霊学24 子は神からの預かり者故に輪廻があり。魂の【螺旋道】で悠久の時代から時の加速が進むと終着に向かう

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    古来より、子供は神からの【預かりもの】と言われて来ました。母親にとって、自分のお腹を痛めたから自分の分身とか【所有物】ということではないのです。もし、人の魂が母親の腹から出た肉体に有るのであれば、そもそも【輪廻】の道は起こりえません。

     

    それは何故かと言った時、

    人は【霊止(ひと)】であり、この世は魂を宿す器官(期間)

     

    為に、魂が肉体に宿る期間を終えると、霊界にと【帰還】する

     

    タダ、誰であってもこの世に出るに当たっては肉体の母親と言う存在を必要とします。最近、自分が遊びたいが為に自分が産んだ子を殺めるなどの犯罪が多々ありますが、人は何故にこの世に生まれて来るのかの理解があったならば、とてもそんな恐ろしいことなど出来るはずもないのです。

    私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【魂は半永久の命である。人は生まれて死んで。生まれて死んでの繰り返し(輪廻)である。この世での時間は魂の命の時間からすると僅かな時間にしか過ぎない。その僅かな時間において刹那心(今が良ければそれで良い)に溺れて、半永久の命である魂を失ってはならない。】と幾度も告げられて来たわけです。

     

    私達が持つ魂とは、肉体の親からの授かり物ではない

     

    魂には魂の親として、正守護神・本守護神が存在する

     

     

    私は大本教の出口王仁三郎聖師が出した【ス】神論ではなく。こうしたことは【ラ】神論でないと紐解けませんよという意味は、魂の【輪廻転生】には【螺旋】の理解も必要だからです。

     

    宇佐八幡宮の使いと称する霊能力を持つ方から、宇佐八幡宮の御神霊から私に対する詰問状として、大本教の出口王仁三郎聖師が神界の許可も無く、勝手に淡路神業をしたのは天則違反であり、出口王仁三郎聖師の罪は上司である貴方の責任である。どう責任を取るつもりだという内容が送られて来ましたが、私は淡路神業その物をよく知りませんし、私がこの世に生まれて2〜3年後に出口王仁三郎聖師は亡くなられています。

    それらのことはこの世に出る前の魂たる私が出口王仁三郎聖師に命じてさせたではなくて、私の本守護神たる背後の御神霊(国常立尊)がされたことであり。それに文句があるのであれは八幡宮の神と言えども天帝の軍と一戦を交える覚悟をされるべきですと返答しました。

    一部の霊能者の方達の中には私が【国常立尊】その方だと言う方達がありますが、そうではありません。【国常立尊】様と呼ばれる存在を本守護神として、この世に生まれ出た一分魂に過ぎません。分魂とは本体神そのものではないのです。そうした意味として、子供の頃に私に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、私に対して【そなたの今生は辛いものになる。この神の為に死んでくれと申すほどのものなり。】と告げられています。自分の分魂の幸せではなくて、その命さえ犠牲とするのが本来の神なのです。

     

    肉体の中にある魂とは幾度も書きましたが小さな魂です。そこに、【人はいと小さきもの】があります。私の正守護神の魂は私の何万倍の大きさがあります。私がその段階に帰結する時が俗に言われる【神人合一】と呼ばれる段階となるのです。その時には肉体にある私の魂は消滅して、正守護神たる存在が私となるなのです。

    その上の段階に入ると、更にその何万倍もの大きさの魂たる存在があります。更にその上にと進んで行くと、またその何万倍の大きさとなって行くのです。地上に肉体を持って出ている自分などは実にちっぽけな存在なのです。

    ですから、私もこの世で罪を犯せば死後地獄界に落とされてしまいます。そこが人の子の立場で親が社会的に偉かったら、自分の罪を握りつぶして貰えるではないのです。

     

    大本教から出された【ス】神論だけでは不完全 

     

    個々の人の魂は、幾度も幾度も生まれ出て来ています。その都度その都度、肉体の両親を変えて生まれて来ています。希には前世の親を今生でも親とするはありますが一般的ではありません。私の場合は今生の母親が前世でも肉体の母親でしたが、母親がこの世を去る前にそのことが判明しました。私の場合は前世から神芝居の役者の任務に就いていたからです。

    何分にも【三千年】に渡る神芝居の仕組の関係から、神芝居の舞台が違う時にはそれなりのお役をさせられたわけです。私の今生の肉体の母親の魂も神芝居の関係上、その時もそれなりの神の仕組の御用をしていたなのです。

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から告げられました。【今生のそなたは前世のそなたには非ず。人は生まれ変わる都度、その親や兄弟や友人も知人も変わって来る。生まれ出る環境も違って来る。同じなのは、今生のそなたと前世のそなたの「心(魂)」は同じ物である。故に、自分をこの世に産んでくれた親には感謝しないと行けない。】と言われたのです。

    そして、【そなたが立派な魂となったならば、その功績はそなたの親であった者にも及ぶ。よくぞ、立派な魂を持つ人間に育ててくれた。この神から感謝としてその親をも賞する。】と告げられたのです。

     

    子は神からの預かり者。立派に育てれば神が親をも賞する

     

    立派な子供を育てれば、その親も霊界での高い地位に進む

    それと同様のことが【副守護神】にも当てはまります。全ての人には【副守護神】と呼ばれる存在が就いています。そのほとんどは天国天人界に進めていない家系の先祖霊がその役割を担っているのですが、自分が指導した家系の子孫霊が天国界に入ると、その指導の功績が認められてその副守護神も天人界に進めるなのです。

    そうした副守護神がしっかりしていないと、【国常立尊】と呼ばれている神の存在にすら気づかないとなります。おかしなおかしな邪神が主催する宗教に狂うともなるのです。

     

    優れた霊能者達は【この世は魂の修業場】と説いて来ました。某著名な行者さんは【この世に出て来るのは魂としては出来損ないの落第の魂。この世は魂の刑務所。】とまで言われていますが、世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【この世は天人の苗床】と言われました。

    それは、この世での命を終えれば誰しも【霊界】には帰りますが、神霊や俗に言う仏陀に成れるではありません。それだけの努力を積んで来た魂だけが、天人とか仏陀の様な立場に進むなのです。そうしたことは魂が住む【次元界】を上げるで言われて来たわけですが、アセンション(次元上昇)。アセンションと言っているだけのスピリチュアルでは、自分の魂の【次元界】を上げることにはつながらないのです。

     

    この世で遊んでいて、天国天人や仏陀等には成れません 

    為に、人々に教えをする為にこの世には高い魂の方も降りた

     

    そうした方達が世に言う【宗教開祖などの神的な魂の持ち主】

     

    それは単に霊と会話するとか、霊が見えるではないのです。あるスピリチュアルの方が【四次元界スピリチュアル】等と言っておられますが、スピリチュアルは四次元界と言われる低い次元界とのアクセスばかりに集中して、その人をそれなりに信頼する人達を高次元界に進む道を放棄させているなのです。

    私の最初の師匠は豊受姫のお代として、実践霊能者としては有能でしたが、その信徒さん達を高次元界に進ませることに関しては出来ていませんでした。その師匠はこの世を去る少し前、私に対して、【自分は良かれと思って信徒さん達を現世御利益主義信仰に進ませてしまいました。現世御利益ではなくて、神に対しては感謝心。人としての心を磨かせる教えをすべきでした。】と悔いておられましたが、この世に生きている時にそうした悔い改めの反省が出来たのであれば、それでいいのです。と申し上げておきました。

     

    本当の神は、悔い改めた者は救うからです

     

    そうしたことが出来ていないのが、大本教の出口王仁三郎聖師が残された。【信者を天国に案内すると言いながら、地獄界に案内している取次ばかり。】なのです。実際に私はそうしたスピリチュアル教祖さん達を見て来たなのです。愛ばかりを言って、自分を救世主と崇めさせ、自己の【良心神】の存在に何一つ気づかない人なのです。

    スピリチュアルでは、【神は愛だから何をしても赦されます。】がお題目ですが、それで霊界(死後の世界に)に帰った時、間違いなく【地獄界】に墜ちます。私は全ての地獄界を見聞したではありませんが、一部の地獄界は見聞しました。そうした地獄界とは仏教で説く鬼が金棒を待って出て来て、罪人を責める世界ではありません。ある意味、そうした鬼達の責め苦の世界よりも遙かに恐ろしい世界なのです。

     

    神の愛で何をしても赦される派は、地獄界を見ていない

     

    これまでは例え地獄界に墜ちたとしても、【輪廻転生】のシステムがあったので再度人として出るチャンスがありました。

     

    私は【時の停止】を見せられて、愕然とした

     

    スピリチュアルでも、今は【時】と呼ばれる物が早く流れていると言われて来ました。時の流れとは時計の針が早く回ることではありません。 飛鳥・奈良・平安・鎌倉等と流れて来た時代は【百年一日が如く】ゆっくりと流れた【悠久の時代】でした。ところがPC(パーソナルコンピュータ)とか【スマホの時代】になると、数年前の品物が取り残されてしまうとなりました。これが霊学の分野で【時間の加速】と呼ばれることです。その行き着く先が時間の停止なのです。

     

     

     

    弥勒の世は永久とされるのは、時間が停止

     

    その時点で魂の【輪廻転生】が終了する

     

    そうしたことは三次元世界と呼ばれる物質世界に生きて、時の流れと共に老いてやがて死んで行く肉体人には【感覚】としても掴むことも理解することも出来ませんが、神霊と呼ばれる存在が老いることもなく何百年と神社や霊場で生きている様は、霊界見聞をして来ると誰しも解ることです。

     

    創造神は宇宙の初発から有り、終わりまで有る

     

    で、創造神には【老いる】はありません。それと同様にみろくの世に渡る人達にも【老いる】はありません。各自の魂の次元界での地位が確定されるので、もう【輪廻転生】のシステムそのものが終わるなのです。

     

    私は霊的光景として、この地球の【時の停止】を見せられたのですが、さすがにそうしたことはどなたも言われておられないようです。大本教神諭には、【この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】がありますが、私は【言成る】の仕組を紐解いてはいますが、世界に一人だけ知っている【誠の人】とは言い難い者ですし、どうなるのだという疑問は私自身持ちます。

    ただ、私が見せられて来た数々の霊的映像は、【この地球はもうさほど先まで持たない。外的要因からではなく、地球内部の核の問題から】なのです。そこに人類を新地球に渡す。大作戦が敢行されるが私が知ることなのです。

     

    その時、赤子や幼子はどうなるのかがありますが、肉体的には赤子や幼子も全てその前世には【大人】であったことが【螺旋道】の図で解る様に、魂的には皆大人の姿なのです。赤子も幼子も一瞬にしてその【大人】の姿に戻るなのです。赤子や幼子だから可哀想などではないのです。そうしたことは【輪廻転生】を理解していれば解ることだったのです。

    そして【四次元世界】にアクセスするのではなく、【五次元世界】以上にアクセスするならば、この世で年老いて死んだとしてもその姿は老体で無く、若い姿であることが解って来ます。

     

     

     

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    霊学23 日本から出た旧約聖書予言の男女の預言者。大祓祝詞旧版の母と子との罪?

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      私は子供の頃は旧約聖書の神と称する霊声を聞いていたのですが、昭和五十五年に私の身に降りかかった摩訶不思議な霊的体験から覚悟を決めて霊的世界の修学に入ったのです。私の霊的修学は【日本神道】界でも【稲荷神界】から始まりました。狐の神と呼ばれる世界から入った者であって、最初から【聖書】しか知らない人達とは異にします。私は日本神道の世界に入ったのですが、そこでとんでもないことに気づいたのです。

       

      日本神道とは旧約聖書の世界か?

       

      単に日本の神社に参拝しているだけでは気づかないのですが、霊的に日本神道の世界に足を踏み入れると、そこに出て来る数々の出来事は【旧約聖書】の世界かと思わせるものがたくさんあるのです。私は多くの霊能者の霊査を受けて、その全ての霊能者ではなくて一部の霊能者にはなりますが、7〜8名の霊能者から貴方の本守護神は【国常立尊(天では天之御中主)】様ですと指摘を受けて来ました。私が子供の頃に受けていた旧約聖書の神と称する霊声は、日本では表舞台から消されている【国常立尊】様か、その系列下であったかです。表舞台から消されていることから、大本教からは今は退いていますの【艮の道】の金神の名で出されたとも言えます。

       

      今は表舞台からは退いているが【艮の道】

       

      【祟り】の神とされるのは、何れ出て示す

       

      キリスト教徒はナザレのイエスが旧約聖書で予言された【メシヤ】だと思っています。たが、旧約聖書における【メシヤ】登場の前には男と女の預言者を出して【1260日の間】、旧約聖書の神を説くとあります。ナザレのイエスの場合、男性の預言者は【パブステマのヨハネ】だと言われて来ました。では、イエスの前に女性の預言者は出たのかとなりますと、その存在がまったく出ていません。だとすれば、イエス【メシヤ】説には?マークが付きます。

      また、イエスは旧約聖書の神を【悪魔】呼ばわりしており、イエスが説いた【父なる神】とは旧約聖書の神のことではないとなります。さらに、ユダヤ教徒がイエスを頑なに【メシヤ】と認めないのも、そこにはそれなりの理由があるなのです。

       

      私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声を聞いていたのですが、ある日、私はその声に対して問うたのです。【貴方様は、イエスの上に臨まれたのでしょうか?】。すると、旧約聖書の神と称する声は、【私はナザレのイエスの前に一度も臨んだことがない。ナザレのイエスは我が子ではない。他の高い神の御子である。】と告げられたのです。

      私が子供の頃に臨んできた旧約聖書の神と称する霊声は、イエスのことをナザレのイエスと、必ず最初に【ナザレ】の言葉を付けられました。そのナザレのイエスは【キリスト】でも【メシヤ】でも【我が子でも無い】と言われたのです。しかし、子供の私には深いことが解らず、

       

      私に臨んでいるのは本当に旧約聖書の神だろうか?

       

      そうした疑いを持っていました。しかし、その霊声が私に告げた【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。】は、言霊とは何かと知った時、私がそれまで持っていた神観など百八十度吹っ飛んだと言えます。それは、お釈迦様もイエスもマホメットも弘法大師も歩まれなかった道を行かないと解らないことだったのです。

      私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたが歩む道は、これまで誰も歩んだことが無い道で、そなたが最初の者であり最後の者となる。そなたがこの世を去れば、そなたと同じ道を歩く者は二度とは出ない。】と告げられたのです。

      私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】を解き明かしました。それはお釈迦様の本当の悟り。【人には良心と呼ばれる神が内在する。】を具体的に説明させるものでした。お釈迦様の死後は消されていた教え。その教えを復活させて、人類を未来の世に渡すとされる弥勒菩薩の意味でした。

      ただそれは、旧約聖書に残される男女の大予言者たる大本教の出口なお開祖に出口王仁三郎聖師が下準備をしてくれていなかったならば、とても紐解けるものではありませんでした。

       

      私は【米】型の仕組で【メシヤ】の意味が解った

       

      私は子供心に旧約聖書の神と称する声から聞かされた、

      イエスが言う父なる神とはいったい誰のことか?

