神が教える最後の大峠は五輪(地・水・火・風・空の五大要素)の終わりで嵐と風、インフラを破壊する風神の暴れに備えるべし

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    今年は一部の方に霊界から【ごりんじゅう】と言う言葉が出ていたようです。この「ごりんじゅうは」は日本で東日本大震災を予言された方が、東京オリンピックは開催出来ないと予言されていますが、私は予言者でなければ予知能力者でもないので、東京オリンピックが開催出来るか出来ないかまでは解りかねますが、2019年は【風神】と【雷神】の災いに気をつけるようにと出ましたので、豪風の被害がきつく出ると見ていました。 

    この【ごりんじゅう】は、東京オリンピックが開かれないとも読み取れますが、五輪(地・水・火・風・空の五大要素)の終りであれば、最初に【風】の安泰の要素が崩れるなのです。威力がある風が起こるです。

     

    私自身は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から【私はこの世の幕を降ろすが、人類を新しい嬉し嬉しの世に渡す。】と告げられたことにより、その言葉は本当なのかと神霊界修業に入り。そのお世話になった稲荷大神たる豊受姫からも【地球上の人類は一人も残らない】と告げられ、私が出会った霊能者の方達からも聞かされた【今の世は終わり】。人類は未来の【新地球】に移行(行こう)するの基調を変えてはいません。

    ただ、その時期は私には解りません。豊受姫はその時期は自分にも解らないが、貴方がこの世に生きている間にそれは起こる。貴方はその【大嵐】の中を突破して行くでしょうと告げられましたが、大本教が明治25年から宣伝した立替の大峠とは【大嵐】であり。スピリチュアルで説く五次元上昇とは、自然に起きると云う甘いものではないなのです。

     

    私が解き明かしたことは、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】であり、それが五十六億七千万の【みろく(369)】の仕組みだと言うことだけです。私自身にはその大立替の【大嵐】を消す能力などはありません。私もその大嵐を耐えなければなりません。

     

    嵐と風、嵐とは山風でなく雨も従えて来る暴風雨

     

    大嵐は、台風や竜巻を起こす【気圧】が関係する

     

    昨年は台風21号の大風で関西空港が大被害を受けましたが、今年は台風15号で千葉県では一万軒超える家屋の屋根が被害を受け、多くの電柱がなぎ倒されて電気が来ない停電となり。電気が来ないと通信も途絶え、水道水も配水されないという生活のインフラに大致命傷を与えます。

     

    現代人は電力を失うと、危機的状況になる

     

    昔の人達。この日本でも明治時代以前は電力などはなく、映画などで江戸時代の様子を見ると夜はロウソクや油で灯りを取り。水は湧き水とか井戸水。江戸城下などでは井の頭湧水から自然式に海まで水を流して、その水を飲んだなのです。そこには電力など必要はありませんでした。自然の摂理に従うです。それでも元禄文化等と言われるような文化も発達したのです。

     

    一部の霊的世界を知る知識者は、江戸時代がもっとも人に理想的な世界であったと言われるように、自己の魂を落とさないという面では理想的時代ではあったなのです。私達人類の魂の下落は電力の起こりから始まり、地球環境の破壊につながって来たと言うことは、それも間違いない流れではあったのです。

     

    電気の発見は、雷(神なり)から 

     

    電気の発見は古代よりあり、エジソンなども研究をしていますが、アメリカ建国の父の一人とされる「ベンジャミン・フランクリン」が雷は電気であることを発見したことは有名です。

    しかしながら、漢字の【電】は【雷(かみなり)】の漢字からで、ベンジャミン・フランクリンが電気を発見する以前から存在しているのです。そして電気のプラスとマイナスは【陰陽」です。ただ、アメリカ人は漢字を知ることもなかったわけで、漢字を知っていればびっくりなのです。

    日本で使われている漢字を調べると、神の教えがこの日本には満ちあふれているなのです。

     

    雷(かみなり)様は、牛頭虎パンツの牛虎金神の【牛頭】姿

     

    大本教神諭が世の大立替を何故に大宣伝したのかは、世の大立替で【上の世界の者が下に、下の世界の者が上に行く。その時になって、こんなことならば、どうして早くから教えてくれなかったのかの不満の声を聞きたくないから】にありますが、大峠(大嵐)を超えると【各自の御魂改め】によって、永遠の世の地位が固定されます。その時には世の上に居た神も下に落とされ、世の下に居た神が上がるがあります。神(魂)の総入れ替え作業です。

    これまでは【輪廻転生】によって、「霊界で魂の地位が決まり」。この世に生まれ出ることによって、霊界での地位を上げれるがありました。その「輪廻転生」が終わると、自分の霊界における魂の地位が固定されてしまうのです。もう「輪廻転生」のシステムは無いとなりますと、予告されていた永遠の世に入るです。その時には、どうして早くから教えてくれなかったのかと不満の声となります。神はそこを「恐れ」られたなのでしょう。

     

    大嵐に遭遇した時、その人の魂の本質が解ります

     

    その人は世間で悪人と思われていたが、本当は【義】の人だ!。あの人は善人と思っていたが自分勝手な人だった。そうしたことが「如実」に出ます。魂の本質が出るのです。そうした災いの時、私の様な老人や子供は肉体的な働きが何も出来ないとなります。それが聖書にある「老人や子供は可哀想だ」となるのです。

    大本教開教は西暦1892(いち早くに)年であり、人の命とは最高に生きられても120年を基本としています。西暦1892年以前にこの世に生まれた魂は、自分はそんなことを聞いてはいませんと主張出来るのですが、もうそれ以後にこの世に出た魂はそれは知りませんでしたは通用しません。肉体はそれを知らないと言えますが、各自の魂は【神との契約】を交わしてこの世に生まれ出ているからです。

    旧約聖書の神は【契約】の神として知られていますが、大本教が告げた【ウシトラ(牛虎)金神】の意味も、牛頭虎パンツの鬼が云うで【魂】だと解る様に、創造神の最後の審判にどの魂も遭遇する【覚悟】の契約はしているのです。ただ、この世に肉体を持って出ると、それを忘れてしまうなのです。

     

    覚悟とは、悟りを覚えることです

    自分はそんなことは知らなかったなどの言い訳は一切通用しない。

     

    聖書には、その時には高い山に逃げなさい。老人や子供は気の毒的な内容がありますが、私の様な老人はそれまでの生き方で得た魂だけの点数となり、子供は過去からの魂の点数に上積みが出来てないからです。元気で他の人の為に犠牲(ボランティア活動)を払えた方は、神の【高山】に大きく上がれます。 その魂の点数に一気に大きな加点の上積みが出来るからです。 

