地獄の釜の蓋開けか?。地獄の鬼達が【ビーシア(陛下)】と言いながら散らばった

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    令和2年1月8日の未明。私は尿意を感じて目を覚ませると、そこである霊的映像を見ていました。大きな横看板があり。その看板には【祝40年間】の文字が書かれています。私が神霊世界に修業に入ったのが西暦1980年であり、2020年で40年を経過した意味にしては少し大袈裟です。何だこの立て看板は?。です。

    私が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解いたのは、大本教霊界物語の中に書かれた【主の神は三十五万年前に御引退】の言葉と、【神界の時計】を見させられたことからです。大本教はその主の神が時節が回って御引退から主神の座に復帰されると説いたのです。

    で、それを元に計算するとモーゼの40年間荒野をさ迷うではなく、主も【神界時間で40年間彷徨う。】が出ます。

     

    彷徨うは、【皇たる方の歩み】

     

    しかし、その神界時間の1年間とはこの地球で暮らす人間時間からすると途方も無い時間となります。大本教ではその時期を【三千世界一度に開く梅の花】と【節分の炒り豆にも花が咲く】と宣伝したのですが、それだけでは何時、主の神が復帰されるのかの時期がまったく読めないとなります。

    ただ、一部の超能力者達は既に主の神は復帰されていて、【最後の審判】の準備を進めておられると言われますが、それでも近い時期と言えるだけで厳密な時期は解らないとなります。

     

    私はまたもや尿意を感じて目を覚ますと、そこに多数の鬼達が集まっている光景が見えて来ました。彼らは地獄界の【閻魔庁付き】の鬼達とみられる。私は霊能者と呼べるほどの霊能力者ではありませんし、常に霊的存在が見えるタイプではありませんが、私自身は本物やニセ者取り混ぜて神社に鎮座する御神霊や仏閣に鎮座する諸仏やその眷属達は見て来ました。そこで私が見たのは、この世は正神達に支配されているのではなくて、多くの邪(蛇)神達に支配されているでした。

    だが、地獄の鬼と呼ばれる存在だけはこれまで見て来ませんでした。私がこれまで見て来た【閻魔庁】の役人達とは、人の姿で別に鬼の姿では見て来なかったのです。私も初めて地獄の鬼と呼ばれる存在を視たと言えます。

    その地獄の鬼達が、私の方向に向かって【ビ−シア(ビーシャ)。ビ−シア(ビーシャ)。】と声を揃えています。この【ビ−シア(ビーシャ)。】とは、中国皇帝のドラマを見た者だと意味は解ります。それは中国で【皇帝】に対して【陛下】と呼ぶ中国語の発音です。鬼達が呼ぶ陛下(ビーシア)とは、推察すれば【閻魔大王】と考えられます。私の背後です。

     

    とある夜、私の光景に多くの稲荷神、特に女神達が平伏土下座している光景が見えたことがあります。それはとんでもない数の女神達です。これは何事かと豊受姫のお代であった最初の師匠の元に聞きに行くと、それらの稲荷神達は貴方に向かって平伏土下座をされているのではなくて、貴方の【背後】の方に平伏土下座をされているのです。貴方の背後の方ですから、貴方はそれを同様に正面から見ただけです。貴方は貴方の背後の方が誰なのか、未だに理解されていない。そうしたお叱りを受けたことがあります。

    私は子供の頃は【旧約聖書の神】と称する声が臨み、7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は国常立尊様ですとの指摘は受けましたが、私自身が見たのは【閻魔大王】としての姿だけと言えます。

     

    日本語の仕組では、その閻魔は球体たる魂の「円真」であり。閻魔大王の別名は【羅王】であり。この【羅王】が住む城は「羅城」と呼ばれ、その門は「羅城門」あるいは【来世門】と呼ばれていました。その来世門(羅城門)の門番を【邏卒(明治時代は警察官たる巡査)】と言いました。その姿は牛頭に似て虎パンツで【鬼】と呼ばれていました。ここから私の【ラ神論】は「良と羅」の2面で説明して来ました。 地獄の鬼とは現代で言えば【霊界の警察官】であり、【刑事】達と言えます。

     

    【羅】の言葉には【死者の維新】があるので【来世門】

    地獄で自分の罪を償えば、またもやこの世に生まれ出る【来世】の授け

     

    人の魂は何故に【輪廻転生】をしているのか?。そこに【ラ(良・羅)】の働きがあるからです。これは大本教が出した素戔嗚尊の【ス】神論では紐解けないのです。

     

    私は牛頭風虎パンツの鬼達が日本語で無く、中国の漢語でビーシア(陛下)と称えている?。そこから、閻魔庁を再調べしたところ。

     

    閻魔庁とは閻魔【廰】 

    廳は、十四の心(徳・悳)を耳で聞く王

     

    魂の【直心】とは各自の魂の心棒で良心神

     

    その地獄を管理して来世を与える門番の鬼達が【ビーシア(陛下)。ビーシア(陛下)。】と言いながら散っていく様子を見ながら、私は大本教神諭予告【地獄の釜の蓋開け】という言葉を考えていました。

    一般的に【地獄の釜の蓋開け】と呼ばれていることは、地獄に墜ちた亡者も【正月と盆(あるいは藪入り)】の時は地獄から解放されて子孫が居る娑婆で暮らせる。その間は地獄の鬼も仕事を休める。転じて「お休み」をしなさいの意味で使われるなのです。

    しかし、大本教神諭はそうしたことを【地獄の釜の蓋開け】と言っているのではないことぐらいは、霊界を見聞してくれば解ります。

     

    【獄】は言によって獣の姿に化す【身変える】

     

    蛇霊や狐霊や狸霊等も元も人霊であったが多数

     

    大本教神諭に世に出ている神達の姿が【四つ足】であることを暴くぞとありますが、そうしたことが解っていないと「地獄」の意味も理解出来ないのです。

    一つに、地獄に落とされて縛られている魂にしても、現世に人として肉体を貰って出て来ています。私は神代と呼ばれる時代には高貴な神霊でありながら罪を犯してその魂は地獄に縛られていても、人としてこの世に出されている存在を幾つも見て来ました。それは【因果応報】であり、その厳しさは人智で解るものではないのです。

    だが、その【カルマ】を取り除くには仏教でも【三時】の教えで説かれるように、過去・現在・未来に続く【輪廻転生】を生み出したと言えます。

     

    如何なる魂もその罪の浄化の為には肉体が必要

     

    その魂の肉体は【この世の地獄】に置かれる

     

    自分が犯して積んだ罪はスピリチュアルの常套文句。【神の愛で何をしても赦される】はあり得ないのです。人は自分の過去の罪を祓う為、 魂は更生の為に

     

    後世に【甦(更生)】ります

     

    その過去の罪を償う(祓う)この世において、自分の魂は地獄界に墜ちているにも関わらず、自分は【罪人】だと認識を何一つせずに、自分には霊が見えるとか自分は霊界で高い者だったと言っていれば、その罪は更に増すなのです。

    スピリチュアルでいくら霊が見えると言っても、そこで高級な神名や天使と称している者達の言葉をよく【吟味】したならば、ほとんどその正体は暴けます。いくら言葉で自分を着飾ろうとしても、言葉の仕組をされた神では無い以上。言葉が持つ意味を理解していないのです。

    私は【言霊】が何かと解った時、自分の神観は百八十度ひっくり返ってしまいました。だが、この日本は【言霊の幸はふ国】とされていますが、その【言霊】を理解している霊能力者は僅かしか存在しないなのです。

     

    この地獄の鬼達の存在を有名にしたのは、【平家物語】における平清盛公が苦しみ悶え死去する前、その妻であった八条の時子が見た夢の鬼です。ただ物語なので虚構の部分はあるでしょうが、実際に死の床において苦しみ悶える方はあります。そうした時の様子を見た人達は、あまりの様相で地獄に墜ちたと感じるほどなのです。

    その人がこの世で犯した行状は、閻魔の鏡(浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)に写し出されるとされますが、人がこの世で犯した罪は全て【良心神】に記載されると言えます。人はこの世で犯した罪は隠せないなのです。

    この世に生まれ出た人は全て過去に罪を積んでおり、それは【カルマ】として生じています。それらは【目には目を、歯には歯を。】で、【因果応報】なのです。そして【自業自得】です。そして【正負の原則】です。誰が得たのでも無い。自分が得たなのです。

     

    私も大本教で出口なお開祖が【ひらかな】で、出口王仁三郎聖師が【漢字】を担当しておられなかったならば、言葉の仕組みに気がつかないところでした。

     

    大本教が出した【みろく】神とは仏教の「みろく菩薩」で、

    お釈迦様の本当の悟りを人々に告げて、人々を永遠の未来の世に渡す仏(菩薩)とされてきました。

     

    この世の人が全てお釈迦様の悟りたる【人に内在する良心神】を得たならば

    全ての人は釈迦となるので

     

    この世は「オシャカ(毀損)」でいいのです

     

     

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    みろく【五六七】の世とは正守護神段階で、【八九十】は本守護神段階

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      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する霊の声を聞いておりましたが、それが本当にそうした存在なのか?。当時は子供でもあり、それを知る立場ではありませんでした。

      昭和【五十五】年に私の身に起きた摩訶不思議な出来事から、その時期が来たと覚悟を決めて神霊界修業に入ったしだいです。西暦で語ると1980年からですから、40年近く霊的世界に関わっていた勘定です。今年は西暦2020年なので【41】年目に突入です。その【41】年目で「米」教の終了となりました。

       

      最初の師匠となる隣市の稲荷神社の神主で豊受姫のお代さんの元に聞きに行ったところ、豊受姫から【貴方の本守護神】は【国常立尊】様ですと告げられて、その時に私は初めて【本守護神】と呼ばれる存在を知ったのです。それまでは【本守護神】と呼ばれる言葉すら知らなかったのです。無論、詳しい意味すら理解出来ませんでした。

      その後、多くの霊能者に霊査を受けたりして、7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと告げられたしだいです。私が知り合った全ての霊能者からではありません。その中の一部の方です。

      その後、自分なりに学びに学んで【本守護神】【正守護神】【副守護神】と呼ばれる事柄を知ったわけです。そうした言葉を出される霊能者の方は、単に霊が見えると言うだけのスピリチュアルとはまるで違うなのです。

      私は霊的世界に足を踏み入れて、霊が見えるという方は意外に多いことを知りました。されど、その中で本当に霊能者と言える方は数が少ないと知りました。単に霊が見えるではなく、霊界そのものがピラミツド(神の高山)構成で、上部神界に関われる人が極端に少ないなのです。

       

      単に霊が見えるだけでは、ニセ神に欺される

       

      自分の目に衣冠束帯の男性霊や十二単衣の姫神姿の霊。白い翼を持った天使の様な霊が見えたならば、人は誰でも自分は神が見える特別の者だ錯覚してしまいます。そこには自分が霊に欺されると言う知識そのものがありません。また【光】にしても、単に光を見て高級霊だと思い込んだりします。全ての魂は【光】であり、霊界の段階で【光】が違うと解っていないと、その光だけでそれを高い神だと思ってしまいます。邪神だから光輝いていないのではなく、邪神もまた光の存在なのです。だが、光の玉も汚れるなのです。

       

      私は神霊世界を修業していて、意外なことを知りました。本守護神は誰かと解っていても、正守護神が解らない方が多いなのです。本守護神とは魂の世界で自分の魂を生んでくれた親神段階にあります。【天津神】の段階と言えます。一方、正守護神とは自分の魂で【神上がり】をした自分の【前世】と言えます。自分の本体です。輪廻転生の過程の中で【神位】を得たです。

      しかし、人はこの世に生まれ出て来て、正しい行いで【神上がり】をしたとしても、必ずしもその名前は【後世】には伝わらないがあります。ほとんどの人が歴史に名を残さない【無名】のままで終わっていたりしますので、正守護神の名前まで把握するのは難しいとなります。

       

      私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【そなたの前世は悲劇の武将】であったと告げられました。私の前世の武将霊は敵将の首として曝されていたことから、恨みから地獄界に居ましたが肉体の私が恨みを忘れるように説いて恨みを捨てたことにより、私の正守護神と呼ばれる段階まで一気に上がって来ました。恨みを捨てることは重要なことなのです。何時までも世を恨む。人を恨んでいたら自分が上がれないのです。

      副守護神は自分の家系の御先祖霊がされているケースがほとんどとされますが、中には自分の前世で地獄に墜ちている存在がしている場合もあります。神代の時代には神として存在したほどの魂でも、神界で罰を受けてこの世の地獄界に落とされるです。大本教の出口なお開祖の魂がそうした魂であったことは世に知られていますが、私が出会った霊能力を持った女性達の多くもそうした神代時代の神罰を受けてこの世の地獄に落とされていました。だが、その意識の中に自分はかっては高い神霊であった。そうしたことだけが残っているなのです。

      そうした過去の罪を払拭する為に、この世で悲惨な体験をするです。それらが【カルマ】です。それが優秀な霊能者達が説く、この世は【魂の刑務所】です。

       

      肉体の私とは違って、私の前世の霊は今では非常に高い次元界まで上がっています。それこそあれよあれよです。肉体の私はこの世を去れば、自分の正守護神に帰結します。だが、それは死後の世界にてです。そうしたことを日本の新神道では【神人合一】と説いて来たのです。スピリチュアルの論理とはまるで違うのです。

      自分が救世主だと思っている方を守護している霊団が、私の前世霊を六次元霊界で探そうとしたが見つからないと言って来られましたが、もっと上の段階まで進んでいます。それは自分を出した魂の本体たる【本守護神】に向かっているからです。

       

      スピリチュアルでは何かと【ハイヤーセルフ】と言う言葉を出しますが、これらの存在は【ガイド】とか【マスター】とも呼ばれていて、【本守護神】【正守護神】【副守護神】と呼ばれる意味合いとはかなり違います。ほとんどの場合、ガイド(案内)は副守護霊格がしているからです。

      いくら姫姿や衣冠束帯の姿で高級神霊に化けた霊が出てきて、高級神の神と名乗っても何も知らないとなるのです。こうした霊といくら会話しても、何も知らないから霊界のことを詳しく言いません。ほとんど意味が無いことを言います。

      私自身、2番目の師匠の御祭神が「国常立尊」と称しておられましたが、それが本当の国常立尊様では無いニセ者となかなか見破れなかったがあります。それは私自身が霊力とか神力の部分だけを見ていたからです。驚くような奇跡を見せつけられると、そうだと信じてしまいます。 

      ですから【サニワ(審神)】をせよと言われていても、スピリチュアルではそんなことはお構いなしなのです。サニワなど何もしないし、サニワの言葉すら知らないとなるのです。

       

      大予言者であった出口王仁三郎聖師は【天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり。】と言っておられますが、ある自称救世主と称しておられる方達の信仰者の霊(幽)体の額には白の三角頭巾が見られ、死後の世界で【亡者の世界】に案内されるのが見えたりします。

      大本教神諭には、一人一人に一体の【守護神】が就けてあると記されますが、この守護神はスピリチュアルで言う「ハイヤーセルフ」では説明が出来ません。この【守護神】の霊界での段階が重要となるのです。

      自分は神界では元は高い魂だったと言われる方がありますが、確かに神代の時代にそうだったのかも知れません。しかし、貴方の守護神は現時点では地獄界に居るではありませんかと言われてしまう方が多数居られます。いくら自分は神代の時代は高貴な魂だったとか偉い者だったと言っても、現実には地獄界に落とされて地獄から抜けられていないなのです。

