第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その6

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    第××項 神霊の嘘から学ぶ【誠】とは

    スピリチュアルでは一般的にあの世のことを【霊界】と言います。霊界とは【0(レイ)】界であり、数学的は隠れた世界を指します。完全なる【無】を意味しません。何故ならば100と示した時、完全なる無であれば「1」しか残らないからです。
    仏教では万物は霊的な膨大な空間たる【虚空界(真如)】から万物は産み出されたとします。しかし、あまり「虚空」の言葉に関して論じられたとは言えません。
     
    仏教は【虚空界】から【真如(真実)】が出る
    ​虚空の口から出る【嘘】に、真実が込められる?
     
    私達が「虚空」という言葉を知るのは仏教の【虚空蔵菩薩】とされる仏に付けられた名称程度にしか過ぎません。その「虚空蔵菩薩」とは、無限の知恵と慈悲の心を与える菩薩として語られて来ましたが、その虚空蔵菩薩の守り年は「牛年と虎年」と言われている程度のことです。

    大本教から【ウシトラ】金神が出された時、そのウシトラには【牛虎】もあるぞよと出されましたが、誰も【牛虎の虚空蔵】には気がついておられなかったと言えます。あまりにも漢字の【艮】から脱却が出来なかったからと言えます。漢字の「艮」は今は表舞台から退いています意味のウシトラなのです。

    ​この虚空蔵はスピリチュアルでは「アーカーシャ」と言っています。そのアーカーシャ(虚空蔵)にあるとされる【過去・現在・未来】が書かれた物を【アカシック・レコード】と呼んでいます。未来とは、過去と現在を足して導き出される方程式なのです​。
    ほとんどのスピリチュアルでも霊能者でも【悪い未来】は変えられると言います。それは、今の現状のままで行けば「悪い未来」が見えていても、今の現状を変えると悪い未来も良い未来に変わるからです。未来は変化させられるなのです。
    私達は【囲碁】【将棋】と呼ばれるものを知ります。その棋士達は現状の盤面を見ながら、それがどの様に変化して行くか先を読んでいます。つまり「未来」を読んでいるわけです。
     
    大本教神諭予告【九つ花】は形としては「将棋盤」です。言霊と呼ばれる「駒」によって変化させるです。そして【天元】と呼ばれる中心点を持つのは「碁盤」で、天元を除くと白石が一八十(イワト)、黒石が一八十(イワト)の陣容となります。これは何を表しているのかです。
     
    未だ来ない【未来】のことは【予言】などで事前に出されます。事故でも予言されて当たるがあります。それはこの世で起きる事故も【必然性】を伴って生じて来るからです。神霊などはある程度はそうした予知も出来るので、自分を信じる信徒の事故を未然に防ぐなどの作業をされています。そうした作業は正神界とか邪神界とかは関係ないのです。蛇霊や狸霊の神様でも人気が高い神等は、自分を信じる者は守るだからです。
     
    神を信じる者は「儲(信・者)かる」
    邪神も信徒が多くないとその勢力を張れない
     
    大本教の出口王仁三郎聖師は卓越した予知能力を備えた【大予言者】でした。では、その予言能力はどこから来たかとなるとやはり「霊界」からとなります。それは【虚空界(真如)】を正しく読み取っている神が背後に存在したなのです。
     
    私は霊界に関わっていて、私達1人1人が歩んだ記録は電磁的に記録されていていることまでは解りました。一枚の写真を見ていても、その写真が撮られる前までの光景が写真には写っていたからです。私達は写真を見ていて、そこには一枚の映像しか見えていないのですが、実際には前の記録もあるのです。それは、写真が一瞬を切り取る【記録】媒体だからです。言うなれば「ドライブレコーダ」で事故の前を検証出来るようなものなのです。
    私達はこの世で悪行を積んでも、それがこの世ではバレるとは限りません。ある意味、警察に捕まるのは一部の人達だけかも知れないのです。しかし、私達のこの世で積んだ善悪は全て電磁的なものに記録されてはいるのです。ですから、その記録を見て判断する閻魔庁の裁判には間違いがないのです。そこが人間が裁判するのとは違うのです。人間がする裁判では「えん罪」を生む可能性がありますが、霊界の裁判にはそれがないのです。
     
