何故に大悪の改心は小善より勝るのか?。魂に見る点数で知る霊界の階層と次元界の違い

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    神霊世界に関わっていますと、大悪の改心は小善の者より勝るを知ります。ある意味何となく解るのですが、今日迄の宗教の善悪論では意味が解りません。但し、そこで言う大悪とは殺人や強盗や泥棒の様な【兇党】の意味ではありません。政治の世界とか社会の経済を引っ張るような【権力】世界に存在して来る悪です。昔から言う、【悪い奴ほどよく眠る】です。

    この世の中を引っ張るには、【善】だけでは引っ張り切れません。なまじ「善」の旗を掲げていると、全ての人が満足する等の世はありませんので、「善」ではまとまらないがあります。そうした時、【悪】の非情さも必要となるからです。神は何かを為す時、【悪】をも使うです。

     

    そこに、神には【善悪】等無いとの論も起きます

     

    霊能者ならば【蛇霊】と【権力】は結びついている事を知ります。権力者の立場に身を置くと、その魂が蛇霊化する危険性を知るからです。権力社会で勝ち抜こうとすると、どうしても謀略や汚職や賄賂は日常茶飯事になり、【良心】と呼ばれる物を失ってしまうのです。

    かって自民党の渡辺派を率いた渡辺美智雄氏は、政治家に【潔白】を求めるならば宗教家が政治をすれば良いと言われましたが、ある意味名言なのです。人は高い志を掲げた時、自分が頂点に立たないと【改革】が出来ないを知ります。その頂点に上がるとなれば、綺麗事では済まないわけです。毒を食らわば皿まで食べるです。

     

     

     

    私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声から教えを聞いていました。それはこの世は魂の【修学の場】と言うことです。だが、それも中学生頃になると途絶えてしまいました。

    昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な出来事から覚悟を決めて、神霊界修業に入ったしだいです。最初に師匠とした方は伏見稲荷大社の豊受姫のお代を勤めている「砂澤たまゑ」師で、その内弟子として四年間ほど伏見稲荷山でいろいろなことを学ばさせていただきました。砂澤師は世間的には無名の方でしたが、当時は伏見稲荷大社系の霊能者としてはトップクラスとの評価があった方です。 

    そこで私はある謎に引っかかったのです。伏見稲荷山ではあらゆる神々が祀られています。伏見稲荷山全体が神域で、奇跡的なことを学ぶのには適したところです。当然に【お狐さん】信仰や【巳さん(蛇霊)】信仰が盛んなのです。

     

    私が、?をしたのは、

    蛇霊、狐霊、狸霊、天狗霊、龍神等は神として崇められるが

     

    人であった魂は、死後の世界で神と成っていないのか?

     

    そうした中で、世に言われる蛇霊、狐霊、狸霊、天狗霊、龍神等はそうした動物であった霊も存在はしますが、その多くは【元は人霊】であったです。それは輪廻転生の転生である【身変える(ミカエル)】なのです。その霊の姿は、その魂の【心の在り方】を語っているわけです。

    ある白狐は、江戸時代この世に在った時は武家の妻であったが、夫が死んでお家は断絶。幼い子を抱えて生活に困り、稲荷神のお代となって生活が出来て、子供達を無事に育てることが出来た。その感謝から、死後は白狐に転じて奉仕をしているがありました。蛇霊にしても、詳しく話を聞けば人の時代にいろいろなことがあったなのです。

    私はそうしたことから、蛇霊や狐霊だからと叱るのではなくて、もうその霊服を脱ぎましょうよ。元の人の姿に戻って天人界に行きましょうと説いているわけです。そこに来るのが【悔い改める】の【改心(芯)】なのです。

    こうしたことは大本教霊界物語においても、出口王仁三郎聖師が白狐に人間界に入ろうと説かれて、白狐が人間に成れるのですかと問い返す話があります。

     

    神霊世界の現状は体験して来るとそれなりに解るのですが、人であった多くの魂はどこに居るのかという問題は、霊山や聖地を歩いても解らないのです。人は死後に墓に居ると思う人もあるでしょうが、墓などは居るなどは少数も少数です。

    この世では多くの不浄仏(未成仏)霊。迷い霊。地縛霊。恨み霊。愉快犯霊等にぶつかります。それらの霊は本当の意味の霊界に行っていないなのです。本当の霊能者と呼ばれる人達は、そうした霊を本当の霊界にと送る活躍をされています。そうした霊と関わっても一銭の金にもなりません。スピリチュアルは大金が入ると言う方は、最初からスタートが違うのです。この世の霊界に居る霊を本当の霊界に送るとは、どういう意味なのかなのです。

     

    そこに関わるのが【三途の川】と言えます。

    三途の川を渡ると、それらの霊はこの世には関わらない

     

    この世に関わる霊界では、自殺した地縛霊に憑依されたとか、恨み霊に憑依されたとか、愉快犯霊に翻弄されたとか数々あります。それらの霊は三途の川を渡っていないのです。三途の川を渡らないと、再度人間として生まれて来るはありません。それは私達人間が関わっているこの世の霊界とは別に、またこの世に出て来る為の霊界は別の世界であるなのです。

    三途の川を渡りますと、そこから本当の霊界にと入りますので、その人の生前の在り方において出る魂の点数で、霊界での地位が決まります。霊界の階層とは、スピリチュアルではどこにでも好きな所に行けるです式ですが、霊が勝手に霊界ゲートを通過する等は出来ないのです。その霊界より上の霊界に行こうとすれば、一度のこの世に人として出て来る必要があるのです。そこに【輪廻】があります。

     

    そこに言われているのが、第一、第二、第三天国界。中有界。第一、第二、第三地獄界です。だが、私が見た範囲で魂に出る点数から推察すると中有界にも上界・中界・下界に分かれているのではないかです。中有界の上界は天国界と間違うでしょう。だが、本当の天国界とは違って、短期間でこの世に再び人として出されてしまうです。中有界は現界差し戻しの界と言えるのです。霊界でもそんなに長くは居られないのです。

    早い方だと、それこそ数年間とか十数年間で人間に戻って来ているがあるのです。時には自分が生まれる前に亡くなった祖父が自分と言うこともあります。誰を拝んでいるのだ!。自分の前世を拝んでいるがあるのです。それらを管轄しているのは、この世で私達が言うところの神社に鎮まる神達ではないなのです。【来世門】で知られる【閻魔庁】と言えます。

     

    その階層に居る霊達の魂の点数から、私の推論として下記の図をこれまで示して来ました。

     

     

     

    だが、ほとんどの霊能者の方は魂に点数が出るなどは言われませんので、どこまでも私個人の推論だと思ってください。スピリチュアル等では、この世は遊んで暮らす場所式の方が圧倒的に多く、死後の世界の恐ろしさなど言われないからです。ほとんどの方は【カルマ】の恐ろしさをご存じ無いと見受けられます。

    なお、第一天国界は今日迄語られる仏界の如来界に等しく、第二天国界は仏界の菩薩界に当たると見ています。この世で「菩薩」の様な人。「義の人」などは、第二天国界行きが多いと言えます。

    お釈迦様は、三千年ほど前にこの世に出て来られた方で、二度とこの世には出て来ないといわれたのは、如来界から【卆業】されたからでしょう。自分の前世がお釈迦様だったと言っている人は、私は全て【贋物】と見ています。

     

    私は【牛虎金神・国常立尊】様の言葉の仕組みにて、牛頭虎パンツの【鬼が云う】で【魂】論に徹して説いていますが、通常の霊能者の方は「魂」論ではなく、【次元論】を展開されています。

    巷では自分は創造神で三千億次元とか500万次元とか100次元とか、数多く言えば良いという風潮がありますが、霊能者の方に聞いても、次元となるとその意見はバラバラで、定かには解らないがあります。

    ただ、言われていることに七次元界から上には邪神達は存在しない。六次元界迄という説が有力かと見ています。ほとんどの霊が見えると言っている方達のアクセスが出来る世界は五次元界迄とも言われています。

    実際に自分は「救世主」だと称している方の背後には六次元世界の黒龍神などが見られます。為に、六次元界の黒龍神等をおろがみ奉るがあります。邪神の崇拝です。

    科学で言う【次元】と霊能者が言う【次元】は少し違っていて、霊能者が言う次元は【霊界の層】的な意味合いです。

     

    私は第三天国は六次元界で、第二天国は七次元界で、第一天国は八次元界ではないかと推察して来ました。私は旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。】と告げられて、「アイウエオ」や「イロハ」や「ヒフミ」と言う言葉の【言霊と数霊】が密接に絡み合っている事実に突き当たったしだいです。

    【六次元】の世界とは【禄(ろく)】が生じて来ますので、天国界住人であれは禄が備わっていて当たり前です。そんな六次元界に「禄」等持たない黒龍神の大物が居る。では、その魂に【六十点】もあるのかとなると、黒龍神等は浄霊して汚れを落としてやるとか、悔悟の涙を流して悔い改めると元の天人の姿に戻っていきますので、それは元の天人の点数に戻って行っているともなります。そうでないと、悔い改めた邪神が天人の姿に戻って行く説明が出来ないのです。

     

    私は改心した蛇霊が【棒】の様に立つから【蛇】の字の意味を知りました

     

    しかしながら、スピリチュアルでは改心した蛇霊が「棒」の様に成るなど、誰も言われません。見たことが無いからと推察はします。ただ、旧約聖書にモーゼとエジプトの神官が蛇を投げ合って、どちらが【棒】の様に成るかの記述があるだけです。

     

    それらの浄化された霊や悔い改めた霊は、モウこの世に関わる霊界には戻って来ません。だとすれば、この世に関わっている霊界とは【根の国・底の国】に居る霊達と言えるのです。

    スピリチュアルの中には、自分は自在に宇宙に飛んでいると言われる方達がありますが、霊界宇宙ゲートの存在を知る霊能者達からはそうした論は否定されてしまいます。霊界宇宙ゲートは自己の意思で勝手に通過出来ないからです。自分では自在に霊界を飛んでいると思っているのは、孫悟空が如来の手の中だけを飛んでいて、自分は広大な世界を飛んでると思った錯覚的なことなのです。

     

    私はこれまで魂に点数が出ることから、その点数によって人が霊界に帰って住む世界の説明をしてきました。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師が、これまでの第一天国界の上に更なる神界があると世に発表されるまで、第一天国界が最上級天国界だと思われて来ました。その第一天国とは、幾多の大宗教家達や主立った神々や仏教で説かれる【如来】達の世界でもあつたからです。

    だが、実際に如来像であれ菩薩像であれ明王像などに宿っている霊が、第一天国界や第二天国界に居るような霊かと言えば、それも違います。特に古い仏像などには非常に霊力が強い存在が宿っていますが。次元と言われる段階レベルで判定すると必ずしも高い神霊とは言えません。如来像に宿っているから如来と言ったり、菩薩像に宿っているから菩薩と言ったりしているなのです。

    そうした像に宿る霊は高くても六次元界と呼ばれる様な霊で、明らかにお釈迦様とかイエスとか弘法大師として世に出られた様な高級霊とは限りません。だいたい今の霊界で自称救世主と名乗っている方の背後に居る霊は、高くても六次元界の存在とされています。そこに七次元界ぐらいの魂の持ち主が居れば、その背後に部下として幾多の霊が従属するがあるなのです。

    霊が見える方にはなりますが、自分が神社や仏閣に参拝すると神々が自分に対して従属の為に頭を下げて来る。そうした事例を体験される方達が数多くあります。そうなると、エッー?。となって、自分自身が面食らうが起きます。自分はいったい何者だろう?。です。だからと言って、自分がお釈迦様やイエスや弘法大師さんの様な存在だと思い込んでしまうと、非常に危険なのです。

     

    今日迄に語られて来た第一天国界では【創造神の存在】が説かれていませんでした。いったい、創造神と呼ばれる神はどこに居るのか?。です。

     

    私は私の前に如来と称する霊が出て来ようが、菩薩と称する霊が出て来ようが、明王と称する霊が出て来ようが、それを見ているだけです。私は【鍾馗神】の御案内で、何万と言う霊界の軍勢に守護された中国で天子とされている【盤古大神】に拝謁しましたが、いったいこれはどういうことなのだろうとしか頭に浮かびませんでした。

    私は何の神力も与えられている者ではありませんので、修業時代は黒龍神群に攻撃されて逃げ回っておりましたし、黒龍神と戦えば勝てるかと言われたならば勝てないので逃げます。あんな汚れた存在を浄霊していれば、いくら命があっても足りません。だからと言って、別にそうした強い存在を恐れてはいないのです。私が恐ろしいのは【閻魔大王】と呼ばれる存在だけなのです。

     

    私が子供の頃に望んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたには、この神の神力を何も与えず。】と告げられましたので、何の神力も持っておりません。ある意味、只(ただ)の人です。凡人のおっちょこちょいです。

    ただ、旧約聖書の神と称する声が、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれている世界でだ一つの国である。そなはその仕組みを見て、人々に告げなさい。】と言われたことをしているだけなのです。私は日本に満ちあふれている日本語の仕組みで、創造神は存在するの結論に至っただけです。

     

    そんな私を見て、貴方様は【救世主】様ですかと問いかけて来られる霊能者の方が今日迄何人もありました。私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたには、この神の神力を何も与えず。】と告げられていますので、何の神力も持たない以上、救世主と呼ばれる様な任には就けません。それは私について来ても、何の【御利益】も無いと言うことなのです。私の周囲は【言成るの誠】を理解する者だけでいいのです。

     

    人は全て【神の子・神の宮】であり、他人に頼るではなく

     

    自己のこの世の生き方で【天国界】を目指すなのです

     

     

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    魂に高得点が出る生神様たる【義】の人。神霊が見える会話するだけで魂は低得点の人

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      先日、テレビのドキュメンタリー番組を見ていまして、世の中には驚く【義の人】が居ることを知りました。日本ではほとんど無名の方です。大企業家でもなければ高級官僚出身ではありません。高学歴の方ではなく、世間的にいえば【市井】の人です。元自衛官でカンボジアに派遣されて現地を見て、自衛隊を退官後にカンボジアでのボランティアの道を志された人です。

      もし、このドキュメンタリー番組を見ていなければ、私はこの方の存在をまったく知らなかったとなります。おそらく、このテレビのドキュメンタリー番組を見ていなかった日本人は、ほとんどこの人の存在を知らないでしょう。

       

      この方の功績は日本ではありません。カンボジアの一地方です。この方のカンボジアの一地方での功績とは、世に神霊と呼ばれる存在の神達よりも功績が遙かに上回っています。カンボジアと言えば内戦で埋められた数百万個の地雷源で知られています。多くの子供や大人がその地雷の犠牲になった。為に、農作物も作れない不毛の地で住民はその地雷の為に働けなかった。世界からの援助物質だけで暮らしていた貧困地帯です。

      この方は、世界からの地雷除去の専門ボランティアだけでは数が少なくて膨大な地雷が処理出来ない。そこで、自衛隊での地雷撤去の経験を生かして、その地雷源を住民達の手で撤去する為の教育をして、住民達の手で不毛の大地を元の緑の田畑にと変えて行った。そして貧困からの脱却の為には学校の建設や地場産業の育成です。

      世界からの物質援助だけに頼る生活ではなくて、住民達自らを立ち上がらせる【意識改革】をされたのです。国連等の援助漬けだけでは、そうした貧困地域の住民を堕落させることは知られています。どうやってその地域の人達が自立するかの支援で無いと意味がないからです。

       

      私はこのブログで魂には【点数】が出ると書いて来ましたが、スピリチュアルの世界ではそんなことを言う方はほとんどありません。魂に点数が出るなどは間違いかとも思っていましたが、世には魂に点数が出ることを知っている方もありまして、やはり出るらしいとは解ってはいました。