       

      自己の守護神が天国界に向かわないと、自分も向かわない

       

      大本教から【五六七(みろく)】と出されてから、【五六七(みろく)】という言葉は世に知られるようにはなりましたが、それが【次元】を語っていることがほとんど理解されていません。

       

      だが【次元】となりますと、なにをもって【次元】と言っているかとなります。巷には自分は「三千億次元」の創造神とか、千万次元の者とか、百万次元の者とか名乗る人達がいます。バナナの叩き売りの様なことをしているわけです。しかし、その言葉を信じて付いて行く人達も多数あるわけです。

      日本が生んだ大予言者出口王仁三郎聖師は、正神界【百八十段】。邪神界【百八十段】と説いておられますが、ではそれは【次元】かとなりますと少し違うなのです。一般的に優れた霊能者の方は神界ピラミツドを【神の高山】と見立てて、高山の段階を表す【合目】で次元と見る方も多いなのです。そうしますと、人によって自分は何次元だと言う主張も、整理できるとなります。

      大本教以後に出た日本の新神道系では、【神人合一】が言われて来ました。この神人合一とは自分が自分の【正守護神】の段階に帰結することです。神界に居る自分の魂で【神上がり】している段階に上がるなのですが、この段階が【五六七】と呼ばれる霊界の段階なのです。

       

      以前に【神の高山(神界ピラミッド)】の図は出しましたが、それは【五六七】の世に渡る為にでした。

      私は豊受姫や幾多の霊能者の方から、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですよと告げられましたが、この【本守護神】たる存在は【八九十】の合目(次元)の段階で、その次元段階まで進むのは容易ではなかったのです。為に私もあまり説明をして来ませんでした。

      大本教霊界物語では神の宣伝使達が自分の力で霊界の階(界)を進めて、自分の本守護神に出会うなどが記述されていますが、各自の魂の【最終旅路】はその本守護神に出会うにあるのです。だが、この世で遊んでいたのでは、それはとても無理となります。

       

      各自の魂の輪廻転生の旅路の終着は本守護神段階

      その為には【神一筋】が要求されます。大本教霊界物語では、仏教の教えで知られる【三途川】と説かれるコースではなくて【少途川】と出されたコースです。この【少途川】に関しては説明された書がありません。その途を行く者が少ないからです。これだけは【神一筋】に行く人だけが行く道なので、私が少途川の存在を教えてどうにかなるではないのです。

       

      では改めて【神の高山(神界ピラミッド)】の改良版を出します。それは各自の魂の親神たる存在に出会える要素がようやく出て来たからです。

       

      輪廻転生が終わる=自己の本守護神の元に戻る

       

       

      スピリチュアルの【神は愛だから、何をしても赦される。】等と言っていると、最後の審判の時には奈落の底に落とされるなのです。それも永遠にです。だが、一気に本守護神の段階を目指すのではなくて、まず【五六七(みろく)】の世が宣伝されたなのです。それが【米】型の教えです。

      私は私の魂の御親神である本守護神【国常立尊】の元に帰りたいとは望んで来ましたが、必ずしも帰れるとは限りません。それは自分の魂に汚れがあると不可能となるからです。私は必ずしも【聖人君子】とは言えません。完璧な人間ではありません。欠点だらけと言えます。しかし、国常立尊様に対する【忠誠心】ならば他の方より秀でるでしょう。

      その魂の汚れを一気に落とす【罰(×)】が出たならば、【米】であった者達は【十】が残るのです。 頂上神の存在に近づくなのです。

       

      私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この私だけを唯一の神とせよ。】と命じられました。【その者達はこの私が救う。】です。その旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国。】と言われましたが、それは【言葉の仕組】だったのです。日本語で無いと解読が出来ないなのです。

       

      私はこの【国に常に立つ御言】を持ちまして説明しました

       

      その旧約聖書の神と称していた霊は、豊受姫を初めとして幾多の霊能者の方から貴方の本守護神は【国常立尊】様だと指摘されたなのです。つまり旧約聖書の神と同一神です。艮金神・国常立尊。天之御中主の神名は天地に分かれて同体神。閻魔大王(冥府の長官)。これらは同じ神と言えます。

      ただ、キリスト教神学では冥府の長官(閻魔大王)を【サタン(悪魔)】ともしていますので、大本教からみろく大神を【六六六】として出した時、大本教は【サタン(悪魔)】信仰かとの声がありました。

      最後の審判はイエス個人崇拝主義者のキリスト教徒のみならず、誰を【救世主】と拝んでも無意味なのです。最後の審判で判定されるのはお釈迦様の悟りであった個々の人に内在する「良心神」の点数であり、それによって新しい永遠の世の霊界での階層が決定されるなのです。

       

      良心神の点数が高ければ、本守護神段階まで進む

       

      優秀な霊能者達はお釈迦様もイエスも弘法大師も出口王仁三郎聖師も【八次元(神界八合目)】界と見なしています。そうした方々の個人崇拝であれば、どれほど頑張っても「七次元」界が関の山となるのです。その方を師とするからです。為に、創造神の近くには辿り着けないなのです。だが、各自の本守護神はそれ以上の段階となるのです。創造神も最高位にあるので、その近くに行けるなのです。

       

       

       

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      西暦2020年 開けましておめでとうございます

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        西暦2020年は、霊的にはある事柄が【開いた】と言えます

        で、明けましてではなく【開けまして】で年頭のご挨拶をさせていただきます。

         

        開の字は、これまでは門が閉じていましたが、その門を開けると言うことです。他に広がる(末広)や花が咲く。通じる。分かれる。離れる。新たに始まる等の意味があります。この「門の中の字は元の意は両手で開く」ですが、誰が見ても鳥居の形です。

         

        日本語は【神の言葉】として知られます。日本語は日本に存在した言葉ではなくて、宇宙に存在した神の言葉なのです。そこがヘブライ語や英語とは発祥が違うのです。為に日本では【言霊】が語られますが、世界では【言霊】は説かれません。

         

        天帝は、神の言葉で【とりのはねをもて】と告げられた

         

        但し今の時代ではなく、現在の人類は知らない超太古の昔です。そのとりのはねを【鳥の羽根】と思った者達も居た。そうしたことが後の世の時代に残って行ったと言えます。それは霊界では言葉ではなくて【絵伝】として出て来るので、言葉の意味を【取り間違える】が起きます。それを起こしたのがスビリチュアルで天使と呼ばれている諸霊達と言えます。

        彼らは比較的新しい時代の霊で超太古のことは何も知らないのです。これは【十里の八根】の意味で、【米】型の仕組のことです。 そしてこの【十里位】は、鳥居の形の示しでもあるなのです。日本の漢字には鳥居型の漢字が無くて、地図記号にはあるのですがPC上だとうまくいきません。またスマートフォン等では絵文字となりますので、あまりよろしくありません。

         

        何故に私が【鳥居】の字を語っているのかと言いますと、大本教からはみろく世の魂として【水晶魂】が出されました。それは主に【球体の水晶魂】を語っているのですが、他に立方体の水晶石で表面に鳥居の形が彫られたものが霊界にあるのです。これは【五六七(みろく)の世】用ではなくて、更なる上部の神界用ではないかと考えられる節があるのです。すなわち【八九十】と呼ばれる神界です。

         

         

        どうしてそうしたことが私に言えるのかと言いますと、大本教神諭に【神が表に現れて、善と悪とに立て別ける】と言う大宣伝がありました。この予告、未だ世に出て来ていません。それには門から【鳥居の型】を出す必要があるからです。

         

        この日本列島は国常立尊様の龍体たる大地で、世界の大陸の雛形と呼ばれています。北米大陸は北海道。最大のユーラシア大陸は本州。アフリカ大陸は九州。オーストラリア大陸は四国が型だとします。だが、南米大陸がありません。この南米大陸は台湾がそうだとされていますが、現在は日本領ではありません。

        私は数年前に全国の【一の宮】を佐渡国を除いて、日本の古来の国家制度の国は全て回らせていただきました。今の日本は一都一道二府四十三県で【四十七】の仕組にの上にはなりますが、日本国だけでは【四十八】の仕組には成っていません。残る一つは【台湾】だとは解っておりましたが、なかなか行けませんでした。

         

        いざ【台湾】に行くと、【龍々】。龍ばかりを見ておりました。と言っても別に黒龍神達ではありません。

        科学者から言わせれば【龍】は架空動物ですが、霊能力がある方ならば【龍の幻視】をされているでしょう。そうした龍は神社や仏閣の柱に彫られていたり天井に描かれています。この龍は、西洋人が言う龍とはまったく別の姿だと解るでしょう。

        この龍は地球上に現れた【恐竜】の類いとは違うのです。一つは宇宙創成に関わった龍と、聖書に記載される【龍とは霊界で年老いた蛇霊】とあるように、ほとんどの龍は霊界で年老いた蛇霊の類いで【黒蛇】からものが多いのです。優れた行者ならば、龍とは霊界で三千年の月日を修業した蛇霊と言うように、実体は知っているのです。

        ただ、今の人類は超太古の時代に発生した【国常立尊様の御引退劇】にそうした蛇霊が深く関わった歴史を知らないとなるのです。

         

        某著名な神社や多くの宗教団体から出されるお札には、そうした【黒蛇】霊が入っています。何を喜んで拝んでいるのか?。なのです。こうしたことは蛇霊の意味を知ろうとしないスピリチュアルは別として、行者の世界では知られています。ただ、【黒蛇】のどこが悪いのかとなるだけです。

        自分では自分が「救世主」だと思っていたある方は、その背後に膨大な黒龍神が従っており、それらの配下に「黒蛇」が多数居ることも知っておられましたが、黒蛇の意味がまったく理解出来ておられないがありました。それは今の神界がそうした黒龍や黒蛇によって支配されている現状をどう見るかなのです。

         

        写真は日月潭を見る文武廳にての龍。

         

         

        私は台湾に行って思考していたのは、大本教では出口なお開祖の子息であった出口清吉さんが、日清戦争で出征して台湾から日本に戻る途中に病死して海に葬ったとされます。出口開祖に降りた神示では、この出口清吉さんは海中に葬られたが本当は生きていて、【日之出の神】として生きているとしました。後に、その出口清吉さんの生まれ変わりが大本教三代教主補であった出口日出麿(元の名は高見元男)師で、【日之出神】と呼ぶことになります。

        大本教三代教主補であった出口日出麿師は霊界の戦いの中で精神を患っておられましたが、正常時の霊能力は出口王仁三郎聖師をして、自分より上だと言わしめたほどの存在だったと言われています。この【日之出神】のことはあまり知られていませんが、大本教で龍宮の乙姫(大本教三代教主であった直日さん)の【夫神】とされる神のことを指します。

         

        これを【龍宮の乙姫と日之出の神】の揃い踏みとする 

         

        大本教の三代教主の【龍宮の乙姫】と三代教主補の【日之出の神】の夫婦の型は、神の舞台の型演技としてなされたのです。

         

        私は台湾に行って、二つの事柄を知りました。

         

        台湾の湾は【灣で言葉の糸(意図)】

         

        台湾で如何なる言葉の【意図】を知るのか?

         

        私達日本人は台湾の人達は中国人だと思っていますが、台湾の人達は自分達は別に中国人だとは思っていないがあります。

        日本が台湾を統治下に置く前、台湾人とは【平埔族と高山(高砂)族】と呼ばれていました。他にその昔に中国本土から移民として来ていた中国人達です。高砂族に関しては、別名【首狩り族】の異名がありました。太平洋戦争では高砂族による【高砂義勇隊】が結成されて、白骨街道と言われたインパール作戦においては日本軍の先頭となり、その勇猛果敢振りは戦史に残るほどなのです。

        明治4年に宮古島島民遭難事件がありました。台湾に漂流で流されて、先住民に殺されたことで日本国が【清国】に抗議したところ、台湾は清王朝の国家統治が及ばない地域の民との返事があり、日本政府は台湾に出兵してこれを攻撃して降伏させたがあります。当時の台湾は清王朝の属国であっても、清王朝の力が及んでいなかった地域なのです。

        それは日本における琉球王国も清王朝の属国であった時があります。清王朝の権限は及んでいなかったが、貢ぎ物(税)を徴収したです。明治維新以降、清王朝は台湾にも漢文化を推し進めたなのです。

         

        明治28年から日本は台湾全土を占有して、それまで部族毎に使う「言葉」が違っていたのを日本語という「言葉」で台湾人としての統一のみならず日本人化をして行ったなのです。

        その後、日本は戦いに負けて領土を手放し、中国の【蒋介石】と国民党が中国本土から台湾に逃げて来ました。この時の中国人とは国民党の兵隊で解る様に男性です。そうした兵隊達は台湾に居た女性達と結婚をして子孫を為した関係上、その子孫たる台湾の人達は自分達は中国本土の中国人とは違うと意識を持っておられるなのです。母方からの血は台湾人としての血です。

        台湾の人達は台湾の発展の礎を築いてくれた日本人に大変な感謝心を持っておられるなのです。それが親日なのです。そこに台湾では、今でも台湾も日本国の一員に成りたいと言う考えを持つ方も居られるとなります。

         

        大本教に勢いがある当時。霊学の分野としては台湾の人達にも日本人と同様に【大和魂】が付与されているとする説もありました。日本列島が世界の雛形であるならば、当然台湾もその中に入ります。日本統治下ではない現在はよく解りませんが、日本語を使う民は【ヤマト人】の魂とするわけです。

        私は【米】型から【みろく(三六九)】は紐解きましたが、大本教が演じた神芝居には、【龍宮の乙姫】と【日之出の神】の夫婦としての揃い踏みがあります。無論、これは大本教で型は演じても演じきれなかった項目とは言えます。

         

        大本教は優秀な霊能者からは【予告教団】と言われていますが、大本教で出した型演技は演じる役者を変えて出て来ます。

         

         

         

         

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        何故に【米】一字型教は終わらなければならなのか?。新地球で【みろくの世が開門】

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          私は朝鮮に残されていた最後の審判前に【救世】の為に【米一字】の教えが起きる。その米一字の教えが終わった後、その米一字の教えに従った者達の上には天の神罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天からの神罰が開始される。が、その天の神罰の最中に現れる【白十字】によって、天罰を受けている人達も罰が取れると救われるとあった内容に、これはどういう意味だろうと考えてはいました。だが、これまで意味がまるで解りませんでした。

           

          当時は【米】字から【×(罰)】を取ると残るは【十】字程度の解釈

           

          私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から魂の【輪廻転生】に関しては教えられていました。人は死んでは生まれ変わるです。そして魂を腐らせたりねじ曲げてはいけない等です。が、そうした事柄以外はさほど重要な教えは受けていません。ほとんどが【格言】とか【諺】の類いです。全てこの世から学べです。

          私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から受けたことは、そなたは社会の底辺で【人の心の在り方】を学びなさいです。人の心の在り方に関して社会の底辺の人達から学ぶであって、【宗教書】を学びなさいではないのです。旧約聖書の神と称する声は、【世界の宗教書に私の教えなど載ってはいない】とまで告げられたのです。自分の書である旧約聖書ですら、学ぶ必要が無いとまで告げられたほどなのです。為に、そなたを社会の底辺の環境下に置くです。それで私も人としての下座行を積んで来たなのです。

           

          私は社会の底辺で何を学んだのか? 