    ただ、閻魔庁の裁判とは個々の事案の裁判ではなくて、その人の今生の一生における【善悪の天秤】でして、通算して悪行を積んでも善行がそれ以上に多ければ罰を受けないとなります。悪行は善行を持って消せるなのです。
     
    各自の悪行の罪は、善行の積み重ねで消すことが出来る
    ですから、【悔い改めなさい】とされるのです

     
    一部の霊能者やサイキッカーの方は、自分は何時でも「アカシック・レコード」を自由に読み取れると言われます。そうしたものが仕舞われている図書館的なものがあると言われます。それを見れば【未来】が解るです。未だ起きてもしないことを事前に予知できるのは、このアカシックレコードを読んでいるからとされます。
    ならば、そうしたアカシック・レコードを見て、答えが欲しいとアカシック・レコードを読める力があると言う方に頼んでおりましたが、待てど暮らせどもその答えが送られて来ません。
     
    私はアカシック・レコード的な記録媒体の存在は否定しませんが、自分はそれを読み取ることが出来ると言われれば、本当にそれだけの力をお持ちなのですかと言いたいところなのです。
    アメリカにおける眠れる偉大な預言者とされた【エドガー・ケイシー】を使っていた霊は、そのアカシック・レコードから未来を読み取っていたとされます。しかし、エドガー・ケイシーの西暦1998年に日本列島沈没は見事に外れました。最近、その予言を修正して西暦2018年3月に日本列島沈没等が世間を少しだけ賑わしておりますが、霊界に各種のビジョンが存在しますが、ビジョンは当たるとは限りません。
     
    以前、多くのブログに宇宙司令官からのメッセージや大天使のメッセージたるビジョンが次々と流されましたが、何一つ当たったためしがありませんでした。それらは、
     
    下手な鉄砲も数打ちゃ当たるでするからです
     
    言葉が意味する「虚空」とは、何も無い「空」で虚しいの「虚」であって、無限の知恵とか慈悲を意味していません。現実界から見ると何も無い虚しい世界そのものが【虚空】なのです。【蔵】はそれらを産み出す場所です。仏教で説く【無から有の産み出し】なのです。
    その虚空蔵とは「虚空」で解るように、【蔵】の口からは【嘘】が出るのです。

    だが、どうして虚空の口から出る嘘が【真如】となるのか?

    虚空蔵世界からは霊的な【玉】が無数に打ち出されています。そのほとんどは的を得ないでビジョンも外れるのですが、的に入れば大当たりとなるのです。ですから、予言される事柄はほとんど外れますので【嘘】となるのです。だが、大当たりもあるのです。

    ある方からメールが来ました。その方が霊能者に見て貰ったところ、あなたの背後にパチンコ玉の様な玉が無数に回っている。これはなんだか私には解らないと霊能者から言われたと、私に質問されて来たのです。私はそのパチンコ玉の存在は以前に見ていますので、答えることは出来ました。虚空蔵から打ち出されている玉なのです。
    霊界に関わりますと、基本的にはどうでもいいような、貴方は昨夜は何を食べられましたとか。どんな異性と付き合っておられますねとか、そうしたことはズバズバと言い当てて来るがあります。自分が昨日何を食べようが、そんなことどうでもいいことなのです。しかし、霊的世界の構造がどうなっているのか?。そうしたことを聞くと、まったく答えられない霊だらけと言えます。
    為に、霊能力がある方はいくらおられても、実際に霊的世界がどうなっているのかの説明ともなれば、誰も語れないという不思議な現象に出会います。どこにも百発百中の神霊の御代たる霊能者が存在しないと言えます。また、それが説明できる御神霊達も居ないなのです。