      その後、今の地球と新地球との別れに関わる霊能者の方達から聞いたところ、その点数は【最後の審判】時に自分が行く霊社会の階層(次元)の魂の点数だとの話が出て来ました。それは別に最後の審判があろうとなかろうと、人がこの世を去って霊界に帰る時の霊界における【地位】を決めてしまう点数と言えます。

      私が言っている「良心神」とは、その点数により霊界で自分が住む階層社会が違うなのです。それはある意味、【次元】と呼ばれている世界とも関わって来ます。

       

      現在の霊学の分野では、第一天国、第二天国、第三天国、中有界、第一地獄、第二地獄、第三地獄の存在が語られていますが、大本教の出口王仁三郎聖師はその第一天国界の上に更なる最上級天国(神界)界があると言っておられます。

      この最上級天国(神界)界とは、大本教霊学で【幽の幽】界として説かれた層にあるようで、今の世に出ておられる神々でも解らない神界と言えます。私が神霊世界の修業で世話になった豊受姫は、この神をもってしても見えない解らない神界と告げられましたので、今の世に出ている神々にはその最上級神界の子細は掴めていないと思われます。

      もし、その神界が解っていたならば、【天帝】と呼ばれる存在が世にクローズアップされていたはずです。その神界がよく解らないことから、どこを見ても【創造神】が見当たらないの論議となっているのです。私はそれが初めにして終わりの神。終わりの神にして初めの神につながると見ています。創造神は存在しないのではなくて、よく解らないなのです。

       

      私は誰を見てもその方の魂の点数が解るではありません。僅かな方だけですが、その魂の点数を見させられて来ました。私の背後には閻魔大王と呼ばれる方の存在が在ると一部の霊能者から指摘を受けて来ましたが、その魂の点数は閻魔大王から見させられているものと思われます。その点数制度からすると、どうやら第一天国界の上に更なる天国界があるのではないかと推察して来ました。

      無論、おまえがごとき低霊能力者の背後に閻魔大王など存在しないと言われる霊能者の方達もありますので、絶対ということではありません。ただ、私は【言葉と数霊】の仕組みを見させられている者とは言えます。

      正しい霊能者であれば、この世は【魂の修業場】や【天人の苗床】や【魂の刑務所】等と言われます。決して、スピリチュアル標榜者が説く「この世は楽しく遊んで暮らす場所」ではないのです。

       

      スーパー・ボランティアで世に知られた【尾畠春男】さんは、誰が考えてもその魂の点数が高いとは解ります。私が見た点数が正しいとすれば、尾畠春男さんに出た魂の点数の段階は第二天国界並びに菩薩界でも非常に高い点数で、第一天国界並びに如来界に近づいておられるです。が、このカンボジアにおける【義の人】の魂の点数は第一天国界並びに如来界に既に入っている点数と言えます。普通ならば考えられない高い点数なのです。

      今日迄だと、お釈迦様とかイエスとか弘法大師さんや日蓮聖人の様な大宗教家の方ではないと無理ではないかという説があった第一天国界並びに如来界に宗教家で無かった人がそうした世界に入っていると言えます。それは私にしても、意外な驚きでした。

      無論、過去にそうした段階に行かれた宗教とは関わりが無い【義の人】は幾人も存在されていますし、他にもその名が高く評価されて現に今も活動されている【義の人】達は存在しています。

       

      私はそうした【義の人】を生き神様と呼んでいます

      神社に鎮座されている神様を超えた人達です。その方に「良心神」が存在して働いていなければ、【義の人】などには成れません。

       

      だが、そうした方達で著名な方達は世間にも知られています。今回は私もたまたまテレビで知ったであり、それが無ければ世間ではその名は知られることもなかったなのです。そこには無名で生きようとした【市井の人】の存在なのです。

       

      私は言葉を創った神が仕組まれたであろう言葉の仕組みから、【米(世根)】教を説いて来ました。だが、私が説いた言葉の仕組みを知らなくても、世の為に人の為に尽くして第一天国界並びに如来界に入ってしまった【市井の人】の魂を知ることが出来たわけです。

      私に出たこの【義の人】の魂は、元々はそんなに高い次元界出身の魂の方ではなかったようですが、【今生の生き方】で宗教家でも大宗教家でないと到達しない様な高次元界に進まれたとなります。

      私は「米」の仕組みから、この【世根】の仕組みは「七次元」界位まで魂が到達することを説いている仕組みだと言って来ましたが、本音では無理ではないかと思っていました。そうした方の実際の活動が一部の方を除いて世間に見えて来ないからです。

       

      改めて、神が言われた【この世は魂の修業場】を実感

       

      私はかねてより、世の為に人の為に尽くす【市井の人】の生き方を説いて来ました。普通に言えば【義の人】です。そうした方の多くは、死後の世界で第二天国界並びに菩薩界と呼ばれる様な世界に行かれているからです。私はそうした人達を多数見て来ましたが、どなたも人間性が出来ておられます。大切なことは、そうした世根(米)の活動で自分を誇らないなのです。

       

      常識として、誰か考えても自分に幸せをくださいと神仏にすがっている人と、世の為に人の為にと【自己犠牲】を払って来た人とでは、その生き方が違っていたと解ります。

       

      大本教の出口王仁三郎聖師が自分は素戔嗚尊の魂であると称されて活躍されたことは霊能者ならば誰もが知るところです。出口王仁三郎聖師は、自分はナザレレのイエスに何一つ劣っていないと言われましたが、優秀な霊能者の追認はイエスとほぼ同格の魂だったとされています。大本教の出口王仁三郎聖師は【瑞霊】とも称しておられましたが、イエスも瑞霊であったと言われています。

      巷には、お釈迦様とイエスと出口王仁三郎聖師と弘法大師は九次元界の方で、自分はその4人の魂を持つ三十六次元界の者だと称しておられる自称救世主の霊能者の方も居られますが、出口王仁三郎聖師さんの九次元界説はあまり聞きません。だいたい、【八次元】界説が有力ではあるのです。

      もう亡くなられましたが一部の方から熱狂的に支持されて、自分が救世主であると称しておられた【五井野正】博士は、その自著で「七次元界からの使者」と自称されていましたが、七次元界の方です。

       

      七次元界の魂の段階で自分が救世主と称すると失敗するとされるのは、八次元界とされている素戔嗚尊の魂を持った出口王仁三郎聖師ですら、戦前に国家神道と戦って大本教が潰されてしまったのですが、原因として日本の伊勢神宮に鎮座されている御神霊が同じ八次元界であるが為に失敗したとする説があります。それ以上の界の魂である必要があるです。が、説であって絶対論ではありません。

      そうしたことから、本当の救世主が出るとすれば、【九次元界】以上の魂の持ち主だとされています。為に、自分は九次元界以上の魂だと言わなければならないで、お釈迦様やイエスや出口王仁三郎聖師や弘法大師は九次元界の魂で、自分はその4人の魂を持った三十六次元の者だと称する方も出るなのです。

       

      大本教の出口王仁三郎聖師が自分は素戔嗚尊の魂で【救世主】と称しておられたことから、出口王仁三郎聖師の死後、巷には自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと称する方が多数出られました。私が知るだけでもかなりおられます。一人や二人の数ではありません。それは、出口王仁三郎聖師の素戔嗚尊よりも高い次元界の素戔嗚尊の魂を持った人が出て来るからだとも言われているからです。しかし、現実にそんな【九次元界】以上の魂など持った人が世に出るのかとなりますと、ウーンと唸ることになります。

      自分は七次元界の素戔嗚尊の魂で、それらは幾人かの霊能者の判断でもあると言われている方があり、確かにその方には考えられないほどの数の蛇霊団が就いていました。が、御本人の性格があまりにも問題であり、とても正神界の御守護とは思われない方がありました。だが、その方の魂の点数が出て来ませんので判断が出来ずにいました。

       

      私が首を捻っていたのは、八次元界とされていた大本教の出口王仁三郎聖師ですら失敗されているのに、それ以下の次元界の魂の方を【救世主】などと担いで成功するなどあり得るだろうか?。です。この方の背後には確かに膨大な数の蛇霊団が付随している。が、そんな基本的なことすら知っていないこの方の霊団を指導している指揮官霊のあまりにものお粗末さに首を捻ったのです。そこには数さえ集めれば何とかなるの数は力なりの奢りがあるのでしょう。

      やっと、その方の魂の点数が出て来て、いったいこの点数は何だ!。です。その点数では第三天国界にも入ることは出来ません。そもそもその魂が人としてまるで磨かれていないからです。心の修養が出来ていない。その方の魂が素戔嗚尊であると言った霊能者達は、いったい何を見て言ったのかとなります。だが、五次元界程度であれば充分に関われます。現に多くのミニ教祖が五次元界程度に居るからです。そして、自称「救世主」を名乗っているです。

       

      そして、私はこれまで見て来た中での自分の判断に間違いがあったことに気づきました。それは第三天国は「五次元界」ではなく、六次元界になるなのです。世に出ておられる御神霊。特に眷属とされるクラスは五次元界程度だからです。蛇霊や狐霊がそうです。為に多くの霊能力者は「五次元界」に関わっています。多くの諸眷属とする諸霊達が「五次元界」であることは知られています。だが、五次元界では未だ本当の【天国界】には入れていなかったなのです。

       

      世に【五六七(みろく)】と説明されて来たことは、五次元・六次元・七次元界の世とする意味なのですが、今日迄の天国界に進むよりも基準点が下げられているのです。

      私は本当の天国界に入れる人の数が少なく、現状では5%程度なのに、どうして大本教はみろく世には「1/3」説を流したのか疑問視していました。これまでは中有界主体の【輪廻転生】の中にありました。その「輪廻転生」の仕組みを終えるので、中有界の上層階まで天国界入りの基準点を下げるなのです。

       

      その代償として、魂に【強制禊ぎ】が実施される

       

      今の神霊世界では、自分は○○○○尊の名乗りは当てにはなりません。霊界マッチポンプで、その人の周囲に集まる霊感者霊能者もそのグループ霊に憑依された方達による見立てだからです。そうしたことは、サニワ(審神)を経験されて来た方ならば、誰もが知っていることなのです。

       

      私にしても、初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔と同じであり、貴方の言葉の教えに従わない神達は如何なる神達も天帝から反逆罪として処罰されます。】と聞かされたのですが、その言葉を信じたのでは無くて、そんなことが可能なのかと取り組んだだけにしか過ぎません。為に、何が言葉の神だ!。おまえは単に狐霊に騙されているだけだとバカにして来られる霊能者の方も多いのです。

      そもそも、言葉の仕組みなどは無い。天帝などと呼ばれる神など存在もしていない。天帝と言う言葉すら無い。と神霊から告げられたという方もあるのです。私などそうした神霊達からは邪神扱いをされています。最初から言葉の仕組みなど無いで、仕組みを見ようとしない。そして言うことは、言葉などに騙されるなです。この神の力を信じよです。

       

      私は大本教神諭に、【世の立替があると云うことは、どの神柱に判りていれど、モウ一厘の肝心の事はわかりておらん。】とあります。だが、私が実際に神霊世界に関わったら、どこにも【どの神柱も判りていれど】が無いと言わざる得ませんでした。でも、言葉の仕組みは現としてあるのです。その理由に関しては、今の私には解らないなのです。

       

      ある女性霊感者が名を上げる某神社は、私は参拝したこともない神社ですが、その神社名を聞いて私が受けた感じは正神界の神社では無いでした。私がある事柄で関わった女性霊能者の背後は「猫」霊でしたが、某大社の摂社に居ました。私は修行中に大社と呼ばれるような神社ですら、蛇霊や狐霊が鎮座しているのを見て来ました。いくら相手が神社の神霊でも油断は出来ないのです。

      私がお世話になった豊受姫は、それらの神社の御神霊からすると邪神だと告げられているようですが、自分が関わっている御神霊の言葉は本当なのかは、優秀な霊能者だと言われている様な方、それも複数の方達の判断を仰がないと難しいとは言えます。スピリチュアル段階の集まりは危ないのです。

      私が知るある霊感女性は、その仲間達から天照大御神の魂だと言われていていましたが、私はそれを否定したがあります。霊能者の見立てとはまるで違うでした。それは、私はその人の現状の【人柄】で判断しているからです。人柄が出来ていないのに、【高級神霊】が関わる等あり得ないからです。

       

      私がお世話になった豊受姫は【世の立替】説派であり、この地球には人類は一人も残らないと告げられた神霊なので、反対派の神々からすれば邪神にはなるでしょう。どちらの言い分が正しいかは、実際に「立替」が起きてみないと解らないが本当だと言えます。

       

      今の神霊世界は、グループによる俺々詐欺の劇場型演技がある

       

      巷には、自分はお釈迦様とイエスとモーゼの本体たる【永遠の仏陀】と称して多くの信徒を集めている方があります。それはその方が「永遠の仏陀」だと信じるか信じないかの問題ではあるのですが、自分が信じたからそれが【真実】だとはなり得ません。限らないなのです。

      私は今の神霊世界では【異端】も【異端】である【みろくの世とは新地球上】と語る少数派の一員でしかありません。万人や世に受けいられることを説いているのではありません。多数派からすれば、世の終わりを説いている邪神派の一員とも言えます。ただ、私はそれが実際に起きるの確証論ではなく、万が一の自体に備えているなのです。備えあれば憂(うれ)い無しです。自己の魂を磨いておけば【安全パイ】だからです。

       

      スピリチュアルでは、【類は類】を呼ぶを説く

       

      自分の性格が形成されていないと、自分の周囲に集まる人も霊能者も同類の波長の人達が集まります。

      七次元界の様な魂ならば、その【人格】は形成されています

       

      今の神霊世界。スピリチュアルの世界では、自分は【高次元の魂】だと称して、自分は3億次元の創造神だとか、五〇〇万次元だとか一〇〇万次元だとか、バナナの叩き売り状態があります。だが、いくら自分は【高次元界】の魂だと称していても、その魂の点数はそんな数字は出て来ません。いくら自分は高次元の者だと主張されても、魂に出る点数を見ると、首をひねざるえないのです。

      いくら自分には神霊が見えると称していても、悪態をついたり、毒を吐きまくっている様な方は、その魂がまったく磨かれていないがありますので、その方の魂の次元が高いなど常識で考えてもあり得ないなのです。だとすれば、その方に出て来ている高い御神霊とは何者かとなります。

       

      人として【心の修養】がまるで出来ていない人に

       

      本当に正しい神霊が出ているのか?