    その点数は、単に神様、神様と言っているだけの人と違って、魂に対する大きな加点がなされるのです。悪人と言えども、一気に天人天国界への道が開けるとなるのです。

    自分はこの世で【何の悪もしませんでした。】だけでは、自分が出て来た出身霊界に戻れるだけで、さらに上なる霊界に行くではないのです。何の為に【魂の修業場】であるこの地球に降り立ったのか?。それはさらなる上の霊界を目指す為でもあったはずなのです。

     

    神はこの世の幕引きに、【大峠】を用意されているのです

     

    それは、各自の魂に大逆転の大チャンスを授ける為です。そうしたことを【千載一遇】と言うのも、災いは「999」であり。残りの一つ一厘に【大チャンス】があるからです。大本教霊界物語に、「1000と999」の違いがありますが、災い転じて「福」と化すでもあるのです。

     

    老人や子供では【千載一遇】の大チャンスに点数が稼げない

     

    私は大本教霊界物語の【一厘の仕組み】に首を捻っていました。一厘は割分厘で解る様に【1000/1】のことです。それを100/1と勘違いさせるようにわざと持って行っているです。基本的に割分厘を知っているならば、これはおかしいぞと気づけます。

    私には【9999】という数字が出されたことがあります。その意味は何かと考えていると【万が一】を意味を指すです。万が一とは、絶対に起きないと思われることが起きるです。為に、私は「万が一」の事態が起きてもいいように説いている次第です。【備えあれば憂いなし。】です。

     

    この日本はアメリカの様なハリケーンや大竜巻が起こる国ではありません。それは日本には【天皇様】が居られるからと言われる方もあります。その【天皇】は東京に居を構えておられことから、東京(皇居江戸城)安泰説です。

    私は関東は異様なほど自然災害から守られていると感じていましたが、それは天皇家の存在にあるのではなくて「徳川幕府」創設に深く関わった【天海僧侶】が江戸に張った【結界】にあるという説があります。

    しかし、こうした【結界】は霊能者や行者は言っても、学者などは頭からの否定論です。何分にも人の目には見えない世界なので、【結界】などと言っても世に通じることではありません。但し、江戸の地域に張られた結界の効力は時間と共にその効果は薄れたとされています。

     

    世には、今の「令和天皇」か「愛子様」が救世主だと唱えておられる方達がありますが、天海僧正の様な結界張りの能力をお持ちであれば、また事態は変わるかも知れません。これから先は何が起きて、誰が出て来るかなど読み切れない時に入って行くなのです。

     

     

     

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    日本神道で人は「青人草」で、神は「柱」。草と柱の違いとは?

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      私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。だが、私は霊が見える者ではありませんでした。私に神霊が見えるようになったのは20代の終わり頃からであり、あまりにも不思議の数々に覚悟を決めて霊世界の修業に入ったしだいです。最初に尋ねた出雲大社教の霊能者の方から、貴方は「救世主」様ですかと尋ねられて、いったいこの方は何を言っているのだと面食らったしだいです。

      私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はこの世の幕を降ろすに当たり、人類を救う為にそなたをこの世に遣わした。そなたが神としての力を持つのは最後の最後の時である。私はそなた一人だけには、この神の仕組みを見せるが、この神の神力は何一つ与えない。そなたはこの私が見せた仕組みを人々に告げなさい。そなたには何の神力も無いことから、そなたをバカにして来る者が輩出して来る。そなたが本当は誰なのか解らないような神は、この私が使えるような神の段階ではない。】と、そうしたことを告げられました。何の神力も与えられていない者に、自分は【救世主】ですなどは絶対にあり得ないとなります。

       

      何の神力も授けないのに、人類を救えとは何事か?

       

      私が最初の師匠とした方は豊受姫のお代をされていた方で、豊受姫のお代としては当時は日本一とも言われていた霊能者の方です。その師匠が神霊相談をしていた神社の社務所に伺ったところ、神社の御祭神である豊受姫から、貴方には妙見様の御使者たる神が二体来ておられる。貴方は普通の方ではない。白龍神様の御子。貴方と妙見様(天之御中主・国常立尊)とはどのような関わりがあるのですかと尋ねられたしだいです。

      と言われても私には解りません。そこでその翌年の正月に伏見稲荷山で御本社の豊受姫様にお伺いをするとのことで、私も伏見稲荷山に初めて参拝させていただき、豊受姫のお代であった師匠が御本社の豊受姫から聞かされたことは、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方であり、貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じであり、如何なる神も貴方の言葉の教えに従えないならば、天帝に反逆する神として天から処罰されます】。と告げられた次第です。

       

      私にすれば【言葉の神】など知りませんが、子供の時に知ったものに、この日本ではなくて西洋にある予言が残されていたことを思い出しました。その内容は【ユダヤ人ではなく、異国の人が異国の言葉で「主」を語る。その人はその国では「言葉の君」と呼ばれている。が、その言葉の君は自分は主を知らないと言う。万軍の主は言葉の君のことは知っていて、終りの日。万軍の主は全ての裁きを終えた後に異国の言葉の君を万軍の主の元に召し出して、万軍の主の全権を言葉の君に渡す。その時をもつてユダヤ人は救われる。】とありました。ユダヤ人の救い主のことです。

       

      されど、ユダヤ人でない異国の人がユダヤ人の救い主とは?。聖書では創造神のことを万軍の主と表現されていますが、万軍の主の裁きの後とは如何なる意味なのかは不明でした。 万軍の主であれば、その裁きは当然に武力行使です。神は「慈愛」だと言う論理とはまるで違うのです。

      豊受姫が私に告げられた【言葉の神】とは、その予言の異国の「言葉の君」のことだろうか?。日本語で「主」を語ることが出来るのであろうか?。そうした疑問から言葉に目を向けたしだいです。しかし、それは豊受姫の庇護下の元では無理であり、言霊師と呼ばれる2番目の師匠の元に行き、私が体験したことは聖書の【始めに言葉は神と共に在った】の本質です。キリスト教徒はイエス個人崇拝に入っていて、この【始めに言葉は神と共に在った】を何一つ理解していない驚きでした。

      ある方が、私が誰かのサニワ(審神)を某大阿闍梨に依頼されたところ、この人は「言葉の君」と呼ばれる存在では無く、「言葉の神」と呼ばれる存在。創造神その方ではないが、創造神の家来ではなくて創造神の横に在る存在と告げられたと記載したブログを出されていました。今はそのブログは見つかりません。いずれにしても、私の任務は【神の仕組み】を皆さんに伝える役目です。

       

      その言霊師の師匠の元に居た時、私の肉体に大本教出口なお開祖霊と出口王仁三郎聖師霊が懸かられて、大本教の出口なお開祖と思われる霊は、【大本教はまな板の鯉。どう料理するかは料理人の腕しだいと告げられて、出口王仁三郎聖師と思われる霊は私にアラーの神を示されたのです。そして私の家に現れた出口王仁三郎聖師と思われる霊は、私に【漢字】だよと暗示してくれたのです。