    その一つの要因として、霊的世界(虚空蔵)から打ち出される玉(予知等の働き)は的を得れば大当たりとなりますが、そのほとんどの玉は大外れとなる玉を拾ってしまうがあるからです。
    大本教神諭に、このウシトラが世に出ている神々をこれまで【誑かして来た】とあります。
    私は国常立尊ともあろう存在が、世に出ておられる神々を誑かして来たとは何事ぞと思いましたが、それは【虚空蔵】から打ち出される霊的な玉。それをうかつに拾って信じてしまうと自分が【誑かされて】しまうだったようです。
     
    あるブロガー主が、○○大神様からの御神示として、私に幾度か何月何日に何々が起きるとメールをして来られるのですが、ことごとく外れています。しかし、その方に暗に注意しても一向にその方が言う神霊の言葉が嘘だらけに気がついておられないがありました。霊に欺されたことによる目覚めがないのです。欺されても欺されても大身の神名を詐称する蛇霊や狐霊に欺かれておられるなのです。なまじ霊が見えるとか会話が出来る為の欠点です。

    では、何故にそのブロガー主さんの背後に居る霊は、そうした情報をそのブロガー主さんに言っているのかと言いますと、確かにそうした霊的映像は霊界に存在しているのです。私はその映像を見て、これは起きえない映像だと判断していましたが、そのブロガー主の背後の霊は、それは起きると判断していたことになります。つまり、虚空蔵から出て来る【嘘】の玉を大当たりの玉と間違えたのでしょう。
    そのブロガー主の背後は邪神だ!。その邪神を自分が倒したとメールをくださった方がありましたが、全然倒れてはおられません。元気いっぱいであけてくれても欺された内容の神示を連発されています。が、本人はそれが本物の神示だと思っておられるから、本人に悪気はなく、自分では一生懸命に神に仕えていると思っておられるから質が悪いとなります。
    一方、倒せもしていないのに倒したという嘘を出される霊も出て来るなのです。自分は偉いとか凄いと思うからそうした霊を倒せたとも思うのです。実際に邪神と言えども神霊を倒すなど容易なことではありません。霊は簡単に死なないからです。消滅しないからです。霊はいくら倒してもゾンビのようなもので死なないのです。
     
    今の神霊世界は【99%】は邪神だと言われているのは
    誠の意味が解る神霊は1%(一厘)程度なのです
     
    今の神霊界は「99%」が邪神だと言われています。これは日月神示などの「一厘と九分九厘」の言葉から出て来たものかと思われます。実際に神霊世界を知ると「99%」の御神霊が邪神だということはありえません。無論、何をもって邪神と定義するかで違っては来ます。
    しかし、100人の霊能者を集めれば、自分だけが本物で他の99人は蛇や狐の言葉に踊っている者となります。変なプライドばかりを持っていて、自分だけは欺されていない者と思うのです。心配しなくてもいいのです。全員欺されているのです。
     
    それは【虚空の口(嘘)】から
    【真如(真実)】を出す作業をしていないからです
     
    私は神霊界を少しばかり見聞していて、自分の出した言葉に責任を取るという神霊がどこにも見当たらないことに気づきました。
    人間は万能ではないし神そのものではありません。時には勘違いや誤ったことも言います。人間だからです。しかし、霊界に居る神ともなれば人間とは違います。神霊としての役割があります。
     
    私の最初の師匠は、その著本に豊受姫様が言われることは100%当たっていると書いておられますが、私に対しての内容も外れましたし、幹部講員さんに聞いてもその神示が当たっていないことはあったと言われました。だからと言って、一度や二度の嘘をつかれたから講を去るという講員さんは存在しませんでした。一つや二つの嘘があっても、それで全面否定は出来ないからです。
    講員さん達は
    神様と言えども時には間違えられることもあると、実に鷹揚でした。また、神も間違われるから親しみも出るなのです。神だから100%当てないと許さないと言っていたら、実にギスギスしたことになります。
    豊受姫の私に対して出された言葉が当たっていないで嘘になることに関しては、私の最初の師匠は【貴方の背後には豊受姫をもってしても見通せない高い神界からの力で、貴方がコントロールされている】からと説明がありました。しかし、講員さん達に対しての神示で当たっていない事柄に関しては説明はされなかったようです。
     