       

      そうした根本的な問題にぶつかってしまうのです。 いくら神様仏様と言って熱心に信仰していても、自分の心の修養がなっていないとなると、いったい貴方は【何を拝んでいるのですか?】となります。

      世に出始めた頃は正しい霊能者であっても、その名声が上がると金の亡者となり、その方の背後に居た神霊が正神から邪神に切り替わっているなどは知られています。何時の間にか蛇霊の集団がその方の背後を占めて、最初の神指導霊が居なくなっているです。だが、本人はそのことに気づかないなのです。

       

      スピリチュアルでは【神は光】はお題目ですが、その人が見た【光】とはどの程度の光かという問題も出ます。次元毎において、神霊の光は違っていて

       

      本当の神の光とは、自分の魂が磨かれていないと殺人光線に近い

       

      自分の魂が磨かれていないと、それほどの神霊の光でなくても、その光に耐えられないがあって、その光の主が高貴な神霊だと見誤るが出ます。それが私のブログの最初の頃の記事にも書いています。神は光だと思ったら天狗さんです。天狗霊が出す光を【高御産巣日神(たかみむすびのかみ)】の光だと思い込んでいた凄腕の霊能者の方と関わった記事です。

       

      瀧に打たれたり断食して山を巡るは【山の行】

       

      里にあって、多くの人を助ける義は【里の行】

      米(世根)を実らすのは【里の行】。【実れば実るほど、頭を垂れる稲穂かな】。

       

      この世は魂の修業場。魂が実れば実るほど、その人格は形成されて人柄が表に出て来ます。そして、霊界の次元を駆け上がっているのです。一方霊能者で神霊が見える神霊と会話するで、霊力が付けば付くほど人格が落ちて行かれる方達があります。その方の周囲に邪神達が集まるので霊力は得ますが、自分の魂の点数が落ちて行くのです。

       

      私の最初の師匠であった方は豊受姫のお代さんでしたが、行者は【山の行】をするが、人間形成や魂の修業は【里の行】だと常々言っていました。瀧に打たれたから、断食したから、山を駆け巡ったからと言って【霊力】はついても、人間として磨かれるではないからです。生前は凄腕の行者でありながら、死後は地獄界に落ちている行者霊の存在はそれを語ります。

      単に自分には神霊が見える。神霊と会話すると豪語していても人間性が出来ていない人は、世の為に人の為にと働いて来た【義の人】よりも劣っているということが、今回出て来たとなります。

       

      私は出口王仁三郎聖師の様に神力も授けられずに言葉の仕組みを紐解いて米(世根)の教を告げさせられたのは、

       

      世根(米)で、世の為人の為に尽くした方は

       

      世に出ている神々よりも、高い霊世界に行く

      大本教神諭、今の世に出ている神達の心の持ち方が悪かった。

       

      低級霊界の蛇霊をいくら数多く集めても、そうした高次元霊界には行けません。そうした実証が現実に起きているなのです。

       

       

       

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      聖書の【義の人】と【不義の人】に秘められた【蟻】。相手の魂胆を見抜く

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        旧約聖書には【義の人】が説かれています。その土地に【義の人】が居なければ私はその土地を滅ぼすです。新訳聖書のマタイ伝では、【義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人達のためのものである。】とあります。

         

        但し、私達日本人が知る【義】とは、儒教における【義】です。儒教における義は「五常の仁・義・礼・智・信」の一つです。少し前までの日本人ならば【義理や人情】で、俳優高倉健さんが演じる任侠の映画の舞台が好きだったのです。日本の【サムライ】精神とも言えます。他の者の為に自分が死ねるです。それがある意味、太平洋戦争における神風特攻隊という悲劇を生みましたが、日本人の精神なのです。大和魂です。

        キリスト教における【義】とは、真に【義であるのは神のみ】であり、人間は神を信じることにおいて義に近づくです。神を信じないことはが不義なのです。私達日本人が思う【義】とは、義の意味が違っています。

         

        今回、私は【蟻】霊の存在から、【義】の意味が判りました

        通常【義の人】と呼ばれる人達は、その信じる宗教宗派信仰に関わらず、天人界にと進んで居られます。キリスト教の概念とは少し違っていました。

         

        他の人の為に死すことを、神の祭壇に【牛と羊の血の捧げ】と言います

        それは【犠牲】と言う文字が証明しているからです 

         

        私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、私を社会の底辺に置いて、【人の心の在り方に関して学ばさせる。】と告げられて、私は社会の底辺に身を置くことで【人の心(魂)の中に内在する良心神】の存在を知ったしだいです。

        その旧約聖書の神と称する声は、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行きなさい。】とも告げられたのですが、その時はイエスの愛の教えを超える教えなど見当もつかなかったのです。

        結果的には埋没していましたが、お釈迦様の菩提樹の下での悟りとは、【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】であったことに【言葉の仕組み】から行き着いたわけです。

         

        しかし、私がいくら「人に内在する良心神」を発信しても、世に受け入れられないと言えます。スピリチュアル等では、良心神とは「単に良い心」のことで、別に貴方に教えて貰わなくても結構です。

        それが魂の核。天帝からの分魂のことであり、人の善悪の判断をしている(円真)ことであるの理解にすら至りません。

         

        その理由の一つに、聖書には【初めに言葉は神と共に在った】とありますが、言葉を構成している【言霊】の存在が一部にしか理解されていないがあります。大本教の出口王仁三郎聖師から【ス】の神論が世に出ましたが、それは【主】の漢字に「ス」の言霊を振ってス神と呼ぶことだと思っている方が多いからとも言えます。

        また、一つに、聖書にある人類の原罪としてアダムとイブに囁いた「蛇」の存在がまったく理解されていないがあります。特にこの日本では現世御利益として蛇神(巳)さん信仰が盛んであり、蛇霊は神格化されているので聖書の人類の原罪の意味がほとんど理解されていません。

         

        その蛇霊とは人類と共にエデンの園(神の御国)から追放されたことで、全ての人に蛇性が備わっています。この蛇霊の囁きとは、国常立尊様が地上神界の主宰神の座から蛇霊の囁き(憑依)により毒された神達によって、悪神の汚名を着せられて神々の多数決による神界追放劇の要因ともなったからです。

        当時の私は、国常立尊様の側近たる天使団の一員として仕えていた記憶を持ちます。ただ、それは今の人類が知る歴史ではありません。次元も違います。

         

        ある意味、人は全て蛇性から解脱する必要がある

         

        私達は仏教の教えから【解脱】という言葉を知ります。その解脱とは、この世での「苦悩」や「迷妄」から抜け出すことだと捉えられていましたが、蛇や蟹や蝶などを見ていますと、そこに【脱皮】があります。自己の【殻を脱いで成長】するです。

        私は神霊世界で蛇霊に関わって来て、【蛇の直立】を見たのです。それは「神霊の悔い改め」によって起きる現象です。蛇性からの解脱です。脱却です。解脱です。

         

        私は社会の底辺に身を置くこととは別に、旧約聖書の神と称する声から【そなたの前世は悲劇の武将であった。その時のそなたは人の魂胆が解らぬお人好しであったが為に、人の魂胆が解らずにそれらの者に利用されて悲劇の武将で終わった。今生のそなたは、相手の魂胆を見抜く修業ぞ。】と告げられました。

        また、【私はそなたが本当は何者なのか?。誰にも解らないようにしておく。そなたも自分が本当は何者なのかを知らない。そなたが本当は何者かと解ってしまうと、自分の立身出世を図る神や人達がそなたの周りに集まって来る。そなたは心根があまりにも優しすぎて、そうした者達の魂胆が見えない。為に、そなたの素性を世に判らぬ様に隠す必要がある。】

        【そなたが本当は何者かが解らない時に、そなたを慕い。そなたの周囲に集まる者達が「誠」の者達である。何の神力も持たないそなたの教えに従う者達だからである。そなたが神力を持てば、その神力を利用しょうとする者達がそなたの元に集まって来る。】

        【されど、そなたの背後にこの私が居ることが見えない様な神ならば、神としては使い物には成らない。そなたを見て、そなたの背後にこの私が見える様な神で無いと、この神がする仕組みの御用には使えない神である。】と告げられたのです。

         

        さらに、【神界の御用を務めるのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂の方である。肉体のそなたはバカを演じていればよい。そなたをバカにして来る者ほど、その者の魂胆がそなたにも見えて来る。】とも告げられたのですが、私のバカは演技ではなくて天然に近いものです。熊野本宮の御神霊から、天然の「おっちょこちょい」と言われましたが、それは自他共に認めています。別に演じなくても天然なのです。

        別の時、【そなたを見て拝する者があれば、その者はそなたを見て拝したのではない。この私を見て拝したのである。】とも告げられたのです。何故ならば、私はその旧約聖書の神と称する存在から何の神力をも授けて貰っておらず、人を助ける能力など何一つありません。そんな者を拝む人など居ないからです。

         

        戦前の大本教は日本有数の大宗教でした。大本教が大宗教になった背景には、当時の大本教宣伝使が全国を巡回して、大本教の神の力をもって病気治しの実績を出したからであり、大本教神諭に【この神は病気治しの神に非ず。心の立替・立直しの神である。】とあっても、現実に神の力を人々に示さなければ大宗教などなり得ないがあります。言葉の仕組みの解説だけでは、そうした宗教団体化は不可能と言えます。なり得ません。

        それでも、私が解き明かす言葉の仕組みから【創造神】と思われる神の存在を認識出来る方は、その方の守護に就いておられる神霊の存在が私の背後に存在するであろう神霊の存在を認識されたなのです。

         

        子供の頃、本当に自分には旧約聖書の神と称するほどの神の声が臨んでいたのか?。それは私にとっては大いなる疑問でした。しかし、その声が告げた【この国(日本)は、私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。】は、日本語と言う言葉の仕組みの解読を持って「証明」が出来たとは言えます。

        私はこれまで出会った霊能者の方達の中で7〜8名の方から、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですとの指摘を受けましたが、私自身はその姿を見たことがありません。私に臨んでいたのは旧約聖書の神と称する声だけです。が、そうした霊能者の方達は私の本守護神は【国常立尊】様だと本当に言えるのか?。私自身は霊能力では劣るのでよく解らないなのです。で、多くの霊能者の霊査を受けて来たしだいです。

         

        私の最初の師匠がこの世を去る少し前、私に対して【貴方を見て、こんな恐ろしい存在は見たことがないと言う霊能者であれば本物の霊能者と言えます。だが、貴方を見ても大したことがことが無いと言うような霊能者ならば、何も解っていないし見えてもいない霊能者や神達です。相手にする必要などありません。】と言います。

        私はその最初の師匠から私が【恐ろしい者】だと告げられて、私自身は別に恐ろしくもなんともない普通の人間です。だが、その師匠は常に私に対して【貴方は貴方の背後の方がどれほど恐ろしい存在の方かをまったく自覚していない。】と叱責していました。それで、神霊とか霊能者と称しておられても、まったく見えていない神霊とか霊能者の方が大多数だという理解には至りました。

        無論、その私の最初の師匠の豊受姫は邪神だとか黒狐だと言う方達もあります。なまじ霊能力を持つと、誰もが自分が一番式になって、自分の背後に居る霊の言葉しか聞けなくなり。真実から目をそらすとなります。自分が神と仰ぐ存在こそが本物の神で、他は邪神式となります。

         

        実際に私が知った霊能者の中には、これほどの霊能力を持った行者の方は滅多に居ないと思った方は、私の背後の存在の光を見て、こんな恐ろしい存在は見たことがない。光そのものに殺されてしまうと逃げてしまわれました。そして私をバカにしていたことの詫び状を頂きました。

        私から見ると、希な優秀な行者さんで霊的なことがあまり解らない見えない私にとっては、是非に力添えが欲しいほどの方でしたが、私の背後の存在の光に怯えてしまわれてご尽力を賜ることが出来ませんでした。

        では、私の背後はそれほど優秀な霊能者の方が光に殺されると言った光を常に見せているのかと言いますと、見せてはいません。人を選んで選別しています。その光を見て殺されると言っても大丈夫な一流の霊能者や行者の方には見せるなのです。その光を浴びたら死んでしまうとか倒れるような方には、その光そのものを見せることはありません。

         

        私がしているのは大宗教を創ることが目的ではなく、かっての国常立尊様の部下であった天使達を元の地位に返り咲かせるなのです。あまりにも世に落ちてからの年月が長いからです。生き抜くために邪神界に転じた天使達もあるからです。

        大本教が告げた【主の神の35万年間の苦しみとは】、国常立尊様のみならず、忠誠を誓う天使団も同様に味わったからです。

         

        どうやら、私の前世はそれなりの武将ではあったようですが、人の魂胆が解らないお人好しの武将で、為に悲劇でこの世を終えた者らしいとは解りました。仮にそれなりの武将であっても、人の魂胆が見抜けなければ足下を救われてしまいます。信頼している者達からも裏切られてもします。その武将の時の私は、人の魂胆がまるで見えていなかったようです。人を信じ過ぎていたのでしょう。人の【魂胆】とは、ある意味恐ろしいものなのです。

        大本教はウシトラ金神国常立尊様が地上神界の主宰神でありながら、多くの神々から多数決で悪神としてその座を追われたとします。その国常立尊を追いやった神達とは蛇霊でも【黒龍神】に憑依された神達と言えます。

         

        私は豊受姫の庇護の元に伏見稲荷山で修業させてもらいましたが、豊受姫の黒龍神に対する嫌悪度は非常に高いものでした。何故に、豊受姫はこれほど黒龍神達を嫌われるのか?。基本的に豊受姫は黒龍神とは相容れないがあったのです。それは当時の私には謎的なことでした。

        そうしたことから、黒龍神とグルになっている豊受姫と称する霊は、私がお世話になった豊受姫では無く、豊受姫と名乗っていても別の存在と判断をしています。私が知っている豊受姫とは、絶対に黒龍神と呼ばれる存在を持ち上げる様なことはなされなかったからです。

         

        しかし、今の神霊世界はある意味黒龍神達の天下であり、その黒龍神の数の力が支配していることも事実です。私は修業時代は黒龍神に襲われて逃げ回っていましたし、私の前世であった武将霊の正守護神も黒龍神の数の力には勝てないがありました。黒龍神群団に勝つのではなくて、防御するだけで手一杯なのです。

         

        今の世に【正義】はないと、正しい人達は言う

         

        人類は、どこで「正義」を失ったのであろうか

         

        私は人に内在する良心神を説いてはいますが、良心神と正義とは同一の働きではありません。良心の働かない「正義」は、時には暴走化してしまいます。暴力を生みかねません。良心神に統率された荒魂の働きが「正義」にと走りますが、勇気が備わっていないと、いくら良心神があっても動けないなのです。

         

        私は旧約聖書の【義の人】の反対になる【蟻(義を無視)】の漢字で、土を這っている蟻達を見ていて、今日まで【蟻】の漢字の意味が解らずにいました。

         

        キリスト教神学ではサタン(悪魔)とは地獄の長官(閻魔大王)のことを言っていますが、通常の霊能者は悪魔(サタン)は【黒龍神】とか【紅龍】を言われたりします。ほとんどの黒龍神とは汚れから来る黒色から言われているのですが、霊力はあっても正義とか良心とは無縁の存在です。要は力こそが全てです。為に群れて、その数を力の源泉としています。

        一方、金龍とか銀龍。白金龍と呼ばれている龍神は群れていません。また、通常の汚れの黒龍神ではなくて、本当の黒龍神も群れていません。本当の黒龍神とはあまりにも次元が高いので、まず見ることはない為にその存在があまり知られていません。

        私はある霊能者から常時見る黒龍神ではなく、本当の黒龍神と呼ばれる存在を告げられて、その姿と色を見た時、まるで違う存在と知りました。つまり、汚れの黒色と本当の黒色の違いです。通常の黒龍神は浄化浄霊の対象と言えるのです。しかし、汚れていても黒龍神達を【悪魔】と定義するのは無理筋だと言えます。

        確かに霊的には汚れていても、悔い改めとか浄霊がなされれば黒龍の黒色から脱却できます。それよりも、そもそも神界での【次元】が低いのです。次元は一次元違えば、とんでもない違いとなります。それを補う為に黒龍神達は群れるなのです。 

         

        日本の神霊世界では、どの霊能者も蛇霊、狐霊、狸霊、猫霊の存在を語ります。それはは虫類の蛇や動物の狐や狸や猫のことを言っているのではありません。日本昔話の狼がくれたまつげの話です。その言葉で表されるその霊の【心の在り方】による姿です。為に、牛霊、羊霊、犬霊、天狗霊、龍神等と呼ばれる霊も存在しています。

         

        最近、ある出来事からその【蟻】が何を意味した言葉であったのかが判明しました。

        その「蟻」の言葉の意味を知るのに、何と40年近くもかかってしまいました。

         

        蟻とは、【不義の者】

        ハルマゲドンとは善悪の戦いではなく、義と不義(蟻)との戦い

         

        黒龍神達を支配していたのが蟻達。 この【蟻】とは、地上世界を歩いている蟻のことではありません。黒龍神と呼ばれる霊はかなり大きな姿であることは霊能者には見えています。霊的にはそれよりも、もっと力が強い黒天使達のことです。黒龍神達よりも遙かに強烈な不義の黒天使達です。今日迄はその存在が世の表に出ていなかったので、その存在が霊能者の口から語られることがなかったなのです。

