝詞や御経を要求されるがありました。それがそこに居る神霊の力ともなるからでした。神霊に願い事ばかりをする人の祝詞や御経は神霊に対してもマイナスに働きます。モウ人々がいくら感謝心で祈っても手遅れ状態になっていると思わなければなりません。

       

      人々が神仏に対する感謝の祈りを忘れて来ると、災害の被害も大きくなる

       

      私は霊能者をしているのではないので断言は出来ませんが、全国的にも有名な霊場の幾つかは、昔に比べるとその面影がありません。寂れています。参拝者の数も以前と違って大きく減って茶店などもシャッターが降りています。門前町そのものが廃れているです。某霊場は以前は参道に多数のお店がありましたが、今は一軒も残っていないがあります。

      それに反して、新興宗教は次から次へと起きて信徒で賑わっています。はっきりと現世御利益的なことが出るからでしょう。しかし、そこに鎮まる神霊の正体を知るならば、とても危なくて近づけないとなります。

       

      人は現金なもので、現世御利益がたっぷりあるとその神社仏閣に参拝して来られます。だが、さほど御利益が無いとなると、手のひら返しとなります。参拝者を対象にした食堂や売店が次々と潰れて行きます。広大な参拝者用の駐車場も、正月以外はがら空きとなっているのが今の現状です。それらは私が最初に行った時からさほど時間は経ってはいないのです。大きな様変わりを起こしたと言えます。

      そこに、本来は存在すべき神霊がモウそこには存在して居なくなって来ていると感じられるのです。 あるいは、そこに居た神霊が別の場所に行った?。それは霊界に大きな変革が起きて来ている可能性を否定出来なくなって来ているとも言えるのです。

       

       

       

       

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      輪廻転生における過去世のカルマの代物弁済

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        人の魂は基本としては「輪廻転生」をしています。しかし、それは全ての魂に当てはまるのかと言うと、魂を腐らせたり捻らせて破砕される魂も存在します。そうした魂がどうなるかを言われる霊能者の方は数が少ないと言えます。ほとんどの霊感者レベルだとそこまで知らないなのです。

        もし、そうしたことが解っていれば、スピリチュアルの【神は愛だ!。光だ!。何をしても神の愛で赦されます】のお題目は言えるはずがないからです。それでは、魂のことが何も解っていないとなります。

         

        それよりも、その人の魂を腐らせたり捻れることがないように教えをします。魂を汚す悪だけであれば、魂そのものは残ります。つまり【悔い改める】の教えが主体にならなければ嘘だからです。

         

        イエスも【神の世は近い。悔い改めよ】が本来の教えでしたが、蛇霊達に支配された後世の牧師達の会議によって、その言葉は書き換えられて、イエス一人が神の子で、イエス一人を神の子だと認める者だけが人類の原罪(蛇の囁き)から赦されて神の御国に入るのデッチ上げ教義がなされたと言えます。

        大本教から、【人は神の子・神の宮】と出されたことは、宗教的に言えば革命に等しいことを言ったのです。それは仏教における人は死ねば誰でも「仏」様だとは意味が違うからです。神界と呼ばれる世界があることも示唆したのです。

         

        私が初めて伏見稲荷山に最初の師匠に連れられて上がった時、その師匠は【自分の講員(信徒)の信仰態度はどうでしょうかと】私に尋ねられたので、私は【一人一人の講員さんの信仰態度は熱心であられる。感心はしました。だが、その信仰態度は神様から何かをしてもらいたいという現世御利益を求めての信仰です。それでは自分が神とも成れません】と答えたのです。

        すると、その師匠は私の言葉に驚いて、【人は神に成れるのですか?】と聞かれましたので、私は【人は神とも成れます。だが、現世御利益信仰であるならば、その神霊以上の神には成れません。神の世界に対して自分が何をするかで、そうした現世御利益の神達よりも上の世界の神と成れます。】と答えのです。

        その師匠は私のその言葉を聞くと、【さすがに神その方の言葉は違う】と言ったのです。その時、私は「人は蛇霊や狐霊の神よりも上の神界に行けますよ」と言おうとしましたが、新入りの私が口にすべきではないと止めました。しかし、私が神その方とは何だ?。です。

        その師匠に初めて出会った時、貴方は【白龍神の御子】ですと告げられており、自分は白龍神かと首を傾げていました。後日、私は自分が【白龍】として存在したことも知ったなのです。

         

        その後に伏見稲荷山にて、その師匠の口を通じて稲荷神界首座神の豊受姫より【貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方。貴方の言葉による教えは「天帝の詔(みことのり)」と同じであり、貴方の言葉による教えに従えない神は、如何なる神であろうとも天帝に対する反逆罪として天帝から裁かれます。】と告げられたしだいです。

        私はそれまで【言葉の神】など聞いたことがない神なので、何事かと首を掲げたのですが、外国に【異国の人が異国の言葉で主を語る。その人はその国では言葉の君と呼ばれている。言葉の君は自分は主を知らないと言うが、万軍の主は言葉の君のことを知っていて、全ての裁きを終えた後に言葉の君を万軍の主の元に呼び寄せる。その時を以てユダヤ人は救われる。】とするものを思い出して、そう名乗ったしだいです。