    世に出ておられる神霊は別に豊受姫だけではありません。多くの人の背後にはそれぞれ守護神など居られて、それぞれの守護神の思わくもあります。時にはそれで神霊と神霊がぶつかります。自分の力で押せない時は、神霊の言葉も当たらなくなります。それは考えれば誰でも解る道理です。必然です。力の強い神霊ほどよく当たり、力の弱い神霊の言葉は実現力がさほどないので外れます。
    もしも、100%当てられる御神霊が存在するならば、どこにそんな存在が居られるか聞きたいぐらいです。もしも存在するとすれば奇跡なのです。霊界はピラミッド様式で、そのトップ神でないと解らないことは山の様にあるからです。神霊界の地位が下がれば下がるほど解らないが出て来るのです。

     
    霊能者として著名な木村藤子さんにしても、私がかなり昔に恐山参りで田名部でタクシー運転手さんから聞いたのは、地元の者は蛇の神様の木村藤子さんではなく他のイタコさんに行く。そのイタコさんの方がよく当たると言われていました。地元で蛇の神様と言われていたのは、木村藤子さんの名を全国に轟かせた大蛇の行方不明の件からでしょう。蛇の神様だから、大蛇の行方は解ったのだと言われた時、なるほどと感心していました。
    時間があればそのイタコさんを訪ねたかったのですが、時間的に出来ませんでした。だが、木村藤子さんの正解率はかなり高い方だと言われています。木村藤子さんの御祭神は龍神の天照大御神とされているようですが、それでも外されることもあるなのです。テレビ番組でも行方不明者捜索に失敗されています。言われることが全てに当たっているではないのです。相談に行って、当たっていなかったと不満を言われている方もあります。
     
    ​最近、天草の島原の乱の原城址で地元の人達から天草四郎の幽霊が出るで某テレビ局が検証に入りました。その霊らしき存在は確認されましたが、その幽霊が天草四郎の霊とは断定は出来ませんでした。断定するには複数の優秀な霊能者が霊査しないと無理です。しかし、地元の人達の目撃例が複数なので天草四郎霊の可能性ありです。
    その検証の時に、原城址で無数の浮かばれていない霊のオーブ写真が撮られました。撮影したのは霊感者でもあるタレント中川翔子さんでした。そこには島原の乱の戦いで死んだ多くの農民などの霊がさまよっていることは確認出来たのです。島原の乱の犠牲者の供養は未だ出来ていないのです。
    天草四郎らしき霊が幽霊として複数の人達から見られたのは天草四郎が地縛霊化している可能性が大なのです。地縛霊は魂そのものが因縁の地に縛られてしまうのです。地縛霊の魂は遠くに行くことも転生も不可能となります。これが何を意味するのか?。解る者には解りますが、解らない者には解らないなのです。
     
    街の易者は当たるも八卦、当たらぬも八卦です。易者の卦が当たらなくても誰も文句言わないでしょう。だが、霊能者となると背後に神霊が在るとなるので、当たらないと世間から何を言われるか解りません。神なのに当てられないのか!。です。実に因果な仕事なのです。100発100中など神界ピラミッドが解っていれば、不可能な話なのです。
    私も拝み屋さんと呼ばれる町の霊能者を求めて、ずいぶんと訪ね歩きました。易者並みの料金なら当たろうが当たるまいがいいのですが、ともかく時間の浪費がもったいなくてそうしたことを止めました。
     
    奇跡を見たいとか現世御利益が欲しいであれば、そうした霊能者に当たるもありますが、【真理】を知りたいで探してもまったく無意味だと言えました。
    大本教神諭予告【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)は、【良心神】の存在を告げるものでした。それはたったの【一輪】であり、「九×九」の仕組の他(九十九%)は良心神と繋がっていないと【誑かし】を誘発させるなのです。