         

         

         

         

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        人に内在する良心神を学ぶには社会の底辺をウジ虫の如く這う。肥溜めを荷なう神。大本教出口開祖が望んだせんち虫

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          私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【そなたを社会の底辺に置く。そなたはその社会の底辺を「ウジ虫」の如く這ってでも生き、その社会の底辺で人の心の「在り方」に関して学びなさい。】と告げられました。そのウジ虫のことを、私が住む地方では「センチ虫」等と言います。便所に居るハエの幼虫のことです。センチ虫とは便所のことを【雪隠(せっちん)】と呼んだことから、それがなまったとされます。

           

          子供の私には、その旧約聖書の神と称する声が本当に旧約聖書の神なのかどうかは解りませんでしたが、

           

          人の【心の在り方】とは

          社会の底辺に自分の身を置かないと解らない

           

          それぐらいの理解は出来ました。しかしながら、ウジ虫とは何事かと思っていたことも事実です。ただ、【這う】の言葉がどうにも気になったのです。ただ、当時は子供でしたので、【這】うの漢字を知りませんでした。這うとは【言葉の道】です。便所に【言葉の道】が落ちているのか?。

           

          大本教関係の書籍に、大本教「出口なお開祖」に国祖の大神が「直よ、こんどの大望なご用をつとめあげてくれたら、どんな御礼でもするが、その方に望みはないとか」と申された時、開祖様が「せんち虫にしていただきとうございます」と申されると、さすがの大神様も「直よ、えらいことを申す」と驚かれたとあります。

          開祖様は、一代どん底におってというおもいで申されたのであろうが、せんち虫は便所のようなどん底におるが、やがて人の頭にもとまるようになる。これほど出世大将はないと開祖様は申された。

          苦労することは神に近寄ることである。立派な家を建てるには大きな基礎がいる。どん底に落ちてはじめて人生の味を悟る。どん底に落ちてはじめて物の有難さ、天地のご恩、天地の冥加を悟り、感謝の念がわいてくる。これすなわち神の御心に近寄ることを意味する。

          悪神から押し込められた神は、三千年の長き年月をカゲからご守護くださった。神はお宮に安定しておられるのではなく、みろくの世をつくるためにご活動くださっている。

          おかげとは、その神のみそばに近寄り、ご恩と御心を悟って、神の手足となって実行するところにある。

          宮居が信仰礼拝の対象となってはいけない。神は物質的に立派なもののみをこのみたまわず。だから苦労も実地体験せねば、その真の味がわからない。

          二代様から以上のようなお話をうかがったことがある。

          この天地をおつくり下さった尊い偉大な大神様は、世におちて永い間ご苦労、ご艱難をされた。  

           

          上記は大本教関係の著本の内容ですが、私は自分自身が霊媒体質であったことから解ったのですが、霊魂の浄化浄霊の作業として、そうした霊魂を自己の体内に入れて浄化浄霊をすると激しい【下痢】を起こすなのです。つまり、【便所】の言葉には【人(魂)を更(新しくする)つ所】の意味があるなのです。

          私の最初の師匠は豊受姫のお代で、伏見稲荷山の御膳谷の清明舎に宿泊すると、その女性師匠は率先して女性信徒さんを伴って最初に宿泊所の便所掃除をしていました。私が便所掃除手伝おうとすると、これは女性の役割ですと告げられます。

          その師匠が娘時代、ある「明王」から女性の修業者は便所掃除を誰よりも率先して行わなければならないと告げられたと言われます。

          便所とは単なる食物の「排泄」場所ではないなのです。

           

          古来より便所(トイレ)には美し女神様が居ると言われて来ましたが

          便所神とは、金勝要(きんかつかなめ)神で五柱の女神

           

          あるブログ記事に、その方が曹洞宗の本山で宿泊していると、夜に本山の高僧が人知れずに便所掃除をされていると解ったそうですが、【人の上に立つ者ほど率先して便所掃除】をしなさいと言うことなのです。曹洞宗の本山ともなれば、男の修行僧ばかりなので高僧が率先してなされていたのでしょう。ただ、この【便所掃除とは、何もトイレを掃除するということではなく】。この世の汚れた物を自分が率先して清めるの意味です。

          自分が住まわせていただいている場所を汚しに汚して、我れ関せずは自己本位自己中の【我れよし】となるのです。私は口酸っぱくスピリチュアルの【何をしても神の愛で赦されます】とする論調を非難するのは、そうした教えは世を汚す。魂を清めることと相反する教えになるからです。

           

          霊媒体質の方ですと、夢に「トイレ」が多々出ているはずなのです。そのトイレの多くは目を塞ぐほど汚れたトイレで、美しく磨かれたトイレの夢は僅かしかないと思われます。それは、この世は霊的に汚れに汚れていて、美しいトイレ(更生場所)をした存在は僅かしか無いと言うことなのです。

          また、霊媒体質者で「トイレ」の夢が出て来る方の中には、その夢の中で自分が出した「小水」が【ヘドロ状態】で出て来るも見られているでしょう。それは自分の肉体が他の霊を浄化するフィルターになっているなのです。自分では無い多くの霊の汚れ物をヘドロとして放出しているなのです。それだけ今の世は汚れきってしまっているのです。

          現代スピリチュアルのお題目は神の愛で何をしても赦されるですが、宗教家でも神仏頼りで自己の魂の汚れを洗うことを教えることには無関心です。そうした宗教家やスピリチュアルの方の場所は霊的に目を覆うような「汚いトイレ」として出るのです。そうした宗教家やスピリチュアル標榜者は死後は汚い便所の肥溜めの様な所に落とされないとも限りません。

           

          私が見た神霊は、肥溜め桶を荷なう白衣の老神

           

          清廉潔白を意味する白衣を着た立派な老神が【肥溜め桶】を荷なう(担う)姿を見せられて、私はある意味感動を受けました。神は自らが人々が出した霊的汚物を担いでどこかに運んでおられるです。それを単に祝詞にある汚き物を神が運んでおられることを【祓い】だと宣っているだけで事済むかです。

          私が見た肥溜め桶を荷なう(担う)老神は金勝要たる女神ではなく、それよりも上席の御神霊かと思われます。

           

          私のブログの最初の頃の記事に、【神は光だ!で天狗さん。神は光でも姿が見える】があります。この時、私が関わった霊能者の方は自分はそんじょそこらの霊能者とは格が違う。自分に来ておられる神は【高木の神(高御産巣日神)】と豪語されていましたが、私が関係した霊能者の方の中ではその持たれる霊波動は飛び抜けていました。当然、私が住んでいる場所が霊的不浄物が集まる肥溜めの様な場所だとも見抜くだけの力も持っておられました。

          その方によれば、私が不浄霊を浄化する能力に秀でていても、いくら掃除しても掃除しても次々と霊的不浄物が集まる特異な場所に住んでいる。その方の霊力でなかったならば、私が住む土地などはとても清まらないとの主張でした。

          霊波動の持ち主としては桁外れの持ち主でしたが、私が貴方の霊力程度では無理だと言ったところ、おまえは生意気だから殺してやるとその生き霊とその仲間が霊剣を抜いて私を襲って来たので、その生き霊を閻魔庁に仕える神使霊が捕まえて便所の便層に落としたがあります。

           

          その便所(肥溜め)落としの刑とは、自分は人より大きい者と思い込んでいる【臭い者】として肥溜めに落とす処罰です。霊臭が解る方であれば、腐った肥溜めの匂いを放った霊に遭遇する等は往々にあることなのです。そうした霊はこの世に在った時は行者であったりしているのです。私はそうした霊臭を放つ霊が助けてくれと言って来ても助けません。切り離すだけです。

          私は神霊の浄化もかなりして来ましたが、汚れに汚れている神霊は最終的には【便層】に落とすです。【ウジ虫】の如く這い。「人の心の在り方」を学んで来いですが、私の自宅も今は水洗化となりましたのでそうした為の便層はありません。

           

          で、ウジ虫に成ることが修行の極意かと言いますと、それは【社会の底辺】を知る言葉の意味です。

           

          大本教霊界物語の中に出口なお開祖の話として、【人間は大便所の掃除から、歓んで致すやうな精神にならぬと、誠の神の御用はできぬ。それに今の人民さんは、高い処へ上つて、高い役をしたがるが、神の御用をいたすものは、汚穢所(きたないところ)を、美しくするのを楽んで致すものでないと、三千世界の大洗濯、大掃除の御用は、到底勤め上りませぬ。】があります。

           

          私は青春時代は【社会の底辺】を歩いていて何を見たかと言いますと、社会の底辺の人達には【良心】を持った人達が多いと言うことです。一方、社会の上層部に居る人達に何を見たかといいますと【良心の喪失】です。無論、社会の底辺で生きている人達が全て良心が備わっているわけではなく、社会の上に立っている全ての人が良心を失っているではありません。

          イエスの教えに、金持ちが天国の門を通るのは【針の穴をラクダを通すようなものだ。幸いなるかな貧乏人。】がありますが、金持ちだから全員が全員地獄ではなく、貧乏人だから幸いなどではありません。

           

          社会の底辺で【人の心の在り方】に関して学ぶ。それはまさに自己の魂を磨かせるなのです。

          要するに、その人の【心の持ち方】しだい

           

          社会の底辺で正しく生きている人達には「良心」を持った人の割合が多いなのです。その【人の心の持ち方は】とは、お釈迦様の教えに【この世は苦界】がありますが、この世で【苦】を積んだ人ほどその魂が磨かれているです。

          私は子供の頃、旧約聖書の神とする声から告げられた。【社会の底辺で「人の心の在り方」を学ぶ。】で、お釈迦様が悟られた様に「人に内在する良心」の存在を知ったと言えます。そして、宗教的世界に関わって、それが【神】たる存在であるとの認識にも立てたと言えます。

          その仕組みを裏打ちしてくれたのが大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】で解った【ラ神】論なのです。

           

          人はこの世に生まれ出て、社会の底辺に自分の身を置かれるなど、決して嬉しいことではありません。苦を味わう身からすると、やはり【辛い】のです。

          私は子供の頃には旧約聖書の神と称する霊声を聞いてはいましたが、社会の底辺に身を置いた時、どうして神は自分をこんな目に遭わせるのだとは思いました。必ずしも順調に人生を歩めたではありません。挫折や苦悩の日々です。払った犠牲も大きいのです。そこに来て、神霊と呼ばれる存在が告げて来た内容が「嘘」に成る。これはいったいどういうことなのだろうかと苦しむでした。

          大本教神諭には、世に出ている神々の心の持ち方が悪かったとありますが、単に、世に出ておられる神々には【良心】が見られないで片付く話ではないからです。だが、神々に「良心」がなくても、世の底辺を味わった人には「良心」がある謎があったのです。

           

          私が神霊世界に修行に入って驚いたのは!

          神とは良心を失った存在か?

           

          が、肉体の人に良心がある?

           

          神々には「良心」が無いと解った時、私は三千世界に自分の身を置く場所もないのかと悲嘆にくれました。しかし、お釈迦様の本当の悟りとは、【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】と悟られたと知った時、私は小躍りをしました。

          それは大本教神諭予告【九つ花】が数霊と言霊の仕組みであり。五六億七千万の仕組みで「みろく」として成り立っているからです。そして、お釈迦様の「悟り」を包括しているからです。大本教が「みろく大神」として世に出て来た意味は、お釈迦様の「悟り」を告げる為の前段の仕組みと言えます。大本教の仕組みは、出口王仁三郎聖師以後にも続いているなのです。

          みろく神とは、巷で自分が「みろく」神ですと名乗っているような仕組みでは無いのです。大本教の出口王仁三郎聖師は生前は自分が「みろく」大神だと称されましたが、昭和二十年に本当の【みろく下生】が起きたと言われました。それは出口王仁三郎聖師が自分をみろく大神としたことも「ニセ型」と言うことなのです。 みろくとは、自分が「みろく」ですと名乗ることではないのです。みろくの意味を証す言葉の仕組みが降りたなのです。

           

          私が【人に内在する良心神】として説いているのは

          神々には良心神が内在していないからであり

           

          人はこの世での生き方しだいで、既存の神をも超えられる

           

          私が子供の頃、私に臨んで来た旧約聖書の神と称する声は、【この私の仕組みはそなた一人が居てくれればこと足りる。仮に全神々が集結してこの私に対抗しても、この私に打ち勝つこなどは出来ない。】と告げられたのです。

          が、私はその旧約聖書の神と称する声が告げた、全神々が集結してもこの私には勝てないと言う言葉が本当なのかどうかまでは解りません。大本教は創造神たる国常立尊(ウシトラ金神)が神々から悪神としてその地位を追われたと記しました。つまり過去は敗軍の総大将だったからです。

          しかも私はその神から何の神力も与えられておらず、その旧約聖書の神と称する霊がどれほどの霊力を持った存在なのか何も知らないのです。ただ、言葉の仕組みを見た時、それを考えた時、どの神にこんな大仕掛けの言葉の仕組みが出来るのかと考えるならば、そんな神は今の世の表には存在していないなのです。

           

          しかしながら、言葉の仕組みだけで、かっては敗軍の総大将であった国常立尊が勝てるのかとなった時、そこには国常立尊様に神界の表舞台から退くことを言い渡された上位の御神霊があるなのです。その神が【三六九】大神ともされるわけです。

          初期の大本教では、【みろく大神の命を受けて、大国常立尊(厳霊)と豊雲野尊(瑞霊)の両尊が中心になって宇宙を創成された】と告げましたが、未だ誰も宇宙創成を命じた神のことはよく解ってはいないのです。そこに、国常立尊様のことは日本の【国祖神】と言い、宇宙創造を命じた神とは別にしているのです。

           

          私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、成長と共にその声は臨んできていません。が、その仕組みが解ってからは、私の前に出て来られた神霊がどれほどの存在であっても【屁】とも思っていません。自分はどれほどの神だと名乗りを告げられても、そうした言葉の仕組みなど出来っこないからです。

          自分には高い御神霊が降りて来る。多数の霊が自分には従っている。おまえが説いている【米】の教えなどは【糞】の教えだと言われる方達があります。 何分にも私は【社会の底辺をウジ虫の如く這う】で、【糞(米と田を共にする)】の教えに辿り着いたからと言えます。

           

           

           

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          肉体の内なる人(魂)を浄化するには【型】の演技が必要となる

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            魂の本質は自由な存在であり、型には定まらないとされます。

             

            魂は本質的に肉体を持つ必要がないのに、何故に肉体を持つ。

             

            スピリチュアルを言われる方と【言葉の仕組み】を解説している私とでは、物事に対する解釈を別にします。スピリチュアルだと、人は何故にこの世に生まれて来るのかの問いに対しては、だいたい【この世を楽しむ為】だという論理です。

             

            私は自分の肉体を使って、辛い作業である【霊の浄化】をして来ました。

             

            人は何故にこの世に生まれて来るのか?