           

          それは人々に内在している【良心】でした

          社会の上層部に居る人にはあまり【良心】見られないが、社会の底辺の人達には【良心】を持つ人が多く見られる。

           

          私が米の教えとして説いている内容は、結果的にはお釈迦様の悟りであった【人には良心と呼ばれる神が内在する】であり、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊】で【ラ】の言霊を紐解いたのですが、私の良心神の基本は、社会の底辺で【人の心の在り方】から学んだ結果です。その為には社会の底辺を歩く必要がありました。良心神など学問では誰も教えてくれません。良心という言葉は世に存在しても、学問的なことはほとんどなかったのです。スピリチュアル等は良心の【呵責】は重いから捨てましょうで、真正面から取り組む姿勢すら持たないなのです。

          大本教の出口王仁三郎聖師は、世の立替に関して【牛の糞が天下を取るようなことだ】と述べておられますが、自分は神霊界で何々神だったではなく、【牛の糞】です。だが、広辞苑の様な大辞書にも「牛の糞」の意味が載っていません。それで意味を知る方は少ないでしょう。

           

          牛の糞とは、人を意味した意味なのです。

          ,弔泙蕕覆ぜ圈碧淇諭

          表面は剛直だが、内側は柔らかい人

           

          一番解りやすいのは、【どこの馬の骨やら牛の糞】の諺です。この世で何の身分も無い者に対して、外から発する言葉です。言うならば【社会の底辺の者】を指した言葉です。

          私が神霊世界に修業に入った頃、ある不動明王と一体化している方が、私に対して【どこの馬の骨とも解らない者が奉納した酒など不味くて飲めるか!】と毒づいた時、私がお世話になっていた豊受姫が、この方(私)がどなたか解っているのかと立腹されて、その不動明王を金縛りにする事件がありました。

          私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【そなたは自分が本当は誰かを知らないし。神達にも解らないようにしてある。】と告げられていましたので、別に私に対して不動明王が何を言おうとも気になどしていませんでしたが、豊受姫が立腹されたなのです。如何なる身分の筋か解らないような者が馬の骨で、牛の糞は取るに足りない見向きもされない者です。

           

          社会の底辺に身を置くほど、魂のことは見えて来る

           

          私は子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいたこともあり、昭和五十五年に私の身の上に起きた摩訶不思議な出来事から覚悟を決めて神霊界修業に入ったしだいです。

          私が伏見稲荷山に初めて上がった時、豊受姫はそのお代であった最初の師匠を通じて、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の【詔(みことのり)】と同じであり、貴方の言葉の教えに従えない神達は天帝に対する反逆罪として、如何なる神であろうとも天帝から処罰される。】と告げられたのです。

          その【言葉の教え】が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で、【米】一字の型の教えだったわけです。豊受姫は私の言葉による教えに従わなかった者達の上には如何なる神で有ろうと天帝に対する反逆者として、天帝が処罰されると告げられたなのです。だが、その処罰の中味は何を指しているのかが解りませんでした。

           

          【米】一字で知る【三六九(みろく)】とは、天帝の【詔】

           

          豊受姫の神示に従えば、朝鮮に残されていた【米】一字の教えに従わなかった神達は天帝に対する反逆罪者として処罰されるという意味ともなります。しかし、その天帝はどこに居るかとなります。それは記紀神話で語られる【天之御中主】と呼ばれる神のことでもありません。

          私を見た霊能者の7〜8名の方は、貴方の本守護神は国常立尊様だと指摘されましたが、一部の霊能者の方は貴方の背後には国常立尊様も天之御中主様も見えるとも指摘もされて来ました。別の一部の方は貴方の背後には【宇宙最高神龍神】すら存在して来るとも言われます。

          私自身が神霊世界を歩いていますと、天帝?。それは何じゃ?。という御神霊達があまりにも多いことからして、天帝の存在は神々にも解らないという現実があります。それは私も別に天帝を知るほどの者ではありません。私には子供の頃は旧約聖書の神と称する声は臨んでいましたが、別にその姿すら見たでもありません。私が霊的に見たのは【閻魔大王】と呼ばれている存在だけです。

           

          私はこの西暦2019年末。厳密に言えば2020年の節分迄なのでしょうが、人の目にも世に出ておられる神々にも見えない霊線で人類は線別(選別)されたと見ています。その選別そのものは2019年からでなく、数年前から既に起きていると説いておられる霊能力者ブロガーの方もありました。その線引きが終わったというだけの話にしか過ぎません。

          この2020年から霊的には線別(選別)されることに何か特別の意味があるのだろうか?。そこに私の疑問も生じたのですが、この2020年から霊的世界であることが起きるなのです。

          人類の上に天罰が降りるとしても、その救済の【白十字】が現れるのはまだまだ先となります。それは私自身、豊受姫から【貴方は立替の嵐の中を突破する】と告げられましたので、私も天からの神罰が降りている最中は何等かの災害の罰は受けると覚悟しています。

          問題は、最後の審判の日迄にこの世を去られた方の魂はどうなるかがありました。これまでの霊界にその日まで留め置くかです。ここは私も思考が抜けておりました。これまでの霊界にその日まで留めて置くのではなくて、そうした魂はこの世を去ると直に【みろく世】に渡るなのです。

           

          みろく世に入る開門が西暦2020年から始まる

           

          2019年末迄に霊的な線引きを終えておく必要は、2020年から【みろく世(新・神の御国)】に渡る資格を得た魂が入る為だったと言えます。

           

          私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声からは、【そなたが教えを間違えれば、それはそなたの責任に非ず。この私の仕組が悪かったのである。】と告げられましたが、旧約聖書の神と称する声が告げられた仕組の解説を間違えないように努力はしています。しかし、私の様な者にどこまで解るかのだろうとは常に思っています。

          私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【私は人類を新しい地球に移す。】と聞かされて来ました。その新地球とはこれまでの地球と同じ型で瓜二つなのですが、存在する次元が違う為に天文学や科学では見えませんし解りません。

          その新地球の存在を知る霊能者達は【七次元界】にあった予備地球だと言われます。この地球が危なくなった時、その地球に住む人類を助ける為です。為に天帝が隠されていたと言います。その時には五次元界迄その高次元界の地球を降下させるです。だがそれは霊的な存在で【宇宙船】と言われる方達もあります。 三次元物質界に依存しないということです。

          その新地球の存在に関してはヨハネの黙示録には既に予告されていますが、この日本でも人類は新地球に移行すると語っておられる方は少なからずおられます。ただ、それを世に発信している方は非常に少ないなのです。あまりにも途方もないことであり。皆さん、宣伝しても宣伝してもやって来ないみろくの世に、さすがに諦めの気持ちが入ったと言えます。しかし、霊的に新地球の存在を見たと言う方達はそれなりに居られるのです。

           

          そうした新地球の存在を知る方の中で、十数年前の話になりますが、国常立尊様は新地球の建設に当たって、新地球(みろく世)に行くことが早くから決定している魂を分割して、魂の片方を新地球の建設に当たらせて、魂の片方を肉体に留めて神界の御用をさせておられるとの話がありました。

          もしも下準備がないまま、行きなり新地球(みろくの世)に人類が行かされると、何の受け入れ準備も無いといことになるからです。ただ、分割された魂であっても、新地球で受け入れ活動している魂とこの地球に留まっている魂との間では、交流が遮断されているがあったのです。みろく世に渡っている自分の魂の半分から、その様子が聞けないなのです。

          だが、西暦2020から新地球のみろくの世が開門となりますと、既に分割されてみろく世に行っていた自分の魂から、その世界の様子が自分にも入って来るともなります。その新地球に早くから行っている魂の持ち主は、最低でも五次元界以上に行ってはおられるのです。

           

          ただ、みろくの世は次元界だけでは言えないのです。それは今の霊界は六次元界まで邪神達が闊歩していることは知られています。黒龍神界の大物達が六次元界には多いからです。六次元界に居るからと言って、それらの邪神は新地球には移行させないがあります。

           

          そこを巡って正神邪神の神界最終戦争が勃発します

           

          その神界最終戦争の関係上、天帝自らがこの地球に降臨するが起きます。そうしないと善悪が決着しないからです。個々の魂を浄化させる【魂浄化の為の大祓いたる天罰】と【神界最終戦争】が複雑に絡み合って来るので、【みろくの世】とはスピリチュアルの様に【何の心配をしなくてもいいのです。この地球が自然に五次元界に自動上昇するだけです。】と単純なことを言ってはおられないのです。

          そうしたことが解っている反国常立尊派の神々は、この地球上に【地底王国】の建設に走っている。そこまで見通しておくが必要があると言えます。

           

          私の【米】一字の教えは、新地球(みろくの世)で開門が始まる迄であったようです。米の教え(天帝の詔)を無視した方達は、【魂浄化の大祓いたる身殺ぎ(禊ぎ)の天罰】を受けた後、悔い改めをすると神の御国(みろくの世)に渡ることになります。

          その世界は【分かちの国】となりますので、どうしても自己本位。自分勝手。礼儀知らずだと天国住民の中には入れないことになります。スピリチュアルの様に【神は愛だから何をしても赦される】で自分勝手なことをしていれば、他の天国住民とは合わないとなります。そうしたことは理論的に【思考】すれば誰でも気づけるはずなのですが、なまじ霊が見えたり会話が出来ると、そこに高い神名や天使を名乗るニセ霊の正体が見破れないとなるのです。

          米教そのものは使命を果たしましたが、豊受姫からは【貴方は立替の嵐の中を突破する】と告げられていることもあり、米の教えを信じた方達の為に私も最後の審判(みろく世の次元界決定)の時まで発信して行きます。何故ならば五次元よりも六次元。六次元よりも七次元。さらにそれを超えて、皆さんの魂が本守護神の段階(八次元界以上の神界とされています)に辿り着く為には不定期になるかも知れませんが、永遠に嬉し嬉しの世に渡る迄お付き合いのほどを宜しくお願いします。

           

          私は何の為にこんなことをしているのか?。別に地位や名誉を欲しいからではありません。

          私の魂の本親の【本守護神】の元に帰りたいからです

           

          私がしていることは皆さんの為にではありません。自分は他の方より高い魂だと威張りたいではありません。ただ、自分の魂の親元に帰りたいという子供心からです。父の胸に帰りたい。この世の地位や名誉など何も要らないのです。地位や名誉等に縛られていたら魂に重い荷物を背負うだけです。私と一緒に皆さんの魂の本親の為にも神の御国に帰りましょうと言っているだけです。

           

           

           

           

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          【米】一字の教えの後に現れる人類を救済する【白十字】とは?

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            私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私は今の世の幕を降ろして、人類を永遠の嬉し嬉しの世(みろくの世とか神の御国と呼ばれる)に渡す。】と告げられました。次に【私はその為にそなたをこの世に遣わした。この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。そなたは一人だけには私の仕組を見せるので、そなたはそれを人々に告げなさい。】との命令を受けたしだいです。

            ただ、その仕組とは【そなたが歩く道は、これまで人類の誰一人としてその道を歩いた者はいない。そなたがその道を歩く最初の者であり。そなたの後にそなたと同じ道を歩く者も出ない。そなたが最初で最後の者となる。】と告げられました。私が旧約聖書の神と称する声から受けた任務は、【この日本国だけに仕組まれた教え】の広報と、人類をみろくの世(新地球)に渡すお世話役があります。

            一部の霊能者の方達は、私が死ねば「三次元世界から五次元世界」に成ると言われるのも、私がこの世の命を終えれば、みろく世に渡る人達と一緒に私もこの地球を去るからでしょう。それは私も人類がみろくの世に行く為の世話役の一人であり。みろくの世ではモウ「米」の教えは必要が無い教えだからです。 

             

            人類の誰も歩いたことが無い道とは、言葉の仕組の道

             

            当時の私は子供でありましたが、子供心にもこの世の幕引きなどの途方も無い内容を信じていたのではありません。しかしその言葉があったからこそ、昭和【五十五】年に私の身に起きた摩訶不思議な霊的な出来事に覚悟を決めて神霊世界に飛び込んだと言えます。時にはあまりの辛さに【自殺】も頭によぎりました。

            私にとっては、子供の時に聞かされた旧約聖書の神と称する声が告げた内容が本当なのか?。嘘なのか。それを確かめたかったとも言えます。しかし、それはまさかまさかの連続の道でした。

             

            私が最初の師匠とした方は女性で隣市の稲荷神社の神主で豊受姫のお代。当時伏見稲荷大社講に所属する霊能者としては癸韻箸良床舛高かった方です。その豊受姫から貴方の本守護神は【国常立尊】様と告げられて、大本教に降りられたウシトラ金神たる神。本来は能勢の妙見山での修行が好ましかったようですが、神霊界修業を指導を出来る方の関係から伏見稲荷山で霊的修業のお世話になりました。

            しかし私は単なる稲荷行者になるではなく、幅広い知識を求めたのです。最初は地元の教団ということもあり。大本教神諭と霊界物語を読みました。そうした時、本屋で手にした一冊の本に朝鮮半島に残されている予言として、最後の審判前。人類救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には【天罰】は降りないが、そうでなかった者達の上には【天罰】が降りる。そうした内容の物がありました。天罰を受けるのと受けないでは大違いとなります。

             

            だが、誰が考えても【米】一字で教えなど出来ない

             

            しかも、その予言の後半の部分には天からの神罰が降りている最中に、天から現れる「白十字」によって【罰】が取れて人類は救われる。とあるのです。米一字の教えもちんぷんかんぷんなのに、そこに人類を助ける罰を取る【白十字】ともなれば、それ以上にちんぷんかんぷんでした。あまりにも意味が解らないで、その本を買いませんでした。だが、あまりにもちんぷんかんぷんの内容なので、逆に私の頭の中にその言葉を記憶をしてしまったのです。

             

            天帝の天罰の最中、人類の罰は【白十字】に救われる?