       

      そのことに長い間疑問を持っていました。が、霊界修業に入って【鍾馗神】の御案内で数千の将軍霊を従えた【神】に拝謁しました。無論、それが如何なる神なのかは解りませんでした。すると、閃きで【盤古大神】と出たのです。私はその日まで【盤古大神】など聞いたこともない神でした。また、当時はインターネットが普及する前で調べても【盤古】大神が誰なのか解りませんでした。

      そこで、全81巻83冊という膨大で高価な大本教霊界物語を買って読み出したのです。霊界物語では【艮金神・国常立尊】は、反国常立尊派の神々に逐われて【35万年前】に地上神界の主宰神の座を逐われた。その後を襲ったのが中国の【盤古大神】で【木星神(ジュピター)】たる精霊神であると書かれています。木星神(ジュピター)ということは、ギリシャ神話だと【ゼウス】になります。

      無論、そんな35万年前の話などは出口王仁三郎聖師のホラ話だと言う方もあるでしょう。しかし、私はその【35万年前】からで、地球時間が神によってコントロールされている事実に突き当たったのです。科学者達もこの地球が一年365.22日で動いている意味を誰一人として知ろうとはしなかったのです。

      そこには驚くべき神の存在があるなのです。それは今日迄の神の感覚ではとうてい理解不能の領域と言えるでしょう。

       

      大本教霊界物語では【盤古大神(ゼウス)】は悪神ではないとしています。だが、反国常立尊派の神々を抑えるだけの力量も無い。ただ、反国常立尊派の神々の名目上の頭領神です。その為に、地上神界に有力な神々の【群雄割拠】を招いてしまった。言うなれば日本の室町幕府の末期の将軍の様なもので、戦国時代の大名勃発を引き起こしたようなものなのです。

      私の元には自分は盤古大神(ゼウス)と光の剣を持って一対一で戦って倒した。自分が創造神だと言って来られる様な方もありますが、光の剣で戦う【アニメ】の見過ぎです。何千という将軍霊。それに付随した何万何十万の兵士霊が従っている霊団に一人で【光の剣】を振りかざしても何の役にも立ちません。そんなことも理解しないのがスピリチュアルなのです。また、自分に懸かって来ている俺々詐欺霊団に引っ掛かっているなのです。

      光の剣だ!。光の柱だ!。そんなことで霊界の浄化浄霊が出来るのであれば、世の中はこんなに汚れていません。悪くもなっていなかったはずなのです。

      だが、自分が【盤古大神(ゼウス)】を倒したと言って居る人は一人や二人ではありません。そうしたスピリチュアル的な人が言う自分が盤古大神(ゼウス)倒したではなく、既に先を見越して【とんずら】されたと見てもいいでしょう。私はその盤古大神(ゼウス)が慌てて逃げて行く様の霊的映像を見ていて、当時はその意味が解らなかったなのです。あの時の光景は「とんずら」かです。為に神界の力がある神達が自分の覇権を狙って自称創造神や自称救世主を活動させているです。

       

      イエスが説いた父なる神とは【ゼウス】か?

       

      確かに、ギリシャ神話の【ゼウス】は神々や人類の【父】と呼ばれています。イエスは別に間違って【父なる神】を説いてはいないようです。

      すると、イエスが悪魔呼ばわりした【旧約聖書の神】とはいったい誰なのか?。となります。私はイエスが旧約聖書の神を悪魔呼ばわりしたのは、当時のユダヤ教の司祭達が神に仕える者として、まったくなっていなかった。そうした事から旧約聖書の神を悪魔呼ばわりしたのだとばかり思っていました。

      私の前にイエスらしき霊が何度か出て来ましたが、はっきり言って天国界とは言えませんでした。非常に重い罪を背負っている証の【足枷】が付けられていたのです。霊が「足枷」を受けているは高次元の高級霊に見られます。地獄界とは別で、高次元界にありながら神的存在の霊に課せられる天罰的なことです。無論、私の前に出て来たイエス霊らしき存在が本物のイエスかニセ者かの問題はあります。それは本物だと断定するだけの証拠がどこにもないからです。

      イエスと思しき霊が霊界で足枷を付けられた十字架を引きずっている光景を見た霊能力者は私以外にもいます。私はそれまでイエスが足枷が付いた罪の十字架を背負っているのは、キリスト教徒の罪をイエスが背負っているものだとばかり思っていました。

      霊能者の間でキリスト教徒は第一天国界に入れていない謎が言われていましたが、大本教の出口王仁三郎聖師は【地獄を覗けば牧師で一杯だ!】と残されています。多くの牧師が地獄界に墜ちているのは間違いないようです。それは、イエスには地獄界に墜ちているキリスト教の牧師霊達を救えていないとなります。

       

      盤古大神(ゼウス)は反国常立尊派の神々に担がれて、地上神界の主宰神となられた。それらの神達からすれば、国常立尊とは【悪魔神的】存在ではあるなのです。イエスが旧約聖書の神を【悪魔】だと罵ったとしても別に不思議ではないのです。

      だが、時節が巡り、大本教霊界物語にある中国の盤古大神(ゼウス)から日本の国祖神・国常立尊に神界の大政奉還。そこに神霊界世界に起きつつある謎があるとも言えます。ただ中国の盤古大神が退いたとされても、地上神界は未だ国常立尊を【唯一神】とするまでには到ってはいないのです。

       

      神霊世界は勝てば官軍。負ければ賊軍の汚名を着る

       

      多くの人達は【国常立尊】の御引退の経緯は知らないでしょうが、光の天使長【ルシファー】が堕天使の汚名を着せられて、落とされている話は知るでしょう。そうした事柄とも関連はしているようです。

       

      大本教の出口王仁三郎聖師は、旧約聖書の預言者の男性が【出口王仁三郎聖師】であり。女性の方は【出口なお開祖】だと言われました。確かに大本教からは出口なお開祖と出口王仁三郎聖師の二人の男女の預言者が出ました。その意味では旧約聖書の予言の成立です。では、その【1260日】間はどこにあるのかとなります。出口王仁三郎聖師はその【1260日】間は自分が【囚獄】の中に入れられていた期間だと言われました。では、出口なお開祖は?。となります。出口なお開祖は金光教が看板の時代には【牢屋】入りはありますが、【1260日間】もではありません。

       

      大本教では最初に神旗として【九曜紋】を出しました。次に神界の都合によりとして神旗を【十曜紋】に改めました。だが、その神界の都合とやらがまったく解っていません。その【十曜紋】に【1260】の数字の意味そのものは秘められています。大本教そのものに【1260】の数字は出ているのです。

      大本教の出口王仁三郎聖師は自分は【イエスと同格】だと述べておられますが、そのことは優秀な霊能者達は追認しています。ほぼ同格の魂だったのです。だからこそ、旧約聖書の預言者の役も出来たなのです。本当に救世主と呼ばれる存在の人が出るとしたならば、大本教の出口王仁三郎聖師やイエスよりも遙かに高い次元界の存在になるのです。イエスで人類が救われることはあり得ないなのです。

      ノストラダムスの予言に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない東洋の叡智の飼い葉桶】があったかと思います。それは西洋人(キリスト教徒)がいくら【メシヤ】の出現を望んでいても西洋からは出ない。【東洋の叡智】だと言ったなのです。

       

      では、東洋の【叡智】とは何かです。人ではない

       

      下記の図は大本教から出された【十曜紋】の神旗を作図する時に気づくことです。

       

       

      大本教の男女の二人の預言者は、旧約聖書の神の僕

       

      艮金神・国常立尊と旧約聖書の神が同一神なら成立

       

      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのですが、【旧約聖書は我が書であるなれども「暗号化」されており。そのまま読んでも意味が解らない。新約聖書は人の子達が為した書で、私の書では無い。】と告げられました。人の子達が為した書とは【偽書(ぎしょ)】の意味です。で、私は霊界修業に入る前には聖書は読みませんでした。霊界修業に入って【旧約聖書】を読むと、気になるところがあります。

       

      それは、【私は母と子を赦さない】

       

      いったい何を意味しているのだろうか?。です。それに関しては、その当時のユダヤ民族の間では【母子相姦】がかなりあったとされていまして、そのことではないかとされています。しかし、日本神道の大祓祝詞の旧版には【己が母犯せる罪。己が子犯せる罪。母と子犯せる罪。子と母を犯せる罪。】がありまして、母と子とが犯せる罪が出て来るのですが、とても「母子相姦」のことを書いているとするにはあまりにもおかし過ぎるのです。

       

      多くの人が多用している【大祓祝詞】の新版ではなく、旧版にあっても新版から消されている文脈は、

      【畦(あぜ)放ち溝埋(みぞうめ)。樋(ひ)放ち。頻蒔(しきまき)。串刺。生剥(いきはぎ)。逆剥(さかはぎ)。屎戸(くそへ)。許々太久(ここたく)の罪を。天つ津と法別(のりわけ)て、国つ罪とは生膚断(いきはだち)死膚断(しにはだち)。白人胡久美(しらひとこくみ)。己が母犯せる罪。己が子犯せる罪。母と子と犯せる罪。子と母と犯せる罪。畜(けもの)犯せる罪。昆虫(はうむし)の災ひ。高つ神の災ひ。高つ鳥の災ひ。畜仆(けものたう)し。蠱物為(まじものせ)る罪。許々太久(ここたく)の罪出(いで)む。】とあります。しかし、この文脈を見ても意味が解らないとなります。そうしたことから今は使われていないと言えるでしょう。

       

      いったいこの母と子は誰のことを指しているのか?

       

      と、首を捻っていました。ただ、大祓祝詞旧版の【母と子と犯せる罪】に関しては、旧約聖書にも存在しているのでその関連性はとなります。

       

      私は自分が国常立尊の現身(うつそみ)と称している言霊師の方を2番目の師匠としている時、そこに伊勢神宮に参拝した時に摂社の神霊から貴方が出口王仁三郎聖師の遺言とされる予言文の【みのか尾張の女子】だと告げられて、綾部に来ている男性霊能者との間でイエスとマリアに関して議論がなされました。

      私が当時師匠と仰いでいた言霊師は、【イエスは悪神。マリアは善神】。自称みのか尾張の女子の霊能者の方は【イエスは善神。マリアは悪神】で正反対で論じていました。2番目の師匠のイエス悪神説は、自分一人だけが主の御子などや自分を見て主を見よ等の行きすぎた言動の数々です。

      マリア悪神説を言われた霊能者の方は、よくマリア霊が出て来て、【我が子イエスが・・・・・・】そればっかり言っているようですが、それが本物のマリア霊ならば我が子を溺愛するだけのバカな母親で、明らかにそれでは悪神と言えるからです。愛に狂った母親の姿です。

      仏教で【目連尊者】の母親は、目連尊者にとっては愛情深い母親でしたが、我が子の溺愛から【餓鬼地獄】に墜ちています。その目連尊者の母親と、我が子イエスがばかりを言っているマリア霊とでどこに違いがあるのかとなるのです。

       

      スピリチュアルでミカエルがガブリエルがマリアがと言っている方は、この日本が如何なる国なのかをまったく理解してはおられません。日本の霊能者でイエスやマリアを高く評価している方はありません。イエスやマリアは霊界では以外と低い段階なのです。そして、この日本は【国常立尊】の直轄地だからです。ミカエルやカブリエル等と言っているスピリチュアルの方の前世はヨーロッパ等で、その当時はキリスト教の信仰者であった意識を今も魂に残しておられるからでしょう。

      おそらく、イエスかマリアのどちらかが正神で、どちらかが悪神なのでしょう。私もイエス悪神説だけは取りたくはないなのです。それはイエス霊が例え地獄界に墜ちていても、私にはイエスだけは救いたいの想いがあるからです。

       

      西洋からは、母なる神として【豊雲野尊】。父なる神として【大国常立尊】たる存在が出されていません。人々は父なる神だけでなく、母なる神も求めます。【両親神】があって本物です。父なる神だけでは片手落ちなのです。お釈迦様でもイエスでも、肉体の母親無しでは生まれても来られないのです。

      もしもイエスが父なる神。母なる神の存在を理解していたならば、まったく事態は違っていたかも知れません。聖母マリアなどを出す必要等も担ぐ必要もどこにもなかったとなります。そうした証拠として、お釈迦様の生母はそれほど持ち上げられていません。弘法大師や日蓮聖人の両親にしても然りなのです。

       

      私が気になっていたのは【マリアの処女受胎】説です。これだけは絶対にあってはならない事だからです。もしそれが事実ならばマリアは悪神と言えるからです。処女受胎そのものはあり得るのですが、日本における【三輪山の神の縁起】で解る様に、それには蛇霊(龍神)が絡んで来るからです。もしもそれが事実ならば、イエスは龍蛇神(大国主命も龍蛇神とされている)の子に過ぎなくなります。それと、マリアに処女受胎を告げたとされる【ガブリエル】と言う大天使と称する者もかなり危うい存在と言えます。

      私は霊界修業をしている中で私の修業の様子を見に来た【ガブリエル】と呼ばれている霊を見た時、こいつは【悪の仕組屋】かと感じました。私には何か大きな悪しき魂胆を持って大天使と称する者としか感じられなかったからです。

       

      世の表に立たずの陰守護ながら【艮金神・国常立尊】は

      日本にキリスト教が入ることだけは絶対に阻止された

       

      日本をキリスト教国家にすると、みろく世は創れない

       

      この日本にキリシタンを入れない【鎖国】制度を取り入れたのは【徳川家康】です。徳川家康は日本にキリスト教を入れたならばどうなるかを知ったのです。それは世界の各国でキリスト教を入れた国は国民がキリスト教徒となり、宣教師達の唆しで内部からその国の制度を壊してスペインやポルトガル等のキリスト教国家の属国や植民地となり、その国の富は奪われて国民も奴隷として売られて行く等です。

      キリスト教。特にイエスズ会は世界各国で奴隷売買の先兵となったことは知られていますが、キリシタンとなった日本人も宣教師から奴隷として外国に売られていた記録の数々もあるのです。その数は数千から数万人と言われており、豊臣秀吉の政権下において長崎の大村氏の領土である長崎が【イエスズ会】の領土となったことから、豊臣秀吉は【伴天連(バテレン)追放令】を発したのですが、止められなかったがあります。為に多くの大名もキリシタン大名になったなのです。

      長崎のキリシタン大名大村純忠は、キリスト教に改宗しない領民は殺害や追放。寺社は壊されたのです。恐怖に怯えた領民は皆キリシタン信徒となったなのです。その数は6万人と言われています。

       

      何故に国常立尊はキリスト教が日本に入るのを阻止されたのか?。イエス個人を天主と仰ぐに走った者達は、創造神に対してですら敵対を厭わないからです。イエスを通さないと創造神に繋がらないなどは根本的な誤りで、【一人一人が神の子】である事実そのものが潰されるからです。

      私は子供心に自分は日本に生まれ出たのに、どうして【旧約聖書の神】と称する声が自分に臨むのか意味が解りませんでした。だが、神の仕組が解って来た時、そうか!。この日本でないと言葉の仕組が【花開かない。】と解りました。それには絶対にこの日本だけは【キリスト教国家】に成ってはいけなかったのです。してはいけないだったのです。

       

      日本がキリスト教国家に成れば、【みろく】は出せない

       

      私は大本教が予言した【綾部が神の聖都】の光景を幻視した時、北と南が入れ替わっているので今の地球上では無いと見ました。その綾部に世界各国からの巡礼団の光景も幻視したのですが、日本の神道や仏教は当然に存在していました。その聖都巡礼団の中にイスラム教徒はいても、キリスト教徒だけは一人も居ない光景に愕然としたのです。

       

      何故?。キリスト教徒は【みろく世】には渡れない

       

      イスラム教徒は開祖マホメット(ムハンマド)は神の僕に徹しており、そこにはイエスと百八十度の違いが出て来ています。自分を通して創造神ではなく、一人一人の信徒が創造神と直接に結びつくにしているからです。イスラム教の聖典はコーランと【旧約聖書】で、人の子達が為した【新約聖書】は聖典としていないのです。

       

      旧約聖書が告げる【悪魔】とは、【女の赤龍】とされます

       

      私はその姿を見ていませんが、毒々しい赤龍で紅龍とも言われています。その赤龍を肉体の母とした子は誰なのか?。それはよく解りません。某著名な宗教開祖は、悪魔として女の赤龍の存在を説かれ、その過去世は【龍宮の乙姫】であったと言われています。しかし、日本で【龍宮の乙姫】でもあると考えられる豊受姫の龍体とは【赤色】ではないのです。別の色です。これは別の存在と考えられます。

       

      私達は【赤い悪魔】に支配された人間として、ソビエト時代の【スターリン】。中国の【毛沢東】。カンボジアの【ポルポト】等を思い出します。共産主義者は表面は無神論者であったとしても、【赤い龍】に支配されているなのです。国民を惨殺する凶器(狂気)の連中と言わざる得ません。

      大本教からは盛んに【露国の悪神】が説かれましたが、出口王仁三郎聖師ですら予言出来なかったものに中国が【共産党国家】に成るです。出口王仁三郎聖師の晩年時代は、未だ中国は【蒋介石】の国民党だったのです。出口王仁三郎聖師もモウ晩年に達しておられたので、共産化する中国のこと迄は予言されなかったのかも知れません。

      中国共産党とは悪魔たる【赤い龍】に支配された国家であり、日本の尖閣列島のみならず、沖縄も狙ってきます。中国共産党は世界中で自分達の覇権を狙って来ます。この日本が中国に攻められた時、今の日本人は平和惚けしており、とても戦えないでしょう。すぐに降参して日本が中国の属国になるのであれば、日本もそれなりに安泰かも知れませんが人々の自由は奪われます。それは今、香港の人達が50年間の約束を反故にされて自由を奪われようとしていることからも明らかなのです。

       

      何れにしても私が聞かされていることは、旧約聖書の神(艮金神国常立尊)を【唯一神】として仰ぐ者達は私は救うが、この私(旧約聖書の神・艮金神国常立尊)を【唯一神】を仰がない者達とは永遠に別れると告げられたなのです。

      別に旧約聖書の神(艮金神国常立尊)を創造神と仰ぐか、そうでない存在に自分の命を賭けるかは、その人の自由なのです。選ぶ権利は個々の魂にあります。

       

      国常立尊の名を聞いても何とも思わないで、自分は創造神が用意される【みろく世】に行きたいなどは通じないなのです。はっきりと、私にこの神(旧約聖書の神・国常立尊)だけを【唯一】神とせよと明言されたからです。

       

      国常立尊は、この私を唯一神と信じよと強制はされない

       

      国常立尊を唯一神と信じるか信じないかは、各自の自由

       

      ただ、みろく世とは国常立尊が主宰される嬉し嬉しの世

       

       

       

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      霊学22 大本教から出された【666(みろく)】大神とは、反イエス(反キリスト)か?