            人は【霊止(ヒト)】と言い、肉体に霊を止めています

             

            それは、肉体を持つことで【内なる人】を浄化するです

             

            その【霊止(人)】の肉体には通常魂が一つ入ります。が、希にその人の魂の他に自分の魂を浄化する肉体を持たない他の魂が入って来るがあります。魂だけでなく思念と呼ばれる霊の憑依等も受けると、そこに【多重的な性格】が出て来ます。それらを統合管理するのが自己の本来の魂と言えます。

             

            そこに【精神統一】の言葉が存在する

             

            思念の憑依だけであれば肉体の性格の「多面性」だけで終わります。あの人は多趣味な持ち主などと呼ばれます。

            それなりの宗教家と成られた人の場合、その人の背後霊団の巨大さが指摘されます。霊能者などをされている方だと、その背後には何百何千と言う霊が従っていることが見られるなのです。単純な性格の人と複雑な性格の人の違いには、他の意識(思念)の憑依もあるわけです。

            そこに一つの問題が生じます。本来の肉体の自分(魂)とは関係ない魂がその肉体に入り込んで来ると、【多重人格】症ともなって来ます。小説、「ジキルとハイド博士」の様なことになるのです。

             

            これが一番解りやすいのが、【他人の魂を乗っ取る】です

            心臓移植手術も、していることは他人の魂を移植するです

             

            この他人の肉体に自分の魂が入るなどは、テレビで魂が入れ替わるドラマの放映がありますが、そうしたことは【霊媒者】と呼ばれる存在を使って霊卸しをする霊能者ならば常識の範疇と言えます。世のスピリチュアル標榜者の多くは、そうした霊界の常識すら学んでいないなのです。

            こうした霊卸しは、大本教の出口王仁三郎聖師が若い頃、綾部市下八田上谷で信徒を集めて神懸かりの【幽斎修行】を実行して、信徒に霊が懸かって手がつけられなくなり幽斎修行そのもを打ち切ったがあります。

            そうした幽斎修行で霊卸しは出来ても、憑依した霊を霊媒者から外す能力が優れていないと、霊に憑依された人の霊が高級霊の場合はいいのですが、低級霊に憑依されているのを除去するとなると困難を極めるのです。行者が【九字】を切るのは憑依してきた霊を外す為なのですが、強烈な霊憑依だと九字では効力がないともなります。

             

            何故に修験などでは【九字】と呼ばれるものが存在して来るのか?。

            そうしたことを学ぶだけでも霊界の存在を認識出来ると言えます。

             

            私は出会った行者さんから、あなたは九字一つ切れないのかと呆れかえって言われてしまいましたが、九字とは本に書いてあるものではなくて、神霊と直接に会話が出来た方は、その人の魂の霊格に応じて神霊から九字は降ろされています。為に、一人一人その九字の切り方や印の結びは違っているのです。

             

            私の最初の師匠は女性ながら当時は他の稲荷行者から稲荷行者のトップ霊能力者と言われていて、その魂は豊受姫の分魂ではありませんでしたが、その側に居た霊媒者の方は豊受姫の分魂の持ち主で、どのような霊でも降ろせるで霊媒者としては超一流の方と言えました。私は霊媒者としては、まだこの豊受姫の分魂の方を超える霊媒能力者を見たことがありません。この方の霊媒能力を見たならば、誰もが驚くでした。

            霊能者の間で高い霊媒能力を持った女性の取り合いがありますが、それだけ世に数が少ないと言えます。スピリチュアル標榜者ならば掃いて捨てるほどの数がありますが、霊媒者として本格的に使える方はほとんどいないなのです。

             

            大本教の出口王仁三郎聖師は卓越した預言者(予言者)でしたが、行者的能力に関してはもう一つだったのです。だが、行者としては卓越していても、大本教の出口王仁三郎聖師のように霊界の高次元界にアクセス出来るかと言いますと出来ないのです。そこには【魂生来の格】があるからです。

            大本教の出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂で、伊勢神宮に鎮座されている御神霊とほぼ同格と言われていますが、為にあそこまで国家神道と対立したとされています。それは伊勢神宮に鎮座されている御神霊は、出口王仁三郎聖師クラスの魂の存在ということを物語っているのです。

            いくら高次元世界の魂の持ち主でも【万能】ではありません。分野分野において特筆した能力を発揮するです。それは【道の違い】という話なのです。

             

            巷には出口王仁三郎聖師が素戔嗚尊の魂であったことから、自分は素戔嗚尊の魂であると称している方が私が知る範疇の中でも結構おられます。

            テレビ等で有名な某霊能者の方も自分は素戔嗚尊の魂と語っていると聞いたことがあります。ただ、自分は素戔嗚尊の魂だと世に大宣伝をなされていないので、私も人から聞くまでそのことは知りませんでした。

            そうした自分は素戔嗚尊の魂と言われる一人の方を救世主と信じている信徒の方から、自分達が救世主と信仰している方は素戔嗚尊の魂で、素戔嗚尊の【型】を演じる為に大苦労をなされていますが、今の状態だと【パワー不足】で大震災を止めることが出来ません。大震災が起こるの止める為に自分達信徒のみならず、貴方もその神業に参加してくださいとの依頼メールが来たことがあります。

            私は三度ばかり大本教出口王仁三郎聖師と思しき霊に出会っており、出口王仁三郎聖師が内密にみろく神業の要とされた場所に住んでいますので、出口王仁三聖霊から直接の依頼であれば動きますが、出口王仁三郎聖師を超えていないと思われる方を素戔嗚尊だと言われてもです。

             

            そこに、素戔嗚尊の【型】は何だ!。が出ます 

             

            スピリチュアルでは魂の本質は自由であり、魂に【型】などは無いという考え方をします。しかし、反対に【型】を重視している方達もあるのです。

             

            型とは何?。型とは【大地の刑】

             

            行者の世界では、この世は【魂の刑務所】と捉えて、スピリチュアルの様に【この世は何をしてもいいのです。自由なのです。】等の考え方はしません。為に、型とか作法を重視したりするわけです。印を結ぶとか、九字を切るなどもそうした【型】の一種と言えます。 また、祝詞を上げるとか御経を唱えるなども「型」と見るわけです。

            仏教の開祖のお釈迦様は「悟り」を得られる前までは、前人未踏のあらゆる「荒行」を積まれたと言われています。そして、その【型】を超えた。破ったです。だが、それは自分が「型」を超えたのであって、最初から「自在」ではないのです。

            スピリチュアルでは【あるがまま】を説かれる方を多々見かけますが、それは「あるがまま」の言葉だけを見て言ってるだけで、本人自身はその前段となる【型】修行を積んでいない為に、上辺の教えで中身がまるで伝わっていないがあります。

             

            お釈迦様は【枠】を超えられた

            その枠が、魂の点数で【九十(卆)点】

             

            人に神霊などが就く(憑く)場合には、その【人の肩の上に乗る】があります。

            多くの人は「肩」の字を見た時、肉付き(月)と「戸」がある意味が解らないと思います。人の肩には、霊魂が肉体の中に入る【戸】があるのです。

             

            霊媒体質だと霊に乗られると「肩」が重いを体験します。

             

            高い神霊は山の上などに祀られていて、低い霊はその高い場所には行けません。為に、その高い山に居る神霊の元に会いに行きたい時などには、参拝者の「肩」に無断で乗っかって行くがあります。 霊媒体質でないと気づかないのですが、霊媒質の方だと霊山に上がる時にはやけに肩が重かったが、降りるときには肩が軽いを体験しているはずです。肩の「荷」を降ろしたのです。私自身は、霊はスピリチュアル標榜者が言うほど自由には動けていないを知る者です。

             

            肩の荷を降ろすとは、自分勝手なことをしても良いの意味ではないのです。

             

            この世は遊ぶ処と思う魂は、肉の型に入ることを「苦」と感じ

            この世は魂の更生所と知る魂は、型に従うことを「苦」としない

             

            肉体と言う型を持たないと、魂の汚れは浄化されない

             

            肉体を失った後に、泣き言を言っても始まらない

             

             

             

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            九十九%は邪神の教えであっても、邪神の教えも全てが間違いでは無い。要は残る一厘。

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              日月神示等には【九十九%】は邪神等の教えとあるようですが、邪神だからと言って全ての教えが間違っているのではないのです。邪神でも【九十九%】までは行けるとされている様に、残る【一厘】の教えが出来ていたか出来ていなかっただけなのです。 

              では、どの邪神も【九十九%】まで説けているかと言いますと、私が見る限りそこまで説けた邪神そのものが見当たりません。もしも「九十九%」まで行けたら御立派なのです。

               

              この【九十九%】は邪神とあっても、その神を信仰したからと言って別に「地獄」界に行くではないからです。何故ならば【最後の審判】と呼ばれるものは、各自の魂の【良心神】の点数によって、新しい【みろく世】の地位が永遠に定まる話であって、お釈迦様の悟りは【人には良心と呼ばれる神が内在する】で、良心神の存在が理解出来たからと言って100点ではないからです。

              ただ、言えることはスピリチュアルに見られる【愛】ばかり言って、良心など重たいだけだから捨てましょう。悔い改めないことから、その行く先が【地獄】界になることを注意しているのです。

               

              私は人の魂に【点数】が出のを見て来ました。その点数とは「愛」の点数ではなくて【良心神】の点数でした。

              愛の教えだけだと魂の点数が上がらないのです。

               

              例え邪神の教えであろうとも、

              信徒を天国界に導ける教えであれば、どこが悪いとなります

               

              天国界とは、既に第一、第二、第三天国界が在ることは知られています。大本教の出口王仁三郎聖師は、更にその第一天国界の上に最上級天国界が在ると説かれましたが、これはある意味不可能な領域と考えるべき世界です。何故ならば、既に説かれている第一天国界ですら、仏教で説かれる【如来級】の世界だからです。

              この日本は大多数の国民は仏教徒です。それに【やおよろず(八百万)の神々】です。人は死ねば「仏」とは、皆が死後にお釈迦様の様な【仏陀】に成れるではありません。仏教で説かれる【菩薩】とは、【如来】界までには行けないが、その下の段階を意味して来ます。天国的に言えば【第二天国界】です。

              スピリチュアルに見られる【口先の愛】を説くではなく、【愛善の実践者】とは「菩薩」的な存在です。ですから、愛善の実践者は第二天国界には行けます。しかし、第一天国界は「如来」とされるような世界ですから難しいとなるのです。

               

              この世で多くの人を助けた人達は【菩薩界】

               

              この世で悪いことをさんざんしたとしても、悔い改めて一転して多くの人を助けた。ならばその方は【菩薩界】にと行けます。それこそ、「菩薩」の様な人だったからです。為には【悔い改める】が要るのです。

              この世に生きている時、菩薩のような生き方こそ出来なかったが、神仏を信仰をしていてさほどの悪事もしなかった。感謝で感謝で暮らして来たなれば、【第三天国界】には行けます。俗に言われる【お天道様信仰】などもそうです。その時、その人が信仰していた宗教の神仏の存在が正神とか邪神とかを問われることではないのです。

              何故ならば、人が自分が拝している神仏が、正神界の存在か邪神界の存在か?。そんなことを人の身では知らないからです。仮に、仏像に宿る霊が蛇霊や黒龍神とも知らず拝んでいても、それはほんどの人には解らないことであり、誰も批判など出来ません。

               

              要は、

              その人の信仰は、現世御利益主義で神を求めたか

               

              その人の信仰は、神に生かされている事に感謝か

               

              中堅どころの某宗教開祖は、人は自分が神だと思って信仰する存在が正神か邪神かが解らずに拝する。仮にそれが邪神で在ったとしても、その人がそれを正しい神だと信じて【真心】から拝んでいるのであれば、邪神を拝んだのではなくて本当の神を拝んでいると説いておられます。

              私は、その教祖様が教えの面では正しいことを知らずに説いておられることを知っています。それはその教祖様の【知識の勉強不足】からです。だが、この言われている内容は正しいと言えます。どこにも100%の教えなど出来る者がいないからです。

               

              宗教者が根本的に間違えるのは、

              我が宗派を信ずれば天国で、異教徒は地獄行き

               

              その宗教の教えよりも、その人の信仰が現世御利益を求めての信仰か、感謝心からの信仰か?。自分は目には見えない神様に生かされている。ありがとうございます。そうした信仰心の持ち主は地獄に墜ちようがないのです。

               

              本来の神は、個人の宗教宗派の所属など問うてはいない 

               

              私はお釈迦様の本当の悟りであったと思われる【人に内在する良心神】を説いていますが、その方自身はそうした教えを世に説いてはおられずとも、天人界の情報として、最後の審判は「各自の良心神の点数」説は既に出ています。どれだけ正しい方向に自分の信徒を導いたかです。

               

              宗教の【宗】とは、人の【胸(宗)に宿る】存在を説くが教え

               

              教祖個人を拝む宗派とは、【胸(六根)】の宿りの教えでない

               

              そこに、一つの問題が起きます。大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた

              人は邪神が説く【真理】に狂うことを悟るべし

               

              私は何人かの霊能者の方が、あの方は【救世主】様だとあまりにも言うので、その方に直接に出会いました。その教祖をスピリチュアルで有名な【元首相夫人】も信仰されているとのことでしたが、その信徒達を見ると皆さん白装束で頭には三角頭巾。信者達は死後は天国界ではなくて【亡者道】に入ると見えていました。

              当然にその教えは【愛】一辺倒です。多くの人は教祖が「愛」だけを説いていれば、この方は「救世主」様だ式になります。日本の神智学では【愛】しか言わない教えは【蛇霊】の教えとしますが、そんなことはほとんどの方は知らないのです。だいたいその手の教祖の背後は【黒龍神】だと知らないからです。人々が見る【奇蹟の数々は黒龍神の術】だからです。

               

              そうした奇蹟で導かれた方達に目を覚ませと説いても、ほとんど無理です。この教祖様に付いて行けば天国に行けるという「確信」の元で、聞く耳持たずとなります。【愛】の教えは、説いている人は絶対的に正しい人だと【錯覚】を起こさせます。

              その教祖様は刑事事件で刑務所に入りましたが、その信徒達は【教祖様は自分達信徒の罪の償いの為に刑務所に入られた。やはり教祖はイエスと同じだ。】と、より信頼を高めたがあります。何で刑務所に入ったのか?。それすら考えるが抜けて行くのです。教祖に【盲進】するなのです。

               

              その教祖は信者を集めて【上納金】を取るスタイルではなくて、「霊符パワー」と呼ばれる霊力が秘められたシールやカード等を販売する方法です。そのシールやカードには宇宙パワーが宿っていて、あらゆることに効能があるが歌い文句です。病気は治る。幸運になる等です。為にたくさんのシールや物品を買う。パワーを受ける為に講演会に出席するです。 この手の教祖様は以外に多く、最近も【お釈迦様やイエスや弘法大師や出口王仁三郎聖師】は九次元界の方であり、自分はその四人の魂を持つ【九次元界4人分で36次元】の者だと言われ、その方を信じる人達はその教祖様が「救世主様」だと宣伝されています。

              そうした教祖様達が見せる【奇跡】力とは、一種の【龍神パワー】と呼ばれるものであって、手かざし系宗教の【龍神パワー】と同様に病気治し等の【現世御利益】が主体であり、その教祖様を個人崇拝では、その教祖様が行く霊界より上の世界に入ることは出来ないなのです。教祖様が地獄に行けば、信徒も地獄に行くだけのことです。

               

              霊界の奇蹟パワーは、龍神の霊力に頼る

               

              私が言霊師の元で修業していた当時、私の言向けに対して蛇霊達は、【人が病気を治してくれと頼みに来る。その病気を治してやって、いくばくかのお礼や御神酒を貰ってどこが悪い。】と言われるので、私は病気治しが悪い等と一言も言っていません。貴方は自分の姿を見て、その姿から脱却しませんかと言っているだけですと答えました。

               

              私が求めているのは、

              巳(蛇)の姿から天人の姿に帰りましょうの【ミカエル】

               

               

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              令和に入って見られる聖地・霊場の浄化機能の低下で霊媒質者に霊憑依

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                未だ精神世界に関わっている一部の方の意見にしか過ぎませんが、西暦2019年は西暦1999年に言われたいたことと何か似ているがあります。

                そして、これも未だ一部の方にしか過ぎませんが、日本の元号が【令和】になったことで起きている霊界での変化です。これは令和と言うよりも、本来の【二線に別れる手前】の意味が強いと思われます。必然として令和の元号がきたのか、単なる偶然かは解りませんが、より【霊令】が強まったと言えます。

                 