             

            私は大本教神諭に触れて、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解いて、それは【米】一字の型で説く教えだと解りました。その一輪の言霊とは、お釈迦様の本当の悟りは【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】であったことを知る為に【みろく(369)の仕組と五六億七千万の数字】を生み出すものでした。

            また、大本教からは【伊豆能売(いづのめ)】神諭等も出されましたが、神直日とか大直日が何を差しているかとなったならば、魂の罪や汚れという事柄に対しての記述であったと解ります。だが、その【魂】とは何ぞや!。それに対することが世界の宗教ではほとんど出ていないとなるのです。記紀神話をいくら読んでも「魂」を理解するのは難しいと言えます。

            そこに出て来たのが大本教で、【節分の炒り豆にも花が咲く】で、【鬼と云う(魂)】の存在を説いて来たのです。しかもはっきりと【牛虎(艮)金神】と「牛頭虎パンツ」を示したのです。日本人にならば、牛頭虎パンツで冥府の長官【閻魔大王】たる存在が出て来ます。さらに大本教神諭は、【この世の閻魔大王として現れる】としたのです。

            だが、キリスト教神学などでは冥府の長官(閻魔大王)を【サタン(悪魔)】にしていまいました。これでは魂の【輪廻転生】がまったく解らない歪な宗教となってしまったのです。イエス個人崇拝で救われると言う大錯覚です。

             

            私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫のお代であった師匠を通じて豊受姫は、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方。貴方の言葉による教えは天帝の「詔(みことのり)」と同じであり、貴方の言葉の教えに従えない神は如何なる神であっても天帝に反逆する者として天帝から処罰される。】と告げられます。

            しかし、いくら何でもこの私が「言葉の神」と呼ばれる様な貴き者であろうはずなどありませんが、その言葉を聞いてある予言を思い出したのです。【ユダヤ人で無い異国の人が異国の言葉をもって主を語る。その異国の人はその国では「言葉の君」と呼ばれている。言葉の君は自分は主を知らないと言うが、万軍の主は言葉の君のことを知っていて、全ての裁きを終えた後、万軍の主はその言葉の君を万軍の主の元に召しい出す。その時をもってユダヤ人は救われるという物を思い出して、ヘブライ語でない異国の日本語で万軍の主である主を語ることが出来るであろうかと取り組んでみただけなのです。

             

            最初は不可能と思っていた【米】一字の型は紐解けました。しかし、最も重要と思われる事柄の人類が天より天罰を受けている最中に、そうした天罰を受けている人達を罰から救う【白十字】だけはどうにも答えが解りませんでした。 正直申し上げて、この【白十字】の意味が紐解けたのは、西暦2019年の12月に入ってからです。米教の天から罰を受けない締め切りの終わりと同時に「白十字」の意味が解けたのです。それまでは白十字とは「○十の白衣観音」さんのことかと観音霊場なども巡っていました。

            それは実に意外な答えだったのです。だが、これは【米】一字が天罰を受けない教えとあるのに対して、天罰の最中なのです。天罰そのものは受けるが、最終的には救われるなのです。

             

            この意味を私に聞こうとはしないでください。私達日本人はこの意味を知ることは知っているのです。さりとて私に聞いたから言ってどうにもなりません。それは天罰を受けている最中だからです。天罰を受けない者には関係ないことですし、天罰を受ける者に教えても意味がないのです。天罰を受けない者達と天罰を受ける者達との選別(線別)はほぼ終わったからです。だが、天罰を受けても【白十字】で罰が取れてみろく世行きが出るなのです。

            私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は【旧約聖書は我が書であるなれども、旧約聖書を読んでも解らない。旧約聖書は暗号書である。そのままに読めば意味を間違えてしまう。私の教えは日本民話や昔話や童歌に入れた。そなたはそうした物を読んで私の教えを知りなさい。】と告げられましたが、そうした中にこの【白十字】の意味は入っていたのです。

             

            私は以前から人類は霊的な線で【二線】に別れると説いて来ました。この線は人の目にも霊的目線でも見えません。おそらく世に出ている神々にも見えないでしょう。しかし一部の精神世界に関わるブロガーさんは、この線の存在を語っておられました。一部の方だけに二線に別ける霊線の存在が告げられているなのです。

            私もそこから先の図はこれまで示しておりませんでした。それは【白十字】の意味がどうしても解らなかったからです。「白十字」の意味が解って、大本教の出口王仁三郎聖師の演技には少しその型があったのですが、私もそこは何故という疑問はあっても今日迄通り過ぎていました。出口王仁三郎聖師の演技を疑問視はしていても、まさかの仕組だったと言えます。

             

             

             

            最後の審判と呼ばれているものは一部の霊能者の方も語っておられるように【各自の良心神の点数】で判定されますので、別にどの宗教を信じていたとか誰を拝んでいたかは関係がありません。

            ただ、言えることは一部のスピリチュアルの【何をしても神の愛で赦されます】の教えを信じていた者は痛い目に遭うなのです。天罰のことを理解していなかったからです。

             

            巷には自分が【救世主】ですと呼称しておられる方達はありますが、天罰が降りている最中に現れる救済の【白十字】とはそうした自称救世主を名乗る人達のことではありませんでした。そうした自称救世主達も全て「良心神」の点数判定は受けるのです。そうした自称救世主すら天罰を受けかねないのです。

             

            白十字とは【馬小屋】の意で、人々の魂を救済する

             

            しかし、問題はどの段階で天罰を受けている人達を助けるのか?。があります。人の魂が輪廻転生して来たのは、各自の魂の【カルマ】が要因であり。カルマが無い魂はそもそもこの世には降りて来ないがあります。お釈迦様は自分のカルマが取れたことから、二度とこの世には出ないと言われたのでしょう。自分の前世は【釈尊】だったと言えば、これは完全なニセ者なのです。そうしたカルマの存在を知らないと【良心神】は出せないのです。

            各自の魂が受ける天罰とは【目には目を、歯には歯を。】で、自分が過去世で積んで来た罪以上の天罰は創造神であっても課すことは出来ないのです。

             

            全ての魂が如何に天罰を受けようとも、各自の魂の「心棒」である杭を改める悔い改めの【改心】に向かうかとなった時、蛇霊達は魂が消滅しても絶対に悔い改めないと言っていることからしても容易ではありません。そこには、絶対に悔い改めないと宣言している者達を、天罰で改心が出来るかという問題があるのです。 そうなれば今の地球霊界に留まるとなります。

            スピリチュアルでも一部の方達は【中有界】消滅を説いておられますが、中有界そのものは天国(みろく世)行きと地獄界行きが定まっていない世界の意味でしかありません。地獄界は四次元界になりますので、この地球に残るのです。

             

            早くから一部の霊能者の方達は世の立替とは、【魂の汚れの借銭払い】とを説いて来てはおられましたが、スピリチュアルと標榜する人達が【何をしても神の愛で赦されるのです。】と説きまくるので、余計に世の中を汚すことになってしまったと言えます。

            一部の霊能者やスピリチュアルの方達も言っていることですが、この地球はさほど持ちません。それは別に地球温暖化だけではありません。そうした予言されて来た内容とは下記のような事柄です。

             

            ポールシフト(地軸の変動)

            地球そのものの動力停止(時間の停止)

            大地震等による大地の沈没、火山の噴火

            月の表面の崩れによる隕石の火の雨

             

            無論。こうした予言に【絶対性】があるとは断言は出来ません。しかし、どうしてこうしたことが予言されて来たかは霊界に有る映像からです。霊界にそうした映像がある以上、起きうる可能性があるのです。仮にそうした出来事が起こるとしても、創造神は人類を救済する為の【立替】に入られるなのです。

             

            だが、そうした内容も本当に創造神が存在するのか?

             

            その為には、言葉の仕組でその存在を知らしめる

             

            私は今日まで【言葉の仕組】を説いて来ました。そうした言葉で仕組むのは伊勢神宮の天照大御神とか出雲の大国主命様の段階では無理だと言って来たのです。そんな段階では無い神が存在しておられるなのです。豊受姫はそれを【天帝】と告げられましたが、天帝など居ないと言っている様な霊等は非常に低い霊なのです。

            私が旧約聖書の神と称する神から受けた命令は、【人類を永遠の嬉し嬉しの世に渡す。】であって、今の世は幕を引きますが、新しい地球に人類の魂を渡す為に神司(翼を持たない天使)達と一緒に働くなのです。

            ようやく天から神罰を受けている最中に現れる人類救済の【白十字】の意味が解りましたので、これからはそれに付帯する内容が私にも出て来るかと思います。

            ただ、【白十字】は今日や明日に現れるのではなく、その意味からするとかなり先になります。私はその日迄この世に生きているかどうかが解りません。さすがにその日までブログを書き続けるのは、老いた私には難しいがあります。疲れたです。私もそんな先のことだとは思ってもいなかったからです。

             

            無論、私が説いていることなど何一つ【信用】していただかなくて結構です。世の大立替やみろく神は大本教が言い出しで、西暦1892(いち早くに)年からでしたが、あまりにも宣伝ばかりで何も起きなかったことから【信用】を失ってしまいました。その当時の大本教信徒の霊は高い霊世界に行ったと言われていますが、艮金神国常立尊様を信用したからこそです。

            世の立替宣伝をした大本教の出口王仁三郎聖師は、信徒から何時立替なのかと迫られて、そんなに簡単な話じゃ無い。何時起きるか言えないと答えられたがありますが、大宣伝者でもそうだったのです。艮金神国常立尊(旧約聖書の神)が何を考え、何をされるのか?。そんなことは人間の身で解ろうはずもないのです。

            私は【神芝居】の中の一者であり、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【神の舞台に立つ役者は舞台の筋書きを知らずに神の舞台を演じなければならない。全ての筋書きはこの私だけが知っているであり。世に出ている神や人民が知ることではない。】と告げられているからです。世に出ておられる神々が沈黙しているのも、創造神の筋書きを知らないがあるのです。

             

            みろくの世とは、これまで【五六七】の世と宣伝されて来た様に、五次元、六次元、七次元と言う【高次元界】にと渡りますので、別にその次元に【次元枠】はありませんので、次元を決める最後の判定の日まで高い次元界を目指す努力は必要です。それは今生のことでは無くて【永遠】になるからです。自分は別に【五次元界】でもいいであれば、それはそれでいいわけです。自分がどこの次元を目指すかは自分なので。ただ、魂の【輪廻転生】が終わるので、高い霊世界を目指した方がいいだけのことです。

             

            大本教から出られた【ウシトラ金神・国常立尊】が何を恐れておられたかは、大本教神諭にあります。【そんなことならば、どうしてもっと早くから教えなかったのか!。】の神々の怨嗟の声と言えます。大本教開教は西暦1892(いち早くに)年なのですが、多くの方がその立替宣伝に携われて来ました。私は立替があるなど知りませんでしたは霊的世界では通用しないのです。

            だが、狸神がウロチョロしました。悪気ではないのでしょうが、それでは【田から実る宝(米)】を【宝のタ抜きで殻にする。】にしてしまいました。霊が見えるとか会話出来るだけでは、そんな霊は神の仕組の詳しいことを知りません。それでは【神の宝】が無いスピリチュアルなのです。

             

            これから先、最後の審判までかなりの日時がありますが、悪の犯罪者のみならず。【自己本位】【自分勝手】【礼儀知らず】な行動の者達の上には天の神罰が下るでしょう。それはその人が積んだ行為の何倍も何十倍もの神罰です。一方、米教で自己の魂の内在神を知り、世の為の助けの行動をした方は、最後の審判において大難が中難や小難。時には無難となって行くでしょう。

            大本教神諭予告。神が表に現れて善と悪とに立て別けるの艮金神【国常立尊】とは、【閻魔大王】でもあるからです。モウ好き勝手なことをすればするほど自分の魂が墜ちるとなります。

             

             

             

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            人類が神の御国に戻るには【蛇の囁き】からの離脱で、ミカエルとは【巳(蛇)帰る】とは何を意味したのか?

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              聖書では人類の【原罪】として、蛇霊の囁きに毒されて【神の御国】から追放された人類と記載されます。

              しかし、今の人類の中でどれだけの人がこの【蛇の囁き】から神の御国から追放された人類の意味を理解しているかとなりますと、皆無に近いと言えます。

               

              キリスト教は旧約聖書の人類の終わりの頃、旧約聖書の神がその御子を使わすとある存在を【ナザレのイエス】のことだと思ってしまったがあります。その予告の主の御子の出現の前には【男女二人の預言者】に神の教えを説かせるとあるのですが、それを忘れていると言えます。イエスの前に出た洗礼者ヨハネは男の預言者の役割とも言えなくもありませんが、イエスの場合はその片方の女性預言者たる存在がその周囲のどこにも出ていません。それではその資格に適合していません。

               

              著名なノストラダムスの予言に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない。東洋の「叡智」の飼い葉桶】があります。これは飼い葉桶の言葉は馬小屋の【救世主】の意味を指しているのですが、それはイエスの様な人の存在ではなくて【東洋の叡智】だと言ったのです。西洋人には解らない東洋の「叡智」に本当の「救世主」があると言えます。それは今日迄埋もれていましたがお釈迦様の本当の悟り、【人には良心と呼ばれる神が内在する。】にあったのです

               

              最後の審判は各自の【良心】神の点数次第で、その行き先が五次元と六次元とか七次元界になるなのです。

               

              イエスの様な救世主が出ると思っていた方は残念!

               

              イエスより後発のイスラム教開祖のムハンマドは、イエスは主の御子ではなくて偉大なる尊敬される神の預言者と指摘していますが、指摘そのものは当たっていたとしても、魂の格としてはムハンマドよりもイエスの方が上位だと私に旧約聖書の神と称する声は告げて来られました。私はその当時【識界】のことを何一つ知りませんでしたので、かなり消化不良を起こしていました。

              ナザレのイエスの場合、優秀な霊能者の調べでその魂はお釈迦様よりも格下であったことは解っています。次元界レベルではお釈迦様とほぼ同じと云われていますが、【識界】レベルだとお釈迦様よりも2段階ほど格下とされています。さりとて、お釈迦様でも創造神のレベルではなかったなのです。確かに、お釈迦様は創造神の存在に関しては別に説かれてはいません。一人一人が【仏陀】と成れる道を説かれたです。

               

              私達人類の目的は、追放された神の御国に帰る

               

              但し、これまでの神の国でなく、新しき神の国

               

              この人類が追放された神の御国に戻るということは、キリスト教ではイエス一人が主の神の御子で、イエスを一人を主の御子と信じる者は神の御国から追放された【原罪】が許されると説きました。しかしキリスト教の本をいくら読んでも、人類の原罪とされる【蛇の囁き】が具体的に何の意味かが説かれていません。イエス自身がその蛇の囁きの意味を理解していないのか知っていなかったとなります。おそらく知らなかったし理解もしていなかったと言えます。その証拠に、その弟子達に【蛇の様に賢くあれ】と説いているからです。

              確かにいくら【蛇】を見ていても、【蛇の囁き?】となります。キリスト教の牧師で解る者など一人も居ないでしょう。こればかりは現実世界では無く、霊的世界に入らないと意味が解りません。だが、ほとんどの人に【蛇霊】の存在など見えません。蛇霊の存在が見えているのは「霊能者」と呼ばれる一部の人達だけなのです。

               

              私はヴェーダ典に記載される。【人の中に眠るコブラ蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の霊的体験をしたことにより、【真理】の探求に入ったしだいです。この蛇の走りとは、聖書にも仏典にも記載がありませんので、そこから真理を掴むなど大変な作業だったと言えます。

              しかし、幸いなことにこの日本では【蛇や狐】が神として奉られています。日本の神霊世界を歩いて来ると「蛇霊」だらけです。そこで厭と云うほど「蛇霊」とは何かを教えられたなのです。この日本の神霊世界に関わっていて、蛇霊の存在を知らないと云う霊能者など一人も居ないでしょう。私は蛇霊や狐霊や関わることが難しかったことから、霊能者としては失格と言われて来た者なのです。

              特に霊感スピリチュアル女子の大半の方は、その「蛇霊」の容器と化しているです。これは霊能力が無くても簡単に解るのです。日本の神智学においては【愛】ばかり言っている者は蛇霊の教えに引っ掛かった者とするほどだからです。

               

              日本のスピリチュアル女子は、神の愛で何をしても赦されます。時には、神は父ですから我が子を叱りません。父なる神とは【厳】霊神であることすら理解していないなのです。それが教えの基本ですから、蛇霊の教えに毒されていると簡単に解ります。蛇霊は奇跡、奇跡で来ますので、どうしても人は【奇跡力】の前に道理よりも奇跡に溺れてしまいます。いくら正神に奇跡無しと言っても通用しないのです。

              それらは【カルマ】を何一つ直視して来なかったことから起きて来ます。何をしても神の愛で赦されているのであれば、そもそも【カルマ】は存在していないことになります。そうしたスピリチュアル女子は、カルマも理解せず。悔い改めるも言いません。それでは神の御国には戻れないのです。

               

              私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【そなたが歩く道は、そなた以外に歩んだ者が一人もいない道であり。そなたが歩く道は、そなたと同じ道を歩く者は二度と出ない。そなたを持ってその道は終わる。】と告げられたのです。その道は、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】と予告された事柄の紐解きでした。

               

