邪教とされた大本教は、何故に日本の皇室神道と闘ったのか!
世の大立替を宣伝した大本教はその主張から日本の国家神道から受け入れられずに、この日本を毒する邪教集団として国家による二度の大弾圧を受けて崩壊しました。世に大本弾圧事件と呼ばれるもので、第一次が大正10年(西暦1921年)。
第二次が昭和10年(西暦1935年)で、特高警察の武装警察官500人が大本教の綾部と亀岡の神殿を襲い。その後に大本教の神殿群をダイナマイトでことごとく吹っ飛ばすという凄まじい国家による大弾圧だったのです。
この時、大本教に突入した警察官達は、大本教の信徒達が武装しているものと思い。警察官達は遺書をしたためて、家族と別れの水杯(みずさかずき)を交わしたと言われています。また、当時の大本教の神の威力は世に知られており、信徒達の抵抗のみならず、邪教の神の神罰を受けて全員生きて帰れないと覚悟をしていたともされます。
だが、大本教は無抵抗で拘束されたり出頭を命じられた信徒は3000人で、その内の61人が起訴されて、その内の16人が特高警察の拷問により獄死しています。現代の霊能者の調べででは、この獄死した16名は全て霊界でも非常に高い世界に入ったとされています。
国常立尊(閻魔大王)は、犠牲と成った人達を死後に遇した
私は戦後生まれでそうしたことは何一つ知らなかったのですが、ある自民党の大物代議士を見ていて、?。この方は死後に地獄界に墜ちると解りました。その後、大本教の神諭に触れて大本教を調べていて、この代議士の方は当時の特高警察の幹部で大本教を弾圧した幹部の一人であることが解りました。拷問で多くの大本教信徒を獄死させたり発狂させた張本人でありながら、特高警察時代の自分の所業を何一つ悔い改めなかった人です。戦前多くの方が特高警察により拷問死されています。為に死後の世界で地獄界に墜ちると私には見えたのでしょう。
この大本弾圧事件に関する裁判で検察は【大本は国体を転覆し世界覆滅を計る陰謀結社で、出口王仁三郎聖師は皇統を否定し世界の独裁者とならんとした】と起訴したのですが、昭和17年(西暦1942年)の判決において、治安維持法では全員無罪の判決が言い渡され、不敬罪のみが有罪とされたのです。
不敬罪とは、当時の日本天皇は現人(あらひと)神であり、その神たる天皇に対する不敬のみが有罪とされたのですが、日本の敗戦による恩赦により不敬罪はなくなりました。日本の天皇は現人(あらひと)神ではなくて象徴となったからです。それによって、不敬罪そのものは今日はありません。
日本の天皇は現人(あらひと)神であると主張される霊能者の方もあれば、日本の天皇で神であった魂の方は一人も居ないと主張される霊能者の方もあります。そこには様々な意見はあります。応神天皇と呼ばれる存在にしても、本当に存在して居たのかさえ疑わしいとされるからです。
私自身、香椎宮、箱崎八幡宮、宇佐八幡宮、太宰府等を巡っていて、そこで私が見た御神霊の存在に首を捻っていました。私の霊界修行のお世話をしていただいた豊受姫のお代をされていた最初の師匠が健在ならば、私が見て抱いた疑問の謎を教えてくれたかも知れませんが、当時の日本で10本指に入るとされたその師匠ほどの霊能者は、残念ながら今の日本には存在していないと思われますので、私が抱いた疑念は今も謎のままとなっています。
そもそも日本の天皇家がこの日本を支配していたのは平安時代以前のことで、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代と武士が日本を支配する世でした。その意味では、織田信長には如何なる神霊が懸かっていたのか?。豊臣秀吉には如何なる神霊が懸かっていたのか?。徳川家康には如何なる神霊が懸かっていたのか?。日本の歴史好きからすると、そちらの方がより興味が尽きないとなります。先祖から受け継いだ遺産ではなくて、一代で天下を取る動きだからです。
しかも日本の天皇家は、第25代武烈天皇から若狭の一豪族であった第26代継体天皇への流れが異様であり、一部の霊能者達は霊的サイドからの調べで天皇家の系譜や歴史の書き換えが行われたとします。【継体】という言葉そものが、体制を継いだという意味になります。日本書紀も古事記も継体天皇よりも後に編纂された書であり、当時ならば権力を握れば簡単に日本の歴史そのものを書き変えることも出来たからです。