      私が【ラ】神論に辿り着いた経緯には、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】にあります。が、大本教神諭に【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸のいたしてあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】とあります。

      その内容が私のことかどうかは解りませんが、出口王仁三郎聖師ではないことは確かなのです。それはその後の文に、【誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。】にあります。私の魂は一つの神からの分魂ではなく。二つの神の魂が合一された合併魂で、西の神と東の神の働きの両面を持つからです。一つの魂の方は幾人かの霊能者からも指摘されましたが、もう一つの魂は豊受姫だけが誰かとご存じだったと言えました。

       

      【私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に告げた。【そなた一人だけには、この神の仕組みを見せる。】に基づいた霊的光景から日本語と言う言葉に翻訳しているとは言えます。

       

      創造神の大望は、世界でたった一人しか知らない

       

      そうした【言葉の仕組み】を見て行きますと、驚くべき仕組みであり。自分には霊が見えるとか、霊と会話するなどの段階ではないのです。

      私が見せられた霊的光景がその通りになるかどうかは解りません。何分にも霊界では「嘘」を出す神霊が多く。私もそうした神の「嘘」に騙されている者だ。そうした指摘もあります。が、【言葉の仕組み】を見る限り、これは尋常の神がされたことではないぐらいは解ります。

      私が霊的に見た光景では【みろく世とは、新地球の上】であり、人類はこの先「右左」に別れるです。右に行く者は創造神が創る永遠の嬉し嬉しの世界に。左に行く者は、もうこの太陽系の太陽も月も輝いていない今の地球世界。一部の霊能者達が言うこの地球内部に人工の太陽を造り、その人工の光の下で過ごす者達です。

      今の私達が受けている太陽や月の明かりは【無償】で等しく与えられていますが、一部の神霊達が造る人工太陽は【有料】の灯りとなるのです。人工太陽を造った者達が【大繁栄】をする世界です。この神達とは【反国常立尊】をその旗印とされています。基本的にその考え方が創造主とは相容れない神達なのです。

       

      創造神は日本では「米」として実った者達を、西洋では「麦」として実った者達を刈り入れて、神の御国(みろくの世)へと渡らせるなのです。では、西洋では聖書に【実った麦の刈り入れ】としながらも、大本教を通じて出されたことは何故に【立替】なのかです。

      日本神道では人は【青人草】と言います。この青草の苗とは「稲」草のことで、実った者達は「米」なのです。また、日本神道では神のことを【柱】と言いますが、これは【大樹】と成った存在を指します。この【大樹】にと成長した者達は切り倒して使うのではなく、新しい地球にその根ごと【移植】するなのです。その移植が「立替」でもあるのです。

       

      私はこのブログで大本教が予告した「立替」に関しては述べて来ましたが、今回、神柱として使える者達はそのままで新しい地球に【移植】すると出て来ました。それは新しい弥勒の世に生まれ変わるのではなくて、今の思考や意識を持ったままで、新しい弥勒の世の神柱(神司)となるなのです。

       

      旧約聖書の世界で語られたことは【ダビデの若枝】で、倒された大樹から新しい芽吹きのことでしたが、大樹を倒すのではなくて新しい地に【移植】です。

      先立ってより、左の世に行く世の大物達の光景が出されて来ました。彼らは「みろく世」には行かない人達のことです。もう「右左」の働きはどんどん出て来ており、その肉体は解らずとも魂の世界には主の裁きが始まっていると思われるのです。

       

      右の路線は、新地球(みろく世)に移る者

      唯一成る神だけを神として認める者。創造神がどうしても新しき世の指導者にしたい者(創造神の眼鏡に適う者)。創造神の御魂洗い時には耐えて、その魂の汚れ(カルマ)が取れた者達。みろく世は【嬉し嬉しの世】。

       

      左の路線は、今の地球に残る者(今の太陽も月も輝かない)

      神の存在を認めない唯物主義者。急進左翼主義並びに共産主義者。反国常立尊派の神々。愛ばかりを言って、悔い改めを言わない者も今の地球に残る者。犯罪をすることに喜びを覚える者。暴力主義者達。その世界は力の強い者が勝つ。

       

      今の地球に残っても、人々が住む環境が維持出来ない

      もう誰もがこの地球環境の破壊の足音を聞いています。人の力では立て直せない。さりとて、世に出ている神霊達も無理。もう人々の神に対しての祈りで解決出来る段階ではないのです。

       

      青人草から「米」として実るもよし。この世の大樹となって、神柱として創造神の移植を待つもよしなのです。

       

       

       

       

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      光も閉じ込める宇宙の穴に至る【窒(膣)】のブラックホール。神の子宮口から生み出された星達

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        私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【私の書は旧約聖書であるけれども暗号化されていて、そのままに読めば意味を間違える。新約聖書は人の子達が為した書で私の書ではない。私の教えはこの日本に秘めた。日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しない。この世の終わりの時の為の予言である。そなたは日本神話の天の岩戸開けに私が何を秘めたのかを解き明かしなさい。】と告げられたしだいです。

         

        日本神話の天の岩戸開け。それは旧約聖書の神と称する声が【私が仕組んだ】と言う内容は、当時は子供であった私にすれば何を告げておられるのか意味不明の内容でした。日本では旧約聖書の神などを説く方はまずいません。が、私が日本神道の世界に入って驚いたのは、日本神道は旧約聖書の世界かと思う驚きでした。そして、有名な【ダビデ】の紋は伊勢外宮の豊受姫の御紋章としても知られているです。

        また、私が神霊世界に修業に入って、伏見稲荷山首座神の豊受姫からも【日本神話の天の岩戸開等の事実はどこにも存在していない。】と告げられました。日本神話の【天の岩戸開け】とは、いったい何を告げているのかです。まったくもって理解出来ない謎の一つと言えました。

        だが、大本教神諭や霊界物語に触れて、それらの謎が少しずつ解けて来たと言えます。

         

        大本教が説いたウシトラ金神国常立尊と旧約聖書神は同一神

         

        そして、天の岩戸の「イワト」とは、日月神示で「一(イ)八(ワ)十(ト)」と示された様に、日本語は数字にも【言葉の仕組み】が秘められているです。

         

        日本神話の天の岩戸開けとは、弟君の素戔嗚尊が織姫の「陰処(ほと)」を竹で突く等の乱暴狼藉に怒った姉君の天照大御神が、天の岩戸の中にお隠れになったので太陽が隠れて世の中は暗闇となり、元祖ストリッパーと言われる「天宇受売命」が【陰処(ほと)】を露わにして舞を踊り、それを見ていた男神達がその様に大笑いをして、その大笑いの声で何事かと思った姉君の天照大御神が少し天の岩戸を開けて様子を見ようとした時、天手力男命がその岩戸を押し開いて天照大御神を世に出したことで、太陽が出たというあまり合理性が無い神話になっているわけです。

        何故に、この様な日本神話を仕組まれたのか?。不思議と言えば本当に不思議な内容なのです。だが、私が霊的世界から見せられた女子の【陰処(ほと)】の言葉に隠されていた意味は、宇宙の穴に至る「膣(窒)」なのです。

         

        神の怒りは女の股心、【陰処(ほと)】に隠された意味?