        私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたを終わりの日には私の側に来させる。その日まで私はそなたには私の力は何も授けない。】と告げられてもいたからです。為に、終わりの日までは私は万軍の主を知る立場ではないのです。

         

        私が何故にその内容を覚えていたかと言うと、「ユダヤ人」を救う存在に興味を持ったことで覚えていたのです。また、【異国の言葉】と呼ばれる内容からです。もしかすると、その言葉とは【日本語】かです。私が子供の頃、私に臨んでいた霊声の主は、旧約聖書の神と称していたからです。ユダヤ人と旧約聖書の神の関係からです。 

        しかし、それで私が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を誠で紐解くとは想像すらしていなかった話なのです。 大本教神諭には、【人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず】とありますが、それを知らずに口に出していたとも言えます。

         

        みろくの世と宣伝されて来たことは、私達の魂が高次元世界に転出することではあるのですが、為には各自の魂が持つ【カルマ】が精算されなければなりません。最終的には全ての魂に対してカルマの精算に入りますので、それが終われば全ての魂はみろくの世に入るとはなりますが、この魂の精算の【浄化浄霊】が激烈を極めることになります。とても苦しいものなのです。

        為に、その精算の日が来る前に魂の浄化を進めておくことが良いわけです。そうすればその時を楽に越せるからです。その一番良い方法が創造神の存在を認識して、世の為に人の為にと奉仕する【世根(米)】と成ることなのです。

         

        大本教の出口王仁三郎聖師は「良心神」を直接に出さずとも、その代行として【愛善】と説かれたのです。 つまり「神の愛」で何をしても赦されるではなく、自分自身が他者に対して「愛をもって善」を施すです。ならば、働きとして「良心」神の代行となります。そこには単なる愛の言葉のお題目ではなく、【善】の施しがないと良心神の働きとは認められないのです。

        何故にそれが有効かと言いますと、良心(愛善)の行動は【自己犠牲】を伴っているからです。そこに来るのが【義(良心)】なのです。

         

         

        神の祭壇に「牛と羊の血を捧げ」は【犠牲】の言葉の意味で

         

        旧約聖書、義の者が一人も居なければ私はこの世を終わらせる

         

        大本教の出口王仁三郎聖師の演技から、救世主は【源の義経】のことだとされて、巷には自分の前世がその源の義経であったと呼称している霊能者の方達は幾人もありますが、その意味が解っておられないのです。

         

        源の義経とは、【我れは羊(義)】の経が源の意味

         

        義(良心による犠牲心)の人達は、神の世界へと上がって行く

         

         

         

        自己の魂のカルマや自分や家系のカルマの代物弁済として認められる事柄。

         

        一つに、自分の持っている財の中で、余力があれば弱き者に対する施しをするです。

         この自分より弱い他者に対する施しは、仏教では古来より説かれて来ました。

         イエスの教えの金持ちが天国に行くのは針の穴をラクダを通すようなものだではなく、

         金持ちであれば貧しい国の子供達の為に教育や生活改善に大金を出せます。世に恩返しです。

         先祖霊に問題があった場合は、先祖の名前の元で社会福祉に寄進するのが有効なのです。

         その場合は「地獄沙汰」が変わります。これが「地獄の沙汰も金次第」の由縁。

         

        一つに、神仏の存在を認識して、霊に祝詞や御経を差し上げる。

         これは御経や祝詞は【言霊】の働きであり、神霊や霊を清める働きがあるからです。  

         祈りとは自分に幸せを下さいではなく、世の為に人の為に祈る。経を唱える。

         自分の御利益の為ではなく、神仏や霊を助ける力となるからです。

         先祖霊の供養に自分が御経を上げるのもその一環です。言霊には光が宿るからです。

         

        一つに、自己の命を犠牲にして、他者の命を救う。

         こうしたことは仏教における【捨身飼虎】でも説かれて来たことです。

         この世で【義】で亡くなった人達は神上がりをしているがその証明なのです。

         

        一つに、言わずもなの社会に対する【奉仕活動】。世根(米)の働きです。

         こうした社会に対する「奉仕活動」はどの宗教でも説きます。

         仮にその教団が蛇霊神教団であっても個人の社会奉仕活動は有効に働きます。

         

        一つに、宗教家に「贖罪」で大金を出して自己の魂や家系のカルマの罪を売る。

         どの宗教でも「贖罪」を説きます。日本最大の宗教組織と思われる教団は、

         金を出せ。金を出せ。金を出さないと地獄に墜ちぞると説かれていますが、

         大金で教団指導者がその罪を被ってくれて、地獄は宗教家で一杯だとなります。

         