                一般的に霊的世界とは大多数の人間には見えない世界です。その霊的世界を見る能力を持った人達を【霊能力者】と呼称しています。そうした中で、自分は通常の霊能力者とは段違いの霊能力を保有していると言う方は、自らを【超霊能力者】と称しておられます。確かに、単なる霊能力者では無いと見受けられる方達が少数ですが居られます。

                また、霊能力者と呼ばれるほどの段階には到達していないが、一部の霊的世界が見える人達のことを俗に「霊感者」と言います。霊能力者とか霊感者とかは、霊的な事物が自分の目に見えるです。そこに人が存在していないのに、人の肉声と同じように会話して来る霊的存在と会話するです。

                 

                それとは別に【霊媒者】と呼ばれる存在があります。世に混同される間違いとして【霊能力者=霊媒者】があります。昔の町の【拝屋(おがみや)】さんと言われて来た存在は、その「霊能力者=霊媒者」の両面だったからです。

                但し、霊能力者=霊媒者でありません。霊的能力があっても霊媒が出来ない。霊媒は出来ても、霊能力者の様な霊的活動は出来ないがあります。霊能力者と霊媒者の両面が備わっている方と、片方の霊能力の働きだけの人が存在するです。

                 

                その「霊媒者」も霊的世界での段階で働きが違い。これまでの映画や心霊番組で見られる霊媒者(巫女)が「トランス状態」になって霊の言葉(神示等)を語るなどは、そこに出て来た存在が○○大神等と称していても、必ずしも本物とは言えません。いくらその方に霊媒としての素質があっても、【高級霊】は簡単に人に降りて来て懸からないからです。

                大本教神諭に、【この神(ウシトラ金神国常立尊)は巫女(女性の霊媒)や神主(男性の霊媒)には懸からない】とありますが、高級霊は霊媒だからと言って誰にでも「降臨」するではありません。神は【光】と言われる様に「光臨」なので、その光によって霊媒をする肉体に【発狂】を誘発したりするからです。

                 

                精神病と霊障は紙(神)一重と言われるように、下手に霊的世界に関わると今生の魂の肉体にある精神に異常を来すことになりかねないのです。霊能力者は霊障を取り除くことは出来ても、精神病は治せないのです。それは大本教出口なお開祖の娘、福島久さんや大本教三代教主補の出口日出麿さんの精神の患いからでも解ります。どちらも精神世界に関わったことによる肉体の被害です。

                大本教の出口なお開祖や出口王仁三郎聖師自身の魂の格は、霊界では高かったことで肉体にそうした高い神霊の降臨(光臨)があったなのです。霊媒が出来る方の霊界での魂の格が低いと、高い霊界の魂がその肉体に降りられないからです。そこに【媒介天使】と呼ばれる中間に関わる存在も語られるのです。

                 

                今はスピリチュアルが大繁盛で、高額料金のセミナーに参加して低級霊を憑けられて霊的なことが見えると喜んでいる方が増えて来ましたが、これは後の処理が大変なことになります。優秀な正しい霊能力者はなまじ霊が見える方に対しては、そうした世界に入り込まないように指導しているのに、片や低級霊が見えるようにする商売が流行しているなのです。 霊界は興味本位で関わってはいけないとされているのに、霊が見えると自分は特別な者だと錯覚させるなのです。

                どんな形であれ霊的世界が見えるならば、人は死ねば終わりではなくて死後の世界があると実感が出来たのであれば、そこにはそれなりの意味はあります。なまじ、霊の世界などは無い。人は死ねば終わりだと、霊的世界を説く者をオカルト攻撃をしている方が死後の世界で迷うよりもましだからです。

                私が何故に死後の世界たる霊世界があることを【啓発】しているのかと言うと、死後の世界で迷わない為なのです。死後の世界など無いと思って死後の世界に入ってしまいますと、生きている自分自身の存在に迷うからです。

                 

                私が霊的世界に関わって知ったことは、神仏の世界で活動される霊媒者ではなくて【霊媒体質者】の存在です。この霊媒体質者とは必ずしも霊能力者の様に霊が見えるとか、霊と会話するではないので、為に自分が霊媒体質者であることそのものに気がつかず、霊の憑依によって肉体がその懸かって来た霊の浄化の苦しみを味わうです。

                 

                自分が霊媒体質であると気づかないと、自分の病の原因も解らなくなる

                 

                私は自分が霊能力者タイプではなくて、霊媒体質者タイプであると解って来たのは龍神の浄化とか稲荷の神霊をも浄化する能力からです。龍神の浄化などは肉体の死とか病院送りになるというほどきついもので、そうした神霊浄化の苦しみを味わって来たからです。

                龍神だから神霊だからと言って、その魂は磨かれていて汚れていないではないのです。

                黒蛇霊とか黒龍神はいくらそれ自体の魂は汚れていても、病治しの力を保有しているなどは、自らは汚れても霊力が強いことから病に打ち勝っているなのです。いくら善神や正神で魂は汚れていなくても、何の力も持たないのは霊力そのものを持っていないのです。

                 

                なまじ霊力を持つと、その魂が汚れるがある

                 

                私は神霊世界に修業に入って、後に弁天さんのお代と成られた方が多くの水子霊の憑依されて苦しんで、私にそれらの水子霊を転送されるなどを体験して来ましたが、私自身はそれらの霊憑依によって苦しむなどはありませんでした。

                言霊師であった2番目の師匠の元で、おまえは霊界の歩く霊浄化のバキュームカーとあだ名をつけられましたが、自分に憑依して来る霊を一々見るのではないのです。また通常の霊であれば何万体もの憑依を受けるでないと自分が倒れるがことないで、ほとんどそうした事柄に対する気づきがなかったのです。しかし、大黒龍神を自分の肉体で浄霊する時に死ぬほどの苦しみを味わって、霊界での【浄霊】の重要性を認識したと言えます。

                 

                世にスピリチュアルの弊害が言われていますが、

                スピの弊害とは霊を浄霊するのでなく、逆に神域を汚す

                 

                スピリチュアルの大御所を自認されている霊能者江原啓之さんは、霊はよく見える方ですが、浄霊能力はまるで備わっていないがあります。テレビ番組のオーラの泉で数十体程度の霊憑依でのびてしまわれて、その横にいた美輪明宏さんが慌てて九字をきって救出するがありましたが、単に霊が見える能力と霊そのものを浄化浄霊する能力はまったく別物なのです。霊を浄化浄霊する能力がさほど備わっていない人の霊談義に乗っかかってしまうと、後で偉い目に遭うなのです。

                最近はテレビでの心霊現象の番組は減ってしまいましたが、【世界の何だコレ⁉ミステリー】でアメリカのゴーストハンターシリーズで僅かなオーブが飛んでいる映像とか、原田龍二さんの座敷わらしシリーズで少しのオーブが写る程度のものしか出ていません。

                 

                下記のビデオは以前に出したオーブ玉が飛んでいる映像にしか過ぎません。別にオーブ玉をビデオに撮ったからといって特段のことではありません。ただ、最近霊媒体質者が撮られたビデオでは、もっと凄まじい現象が写って来ています。明らかに霊界に異常が見られるのです。ただし、そうしたビデオはアップしません。もうそうしたことを知る学びの時ではないからです。

                こうしたものを見ても、スピですら意味が解らない人が大多数なのです。誰もスピリチュアル標榜者から、【霊界の浄化】などの話など聞いたこともないでしょう。逆に霊的世界を汚す行動に走っているからです。

                https://www.youtube.com/watch?v=xzv4eGzGpig

                 

                こうした映像は霊能力者よりも【霊媒質者】の方が何かを感じて、スマホなどで撮ると写って来ます。霊媒体質の方だと、夜中でも気配で何かが飛んでいることに気づいてしまうのです。

                日中に神社等に行くと、何かキラキラした物が目に見えるがあります。そうした存在の夜中版と言えます。夜だから、玉が飛んでいることがよく解るのです。霊は光の玉と言われるように、太陽光が当たる場だと見えないが起きるからです。私も昼間はそうした物を見ても、夜中に飛んでいることまでは解りませんでした。だが、夜中に飛んでいる物が見えて来ました。その数を増して来ているなのです。

                ただ、こうした類いの物は本来は【祓い給え、清め給え】で浄化されて消えて行くものなのです。

                魂が腐ったり捻れたりで破砕されても、そうした欠片は霊的なもので思念と呼ばれる物が残っています。霊を浄化しないと【思念(死ねん)】が残ってしまうなのです。

                 

                オーブ玉が盛んに飛んでいる現象は、聖地霊場などの磁場による【浄化】機能が強い場所で見られます。

                 

                最近、霊媒体質者の方達から、霊の憑依がきつくなって来たと声が上がっています それは、これまでは霊の浄化の機能を受け持っていた神社や寺院が、その霊的浄化機能を失って来ている為に、霊を浄化する能力を持った【霊媒体質者】により多くの霊が憑依して来ているが起きているのです。

                 

                そうした霊達の言葉を聞けるならば、【助けてください】と言っているのです

                 

                本来の神社の神主や寺の僧侶とは、そうした霊を浄化する為に働かれる神仏に霊力を与える為に、自らの心を正して清廉な言霊を出して、自分が仕える神仏のパワーを強める為に【祝詞や御経】を上げるのです。そうした神主や僧侶が本来の役目を忘れて、金儲け主義に入っていると正しい御神霊はそこから去り、悪しき神霊が神社寺院に鎮座して来るなのです。

                もう既に多くの霊を浄化する機能を持った霊的磁場は消えつつあり、救いを求める霊が肉体が霊場の機能を持つ霊媒体質者に懸かって来ているなのです。

                 

                物見遊山と欲の願いばかりが集まる神社仏閣は汚れに汚れており、私はスピで超有名な某神社に再度参拝した時、以前とまるで違いその神社の汚れで自分が吐きそうになりました。もう、この著名神社はダメだです。この神社の御祭神とされている御神霊が本当にその神社に鎮座されているのであれば、ここまでその神社が蛇霊のたまり場などになっていません。

                その後、ある筋からこの神社の宮司は欲惚けであり、神社に奉仕する巫女達は蛇霊に憑依されていると聞かされました。誰がここまで著名な神社を汚したかと言うと、霊感スピの女子達と言えます。その原因は自称スピリチュアルの大御所です。

                 

                私が知る霊媒体質者の方達から、最近霊の憑依が凄まじいとの連絡が来ています。みろくの世に向かっているのであれば、霊の憑依が少なくなるはずなのに、逆の現象になっているです。そうした憑依して来る霊達の言い分がなんとなく解る方達は、多くの霊が【助けてください】と救いを求めて来ているなのです。

                そうした霊の多くは、これまでは大地の表面的な場所でそれなりに鎮まっていたと思われます。日本神道の世界では【土をいじると霊を揺り起こす】ことから、わざわざ【地鎮祭】を執り行っています。地鎮祭は単なる迷信ではなくて、土を動かすと霊が揺り起こされるからです。

                 

                これまでは大地の表面に眠っていた霊は大地が揺り動かされて、眠っていたはずの霊が多くの天変地異の災害や交通事故などを誘発させて来ます。 

                霊媒体質者はそうした霊の憑依で苦しむことはあっても、そうした霊を「浄化」すれば御本人に霊力がつきます。何故ならば、この世での肉体の苦役は【自己の魂の過去世からの罪たるカルマ】を精算解消させるからです。

                 

                最近、とある人物と出会って、私からその方に対しては何も言う必要はありませんでした。その肉体は神仏が見えるなどの霊的能力は何一つ持っておられませんでしたが、その肉体が発するオーラは光輝いておられたからです。この方は例え大峠が来たとしても楽に越せる方だと解りました。

                 

                もう、弥勒世に向かって二線に別れる作業は始まっていると思われます。

                 

                 

                 

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                人は自己の天命・宿命に従うのか?。人の世に生じる合縁奇縁

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                  人は誰しも持った生まれた【天命・宿命】とか【星】があり、誰もそれからは逃げられないとされて来ました。

                   

                  天命とは辞書には次のように書かれています。

                  ‥靴量仁瓠E靴人間に与えた使命。天のめぐりあわせ。天道。天理。

                  天から与えられたいのち。天の定めた人間の寿命。天寿。

                   

                  宿命とは

                  \犬泙譴覦柄阿ら定まっている運命。宿運。

                  ∧語。宿世の生命。前世の生命。過去世での受報の差別・善悪苦楽などの総称。

                   

                  【前世の生命】とは【輪廻転生】があることであり

                   

                  【過去世での受報の差別】は【カルマ】と呼ばれる

                   

                  スピリチュアルでは、人は自分でこの世での「プログラム」を決めて出て来る等と主張される方が大勢です。ならば、誰も今生の自分が【不幸】に成るようなプログラムを組んで出て来るでしょうか?。

                  誰も組まなかったはずです。現実にこの世に出て来たならば、上手くいかない事ばかり。どうしてこんな人生なのだ!。こんなはずではなかったのにとなります。

                  その自分でプログラムを組んで出て来たと言う主張を補完する為か、【運命】は変えられますと主張される方が多いとも見受けられます。だが、そこに見られるのは自分が主宰する高額料金のセミナー等に人を巻き込もうとする戦略が見られます。

                  そうした論理は、仏教で説かれて来た前世・過去世から来る【カルマ】の要因を見ていないがあります。

                   

                  大本教神諭に【この神(ウシトラ金神)は病気治しの神ではなく、心の立て替へ立て直しの神である。】とありますが、現在の神霊世界の神々は、【現世御利益】が主体の神達であり。その神達を信仰することによって、病気が治ったり。金銭的困窮から助けられた等は起きて来ます。

                   

                  神を認識することで、自分の運命が変わる

                   

                  霊力がある神霊なら、病が平癒するもある

                   

                  また、相手が何神であろうとその神を信仰することで、大難が中難に、中難が小難に、小難が消えるがあります。

                  しかし、そこに新興宗教の実態として知られることに、その人に憑いていた霊障を起こす黒蛇霊等の存在を、より力が強い黒龍神とか大黒蛇霊がそうした霊障の黒蛇霊を剥がしただけのことであり、人がこの世に出て来る原理原則である【カルマ】の解消に繋がっていない問題が指摘されています。それらは、一時しのぎの対処法で終わるです。

                  過去世からの【カルマ】を消せていないなのです。それだと今生での「苦」を逃れたとしても、来世でまたもや【カルマ】が出て来ます。いたちごっこの繰り返しになってしまうのです。

                   

                  そこにあるのは、自分で自分のプログラムを組んで来た云々ではなくて

                   

                  人は何故にこの世に出て来たのか?

                   

                  過去世の自分のカルマを解消する為 

                   

                  人の魂は、魂の「更生」の為に後世に「甦る」を起こして来た。

                   

                  人の魂は【輪廻転生】で幾度も生まれ変わり。良い人生の時もあれば、悪しき人生の時もあります。良い人生の時は文句を言わないが、悪しき人生の時は【不平不満や愚痴のタラタラ】。この世の「苦」をカルマの解消として【感謝心】で進む人は、自己の過去世からの【カルマ】が消えて行く。

                   

                  お釈迦様の悟りの教えとして、【この世は苦界】があります。だが、そうした教えも現在では無視されているのです。

                  私が子供の頃、自分は旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。【人は生まれて死んで。生まれて死んでの繰り返しである。人はこの世に出て来た時、その姿や形は前世の自分の姿や形とは違う。肉体の両親もその時は前世の親とは違う。兄弟も違う。友達も周囲の人も違う。置かれた環境も違う。同じなのは、前世の自分の心と今世の自分の心は同じである。人が自分の前世が解らないのは、この神の恩寵である。過去の失敗の人生を思い出しても何の意味も無い。】と告げられたのです。

                  さらに、【人はこの世で様々な違う魂と出会い縁(えにし)を結ぶ。この世での悪しき縁はこの世に捨てて、良い縁だけは魂の思い出としてあの世に持って帰りなさい。】と告げられました。

                   

                  魂がこの世で創った【カルマ(因縁)】は、この世に置いてある

                   

                  霊界に帰ったからと言って、霊界で「カルマ」の解消道は無い

                   

                  しかし、再度この世にオギャーと誕生して来ると、この世に置いていた過去世の自分が行った悪しき因縁が絡んで来ます。【カルマ】と呼ばれるものです。

                  その【縁】によって、自分には予想外のことが起きて来ます。自分の予定通りには行かないなのです。これが仏教で説かれる【宿命】と言えます。前世の生命。過去世での受報の差別・善悪苦楽が出て来るなのです。

                  しかし、全ての【カルマ】が悪しき物とは限りません。カルマは「因縁」とされますが、当然にこの世での良い「因縁」も残して置いたりしています。そうした時は過去世で良い因縁(縁)を持っていた魂と出会うと、何かと助けられたり援助を受けたりも出来るのです。

                   

                  スピリチュアル等は高額のセミナー募集が主体のようですが、そのセミナーの料金が低額であれば、それはそれなりの意義もあるでしょう。しかし巷に見られる料金には、あまりにも法外な料金が見られます。私が知るスピリチュアルの方は【ワンコイン(500円)】程度でセミナーを催しておられましたが、そんな方は少数です。大金を取る方が【愛】を説く。本来の【愛】とは無償で与えるものなのですが?。無償の愛を説く人が高額料金を設定する???。

                   

                  多くの人は間違った感覚を持っておられます。神は全て無料だ!