    今の神霊世界の【九十九%】は邪神だと言われているのは、自己の良心神に基づいて自分が出した言葉の嘘に【責任】を取ろうとする神霊が見当たらないことなのです。
    それではどこに神の【誠】があるのかとなります。世に出ておられる神霊の本来の仕事は病気治しとか現世御利益ではなく、人に授けられた魂は神とも成れる。その魂を磨かせて、神として成長させるにあるのです。大本教神諭予告、人には神とも成れる魂を授けてあるにも関わらず、なのです。
     
    日本の【諺】に 嘘は誠の皮なりて、誠は嘘の骨があります
     
    嘘と真実は、身体の骨と皮のような関係で、真実を覆い隠すのが嘘であり、嘘を暴けば実にあたるという意味です。
    古来より【嘘には種が要る】と言われていますが、何の根拠も無い嘘を創り出すというのはかなり困難な作業で、嘘が出る背景にはそれなりの「種」が要ります。そこで嘘を暴いて行くと、【真実】という種が見つかるものなのです。
     
    神霊達が出す言葉の「嘘」を何一つ疑わずに行くならば、何時まで経っても【真実】という種が出て来ません。誠は嘘を叩いて叩いて骨とする時、【誠】が見えて来るものなのです。
     
    自分が解らないことは解らない。知らないことは知らないと言えば事済みます。しかし、我れは○○大神なるぞと大きな事を言っている霊は、自分が知らない解らないことを聞かれると、大きな神名を名乗っていると知らない解らないと言う言葉を口に出すことが出来なくなって、嘘を出すことになります。また、逆にこの神に逆らうのかと脅すがあります。
     
    私が出会った数々の霊能者の中には、当方の御神霊は何分にも神霊界での地位が低く、貴方のご質問の件はお解りにはなりません。どうか、いろんなことを教えて頂きたいと逆質問に出会ったことがあります。私はその御代さんに、貴方がその精神で精進なされたならば、必ずやその御神霊は高い神位の段階まで進むことが出来ますよと励ましたことがあります。後にその方は評判の霊能者になられたと聞きます。
     
    私は神霊界に関わっていて、神とは【良心】を失った存在かと思いました。その良心神たる良心を失った神霊の存在が蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に【身変える】させていると解った時、大本教神諭予告【九つ花】の恐ろしさを知ったと言えます。
    大本教神諭予告【九つ花】を理解出来ない神霊は、天帝から処分されてもやむなし
     
    知らないことは知らない。解らないことは解らない。そうしたことが言える霊ならば間違いが少ないのです。
    霊的世界において苦慮することは、霊が勝手な言葉を口に出し、その言葉が「嘘」であっても責任を取ろうとしない無責任な霊が横行していることなのです。
    神霊が出した「嘘」に腹を立てているようでは、神霊世界に関わらない方が身の為です。神霊の言葉を【鵜呑み】にしないで、その嘘になったことの背景を探る。そうでないと【真実】は見えて来ないのです。

     
    第××項 神界挙げての結婚式の大嘘?、で学んだ「義の方」の存在

    私が最初の師匠と伏見稲荷山における修業で、師匠と【長者社(御劔社)】一緒に参拝したところ、私の師匠が老神と会話されています。私があの老神はどなたですかと聞いたところ、あれが長者社の【御劔(みつるぎ)】大神様ですよと言われます。御劔大神と言われるように【剣】の神様です。
    そして、師匠は御劔様から貴方に伝達せよと告げられたと言います。それは【貴方の結婚式は神界挙げての結婚式であり、全神々の参列の元に執り行われる。その結婚式における仲人神は、この御劔が努める】と言われましたと言います。
    それを聞いた私は、【なんとも途方も無い話をされる。どうして私の結婚式が神界上げてのものであり、全神々の参列の元で行われのだ?】と、疑問を持ちました。私を欺すにしても、途方もない大嘘だなと聞いておりました。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、【そなたは我が子なり】と告げられましたが、私自身の結婚話に関しては何も告げられておりません。
    だいたい世界の予言書を見ても、旧約聖書には終わりの時、旧約聖書の神は人類を救う為に我が子をこの世に遣わすと予告はされていても、全神々が集う神界挙げての結婚式などの話はどこにも存在しません。