        一つに、社会に役立つ仕事に就く。

         特に人の命に関わるような職。警察官、消防士、自衛官等の命を落としかねない仕事。

         医師や看護師などの犠牲で成り立つ使命感を持った職。人を育てる使命感の教師等。

         一つの道を究める匠や職人なども社会に貢献して行きます。

         世に社会の底辺と揶揄される職業でも、社会に絶対必要な汚い辛い仕事をする。

         自分は汚い仕事は嫌だで、汚れないことを求める人の地獄行きが証明論。

         大本教の出口王仁三郎聖師、世の立替とは【牛の糞が天下を取るようなものだ】。

         世間から、どこの馬の骨か牛の糞と言われても、コツコツと社会の底辺でやり遂げる。

         

        今の世は、天国ではなくて逆に地獄界に行く道を選んでいる方が多いので、地獄界に落ちるケースを語った方が早いのかも知れません。

         

        私は稲荷神界を経て、言霊師の元に修業に入りました。その当時、夜に寝ようとすると多数の霊が【言い訳】をする声が聞こえて来て、あまりにも多数の霊の声が一度に弁明して来ますので眠れません。私は十人の声を一度に聞けたと言われる聖徳太子ではありません。そこで、当時の2番目の師匠に相談すると、【お前は地獄閻魔庁の判官でもあり、地獄界の天使だから、自分の罪を軽くして貰おうとお前の元に地獄に落ちた霊達が押しかけて来るからだ。夜でなく昼に来いと宣言すれば来なくなる】と言います。そこでそう宣言したならば、夜に無数の声の言い訳は来なくなりました。

         

        私はその2番目の師匠から【地獄界の天使】と呼ばれた言葉そのものは嬉しくありませんでしたが、私の背後には【閻魔大王】が居られることは解っています。自分ほど凄い霊能者は世に居ないと豪語して、生き霊で仲間と私を殺しに来た霊能者がその背後の天狗霊共々、閻魔庁の役人から御用と捕まえられたなどがあります。

         

        閻魔庁とは悪人や悪神を直接に捕まえる神界の警察ではなく、その魂が来世に人としてこの世に出して欲しい場合には羅城の【来世門】をくぐる為に出頭して来る霊界の役所です。ですから霊界で悪神達はこの世に人として転生を望まない限り存在して来ます。

         

        そこに【閻魔大王】の別名を【来世を授ける】羅城の【羅(ラ)王】とも申し上げているのです。

         

        羅城門のことを【来世門】と言うのもそこにあります。

         

        その来世門の門番たる邏卒が【鬼】と呼ばれ、【節分の煎り豆で鬼は外】と打たれているなのです。

         

         

        宇志採羅根真(ウシトラ金神)の九鬼神道の江戸時代の綾部藩では

         

        福は外、鬼は内

         

        現代の綾部藩の総氏神社であった神社では節分祭は行いません。福は外。鬼は内など意味が解らないから言えないのです。さりとて節分で鬼は外などはその神社の由来からしても出来ません。節分の煎り豆で、創造神を追うなどの行為は出来ないからです。

        なお、大本教では鬼は外ではなく、【福は内、鬼も内】で節分祭を行っています。

         

         

         

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        毒には毒をもって制する。蛇霊退治に強い蛇霊を持って制するで起きる新興宗教

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          私達は【毒を持って毒を制する】という言葉を知ります。薬は「毒」だという論が生じるのも、薬にはそれなりの毒の要素があるからです。だからと言って、薬を飲まないよりも飲んだ方が効き目があるわけです。

          そうしたことによる薬の弊害が【副作用】ですが、それをもって薬は不要論は行き過ぎとなります。薬を飲まないで自分のこの世での命を縮めるよりも、少しでも長く生きた方がいいからです。

          この世に長く生きているほど、【悔い改める】学びもチャンスも出て来ます。

           

          この「毒をもって毒を制する」は、自己を襲う悪しきものを制する為に、他の悪を利用する手法の意味にも使われます。

           

          例えば、自分がチンピラや暴力的な人から因縁をつけられたり脅かされた時、過去にはそれを排除する為に【ヤクザ】にお願いするがありました。結果、そのヤクザに恩義が出来て、なかなかヤクザと手が切れないが起きます。

          これまで大企業等と総会屋などのヤクザの間には持ちつ持たれつの関係がありました。政治家も然りです。だが、それは許されない時代となって、何時までヤクザ稼業が残るかです。

           

          暴力の排除を【893(ヤクザ)】に頼み。病の排除を【薬座(893)】に依頼する。薬も飲み出すとなかなか縁が切れません。薬とヤクザ(893)の間には、言葉による不思議な関係があるのです。

           

          宗教は一種の【麻薬】と言われて来ました 

           

          薬で【人の苦しみ痛みを緩和させる】

           

          宗教での【覚醒】、薬での【覚醒】剤

           

          スピリチュアルでは「覚醒」しなさいと盛んに説いています。一方、私達は麻薬などの「覚醒」剤が危険な薬物であることも認識しています。どちらも同じ【覚醒】です。何故に、同じ【覚醒】の言葉が使われて来たのか?。