                   

                  私達が肉体を持ってこの世で生きて行く為には水や空気が必要で、そうしたものは【自然】と言う名の下に万物の創造神が無償で授けてくれています。創造神はそれらの使用にお金を要求されていません。それらの自然や空気や水を汚したの人間サイドなのです。自分達が儲かれば何をしてもいいと地球環境を破壊して来たのはユダヤの悪鬼と呼ばれる【資本主義】でもあるのです。

                   

                  万物の創造神からの【恵み】は無償であったとしても、神のお代とか霊能者は肉体を持つ身なので、自分の生活があります。その為に祈祷料とか相談料を頂くのは当たり前のことです。それをお金を取ると批判する人は、感覚がおかしいとは言えるでしょう。

                   

                  霊能者でスピリチュアラーでもいいのですが、私が伏見稲荷山に詣でている時、高価な指輪を無数にはめて、首には宝石の首輪をチャラチャラさせて、その信徒達に自慢気にその何百万円何十万円の高価な宝石類を見せびらかしている霊能者がいました。霊能者になれば、こんなに儲かるのだ。金持ちに成れるのだ。

                  この手の霊能者やスピリチュアラーで、御膳谷の瀧場を覗いた為に豊受姫から金縛りにされて、高価な着物を着た状態で空中に吊されて、その高価な着物に瀧の水を厭と言うほど浴びせられた事件があります。

                  自分には霊能力があり守護神と一体化していると言っても、豊受姫はその守護神霊ごと肉体を金縛りにしてしまうもありました。

                   

                  私に【おまえはどこ馬の骨か】と悪態をついた不動明王が、そのお代たる肉体と一緒に金縛りにされて、ゲーゲーと地面を転げて吐きまくるに遭ったことがあります。いくら霊が見える。霊と会話する霊能者やスピリチュアラーだからと言っていても、私を見て「どこの誰だか解らぬ馬の骨」と言った不動明王がごときがと、豊受姫が怒られた出来事でした。 誰に向かってそんな無礼なことを言うのかです。

                  私は秘密裏に天から下ろされた者であり、神霊世界での自分の身分を明らかにしていません。それは、その霊に私の背後に存在する神霊が見えているのか、見えていないかを知る為でしょう。

                   

                  私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【今生のそなたの人生はとても辛い人生となる。あまりにも辛い役だから、他の神の御子にその役を命じることも出来ず。我が子なれば、死んで参れと告げるほどの役である。】と告げられており、ある程度の覚悟はしていました。

                  しかし、ここまで自分を辛い目に遭わせるのかです。自殺を考えたことも幾度かあります。しかし。自殺が出来ないと解って、ある意味開き直ったとも言えます。ならば、生きてやれです。泣いて泣いて、その涙も涸れ果てたです。

                  私は神霊世界の修業で学んだことは、人の魂は「輪廻転生」しており、その全ての人生が「幸福」であった等はあり得ないです。どこかの人生では幸福であっても、ある人生ではどん底で悲惨な人生もあったなのです。

                   

                  逃げても逃げても逃げ切れない道があるでした 

                   

                  自分がそうした悲惨な目に遭った時、人を恨み。社会を恨み。先祖霊を恨み。神をも恨む。それは間違いなのです。

                   

                  私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたの前世は悲劇の武将であった】と告げられました。その自分の前世霊は恨みから地獄に墜ちていました。私はそれが自分の前世とは知らずに、私に見えた武将霊に対して恨み辛みを捨てることを説きました。その武将霊が恨み辛みを捨てた時、その武将霊は一気に霊界の高い地位にと上がって行きました。それが私の【正守護神】です。自分の前世だからです。

                  しかし、肉体の私には私の魂が武将であった時、いくら武士の習いが戦であったとしても多くの人を殺めました。その罪は今の肉体の私が被るなのです。

                   

                  今の自分の人生は辛い。それは前世の自分の魂の罪を償う過程でもあるのです 

                   

                  私は今の肉体が切り刻まれて殺されても誰も恨みません。全ては自分の魂が犯した罪が消えて行く過程と知るからです。

                   

                  聖書 【自分が播いた悪しき種の果は、自分で刈り取れ】

                   

                  自己の魂の過去世の罪を払い終えれば、魂は高次元に向かう

                   

                  世の【立替】とは、過去の自分の全ての罪を清算して永遠の未来たる【みろく世】にと入る

                   

                  私は小学生の頃までは、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、中学生になった頃からはその声を聞かなくなりました。高校を出て社会人となって神の存在を忘れていたのですが、30歳に成る少し前から別の霊声を聞くようになりました。それで、自分は誰なのかを知りたくて多くの霊能者の方の門を叩きました。

                  最初の師匠の門を叩く前、出雲の大国主命を祀る霊能者から、貴方の守護神は「不動明王】様だと教えられて、初めて催された近畿36不動尊が一堂に会する御開帳があり、そこに行くと7〜8体の不動明王からビシビシと得体が解らない物を飛ばされて、この野郎。やる気かとなったこともあります。子供の頃、本物かどうかは解りませんが旧約聖書の神と称する声が臨んでいたので、不動明王に負けるはずもないという意識があったからです。

                   

                  私が神霊世界に修業に入ってから、如何なる御神霊かは解りませんでしたが、【今生でそなたが仕事の関係で出会っている女性の何人かは、過去世でそなたとは深い縁があった者達である。そなたとの今生の出会いは、そなたの魂との永遠の別れになるから、今生が最後となるので出会わせるようにした。】と告げられます。

                  私は自分の過去世を思い出すではありませんが、私が出会った方の中で過去世に出会っていたのではないかと思う人との出会いはありました。

                   

                  合縁奇縁(因縁と言う不思議な力による出会い)

                   

                  この合縁奇縁は【相縁機縁】とも書きます。人は縁と縁で結ばれているなのです。お釈迦様の教えに【縁無き衆生は度し難し】があります。これは仏縁のない者は慈悲の仏でも救えないの意味ですが、ここで言う【仏】とは人は皆死ねば「仏」の御先祖霊を指すのではありません。この宇宙を創って来たような段階の神仏のことです。

                   

                  人は神仏など自分には関係が無いと無縁で生きていても、ある日、突然に神仏世界に導かれるがあります。それは、今の世ではなくて、自己の魂の過去世に神仏との御縁があって、それが今の世に吹き出し来るなのです。

                   

                  私が子供の頃、私に旧約聖書の神と称する声が臨んで来て、【この神だけを唯一の神とせよ。】と告げて来られました。そして、【私はこの私だけを本当の唯一の神とする者達は、永遠の嬉し嬉しの世に渡す。が、この神を唯一の神としない者達とは永遠の別れになる。】と告げられたのです。それを聞いた時、私は【唯一神】とは何だろう?。と首を傾げました。西洋で言う創造神とか唯一の神の概念の言葉の内容では無いと感じたのです。

                  大本教霊界物語に触れて、出口王仁三郎聖師の【唯一神】以外の神々は,神ではなくて「神司」とか「天使」のことであるの説は私も納得するでしたが、もう一つ理解には至りませんでした。何か腑に落ちないのです。だが、【縁】で意味が解けたなのです。

                   

                  鰯の頭も信心からと言います。蛇霊や狐霊も神として祀れば上(神)です。そこに出て来るのは【縁】なのです。この日本では創造神と呼ばれる様な神は【消えた神、消された神】と同様です。

                  だが、その唯一神は私達の魂の中の核(円真)として存在して、日本神道では【直霊】と言いますが、人の【良心】の働きを司っておられます。スピリチュアルの様に自分には創造神が見えるとか見えないとかではなく、唯一神とされる【創造神】の存在は見えなくても、創造神の存在を信じることそのものが創造神との【縁結び】なのです。創造神だから神社や仏閣や教会やモスクに祀られるのではなく、各自の心の中に生きるなのです。

                   

                  旧約聖書の神と称する声は、子供の私に【この神を唯一の神として認める者は全て救う。】と告げられたましたが、【縁】が無ければ救えないと言う意味合いでもあったなのです。

                   

                   

                  人の過去世の良縁は、この世で良縁として現れて

                   

                  人の過去世の悪縁は、この世で悪縁として現れる

                   

                  今の時さえ良ければそれで良い。それは大きな過ちを犯してしまいます。魂は永遠だ!。不滅だ!。と言われるように、魂は長い時間を生きます。今の僅かな時間の一生に囚われて、その永遠性の魂を無くすなどは実にもったいないことなのです。

                   

                   

                   

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                  古来より魂を磨けと教えられているが、魂磨きとは?

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                    古来より、自分の【魂】を磨けと言われて来ました。そうした【魂】の存在とは、世界中で言われています。つまり【普遍】的な事実です。しかし、医学などではレントゲン写真などにその存在が写らない。死ぬ前の人の体重と死後の体重を計測しても体重が変わらないことから、魂の存在を否定する等の愚挙に入ってしまいました。

                    現代科学とは【唯物論】であり、宗教は【唯心論】なので立場を異にします。唯物論で行くと、霊界とか【魂】の存在などは認められないのです。

                     

                    世界の古代の人達は、どうして魂の存在を知ったのか?

                     

                    古代の人ほど【霊性】が高くて、魂の存在が見えた

                     

                    私は霊能者をしているのではないので、常に人の魂が見えるではありませんが私を守護している霊から人の魂を見せられた等はあります。十人十色と言いますが、人の魂はそれぞれ違った色を持っているなのです。それが「性格」を創るのです。

                     

                    魂が美しい人ほど天国界にと向かい

                     

                    魂が汚れている人ほど地獄界に向かう

                     

                    そこに、この世は【魂の修行場】説が歴然と解るわけです。どの宗教の教えを信じたから、どの神を信じたから天国ではないのです。神仏を拝んでいた宗教家でも魂を汚していると地獄界へと墜ちます。

                     

                    その人の、この世での【行為の結果】が魂に反映される

                     

                    私は魂に【点数】が出ることを知りました。その点数とは、サイキッカー(超能力者)の方とか霊能者の方にも当たった結果、その点数とは各自の魂の【良心神】の点数であると解って来ました。

                    【最後の審判】と呼ばれる審判は【輪廻転生の終了】時を意味するのですが、人の魂は今日迄輪廻転生をしていることで、その人生、その人生の死においても「審判」を受けて、霊界での地位が決まっていたなのです。

                     

                    輪廻転生があったので、人の魂には更生(後世)があった

                    死者が通る【羅城門】は【来世門】で、羅王(閻魔大王)が霊界の地位を決める

                     

                    日本の新神道系では、この羅王(閻魔大王)のことを【ウシトラ金神・国常立尊】と申し上げたしだいなのです。天においてはその名を【天之御中主】とも申し上げます。大本教から同一神であることが世に明らかにされたなのです。

                    大本教から、【節分の炒り豆にも花が咲く】と宣伝されたのもその為なのです。冥府の長官であり、天ではエジプトで説かれた太陽神ラーとも成るで、言霊としては【ラ】神論となるのです。

                    天の最高神と地獄の長官が【同一神】だとは、にわかには信じられない内容でしょうが、人の魂が【輪廻転生】をしている事と照らし合わせするならば、そうでないと辻褄が合いません。不合理になるのです。

                    地獄の一番底まで降りて見てください。そうすれば自然と意味が解ります。このことが理解出来ないと、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた「正神界一八十段。邪神界一八十段。」の理論も解らないのです。何故、両方合わせれば【三六十度】なのかです。また、日月神示等に出て来た【一八十(イワト)開け】の意味も理解出来ないのです。そうでないと、日本神話の天の岩戸開け話を事実だと頭から信じてしまうとなります。

                     

                    私の肉体に懸かって出て来られた大本教出口なお開祖と思しき霊が、霊媒者を通じて「大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい。」と告げられて、続いて出口王仁三郎聖師と思しき霊が私に懸かられて、回教宣伝使の姿で「ア門・ラー」を暗示された時、まさか【言葉の仕組み】だとは思いもよらなかったのです。

                     

                    ウシトラ金神の言葉だけでも、とてつもない仕組み

                     

                    鬼が云うの【魂】は、【玉形の思惟(意識)】

                     

                    人は肉体が終わっても【意識】は玉(玉思惟)として生き続けます。だが、その魂を腐らせたり、元に戻すことが出来ないほど捻れさせてしまえば破砕で終わります。全ての人が人として「輪廻転生」をしているわけではありませんし、この世での生き方を間違えて他の動物界等に【転生】も起こして来ます。

                    そこに蛇霊や狐霊などの姿に【身変える】があります。は虫類であった蛇や狐が神として祀られているのではないのです。蛇や狐が神と成るのであれば、人間はどうなのかとなるのです。

                     

                    そこに、

                    人は人の姿の時が、神に一番近づいている

                     

                    人は人としてこの世に出て来ている時を大切にしないといけないのです。次に必ず人として出て来るとは限らないからです。では、霊界でより高い世界に行こうとすると、それは自己の魂の汚れを取るより方法がありません。そこに、古来の人達は【魂を磨け】と教えてくれたのです。

                     

                    古来の人達が教えてくれた魂磨きとは、

                     

                    苦労は他人から買ってでもせよ

                     

                    人はこの世の苦労で魂が磨かれる

                     

                    この世は【天人の苗床】説もあれば、【魂の刑務所】説もあります。それは、その【苦労】をどう捉えるかです。単に魂の刑務所に入れられていると【枠】に嵌まってしまうのか?。天人(神)に成るのだと修学するのとでは、まったく違うのです。この世を遊んでいれば「天人」などには成れません。

                    宗教の教えとは個々の魂磨きの為の教えであり、世の為に人の為にと役立つ教義である必要があります。単に我が宗教の教えを信じれば天国などは宗教家の大嘘なのです。まして、教祖を個人崇拝するでは自己の魂を磨ききれません。その教祖の教えに学ぶでないと意味をなしません。

                     

                    スピリチュアルでは「魂磨き」を言われる方は数が少なく、逆に、【魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は重いから捨てましょう。】の論調が多いと言えます。確かに、魂磨きは辛いし、良心の呵責は重いのです。そこに【神の愛で何をしても赦されるのです。】と、とんでもないことを説く人達まで続出して、そうした方は自己を聖人化しているです。愛と言う言葉を発していれば、あの人は良い人だ!。聖人だ!。

                     

                    それでは、閻魔大王は悪神として追われる

                     

                    大本教から、艮(牛虎)金神・国常立尊は【悪神】として追われたと出されましたが、そこに【閻魔大王】の意味が解っていないと、大本教の【鬼として節分の炒り豆で追われた主の神(牛虎金神)】の意味が理解出来ないとなります。