    ただ、私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、【神界の御用をするのは肉体のそなたではなくて、そなたの「魂」がするのであって、肉体のそなたはこの世で「バカ」を演じていればいい】と告げられました。
    この世に肉体を持つ私には何の神力も与えられず、聖人君子でもなくて、この世の社会の底辺で単に「バカ」を演じているだけであり、神界が統一されない限り、全神々が参列する結婚式など、そのものがあり得ないとなります。

    今の「地の神霊世界」の主宰神は盤古大神(木星神)とされていますが、それは名目上の主宰神のことであり、現実に地の神霊世界を押さえきっておられないと思われます。それは日本の室町末期の将軍職のようなもので名ばかり将軍。国常立尊様御引退後は力を持った神霊達の群雄割拠の戦国時代のようなもの。神界統一が出来てもいないのに、全神々が私の神界における結婚式に集まって参列するなど、どこをどうやっても無理な話です。

    おそらく【嘘】の話だろうと思いましたが、人を欺すにしても、そこまでの嘘を出された者等いないだろうです。ただ、私が神霊世界に関わり始めたのも私に結婚問題が起きると霊界が動くという不思議を伴っていたのです。
    神が人の結婚にあれやこれやと干渉して来る等、ほとんど聞くこともありません。なのに?、です。私は自分の結婚が霊界によって数々妨害されて来ましたので結婚は諦めたのです。

    ただ、私が最初の師匠の元を離れた後、テレビ放送の初期の頃にテレビで活動されていた東京の著名な霊能者を訪ねて霊査を受けたところ、【貴方の背後には神界を統一出来るだけの力を持った方がいられます】と言われます。
    私はそれは「国常立尊」様のことかと思い、どのようなお姿の方ですかと聞くと、【若い侍姿の方です】と言われます。若い侍姿の方だけでは何も解りません。だが、それは国常立尊様ではあり得ないとなります。
    その著名な霊能者の方は、【私にはこの若い侍姿の方の考え方がよく解らない。神界を統一出来るだけの力を持ちながら、貴方がこれほど苦しんでおられるのに何一つ貴方を助けようとはせずに、腕を組んだまま貴方を黙って見ておられる】と言われます。

    後に、私の背後には白馬に跨がった若い侍姿の方が居ることが私にも見えて来ました。その方は「御劔大神」とは主従の主の関係にあり、その存在は聖書のヨハネの黙示録に述べられている存在と言えます。
    聖書の白馬に跨がり、血が滴る剣は諸国民を討つです。私が見たのは日本の若武者姿でしたが、その兜の吹き返しの一方には太陽。片方の吹き返しには月があしらわれていました。それは【太陽と月】を意味するほどの存在と言えます。兜を率いる存在です。

    ある時、不思議な映像を見ていました。その白馬に乗った若い方が刀を振るうと、神々がその剣で倒されて一面が血の海です。それは聖書にある【殺戮の丘(ハルマゲドン)】たる光景です。ハルマゲドンとは地名ではなくて「殺戮」の意味です。
    私は最初の師匠がこの世を去る前に訪ねて、【私は世に出られのでしょうか?】と尋ねると、【貴方の目には見えてはおられないでしょうが、貴方の周囲は邪神達が貴方の目には見えない離れたところから九重十重と軍勢で取り囲んでおり、貴方が世に出ることを阻止しています。もし、貴方が世に出ようとすれば邪神達と戦い尽くして滅ばさなければならず、神界は血の海と化してしまいます。貴方は神界を血の海にする気ですか?。神界を血の海にしないでください。世に出ようとしなければ安泰です】と言われます。