          日本神道では【祓い串】として「大麻(おおぬさ)」が使用されます。刑法の大麻とは別物ではあるのですが、日本は国際条約に加盟しており、「大麻」栽培は禁止されていますが、神事に使われる「大麻」や麻繊維の収穫の為だけは免許制で栽培が許可されています。

           

          元々、大麻は宗教の世界では利用されて来ました。精神を「覚醒」させる効能です。精神を落ち着かせる薬効の反面、ありもしない幻影を見るなどがあって、薬物中毒で人を殺せなどの幻声を聞いて犯罪の引き金となる事件も起きています。それと同様に精神世界に入って覚醒による【毒される】も起きて来ます。

           

          覚醒は「薬」にもなれば、「毒」ともなる

           

          私が神霊世界の修業をしている時、幾多の【霊障】の事柄に関わりました。その多くは「蛇霊」による障りでした。しかし、それは全て蛇霊が悪いとは一概には言えなかったのです。【盗人にも三分の理】ありです。

          私が修行中に直接に関わった霊障事件から事例を挙げますと。

           

          時代は明治の初め頃かと思われます。一人の大工の棟梁の元で働いていた大工が屋根から落ちて大怪我をしました。ところがその棟梁はその大工を医師に診せて治療するではなく、ただ寝かせるだけ。食事も働いていないのだからとろくろくに与えずに、その大工は衰弱して死んだのです。

          その大工の霊は恨みから蛇霊と化して、その子孫を根絶やしにするで祟っていたのです。本来はその恨むべき相手は棟梁の大工ですが既に死亡していて、その恨みは子孫達に向かったなのです。そこに起きたのはその子孫の【精神異常】でした。

          その霊障を取るには、その子孫がその霊を【供養】すべき立場でしたが、恨み霊と化していた本人の霊がこちらの説得で自分の恨みを捨ててくれるで、この件は無事に解決したのです。ただ、その異常を起こした方の精神が正常に戻れたかまでは経過日時の関係で把握は出来ていません。霊障が取れたで即元に戻れるではないからです。

           

          蛇霊は全て悪とは片付けられないのです。蛇化した【目的】が何であったかです。

          蛇霊化はその「目的」に対する執着心の度合いとかで起きて来るからです。

           

          もう一つの事例は、当時の私は医療従事者ではなかったのですが医療に関する職場にいまして、肌が蛇のうろこの様な幼児に接しました。一般的には「魚鱗癬」と呼ばれますが、この幼児の場合は「難病」指定となっていました。極端な魚鱗癬でした。

          両親は最初の子がそうした難病指定だったので、次の子を産むのを躊躇されていたのですが、次の子は普通だと思って出産されたら、その子の肌も同じ「魚鱗癬」だったのです。私はその二人の子供を見ていて、これは蛇霊の祟りだと直感して、当時の2番目の師匠の元で「霊査」に入ったのです。

          その結果は、その子の御先祖様が畑で作業をしていて、そこにたまたま居た神霊に仕える神蛇を鎌で斬り殺して、その死骸を吊したのです。相手が神霊に仕えるところの神蛇であったが為に、その蛇霊が祟ったなのです。相手が神蛇霊ともなれば、解決は容易ではありません。

           

          私はその時の二番目の師匠に、この子供達の難病は治せますかと聞いたところ、治すことは出来るが、その両親が治してくださいと頼んでこない限り、かってに治してやることは出来ないと言われます。頼まれてもいないことに勝手な手出しは出来ないです。まして相手は神霊に仕えていた神蛇霊なので、両親の頼み無しでは無理なのです。

          と言って、その両親に霊能者で解決出来ますよと見知らぬ者が言ったならば、某宗教団体のようにニセ霊能者を使って高価な物品を売りつける者と看做されてしまいます。現在の新興宗教はそうした存在が多いからです。

           

          もし、その神蛇霊がこちらの説得に応じない時は、その神蛇霊との戦いになります。そうした神蛇霊には多数の部下霊が存在して来ます。こちらもそれだけの覚悟が要るのです。

          ほとんどのスピリチュアルと称される方達は安易なことばかり言われて、霊界での切った張ったをあまりご存じないと見受けられます。霊界の切った張ったの中で過去にどれだけの霊能者や行者が命を落としたかです。そうした事例をあまりにも御存じないなのです。 

          為に、頼まれもしていないことに、可哀想だからと言って手を出す神霊も霊能者も居ないでしょう。神社に参拝して、神様ならば何で適えてくれると勘違いしている人が多すぎるのです。時には神霊と神霊とがぶつからないと解決出来ないも起きて来るのです。そこに神霊と言えども、力が大切なのです。

           

          神霊世界は霊の力関係で動く、力が無い神は去れ

           

          こうした存在と関わって命を落とされた霊能者や行者はあるのです。よほどの霊力に差がなければ手出しは出来ないのです。私はこうしたことを霊界の切った張ったと言っており、単に霊が見えるでは飛び込めない世界なのです。