         

        性器とは、【生まれながらの心の器?】

         

        人は誰しも母親の子宮で育てられて【膣】を通って、この世に生まれ出て来ます。日本の各地には天の岩戸と呼ばれる場所が幾つもあります。一番有名なのは九州の高千穂にある天の岩戸神社で、私も二度ばかり行かせて貰っています。だが、その高千穂に行ったからと行って、別に何の意味もありませんでした。神話に【ロマン(浪漫・夢や空想の世界に憧れて、現実逃避して、甘い情緒や感想に浸る)】程度のことです。

         

        太陽と地球とを比較すると、太陽は直径で地球の【109倍】。体積で【130万倍】も違います。そんな太陽が入る【岩戸】とは、何ですかとなります。高千穂にある天の岩戸に太陽神が隠れた?。そうした存在があるとすれば、それは宇宙の【ブラックホール】と呼ばれるものなのです。

         

        宇宙の穴に至る(膣)=ブラックホール

         

        ブラックホールは、星達の死と再生の神の子宮

         

        ブラックホールは【光も閉じ込める】等は宇宙理論としては解っていましたが、その存在の証明が出来ていませんでした。つい最近になって、ブラックホールの存在を天文学で写真撮影に成功したです。その存在が科学的にも証明されたのです。

        さすがに、こればかりはお釈迦様やイエスやマホメット(ムハンマド)の時代には説きようがなかった事柄と言えます。

         

        私達人類や動物や植物達は【空氣】が無いと生きていけません

         

        その空氣の78%は【窒素】で、タンパク質の元です

         

        私達は大地に植物の種を播けば芽を出して葉を茂らせて花が咲き果実に成る。そうした自然現象を不思議だと思う方は数が少ないと言えます。そうした成長の要素は「太陽(火)と水」の様に思っていますが、窒素が無いと植物は生長しません。草が有り。その草を食べる草食動物が有り。その草食動物を食べる肉食動物の存在があります。私達人類はある意味【肉食動物】と言えます。食物連鎖の過程には草を育てる「窒素」が無いと生きられないのです。

         

        その【窒】の字。

        何故に【穴(宇宙を開く)に至る】の漢字に成っているのか?

         

        大本教の出口王仁三郎聖師は世紀の大予言者と言われていますが、大本教霊界物語に【宇宙開闢の時が、最初の宇宙の天の岩戸開き】で、大本教が宣伝した世の大立替(二度目の天の岩戸開き)とは、宇宙開闢以来のものと予告しておられます。

        日本における神社の神々が世の立替の為に立ち上がる等と語る規模の意味ではなくて、宇宙的規模であり、地球という星だけの問題ではないということと思われるのです。

        天の岩戸開きとは、宇宙の陰処(ほと)で解る宇宙の穴に至る膣(ブラックホール)から星達が生まれ出る様な規模の大きな事が説かれていると考えられるなのです。

         

        そこに日と月を一新して治める【明治の維新】

         

        そうなりますと、もう私達の人智で解る様な規模のことではありません。とても語りきれるものではありません。

        科学では、この宇宙は【ビッグバン】によって成り立ったとします。しかし、宗教の世界ではそうではありません。仏教は【無(ム)から有が生じた】なのですが、科学者から言わせれば【無から有が生じる】など絶対に無いとします。誰かが無の場所に有を持って来ないと科学としては成り立たないからです。

         

        日本書紀におきます「天地開闢」は【渾沌が陰陽に分離して天地と成った】とします。古事記には記載がありません。この「渾沌」は【混沌】の漢字の方が意味が解りやすいと言えます。ギリシャ語で【カオス(混沌)】と言いますが、ギリシャ語のカオスの意味は【大きな口を開けた虚の空間】を意味した言葉です。つまり、宇宙に有る虚の「穴」のことです。

        大本教霊界物語では宇宙に【円筒形】の物が出て来て、それが回転することによって星達が誕生したとしています。国常立尊様を信仰している多くの方達も、その円筒形の物が回転して星達が生まれ出た霊的光景を見ておられるようです。

        私が霊的に見たのは円筒形でも「長方形のカプセル状」の様なもので、それは【星達の卵を入れた容器】と言えました。問題はその場面ではなくて、宇宙の初発には何も無かった。つまり【無】だったです。そこに微細な【霊】的な物が出て来て、やがて混沌として来た。そこに【重力】が発生して宇宙の母胎が誕生した。この宇宙の母胎のことなのです。

         

        始めの漢字は【女の胎】

         

        その母胎たる宇宙の口たる「膣」からカプセル状の宇宙の卵達が誕生して来て、膨張して今の宇宙が誕生して来た幻視の光景です。それが事実かどうかは解りかねますが、単に科学のビッグバンでは説明しきれないなのです。

         

        これを端的に表現したのが日本語の【123(ひふみ)】と思われます。但し、この一二三(ひふみ)とは、【火(ひ)風(ふ)水(み)】の意味ではありません。一二三(ひふみ)に【火風水】と漢字を当ててしまいますと、風の意味の解釈がまるで違って来るからです。これは大本教から出された【天の数歌】の解釈たる【一二三(ひふみ)】が近いと言えます。

         

        大本教から出された「ひふみの解釈」は、「ヒト、フタ、ミ」と読ませています。また、一の「ひ」は一霊四魂としていますが、そこに四魂があったのかは何とも言えません。「フタ」は【八力】とだけにしているようですが、二は二つで解る様に「陰陽」であり、厳瑞を出さないといけません。

         

         

        一(ひ)は、霊(ひ) 霊の発生(混沌の芽生え)

         

        二(ふ)は、厳(火)瑞(水)八力で 八つの力が吹く

         大本教では、この【八力】を「動、静、解、凝、引、弛、合、分の八カ」としていますが、私は「八力」は言葉として単純に開く(八)力として、個々の力の意味の詳細には拘っていません。あまりそうした細かいことに走ると、原点を見失ってしまうからです。

         