    それは肉体の私に対してではなく、私の背後に居る白馬に跨がった若武者の霊に対して言っておられると解りました。神々が従わなければ、それを尽く討つ血の海はさすがにどうかとなります。また、その若い侍姿の霊に従っている軍勢はその周囲を遠くから囲んでいる邪神達の勢力からするとそれは非力と見受けられました。とても全ての邪神と戦うのは無理です。
    ただ、私から見ていると、その若い侍姿の霊は天からの援軍が到着すれば、神界で掃討作戦を起こすなのです。

    私はその方を【義】の方と言います。大本教の出口王仁三郎聖師が救世主は【源の日出雄】だと称して「蒙古(モンゴル)」に渡られた型演技の存在です。聖書に【私は義の者が1人でも居れば、私は人類を滅ぼさない】がありますが、その【義】の方です。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る霊声から、【肉体のそなたはバカを演じていればよい。神界の御用をするのはそなたの魂の方である】と告げられましたが、神界の結婚式とは、もはや朽ち果てるだけの老人となった肉体の私の結婚式が神界挙げての結婚式ではなく、その兜に太陽も月も従える若い侍姿の方を言われたのだと解って来ました。男の私から見ても、何と美しい顔をされた方かと惚れてしまうほどの顔立ちをされています。
    私自身がその方ではないのです。それはその方の魂と肉体の私の魂は大きさの規模がまるで違っているからです。ただ、私の魂はその方の魂とは同質(同根)だというだけのことなのです。

    魂という存在は世界で語られていますが、科学者や医学者のほとんどはその存在を認めません。科学や医学では魂は見えないのです。その魂の存在を認める方でも大きな過ちを犯しておられます。それは【肉体人=魂】と錯覚されていることです。
    大本教から、【霊主体従】と【体主霊従】が出されました。大本教という宗教が起きるまで、その論理はほとんど理解されておりませんでした。体主霊従だと肉体の行動は魂の行動とは別になります。霊主体従となって肉体の行動は魂の行動に近くなるからです。
    例えば、肉体の脳の働きに障害があって精神薄弱と呼ばれている方達があります。しかし、その魂は精神薄弱かとなりますと、必ずしもそうではないのです。肉体は肉体であって魂そのものではないからです。

    私達の肉体は肉体が死ねば間違いなく終わります。だが、魂は肉体そのものではないので霊界に帰って行くなのです。そこにおける論理が【コップ一杯の水とスポイトの一滴】です。自分の本体たる魂と肉体に出ている魂の大きさの違いです。
    大本教から【人=霊止】と出されましたが、私達の肉体は基本として自己の魂の他に自分を守護している霊や憑依して来ている霊等の総合の働きで肉体は行動しているのです。
    理想とされているのが【神人合一】で、神界における自分の魂と地上に出ている肉体人の魂の合一です。その段階まで進むと、もう他の信仰守護霊とか憑依霊は排除されてしまうのです。自分自身が神界に身を置けるなのです。

    私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【肉体のそなたはバカを演じていればいい。神の世界で働くのは肉体のそなたではなくて、そなたの魂だ】と聞かされましたが、バカが天性の私の行動=魂の行動そのものではないのです。
    ​肉体の私は自宅の神前に居て自分の魂は霊界の伊勢神宮に飛んで大神霊行列を見させられたり、伊勢神宮に鎮座する高貴な方に出会ったり、綺羅星の如く将軍霊を引き連れておられる盤古大神に拝謁していたのは肉体の私自身の魂であり、その様を自宅から見ているのが肉体の私だったからです。 白馬に跨がっているのは私の【正守護神】たる存在でした。
     
    大本教から【本守護神】【正守護神】【副守護神】の存在が出されましたが、スピリチュアルで「ハイヤーセルフ」などと言っていると、それが蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊とも解らず、自己の魂の本源が解らなくなるがあります。正守護神と呼ばれる存在のことを知らずに【神人合一】も起きえません。