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        大本教はみろく大神を全面に打ち出したのですが、大本教の出口王仁三郎聖師自身も【みろく大神】であると呼称されました。が、後に自分は本物のみろく大神では無かったと看板を下ろして、本当の【みろく下生】は昭和二十年(西暦1945年)に起きたと残されています。それは本当の【みろく大神】が昭和20年に下生されたではありません。それとは意味が違うことが神霊世界で秘密裏に起きたのです。

        英国における神智学者で知られる【べンジャミン・クレーム】が、昭和20年にヒマラヤ神界で合成された【世界教師マイトレーヤー】と称する人物を宣伝し、日本でもその支部が存在しますが、昭和20年に神霊世界で何等かの動きはあったなのです。そのことをいち早く察知していた勢力が出したのが【世界教師マイトレーヤ】と呼ばれる人物となるのです。

        弥勒菩薩の西洋読みの【マイトレーヤ】とは、仏教では単に【みろく菩薩】のことですが、神智学の分野での【マイトレーヤ(みろく菩薩)】とは、真の【キリスト】たる存在を指します。

         

        仏教における【みろく菩薩】が、お釈迦様の弟子であったなどは歴史的にも存在していません。元々は中央アジアやペルシア等にあった【ミスラ教の創造神】を仏教が中央アジアに拡大して行く中で、みろく菩薩(マイトレーヤ)として大乗仏教に組み込まれただけであり、古代キリスト教においてもそのミスラ神の影響の教えが組み込まれたがあります。

        日本におけるオーム真理教の開祖【麻原彰晃(本名・松本智津夫)】は自分の前世は【仏陀(お釈迦様)】だと自称し、その弟子の【上祐史浩】を自分の弟子であった弥勒菩薩(マイトレーヤ)に仕立て上げて大事件を起こしたのですが、元々お釈迦様の弟子に弥勒菩薩(マイトレーヤ)等は最初から存在していないと知っていたならば、あんな悲惨な事件は起きなかったかも知れません。無知と呼ばれることが起こした災いです。

         

        そこに、【マイトレーヤ】が【キリスト】説は起きます

         

        その意味で、みろく神とは【反イエス】とは成るのです

         

        大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語に【6・6・6】で【みろく大神】と発表されました。それはキリスト教では【反イエス(反キリスト)たる悪魔の印】と言われている数字のことぐらいは理解されていたでしょう。ですが、ヨハネの黙示録にある【666】は一人歩きしているようなことではあるのです。元々ヨハネの黙示録は【六百六十六人】と言っているのであって意味が違っています。

        しかしながら、一度【反イエス(反キリスト)】としてキリスト教徒の中で【666】は悪魔の数字として動き出した以上、日本のキリスト教の牧師などは【666】は【悪魔の印】で【反イエス(反キリスト)】だと公言しておられます。 元々キリスト教徒は【イエス】が【キリスト】であるという大過ちの大前提から出発していますので、そうしたことも起きるなのです。

         

        ナザレのイエスが生きていた頃、その当時の信徒数は最大に見積もっても1万人という学説があります。その当時はキリスト教と言う名前でもなく、ユダヤ教の一部のナザレ派に過ぎなかったのです。別にイエスをキリストとして全ユダヤ教徒が仰いでいたではないのです。

        ローマ皇帝であった【コンスタンティヌス一世】がキリスト教を信仰したことから、ローマ帝国の国教と定められて世界宗教への道に入ったなのです。その名残がローマ市の中の【バチカン】です。ローマ帝国が創り上げたキリストだからです。するとどうしてイスラエルではなく、【ローマ】だとなります。イエスはユダヤ教徒達の神ではなくて、ローマ人達の神と成った。それまでのイエスの教えとは世界的にはローカル宗教だったと言えます。

        キリストという言葉は、ユダヤ教における【メシヤ】をギリシャ語で読んだ【クリストス】から来ているのであって、ユダヤ教ではイエスを今日迄【メシヤ】と認めたことは一度もないのです。ユダヤ教徒でも無いローマ人達が創り上げたキリスト像なのです。そこにヨーロッパのキリスト教徒によるユダヤ教徒の大迫害も起きたなのです。

         

        私の二番目の師匠など、世にイエスとして現出して来てる霊は本当の【イエス】霊ではなく、【コンスタンティヌス一世】の霊がイエスの振りをして現れているとまで言っていました。霊とはどのように化けることも出来ますし、キリスト教を世界宗教に成し遂げたのは【イエス】では無くて【コンスタンティヌス一世】であると言えばその通りなのです。為にイエス霊として出て来ても別に不思議ではないなのです。

        優秀な霊能者はその人物の魂を【次元格】で霊査しています。すると、イエスは以外と低い段階だと解って来ます。日本の霊能者でイエスを救世主だと思っているのはキリスト教系の方だけでしょう。お釈迦様の段階を超えてはいないなのです。それではとても【メシヤ】とは言えません。後発のマホメットがイエスは尊敬されるべき【預言者】と言ったのも、事実を事実として言っただけなのです。

        霊能力者はその魂の格を調べる時、【次元界】を使います。それとは別に識界レベルと呼ばれる判断では、創造神を第十識界とするとお釈迦様は第七識界。イエスは第五識界と言われています。弘法大師やマホメット(ムハンマド)は第四識界とされますので、イエスはマホメットよりも上の段階ではあるにはあるなのです。

        私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から識界レベルではなくて、【年級】とい名で魂の段階分けを伝えられましたが、ナザレのイエスはマホメットや弘法大師よりは少し上の段階とのことでした。だが、お釈迦様だけは何故か聞かされていないなのです。お釈迦様が開かれた仏教の教えとイエスの教えを比較すれば、ある意味段違いだと解ることではあるのです。イエスは悟っていないからです。

         

        イエスは良いことは説いてはいますが、どの教えも説明足らず、言葉足らずと言えます。それは、お釈迦様の十大弟子は魂的にも非常に優れた方達だったのですが、イエスの弟子達はお釈迦様の弟子であった方達の魂と比較するとかなり低いなのです。また仏教界からはお釈迦様以外にも傑出した魂の方達が出ています。為に仏教の教えとイエスの教えではかなり違います。キリスト教は真理にはほど遠いと言えます。しかし、キリスト教の教えであるイエス一人だけを神の御子と信じれば天国に行けるのだとなると、人は誰しも安易な教えを取りますし信じます。

        今のこの世の自分の苦しみが救われる。それに賭けるなのです。それは日本における【南無妙法蓮華経】と唱えていれば救われるという考え方と同じなのです。キリスト教には【カルマ(業)】とか【輪廻転生】の説明がほとんどなされていません。イエス一人だけが神の子だと信じれば、個々のカルマ(業)の存在を説く必要もなければ、永遠の天国に行けると信じるのですから【輪廻転生】の教えすら必要ないとなります。しかし、いくらイエス一人だけが神の御子だと信じても天国の門など開かないとなります。大予言者であった大本教の出口王仁三聖師の【地獄を覗けば僧侶や牧師で一杯だ!】になったなのです。

         

        また、お釈迦様は【奇跡的】なことはなされなかったのですが、イエスは【奇跡】を見せました。それは無知なる者を導くには最適な方法ではあるのです。インドの聖者と呼ばれた【サイババ】も然りです。サイババがテレビカメラの前でメイドイン・ジャパンのセイコ−社の刻印が入った腕時計を霊界からの贈り物として出した時、この人は本物では無いと簡単に判断は出来ました。だが、サイババを聖者と信じる人達はそれが霊界からの贈りもので、メイドイン・ジャパンのセイコー社の腕時計とは見破れないわけです。ただただ霊界からの贈り物だと信じてありがたがるなのです。

        私は伏見稲荷山で数々の【奇跡】を見て来ましたので、【奇跡】を見せたからそれは【正神】だと言う考えには成り立ちません。イエスが見せた奇跡にはパンを降らしたとか水上を歩いたがありますが、規模的に大きいだけで小さな奇跡であれば【伏見稲荷山神界】でも見る事は出来るのです。他所から物質を移動させることで降らすお菓子やチョコレート。瞬間物質移動です。人が空中に浮く。病人を治す等です。私の最初の師匠などはそうした数々の奇跡を出していました。

         

        大奇跡の数々の背後には必ず【龍神】がある

         

        イエスも、その背後に何等かの龍神が存在した

         

        お釈迦様は【奇跡】を見せようとされなかったのは、龍神と呼ばれる存在を使わなかったからと言えるでしょう。イエスは逆に龍神の力を利用して【奇跡】で人々を魅了した。そこの違いなのです。ですからキリスト教には【真理】が無いと言えます。

         

        奇跡力に惑わされると【真理】が遠くなる

         

        お釈迦様は【奇跡】でなく【奇魂】の働き

         

        モーゼの【奇跡】として知られるエジプトからユダヤ人達を連れて逃げる時、紅海を真二つに割って出来た道を通ったとされますが、現代科学では絶対にあり得ない事柄から単に神話だと言われるでしょうが、私が見させられた霊的映像では800万体位〜2千万体位と推察される巨大龍神が柱の壁となり紅海の海水を堰き止めて出来た海の中の道の映像でした。だが、その道を通るユダヤ人達にはその巨大龍神達の姿は見えていなかった霊的映像です。霊的な映像ですから【証拠】には成りませんが、あり得たかです。

        モーゼは【牛頭】の人であったと言われており。お釈迦様の祇園精舎の守護神【牛頭天王】とも重なることから、モーゼが仕えた神は【国常立尊】ではないかとも言われて来ました。大本教霊界物語ではモーゼは【天道別命】の名で国常立尊の御子の一人であるとしています。魂的にはイエスより格下の方ではありません。

        お釈迦様の仏教の聖地【祇園精舎】の守護神が【牛頭天王】であったことからすると、原始仏教の背後も【国常立尊】であった事実が浮かび上がるなのです。

         

        聖書に【龍神】とは【霊界で年老いた大蛇霊】とあります

         

        私は霊界修業の中では黒龍神達に【おとなしくしていないと殺すぞ】と恫喝されて来ました。スピリチュアル標榜者の方達の中には自分の【光の剣】で龍神程度ならばぶつ切りにしてしまうと言われる方達もあります。私はそうした霊剣を持たないので、黒龍神の攻撃からは逃げ回っている様な者です。例え個人として霊剣をもっても、あまりにもその数が多すぎて個人で戦えるようなことではないのです。やがてこれは【神界戦争】に発展すると読んでいます。

        大本教の出口王仁三郎聖師は世に龍神と呼ばれるものの大半は大蛇霊であるが、違う龍神もあると残しておられます。私はそうした大蛇霊から成った龍神ではなく、自然界を動かしているところの【龍神】を幻視して来ています。台風とか大地震の元です。私達にとっては自然のエネルギーとしか見えないのですが、それが【龍】の姿として見えるなのです。つまり【龍】とは【エネルギーの霊姿】なのです。

         

        そこで私は【龍神】とは【流神】と説いて来ました

         

        私は魂は【玉思惟】とか、龍神は【流神】とか述べて来ているのですが、そうした言葉の解説は【幻視】などによるのです。どの宗教書にもそうしたことは書かれていません。

        日本語は【神の言葉】であり。その日本語による霊的世界の見聞を裏打ちして説明しているのです。【ミカエル】という言葉ですら、私が体験したヴェーダ典の【人の中に眠るコブラ蛇(眼鏡蛇)が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める。】から【巳(蛇)帰る】の意味だと理解出来たのです。私の日本語による言葉の解読は、自分が霊界に関わって解ったことなのです。

         

        私は単なる宗教書や文献を見て、神の世界を説いている者ではありません。私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはその仕組を見せる。】と言われて来たことから、この日本に満ちあふれている【言葉の仕組】を見ているのです。

         

        私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫が【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じであり、貴方の言葉の教えに従えないと言う神は如何なる神で有ろうとも天帝に対する反逆罪として処罰されます。】と告げられたことに繋がっているのです。

        私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。その声は【そなたが教えを間違えたならば、そなたの責任にはあらず。この私の仕組が悪かったのである。】と告げられたのですが、言葉は創造神の仕組と言えます。

         

         

        出口王仁三郎聖師が告げた【666のみろく大神】とは、

        キリスト教のイエスは【メシヤ】では無いことを告げた

         

        真の【メシヤ】は弥勒菩薩(マイトレーヤ)なのですが

         

        それは大本教神諭予告の【九つ花の三六九】で示される

         

         

         

         

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        五輪(地・水・火・風・空)終を起こす自然神。人の身たる者を創造神と仰いではいけない

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          西暦2018年9月9日の私のブログに【御臨終と五輪(地水火風空)終。されど、誠の力が世を救う】を出しました。私は予言者ではありませんが、五輪(地水火風空)の働きが終わるとは解っておりました。同じ五輪の言葉から東京オリンピックの開催も不可能だろうと読んでいました。

          しかし、東京オリンピックの開催が出来ない理由は【新型コロナウィルス】が起因して来るなどは、さすがに読み切れませんでした。世界中で新型コロナウィルスが猛威を振るっており、東京オリンピックが開催出来ないのは誰が考えても解ることです。日本で新型コロナウィルス騒動が落ち着いても世界で猛威を振るっているので、オリンピックの開催など不可能なのです。

          その新型コロナの猛威は、私の本年度の西暦2020年1月16日のブログ記事の【地獄の釜の蓋開けか?。地獄の鬼達が「ビーシア(陛下)」と言いながら散らばった】の一つに過ぎないなのです。言うなれば【パンドラの箱】が開いたなのです。例え新型コロナウィルスのワクチンが開発されても次の新しい【菌】が出て来ます。もうあらゆる災いの種が世に出たのです。

          大本教神諭には【地獄の釜の蓋開け】は予告されておりましたが、なかなか「パンドラの箱」に結び付きにくい事柄ではあったのです。パンドラの箱に関しては、私が知る霊能力者は【災いを封じた箱】の意味と理解されております。その語源がどうのこうのではなくて、要は【災いを閉じ込めていた容器】の意味合いです。それらは【地獄界】に封じられていたなのです。

           

          御臨終と五輪終は別物で漢字が違うと言われる方達はあるでしょう。大本教における【平かな(出口なお開祖)】と【漢字(出口王仁三聖)】の争いにおいては、【言葉の仕組】が秘められていたのです。漢字を一度平かなに戻して違う漢字を振る事で意味が解るのです。言霊的には同じ発音をしているなのです。