        三(み)は、三元 霊・力・体の三要素

         大本教ではこの三元を【剛・柔・流】としましたが、剛は体であり。柔は霊であり。流は力と言えます。難しく解釈するのではなくて、素直に言葉の意味を読み取るなのです。

         

         

        私は以前のブログで下記の様な図柄を出しました。

         

        私はこの図を幻視した時、まったく意味が解らないので、ある霊能力者の方に問い合わせをしたところ、その方も解らないので水行で潔斎をした後に、神界にお伺いを立てるとのことでしたが、その返事が来る前に私も意味を理解して、その霊能者の方のお伺い内容とが一致はしました。

        これは霊能者の方によれば【宇宙の神紋】で、大本教で説いた【二(フ)】の厳瑞八力がこれまでは固定されていたが、時節が来ると二つに分かれて、一つの◇は右に回転。一つの◇は左に回転で、宇宙の八力で人類は【左右】の世界に別れて行くなのです。その時は【宇宙の真柱神】が立つ。つまり、この地球上に居られる神々の神力によって世の大立替が行われるのではなく、宇宙を創造した【厳瑞八力】による宇宙開闢以来の世の大立替の意味と言えるのです。

        ですから人類の魂は【輪廻転生】を終えて、永遠(八の世)に入るなのです。まったく別の世界となりますので、これまでは地獄界に居ても人として生まれ変わって天国に行く。そうしたコースは無くなるのです。

         

        私達人類は【身(三)】を持って、三次元世界に生きています

         

        この世の身を失えば、肉体の死(四)で四次元世界に行きます

         

        人は誰でも四次元世界には行けました。ほとんどの方は三次元と四次元世界の往復。輪廻転生の中に置かれていたなのです。日月神示等では今の世は【三四五(みよいづ)】と出されましたが、五次元界に進めれば御の字と言えたのです。そこに世の立替で【五六七(みろく)】の世が到来すると宣伝されて来たなのです。

         

        聖書に【龍】とは霊界で年老いた大蛇霊とありますが、多くの黒龍神は黒蛇霊から昇格した様な存在と言えます。ただ、いくら霊力を持っていても六次元ぐらい迄の存在とされています。そうしたこともあるのか、七次元界より上にはサタンとか悪魔とかは存在しないとも言われています。そこに、第六天魔王などの存在も語られているかと思われます。それらは冥府で示される「六」迄と言えます。

        一説には人類は過去六度滅びており、今の世は【七(質)度目の世】で、次に永遠の【八度目】の世が来るとされています。これが最後の立替(審判)であり、宇宙を開く【穴】とも言えるのです。

        こうした【ひふみ(一二三)】等の言葉の仕組みは【日本語】以外には存在しないのです。これを英語の「ワン、ツー、スリー」等と言っていたならば、絶対に言葉に隠された意味など理解出来ないのです。

         

        聖書には最後の審判として創造神が現れたならば、この世の太陽はもう輝かないとありますが、三次元世界の太陽は輝かなくなっても、それは三次元世界だけの問題なのです。

        それは霊界には【霊界の太陽】があり、霊界ではこの世の太陽はまったく関係がないのです。つまり、次元を異にしますと別の世界が展開して来ます。本来の神と呼ばれる存在は神社に鎮まっている人霊的な存在の御神霊達ではなく、宇宙を創成して来た存在です。

         

        神と呼ばれる存在の認識は人によってかなり違います。神は宇宙的な存在と見る人もあれば、現世御利益とか困り事相談の存在だと思っている方もあります。神と呼ばれる存在に対する概念は様々とは言えます。

        お釈迦様は、この世は【苦(九)界】と説かれましたが、その「苦界」を苦界ともせずに生きる人達と、その苦しみに文句ばかりを言っている人では、まったく違うなのです。

         

         

         

         

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        霊が見えて霊と会話が出来るから「霊主体従」でなく、霊は見えず霊と会話は出来ないから「体主霊従」ではない

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          大本教から【霊主体従】と、その反対である【体主霊従】の言葉が出され、体主霊従は【悪】だと出されました。そうなりますと、霊が見えて霊と会話が出来る者は正しい者達で、霊が見えない者は悪い者達式の話が出て来ました。特にスピリチュアルでは霊が見えるから自分は正しい者だとか選ばれた者だ式になっています。

           

          私は霊能者に成れるような霊的素質は持ちませんが、それでも霊界修行を通じて霊的世界の見聞をさせてもらいました。そうした中で、科学では否定されてしまいますが霊界の次元と呼ばれる霊界層が在ることの理解に立ちました。

          この霊界の階層は、上の階層の者から下の階層は解るのですが、下の階層の者から上の階層の様子は解らないという特徴があります。つまり神の高山(神界ピラミッド)で、自分自身は上の階層に登らないで下の階層に居て上の霊階層はどうだこうだと論議しているです。

          スピリチュアル標榜者の多くの方は、確かに霊界の一部に関わって、神霊とか天使と称して出て来る霊との交流はあります。しかし、その霊の名乗りが本当に正しいのかとなりますと、霊界のオレオレ詐欺集団の役割における神名に踊らされているが多々見受けられます。それらは何人もの霊能者や霊感者をも巻き込む詐欺なのです。

           

          ある方を私が見ても「野狐」霊憑きだと簡単に解りましたが、その方には八尾の大物の野狐霊が居るとまでは見えませんでした。が、霊能力がある方からその方に憑いているのは八尾の大物の野狐霊と聞かされて、なるほどそれでそれなりの霊力があり、その方の周囲に集まる霊感者もことごとくその八尾の大物の野狐霊に従属する霊団に踊らされていると解ったがあります。その意味では霊的なことが見えないと判断がつきにくいはあります。

          いくら自分に霊感があるとしても、この地球は霊界でも蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と称されている低級階層の霊が大多数なので、昨日誰々と出会いましたね。夕食に何を食べましたねの類いならば当てて来ますが、大本教の出口王仁三郎聖師の様に未だ来てもいない未来に起きる出来事を数々当てて的中させたではありません。

           

          この地球霊界に関わる低級霊達に支配されていると、人類の未来は白紙ですと言うだけで、過去に大本教の出口王仁三郎聖師がどれほどの予言を的中させて来られたかを知っていないとなります。

          私が霊界修業のお世話になった豊受姫は、最初の師匠が在命時だったので、その師匠に阪神淡路大震災や普賢岳爆発などを事前に告げていました。高級神霊は未来を見通しているなのです。

           

          未来は白紙ではなく、高級神霊には未来は見通せる

           

          ある方は、その方に出て来る霊集団の指揮官から、貴方は七次元の素戔嗚尊の魂だと告げられた。また、幾人かの霊能者からも貴方は七次元の素戔嗚尊の魂だと告げられたと言われます。が、私からすると???マークの連続です。七次元界など絶対に無理な魂だと解るのです。