              長い年月。カルマの法則により人類が体験して来た【輪廻転生】が間もなく終わります。大本教から出された【人は神の子・神の宮】であり。大本教神諭の【人には神とも成れる魂を与えてあるにも関わらず。】の魂の存在。日本神道で言う魂の【直霊(天帝の分魂)】の存在により、この世の幕は降ろされて、人類はやっと神の御国に戻ることになります。

              ただ、その神の御国とは旧来の神の御国ではなく、新たな永遠の【みろく(五六七)】の世なのです。

               

              為に、悔い改めなかった蛇霊は天から成敗される

               

              私の以前のブログに【人の魂を食い破る蛇霊】の記事を書きましたが、単に蛇霊が憑依している程度の魂であれば強烈な【大祓い】によって魂から蛇霊も剥がされて行くでしょうが、蛇霊に食い破られて人の魂と同化している場合は、【悔い改めて】自己の魂から邪心を取り除かないと行けなくなります。

              邪神達は創造神は人類に対してそんな強硬なことはしないであろうと見ています。為に危機意識は何一つも持っていません。絶対に最後の審判は起きえないの判断です。そこに蛇霊に犯されたスピリチュアルは、【神は愛だから何をしても赦されます。】と説きまくるのです。

               

              私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなたにはこの神の力を与えない。】と告げられている者なので、何の神力もありません。また、肉体の私を使おうとする神霊があったとしても、私の背後の力がそれを許しませんでした。

              私が持った霊能力とは、【言葉の仕組】を解読する為に必要な事柄に関してだけの霊能力でした。言葉の仕組は解読出来たとしても、出口王仁三郎聖師の様な予言能力も付与されませんでした。ですから私は予言者でもなければ霊能者でも無く、言葉の仕組の解説者という中途半端な役の者です。

              だが、言葉の仕組から解って来たことはあります。西暦2019年は人類の路線が二つに別れる手前の年です。一つの路線は永遠の神の御国に渡る人達の路線。もう一つの路線は現状では神の御国(みろくの世)には行けない人達です。ただ、これから来るであろう立替の大嵐【大祓い】によっては、神の御国(みろくの世)行きの路線に切り替わる人も出るのです。現状では一応路線別の区分けはほぼ終了していると考えられます。厳密には2020年の節分迄とはなりますが、それは僅かな方だけでしょう。もう大半の魂の審査は終わっていて、次の【大祓い】次第でどう転ぶかです。

               

              私も幾度か生まれ変わってこの世に出て来ていますが、今生の役割は大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(火水)】の紐解きでしたが、それは朝鮮に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りるとありまして、大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」がその【米】一字の型となっていました。

              しかし、【米】教と言っても、私の名を利用して自分が高い者だと他人に思わせる行為をされた方もありました。私が一言も言っていない事柄を言って、自分が霊界で高い者だと他人に信じ込ませるです。私が旧約聖書の神と称する声から告げられたのは、【今の世は社会の底辺で、何事も今生の名前をもって為しなさいです。過去の自分は何々であった等、そんなことはしてはいけない。】なのです。

               

              そうした事例が大本教の出口なお開祖です。艮金神が直接に懸かるまでは神代の時代は高き魂の方であったが天則違反で落とされて、この世に出る都度この世の地獄の悲惨な人生であったなのです。私は大本教出口なお開祖と同様に、神代の時代は高貴な魂であっても今はこの世の地獄界に落とされている魂の方を幾人も見て来ました。 神代の時代、過去がどれほど高い神の魂であったとしても、神界で罪を創って一度地獄界に墜ちてしまえば「タダの人」です。地獄界の魂なのです。一介の人として苦労を積んで来なければ、その罪など精算されません。それを自分は神代の時代は神であった等と誇ったら、もう地獄から抜けられないとなります。

              【米】教は言葉の仕組なので私が世に発表すれば、それは誰が説いても構わないものとなります。しかしながら、自分では神の御用をしているつもりでも、自分を高い魂の者だと思わせる為に中味を共わない口先の【米】教を言えば、それは言葉の仕組を創られた神への冒涜となります。それは神を利用して、自分を誇る大罪者になってしまいます。

               

              大本教神諭は【米】教の仕組のことを、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】と予告して、【誠】で無い者にはそのお世話が出来ないと予告しました。この【誠】とはその言葉の仕組を知って、世に告げて、自分が偉い者だとする為に使えばモウ【誠】の者ではないのです。

              【米】教の意味は、どれだけ自分の過去世の罪落としをして来たかなのです。自分がこの世の地獄に落とされているのは自分の過去世に罪があり。他人に自分の過去世が誰であったとか誇ることではないのです。

               

              世紀の大予言者だったと言える大本教の出口王仁三郎聖師は、西洋で言う天使長ミカエルなどは存在していない。ミカエルとは【省みる】の意味だと説いておられますが、自分を悔い改めて反省しない者などいくら神の宣伝マンを「自任」したところで、そんな者にこの神の宣伝など命じた覚えはないと言われてしまうでしょう。

               

              人は自分を【偉い】と思うと、【違う】道を行きます

               

              そうした神の名を利用して自分は【偉い】者だとか、【特別の者】と思わせて威張ろうとすると【虎の威を借る狐】ではなくて、【蛇霊】がどんどん寄って来ます。自分で気づかない間にその周囲は【蛇霊】だらけとなるのです。それでは神の御国に戻ることは不可能と言えます。

              正しい霊能者の間では、蛇霊は【怨念。妬み。恨み。執着。未練。権勢欲。金銭欲。】等から蛇霊化することは知られていますが、他に【色情や虚栄心】も蛇霊化することが知られています。

               

              特に神の名を利用して、自分を誇る虚栄心は許されない

               

              神が地獄に降ろした一本の蜘蛛の糸すら切ってしまう

               

              西洋で言う天使長ミカエルとは、巳(蛇)を帰らせる意味でした。蛇と共に神の御国から追放された人類。蛇を帰らせないで神の御国に入れるはずなどないのです。

               

              私の一つの任務は、朝鮮に残されていた最後の審判前。救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りない。それが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】でしたので、これまで長々と説いて来ました。しかし、みろく世行きの魂とそうでない魂との路線判定がほぼ終わったと思われるので、今年度末をもちまして【米】教に関しては終わりとさせていただきます。

               

               

               

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              予告教団として知られた大本教は、何故に【綾部は神の聖都】と告げて、綾部を【神戸】としたのか?

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                丹波の片田舎綾部という町は、大本教開祖となる「出口なお」さんにウシトラ金神国常立尊様が降りられた場所であることは霊界や精神世界に関わる者には知られていますが、霊能者と呼ばれる方達からは綾部の大本教を訪れても、どこにもその【国常立尊】様と呼ばれる神の存在が無いと報告されます。

                もし、綾部の大本教に今もその国常立尊様が鎮座されているならば、いの一番に霊能者と呼ばれる人達が騒ぎ、その存在が世間に報告されるでしょう。

                ただ、艮金神国常立尊と呼ばれる神の存在は解らずとも、出口王仁三郎聖師の霊は大本教に留まって活動されていると報告される霊能者の方達はいます。私は出口王仁三郎聖師と思われる霊と綾部で三度遭遇しています。

                 

                通常神社に祭られている御神霊ならば、どの霊能者からもその神社に行けば御神霊が鎮座されていると言います。私も伏見稲荷山で数年間修業をさせて貰いましたが、そうした霊場には神霊が鎮座されていました。今の大本教に艮金神国常立尊と呼ばれる神が、どこにも見当たらないと言うのは事実でしょう。

                私は綾部の大本教に【国常立尊】様がそのまま鎮座されていたならば、戦前の大本教は天理教よりも勢いがあり、綾部と言う町は天理教の天理市以上の【宗教都市】となっていなければおかしいと言います。綾部を訪れても、どこが【神の聖都】なのかと言う声をよく聞きます。

                綾部の大本教に入信して、綾部の大本教からは離れてしまわれましたが、綾部に居を構えた世界救世教の開祖岡田茂吉師。成長の家の開祖谷口雅春師。日本の心霊主義の父とされる浅野和三郎師。合気道の開祖植芝盛平師。日月神示の岡本天明師等の数々の方が綾部に住まわれたがあります。その当時は、そうした方達は神と呼ばれる存在を綾部で【会得】されたなのです。

                 

                大本教は数々の予言を出してそれを的中させたことから、優秀な霊能者達から【予告教団】として知られていますが、何故にその大本教は【綾部】と呼ばれる土地に根ざしたのか?。

                 

                大本教神諭は、綾部のことを【神戸(かんべ)】

                 

                それは、綾部と言う処に【神の戸】が存在する?

                 

                大本教よりも先発になりますが、天理教を開かれた「天理王命」は今では大本教を開かれた艮金神たる御神霊であったと認知されています。その天理教では天理市を【地場(人間の命の発祥地の中心】としました。この【地場】に参拝することを【故郷に帰る】意味から【おじばがえり】と説きました。

                天理教からは仏教の【輪廻転生】と同様のことは説かれています。死は借りた肉体を返すだけで、肉体の死は新しく【出直す】ことです。この世で【人助け】をすることによって、【自らが助かる道】が開くであって、天理教にはお助け教団の異名がありますが、内容的には私が言っている【他を救いて世根】となれなのです。

                それは、他を助けることによって最終的には各自の魂が【神の故郷】に帰ることを目指します。ただそこに出るのは、私達人類の魂の故郷はどこにあるのかです。その世界を通常【神の御国】と言いますが、この地球上に在るのではないのです。この地球とはどこまでも【魂の修学の場】なのです。そこにあるのが【天の理に従え】なのです。

                 

                天理市の【地場】説と綾部市の【神戸】説に

                 

                如何なる【差異】があるのか?

                 

                大本教の出口なお開祖は京都府でも福知山市の出身で、出口王仁三郎聖師は京都府でも亀岡市出身ですが、私は綾部生まれで綾部育ちなので、大本教神諭に綾部の地を【ここは神戸】とあることに引っ掛かっていました。【神戸】とは神の出入り口の戸の意味であり、【天の岩戸】が綾部に在るではありません。

                出口なお開祖のお筆先は「ひらかな」で漢字ではありません。そこに漢字を振ったのは出口王仁三郎聖師で、元のひらかなの文書が【こうべ】なのか【かんべ】なのかは私には解りません。ここは【かんべ】と【こうべ】では、意味が変わるからです。

                 

                もし【かんべ】であれば、「神戸」と「漢部」が出て来ます。出口王仁三郎聖師が振った漢字は「神戸」で、綾部には【神の戸】があるとなります。

                古代の「綾部」は【漢部(かんべ)】と呼ばれていました。綾部を【漢部】と言うのは、古代に中国からの帰化人【秦氏】が住み着いて絹織物で生活をして、その絹織物を朝廷に献上していたなのです、漢からの帰化人が住み着いた【部】なので【漢部】と呼ばれていたのです。その「漢」の字が「綾」の字となって、現在は「綾部」です。

                大本教が発祥した明治時代、綾部には【郡是(グンゼ)】製糸も発祥して、【西日本最大の蚕都】としても知られていました。

                 

                日本語における「高天ヶ原」とは、

                【米と蚕】の場所を意味するとの学説があります

                 

                天理教により「天理市」となった処の古名は【丹波市】と言われていましたが、通常「丹波」と言えば兵庫県と京都府の中央部を指します。地元では、丹波、丹後、但馬を指して【三丹】地方とも言います。この三丹とは【大丹波】の意味です。その丹波の元の意味は【神の田庭】から起きた言葉です。田庭→丹波。その「田庭(丹波)」に関しては大国主命が経営する土地の意とされます。古代の丹波地方とは、大国主命様が支配されていた土地と言う意味です。

                 

                綾部在住の考古学者の説によれば、その【漢部の秦氏】の一部が桑田郡を経由して京都方面に出て、今の伏見稲荷大社や松尾大社等を創り、太秦の地名を残したなのです。その秦氏は京都では名前を変えていったことから、その流れは完全には解りませんが【秦→波多→波多野→大槻。秦野。波田。崚帖4。畑。畠。】等の名字が秦氏の末裔として知られるわけです。秦氏と日本神道は切っても切れない仲となります。

                綾部の場合、この波多野姓から別れた大槻姓の名字が非常に多く、綾部の大槻姓は人口の約一割近いと見られます。また、波多野姓もあるのです。全て秦氏の末裔と言うことになります。その漢部の八田郷も秦氏が住む土地で、室町将軍の足利義満が生まれた場所(綾部市梅迫町上杉荘園)で丹波源氏でもあるのです。

                その上杉(荘園)の地名が後に関東管領の上杉氏の苗字ともなりました。ですから元の上杉氏も古代は「秦氏」と言えます。

                 

                大本教では、豊受姫は大本教で聖地として立ち入り禁止にしている本宮山に宇宙から降りられた神としています。一方、豊受姫伝説が残る丹後の比治山は豊国姫だったとしています。そもそも豊国姫(坤金神)は記紀神話には出て来ません。大本教から初めて出された【埋没神】です。

                私は伏見稲荷山において豊受姫から、【綾部は神の聖都】。綾部に帰りたい。綾部に帰りたいと泣かれた時には、まるで意味が解りませんでした。大本教に残された文献から豊受姫は綾部に降り立った神と知ったのです。

                この本宮山は大本教によれば、素戔嗚尊が実母たる豊国姫を埋葬した場所ともしています。このあたりは日本神話とはかなり異にしていますので、真相は解らないと言えます。ただ、大本教によれば綾部は豊国姫や豊受姫が深く関わった神の聖地です。そして、【素戔嗚尊】が居た場所です。

                 

                私が子供の頃は本宮山は綾部小学校の裏山になり遊んでいたのですが、大本教弾圧事件までは大本教の所有地ではあったのです。裁判で国が負けたことにより没収した土地は大本教に返却された経緯があります。当時の国が大本教の土地を弾圧で没収して、そこに綾部小学校を建てたなのです。

                その大本教の土地の前は熊野本宮の別当家にもあたる綾部藩九鬼氏の藩屋敷地内で、九鬼氏が綾部藩主の時代には本宮山中腹には【杵】が祭られていたとされます。この杵は出雲大社の別名を【杵大社】とも言われていることから、出雲大社と深い関わりがあるのではないかとも言われています。

                 

                私が現在住んでいる土地は、豊受姫のお代であった最初の師匠は【元の出雲神屋敷地】で大国主命様の所管の土地だと言っていました。地神様です。私自身もこの土地で大国主命様姿の霊を幾度か見ており、どうして大国主命様がこの地に出て来るのだろうと首を捻っていました。その【杵】は、現在は綾部藩主の九鬼氏が総氏神とした若宮神社に、九鬼家霊神と一緒に祭られていることにはなっています。

                また、その本宮山には素戔嗚尊の熊野社もあったとされますが、これは綾部藩主が九鬼氏であったことからして別に不思議ではないのです。熊野本宮大社の宮司は綾部藩主の末裔の九鬼氏がされているからです。この時の熊野社は今は麓に移されていて、大本教でその祭司をされています。その熊野社に行きますと、【牛頭天王】と彫られた塔石もあります。

                 

                私は、どうして大本教は

                綾部のことを【ここは神戸】としたのか?