           

           

          コロナよりも恐ろしいのは五輪(地水火風空)の崩れ

           

          御臨終と五輪終は同じ【言葉の仕組】として働く

           

          地の崩れは【大地震】を起こし。水の崩れは【大洪水】を起こし。火の崩れは【火山噴火等】を起こし。風の崩れは【台風・竜巻等】を起こして来ます。そして空(天)の崩れは【想像すら出来ない】事態を起こして来ます。

          一部の予言者は、ヨーロッパ諸国の上には火の雨が降ると言っておられますが、これは月の表面の地の崩れによる隕石たる【火球】で降り注いで来ることで、仏典には終わりには【火の雨】が降るが残されているのですが、それがヨーロッパ諸国に降り注ぐ霊的映像による予言と推察されます。キリスト教徒が積んだカルマは非常に重たく。キリスト教にはカルマを解消する為の教えが存在していないのです。イエス一人に頼っていれば天国に渡れると言う、バカな教えに従ったからです。

           

          その時、人々はあまりの恐怖に【ワナワナと震えて】、悔い改める人もあるかも知れません。今のキリスト教徒は【本当の神の恐ろしさ】を何一つ理解していないと言えます。

           

          私は希ですが霊能者の方から貴方は【救世主】様ですかという問いを受けますが、私は救世主ではありませんと申し上げています。

          その理由は、

          人の肉体を持つ者に全人類を救う等の力はない

           

          人の身では、太陽も月も星も生み出せない

           

          世間では、一人一人が創造神だと言い張って止まない人達が居られます。では、貴方に太陽や月が創れるのですかと問うても、何一つ解ろうとはしないなのです。 日本では、【風の神】【水の神】【火の神】。そうした【自然的存在を神】と崇めて神社に祀りました。それはある意味、【正しい姿勢】だったのです。ただ自然神は自然を汚すと、そのしっぺ返しが人類に来るのです。善悪の問題ではありません。自然を汚したかどうかです。

          しかし、この日本では過去に天皇であった方を神として祀ったり。過去が人であった「菅原道真公」を天神として祀ったりがあります。それは西洋における「イエス」信仰と同じことです。本当の創造神を天神として拝しているではないのです。

          大本教の出口王仁三郎聖師は、【自分はイエスと比べて何ら劣っていない】と言われましたが、有能な霊能者筋からは、ほぼイエスと同格の魂であったと言われています。大本教の出口王仁三郎聖師は一時は自分は【救世主】だとの看板も掲げられましたが、その看板を下ろして【聖師】という名乗りをされたのです。いくら大予言が出来たとしても、出口王仁三郎聖師に天地を創造するだけの力はどこにも無かったからです。

           

          人は神に似せられた者で神に成れますが、創造神には成れません。

          創造神は地球という星に人類が住める様に

           

          太陽や月や水や火や空気を与えて来られた

           

          だが、人類はその地球の【環境】を汚してしまったのです。もう、この地球はその【環境】を取り戻すことが出来ない段階に入ってしまったなのです。創造神の力をもってしても、復旧が可能な限界点を超えてしまったのです。

          これから先、自然の災害の【猛威】は更に強まり、人類を襲って来ます。それを神社や仏閣に鎮まる神仏に沈静の祈願をいくら願っても、

           

          神社や仏閣も自然の猛威の前に屈して崩壊する

           

          多くの人が神仏に願っているのは、【自分が幸せでありますように】。そこから抜け切れていないからです。

           

          そんな地球環境で人類を助けられる救世主など無いのです。

          つまり、地球環境の【御臨終】なのです

           

          では、世紀の大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は【誠の力が世を救う】と言う予言をされたのか?。それはこの宇宙の成り立ちにおいて、想像神(創造神)の【息吹(言葉)】があったからです。そこで大本教からは、宇宙を清める意味の言霊【アオウエイ】の五音を説いて出しましたが、その言霊を出す人の数など世界の人類から見れば微々たる数に過ぎなかったなのです。少し以前には【アオウエイ】を説いてる人達は少数ありましたが、今では見られません。

          自分には宇宙人が降りて来るなどの爬虫類宇宙人と繋がっている人が多くなり、スピリチュアルで暴れまくっているからです。大本教からイエスの魂とほぼ同格とされる魂を持った出口王仁三郎聖師を出しても、神とは人間を助ける者とか。自分に御利益を授ける者。そうしか感覚しか持たない人達ばかりの世の中では、力折れて矢も尽きるだったのでしょう。

           

          私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていたのですが、【そなたには、最後の最後の時までは何の神力も与えない。】で、来ました。何の神力も持たない者は、神霊世界では本当に何の役にも立ちません。そこに困っている人がいても、神の力では救うことが出来ないのです。溺れている人が流されて行くを見ていても、助ける手段を持たないなのです。

           

          しかし、言葉の仕組で成るの【誠】には行き着いたのです。その時、私にとっては大本教基本宣伝歌にある【朝日は照るとも曇るとも、月は盈(み)つとも虧(かくる)とも、たとえ大地は沈むとも、曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも、誠の力は世を救う。】の一文が心に残ったしだいです。

          これだけ【言成る(誠)の仕組】が出来る神がおられるのならば、その神(牛虎金神・国常立尊)を信ずれば何も案ずる必要は無いなのです。鬼と云う【魂】の御祖神。

           

          この世に何が起きようとも、万物の創造神は存在されており、何も恐れることは無いのです。この日本ではその創造神を【国常立尊】様とお呼びしています。日本の国祖大神でもあられる。天においては【天之御中主】。日本人はその神を信じて行けばよいなのです。

           

           

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          霊学21 みろくの世は【松の世】とは?。【松】に秘められた意味は?

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            予言教団たる大本教から立替後の世は、【みろくの世】で【松の世】と宣伝されました。その中で【松】の世とは、この世の【末(まつ)】からの「まつ」の言葉に掛けられた意味だとは言われて来ました。確かに、みろくの世とは【八の世】で【末広がり】を意味したものです。それならば、【末(すえ)】から【松(まつ)】にした意味が解けないとなります。

             

            私は子供の頃は【旧約聖書の神】と称する声を聞いていました。その「旧約聖書の神」と称する声は、私に【松の根本】の話をしてくれたのです。

            【今、海岸に風雪に耐えて見事な枝振りと木肌の荒々しい「松」の大木があるとしょう。人々はその松の大木を見て、風雪に耐えた枝振りや木肌の荒々しさを誉め称えるであろう。見事な「松」だと。だが、誰もその「松」の根を見ようとはしないであろう。例えそれがそなた一人であったとしてもかまわない。私はそなたには枝葉や木肌の見事さではなく「松」の根を見る者となって欲しい。】と告げられたのです。

             

            【松の根】を見る者とは、【公】の心で根を張る

             

            今の世は、あまりにも【私】が根を張っている

             

            私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、幾度も幾度も【どんなに辛くても刹那心に溺れてはいけない。刹那心に走ると自分の魂を腐らせてしまう。】と教えられて来ました。【刹那】とは仏教用語で【短い時】を意味した言葉ですが、刹那主義(過去や将来を考えず、ただ今の瞬間だけが良ければそれで良いとする)】意味です。

             

            僅かな時の為に自己の魂を殺すのが【刹那】

             

            私は魂の【輪廻転生】を説いてはいますが、全ての魂が【輪廻転生】をするのではなくて、【腐った魂】や【捻れ曲がった魂】を見て来ました。そうした魂には次の世にも人としての【来世】はありません。【今生】を持って人としての姿の命は終わるのです。しかし、それで魂の【命】を失ったではないのです。

            いったいどのくらいの魂が次の世にも人として【輪廻転生】をして来ているのか?。霊能者の方達に聞き回ったのですが、はっきりした数字を言われる方はありませんでした。世に出ておられる神々ですら、よく解らないなのです。ただ、魂が腐って「みみず」に転生する魂。捻れ曲がって破砕されてしまう魂。そうした魂は霊能者たる人は往々に見られているなのです。

            人として【この世にあった魂】が破砕されて、昆虫の様な存在になっても【命】ある物であることは確かですし、魂が【腐って】ミミズの様な生命体になっても【命】がある物なのです。仏教では【万物に霊性(命)が宿る】と説きます。すなわち仏教で【輪廻転生】として説かれている範囲は非常に広いなのです。人間が人間として生まれ代わるだけが【転生】ではないのです。私も「牛」として出された時もあるなのです。

            牛頭の侍姿の霊を見た時、自分でもびっくりしました。その時、私の側に居た霊媒者もその牛頭の侍姿の霊を見ていましたが、私自身が牛(宇志)として「転生」していた時もあるなのです。

             

            そこに、人は人の姿の時に神上がりをする

             

            日本人は仏教で説かれる【輪廻転生】の「輪廻」は、また人としてこの世に出して貰えることだと思っていますが、【転生】の本質はほとんど理解されていません。【転生】の世界があるから、神社に鎮座している神霊も【蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊】等に身変わっているなのです。

             

            刹那の【刹】は【殺と刀】。自分の魂を殺す意味

             

            刹那(短い時間)で、永遠の命の魂を殺してしまう

             

            私達は刹那心(僅かな短い時間の中で、今が良ければそれで良い)に襲われた時、魂の【原理原則】から遠い行動をしてしまいます。

             

            スピリチュアルを標榜する人達の論を聞いていますと、【神の愛で何をしても赦されるのです。】が定番ですが、こうした論が【破綻した論】であることを見破らないと行けません。何をしても神の愛で赦されるのであれば、そもそも【地獄】界は存在して来ません。だが、実際に【地獄界】は存在しています。

            私がスピリチュアル標榜者に聞きたいことは、【貴方たちは、地獄界を見たことがあるのですか?。仏教で説かれている地獄とは違うのです。もしも地獄界の一部でも見ていればそんな論は出せないでしょう。】なのです。

            スピリチュアルでは、自分には天使長ミカエルや大天使カブリエルが降りて来ると言う方達が大多数ですが、それらの霊は【地獄】の存在をキチンと説明して来ましたか?。キリスト教徒でも無い者に、イエス一人だけを神の御子と信じない者は地獄だ!。そんなことを語る様な霊が天使長ミカエルとか大天使カブリエルと称していても、言うことは【愛】の言葉しか出せないでしょう。その中味はまったく意味が無い愛と言えます。

             

            魂(玉思惟)は【円い玉】であり、玉である以上は【核】や【心棒】が存在しているはずです。そうしたことを一言も語らない連中です。そんな者達が言うところの【愛】では、天国の門など絶対に開かないなのです。無論、僧侶の御経一つで【極楽往生】もあり得ないのです。霊能者と呼ばれている人達の中には、この世の霊界でさ迷っている【不浄仏霊】をキチンと霊界に渡すはされていますが、それは天国界にではなくて【中有界】に送ってあげているだけです。中有界であれば、また人として出て来られるからです。

             

            一部の超能力者や霊能者は、最後の審判は各自の良心神の点数で判断されると明言しています。だが、スピリチュアル標榜者に【良心神】を説いても、絶対に理解しようとしません。出来ないのです。それは【良心神】とは、単に【良い心】の事だと思っているからです。単に【良い心】であれば、それは【愛】の中に包括されるという大勘違いから抜け切れません。良心神は愛に包括されるのではなくて、良心と呼ばれる存在の中に【正しい愛】だけが包括されているなのです。

             

            確かに、良心と言われると【愛】でこと足りるという勘違いが生じます。

            良心の働きとは、【松】の【公の心】

             

            公なので、【正義・公平・平等・犠牲・誠】が働く

            そうした働き全体を【良心神】と呼ぶのです。

             

            愛は【私】の立場で、【公】とはかけ離れるのです。【ム】一字で「わたくし」と言います。すなわち【私】も【公】も【ム(わたくし)】であるのですが、【宇宙を広げる公】なのか、どこまでも自分たる【私本位】であるのかです。

             

            宇宙の【公】の心を【窓(真戸)】と言います

             

            通常【窓】の上辺は【穴】と解釈されています。では、何故に「窓」の下辺が【心】の漢字なのか?。漢字学者ですら意味が解っていないでしょう。 また、【穴】の字は【宇宙をひらく(八)】であり、【八】には二つに別ける意があるのです。

            私達日本人は「無頼漢・ごろつき・やくざ・悪いことばかりしている」者に対して【ならず者】と言う言葉を使います。その漢字は【破落戸】と書きます。当て字ではありません。ならず者にいくら漢字を振っても【破落戸】はならないでしょう。どうして当て字でも書けないような漢字が今も残っているのかです。

            私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国である。この私の教えを知るのに、宗教書の必要が無い。】と告げられましたが、全て日本語と言う言葉の仕組の中に、創造神の教えは秘められているからです。

             

            ならず者(破落戸)には、【戸】が無い

             

            ならず者(破落戸)に【宇宙の公の心が無い】

             

            何故に日本神話には【天の岩戸】開けなどという誰が考えても変だと思う内容が残されているのか?。旧約聖書の神と称する声は、私に【それらは全て最後の審判の時の為である。】と告げられたのです。【岩戸】開けには、日月神示で【(イ)八(ハ)十(ト)】と示されたように、【一八十度】ひっくり返す意味もありますし、大本教で出された神霊の位を【一八十】の段階に貼り付ける意味もあるでしょう。

             

            大本教からは、【この仕組には三千年の月日が掛かった。】とありますが、三千年もの月日とはお釈迦様やモーゼやイエスの登場のみならず、最終的にこの日本で言葉の意味を解読させる為の時間でもあったも考えられるわけです。そこに、【スの神】論を携えた大本教と呼ばれる宗教が起きたなのです。

             

            魂に【戸】があることで、魂を殺す様な光も防げる

             

            最後の審判とは【火の審判】と呼ばれていますが、この「火」とは【光】のことです。ただ、人々が毎日拝している太陽光の様な光ではないのです。スピリチュアルで太陽を写真に撮って写る様な光のことではないのです。それこそ魂を焼く純光のことです。その光を防ぐ【戸】が魂に無ければ、その光から逃げる為に大地の中の【地獄】へと逃げ込むしか道がないのです。自然に天国界に向かう人と、地獄界に向かうの人の二方向となるなのです。

             

            スピリチュアルでは、この世は【魂の修学場。カルマの解消場】。そうしたことは僅かな人を除いて、まったく理解しておられず。【神の愛で何をしても赦されます。】とか、【何をしてもいいのです。】などの【我れよし】の教えが花盛りです。当然に、そこには【公の心】などは何も無いのです。【松の心】が無いのです。

             

            公に心の漢字は【忩】で存在しますが、ほぼ使われていません。 代わりに【総(糸と忩)】で意味が解るでしょう。

            忩の糸(意図)は、【すべて(総て)】に

             

            総ての【公の心(良心神)】を、最後の判定点とする

             

            なお【忄と公】の組み合わせの漢字がありますが、これは【おどろく】なのです。公の忄(心)は驚く(宇真を敬う)べきことなのです。

             

            最後の審判時の【良心神】の点数とは

            貴方の魂の中の【公の心】の割合なのです

             

            そこにみろくの世は【松の世】とするのです

             

            大本教神諭で一貫して、【我れさえ良ければそれで良い。】が批判されていたのもその為です。【我れよし】とは、【公の心】と正反対に立つからです。

             

            いくら自分は霊が見えるとか西洋の天使が出て来たと言ったところで、低級霊達の化け姿。そうした者が千人居ても、本物と呼べる者は一人しか出ないとされるのが霊的世界です。まさか、日本にはこんな仕組がしてあったのかと、おどろく様な霊ならば未だ可愛げがあるなのです。

             

             

             

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            霊学20 神の存在を信じなくてもよい。神から信じて貰える人に成りなさいの論

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              宗教界の分野で、神の存在を信じなくてもいい。神から信じて貰える人になりなさい。と説かれた宗教人がおらます。もう亡くなられたようですが、実に正しい論なのです。ただ、この宗教家の方は【世の立替論者】であった方で、それが前提にあったと考えられます。

               

              今日迄のほとんどの宗教では、【我が宗派の教えを信じる者は天国で、異教徒は地獄に落ちる。】です。そうした教えの為に宗教と宗教とが【いがみあい(啀み合い)】。宗教戦争から国家間戦争まで勃発させて来ました。