          テレビのオーラの泉で霊能者江原啓之さんが、俳優宇梶さんに憑いていた数十体の背後霊集団の攻撃を受けてのびてしまわれて、急遽側に居た美輪明宏さんが九字を切って江原啓之さんを助ける場面がありました。霊界における切った張ったはあの程度では済まないのです。単に霊がよく見えるのと霊達と戦えるのとでは違うのです。

           

           

          その人が過去世から持って来た【カルマ】が原因によるものは、自分が困っているから助けるのが神の務めだと言う論理は、自分勝手な論理なのです。そして、自分を助けないのは悪だと「罵詈雑言」を浴びせて来る人達がいますが、自分が反省すべき立場であることを忘れ去っているのです。

           

          私が最初の師匠の元に居た時、その師匠の御祭神である豊受姫は、病気治しは神の仕事にはあらず。まず、医師の元に行け。医師では治らないとなれば、その時はこの神に頼み込めでした。

          最初の師匠も二番目の師匠も、お金では絶対に動かない方であり、医師で治らない病を治癒しても料金は取らないでしたが、頼まれてもいないことには手を出さないが大原則と言えました。しかし、世の中には大金さえ出せば動いてくれる霊能者もあるなのです。そうした場合は何百万円も取られるとなるのです。

           

          私は霊能者をしている者ではありませんし、何神様かの「お代」をしている立場の者ではありません。為に、そうした能力を何も与えられていません。

          私の任務は創造神と呼ばれる神が存在している。その為の言葉に仕組まれたことを解き明かしているだけであって、自分が困っているから救わないのは悪神だと言われるのであれば、私は悪神と呼ばれても結構ですと言っています。

           

          自分を助けてくれるのが正神で、助けないのは邪神

           

          こうした考えの方は、何を教えてあげてもムダなところがあるのです。

          単に神社に参拝して、神様お願いしますと言ったところで、その頼みが聞き届けられるかと言ったならば、その願い人とその神社の祭神との間に何等かの「縁」がなければ、願いが聞き届けられるはあまりありません。しかし、神の取次をしているお代を通じてその祭神が約束してくれれば、その願いは聞き届けられるのが実情と言えます。

          神霊がその願いを聞き届けるには、頼む人の「熱心」さがあり、その「必死」さがその神に伝わらないと難しいのです。また、神の取次をしている人の存在の心が動かないと、本気では動かないとなります。神社の神主でもなおざりに宜っている人と、心を込めて宜る神主とでは違うと言うことです。僧侶も然りなのです。

           

          日本でもかなり大きな某新興宗教は、優秀な霊能者の間では【邪神の黒龍神群団】だとされています。私も豊受姫からあの宗教団体は【邪教黒龍神】と聞かされました。その信徒達に黒蛇霊を憑けて守りもしますが支配もするです。

          この宗教の開祖の教義は、あちらこちらの宗教のパクりだと言われています。確かにそうなのでしょうが、その背後にそれなりの霊力がある神霊団が存在しないと、その宗教は大きくなりません。その教団に【奇跡力】がなければ、何十万人もの信徒を持てる教団とはならないからです。

          この教団の場合、その背後に存在する神霊は名目上は【宇宙神】でも、力がある黒龍神だとされています。しかも、そうした教団の黒龍神の数は桁外れであり、ある意味そうした数の力が無いと大教団は創れないのです。

           

          多くの人に現れる【霊障】の多くには、蛇霊の祟りとか災いがあります。しかし、それらの霊障は小さな蛇霊からであり、その教団に入信するとそうした小さな蛇霊を巨大な龍神達が排除してくれます。それは、その教団を信じた人には【奇跡】力の現れとなります。自己の霊障が消えるからです。

           

          そこにあるのは、小さな毒を大きな毒で制した

           

          こうした教団で霊能力があり、信徒の内部リーダーをしている人からメールが来ました。その人が見た霊夢に、今の世から新しい世に代わる時、この教団がみろく世に渡すとする船が天から降ってくる火の焼夷弾のようなものでことごとく沈む光景です。一隻とて港を出航できない。このままこの教団に居たならば、自分はみろく世には渡れない。

          だが、その教団の仲間達は皆良い人達であり、いくらこの教団が邪教蛇霊集団だと解っていても、その仲間達を置いてはいけない。どうすればいいのかです。既に脱会した人からは脱会を薦められているが踏ん切りがつかないなのです。

           

          その教団の仲間達はその人の目から見れば、皆、良い人かも知れません。その教団の正体が邪教蛇霊だと解っても、仲間を置いてはいけない。自分は教団に残って内部から立て直して仲間達を救おうと思っても、それらの人達は既にその宗教団体に洗脳されており、個人レベルでは如何ともしがたいなのです。

           

          この教団の売りの一つは、教団の信徒達を【みろく世】に渡すです。おそらく、この方に教団が用意するみろく世行きの船はことごとく焼夷弾ようなもので海の藻屑として沈む光景を見せたのは、この方の家系守護神かと推察されます。しかし、この方は自分の肉体の【情】に囚われている為に、そうした光景を自己の守護神から見せられても脱会の踏ん切りがつかないなのです。