                そのことを不思議に思ってました。

                 

                私が住む現在の土地は私の母親が買った土地ですが、そこを一度は出ました。だが豊受姫の命令で再度住んだ土地なのですが、住んでから解ったことに大本教の出口王仁三郎聖師が大正九年より以前、大本教の信者数名に教団には内密でそれら一帯の土地を死守して欲しいと頼まれた土地の一部でした。

                私はそうした土地の一部に住みますが、ある霊能者によれば、この土地は超太古の神々。今の世に出ておられない太古の神代時代の神界の中心点だったと告げられました。すなわち地球神界の臍(○十)とされる場所です。

                私が見た霊的映像でも今の世ではなく。太古も太古、超太古。今の人類より前の人類の時代と思われますが、その当時はこの付近一帯には神殿群が建っていた映像が出て来ました。大本教が世に出した【三五万年前】とされる時代のことかも知れません。その太古の時代に神殿群があったとされる場所が、出口王仁三郎聖師が本当の【金龍界】と告げられた場所なのです。

                また、別の霊能力者や超能力者は、この土地は神界の【機密ゲート】が存在していると言います。私は幻視は見る質ですが、その幻視上では地球の【霊子(たまのこ)線】が天上世界と繋がっている土地に見えました。それらの霊能者によれば、この地は今の世に出ている神々ではない太古の神達が【封印(押し込め)】された場所とも言います。三五万年前に何があったのか?。そんなことは今の世に出ておられる神々にも解っていません。謎の部分です。

                 

                大本教の出口王仁三郎聖師がそれほど重要な場所を大本教団で所有せずに、後に出て来る者に任されたのは、太古の神々の怨念が渦巻いていることから【霊の浄霊】問題があったからでしょう。私はこの地で3年間に渡る大ラップ現象を体験して来ました。それは何時自分の命が取られるかと思うほどのものです。豊受姫がこの神業は世に出ておられる神々では出来ない。肉体をもったそなたでないと無理と言われたのも、肉体を持っていないと【霊の浄霊】が出来ないがあります。

                豊受姫のお代であった最初の師匠は、豊受姫の言葉として、この土地はやがて人類が未だその存在を知らない【宇宙創造神】が天降り立つ場所と言われます。為にはその土地を清めに清めるが必要がある。そして、その土地は【神々が宇宙に帰る場所】とも言われます。神々がやがて神の【故郷に帰る】為に帰還する場所です。

                 

                神々は、やがて宇宙に帰還する?

                大本教が予告した綾部を、ここは【神戸】とは、 宇宙から降り立った神々が、元の宇宙に帰る【神の戸】

                 

                スピリチュアルでは【シルバー・コード(銀線)】の存在を言いますが、これは必ずしも銀線だけとは言えません。ただ、この霊子線を切断すれば人の魂は肉体には二度と戻ることが出来ない線。その指摘は当たっています。

                大本教や日月神示では、この霊子線のことを【霊子(たまのこ)線】と言いましたが、それはこの線の色が必ずしも銀(シルバー)色の線と限らないことからしても当然です。

                 

                創造神は簡単にこの世を終わらせることは出来る

                 

                魂の霊子線を切断すれば、人の世は瞬時に終わる

                 

                私の大いなる疑問は、何故に創造神はその【霊子(たまのこ)線】の切断をためらっておられるかなのです。この【霊子(たまのこ)線】のことを知る霊能者達は、何故に創造神はその切断に踏み切られないのかに関して、今の現状ではあまりにも天国界に渡れる人の数が少ないことから躊躇されているのではないかの意見が多いと言えます。

                だが、創造神が【霊子線】の切断を躊躇しておられる間に、逆に天国界に渡れる様な人の魂が減って行ったとの指摘もまた事実なのです。こればかりは私達の様な人間の浅い智慧の理解では真相は解らないなのです。

                 

                創造神は存在しないのでは無く、存在しておられる

                 

                だが、その存在や考えは私達人間には解らないだけ

                 

                自分に少しばかり霊能力があるとバカげたことを言う人達が出て来ます。一人一人が創造神だとか。人は神からの自立だ!。とかです。そんなことは、【魂(鬼が云う)】の存在を理解して行きますと、まったくもってバカげた論理だと解って来ます。

                 

                自分が持つ霊能力で太陽や月や星や水や空気を生み出せない

                 

                そんなことも理解出来ないで、神を軽々しく語るなかれ

                 

                豊受姫のお代であった私の最初の師匠は、大本教の少年少女隊に所属して、出口王仁三郎聖師を直接に見て来た世代の方ですが、豊受姫のお代となって伏見稲荷山で【国常立尊】様には出会ったと言っていました。確かに、伏見稲荷山のある場所に行きますと、大国常立尊様と豊雲野尊様らしき神霊の存在はあります。

                だが、私が霊界修行の世話になった豊受姫は、意外なことをその師匠を通じて言われたのです。私が住む土地の一角は、やがて誰も見たことが無い創造神が宇宙から【天下る場所】と告げられたのです。これは何を語るのかです。

                 

                それは国常立尊様を知る豊受姫から、

                【宇宙から天下る創造神】と言われる存在のことです

                 

                大本教からは宇宙最高神として【天之峰火夫皇大神】の神名が告げられました。大本教ではその【天之峰火夫皇大神】に()書きで【天之御中主】と入れたのですが、天之峰火夫皇大神(天之御中主)では神の働きとしてはまるで違うのです。

                 

                私は【天之峰火夫皇大神】たる存在は非常に恐ろしいと言います 

                 

                地球神界の神々が束になっても太刀打ちなど出来ない

                 

                神と呼ばれる存在は、人間が困った時には助けてくれる存在。そんな認識では、この【天之峰火夫皇大神】は理解不能の神と言えるでしょう。

                 

                私は大本教の出口なお開祖が書かれたお筆先の原書に触れる立場ではありませんので、そこに書かれた平仮名が「こうべ」か「かんべ」かも解りません。もしも「こうべ」であれば、綾部は「ここは神戸」のみならず【頭(こうべ)】も出るのです。

                 

                それは、自分の首を無くしたことにより、 【牛】の頭(牛頭)を代用した存在を呼び起こす

                 

                その存在を助ける為に宇宙から天下るではなかったのかです。聖書には、【初めに言葉は神と共にあった。】とありますが、大本教の出口王仁三郎聖師は、その言葉の部分を【道】と説かれました。初めに【道】が在ったです。

                 

                道とは、首(頭)と共に進む

                 

                その型演技が出口王仁三郎聖師によって行われました。それは出口王仁三郎聖師が【源の日出雄】と称して【蒙古】に渡られた型です。 予告教団と言われている大本教に【創造神】の姿は見当たらないとしても、大本教で演じられた【型】は起きて来る可能性があります。そこを【注視】すべきなのです。

                 

                 

                 

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                償えば、何故に【人は賞される】のか?。償いは、個々の魂の過去世からの罪の汚れを取る

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                  前回のブログでは【地獄の沙汰も金次第】は、キリスト教で説かれた【贖罪】の意味と同じと説明して来ました。

                  それと似た意味に【償い】があります。償の漢字は、【人と賞】となっています。人は何をすれば賞されるのか?。自分が犯した罪の【つぐない(償い)】をすれば、その人の魂は【賞】されるなのです 。

                   

                  お釈迦様は【この世は苦界】と説かれたことは世に知られていますが、何故にこの世は「苦界」なのかの説明が完全にはなされていません。為に「苦界」の意味は【生老病死】の【四苦】の解釈だけに留まっています。それだけですと、お釈迦様の本当の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する。】であったとしたならば、整合性の観点からはかなり意味が弱いと解ります。

                  有能な霊能者達は、この世は【魂の刑務所】とか【宇宙の落ちこぼれの魂が居る場所】と言われます。それも一面は正しい説明です。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この世は魂の修学場所】で人の魂は【輪廻転生】をすると教えられました。すなわち魂の【輪廻転生】と【魂の修学】場所は同一軌条にあるなのです。

                   

                  大本教の出口王仁三郎聖師は、【この世は天人の苗床】と説かれたのですが、

                  この世は各自の魂の【過去の罪(カルマ)の精算場】

                   

                  当然に自己の魂の汚れを精算すれば、その先は【天人】界となります。その意味では【魂の刑務所】説も【天人の苗床】説も【魂の修学場】説も全て当たってはいます。今の世で過去の自分の魂の罪を精算すれば、人の魂は創造神そのものには成れませんが、神や天人と呼ばれる存在には成ります。

                   

                  大本教から、【人は神の子・神の宮】と出されました

                   

                  当然に人は【神の子・神の宮】である以上。神(天人)と成らなければ行けないのです。その神とは大本教から【神司(かみつかさ・かむつかさ)】として出されましたが、私も子供の頃に旧約聖書の神と称する声から【神司】達と告げられました。神とは創造神とされる唯一の神と、その唯一神の下で働く幾多の神司達とにより構成されているなのです。西洋で云う天使も日本で云う神も全て【神司】達なのです。

                  こうしたことは全て【魂論】から入っていかないと意味が解らないのです。その魂とは、漢字で【鬼が云う】であり。その【鬼】は【牛頭虎パンツ】で解る様に大本教が出した【牛虎(ウシトラ)金神】なのです。

                   

                  日本の言葉の仕組を見ないと、創造神の説明など不可能

                   

                  みろくの世が大宣伝されたことは、個々の魂が三次元世界の動物(霊長類)とされる肉体を持った存在から、五次元界以上の天人達の世界に進むことではあるのですが、個々の魂に汚れがあると高い次元界に進むことは出来ないのです。

                  その魂の【汚れ】を取る場所がこの地球であり、魂の汚れを取る器官として肉体を必要としたのです。魂論から入って行くと、何故に私達は【生まれて、老いて、病を患い、死んで行く】のか、その意味が解るのです。

                   

                  人の魂とは、肉体の両親から受け継いだものではありません。魂の根元は【唯一なる神】から分派して行った魂の更なる分派活動にあるのです。人が増えるに連れて魂も数が増えて来たのです。その魂の分派活動の中で邪(蛇)気に支配された神達も出て来て、【善と悪】が生じて来たのです。悪神と言えども元は【唯一なる神】から出た存在なのです。

                   

                  邪悪神とは、その【魂】を邪(蛇)で汚した者達

                  悪は主の神(良心神の働きを墓に葬った)者達であり、アク(灰汁)は汚れの意味です。

                   

                  お釈迦様は、悪魔は実体を持たない現れと悟られて、人には良心と呼ばれる神が内在すると悟られたのですが、悪魔とか邪神は魂を汚した【穢れ】た状態の魂を持つ者のことであり、それは実体を持たない現れなのです。その魂の汚れ(穢れ)をゴシゴシ洗えば、元の美しい魂にと戻ります。すると、そこには【悪魔】などは最初から存在していないのです。穢れ(汚れ)の話なのです。

                   

                  聖書における人類の原罪とは、蛇(邪)の囁きで犯した罪のことですが、別にアダムとイヴが人類の祖先ではないのです。ただ、キリスト教で説く【イエス一人が主の神の御子で、それを信じた者は人類の原罪が消える。】ではないのです。

                  このイエス一人が主の御子の場所は、九つ花で示される真ん中の【41】を持ってこなければならないのです。イエスが荒野を40日間さ迷って、明けて【41】日目に主の一人御子に成られたではないのです。

                   

                  お釈迦様は菩提樹の下で、【悪魔は実体の無い現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在している。】と悟られたのですが、この世に出て来る人達とは全てお釈迦様の様な高い次元界の魂の持ち主ではないので、そのお釈迦様の悟りは何時しか埋没していったと言えます。そして解りやすい仏の【慈悲】などに置き換えられて変節して行ったと考えられます。 

                  そのお釈迦様の悟りを受け継ぐのが【みろく】菩薩と言うことなのですが、その弥勒菩薩の登場はお釈迦様の死後【五六億七千万後】となっているわけです。さすがに【五六億七千万後】とは何だ!。となります。

                  大本教からはその弥勒菩薩を【みろく大神】とし、【五六七】の数字で打ち出されたわけです。これは大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解けば、日本の言葉で意味が成る「誠」があれば解る仕組とはなっていたのです。

                  ただ、九つ花の真ん中の【41】だけを見て、そこから創造神の教えを導き出すなどは単なる【誠】の者では出来ない仕組だとは言えます。九つ花を最初に世に出した【天居行】の【友清歓真】師も、九つ花の型の仕組は世に発表できても、それが持つ意味までは紐解けなかったがあります。それは言葉を構成する【言霊】が何かを知らなければなりません。残念ながら、この日本で【言霊】とは何かと知る人は若干名に過ぎないでしょう。

                   

                  私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなた一人だけには、この神の仕組を見せる。】と告げられていたことから、霊界に現れる各種の映像を見て、その【九つ花】の意味の紐解きをしたと言えます。

                  ただ、私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、【そなたには何の神力も与えない。】で、単に言葉の仕組の解説者をしているだけです。

                   

                  私を見た幾人かの霊能者の方は、貴方は高い神界からの教えをなされる方でも、この世を支配している蛇や狐と呼ばれる低い霊界が見えないから、霊能者としては失格だと言われて来ました。確かにその通りと言えます。

                  大本教神諭に、この神(国常立尊)は病気治しの神ではなく、【心の立替、立直しの神】とありますが、今日迄の宗教は【魂】論を説かず、現世御利益とか病気治しに走ったと言えます。この世における人々の「苦」が貧困や病にあったことからすると、それもある意味仕方がなかったのかも知れません。

                   

                  旧約聖書には、【目には目を、歯には歯を】の教えがあります。この教え自体は紀元前1792年から1750年に【バビロニア】を統治した「ハンムラビ王」の法典にも書かれていることから、【ハンムラビ法典】として世に知られています。元祖的に云えばシュメール文化からでしょう。

                  この「目には目を、歯には歯を」は一見すると恐ろしい内容に見えますが、そうではなくて、その人が犯した罪以上の刑には処してはいけないと云うものなのです。例えばアメリカの西部劇等では、牛泥棒は「縛り首」の刑に処していましたが、牛泥棒で縛り首にするではその罪以上の刑に処したとなります。より過剰な【報復】をいさめているのです。

                  俗にカルマと呼ばれて来た各自の魂の過去世からの罪は、仏教では【因果応報】として説かれていますが、因果応報は【目には目を、歯には歯を】以上のことは起きません。人はこの世に誕生して来た時、過去の自分が犯した罪の記憶は消されています。だが、この世は魂の過去からの罪の【精算所】で在り、それに応じた【カルマ】が生じて来ます。

                   

                  その過去からの魂の罪たるカルマを精算するが償い

                   

                  現世で過去の罪の償いを終えれば、その人は賞される

                   

                  今の世から、死後(霊界)は天国天人界にと進む

                   

                  やがて、創造神と呼ばれる神の手による【最後の火の審判】が起きますが、それは人類を滅ぼす為ではないのです。 各自の魂に【こびり付いた汚れ】を【神の火】で悉く焼き尽くすことなのです。

                  日本神道では汚れを【祓う】を打ち出しますが、自分の魂に何の【汚れ】も無ければ、最後の【火の審判】もさほど恐ろしいものではないのです。火の裁きを楽に通過出来るか出来ないかは【魂に汚れを持たない】なのです。

                   

                  人は今の世では誰かを【被害者】にする【加害者】になれば、当然に加害者に対して【賠償金】問題に発展します。自分が相手に与えた被害に相当する【賠償】をしなければなりません。自分がその人に与えた被害を【目には目を、歯には歯を】でなく、金銭で支払います。それはすなわち【贖罪】と同じ【金】で払う意味合いです。

                   

                  目には目を、歯には歯を【金銭】で償うは贖罪と同じ

                   

                  私達は肉体を持っている時にはその意味が解るのですが、自分の魂の過去世での罪の支払いを終えていない分の【カルマ(因果応報)】に関しては詳細が解らないのです。その過去世の【償い】をしたいと思っても、誰に対してどれだけ【償えばよいのか】が解らないのです。

                   

                  この世に出た者で、過去世のカルマが無い者はいない

                   

                  だとすれば、どうすればよいのか?。そこに【世の為、人の為】にと尽くすがあるのです。それによって、自分の過去世から積んで来た【カルマ】の数々は消えるのです。世の為、人の為に尽くしたことは【贖罪】にもなるのです。 

                   

                  私が書いているブログの内容に関して、そんな内容をゴチャゴチャと書かないでも、イエスの様な「救世主」一人が世に出れば簡単に済むことだろうと私にメールを送って来られた方があります。

                   

                  キリスト教ではイエス一人が人類の罪の【贖(あがな)い主】とします。ただしそれはキリスト教徒だけに対してであり、異教徒は地獄に落ちるです。贖(あがな)いと贖罪の【贖】は同じ漢字だと解ります。そして【償い】と同じ意味です。

                  そこにあるのは、

                   

                  イエス一人の愛善の行い = 全人類の罪の贖罪

                  の重さに匹敵するのか?。したかです。もしも匹敵していなければ、他人の罪を背負うと自分も地獄に墜ちてしまうのです。

                   

                  私は霊能者とは言えるほどの者ではありませんが「霊媒体質」で、多くの霊の汚れの浄化をして来ました。それによって肉体はボロボロになっています。霊媒体質者の方であれば、どうして自分が他の人の魂の汚れを取らなければならないのかとなります。

                  巷には、自分が【救世主】ですと名乗っている方がそれなりに居られます。問題は、その人が本当に救世主なのか似非救世主かの論議ではなくて、

                   

                  自分が救世主と名乗る人に全人類の罪を背負えるか?