              キリスト教徒とイスラム教徒の戦い。イスラム教徒とユダヤ教徒の戦い。キリスト教の中でも新教と旧教の戦争。イスラム教の中でもシーア派とスンニ派の戦い。世界の宗教の歴史を振り返るならば、

               

              宗教は神の名を称えながら、戦争の元凶となった

               

              世界最大のキリスト教は【イエス一人だけを神の御子】と仰いでいるのですが、カトリック派とプロテスタント派との戦いがあり、別の宗教と言えるほど宗教観は違います。キリスト教と言っても約1000派あると言われていました。それぞれの派は【イエス一人を神の御子】として仰ぎ新約聖書を聖典としても、その【解釈】はまったく違うなのです。その派を創った開祖の教えが絶対なのです。それは日本における仏教にしても、宗派宗派でその教えが違うのと同じです。

               

              今日迄の宗教は、異教徒を邪神とか悪魔と扱った

               

              真理は幾つも幾つもあるではありません。真理とは一つに集約されたものであらねばならないのです。ところが世界の宗教の教えはバラバラで、どれが正しいのか?。さっぱり解らないがあるのです。

              そうした中で宗教の教えによる神様、神様と拝んでいるだけでは天国の門は開きません。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から次のようなことを言われました。

               

              この世は魂の修学場、この世で何を学んだかが問われる

               

              新約聖書には天国門に関して、【叩けよ、さらば開かれん】とあります。為に、この言葉から【神を信じる者・求める者】は誰でも天国に救われると言う勘違いが生じたのであろうと考えられます。叩けば天国の門が開くのであれば、天国は悪から改心しない悪人も入れるとなります。だとすれば天国は悪人だらけともなります。そんな世界が天国であるはずがないのです。そうなりますと、どうしても【イエス一人だけが神の御子】でイエスを信じる者だけがという特定論に入ってしまいます。

              これなども【魂】論がまったく理解されていないことから起きたと言わざる得ません。イエスは40日間荒野を彷徨って悪魔を退けて、【41】日目に神の御子に成られた。これは神界の【型】と言えます。

              イエス一人だけでなく、誰もが「40」の間は荒野の彷徨いであり、悪魔を退ける【41】にて、神の子となるなのです。でも、それだけでは誰もその意味が解らない。解った人など一人も居ないでしょう。

               

              私は大本教神諭予告の【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】が解った時、この【41】は【良心】たる神を現していると解ったのです。お釈迦様の本当の悟りであったのが【人には良心と呼ばれる神が内在している。】だったことの裏打ちがなされるわけです。しかも、九つ花は【56億7千万】の数字すら叩きだしてくるわけです。私はその【九つ花】から解ることを紐解いているのであって、自分はこう思う等の個々の人の思想や感情ではないのです。私は【言葉の仕組】を語っているのです。

              イエスもまた神の仕組の一つの【型】は演じたなのです。そこに私に出て来た霊示は、【イエスのパン(愛)の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツパンである。】と示されたわけです。

               

              パン(愛)の教えには、真ん中(核芯・神)が無い

               

              私は単なる【善】人では【天国門】を叩いても開かないことを知って愕然としました。どうして【善】だけでは天国に行けないのだろう?。そうしますと、その人は【神に対する信仰心が薄かったのか?。】となります。だが、当方の教えを信じれば天国に案内すると言う【宗教の信徒】達が天国に案内されるどころか【地獄とか亡者道に案内】されていることを知ると、今日迄の宗教は根本的に教えを間違っていたのではないかという疑念が生じました。

              無論、宗教が説く教えを信じて【天国界】に入られた方達もあります。ただ、それはその人が【この世で何かを学んで実践したかの結果。】に過ぎないなのです。キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、仏教徒であれ、信仰した宗派によるのではなく、この世で自分が実践した中味なのです。

               

              無信仰者と無神論者は別

              世には宗教の教えは信じないが、神の存在を信じる人はある

               

              宗教上の神は信じないが、自然を見て創造神の息吹を感じる 

               

              さて、【神の存在を信じなくてもよい。神から信じて貰える人に成りなさい】と説かれた宗教人は何を語られたかです。 

               

              みろくの世とは【御一新】された世のことです

               

              今の世のシステムのままに立替がなされるではありません。まったく新しい世界の構築です。その時に誰が必要かです。信仰上の神霊を、神様、神様と拝んでいる人達のことではないのです。

               

              創造神から見て、この者は新しい世に絶対に必要な人材

               

              すなわち【誠】の者を登用するで、神信仰云々ではない

               

              大本教神諭に世の立替時(最後の審判時)には、魂を上・中・下の三段に分けて、下の世界から上の世界に行く者。上の世界から下の世界に行く者など大混雑するから神も人民のことをかまってはおられないというような内容があったかと思います。この三段とは五次元、六次元、七次元の【五六七】のことであり、七次元界の神霊であってもその神の座を剥奪して、五次元界に落とされるなどの大改革になるのです。宇宙規模の事柄です。

              そこに大本教神諭は、そんなことならばどうして早くから教えてくれなかったのかの苦情を聞きたくないから早くから宣伝するとあります。世の立替、世の立替と宣伝ばかりで、何時まで経っても「立替」が実施されないではないかの批判はありますが、後で【苦情】を言うなよの為に宣伝ばかりがあるなのです。

               

              悪人の改心ほど、素晴らしきものは無い

               

              と言いますが、実行力と言う面からすると単なる善人は弱い。悪をすることを恐れて何もしない。行動しない。逆に神すら恐れぬ悪党ほど実行力があると言えます。日月神示には、【悪も抱きまいらせそうろう。】とありますが、日月神示等を読んでいても創造神は何故に悪を許し来られたか?。さっぱり意味が理解出来ないでしょう。

               

              そこには創造神は悪も許し、改心を迫る

               

              使える人材は、それなりに悪に染まっている

               

              もし、貴方がみろく世の【大帝】であるとしたならば、自分に神様。神様。と言って来る人達に絶対的信頼を置きますか?。なのです。

              私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたが本当は何者か神々にも解らないようにしておく。無論、そなたも自分が誰であるかを知らない。そうであっても、そなたが誰でであるかが解らない様な神は、この神からすると使い物にはならない神である。もし、そなたの本当の身分を明かせば、新しい世に自分の立身出世をしたい者がそなたの周囲に集まる。自分の栄達を願うからである。そなたはあまりにもお人好しで、そうした者達の魂胆がまるで解らない。自分が利用されてしまうだけで終わる。そなたが誰か解らない時、社会の底辺に居る時にこそ、そなたの周囲に集まる者でなければならない。】と告げられたのです。

              私は自分のことをぼろくそに言う人に対して何の腹も立ちません。私を見て私の背後には国常立尊様が居られるという霊能者の方もあれば、自分より遙かに劣った魂だと言われる方達があってもいいなのです。自分の意見を押し通したいのであれば押し通されたらいいと言っています。同じ物を見ても、私が受け取る事柄とその人が受け取る事柄は違うからです。

               

              神霊世界とは【一を聞いて十を知る】者で無いと、ある意味理解が出来ないのです。神霊はあれやこれやと詳細は語られないのです。そこに【一を聞いて十を知れ】があるのです。ところが、大本教神諭に【十を教えても一も解らない者】とあるように、現実にはそちらが圧倒的に多いのです。一を聞いて十を知る者と、十を聞いて一が解っても、そこには百倍からの違いが生じるのです。

              自分に対して【おべっかい】ばかりを言うような者を気に入って置いてはいけないということです。そんな人達ばかりを自分の周囲に置くような【大帝】であれば、そんな世界は簡単に没落するでしょう。自分は偉い者だと、【ふんぞり返っている者ほど醜い者は居ない。】からです。

               

               

              今の世に出ている神々でも、自分の【代理人として欲しい人材】というものがあります。私は昭和五十五年に自分の身に起きた摩訶不思議な出来事から、神霊界に修業にはいりました。最初の師匠は豊受姫のお代で、当時の日本の霊能者の中ではトップ10に入ると言われていた実践派の行者でした。

              その師匠が私に豊受姫の言葉として、次のように言って来られたのです。【神界では、貴方を自分のお代として欲しいと言われる神様達の続出だそうです。あちらの神様。こちらの神様と出て来られたならば、神様達によって言う内容がまったく違い。貴方は誰の言葉を信じたらいいのか解らなくなります。それでは貴方の為にはなりません。そこで豊受姫は、自分が許可を出さない間はどの神様も貴方とは会話してはいけないと、神界に命令を発せられました。】と言われます。

              私が神霊世界の修業のお世話になった豊受姫でも、神様と呼ばれている存在ですら、【言う内容がまったく違う】と語って来られたのです。自称救世主とか創造神と称される霊能者を100人集めても、100人が100人とも自分だけが本物で有り、他の者は蛇霊や狐霊に騙されている罵る世界なのです。まったく【真実】が見えて来ないがあります。

               

              確かに、その当時の私は神々の姿は見ていても、どの神からも私に対する【会話】はありませんでした。特に【大黒天】はいろいろな神姿で私の前に出てこられるのですが、私に対しての何の会話もありませんでした。いったい何の為に自分の前に出て来られるのか?。意味が解りませんでしたが、後に出雲大社教の支部長を通じて私が出雲大社教に転じるならば、出雲の全神力を私に与えるとのことでした。

              私は国常立尊様に仕える者であり、伊勢神宮の神とか出雲の大国主様に仕える立場にはなり得ませんが、出雲大社に行ってみると偉そうにした神官を見て、まるでなっとらんと帰って来ました。そんな威張り腐ったような神官を自分の側においている神霊の気が知れぬです。

              そこに本当の神が働いているのであれば、神社に仕える【神官】の態度を戒めるのがそこに鎮座する神霊の役目です。それが出来ていなければ神霊とは言えぬだろうが私の持論です。最近神社本庁の腐ったスキャンダルが次々と世に出て来ていますが、神に仕える者が身を正していなければ、本当の神霊ならばそこに鎮座など出来ないのです。

               

              私は何の神力も要らない。神界の素浪人でよい 

               

              地位も名誉も要らない。【真理】を求めるのみ

               

              その後、豊受姫のお代であった師匠は私に言います。【貴方ほど「素直」な人は私は見たことがありません。だが、貴方は誰よりも「素直」であっても、神様の言葉だからと言って「素直」にその言葉を受け取られない。従われない。必ずその理由は何ですかと問い詰められる。それでは神様達は貴方の側に行きたくても行けない。】と言われます。

              それに対する私の返答は、【素直の意味は何でもハイハイではありません。それならばそれで結構。私の質問に答えられない様な神など私には必要が無い。】で、一刀両断で終わりました。

              その師匠自身、【貴方に教えが出来る神様はこの世には居ない。】とまで言っていたのに、諸々の神達に対して私が【それはおかしい。神たる貴方が間違っている。】と突っ込んで行くのですから、人助けに生きる行者の習いからすると、それでは貴方の為に働いてくれる御神霊が誰も居ない。それでは多くの大衆が私の元に集まらないと危惧されたのでしょう。

               

              私は宗教家に成る為にこの世に降ろされた者ではない

               

              私の別HPは【新・ノアの箱船】としてあるように、この地球から新しい地球に行く船の到着を待っているなのです。この地球からは【さようならば】と去って行くなのです。後は野となれ。山となれなのです。

               

              創造神が欲しい新しい【みろく世】の為に必要な人は

              自分の立身出世の欲の為に創造神に仕えるではなく

               

              何が正しいのか?。世の為に、人の為にと働ける人

               

              ですから、そうした【誠】の人ならば、神を信じる信じないに関係なく、そうした人達を新しい【みろく世】の幹部に抜擢される。そこに【神の存在を信じなくてもいい。神から信じて貰える人になりなさい】の教えも生まれ出るとなります。

               

               

               

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              霊学19 人は死後に誰でも行ける四次元界スピではなく。神や天人と成る道を目指す!

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                私は昭和五十五年。私の身に起きた摩訶不思議な出来事から最初の師匠の元に行ったところ、【貴方には能勢の妙見さま(北極星の神格化で天之御中主とされている)の御使者神が二体就いておられる。普通ではあり得ない。いったい貴方の家系と能勢の妙見様とは如何なる関わりがあるのでしょうか。一度家系を調べて下さい。】と告げられたのですが、家系を調べてもよく解りません。私の家系は祖父が養子で、祖母は嫁として来た人ですから、血筋としては絶えていた家です。

                ただ、私の前に坊主姿の方が幾度か立たれて、それは祖父が養子に入った家の御先祖霊であることは何となく解っていました。しかし、その御先祖霊が能勢の妙見様と如何なる関わりがあるのかは親戚に聞いても判明しませんでした。解ったのは本家の元屋敷には稲荷神を祀った祠があったぐらいのことで、祖父は別に神信仰などしていなかったぐらいです。

                それをその師匠に報告すると、この神社では解らない。伏見稲荷山で首座神である豊受様に直接お尋ねをするのでそれに同行しなさいで、翌年の正月に伏見稲荷大社講に所属する講員さん達と一緒に初めて伏見稲荷山に上がった次第です。

                私は子供の頃は旧約聖書の神と称する声から教えを聞いていましたが、両親も別に特に信仰心が篤いではありませんでした。葬式や法事の時だけお寺に行く程度です。

                 

                後日、出雲大社教の霊能者から、【貴方の家系の五代前の御先祖霊は、出雲大社の神に匹敵するだけの力があると告げられて、どうして五代前の御先祖霊が出雲大社の神に匹敵するのかと首を傾げていましたが、私の家の仏壇に【南無妙法蓮華経】の金文字と【日蓮、日蓮】と金文字が点滅して出て、何事かと最初の師匠の元を訪ねましたところ、私の家系の五代前の御先祖霊は日蓮聖人の【御分霊】で、私の前にどうして日蓮聖人がそのお弟子達と立たれるのか?。その理由が解ったしだいです。時には私の前に日蓮聖人が立たれ、時には家系の五代前の御先祖霊が入れ替わって立たれるだったのです。

                霊能力がある方が、貴方の背後にはお坊さんがおられる。日蓮聖人の様に思えるが、日蓮聖人ではない。だが、日蓮聖人と何となく似通っていると指摘を受けて来ましたが、日蓮聖人の御分霊だったからです。出雲大社教の霊能者が出雲大社の神に匹敵すると言ったのも、その五代前先祖霊の本体霊が日蓮聖人だったからと言えます。

                私の家の神棚に【閻魔大王】と【日蓮聖人】が並んで出て来られた時、日蓮聖人の【南無妙法蓮華経】のバックには【国常立尊(閻魔大王)】様が居られると解ったしだいなのです。妙見様とは、その日蓮聖人が深く関わっておられた。

                西洋においての【旧約聖書の神】。仏教において【南無妙法蓮華経】。大本教において【艮金神・国常立尊】。これらの仕組は【一柱の神によるもの】なのです。そして、【閻魔大王】もまた然りなのです。自分が信じる神の名や宗教で争うは違うということです。

                 

                 

                私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷山がこれほど大規模なものであるとは知りませんでした。伏見稲荷山では豊受姫として祀られている御塚はそれほど多くなく、下社の白菊姫として祀られている御塚に集中しているがあります。

                その師匠は伏見稲荷山の御膳谷に豊受・豊川と銘記した御塚を奉納しており、その御塚に参って私のことを御本社の豊受姫様から直に聞くでした。神社に鎮座されている豊受姫は御分霊で、本体神たる豊受姫ではないからです。私はそうしたことを見たのは初めてであったので要領が解らず。伏見稲荷講の支部講員さん達の後ろでその様を見ていました。

                その師匠は霊能者と言っても【霊媒者】で、神霊を直接に自分の肉体に降ろして講員さんが祀る神霊とを直接に会話させることが出来るタイプです。その師匠の元には数名の霊媒が出来る優秀な講員さんも居て、私はそうした霊媒者を通して霊的世界を学ぶことが出来ました。単に霊が見えるとか霊と会話が出来ると言う方は珍しくはないのですが、こうした神降ろしが出来る霊媒者は数が少なく、しかも優秀な霊媒者ともなると霊能者の間でも争奪戦が起きるほど、非常に数が少ないのです。