           

          人は情に流されて、道を外すが起きます

           

          この手の教団は【ス】の神を言っていますが、【ス】の神は世界救世教の岡田茂吉開祖が言ったものだと思い込んでいます。ですから、この手の教団からは【ス】の神が大本教から出たと理解出来ていないので、大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】が出て来ません。為に、【みろく】神の意味すら知らないで「みろく世」を言うなのです。

           

          この宗教団体に居た方達が、脱会して幾つかの新興宗教団体を起こされました。そうした教団の一つに所属していた方が、あまりの体の不調で霊能者の元に相談に行ったならば、その霊能者から貴方の背後に黒蛇霊が見えますが、貴方は「蛇神」様を信仰しているのですかと質問されて、自分が信仰していた教団が蛇霊信仰であったかと気づかれて脱会されたがあります。

          その教団に入信した時、蛇霊によって起きていた【霊障】を取って貰った。で、それは宇宙の神であったと思っておられた。だが、それは力の強い蛇霊(黒龍神)が力が弱い蛇霊を制しただけで、根本的な【カルマ】を消すではなかったのです。

           

          ヤクザ(八九三)に助けられて、薬座(八九三)の毒を飲む

           

          そこに気がついたならば、仲間達は皆、良い人だから置いて行けないの情に流されるのではなく、終わりの時は後ろを振り向くな。神の高山に逃げなさいなのです。その神の高山とは国道「41」号線の41で示される言霊の意味なのです。それを【ス】の神として置くか、【ラ】の神として置くかで意味が違うのです。

           

           

           

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          この世における各自の魂の「縁起(演技)」と定めの道(宿命)

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            仏教では【縁起】が説かれます。仏教で説かれる【縁起】とは、

            この世における全ての現象は、原因(因縁)と条件が相互に関係して出て来るというものです。それらは「偶然」的なものではなくて、全て「必然」制を伴っているのです。しかし、今ではかなり学説的になっているので、逆に意味が解りづらくなっています。

             

            この世に起きる出来事は全て偶然ではなくて必然(因)

             

            私達の魂はこの世に肉体を変えて【輪廻転生】という【魂の更生(甦)】を起こしています。魂がこの世に出て来るのは、どこまでも【魂の更生(甦り)】の為です。その必要が無ければ、何もこの世には出て来ないのです。

            そこに、この世に出て来る魂は【出来損ないの魂】などの極論も出ますが、それは違います。そうした存在の魂も見受けられるですが、全ての魂がそうではありません。

            魂の「更生(甦り)」は、その更生しなければならない【因業(カルマ)】によるのです。それは【宿命】を伴います。自分はそんなことをしていないではないのです。過去に自己の魂がその因を積んだのです。そしてその因を消していないからです。だが、そのカルマが現象として今の世に吹き出して来るには、そこに【条件】が存在しているのです。

            ですから、何等かの条件が重なると、その人の【カルマ】が突然に吹き出して来るのです。その条件が出て来なければ【カルマ】はずっと眠っています。

             

            事故等もそうですが、そこに行かなければ事故らないがあります。その時がずれていれば起きないです。なのにそれが解らずにその時にそこに行く。結果、事故に見舞われるです。もらい事故でもそうなのです。因と条件が一致したのです。

            私は最初の修行は伏見稲荷山の豊受姫の庇護の元にして来ました。そうした時、その信徒の多くの人はその条件に出会わないように眷属達が動いていました。そこに行かなければ事故に遭わないから事前に防ぐです。そこには【足止め】ということさえ起きたのです。そこに行くと危ないからその人の足を止めて行かせないです。

             

            JR福知山線事故の時、その手前の駅で突然に一人の老母から車両から引きずり降ろされた人の体験談がありました。その人は事故を起こした列車に乗っておられたのです。だが、その手前の駅で老婆が手を引っ張って強引に下車させた。そして、その老婆はその人の前から忽然と姿が消えてしまったです。その駅で次の列車を待っていて、前の列車の大惨事を知ったの体験です。

            こうしたことは希には起きます。その老婆は神の化身だったなのです。だとすれば、あの事故は起こるべくして起きた事故なのです。必然の事故なのです。偶然などはないのです。

             

            よくこうした時、神は事故が起きると解っているならば事前に止めるべきだと、言う方達があります。神界とこの世では論理が違うのです。神霊世界は神の存在を信じる者は助けても、信じない者は助けないがあるのです。全員を助けるのではなくて、神が選別した人だけを助けるです。 

            私は神霊世界の修行に入った時、神は全員を助けるのではなくて、神を信じている者だけを助けるの意味が解らずに、豊受姫のお代をしていた最初の師匠と、よく論じていました。その師匠は神を信じない者は「神の子」ではないので神から捨て去られるでした。

             

            信仰する者は【儲(信者)かる】なのですが、信仰することで大難を中難にして、中難は小難にして、小難は消すで、カルマの完全消滅ではないのですが少しは軽くする。それは神信仰の御利益とは言えますが、それ自体は正神とか邪神とかは関係無しになされます。ただ、それが出来る力がある神霊なのか、力が無くて何も出来ない神霊かの違いだけです。力がある神霊だと大教団を創るなのです。