                   

                  イエス一人を犠牲にして、人類の原罪たる罪が消えるのかとなった時、自分に【良心】が備わっている者ならば、そんな考えすら起こさないでしょう。自分が積んだ罪(カルマ)分は支払う。

                   

                  私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたが人を助けたいと思うのであれば、そなたが助けたいと思う者達の罪汚れの分に値する善行や犠牲を、そなたが払わなければならない。】と告げられたのです。

                  それは【悳(徳)分】と呼ばれるものであって、私が今の世で自分を犠牲にして得た【悳分】を多くの霊に与えましたが、そんな全人類を救うだけの【悳分】など、誰であっても持ち得ないのです。

                   

                  スピリチュアル標榜者の大多数は【愛】という言葉を連発して、個々の魂の過去からの罪(カルマ)の償いに対して何一つ言及しないで【愛】と云う言葉を発することに酔いしれているだけでは、そうした者の死後の行き先も【地獄界】となる可能性があるのです。

                   

                   

                   

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                  天国に行く為に、今日迄の宗教で説かれた【地獄の沙汰も金次第】と金銭で自分の罪を償う【贖罪】とは?

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                    自己の魂を汚すことを何とも思っていない人は多数あります。例えば、東名高速道路で怒りに覚えて二人の方を高速道路上で止めて死なせた事柄を教訓ともせずに、またもや高速道路であおり運転をする人が出ましたが、こうした方の魂とは【捻れて】いて、閻魔大王様とて救う手立てが難しいとなります。

                    例えば、人は死ねば終わりだから悪をしなければ損をすると言って悪事に荷担している者でも、その魂が「捻れて」いなければ助ける余地があります。霊界の刑務所(下層地獄)に入って刑を勤めれば、また人として出して貰える余地があったのです。

                     

                    日本の諺に【地獄の沙汰も金次第】があります。これは辞書を引くと【地獄の裁判も金の力で有利になる。この世はすべて金の力で左右される】例え、そうしたことが書かれている思います。しかし、辞書などの解説の意味では神意が理解出来ないと言えます。

                     

                    地獄の沙汰も金次第で変るかと言うと、変わります

                     

                    こうしたことが辞書に書かれていますと、世の中には閻魔大王様も金で転ぶのだと勘違いされる方達も出ます。閻魔大王様も金の力で転ぶのかと言いますと、意味合いがまるで違うのです。そこに出て来るのは【贖罪】の意味なのです。仏教では、あまり【贖罪】の言葉が出て来ません。為に、「贖罪」の言葉の意味がまるで理解出来ていません。

                    一方、キリスト教等では頻繁に【贖罪】の言葉が出て来ます。贖罪とは、その人が犯した【罪の償い】として自己の金で罪を精算する意味です。キリスト教ではその人が犯した罪は、キリスト教会に寄進することでその罪を免れるとする意味です。

                    それ自体は日本でも、神社や寺院に多大な寄進をすれば自分が積んだ悪行(カルマ)も減じられるの考え方はあります。それは自分の【罪の意識】から、金銭を吐き出しているからです。自分が犯した罪を意識することそのものが重要なのです。

                    スピリチュアルでは自分が意識していない犯罪は【罪】ではないとしているのですが、それは【神の愛】ばかりを言って、自己の魂の【核】の働きを何一つ理解していないからなのです。

                     

                    言うなれば、罪を金で支払うも【罪滅ぼし】の一環

                     

                    この地獄沙汰も金次第はどこから出た格言なのかは解りませんが、日本昔話から言いますと、山寺の麓の長者様が亡くなった。しいては和尚様に葬儀をしていただきたいと長者の屋敷の者が言いに来た。

                    で、和尚は葬儀の了承をして、その長者が死後の世界でどこに行くかを霊視したところ、このままでは地獄界に落ちると見えて来た。 日本昔話の農村地帯の長者とは、多くの小作人を使用して米を作らせ、自分だけが大金持ちとなっていた。長者と小作人との間の貧富の差は多大だったのです。

                    そこで和尚は、このまま葬儀をすれば長者は地獄に落ちてしまうで、長者の財を葬儀の時までに農民たる小作人達に分け与え得るように手紙をしたためて、小坊主に持たせて長者の屋敷に走らせた。そこで、長者の遺族達は長者が地獄に落ちてはいけないとその財を小作人達に配った。和尚が葬儀を終えて霊視したところ、その長者は地獄に落ちずに済んだと言うのがその昔話の骨子だと覚えています。

                     

                    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【私の書は旧約聖書なれども、私の真の教えは日本民話や日本昔話に秘めた。そなたはそうした物語を読んで、私の教えを知りなさい。】と告げられたことから、日本民話や日本昔話を読み、そこに秘められた意味を学んできたと言えます。

                     

                    地獄の沙汰も、貧しき者に自分の金を分かつで変わった

                     

                    それは閻魔大王様が、大金を出せば地獄行きの沙汰を変えるなどの話ではないのです。キリスト教で言われた【贖罪】の話なのです。

                    イエスの教えに、金持ちが天国の門をくぐるのは針の穴をラクダを通すようなものだがあります。イエスは金持ちの天国行きは不可能だと言ったのです。

                     

                    だが、【贖罪】と言う金で罪滅ぼしをする手もあった

                     

                    下記の図は以前に出したものですが、贖罪の【贖】の漢字は財(貝)で売り買いするなのです。【贖罪】は自分の罪を財で売買することです。

                     

                     

                    そして、そこに何が起きるかです。

                     

                     

                    大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だと残しておられますが、どれだけ多くの宗教家が地獄界に落ちているかです。単に大本教が他の宗教と違って、創造神と呼ばれる神を説いたからではないのです。そこには【贖罪】の結果の意味が秘められていると言えます。

                     

                    自分が犯した罪を【財】として、他の者に金銭を付けて渡したならばその罪分は消えて行きます。この意味を理解していないと、贖罪の言葉の意味が解らないが起きます。

                    自分の家の爺さんは放蕩者で、家の財産を全部食い尽くしたなどです。すると、一見するとその爺さんはどうしょうもない人だったとはなりますが、これはその家の御先祖様が多くの人を泣かせて大財産を築いた。すると、その家に放蕩者が出て、その財産を全て失った。その時、その放蕩者であった爺さんが悪かったのではなくて、その家系に多くの人を泣かせて築いた財に残されていた【カルマ】そのものを解消させたもあるのです。

                    その爺さんの放蕩でその家は貧乏にはなったが、それは霊的世界から言うと幸いなのです。【幸いなるかな貧乏人】なのです。イエスが説く【幸いなるかな貧乏人は】舌足らずの言葉の教えと言えます。

                     

                    そこに来る言葉が、【子孫に美田を残すなかれ】

                    我が子可愛いで道を誤る人は数知れず 。特に母親は気づかない。

                     

                    一部の霊能者の方達は説いておられるのですが、御先祖霊が本当の天国界に渡りますと、この世での子孫とは【縁切り】となります。先祖霊としてこの世の子孫に関わってはいけないからです。先祖守護霊として出て来られる段階の霊は、まだまだ本当の天国界には行っていない段階なのです。ですから、先祖霊は【副守護神】格と言われているわけです。

                    そうした先祖霊に対して、自分自身の魂のルーツの中で神上がりをしている存在が【正守護神】と呼ばれるのであって、人はその【正守護神】に帰結しなければならないのです。単なるあの世ではなくて、霊界での次元が違うのです。

                    東京の深川富岡八幡宮の宮司家の姉弟で宮司の地位と金銭を巡って姉を殺して弟が自殺するがありましたが、どちらの霊も浮かばれることはないでしょう。富岡八幡宮に鎮座している神霊が誰かは知りませんが、監督不届きの神霊とも言えます。神霊の座にあぐらをかいていたのかです。

                     

                    大本教の出口王仁三郎聖師が、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だと書き残しておられますが、【いったい貴方たちは生前に何を拝んでいたのか?。】なのです。

                    スピリチュアル標榜の女性霊感者の中には、首や指に宝石をきらびやかに飾り魔除けなどと称しておられますが、自分自身が【魔界】の中に在る理解がまるで出来ていませんよなのです。

                    この世では石には【魔除け】のパワーはありますが、この世の宝石はあの世には持って行けません。あの世に持って行くのは自分の磨かれた意思たる【魂】を持って行く以上、その魂が【宝玉】でなければならないのです。

                     

                    人は誰しも困った時には、外在神の【霊力】に頼ろうとします。それに頼って今の時は助けられても、死後に天国界には進めないとなります

                     

                    では、自分が過去から積んで来た罪(カルマ)は誰に支払えば有効かと言いますと、【世の為、人の為】に吐き出すのが一番有効なのです。だが、その金の出し方が解らないとなります、宗教団体よりも【社会福祉組織】に出すなのです。宗教団体に出す時はその宗教団体が【慈善事業】をしていないと意味をなしません。その宗教団体が自分の宗教の拡大の為にそうした資金を使う。教祖や宗教家が贅沢をする為では、【贖罪】として出された金が贖罪とは成らないのです。

                    某宗教はその教祖様がイエスの再来で、信者達に教団に大金を出させて、その財は高価な骨董品等に使われていたがあります。無論、この教祖様はイエスの再来でも何でもありませんでした。要するに霊界のペテン師です。

                    この教団ではニセ霊能者を使って、相談者に霊障が起きていると高価な壺や絵画や印鑑を売りつけていました。俗に言う【霊感商法】です。しかし、その霊能者達は全てニセ者達でした。そんな教祖が「イエスの再来」などあり得ないことなのです。そんなことすら解らなかった者達は、俺々【詐欺】に引っ掛かったのと同じ事で、出した金はトブ捨て金に等しいとはなります。

                     

                    しかしながら、自分の罪や先祖の罪を意識して財を吐き出したならば【贖罪】の理には適わってはいるのです。その宗教家は死後に地獄に落ちたでしょう。ただ、悪しき宗教家に欺されて吐き出した金と慈善として世の弱者に為に出された金とでは、贖罪の働きに大きな差異が生じます。

                    そうした詐欺の宗教とは、大本教の出口王仁三郎聖師が【天国に案内すると言いながら地獄に案内する取次者(金儲けの宗教家やスピリチュアル的存在)】と残しておられるのは、そうしたことなのです。

                    スピリチュアルでも最初は高い霊と交流していても、金儲けに入ると低い霊との交流になります。本人は気づいていないのですが、他から見ている霊能者には憑いている霊が代わった(変わった)ことが解ります。その霊能者は、やがて蛇霊憑きや野狐霊憑きと呼ばれるようになるのです。霊世界を自己の金儲けの手段にしてはいけないなのです。

                    私が以前は大評価していた某霊能者も有名になった途端、以前の霊界よりも落ちておられます。金儲けに入ったからです。御本人は以前と変わらずに霊が見えているから気づかれないのですが、自分の魂の格を落としているなのです。最初は霊界に対する功績は大でしたが、今は霊界の罪人と化しておられるです。

                     

                    ですから、大金持ちが世の弱者に対して大金を出すのは有効なのです。

                    常に、【世の為、人の為】の原理原則がある

                     

                    では、何の財産も無い者はどうすればいいのかとなりますが、そこにお釈迦様の教えの中にある【貧者の一灯】があるのです。大金持ちの大金の寄進よりも、何の財も無い者の【一灯】の方に価値があるなのです。私は大金持ちの天国行きは僅かしか見られないと言います。しかし、貧しい人達の中に天国行きは多数見られます。

                     

                    その貧者の一灯には金銭ではなくて、

                    世の為人の為に働く【ボランティア的活動】がある

                     

                    それは大災害が起きた時などに、そこに手弁当で駆けつける表だったボランティア活動があります。だがそうした人達は若者や体力や時間が取れる人達です。老いた人や体力が無い人や時間が取れない人や病人は駆けつけたくても駆けつけることが出来ないなどがあります。そうした時には代替えとして弱者に対する【金銭的援助】が役立つなのです。

                    また、そうした大災害時のみならず、日々地域のボランティアとか奉仕をされている方達。それは【世の為、人の為】にされているので、その魂に【悳(徳)】点が加味されて【天国界に向かう】となります。

                     

                    神様神様、御利益下さいと拝んでいる人よりも、世の為に人の為に(他の救いたる世根活動)と働いた人の方が、死後に遙かに高い霊界の次元界に進まれる。

                    私が説いていることは【米】教と言いますが、【他(田)を救い(鋤くい)て世根(米)】と成れなのです。ですから私が説いている内容は【みろく(身禄)】の教えともなっているのです。

                     

                    仮に自分が神で有るとするならば、自分に大金を差し出す者は天国に案内するは悪神の論理で、世の為に人の為にと働く者や犠牲を払った【誠】の者は天国に案内するは正神の論理であると言えるかどうかです。

                    どの神霊も【自分が悪神】とは言われないでしょう。しかし、神として自分がどちらの論理に立っているかなのです。

                     

                    自治会の組長などをしていますと、何年に一度か組長が当番で来ます。以前は日赤の赤い羽根とか暮れの歳末助け合い運動に自治会から強制的に割当金がありました。通常コーヒー一杯程度の金銭です。ところが、強制的に自治会がするのはおかしいと言う声が出て任意になると、もうその程度のお金も出さないで激変してしまいました。

                    困っている人のことなど知ったことではないと言う。世知辛い世になったとは言えるでしょう。

                     

                    人は何故に、この世と呼ばれる世界に生まれ出たのか?