                優秀な霊媒者を見ていると、大本教で説かれた【人は霊(ヒ)止(ト)】という意味がよく解ります。人は霊魂に支配されているのです。ですから、死後は肉体から離れて霊界にと旅立つなのです。肉体の死とは、命の終わりではないのです。

                 

                命とは【息(い)の霊(ち)】の意味の言葉であり

                 

                自分の心(息)がある限り、霊は死なないなのです

                 

                その初めての伏見稲荷山で、豊受姫から【この者は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、神々に教えをするほどの存在。この者の言葉による教えは天帝の【詔】と同じであり、その教えが聞けぬと言う神は如何なる神であろうとも天帝に反逆した神と見做されて罰せられる。】と告げられのです。それが私が【言葉】とは何かを学ぶ切っ掛けとはなったのです。

                私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】を紐解いて説明して来ていますが、これは【真理】であり【ロゴス】なのです。天帝の詔(みことのり)なのです。これに従えないとなると、如何なる神も天帝に対する反逆罪と見做されるなのです。

                 

                そこでの一連の行事が終わった後、その師匠は私に【自分のところの講員の信仰はどうでしょうか?】と尋ねて来られたので、私は【どの講員さんも信仰熱心なのは良いのですが、その信仰は神様から何かをして貰おう信仰です。現世御利益を求める信仰です。そうではなくて、自分は神様に何をして差し上げるか。神の世界に尽くす信仰であらねばなりません。そうすれば神とも成れます。と言ったのです。

                その時、私自身、自分で自分は何を言っているのだなのですが、自分の意志とはかけ離れた言葉がボンボン出て来るだったのです。

                すると、その最初の師匠は驚いて、【人は神に成れるのですか?。】と聞き返されたので、私は【人は神にも成れます。ただ、自分が信仰している神を超える神に成ることは出来ません。】と言ったところ、その師匠は【さすが神その方が言われる言葉はまるで違う。】と感心して、来ていた講員さん達に対して、私のことを【○○さんは人の姿をしておられますが、神が人の姿を纏って出て来られた方であり、私達の様な人間ではなく、神その方です。決して粗相が無いようにして下さい。】と言われます。

                私は自分が【神その方とは何だ?。】と聞き返そうと思いましたが、何れ解ることだと聞きませんでした。その日を境として、私は講の新参者でありながら支部の講員さん達から【先生。先生。】と呼ばれてしまうことになりました。私自身、何も解らない者に先生は無いだろうと思いましたが、その頃は自分で意図していないのに言葉が勝手に出て来るがあったのです。その師匠から、これはどうでしょうかと聞かれると、それは無理ですとか、自分の意志で無い言葉が勝手に飛び出すだったのです。

                 

                伏見稲荷山とは【奇跡】的なことはゴロゴロしているのですが、稲荷信仰には【霊学】と呼ばれるものが存在していません。ある意味、頭打ちのところがあるのです。いくら御神霊を見ていても、結局自分が信仰する神霊に【隷属】してしまうです。

                そこで私は自分が生まれ育った綾部から発祥した【大本教霊学】を独学で学びに入りました。教科書は大本教の神諭と霊界物語です。その大本教神諭に、【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】と書かれており、私が伏見稲荷山でどうしてあんなことを言ったのか解らないままに、同じように【人は神に成れます。】と書いてあるのです。しかしながら、大本教神諭や霊界物語をいくら読んでも、詳細が書かれてはいないなのです。

                私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、この国(日本)は私の教えで満ちあふれた世界で唯一つの国である。この私の教えを学ぶのに、世界の宗教書を必要としない。】でした。聖書でも仏典でも無いと言われたのです。

                 

                そうした中で私は【言霊】とは何かを知った時、

                私がそれまで持っていた宗教観とか神観などは全て吹っ飛んだと言えます。

                 

                スピリチュアル標榜者の方の中には【四次元界スピリチュアル】と言われる方達があります。確かに、スピリチュアルとは四次元世界に関わっているなのです。スピリチュアルで関わる世界とは霊界では【中有界】と呼ばれる世界で大多数の霊が居る世界です。しかし、中有界とは【輪廻転生の巣窟】であり、その世界では【人は神には成れない。】なのです。蛇霊神や狐霊神の後塵は拝するなのです。

                霊能者として活動している方達が祀っている御神霊が狐霊神や蛇霊神であることは、この世界では優秀な霊能者ならば知っていることです。霊能者が蛇霊や狐霊に使われているです。そうした場合、そうした神霊をいくら拝んでいても、助けて貰ったり現世御利益を受けることは出来ますが、死後に行く界はその存在より下位の次元界となってしまうのです。

                私は初めて伏見稲荷山に上がって見聞をしている中で、蛇霊や狐霊は神とも成っているのに、【どうして人は神と成っていないのか?。これはどういうことか、人の魂は死後にどこに行ったのか?。と頭を悩ましていたのです。

                 

                蛇霊や狐霊でも神と成るが、それよりも下の界となる

                 

                私は初めて行った伏見稲荷山で、豊受姫のお代を勤めていたその師匠の元に居た霊媒者に豊川稲荷の大眷属霊が懸かり、講員さん達に向かって、【下郎。人間の分際で頭が高い。】と一喝して来た時には思わず吹き出してしまいましたが、下郎呼ばわりです。確かに次元的に言えばその通りなのです。白狐とはそもそもが次元的には神的な存在であり、人間などは下郎に等しいのです。

                いくら自分は人の身だ!。蛇霊や狐霊の様な畜生や爬虫類の部類では無いと言っていても、死後の霊界に入れば四次元世界で、既に神位を得ている白狐霊。それも大明神格とされるような白狐霊ならば五次元界以上にありますから、それこそ【下郎。人間の分際で頭が高い。】となります。

                人は神や天人に成る為にこの世に修学に来ているのに、それをすっかり忘れて【刹那(今が良ければそれで良い)心】で生きているからです。

                 

                今、人は死後に【天国界】に入る人は極端に減っています

                 

                少し前に私に降りた霊示では、今の世に【誠の者は万人に一人。綾部でも数名ぞ。】と出ましたが、この【誠の者】とは天国天人の世界でも五次元界ではなく、みろく世の【指導者】と成る六次元界とか七次元界に達した人の数と思われます。万人に一人、そんなところかも知れません。

                人類は新地球に移ると説く新地球論者の間では、以前は新地球に移行出来る人の割合は世界で1%程度と言われていましたが、最近では5%程度には膨れ上がっているとされています。世は既に立替の祓いたる【大嵐】の中に入って来ているのですが、それによって【自分の意識が変わって】、新しいみろく世に入れる人の数は更に増えて行くとは考えられます。人は災難に遭わないと、なかなかその意識を変えられないからです。

                 

                みろく世とは、スピでも五次元界以上と説くように

                 

                四次元スピリチュアルで知るとか学ぶ世界では無い

                 

                人は死ねば誰でも【四次元世界】には入ります。その四次元世界が【中有界】と呼ばれている世界になります。無論、四次元界には【中有界】だけでなく、【地獄界】と呼ばれる世界もありましたが、立替の関係上【地獄の釜の蓋】は開けられたのです。地獄に墜ちていた霊が【現世に関わり】始めたなのです。

                大本教神諭に、【一度この世は悪神の支配下に置く】とありますが、天変地異とか大地震とか噴火や台風の様な大災害だけでなく、【地獄の釜の蓋】が開いたことにより、これまで地獄界に閉じ込められていた悪霊が人に憑依して、犯罪を起こして来る。その災難に遭う側面が強くなって来ているのです。

                 

                最近、世に起きている現象を見ると、おかしな事件が多発して来ています。それらの加害者を見ると何かおかしい。何かに憑依されている節が見えます。もう既存の神に頼っても、そうした災いから免れるではありません。ただ、人には一人一人に【守護神】が就いています。その自己の【守護神】の力を強めるしかないのかも知れません。

                自分が生まれ出て来た家系の御先祖霊が【供養】もされておらず、地獄界に墜ちているとしたならば、いったい貴方を誰が本当に守護してくれるのですか?。そうした問題すら起きるのです。自分を産んでくれた肉体の親が供養もされずに墜ちているのに、自分には霊が見えます。神が見えます。順序が違っていないかです。まず、自分の家系の御先祖霊達をキチンと上げてあげる。それから自分が上がって行くなのです。

                 

                そうした時期に【四次元スピリチュアル】に走っていて、自分の身を守れるかとなります。

                 

                みろくの世とは【高次元霊界】であり、【天国天人】や【神】の世界であり、人は何の為にこの世に生まれ出て来たのかを理解するのであれば、誰でも死後には入る【中有界】のことを学んでいたのでは意味がないのです。これから来るのは【最後の審判】であり、【輪廻転生】の終了であることの理解が必要なのです。そして各所で宣伝された【嬉し嬉しの世】に入るなのです。

                 

                 

                 

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                霊学18 日本神話の天の岩戸開けと、旧約聖書の【割礼】との間に連動する共通項

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                  私が子供の頃、私に霊声が臨み。私はその声の主にどなた様ですかと尋ねたところ、その霊声は【私はアブラハムの神であり、旧約聖書の神であり、そなたの神である。】と告げられたのですが、なんでそんな神の声がユダヤ教徒でもキリスト教徒でも無い私に臨むのか?。自分でも意味が解らずにその霊声が私に教えることを聞いていました。

                  ただ、その当時私が住んでいた場所は周囲が大本教の神職さん達が多く住まわれている場所で、遊んでいる友達も大本教の神職さんの子供さん達。私の遊び場も大本教の神苑の中だったりしたのです。大本教のみろく殿の中を走り回り、罰として神殿の掃除を手伝って褒美に食堂でご飯をご馳走になったりで、艮金神国常立尊様のお膝元で遊んでいたとは言えます。ただ、子供の頃は大本教の神が如何なる神なのか?。そんなことすら何も知らなかったと言えます。

                   

                  だが、その霊声も中学生頃になると聞こえなくなり。私も神のことなどすっかり忘れて大人になったしだいです。だが昭和【五十五年】に私の身に起きた摩訶不思議な出来事に遭遇して、神霊世界に入る時が来たと覚悟を決めて、霊世界に関わったしだいです。

                  私にとっては疑うべきは、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する霊声は本当にそうなのかがありました。そこで多くの霊能者を頼って自分を【霊査】して貰って来たなのです。私が最初に行った出雲大社系の霊能者は、【貴方は救世主ですか?。】と聞いて来られます。私が違いますと言うと、そんなはずがないとまで言われます。私の背後には霊能者と呼ぶ人とは桁違いの大霊団が存在している。これほどの大霊団が背後に控えているのは救世主でないかとしか考えられない。などと言われます。

                  私の最初の師匠で豊受姫のお代であった方からは、豊受姫から【貴方は言葉の神と呼ばれる貴い御方で、神達に対して教えをなされる方です。貴方の言葉の教えは天帝の「詔」に等しく、貴方の言葉の教えを聞けない神は如何なる神であろうとも、天帝に反逆した者として罰せられる。】と告げられて、言葉の神とはいったい何者だろうとなったわけです。その時に豊受姫からは、貴方の本守護神は【国常立尊】様ですよと告げられたしだいです。

                  だが、ある霊能者から貴方は高次元界からの教えをなされる方ですが、この地球は低次元界で蛇霊や狐霊と呼ばれる段階の神達が支配している。貴方にはそうした低次元の蛇霊や狐霊と会話する能力が無いので、貴方の目となり足となれる存在が出て来ないと、貴方は何も働けません。この土地の草むしりをするぐらいしか仕事がありませんよと指摘されたしだいです。確かに、高次元界からの教えをいくら説いても虚しいだけとは言えます。

                   

                  その後、多くの霊能者に出会って直接に見て貰ったところ、大多数の霊能者からは何の指摘も受けませんでした。貴方には神など誰も憑いて居ないです。スピリチュアル標榜者だと、貴方の背後にはそもそも神など居ないが大多数でしょう。

                  が、7〜8名の霊能者の方から、豊受姫と同様に貴方の本守護神は【国常立尊】様ですと指摘されたなのです。私が子供の頃に聞いていた霊声は【旧約聖書の神】と名乗っている霊声でしたが、豊受姫を初めとして7〜8名の霊能者の方は、貴方の背後の神は【国常立尊】との指摘でした。すると、私が子供の頃に臨んでいた【旧約聖書の神】と【国常立尊】は同一神かとなります。

                  私が子供の時に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたの背後にこの私が居ることが見抜けぬ様な神は使い者にはならぬ神達である。】と告げられていましたので、別に何を言われてもどうぞとうぞなのです。

                   

                  私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいたのですが、その声は私に【旧約聖書は我が書であるなれども、そのままに読むと意味を間違える。暗号書のようなものであり、その暗号の解読には「鍵」が必要である。それは邪神達を引き寄せる為の罠である。】と告げられました。

                  旧約聖書は【暗号書】ではあると説いている方達は世に少しはありますが、その解読に何らかの【鍵】が必要とあれば、鍵を持たずに解読に時間を費やしても意味が無いことになります。私は旧約聖書を読んだ時、これはおかしいぞと思うことがありました。

                  私が不審に思ったのは、【割礼】をしていない者は【奴隷】にするです。明らかに創造神の言葉としてはあるまじき内容があります。もし、それが私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と称する声がそうした神であるならば、私はその神と戦います。それは著しく【正義】に反しているからです。私は神は【正義】であらねばならないが信条だからです。【割礼】など神の世界からすると何の意味も無い行為と言えます。

                   

                  何故、不必要な【割礼】が説かれているのか?

                   

                  その旧約聖書の神と称する声は、【日本神話の天の岩戸開けなどの部分は事実として、どこにも存在していない。全てはこの私が「この世の終わりの審判の時の為」の仕組として、人間を使って神話を創作させたものである。そなたは、何故に私がそうした神話の仕組をしたのか。天の岩戸開けの本当の意味を学びから知りなさい。】と告げられました。

                   

                  日本神話の【天の岩戸開け】は日本独自の話であり

                   

                  どうして、旧約聖書の神が【天の岩戸開け】を言うのか?

                   

                  そして昭和五十五年に私の身に起きた出来事から、覚悟を決めて神霊世界の修業に入ったなのです。私の神霊界修業で世話をして下さった豊受姫も、私に【日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在していない。】と告げられたなのです。

                  しかしながら、霊世界の修業をしていると日本神話の天の岩戸明けと呼ばれる事柄は実際に遭ったと思っているような低次元界の神霊だらけなのです。やがて、その意味は解って来ました。日本の神社に端座している霊の多くは比較的若い霊達で、そうした神話を頭から信じているなのです。

                   

                  私は子供でしたが、小学校に入学した時に祖母が祝いに買ってくれた七巻ほどの学研の百科事典を全て読んでいましたので博学的な知識を保有していました。旧約聖書の神と称する声から、そうしたことが告げられても、既に小学生の頃には日本書紀とか古事記や日本神話や世界の宗教者などの知識を持っていたなのです。

                  私はそれより前の幼い頃から、自分は【天から特別の密命】を携えて、この地球と言う星に降ろされた者という不思議な感覚を持っていたので、自分に旧約聖書の神と称する声が臨んだことすら、別に驚きとも不思議とも思っていなかったと言えます。だが、私も自分が携えている【密命】が何かまでは解らないなのです。

                  一部の邪霊神は私の元に押しかけて来て、私に【神宝】を差し出せと言って来ます。どうも私は何かを持っているようなのですが、肉体の私には解らないがあります。そうした邪霊神ではなく、一部の霊能者やサイキッカーの方達も、私が死ぬとこの地球の三次元世界は終わると言われます。そしてみろくの世と呼ばれる高次元界に入るです。その時の【鍵】を貴方が持っておられると言われます。

                  今の私に解っていることは私が住む土地ではありませんが、大本教の出口王仁三郎聖師がその直弟子に隣接する土地の一部に【みろく神業に使われるお宝が眠っている。】と告げられた土地があります。どのようなお宝かは解りませんが、みろく世で人々が困らない為のお宝が無いと、いくらみろく世みろく世と宣伝しても無意味なのかも知れません。

                   

                  私は旧約聖書の神と称する声から、そなたは日本神話の【天の岩戸開け】とは何を意味しているのかを知りなさいと告げられたこともあり、天の岩戸開けの意味を探って来ました。 この天の岩戸の開けに関しては、既に岡本天明師のヒフミ(123)神示において、一(イ)八(ハ)十(ト)として、【一八十】の意味が出されています。それ自体は大本教霊界物語の中で正神界【一八十】段。邪神界【一八十】段と説かれいます。天の岩戸を開けるとは宇宙規模のことで、全宇宙の霊は如何なる霊もその【一八十】段のどこかに段に入るなのです。しかも、その段は【永遠】段となるのです。

                   

                  私はある霊的映像を見ていて、これはどういう意味かと頭を悩ましておりました。まったく意味が解らない映像だったからです。多くの裸の女子達が居て、その女子の【陰処】の場所に男性の性器たるシンボルがある光景です。

                  日本神話における天の岩戸開けは、姉君の天照大御神が弟君である素戔嗚尊の乱暴狼藉に耐えかねて岩戸の中に隠れてしまわれたことで太陽が消えて真っ暗闇となった。そこで元祖ストリッパーとされる天宇受売命が女性の陰部を露わにして踊って周囲の男神達を笑わせた。その笑い声で何事かと天照大御神が岩戸を少し開けたところ、天力男命がその岩戸を一気に開いて、天照大御神を岩戸から引き出したので太陽が輝いたというのが骨子です。

                  しかし、この内容は明らかに【子供騙し】の神話と言えます。

                   

                  何故、このような話を国常立尊は創作されたのか?