          その方の魂はどす黒く汚れてはいないのですが、魂が丸くなく角が立っており、捻れ現象を伴っており、そんな魂の状態で七次元界などはあり得ないからです。

          この方自身の魂の点数が出ましたので見ると50点台。それでは五次元界が関の山です。イエスや大本教の出口王仁三郎聖師は八次元界の高い魂だと言われていますが、未だ輪廻転生を脱した段階ではないとも言われています。輪廻転生を脱却されたのはお釈迦様であり、霊界でも一段と高いことが覗えるのです。

          もうお釈迦様はこの世には出て来ないなので、それに代わって【みろく菩薩】がお釈迦様の悟りを代わりに告げるとされて来たなのです。で、巷には自分が「みろく」ですと名乗る人が多数出て来られましたが、その【みろくとは、言葉の仕組み】だったと言えます。

          かっては第一天国界が最上級霊界と言われておりましたので、それ以上の霊界は無いと考えられていたのですが、大本教の出口王仁三郎聖師は創造神と呼ばれる神が存在する最上級霊界の存在を説かれたしだいです。しかし、その界は輪廻転生から外れる為に魂に九十(卆)点台と言う厳しい点数が求められます。

           

          私は以前からブログに下記の表を出しています。ただし、これは【正神界】から見た時の表です。邪神界で言う次元ではこの点数表は当てはまりません。

          その方の場合、人間としての性格は短気で怒りっぽく。平気で罵詈雑言を吐くで、かなり魂が捻れていると見受けましたので、私自身は50点台が出たことに逆に驚きを持ったのですが、それは邪神界の中にあっても金銭欲で無い【人助け】をしていることで、地獄界に墜ちる点数にはなっていないのだと考えられます。

          いくら霊が見える。霊と会話すると言っても、それが【金儲け】主体であれば間違いなく地獄界にと墜ちてしまいます。ですから、スピリチュアルは【金儲け】だと言っている人達は危ないと言えます。人助けがメインではなく、金儲けがメインになっていると【徳(悳)】が備わらないからです。霊など見えなくても他を助けるに従事された方は自然と【徳(悳)】を積まれているのです。

           

           

          私は、霊は見えない。霊と会話する能力は何一つ無いと言う人達の中で、信仰心に篤い人達の魂に70点台が出ている方を多数見て来ました。これは霊的世界で言えば第二天国界。仏教的に言えば菩薩界に、この世で生きている間に入っているとなります。そこに、大本教で説かれた【霊主体従】と【体主霊従】の世の解釈が間違っていると気づいたしだいなのです。

           

          霊主体従とは、魂の指導で肉体が正しい行動をする

           

          本人に霊が見えるとか霊と会話することではないなのです。いくら霊が見えて会話が出来ても、スピリチュアルは【金儲けだ!。】式で走っている多くの霊感者を見た時、その背後に居て神だ天使だと称している霊達の正体がまるで見えていない。解っていないでは、それでは【霊主体従】とは言えないのです。逆に貴方は【動物霊の容器】に成り下がっているだけではないのかです。

          自分には霊が見えない。霊と会話が出来ないとしても、その人に【正守護神】と呼ばれる様な高い神霊が存在し来ていると、その人は【正しい考えや行い】をされています。つまり霊が見えるとか見えないではなくて、その人に内在している魂が肉体を導いて如何に正しい行いをしているかなのです。

           

          体主霊従とは、肉体の行動に霊(魂)が引きずられている

           

          人の肉体とは、魂がこの世で生きて行く為の【服】にしか過ぎません。これが人は【霊止(ヒト)】と呼ばれる由縁です。ところが、霊止(人)たる服には【自我】が存在して来ます。仏教では人は自分の【真我】や【本我】に目覚めよと説いては来ましたが、残念ながら【自我】が強すぎて自分の【本我】や【真我】に至らないが起きます。

           

          肉体の自我が本我や真我を押さえ込むと体主霊従なのです

           

          仏教では貴方自身の本性は【仏性】だと説いてはいるのですが、これを日本神道で言えば【神性】と言うことなのです。自己の魂の【神性や仏性】に目覚めないということが問題なのです。

          スピリチュアルで説く霊的世界とは低次元の霊世界であり、自己の【神性や仏性】に目覚めることはまずありません。

          私も霊的世界の見聞修業の中では、どうしても【奇跡の現出】に心を奪われる時期がありました。この世の科学では説明できない事柄にぶつかるからです。私も体験上、霊界を興味本位。霊界の奇跡に囚われることを非難はしません。だが、奇跡もそのメカニズムが解って来ると、別に奇跡は奇跡では無くなって来るのです。そのメカニズムがこの世の者には解らないだけなのです。

           

          で、私には多くの霊感者や霊能者が言わない魂の点数が出るのかとなりますと、私が言霊師の師匠の元で修業している当時、私が就寝しょうとすると多くの霊の声が聞こえて来て、いろんな言い訳をして来ます。その内容は、その霊がこの世で肉体を持っていた当時に起こした罪に対しての言い訳で、その罪の刑を霊界で減じて欲しいと言う陳情です。

          毎夜、毎夜、あまりにもうるさいのでその当時の師匠であった言霊師の方に尋ねましたところ、おまえは閻魔庁の判官(裁判官)であったからだと言われます。閻魔大王は閻魔庁の長官ですが、全てを一人で裁いておられるのではなく、その下には判官(裁判官)と呼ばれる者達も居るなのです。おまえはそうした判官の一人でもあったと言うのです。

          私を見た霊能者の七〜八名の方から、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですよと告げて来られましたが、霊能者の中には貴方の本守護神は【閻魔大王】様だと言われた方達もありました。

           

          日本の記紀神話では、最初の神を日本書紀では【国常立尊】。古事記では【天之御中主】としますが、これは同一の神なのです。天においては天之御中主。地においては国常立尊とするだけです。冥府においては国常立尊を閻魔大王(閻羅大王)とします。その働きにおける神名なのです。

          ただ、その天之御中主(国常立尊)様よりも上位の創造神が存在するかとなった時、それは存在しているなのです。この神のことを西洋では【始めにして終わりの神】と言うのです。ですから、この神が人類の上に臨んだ時は終わりの神であり。次の世(みろく世)の始めの神となるのです。

          大本教ではこの神の存在を【天之峰火夫皇大御神】として世に名を出しました。が、霊能者や霊感者だからと言って、この存在はよく解らないなのです。また、世に出ている神達にも解らないと言えます。

           

          私が天狗霊を従えた霊能者から攻撃された時、閻魔庁の役人達が私の守護に駆けつけてくれましたが、私が霊界で閻魔庁にかっては属していたからもあるようです。私に人の魂に点数が解る不思議な現象は、私自身がかって閻魔庁と深い関わりを持っていたからと考えられます。