            私はかって同一の自家用車を単独事故で3回破損させました。しかも同じ箇所を一車検の間に3回もです。そうなると偶然ではありません。必然として起きたです。私はその事故による車の損害は自分のカルマを車が代わって取ってくれたと解りました。カルマの代物弁済です。

            そうした代物弁済は物質の損害によるカルマの解消で、いろんな出来事から体験しています。つまり偶然などはないなのです。

             

            各自の魂の【縁起】は、この世で自分が【演技】する

             

            自分は辛い苦しい。どうしてこんな目に遭うのか?。その多くの事柄は神が与えられた【試練】ではなくて、自己の魂のカルマと呼ばれる過去の遺産たる罪からの自己の魂の【縁起】なのです。それを世間の人がその人の【演技】として見ているのです。それも神からの「試練」とは言えば言えます。

            スピリチュアルでは自分の未来など決まっていない。どのようにも変えられると言う方達があります。だがその論には無理があります。未来は変えられる部分と変えられない部分があるのです。

            スピリチュアルでは、人はこの世に出て来る時、自分でプログラムを組んで出て来るとします。もし本当にそうであるならば、自分と関わる人達も自分でブログラムを組んでおり、自分のプログラムと他人のプログラムとが同じ計画でなければぶつかります。自分のプログラム通りに事が進まないなど歴然とした事実なのです。

             

            人には宿命(定め)があります。それは何人も逃げられないのです。それは私の以前のブログに図解で出しましたが、それは自分の【因果】を解消する為の道筋でもあるからです。その人生にも各所に【岐路】が出て来ます。間違った道を選ぶと、獣道とか外道の道に入るのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声からそのことを教えられました。

            その運命の分岐点たる「岐路、岐路」に来た時、正しい方向に導くのが各自の肉体の魂の守護神なのです。御利益を与えるのではなくて、守護する肉体の命を守るのが守護神の本来の役目なのです。

            信仰による日常茶飯事的に現世御利益に走っている守護神とは、自己の魂の本当の守護神ではないのです。外在神と呼ばれる立場です。ただ、その外在神と思われた神霊が自己の正守護神だったり本守護神となる人も希にはあるだけです。

             

            その肉体の守護神とは、主に副守護神と呼ばれている存在が主体ですが、それが分岐点で行く道を間違えると獣道とか外道の道に入ってしまうのです。それが【運命の分かれ道】なのです。ヤクザになる。犯罪者になるの分かれ道です。善い守護神が就いていると事前に犯罪阻止で犯罪者にはならないなのです。

            その分岐点の時、【蛇霊の囁き】が起きます。皆で赤信号も渡れば怖くないなどの主義です。自己の良心に反することを囁くのです。自分さえ儲かればいいじゃないか等や自分だけ得をしょう等です。他人のことなどどうでもいい。大切なのは自分なのだとか、遊興の世界にと自分を導くのです。

            聖書の蛇の囁きからエデンの園を蛇霊と一緒に追放されたアダムとイヴの話のように、全人類にはこの世にオギャーと誕生した時から蛇霊はついています。それは各自に課せられた蛇から脱却の【宿命】でもあるのです。その蛇霊の囁きから脱却出来たかどうかが、エデンの園(神の御国)に戻れるかどうかなのです。

             

            以前に出した図を再掲します

             

             

             

            天国界に進むには、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた【神一筋の少途川】と仏教では説かれた【三途川】からの二つのコースがあります。この少途川の存在は大本教の出口王仁三郎聖師が世に出られる前までは解らないコースだったのです。創造神に向かって行く神一筋の道筋だったからです。僅かな人しかその道は存在しなかったのです。

             

            大本教からそれが出されたのは、創造神「国常立尊」たるウシトラ金神を世に出せた教団だからと言えます。創造神の存在を認めない者は創造神を知る世界には進めません。また、日本の神社の多くは創造神など祭りません。ほとんど消された神に近いのです。ですから、表舞台から退くの【艮(ウシトラ)】神です。

            三途川とは、【天国・中有界(現界差し戻し、輪廻転生が極端に早い)・地獄界】の三つの途があるで「三途川」と呼ばれています。その渡し場には脱衣婆(本当は麗しい女神)が居て、この世の執着たる身ぐるみを剥がして【ラ(裸)】にして舟に乗せるです。この舟に乗れると地獄界には行きません。 天国界か中有界です。

            臨死体験で三途川の手前に行ったなどの話はあります。渡ったら帰れないのです。ただ、黄泉帰り(蘇り)の場合はありますが、その場合はその人の人生は神仏の世界に奉仕するとなります。タダではこの世には帰さないです。

             

            私が説いている【米】一字型の教えとは、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を誠の者がそのお世話をするですが、そこに説くのは【創造神のみを唯一神】とせよであり、三途川渡しのコースではなくて、神一筋の少途川コースを語っているのです。