                   

                  私が住む場所は大本教の出口王仁三郎聖師が大本教の金龍海は「型」であり。本当の金龍海があった場所とされる一角です。

                  綾部に残る伝説では、そこには【底なし沼】とされる場所があったとされます。その池に注ぐ田野川には由良川に流れ込む水路が無かったからのようです。それを九鬼神道家の綾部藩の最後の藩主で廃藩置県で東京に移り住んだ九鬼氏が、自分の資材を出して由良川までの水路をつけられたことにより、その沼は干し上がり。今ではその土地には幾多の住宅も建っていて、その地がかっては沼であったことなど解りません。

                  私が地元の古老から聞いた話に、未だその沼の跡地に家々が建ち並ぶ前、大本教の出口王仁三郎聖師は自分が着ている着物の裾を持ち上げて、男性のシンボルをこれ見よがしに出して、その底なし沼(金龍海)の周囲を歩き回っていたと言われます。私は出口王仁三郎聖師が何でそんな【演技】をなされたのかと考えた時、そういう意味かと解ったしだいです。

                   

                  私が魂の【心棒】の存在に辿り着いたのは、蛇霊が巻き付く霊的な【棒】からです。この【棒】は何だろうと頭を悩まし続けたなのです。この棒は大本教神諭予告【九つ花】の真ん中で【真ラ】なのです。仏教から出た俗語で男性の陰茎(シンボル)のことを【マラ(魔羅)】と言います。男性の間では俺の摩羅を見せてやろうかと等と言いますが、辞書にも男性の陰茎と書いてあります。正式な仏教用語の【魔羅】とは、【人の心を惑わし、修行の妨げとなる】魔神のことですが、【性欲】を意味しているとされます。この【マラ】大本教で出した【ス】神論では絶対に解らない仕組なのです。

                   

                  性器とは【生まれながらの心の器】

                   

                  割礼とは、霊を割って真ん中の【棒】を見る

                   

                   

                  私は天の岩戸の中の光と呼ばれる光を見た時、愕然としました。その光とは、スピチリュアルで盛んに説く【光の柱】を建てましょう等と言っているような光の存在ではありません。この光に耐えられる人間が世に居たのだろうか?。かってそうした人が居たとすれば【お釈迦様】だけのはず。お釈迦様の悟りは【慈悲】ではない。慈悲ではイエスの愛とどっこいどっこいの教えです。お釈迦様は何を悟られたのか?。そこにお釈迦様とイエスの根本的な教えの差があり、そこに【真理】は隠されている。それは何だろうとの追及に入ったのです。

                   

                  私が言霊の学会の講演で講師として話を終えた後、二人の女性霊能者の方が近寄って来て、私に抱きついて良いですかと尋ねて、私に抱きついておいおいと泣かれます。どうしてと尋ねますと、貴方の胸の中にトンネルのような洞窟が見えて、その洞窟の中に真性【天照大御神】が鎮座されている。こんなところに本当の天照大御神様は居られたのだと泣かれるのです。

                  その時は、私も意味が解らずに面食らっていたと言えます。しかし、真性天照大御神(ラ神)とは人の魂の真ん中の【核】として存在すると解って来たなのです。天の岩戸を開けるとは、外部からではなくて、その人の魂の中から光を放つなのです。

                  これが大本教神典にある。【天の岩戸が開いたならば、光輝く人が現れる】なのです。だが、その魂の表面に汚れがあれば、その光は魂の汚れを焼きます。そうなると、あまりの苦痛に自分を殺してくれとのたうち回ることになるなのです。

                   

                  その光が【ラ神(真性天照大御神)】の光

                   

                  大本教の出口王仁三郎聖師は、天の岩戸開けにおける【天宇受売命】の逆バージョンを演じられたなのです。

                  女の又で【奴】と呼び、力の字を入れて【努】

                   

                  魂の核たる光は、自己の努力無しでは輝かない

                   

                  神の名を呼べば神が来ると思っている段階は、まったく進歩が無いと言わざる得ないのです。

                   

                  大本教の出口王仁三郎聖師は大予言者として知られておりますが、その予言の中で最大のものとされておりながら意味が解らないのが【女子の身魂を立直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ 時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら モウ大本は駄目だらう】があります。

                   

                  【女子の身魂を立直し 根本改造せなくては】

                  ここが最も重要な隠し秘められた意味だったのです

                   

                  どうして男子には【根本改造】が書かれておらず、女子だけの【根本改造】になっていたのかです?。

                   

                  私は霊界に現れる各種の映像を見ていて、これはどういうことを意味しているのかを考えます。時にはその意味が解るまでには数年かかることもあります。そうした映像を霊能者に尋ねても、紐解かれる方はまずおられません。一番長かったのものは意味を知るのに十数年かかっています。

                  それは子供の頃、旧約聖書の神が私に告げられたこの神の教えは【暗号】化されているなのだろうと思われます。

                   

                  私は子供の時に旧約聖書の神と称する声から日本神話の神話の部分は、この私が【創作】させたと聞かされているので、まったく違う解釈をしています。大本教からは国常立尊の【三千年に渡る仕組】と出されましたが、古事記は和銅5年(西暦712年)。日本書紀は養老4年(西暦720年)に編纂されたもので、どちらも8世紀という時代に天皇家の為に創られた内容でしかなく、別に事実が書かれているではないのです。

                  ですから、日本の神社に鎮座している神霊は比較的若い霊ばかりで、昔のことを聞いても何も解らない。神話頼りのことしか言わないなのです。

                   

                  旧約聖書の神の言葉である【割礼】をしていない者は【奴隷】にされるの本当の意味は、人類はこれから先、永遠の別れの道に入ります。その時、新地球である永遠のみろくの世に行く者と、この地球と言う大地に永遠に縛られて【隷属】する者達とに別れて行くなのです。そこに自分の魂の「心棒」である【良心神】を立てている者と、そうでない者とが別れて行くなのです。

                   

                  日本神話の【天の岩戸開け】と旧約聖書の【割礼】

                   

                  国常立尊と旧約聖書の神が同一神ならば、そこにはとんでもない仕組をされた神があるなのです。

                   

                   

                   

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                  霊学17 仏教が説く。この世に起きる出来事に偶然はなく、全て必然の【カルマ・縁起】の結果

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                    仏教では、この世に起きる出来事に偶然などはなく、全て必然に基づいていると説かれます。これを一般的に【縁起】と言っています。

                    よく私達は【縁起】が良い等と言いますが、その【縁起】の意味を理解しているかとなった時、あまり理解していないと言えます。

                     

                    日本の辞書である広辞苑の【縁起】とは、 綿〕一切の事物は、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。因縁。因果。 はっきりと、縁起は【因縁】【因果】であると書いてあります。何か【縁起】と言うと、【因果】と別物だと思っている人が多いと言うことです。

                    縁起はサンスクリット語pratitya-samut padaの意訳で、因縁性起と言うことですが、簡単に言えば【ダルマ(真理・法)】により起きる意味なのです。

                    大本教神諭に艮金神・国常立尊は【ダルマ(達磨)大師】として現れたとありますが、この意味を皆さん取り間違えたと思われます。このダルマとは【真理・法】を現したものなのです。小乗仏教の時代においては【人間が犯した業(カルマ)】により様々なことが起きると説かれていたのですが、大乗仏教が起きるに従っておかしな方向にと走って行ったと言えます。

                    仏教においてはお釈迦様の死後500年間(千年とする説もあり)は【正法】の時代で、正しい【悟り】が得られるとしましたが、大乗仏教に入った時点でお釈迦様の悟りは消えてしまったなのです。何か訳が解らぬ難しい難しい学問的な方向に走ったなのです。学僧達が【真理・法】をこねくり回してしまったなのです。

                     

                    私がヤフーにあった【輪廻転生】の板で論陣を張っていた時、魂の【核や心棒】を理解しない方が私に論争をして来られました。その方の前世は仏教の「学僧」で難しい論理ばかりで挑んで来られます。生まれ代わっても生まれ代わっても、何とか悟りを得たいと「学僧」の道を選んで来られたなのです。いくら仏教学を学んでも難しい論理を学んでも、お釈迦様の本当の悟りは【人には良心と呼ばれる神が内在する】であった等、そうした宗教書のどこにも書かれていないのです。たまたま曹洞宗ではその文献を見つけ出して、小冊の機関誌で出されたことによって門徒である私は知ったなのです。

                     

                    歴史の実証として、お釈迦様の弟子に弥勒菩薩と呼ばれる方は存在していません。仏教が中央アジアに広がっていく過程で【ミスラ教(ミトラとする教えもある)の神】が仏教に取り入れられて弥勒菩薩になったがあります。

                    何故に実在していなかった弥勒菩薩が仏教に入り込んで来たのか?。その弥勒菩薩の本来の意味は、お釈迦様の悟りを忘れた人々に、お釈迦様の本当の【悟り】を告げて、人類を【未来の世】に渡す菩薩の意味ですが、大本教の出口王仁三郎聖師は最初の頃は自分が【みろく大神】だと呼称されていました。が、これも自分はニセ者であったと発表されています。

                    大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は本当のみろく下生は昭和20年に起きたと告げられたのですが、イギリスのベンジャミン・クレームが宣伝した【世界教師マイトレーヤ】と呼ばれている人物以外には昭和20年生まれでそうした名乗りをしている方はいないようです。

                    巷で自分が【みろく】大神ですと名乗る方はありますが、そうした名乗る様な仕組ではなくて、日本語の【言霊】によって紐解き明かす仕組だったと言えます。そうでないと、【五十六億七千万】の意味すら説き明かせないなのです。 

                     

                    大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、その中心となる「41」の場所は、出口王仁三郎聖師の予言である【みのか尾張の国から現れる誠の女子】で紐解く高山と富山に向かう国道【41】号線が出て来るのですが、

                     

                    【イロハ】であれば、【ミ】であり

                    【ヒフミ】であれば、【ス】であり

                    アイウエオであれば、【ラ】となる

                     

                    日本語の【ミ】【ス】【ラ】は、「みろく大神」の働きを意味しているのです。大本教ではその一つ【イロハ】を出し、大本教で機関誌の編集長をしていたこともある「岡本天明」師は、【ヒフミ】を出したわけです。しかし、どちらも【41】では出ていないのです。大本教のイロハでの【ス】は「47」番目。私は【アイウエオ】で紐解いているわけです。

                     

                    私が子供の時、旧約聖書の神と称する声から拝火教(ゾロアスター教)のことを知りなさいと告げられたのですが、当時は調べようもなかったがあります。ゾロアスター教の【ミスラ(Mithra)】神とは、軍神、雨神、光明神で知られますが、【契約】の神としても崇拝されていました。これが後日、みろく菩薩(マイトレーヤ)として仏教に取り入れられたなのです。

                    その神格からすれば、お釈迦様の弟子ではなくて、お釈迦様よりは上の存在を指していることは解るなのです。 私は子供の時に旧約聖書の神と称する声から、【拝火教(ゾロアスター教)】を知りなさいと告げられていなければ、大本教とのつながりを知ることもなかったと言えます。

                     

                    そこに、誰がこんな仕組を組み立てかの謎がある

                     

                    私は【言霊】が何かと解った時、私のそれまでの【神観】など全て吹っ飛んだと言っています。世に言霊師と呼ばれる方は若干名は居られますが、それは単に言霊と呼ばれる存在を知っているだけであって、言霊による仕組まで理解しているのではないのです。これは大本教神諭予告、【九つ花】を理解していないと、どうにもならないなのです。と言っても、【九つ花】を見ても、単に数字の【羅列】で意味がよく解らないとなるのです。

                     

                    大本教神諭予告【九つ花】は神の法であり。真理

                     

                    ダルマ(真理・法)に、可哀想とか気の毒はない

                     

                    仏教では、人には【前世】があり、【輪廻転生】を説いています。その過去世における【罪(業)】により人はこの世に生まれて来る。つまり魂の【更生】の為に【後世】に【甦(更生)り】を起こしているのであって、その業(因縁)は曹洞宗の「修証義」には【三時業】において罪の支払いが説かれてはいるのです。

                    曹洞宗の【三時業】の説明は、生きている今の世に受ける順現業、次に生まれ代わって受ける順次業、次の次以降に受ける順後業としています。この世に生まれ出ている人は誰しも【過去世】があります。だとすれば、今の世の私達は順現業として【過去世の業(カルマ)】の支払いをしているのです。今の世の業を来世ではなくて、現世でどう消して行くかが大切なのです。また、過去からの徳分を持っていた様な場合は、逆にその【果実】を受け取っているなのです。

                     

                    人は何故にこの世に生まれて来るのか?。

                    過去に自分が積んだ罪の支払いがあるから

                     

                    この世の【事象】は、過去からの業(罪)の現れ

                     

                    私はスピリチュアルを批判していますが、スピリチュアルでは【カルマ(業・因縁)】の恐ろしさをまったく理解していないがあるからです。その【カルマ(業・因縁)】は魂の【禊ぎ(身殺ぎ・身削ぎ)】以外に解消法がないのです。自分の業(カルマ)を解消出来なければ幾度でもこの世に生まれ出て来ます。そして、そのカルマが自己の身に降りかかって来るなのです。

                    仏教の僧侶でそうしたことを言われる方はありますが、そうすると、おまえは【情】が無い奴だと攻撃されたりするわけです。何でもかんでも神仏の【情】に訴える。すがるです。

                    仏教では【五情】が説かれ、陰陽でも【五情】が説かれますが、私がここで言うところの【五情】とは、そうした五情ではなくて大本教から出された魂の【一霊四魂】から来る五情説になります。

                     

                    下記の図は以前から説明してきたものです。

                     

                     

                    その一霊四魂で説明される【牛・虎・羊・猿】は、死後の世界でその姿に変化するがあります。真実は解りませんがお釈迦様の前世とされる逸話に、水夫であった時、安酒場で喧嘩をして人を殺めて【猿】にされたがあります。それはお釈迦様は【叡智の奇魂】が並外れた存在であったことを意味します。私は【牛】にされたことがあります。それは【和魂】の働きが強かったからです。

                    スピリチュアルに走って【愛】ばかりを言っていると、神を【畏れる】の畏怖が起きません。そして最大の問題は【叡智(奇魂)】の欠如が起きることです。いくら神社に参っていても、自己の魂磨きが出来て来ないなのです。魂が変形を起こす原因になりかねないのです。

                    その牛虎羊猿だけでなく、十二支で説明される子(鼠)・牛・虎・兎・辰(龍)・巳(蛇)・馬・羊・猿・酉・犬・猪も人の魂が変化するであり、その十二支にはありませんが、狐・狸・猫にも変化するがあります。輪廻転生の【転生】です。全て【日本語が持つ言葉の意味が関わっているのです】。