          豊受姫のお代であった最初の師匠は私に対して、【貴方を見てこんな恐ろしい存在は見たことが無いと言う霊能者は本物の霊能者ですが、そうでない霊能者は相手にしない方がいいです。】と言われていましたが、私は自分が恐ろしい存在に納得は出来ていませんでした。私の背後には閻魔大王たる方があるとすれば、その存在が見えたならば恐ろしいとはなります。

          だとすれば、私が見ている人の魂の点数とは、【閻魔庁】が見せて来ているとは言えるのです。

           

          ただ、いくら元は閻魔庁の判官と言えども、この世に肉体を持った者やそうした肉体と縁がある霊は救えません。それは何度も言うように、人の肉体には霊を浄化する能力があり、霊が頼る縁の肉体が存在すれば、その肉体に浄霊を頼まないといけないからです。私に出来るのは頼る肉体を持たない霊達だけなのです。

          いくら自分が生まれ出た家の霊と縁があるとしても、自分が犯した罪でもないのに、どうして自分に縁がある家の霊の浄霊を自分がしなければならないのだ!。そうした文句は出ますが、人はこの世に出て来る時には自分が生まれ出る家を選択して出て来る以上、そうしたことを承知して出て来ているのです。

           

          だが、この世に出て来ると、この世に出て来る前の約束を果たさずに、何で自分に霊が懸かって来るのだと文句ばかりを言うが起きます。

          旧約聖書の【自分が播いた種の果実は自分で刈り取れ。】のカルマが、まったく忘却となるのです。

          仏教では、この世に現れて来る【カルマ】は全て自分が播いた物と説きますが、自分が生まれ出た家系のカルマも、また自分に懸かって来るなのです。為に、自分が生まれ出た家系の直系の御先祖霊の供養は子孫たる者達の勤めともなるのです。それは本家とか分家とかには関係しないのです。

          自分の魂を磨く(魂の穢れを取る)。自分の魂を丸く(性格を穏やかに)することによって、自分の魂も霊界の階段を上がり、自分が生まれ出た家系の御先祖霊の供養にもなるなのです。

           

          自分の魂を磨く(穢れを取り、性格を丸くする)

           

          それが本当の【霊主体従】なのです

           

           

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          魂(玉思惟〈玉形の意識〉)を磨くとは?。その二は自分の魂の出処たる故郷に帰る為に

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            人は何故に魂を磨かないと行けないのか?

             

            それには幾つかの理由が存在するのです。

             

            私達の魂は、肉体の両親から授かったものではない

             

            肉体にはその肉体を産んでくれた両親が存在しますが、人の魂とは魂の世界で生まれた存在が、肉体と呼ばれる魂の器に入ったなのです。ただ、魂が肉体に入った時期に関しては、霊能力者間でも意見が違います。

            例えば、自分はスピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんや、その師匠格である美輪明宏さんなどは、男子との精子と女子の卵子が結合した受胎の時と言われていますが、私が出会って来た伏見稲荷講の諸先生達は【悪阻(つわり)】の時だという見解にありました。

             

            魂が肉体の母胎に入る時が【悪阻(つわり)】

             

            肉体の母親となる魂と、その子供として出て来る魂の波動の違いで、母胎に入ってくる魂の穢れ(悪)を阻止する意識の違いが【悪阻(つわり)】の発生で、その頃に魂が肉体の赤子に入ったとする説です。母胎に入って来る魂と母親の魂との波動に大きな差が無ければ悪阻はきつくなく。その波動の違いが大きいと悪阻がきついなのす。 

            霊媒質者だと解ることですが、自分の意識と違う汚れた意識の波動を受けてしまいますと、吐き気を催して嘔吐もします妊婦の「悪阻」と同じ様な症状が男性霊媒体質者にも起きるなのです。そうなりますと、精子と卵子が結合した受胎時説は出せなくなるのです。だからと言って、別にスピリチュアル界の大御所と自認される霊能者江原啓之さんやその師匠格である美輪明宏さんの説は間違っていると主張しているのではありません。言葉の仕組みからすると【悪阻(つわり)】の時かです。

             

            ただ、そこには自分の親に成ってくれた存在に感謝しなさい

             

            また、霊能力者に見られる事柄に【黄泉帰り(蘇り)】があります。有名な宗教家ですとGLAの開祖であった【高橋信次】師はその【黄泉帰り】の方とされ、人生の道中のどこかで一度【三途の川】を渡っておられるはずなのです。

            この【黄泉帰り】とは、一度は【三途の川】を渡ったけれども、未だこの世でしなければならない任務があるで、この世に戻されてしまうことです。この手の方は宗教家や人並み以上の霊能者になっておられます。その時、それまで世に出ていた魂と霊界に居た自分と同じ魂が入れ替わって出るがあります。

            こうしたことが解っていると、人に魂が降りる時は精子と卵子が結合した時と言う説は否定されなければなりません。世に出ている御神霊と称する霊でも、人は何億個と言う精子の中から選ばれた存在だと、素っ頓狂なことを言われる御神霊もあるにはありますが、魂は父親たる肉体の一つ一つの精子に宿っているではないのです。

             

            お釈迦様やイエスや弘法大師さんなどは、世に出ておられる御神霊よりも霊界では高い次元の魂の持ち主だったことが解っています。そのお釈迦様やイエスや弘法大師さんにも肉体の両親が存在しました。マリア処女受胎説など、本当であれば実に恐ろしいことなのです。もしも処女受胎であれば、必要が無いことを目論んだその正体は誰かとなるのです。

             

            魂は肉体の受胎より後に降りるので、処女受胎の必要性がそもそも無い。

             

            では、その肉体の父親から放出される数億個の精子の一つ一つに、そうした方と成る存在の魂があったのかとなると、違うと解るようでないと霊界では神霊と名乗る者に踊らされてしまいます。

             

            私は霊世界の修業の過程の中で、ほとんど神霊と会話はしていません。そのことに関して豊受姫のお代であった最初の師匠は、【あなたはあまりにも賢すぎて、神様達が近づけない。話せない。もっとバカであるべきです。御神霊がカラスの羽根は白いと言われれば、自分ではカラスの羽根は黒いと思っていても、カラスの羽根は白いと言わなければ神のお代などは勤まりません。】と言われます。

            神霊のお代になるならば、その神霊が出す言葉には逆らわないの意味は解りますが、私はカラスの羽根は黒いと思っている以上、神霊がカラスの羽根は白いと言えば、あんたが間違っていると言うタイプであり。おまえ、本当に神霊か?。と言う者です。カラスの羽根が白いと言うのであればその証拠を見せなさいと、相手がいくら神霊と名乗っていても言う者です。嘘と解るような事を相談者に告げるぐらいならば、神のお代などはしないなのです。また、道理に反する嘘を出す神霊ならば、私はそんな神霊にはいくら霊力がある存在でも仕えないなのです。