                     

                    人の魂の表面の汚れを落とすのは【この世の苦労】で

                     

                    魂の心棒(良心神)は、この世の【辛抱】で成長する

                     

                    だが、人はそうした厳しい教えを受けると、その存在を【悪魔】呼ばわりします。自分に甘い存在を正しい神と思うなのです。で、人は【現世御利益】の神ばかりに目が行ったなのです。

                    人の肉体に入っている魂とは、その肉体が大きな方もあれば小さな方もあります。しかし肉体に入る魂とは、人の肉体の大小ほどの差の違いはないのです。

                    だが、その魂に与えられるこの世の「苦難」は、神からの【試練】とも言われ、その与え方が違っています。

                     

                    人の魂の大きさは変わらないが、その容量は変わるのです 

                     

                    魂(性格)が硬直していると、その容器の容量が大きくなりません。容れ物が固くなっているからです。その魂(性格)が柔軟であればあるほど、その容量は大きくなるのです。つまり、魂という意識の袋が膨張するなのです。

                     

                    魂の性格が柔軟な人ほど、苦労を苦労とも思わない

                     

                    性格が硬直していると、この世の苦労で魂が捻れる

                     

                    私は魂が捻れている人を見てきましたが、どうして魂が捻れてしまうのか意味がよく解りませんでした。だが、そうした人達には共通した性格が見られるのです。それは「性格が硬直」しているなのです。魂は性格が柔軟でないと、外圧によって変形した時に元に復元出来ないのです。魂が捻れに捻れてしまいますと、ともかくもその人がその性格を直さないと元に戻らないのです。いくら諸神にすがっても無理なのです。

                     

                    魂の捻れは【今の心】。今の人生の【念】折れなのです

                    そこに、今の世での恨み辛みは捨てましょうがあるのです。人を恨んでも、一銭の得もありません。人を恨むなとは、神の愛などと言う論理ではないのです。自分の魂が損するからです。

                     

                    そこに、この世では「損」しても「尊」を取れなのです。

                     

                     

                    下記の図は、魂の苦労の意味を図式したものです。

                     

                     

                    今の世は【七(質)】の世で、次に【八】の世が来ます

                    その「七(質)」の世の終わりの時は【艱難】の時で、私達にとっては【苦】の時です。ただ、その【苦】によって多くの魂は汚れが【浄化】されるとなります。

                     

                    私達は世間をよく観察していますと、同じ様な【苦労】をしても、それを【苦】に感じていない人と、愚痴ばかり言う人が居ることに気づきます。 そこにどの様な差があるのかです。

                     

                    この世は【魂の修業場】と言われる意味の中には、そこには【世間観察】があります。苦労を苦労とも思わない人は、実に出来ている人だと感心するがあります。だが、愚痴ってばかりいる人を見ると、この人はいったい「何だ!。」となります。自己の魂を磨くとは、【他山の石】を持って玉を磨くもあるのです。

                     

                    自分に興味があることしか見ないでは、魂は磨けません。

                     

                    この世に生きている存在は全て自分の教師だと学ぶのです。

                     

                    我さえ良ければそれで良いの人は、【世間観察】をしない為に、世に生かされている自分に気づくこともなければ、他人に感謝も出来ないとなるのです。

                     

                     

                     

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                    令和の元号で霊界に何等かの変化が起きたか?。赤ヘル軍団は何を語るのか?

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                      5月1日。これまでの平成天皇が譲位されて、元号が【令和】となりました。この「令和」という文字に関して、スピリチュアルの世界でもいろいろ言われている方達があります。人それぞれ、その解釈は違うかとは思います。

                       

                      神は【言葉】とも言いますが、

                      特に日本語の場合は、言霊と数霊が連動して動くがあります

                       

                      私は30代の頃、仕事で「や 88 17−53」の發鮹紊韻深屬魃薪召靴討い銅紊辰燭海箸あります。あまりの不思議に当時お世話になった豊受姫にお尋ねすると、【五八じゃ。】と言われます。「五八?」。豊受姫から車の發鮓なさいと告げられて、なるほど5つの8です。非常に縁起が良い發任呂△襪、【そなたは、数霊の影響をモロに受けやすい体質】とのことで、特製のお守りを造っていただいたところ、ピタリとその現象が止まりました。

                      その後、言霊師の師匠についたことで、日本人のほとんどの人が気づいていない【言霊】が霊的世界に多大な作用している事実を知ることになったわけです。そこに、祝詞や御経には効能があるです。言霊の働きだからです。

                      聖書には、【最初に言葉は神と共にあった。】と記されますが、キリスト教徒は誰も「言霊」には気づいていないと言えます。日本では大本教と呼ばれる宗教が起きて、出口王仁三郎聖師の活動によって「言霊」が解って来たがあります。霊界に関わっていますと、漢字が霊的に【金文字】として出て来て光を放つがあります。

                       

                      新元号の【令和】の「令」とは命令の「令」です。ですから、ある意味「冷たい」感じを持ちます。令も冷も同じ「レイ」だからです。また【霊】も「レイ」であり、霊に対しての「和」ともなります。 

                      令は君主からの命令ともしますが、元々は天からの【神意】の意味です。天の神からの命令です。他に【促す】の意味があります。天皇と言う言葉は人間である天皇家ではなくて、天の皇(スメラ)大御神の意味です。

                       

                      天の皇命は、命に如何なる「令」を発せられたのか?

                       

                      いったい天の皇大御神は何を【促す】命令を発せられたのか?。で、問題は次の【和】の漢字にあります。多くの方はこの「和」は平和の和と思っておられるです。

                      現時点では一部の方になりますが、この【令和】の元号が霊界で大きな変化をもたらすと感じている方達があります。

                       

                      私がこの「令和」が発表された時、私にはその「令」が【麗】の字に見えて来たのです。「令和」ではなくて「麗和」の働きです。「麗」の字は「麗しい」なので、?と思ったのですが、麗は「殺した鹿の皮」を並べるです。果て、何のことかと思っておりましたが、前段のブログにも書きました「鏖殺」の意味です。 問題は誰に対しての【鏖殺】かです。

                       

                      5月1日が来る10日程前、私は幻視で不思議な光景を見ていました。それは赤ヘル軍団です。普通赤ヘル軍団と言いますとプロ野球の広島カープのことですが、そうではなくて赤いヘルメットの様な兜。その指揮者の兜の頭には「鹿の角」の様な飾りがあり、赤胴の鎧を着けた武者達の霊集団です。

                      この様な赤ヘル兜の武者集団とは、戦国時代には幾つかありました。甲斐武田軍の騎馬隊の「飯富虎昌」が最初とされ、【赤備え】と言われて来ました。甲斐武田軍の最強精鋭部隊で、後に弟か甥の「山県昌景」がその赤備えの部隊を率いて、映画などでも武田騎馬軍の山県隊として、その名が知られたしだいです。

                      そして「真田幸村」の部隊も同じ赤備えで、その猛勇振りは誰もが知るところです。それに「井伊直政」も、その武田軍の赤備えの部隊を家臣団として採用したことで猛勇の武将として知られています。井伊直政はその武田軍の赤備えの家臣団を持ったことで、数々の武勲を立てて出世したです。以後、最強部隊を意味するのが「赤備え」の軍団と言えます。

                      その霊界の赤備えの武士団だけを見ていても、それが如何なる部隊なのかが解りません。その部隊を旗竿を見ますと【六文銭】でした。その六文銭を見て「真田幸村」の部隊だと解ったしだいです。調べると、その赤兜に鹿の角がある兜は真田幸村の兜とも解りました。が、どうして真田幸村の霊軍団が出て来たのか?。その意味は三途の川の渡し賃の【六文銭】かと思われます。

                       

                      古来より、冥土の土産には六文銭

                       

                      冥土の土産に六文銭と言われた意味は、【冥】の字の下部に「六」の字があるこからだとされて来ました。【冥】は「日」に従いて「六」に従うです。この「六」は、数字としては使われていますが、その成り立ちの意義はよく解っていません。私が感じたのは「六」は「八」を蓋をしているです。その蓋を取れば「八」の世となる。【八】は末広がりですが、別れる時を意味します。

                       

                      この赤備えの武者集団の霊は、関ヶ原の戦いや大阪城で戦った真田幸村が指揮した武者達の亡霊ではなく【天の軍】だと解って来ました。何故ならば、これらの赤備えの武者達の霊は現れた「黒龍神」を刀で斬ったからです。私は黒龍神を真っ二つに切る赤兜の指揮官たる武者を見ていて、もしかするとあの剣は【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】ではないのかと一瞬感じたほどです。

                       

                      天叢雲剣(草薙の剣)とは、【三種の神器】の一つとして知られています。今回の天皇交代の儀式においても、三種の神器を持つ者が本当の天皇とされますが、天叢雲剣だけは天皇家にあるのではなくて【熱田神宮】にあります。で、残りの二点を持って天皇である証の儀式が行われたなのです。それに関してはニュースでも天叢雲剣は熱田神宮にあると流されていました。

                      しかしながら、霊的世界に関わっているとどの御神霊も「鏡・玉・剣」の三種を持っておられます。古代においては、「鏡・玉・剣」は別に天皇たる証ではなくて、支配者としての象徴ではなかったのかと言われています。それは古代の遺跡発掘において、「鏡・玉・剣」の組み合わせが出土するからです。

                       

                      天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とは、素戔嗚尊が【八岐大蛇】を退治した時にその大蛇から取り出した剣とされ、それを日本武尊(倭建命)が東征をする時に伊勢神宮の斎宮「倭姫命」から日本武尊に渡されたとします。その日本武尊の出来事から別名「草薙の剣」とも呼び、日本武尊が亡くなった後にその従者たる尾張氏が熱田神宮に剣を御神体として祀ったとします。

                      一方、形代として宮中に残された天叢雲剣は、源平合戦の壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水したことにより、関門海峡の海の底に沈んだことで天皇家にも存在しません。

                      私は神霊世界を見聞した中で、俗に言われる神鏡と神剣とは私達が思っている鉄とか青銅の類い物ではないことを知りました。霊的世界ではそうした神鏡とか神剣は間違いなく存在しているのです。ですから、この世にあるのは「レプリカ」とか模造品的なものと言えます。一部の霊能者の方達のなかには、自分は霊的な三種の神器を持っていると公言される方達がありますが、それは神々も三種の神器を持っておられることからして嘘だとは言い切れないのです。

                      例えば、西洋で天使とされる存在の霊達も神刀を持っています。私達日本人にとっては馴染みが深い不動明王や明王と呼ばれる仏界の仏像にしても、どの仏像も剣を持っています。霊界においては、神仏や天使達は霊剣を持っているなのです。

                       

                      私は神霊世界の修業に入った頃、豊受姫の庇護の元に修行して来ました。すると多くの行者さんから、私が豊受姫から霊的な【御神刀】を賜っていないと知ると、皆さんからあり得ないと言われてしまいました。行者であれば自分の身を守る為に御神霊から「神刀」を賜るものだからです。

                      確かに、日本の神社の神達の中では、参って来た者に「神刀」を贈り物として渡すがあります。神界では神刀は【贈答品】の役割もあるなのです。

                      私は2番目の師匠の元で、自分はどの神様からも「神刀」を賜ってないと話したところ、国常立尊を詐称していたその御祭神から「神刀」を賜ったのですが、この神刀はまさに妖刀村正みたいな神刀で、霊達が自分を斬ってください。自分を斬ってくださいと押しかけて来るので、あまりの凄さにその神刀を捨てました。すると、霊の懸かりが起きなくなりました。

                      何故に、霊達は私にその神刀で斬ってくださいと押しかけて来たのか?。その理由は大国主命様の神刀の使い道で理由が解りました。それは、霊界で自己の魂が汚れてしまったことによる苦痛を消す為には、魂の汚れた部分を神刀で削って(身削ぎ)くださいと言うことだったのです。

                       

                      つまり、

                      神刀の使い道には魂の禊ぎ(身削ぎ)もあり

                       

                      天叢雲剣とは、天の剣で業(カルマ)を取る

                       

                      為に、本当の天叢雲剣を持つのが天の皇(スメラ)命であり、別に日本の天皇家の意味ではないのです。

                       

                      そこで、改めて【令和】の意味を見ますと、【和】は平和の和の意味ではありませんでした。和の漢字は「禾(のぎ)と口」ですが、この【禾】は軍門の標識です。軍事力を持って、天の神意に従うのか従わないのかを聞く意味なのです。それに従うのが和議であり、平和がもたらされる意味の和なのです。

                       

                      令和とは、天帝の神意たる軍事力に従うか従わないのか

                       

                      天の神から【最後通牒】が発せられたと思われる 

                       

                      この日本での最強黒龍神と考えられる存在から愛されている霊能者の方の元に、黒衣の西洋風騎士が数千体集まり、その黒龍神に従わない他の黒龍神達を、その黒衣の西洋風騎士団達が討伐に入ったとの話が昨年の暮れに私に来ました。

                      その黒衣の西洋風騎士団の副指揮官が私の「正守護神」を調べたら、どこにもその姿が見当たらないではないかと言って来られました。確かに、私の正守護神は数年前からその姿を私にも見せなくなっています。私自身、自分の正守護神はどこに行ったのだと思っていたほどだからです。

                      私の正守護神たる武者姿の霊は、豊受姫から【貴方は神界を血の海にする気ですか。それは自制して欲しい。】と告げられた後、その姿を私に見せなくなっていたのです。たぶん、その時節が来るまで身を隠したのでしょう。

                       

                      そうした黒龍神の動きは、黒龍神界の中での【覇権】争いであろうと見ていました。あちらの宗教。こちらの宗教と宗教世界のバックボーンとなる霊力は、それらの宗教団の背後にある黒龍神達の数によります。【奇跡力】の現出です。人は奇跡を見ないと神の存在を知ろうとはしないからです。その黒龍神界の中で力がある黒龍神の統一に向けた動きです。それは、これまでは群雄割拠であった霊界での統一に向けた動きであろうと推察していました。

                       

                      だが、5月1日の午前二時頃、目覚めた私の元に鎧兜の武者姿の霊が出て来ました。私の正守護神です。私の正守護神が着用している兜とは、赤ヘルではなくて【五月五日】の武者人形の様な兜で違います。その旗下に就いたのが赤ヘルの軍団と言えるでしょう。 それは【令和】の元号で、霊的世界が動き出したとも考えられます。

                       

                      私に見えた幻視が本当なのかどうかは、ある一点で決まります。それは「真田幸村」としてこの世に出た魂は、日本武尊(倭建命)として出た魂の生まれ変わりであったかどうかです。もし、戦国時代に世に出た「真田幸村」が日本武尊(倭建命)の魂であったならば、大本教神諭の、この神の「三千年に渡る仕組み」の一環であり霊的世界に動きが出て来ているともなります。

                       

                      弥勒とは、兜を率いる【兜率天】

                       

                      令和は、いよいよ改革の力の弥勒

                       

                      赤い兜を着用した武者軍団。そこで、改めて【赤】の字の意味を調べましたところ、大と火に従うであり。火によって人の罪を祓うがあります。最後の審判は【火の審判】と呼ばれていますが、

                       

                      貴方の罪を赦すの【赦】は、火を持って攴で撃つ

                       

                      その火攻めを祓うのが【草薙の剣(天叢雲剣)】

                       

                      日本の霊能者の一部に日本の天皇が【救世主】との説がありますが、それは【天叢雲剣(草薙の剣)】を持っていたならばの話なのでしょう。私は【天叢雲剣】と【草薙の剣】が、何故に同一の剣となっているのか首を傾げていましたが、私が子供の頃に臨んでいた声は自分は旧約聖書の神との名乗りで、日本の神話はこの私が創作したものであると言われた意味が、さらに強まったと感じるしだいです。

                       

                       

                       

                       

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