                     

                    何の意味も無く、目的も無く人類は誕生したのでは無い

                     

                     

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                    何気ない日常にこそ幸せはある。何も無い田舎の様な風景の天国界。大都会の様な風景の地獄界

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                      宗教の世界ではどの宗派でも【天国と地獄】論が語られますが、それらは【我が宗派の教えを信じる者は天国で、異教徒達は地獄に墜ちる。】式です。その地獄として説かれるのは鬼的(西洋では悪魔的)存在が居て自分を苦しめる世界です。そこにあるのは自分達の宗教の教えを優位に広める為であり、必ずしも天国や地獄の実態にそぐわないものとも言えます。

                      何故ならば、現実の神霊世界を知るならば悪魔的存在や邪神的存在も堂々と闊歩しているからです。否、数から言えば圧倒的に邪神とされる存在が多いと言えます。悪魔や邪神達は地獄に行くのであれば、どうして堂々と霊界を闊歩しているのか?。まして自分が高い神霊だと名乗って出て来る。宗教の論理ではどうにも天国と地獄の違いの説明が出来ない現状があるのです。

                       

                      この世は魂の修行場ゆえに、正神も邪神も存在する

                       

                      しかも、そうした悪魔的邪神的存在の手先となっている霊能者の方達も存在してきます。浄霊等の相談料として何百万円。時には千万単位の法外な大金をむしり取るもあります。若い女性信者を自分(宗教家)の性の慰み者にするもあります。そうしたことが一部では公然と行われているなのです。そんな霊能者や宗教家が説く神とはいったい何?。

                       

                      そうした宗教家を犯罪者として捕まえることが出来るのは、この世の警察であり検察で神と呼ばれる存在ではありません。そして神ではなくて人たる裁判官が「刑」を決める。それは神霊世界そのものに【自浄】作用が見られないなのです。今の霊的世界とは【力の強い物が勝つの論理】で、私達が神に求める【正義とか公平】が支配しているではないのです。

                      最近も西洋のカトリックでシスター(尼僧)達や子供達を性の奴隷にしている司祭達の存在が報道されましたが、日本でもオウム真理教の麻原彰晃のハーレムとか大阪のキリスト教の主管牧師が信徒の女性のみならずその子供達まで性奴隷にしたなど限りなく事件は起きています。そこにあるのは、自分に逆らえば【地獄に墜ちる】ぞなどの信者に対する恫喝と強迫観念の植え込みです。その宗教を信じる人達に、この人は神に仕えてるから絶対的な人だと思わせるです。

                       

                      宗教が教える天国・地獄論は、実態に合っていない

                       

                      私の最初の師匠は豊受姫のお代さんでしたが、私に【貴方に教えが出来る神等、日本国中のどこを探してもおられませんよ。】と告げられましたが、私は必ずしも何もかも知る者ではありません。ただ、宗教書などを読んでいると、この内容は事実とは違う等が自然と解るなのです。過去に自分がそうした天国と呼ばれる様な世界にいた頃の記憶を持っているからでしょう。

                       

                      そうした一点として、宗教書には【天国は金銀財宝で輝いている宮殿】があります。確かに霊界には「金銀財宝で輝く宮殿」そのものはありますが、その宮殿の中に入りますと、その金銀財宝で輝く宮殿の主は蛇神だったりします。古来より【蛇と財宝】と言われる関係です。

                      で、天国は財宝だらけで、毎日毎日遊んで酒を飲んでいる世界だ!。そうした観念を持ってしまうと間違いなのです。霊界にそうした金銀財宝で輝いている宮殿そのものは存在しても、その宮殿の主となったならば、何時誰が自分の財宝を盗みに来るのかと【疑心暗鬼】になって、心が安まることがありません。

                      そんな金銀財宝で輝く宮殿の門番を「蛇霊」がしています。その宮殿の財宝を盗もうとしたならば、蛇霊が威嚇して攻撃して来ます。だとすれば、そうした金銀財宝で輝いている宮殿がある世界とは、【真の天国界】では無いとなります。そうした事柄が仏教にある説話。金の亡者で【蛇に成った長者】です。金、金、金で蛇霊に成る。

                       

                      真の天国とは、金銀でなく【心に平安】がある世界

                       

                      私は天国とはどんな世界ですかと尋ねられたならば、何も無い【田園の農村】の様な風景の世界と言います。都会の様な華やかな世界ではないのです。パチンコ機もゲーム機もありません。天国の住人は遊ぶことで無く【働く】ことそのものに自己の幸せを感じているのです。天国には都会の様な歓楽街的処はどこにもありません。ショッピング街などもありません。まさに田舎の農村風景です。

                      天国住人の気質は、住人は全て自分の友であり仲間達です。他の住人の悲しみを自分の悲しみとして受取り、他の住民の喜びは自分の喜びとする世界です。住民全体が一つの【家族】なのです。一つの物も皆で分かち合うです。 天国は遊んで暮らせるパラダイスではないのです。ただ、働くと言っても嫌々働くのではなく、自分が好きな仕事で働くことそのものに幸せを感じるなのです。

                      例えば、一例として農産物で言うならば、金を得る為に、食べるが為の農作物を作る為に働くのではなくて、そこに作物を作って実らせると言う喜びなのです。そしてその作物を他の人達に食べて貰うです。誰もが自分が好きな仕事で働くなのです。それを売って生活の金を得て生活をするではないのです。 天国住人達は仲間達の為に働くなのです。そこで出来る物を集めて【皆で分かち合う】ことから【分かちの国】とも呼ばれるわけです。

                       

                      そこから真の天国は【分かちの国】と呼ばれます

                       

                      天国住人の間には紛争そのものがありません。何故ならば他人の財を盗もうとする様な人など一人もいないからです。宗教書では天国に行きたいのであれば【この世の財を捨てなさい】などがありますが、その捉え方が違っています。そもそも天国界に行くような人に【他人の財を盗む】という気がないのです。 他人の財を盗むのではなくて、そんな心がけでは天国界などいくら望んでも行けませんよなのです。天国住民の気質と合わないのです。

                       

                      では、天国は【宝石】で輝いているとされる意味は何か?

                       

                      これは天国住人の一人一人の魂が【宝玉】そのものなのです。天国はそうした【宝玉】魂を持った人達で輝いているなのです。 為にそうした魂は光輝いているので、天国界は【宝玉】の世界なのです。

                      私は未だ大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解く前、出雲大社教の教師から【瑠璃玉】の様な魂を持たれた方ですねと告げられて、人の魂とは【宝玉】かと驚いたことがあります。人の魂は磨かれると【宝玉】の様になるのです。だが、自己の魂を汚すと毛物(獣)状となり、悪臭を放って来るのです。だが、スピリチュアル等では【魂】を見ないので、魂磨きは辛いから止めましょうととんでもないことを言う方が多いのです。魂が腐ったり悪臭を放っなどを知らないのです。

                       

                      天国は住人の魂が【宝玉】と化した世界

                       

                      天国界は、住人の一人一人が仲間を称えて互いを【協賛】しているのです。天国の住人の世界では自分一人が【疎外】されるなどはありません。住民の皆が自分を守ってくれるし、自分も皆を守っているのです。そもそも人を疎外する様な意識を持った者は天国には一人もいないのです。為にその社会には紛争などは起きません。実に心に平安が得られるなのです。

                       

                      そこに在るのは、他の人の為に自分が在り

                       

                      自分が在るのは、他の人から必要とされるから

                       

                      天国住民の心は平安であることから、神の都のことを【平安の都】といいます。その「平安の都」と呼ばれる言葉の意味がイスラエルでは【エルサレム】なのですが、エルサレムの言葉そのものは紀元前は【カナン(神からの約束の地)】と呼ばれていました。

                      しかし、今のイスラエル国のエルサレムに行っても何の平安も得られないでしょう。イスラエルという国に住んでも、平安では無くて日々【テロ】の恐怖に怯えなければならないのです。

                      確かにイスラエルの【キブツ】の制度は【天国界の模写】です。個人の私有財産制度を否定して、生産・運営・教育等を共同で行う。そうした物の考え方の制度はこの日本でもある宗教組織で行われました。

                      しかし日本おける失敗は、天国界はそこに住む住民達の意識が高いので可能ですが、物質欲にまみれたこの地上世界では、【個人の欲望】から脱却出来ない人達が大多数なのです。自分の外形を飾りたい人には、そうした共同生活社会は向かないのです。この世は【魂の修学場】であり、個々の魂がそこまで磨かれていないからです。

                       

                      一方、地獄界とは、【心に平安が得られない世界】

                       

                      地獄界とは、この世で「犯罪者」に成った者達だけが墜ちると言う意味の世界ではないのです。常に自分勝手で周囲の人達と争う。常に怒鳴ってばかりいる。自分より弱い物に対しては虐める。

                      よく、騒音おばさんやゴミ屋敷的存在の主の報道がなされますが、地獄界とはそうした人達ばかりが集まっていて、一人一人がとげとげしていて隣人との紛争が常に絶えない世界なのです。為に、自分の心に平安が訪れないのです。

                      地域の住民が全て自己勝手で、誰一人として善人と呼ばれる人が住んでいません。誰も自分を助けてくれない。そうした世界で自分が生きて行く為には、他人と協調をするのではなくて他人を【力で支配するしか】道が無くなるのです。

                       

                      地獄界とは【弱肉強食】の世界なのです

                       

                      地獄界は【力】こそが全てであり、自分が弱い物を虐げるでないと、今度は自分が他の力の強い物に食べらる。虐げられる。生きる為には自らが犯罪などに走らないと行けない。生きる為に必死なのです。それが、地獄界は【獣の世】と成るのです。

                      しかし、霊界の天国世界に入には、自分だけが得をしょうとする意識の者はそぐわないので、天国を望んでも入れないのです。それは神が【差別】をしているのではなくて、個々の魂の意識がそうした状態に入らないと【仲間】として住めないなのです。そこにあるのは「差別」でなく「区別」なのです。

                       

                      地獄界とは必ずしも鬼が居てその人を苛む世界ではありません。霊界で一番楽しい世界は地獄の一丁目(第一地獄界)とも言われていますが、大都会のような光景の世界です。地獄の一丁目の感じが一番解りやすいのが新宿歌舞伎町の様な風景とも言われています。そこでは日々歓楽が味わえるのです。

                      霊界を見て来たならば、非常に発展した大都会の風景という説は第一地獄界か中有界の下層界の光景の見聞です。通常、高級霊は自動車などの乗り物がなくても空間を移動します。時には宇宙の星にも飛ぶのです。但し、スピリチュアルでは宇宙のどこにも行けるのですと簡単に言われますが、実際には【宇宙ゲートと呼ばれる関所】が在って、勝手には他の世界には行けないなのです。

                      また、本来の神とはUFO等の乗り物に乗るでもないのです。為に天国界には鉄道や自動車の様な乗り物はないとされますが、地獄界の住人はそうした自在が出来ないので、大都会の様な交通網が発展した世界と言う方もあるのです。確かに神々は鉄道や自動車で他に移動はしておられるではないなのです。

                       

                      昔、【天国好いとこ一度はおいで。酒は美味いし姉ちゃんは綺麗だ。】の歌謡曲が流行りました。それは違います。確かに天国の女性達は美人で綺麗ですが、お酒のお酌の相手などしてくれません。そんな楽しい世界は地獄界の一丁目と言われているのです。歓楽のみで言うならば地獄の一丁目が一番お薦めなのです。しかし、霊臭としては臭い匂いの世界で、魂が磨かれた人はその世界の臭さにとても自分は住めないと言うでしょう。

                      地獄界の住人は全てが【自分の個人益】の為だけに走る世界で、その世界で困って助けを求める人が居ても他人を助ける人など居ません。皆、個人主義で知ったことではないなのです。困っている人を見ても知らぬ振りの顔の世界です。その世界で負けたならば、悲惨なことになります。全ての住人が自分の敵だともなるのです。

                      全てに自分の御都合主義。俗に言う【自己中】ばかりが集まって、その世界は俺が俺がで争いが絶えない為に、【心の平安】が何一つ得られないのです。

                       

                      天国界住人と地獄界住人の根本的違いは

                      天国界住人は他の住民の為に働いたり他を助ける

                       

                      地獄界住人は他の住民のことなど知ったことでない

                       

                      私達はそうした人間関係を都会と田舎の違いである程度は知ることが出来ます。ですから天国界は田舎の農村の様な風景の世界なのです。都会の人は他人のことは知ったことではない。隣の人が誰だかさえ知らない。だが、農村の人達は何かと世話してくれる。皆、顔見知りです。時にはお節介で煩わしいなのですが、そうした風景そのものではなくて、そうした世界に住む人達の【気質】を指すのです。

                      そこに、最後の審判は創造神の【稲刈り】と言います。聖書では【小麦刈り】です。実った【米】達は刈り取って創造神の御国に連れて行く。それを説く教えが他を救いの【米(世根)】教なのです。

                       

                      米(世根)教に教祖はいません、仕組は創造神です

                       

                      ただ、その世話役として【誠】の者が世話をしている

                      大本教神諭、「誠」の者でないと、「九つ花」のお世話が出来ない

                       

                       

                      私が2番目の師匠の元で修行している頃、就寝しょうとすると地獄に墜ちた多くの霊達の言い訳に悩まされていました。その話をその師匠に言うと、【おまえは地獄界の天使だったから】と告げられて、確かに私は天国界のみならず地獄界にも降りられる特別の天使職にあったことを思い出したがあります。

                      通常の天使は、霊界の階層からは抜けられません。第一天国界天使は第一天国界のみで活躍。第二天国界天使は第二天国界のみの活躍と限定されるからです。第一天国界も地獄界にも移動出来るのは、天使職と言えども【霊波動】の問題で地獄界には簡単には降りられないなのです。

                      その【霊波動】を変えて地獄界にも降りられるのは、【閻魔大王】に仕え関わることが可能な天使職だけと言えます。キリスト教神学のように、【冥府の長官はサタン】だと言っている様では何も解っていないとなります。

                      大本教神諭に、このウシトラ金神は「この世の閻魔大王」として現れるとありますが、スビリチュあるではおそらく【閻魔大王】が見えるなどはないでしょう。あまにりもその存在が恐ろしくて震え上がり、安易にスピリチュアルに走った自分を後悔しなければならないからです。

                       

                      大本教から出された【⦿(円真)】記号は米を計る

                       

                      スピリチュアル標榜者の【神の愛で救われますから、この世では何をしてもよいのです】。そうした言葉を真に受けていると、死後の行く先は【奈落の底】となります。私はそうしたスピリチュアル標榜者に言いたいことは、人は霊界の全てを知ることは不可能ですが、地獄界の一つでも見たことがあるのかの叱責です。

                      神社に鎮まっておられる御神霊でも、地獄界を見たことも無い御神霊が多いと推察されます。地獄界の一つでも見てくれば、そんな安易な言葉は一つも出せないのです。私は幾つかの霊界の地獄を見て来た一人なのです。ですから忠告や警告をしているのです。

                       

                      人は何も起きない普通の日々に【幸せの時】を感じます

                       

                      今はその何も起きない普通の日々に感謝して欲しいなのです。お金があるから幸せではなく、美味しい物が食べられるから幸せではなく、何も起きない普通の日々がどれだけ幸せかを実感して欲しいなのです。

                      何かが起きた時、その何も起きない普通の日々がどれだけ幸せだったかを気づく事が起きます。為に、今と言う時を大切しなければなりません。

                      つまらない何も無い日々は退屈だから、大都会で遊びたいではないのです。その何も無いつまらない日々にこそ【幸せがある】と理解出来ないのであれば、農村の様な天国界などに住めたものではありません。大都会に憧れている間は、まだまだ地獄界の意識を持っているなのです。未だ魂に汚れが残っているなのです。

                       

                      人は何故に老いて来ると、農村に憧れるのか?

                       

                      それは自分の意識が天国界に戻ろうとしている

                       

                       

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