大本教が明治以後の日本の国家神道から目の敵されたのは、大本教の出口王仁三郎聖師がこともあろうに皇居前の広場に3000人もの民兵的な組織を伴って、その前で白馬に乗って、まるで天皇のように【閲兵】をしたがあるからです。当時は【白馬】にまたがるのは天皇を意味したのです。
優れた霊能者は、よりによって皇居前の広場で白馬に乗って3000人もの民兵的組織の前で閲兵するなど、自分が本当の【天皇】だと天皇家に向かって誇示したようなもので、いくらなんでもやり過ぎだです。国家転覆を謀ったと当時の維持法で捕らわれてもいたしかたがないです。
この時の大本教の出口王仁三郎聖師の行動に関して、世に学者と呼ばれる人達がいろんな説を出されていますが、それらは人間サイドからの見方と言えます。霊界サイドから見ると、そこにそれなりの意味があったと解ります。
私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神(艮金神・国常立尊)と称する声は、私に【そなたが日本の天皇と出会う時があるならば、例えそれが日本の天皇であろうとも、そなたに向かって頭を下げて来なければ、そなたは頭を下げてはならない。】と、そうしたことを告げられたのです。
それは私が別に日本の天皇よりも偉い者だと言われたのではないのです。その後の言葉として、【もしそこに卑しき乞食の様な姿をした者が居て、そなたに頭を下げて来たならば、そなたはその者が下げた頭よりも低く頭を下げなければ行けない。その卑しき姿の者はそなたを見て頭を下げたのではなく、そなたの背後に居るこの私を見て私に対して頭を下げたのである。私はそうした者達を永遠の神の世に救う。】と告げられたのです。それは、私の背後には【国常立尊(旧約聖書の神)】と呼ばれる神が控えているという意味です。
私が伏見稲荷山で修業している当時、多くの稲荷神達が私に向かって土下座をして来られる光景が見えて来ました。私は一介の修業者であり、何事かとそのことを当時の豊受姫のお代であった師匠に言ったところ、【貴方は何も解っておられない。そうした稲荷の神達は貴方に向かって土下座されたのではなくて、貴方の背後の方に向かって土下座されているのを貴方が霊的に見ただけです。貴方は貴方の背後に居られる神がどなたなのかがまったく解っておられない。】と叱られたしだいです。私には私の背後に居る神霊など【後ろの正面はだあれ】で解らないなのです。
それは旧約聖書の神(艮金神国常立尊)からすれば、
日本の天皇も卑しき身なりの乞食の様な姿の人も
この世では【同一】の立場だと言うことなのです
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【肉体を持ってこの世に人として出れば、皆、同じ立場である。】と、きつく言い渡されていました。それは、人が人を裁いてはいけないなのです。そんな権限などどこにもないのです。
世の立替の時、その人がこの世で如何なる地位にあっても、そんな地位や財力などは艮金神国常立尊(旧約聖書の神)にとっては何の意味もなさないということなのです。その時、この世に居る人の外的な地位や身分ではなく、その人の魂の在り方で最後の審判(判定)がされるなのです。この世での地位を振りかざしても、何の効果も考慮もされないなのです。
すなわち、創造神からすればこの世に籍がある人は全て同一の立場にある者として扱うなのです。
大きな神社等に行きますと、その神社の宮司が金持ちや身分の高い人だけに愛想を振りまいていておられたりします。それは人をその外形で差別しているであり、本来の神に仕える立場の宮司であれば失格なのです。私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【馬子にも衣装(誰でも外面を飾れば立派に見える)】を言われました。そうした外形ではなく、中味(魂)が大事です。
それは日本の天皇として生まれた出たから特別な魂の人であり、名も知れぬ貧しき家に生まれ出たから卑しき魂の者ではないということなのです。福沢諭吉の言葉にある【天は人の上に人を作らず】なのです。