            残念ながら、今の神霊世界では100%言い当てる御神霊も、そのお代たる人も存在していません。ですから、神霊世界はまだまだ解らない世界なのです。ただ私達が日常的に接する霊社会は低次元界であることから、動物霊と言われている霊が力を持っているなのです。

             

            私が言霊師たる2番目の師匠の元で【審神(さにわ)】をしている時、その霊が自分は何神と名乗ろうとも、言っている事柄がおかしいと思えば、そこに突っ込みを入れます。相手が自分は何次元の神と名乗ろうとおかまいなしです。そうすると、相手がタジタジとなってその正体が見えるなのです。で、私の主神に成ろうと言う神は存在して来ません。

             

            どの御神霊でも、【賢い者】を嫌います

             

            その霊が言った言葉の中身がおかしければ突っ込んで来るからです。この「賢い」と言う意味は、頭が良いと言う意味ではありません。【賢明(道理に明るい)】者の意味合いです。頭の良し悪しだけならば「学者」がその役目をすればいいわけです。だが、学者に【審神(さにわ)】者は勤まりません。学者は人の目には見えない世界。物理の法則に反する世界。そうした世界の存在そのものが信じられない世界だからです。否定論から入って来るからです。

            お釈迦様やイエスや弘法大師や日蓮聖人。大本教の出口王仁三郎聖師などは【聖人】と呼ばれる段階で、世に出ておられる神々よりも霊界では上位の魂であったとされます。それに次ぐ様な段階が【賢人(道理に明るい賢い人)】で、世に出ておられる神々の段階では自分の家臣的な従属者にはさせられないのです。神霊と言えども、それにお仕えする立場になってしまうからです。

             

            賢い者たる賢者は、道理で神霊を判断する

             

            ほとんどの御神霊は【人型】で見えるなのですが、他に【玉】として見える場合もあります。その時は肉体人に入っているような小さな玉ではなくて、巨大な玉として見えるがあります。神を語る時、その神霊がどれほど【巨大な玉】なのかで判断した方がより的確だとは言えます。

            精神世界でその名を出せばほとんどの方がその名を知る某著名な宗教開祖の方の背後に巨大な玉が写った白黒写真があります。それはその教団の幹部の方達だけが御神体として保有されているようで、世間に一切公表されていません。その写真を見たら、私が述べていることが一目瞭然に解りますが、その写真を私に渡してくれた幹部信徒との方との信義上から世間に公表は出来ません。さすがにあの教祖様ならばの話です。

            私の元にはスピリチュアル系の方から【光のシャワー】写真が多く送られて来ます。そんな写真が撮れたからと言って騒ぐほどのものでもないのです。それはその方が霊媒体質者であることの証明の類いなのです。 自分を写した写真に光の玉が写っていたとしても、それが超巨大な玉ならばいざ知らず、ほとんどの光の玉は詮索する必要そのものがありません。諸神諸霊の段階だからです。

             

            そうした光の玉の大小で解ることがあるのです。スビリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんと、その師匠格である美輪明宏さんも語っておられることですが、人の魂はスポイトの一滴たる大きさだとして、その本体はコップ一杯の水くらいの大きさがあるです。

            こうした自己の魂はスポイトの一滴。柄杓一杯の量だとしても、本体の魂はもっともっと大きい容量です。そこに新神道系誕生以後、【正守護神】【本守護神】論が出て来たなのです。つまり、【正守護神はそのコップ一杯の水】たる存在です。

            たが、一般的にスピリチュアルを標榜している大多数の方はそうしたことをまったく理解していないのです。それは、【何をしても神の愛で赦されます。】などの間違った論理を言い続けていることでも解るなのです。

             

            この世に出て来ているスポイトの一滴と称される自分(肉体)の魂が、その魂を汚したとすれば、そのコップ一杯の水たる本体に帰れますか?。自分が生まれ出た魂の世界に帰れなくなったことから、魂の【輪廻転生】が発祥したのです。

            この世に降りて来て、自分の魂を汚して帰れなくなった。だとしても、魂の世界には自分の魂のルーツたる親神魂が居るなのです。そのことを【神の故郷】に帰ると言います。

            そうしたことは仏典などでも、例え話として書かれているのです。私は私に出て来られた家系の御先祖霊が日蓮聖人の分魂であったとは知らずにいましたが、その御先祖霊は私を日蓮宗には導かずに、大本教霊学にと導いてくれました。

            大本教神典では、人の魂は魂の故郷たる親神魂の元に帰るまでは、長い長い辛い旅路を続けると書いています。しかし、聖書や仏典に取り組んでも、人の魂は【神の故郷たる世界に帰るまでの長い旅路】的な内容は存在していません。

             

            人の魂は穢れを取れば、魂の故郷(本体)に帰る

             

            魂を磨くとは、自分の魂の穢れを浄化して清める

             

            スピリチュアル界の大御所と自認されている霊能者江原啓之さんと、その師匠格である美輪明宏さんは、私達の魂がスポイトの一滴の分量だとすれば、その本体(正守護神段階)はコップ一杯の水だと素晴らしいことを説いてはおられますが、そのスポイトの一滴たる自分の魂を汚してしまうと、そのコップ一杯の水たる本体には帰れない。もしもその水に帰れば、そのコップ全体の水を汚す。そこまで説けきれていないのです。それがスピリチュアルの限界なのです。

            ほとんどのスピリチュアル標榜者は、自分には霊が見える。霊と会話するだけで自分は特別に選ばれた者だと錯覚を起こし、自分の前に出て来た霊の本当の正体すら解らない。ですから、いくら神仏が自分の前に出て来たと言っても、本物と呼ばれる霊能者の存在はそうしたの中の千人に一人程度しか出て来ないと言われているのです。

             

             

            この仕組みが理解出来ていると、スビリチュアル標榜者の常套句

            神の愛で何をしても赦されますは説けない

             

             

            スピリチュアルで、自分には天照大御神様が出て来られます。天使長ミカエルが降りて来ますといくら言っていても、こんな簡単なことさえ理解出来ていなかったのかとなるのです。

            日本新神道系で説かれて来ました【魂】の存在、【正守護神】に【本守護神】の存在、そして日本神道の【禊ぎ(身削ぎ)】等の日本の言葉を理解出来れば、この日本は【創造神の言葉の仕組み】で成り立っていると解るのです。ただ、そうした言葉が縦横と連動していることに気づかなかったと言えるでしょう。

             

            自分には魂が在ると気づくならば

             

            自分の魂の故郷に帰りたいと気づくはず

             

             

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