                     

                    大予言者であった大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエルと言う天使長は存在しない。省りみる意味だ】と説いておられますが、私はヴェーダ典にある【人の中に眠るコブラ(眼鏡)蛇が走り上がる時、その人は真理に目覚める。】を体験したことから【真理】の探求に入ったしだいですが、ミカエルとは【巳(蛇)帰る】の意味だと言っています。それは悔い改めた蛇霊が悔悟の涙を流すと、天に帰って行くからです。これもまた日本語の仕組なのです。

                     

                    この世に起きる出来事は霊的世界を見聞して来ますと、加害者が悪で被害者が善などではないのです。そこには【カルマ】の解消があるのです。 私が出会ったある女性は交通事故で相手を死なせて、交通刑務所に一年間入っていたと言います。当時私は2番目の師匠の元で言霊を学んでいたのですが、私はその師匠に何も言っていないのに、おまえは今一人の女性と付き合っている。その女性は【人殺し】をしていると言います。

                    私は付き合っていることまで見抜いているのかと驚いて、その女性は交通事故で人を死なせたのですと説明したところ、その言霊師の師匠は【違う】と言います。その女性の魂は前世で自分を強姦して殺した憎むべき相手が生まれ代わって同じ世に出て来ているをたまたま見つけて、交通事故という形でその時の相手に【仇(復讐)】をしたのだと言います。だが、肉体はそれを知らない。魂の世界が起こした復讐劇だと言うのです。

                    その師匠は自分は国常立尊の【現身(うつそみ)】だと名乗っていましたが、国常立尊に仕える者がそうした復讐劇を起こした者と付き合うことはまかりならぬというわけです。

                     

                    過去世の縁が起因となって、今の世で復讐

                     

                    実はそうしたことは、この世では起きているのです。すなわち偶然では無くて、必然として起きるなのです。そうしたことを理解している筋からは、この世は【魂の刑務所】等の説も出るのです。

                     

                    その女性は私が発する言葉に【神を見た】と言われた最初の人で、私に【神は言葉】の気づきを与えてくれた人でした。その人の置かれた現状とその罪の重さを計って、最善の道を行けるように私の守護霊団がしてくれました。私はなるほど、こういう解決法もあるのだと感心したしだいです。

                     

                    偶然の交通事故ではなく、必然性で起きた交通事故

                     

                    霊的世界を見聞していきますと、この世に起きる出来事に【偶然】などはないのです。全て仏教で説かれる【必然性(縁起と呼ばれるカルマ)】によって生じていることは解ります。

                    ただ、今貴方が苦しんでいるのは貴方が過去に犯した業の償いですよと説いて、誰が納得するかです。人は自分が過去に犯したカルマの原因となる業のことなど知りません。

                    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が私に言ったのは、【人には前世がある。しかし人は自分の前世を思い出さない。それはこの神の「恩寵」からである。もし、人は自分が過去に犯した過ちを覚えていたならばその罪の意識により、新しい人生を送れないからである。】と告げられたなのです。

                     

                    スピリチュアルでは、【神は愛であり、何をしても赦されるのです。】と説く人が一般的ですが、神の愛は罪人である自分が過去に犯した罪を思い出さないことなのです。やり直しの人生において、【過去を引きずるな】と言うことなのです。

                     

                    スピリチュアルは神の恩寵の意味を間違えている

                     

                    もし、人がこの世にオギャーと生まれて来るのが魂の初めだとすると、これほど【不公平の世の中】があるのだろうかとなります。人はこの世に生まれ出て来る【スタートライン】が違い。あまりにも不公平だと言わざる得ません。そこに仏教では【前世からの徳分】と言う教えが出て来るのです。良い【因果】です。

                     

                    この世での自分の境遇に不平不満を言う前に

                     

                    自分は過去世で罪を犯していたのではないか

                     

                    だとすれば、不平不満を言う前に、【己を正す】が先に来ないとおかしいのです。他人は良い暮らしをしている。平和に生きていると妬むのではなくて、

                     

                    自分の悪いところを点検して行くなのです

                     

                    それによって、必然的に起きるであろう【災い】から逃げられるがあるのです。私は若い頃、【腰痛】に苦しんでいました。で、神仏に頼ってみましたが、よくなりません。しかし腰痛を抱えながら神業を積んでくると自然に腰痛は治っていました。

                    人によっては【九死に一生を得る】を体験するがあります。本来はそこで命を落とすような場面で奇跡的に助かるです。この働きは各自の【守護神】と呼ばれる存在がします。私も中学生の頃にその【九死に一生を得る】を体験して、それをしてくれた存在は私の家系の五代前の先祖霊(日蓮聖人の御分霊)でした。

                     

                    人は時間とか行く方位によって、災難に遭う

                     

                    その時間を外しておけば、その場所に行かなければ災難に遭わないのに、それに遭遇するように行くなのです。その時間に行く。その方位に行くは偶然ではなく、必然性を伴っているのです。

                    スピリチュアルでは常套文句として【人の運命は変えられます】と言います。人はこの世に過去の自分の罪(カルマ)の解消の為に降りたっているのですから、カルマを解消して行けば当然に自己の【未来の運命は変えられます】だが、その自分の運命を変えるとは【個々の人の立場】であって、全人類の意識がそこに向かって行かない以上、この【地球の運命】を変えることは個人レベルでは出来ないなのです。

                     

                     

                     

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                    霊学16 この地球から人々の魂を乗せて去って行く【新・ノアの箱船(みく丸)】とは

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                      聖書には【ノアの方舟】の話があります。それは事実であったのか、単に創造神が仕組の為に創られた話なのか?。それはどちらでもいいことなのです。何故ならば【ノアの方舟】の話が聖書に残されているのは、そこには【創造神の隠された意図】があり、これから起きる出来事の予告の為とも考えられるからです。

                       

                      最後は【火の審判】と言われていますが、過去に【水の審判】と呼ばれるものがあったとされます。その水の審判で地上界の人類はほとんど滅びたと言われています。中国にはその【水の審判】たる洪水で生き残った兄妹(伏羲と女媧)が夫婦となって、中国人の祖となった等の伝説があります。

                      そうした【大洪水(水の審判)】の話は中国のみならず、世界各国にそうした大洪水伝説や神話はあり、別に旧約聖書云々ではないのです。そうした世界の神話や伝説においても、神は神の言葉に従う者に船を造らせて逃げさせたとあります。【ノアの方舟】はそうした神話や伝説を聖書に持って来ただけとも言えるからです。

                       

                      私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、この地球から人類は新地球(みろくの世)に渡る話を告げられました。この地球から新地球に渡るには【宇宙空間を航行する船】に乗るなのです。この人類を乗せる【船】は世界各地から幾隻も出て、それぞれの船には旧約聖書の神(国常立尊)に仕える神司(かむつかさ)達が乗船し、人々を乗せるです。私は地球からの【最終船】に乗せると告げられています。

                      新地球論者の方達はみろくの世には【船】で行くと言われていて、それは宇宙空間を行く船なので、大型の【UFO】の様な存在だと語られる方もあります。つまり【船】と形容していても宇宙空間たる【大海原】を行くので、船でも在来型の船の話はではないのです。ただ、霊的映像としては今日迄の【船】の型が出て来るなのです。

                      この地球がモウ持たないと解った時、それらの【船】はこの地球から人々の魂を乗せて新地球に渡って行くなのです。それらの船は全て国常立尊派の神司(天使)達が責任者(船長)として乗り込みます。しかし、その神司(天使)達が誰であるかは、そなたもそれが誰かを知らないと告げられました。全ては、この神のみが知るなのです。

                       

                      新地球論者は霊能者間でも少数です

                       

                      新地球論者は本当に数が少なく、全体的に言えば【異端者】です。多数決こそが正しいとするのであれば、新地球論者は【敗者側】です。それはノアの方舟の話にしても、誰も耳を貸さなかったのと同様なのです。新地球論者の中では、その新地球に移る人の数は【1%程度】と言われていました。最近入って来る情報では【5%】程度にはなっているとの話もありますが、実際のところはよく解りません。

                      私は人類の大峠と呼ばれる【大祓いの大嵐】によって、魂の汚れが洗い流されて行く人達が今後は出て来るので、その数は増えると思いますが、その【大祓いの大嵐】がどのようなものなのか人間には予測不可能であり、予言者でも言い切れないと見ています。

                       

                      私は霊的世界の見聞をしていて、少し違った概念を持ちました。一つに日本神道で言われるところの【天津神】と【国津神】の違いからです。天津神系と呼ばれる存在の魂は【宇宙空間を自在】に行けます。天津系の魂の人はどこかの星からこの地球上に来ているからです。

                      その時、そうした船でこの地球に来たのではないのです。宇宙の彼方から、この地球を目指して魂が降下したなのです。それはスピリチュアル標榜者でもそうした意識を持っておられたりします。自分は宇宙のどこかの星からやって来たです。それは単なる霊の憑依ではなくて、自己の意識の中に残っている記憶なのです。そうした魂からすると、別に聖書の【ノアの方舟】と呼ばれる救済船を必要とはしていないなのです。

                      ただ、スピリチュアル系では魂は宇宙のどこにも行けますが多いのですが、一つ見逃していることに【宇宙ゲート】と呼ばれている【霊界の関所】の存在です。この関所は勝手に突破は出来ないなのです。

                       

                      日本神道で言う【国津神系】とは、この地球上で誕生した魂のことを指します。どの魂も元の元たる本守護神段階まで進みますと天津神系ではあるのですが、その天津神がこの地球上に降り立って、この地球を故郷たる星とした分魂が国津系と呼ばれて来ます。

                      この地球と言う星を【故郷】にした国津神系の魂は、他の星に戻るにはなりません。言うなれば先祖がどこかの島に流されて、その島で生まれ育った子孫的なことです。そうした魂にとっては、宇宙空間を自在に行けるなどは意識として、そもそも持てないのです。

                      そこに私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【この地球とまったく同型の新地球を用意してある。その新地球に降り立ったならば、これまで住んでいた地球とまったく同じではないかと言うだろう。見る光景そのものは、これまでの地球とまったく同じ風景である。だが、その新地球に住む人達がこれまでとは違って来る。それまでこの地球に住んでいた人達と一緒とは限らない。自分の顔なじみもいれば、まったく知らない人達と暮らすことにもなる。】と告げられたなのです。

                      その自分が知らない人達とは、この地球に暮らして地球霊界から他の星に行ったことが無い霊人達のことで、この世での肉体を持たない人達です。すなわち、過去にこの世を去って、地球に関わる霊界の天国界に居た人達も住人として住むなのです。今の世では亡くなった肉体の父や母も地球霊界に属する天国界に居るならば再会して住むなのです。

                       

                      聖書にある【復活】とは、大規模なものなのです

                       

                      旧約聖書の神と称する声は、【その新地球に行くにあたって、その船に乗ろうとしない者達まで引っ張って行くわけにはいかない。この神を信じる者達だけが船に乗るだろう。と告げられたなのです。

                       

                      ノアの方舟のノアのように

                      【神の言葉】に従って、未来行きの船に乗るのか

                       

                      そんな話は信じないと、この地球に残る選択をするのか

                       

                      みろくの世がこの地球上ではなく新地球であるということは、別に【国常立尊】派だけの論ではありません。大本教から【スの神】論が出てから、猫も杓子もスの神、スの神で、いつたい【ス】の神とは何ぞやということも理解せずに、理由も意味も知らずに【ス】の神を打ち出している神霊や教団が多いのです。この手の教団の多くは背後神が【黒龍神】であることが優秀な霊能者達には知られています。

                      そうした黒龍神が祭神となって、【ス(主)の神】論で、みろくの世は【新地球】であると説いている教団もあります。だが、面白いことにそうした教団の教祖達は、スの神の言い出しが世界救世教の岡田茂吉師だと思っておられたりします。

                      これは岡田茂吉師ではなく、大本教の出口王仁三郎聖師が自分は【素戔嗚尊の魂】だと称されて、その素戔嗚の【素(ス)】から持って来られたのです。そのこじつけとして、イロハの終わりは【ス】だからと主張されたわけです。岡田茂吉師は大本教に在籍された当時は、出口王仁三郎聖師の右腕と言われた方です。成長の家の開祖となられた谷口雅春師が左腕と呼ばれていたです。

                       

                      巷には自分は【素戔嗚尊】の魂で【救世主だ!】と名乗りを上げておられる方達が多数ありますが、これらは全て大本教の出口王仁三郎聖師が自分は【素戔嗚尊】で【救世主だ!】と名乗っておきながら、最後になって自分は【ニセ者】であったと発表されたことから、次々とそうした名乗りを上げている人達。その背後に居て自分達が霊界の覇権を握ろうとしている輩の霊が多いからと言えます。そうした霊達は、全て【ス(主)】の神論に引っかかってしまったなのです。そうした霊は、どうして【ス】の神なの?。と何も考えなかったということなのです。

                       

                      そうしたみろくの世に渡すと言う教団に所属している霊能力がある方が見た霊的光景には、この地球から離れて行く教団が仕立てた船が、ことごとく天から降ってくる焼夷弾の様な【火の雨】で沈没させられる光景が出て来たと言います。自分の教団の教えでは、みろく世に渡れないと実感されたなのです。

                       

                      何故、スの神と称えるだけでは新地球に渡れないのか?

                       

                      それは、宇宙の大海原行く【羅針(ラ神)盤】がないから

                       

                      私が大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】から、何故にスの神論ではなくて【ラ】神論で説いているのかと言いますと、お釈迦様の本当の悟りは【人には良心呼ばれる神が内在している】で明らかにされる【良(ラ)】と、良心神で善悪を判断している【円真の羅王(閻魔大王)】の【羅(ラ)】に、宇宙を行く船には【羅針(ラ神)盤】が必要だからです。

                       

                      羅針(ラ神)盤がない船は、宇宙を航行出来ない

                       

                      大本教神諭予告、【この神は北を上にする】

                       

                      大本教神諭のこの神は【北】を上にするというのは、北海道の話ではないのです。地球の地軸は【北】を上にしています。当然に【羅針盤】とは、北を上にしているなのです。

                       

                      私は朝鮮に残されていた予言。最後の審判前に救世の為に【米】一字の教えが起きる。その教えが終わったならば、人類の上に【天罰】が降りて来る。その【米】一字の教えに従った者達の上には【天罰】は降りない。私はその予言文を見て、【米】一字の教えとは何だろうと思いました。

                       

                      そうした中で、私は黄金色に実った「稲」を積んで、この地球から去って行く船を夢に見たのです。その船が出て行く桟橋は、昔は三途川の渡し場とされた処。今度は宇宙の大海原に向かって出る船。その船の名は【みろく丸】。

                       

                      実った【稲】を刈り取って霊界の大海原に出て行く船?

                       

                      船の羅針盤と【米】一字の型が結びついた最初

                       

                      九月九日救急の日に飛んで来た海保のヘリのマーク

                       

                      大本教神諭予告、【九つ花】は北を上にする

                       

                       

                       

                      私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声を聞いていましたが、その声は【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはこの神の仕組を見せる。そなたはその仕組を見て、人々に告げなさい。もし、そなたが教えを間違ったならば、それはそなたの責任ではない。この私の仕組が悪かったのだ。】と告げられたのです。

                       

                      私はこの日本に満ちあふれている仕組を見て、それは何を語るのかを見つめて探求しているなのです。私は私の前に盤古大神や伊勢神宮の神や出雲の大国主様が立たれようが、お釈迦様やイエスが現れようとそれに動かされることはないのです。何故ならば、それらの霊は、この日本に仕組まれた事柄を何も私に教えてくれないからです。

                      霊界で修行中、最初の師匠からも行者筋からも、貴男に教えが出来る様な神は日本国中探しても見つかりませんよと告げられましたが、世に出ておられる神々から教えを受けて来たのではないのです。

                       

                      大本教の出口なお開祖霊が私に言われた、【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第】。そのまな板の鯉たる大本教を料理しているのです。

                       

                       

                       

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