この世は魂の修学の場で在り。その修学において、いろんな環境に生まれ出て来るなのです。日本の天皇として生まれ出るのも、名も無い人として生まれ出るのも、全てこの世での【役目】という話に過ぎないなのです。
そこに来る日本の神話が【蘇民将来(民は将来に蘇る)】
乞食の姿とされるように、神は立派な姿で現れるでは無い
一部の霊能者の方達は、私に対して【貴方は神界では何々様ですよ。】と言って来られますが、それが本当なのかどうかも解りません。ただ、私は今生の役目として、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたはその仕組を見て、人々に告げなさい。】と旧約聖書の神と称する声から告げられたことをしているだけです。私の魂の本当の正体が神界で誰であろうと、私は社会の底辺を市井の者として生きているなのです。私も今生の生き方が創造神の御心にそぐわない生き方であれば、いくら神の御用を務めた者であっても私も処罰を受けるでしょう。
人の身分や財力で差をつけるは、誠の者の所業に非ず
これから先、日本だけでなく世界は自然現象の天変地異の中に入って行くと予想されます。もう神にこの地球の安寧を祈ろうとも、そんなものは通用しません。永遠の神の御国に入って行く魂と、そうではない魂との永遠の別れの時を迎えるだけなのです。
大本教は日本の皇室の祖神とされる天照大御神よりも【国常立尊】の方が上位の神だから「国常立尊」の名を世に出して、皇室神道と張り合ったのではないのです。皇室神道などを振りかざしていては、地球の危機に対処する世の大立替が解らないからです。
ですから、旧約聖書の神(艮金神国常立尊)と称する霊声は、私に
【この私だけを唯一の神とせよ】と告げられたのです
それは創造神に、この地球の現状を何とか助けてくださいと祈ることではないのです。創造神とされる神と共に永遠の【神の御国(みろく世)】に渡る。そこに視点を置き換えなければならないなのです。それは【輪廻転生】が終了して、永遠の世に向かうからです。
私は霊能者をしている者ではありませんので、その真偽のほどまでは解りかねますが、伊勢神宮を訪れられた霊能力がある方が、その伊勢神宮の神と称される霊から上野公園と称する者に伝達して欲しいと頼まれた言葉は、【この私(伊勢神宮の神)は、この日本の総氏神として三千年間の月日に渡り務めたことを忘れないでいただきたい。】というものでした。
前回のブログに書いたように、自分に天之御中主様が降りて来られて、上野公園なる者のブログは全て嘘記事だ。禊ぎとは温かいお風呂に浸かることだと言って来る様な霊が跋扈しているのが今の神霊世界の現状です。人を煽てて来る霊もあれば、人を貶して来る霊もあります。ですから、霊の言葉とは頭から信じるのは難しいのです。ですから、そうした伝言は本当だとは言い切れません。
私自身の魂は霊界の伊勢神宮に飛び。約一万霊体にもなるであろう絢爛豪華な神霊行列を見せていただきましたが、この日本の総氏神たる立場と、万物の創造神とでは神としての立場や格がまるで違うのです。
私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたに何の神力も与えない。そなたにこの神の神力を与えるのは、最後の最後の時である。】と告げられただけで、何の神力も保有していません。与えられていません。ですから、私が言っていることは何の証拠にもなりません。
ただ、私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解いたことだけは間違いない事実です。どの神様達にも紐解けなかった代物です。
ただ、それは大本教神諭に【この神の大望を知る者は世界に唯一人。】とあるように、たった一人だけなので、無力の私にはどうすることも出来ない。それだけのことなのです。
それをどう見るかは、その人しだいであり
言葉の仕組で創造神の存在を確信出来る人は幸いなり
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