            別に自分は旧来型の三途川コースで「天国」に行くでもかまわないのです。ですから、聖書を信じる立場であっても仏教を信じる立場であっても日本神道で行く立場であってもかまわないのです。ただ、既存の天国界は第一、第二、第三があると知られているように界がありますので、単に天国だけでは界が違って来ます。三途川コースで第一天国界行きはかなり難しいのです。少途川コースは創造神に向かっての信仰なので界上がりが早いとなるのです。

            戦前の大本教では特高警察による拷問で多くの信徒さんが獄死されました。これらの霊は霊界でも非常に高い世界に行かれたと報告されています。創造神に向かう神一筋の少途川コースだったからです。

             

            みろく世に渡る人には宗教宗派を問わず全てに【水晶玉】が与えられます。ただ、天国門は【良心神】の点数で判定されるので、神は【愛】だと言っているだけの愛の教えでは良心神の点数が低くて、天国門が開かないなのです。仏教の盂蘭盆の起源となる目連尊者の母親は目連尊者に惜しみなく愛を注ぎました。しかし、結果としては餓鬼地獄界に墜ちたなのです。私は生前はそれなり宗教家や行者が地獄界に墜ちている様を見た一人です。

            愛一辺倒のスピリチュアルでは「良心神」の意味は解りません。単に良い心のことだ程度の感覚でしょう。良心神とは魂の「核」と呼ばれるもので天帝からの分魂たる「直霊」のことです。その働きは各自の良心として働くのですが、その点数を上げるとは世根として世の為に人の為にと尽くした点数なのです。その世根のことを「米(ヨネ)」と言うだけです。

            自分は霊が見える。霊と会話出来るで低級霊界と関わっていても、そうしたことは教えてくれません。

             

            ですから、米の教えは大衆に迎合する教えではありません。現世御利益主義でもありません。その数字で示される言霊によって成っている【九つ花】の仕組みを見て、誰がこんな仕組みをしたのか?。既存の神霊では無理だと言っているのです。

             

            それで自分自身が創造神に向かって行くかどうかなのです。私を宗教団体の教祖の様に拝むとか私に天国行きキップを頼るのではなくて、自分自身が創造神の【僕】と成るなのです。

            最近、某神霊系で多数の黒龍神を配下とする霊団の指導霊達が、私のことを言葉の神、【孤高の覇者】と言って来られましたが、私は日本のどの神にも与しません。私が仕えるのは【創造神】と呼ばれる神だけです。その【僕】で充分なのです。

            私が霊界修業に入った頃、伊勢神宮に鎮座する御神霊から万体に及ぶ絢爛豪華な神霊行列を見せてもらいましたが、既存の御神霊に仕える気はないので今も神界の素浪人をしているのです。

             

            人は今の世の自分の生き方しだいで、【五六七】次元の世にも行けますし、【七八九】次元の自分の魂の御親神(本守護神)にも逢えるなのです。

            神は愛だ!。光だ!で、六次元黒龍神で太陽の様な光を見せて来る霊界で、何をしても神の愛で赦されます等のスピリチュアルに引っかかっていれば、一説では六次元界までは邪神達も存在するとされる霊界で仮に五次元界に行けたとしても、自分の魂の御親神となる本守護神には出会えないとなります。

             

            聖書には第一の死と第二の死が記載されますが、魂が肉体を脱いで霊界に行く時が第一の死であり、その魂が霊界の最後の審判で「創造神派と反創造神派の神々の二線に分別」されることを第二の死とも言います。

             

            創造神は霊達を裁くではなくて、二つの世界にと捌くのです

             

            どちら世界を選ぶかは自分しだいです。現在、多くの宗教団体は【黒龍神】の支配下にあります。ただ、黒龍神達が一致団結して、自分達が支配できる世界が人類に永遠の幸福を授けられるとは考えにくいのです。必ず、俺が盟主だで黒龍神同士で盟主の地位を巡って争います。黒龍神界での内部抗争・神界戦争です。

             

            大本教神諭に【ユダヤの悪鬼】がありますが、その線路を敷設して来た実働部隊が【黒龍神】達なのです。これまでは世の中を支配できたのです。だが、その線路の施設計画自体が甘かった。その線路の先に人類の未来が見えて来ないなのです。大本教神諭にある【この世を泥海にするユダヤの悪鬼の仕組み】です。計画そのものの失敗です。

            スピリチュアルでも人類の未来が見えていないと言われるのは、このままに進めば人類にあるのは泥海の世界だからです。 何故に【世の大立替】論が出て来ているのか?。このままでは人類に先の未来が見えて来ないからです。

             

            ですから、創造神はそれらの神達を裁くのではなくて【捌く】で、創造神の存在を認めて信じる者達は別の世界にと向かわせるなのです。まったく新しい高次元の世界にです。そこに出て来ているのが【新地球論】による「みろくの世」なのです。その新天地に関してはヨハネの黙示録の時代から予告されてはいるのです。

             

             

             

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