    よく、私の霊がいろんな方の元に出て来たと聞きますが、私は自分の魂の行動を全て把握していません。よく聞くと鎧兜の侍姿の方だったと言われます。だとすれば、それは肉体の私の魂ではなくて私の正守護神たる方です。神界で働いているのは私の「正守護神」たる魂であっても、肉体の私はこの世でバカを演じているからです。演じているのではなく本物のバカ的存在なのです。
    バカでないと、こんなバカバカしいことなど出来ません。
    私は、肉体の私と魂の私を一緒にするなと言います。肉体の私は魂の【服】であって、それ以上ではないからです。もし、肉体の自分と魂の自分に合一すれば、その時には【神人合一】と呼ばれる存在に入りますが、その状態ではこの世ではまず暮らせないのです。
     
    続く

     

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    第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その5

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      第××項 みろく世の神宝【如意宝珠(神集の玉)】?

      私が現在住む土地は、若干名の霊能者によれば【神界機密ゲート】が存在すると言われます。私にこの土地に戻れと言われた豊受姫は【その地は時が来れば、万物の創造神が天下る場所】とまで言われました。機密ゲートには、そうした意味が含まれるのかも知れません。
      綾部は大本教出口なお開祖を通じて「国常立尊」と名乗る神霊が出られた土地であり、綾部藩の殿様は熊野本宮別当家であった九鬼氏で、その九鬼神道では宇宙の元津神を【宇志採羅根真」として来ました。大本教とは違う【ウシトラ】の漢字の使用です。別に驚くことではありません。ただ、豊受姫はその時が来ればで、その時期はまったく解らないとなります。もしかすると、そんな時期は永遠に来ないのかも知れません。だが、何等かの準備がなされている形跡はあるなのです。
      創造神などと呼ばれる神は、もはや人智で語れるような存在ではないと私は思ってます。ただ、【創造と破壊は表裏一体】であり、新しい世を見るには破壊は必然的に伴うのかも知れません。
       
      豊受姫が言われる万物の創造神とは、ある意味、大本教からもその存在は未だ出ていないなのです。大本教の出口なお開祖に懸かったとする国常立尊は、七合目の神だとの説があります。名乗りは国常立尊であっても頂上神ではなかったです。その頂上神とされるような神が現出されるとすれば、同じ綾部からという意味合いなのでしょう。
      ​豊受姫は私に綾部に帰りたい帰りたいと泣かれたので、神様だったら勝手に帰ればいいものと思っておりましたが、大本教で禁足地とした本宮山に豊受姫が宇宙から降臨された映像が出て来ました。また、大本教の出口王仁三郎聖師の説明でもそうなっているようです。ただ私が見た霊的映像では、豊受姫は綾部の前に【倉敷】を経由されていました。​大本教3代教主補であった出口日出麿さんや日月神示の岡本天明氏の故郷です。

      ​私が師事した2番目の師匠の御祭神が、私に200万年前の綾部の光景を見せるとのことで霊的映像を見ていましたら、その本宮山と横の四つ尾山(大本教では世継山)が大小の島の様な風景で、周りは水面でした。たぶん川ではなくて海と思われます。二つの島で一対を為す夫婦島です。後に図書館に行って古代の地理を調べましたところ、今の高さからするとその一帯は川ではなくて海だったようです。2番目の師匠は、その型が後の世に二見浦の夫婦岩として模写されたと言います。
      ​いずれにしても、伊勢神宮の神は「雄略記」で解るように近世の話であって、超太古の神代時代にはそぐわないのです。そうした霊的映像を見せる神霊ともなれば、かなり高い霊とか強い霊と言えます。

      ​私はこの2番目の師匠の祭神が見せる奇跡の数々を見て来ましたが、もしもその様子をビデオで撮ってテレビで放映したならば、人々は大ショックを起こしたでしょう。科学ではあり得ない現象です。私もそこまでの霊能者は見たことがありませでした。
      テレビに出て来られる霊能者は霊視とか透視は優れていても、そんな力持った方は存在しません。まったく次元が違うのです。

      そうした話は別として、私がこの地に戻って知ったのは、この土地と言うことではなくてその周囲は、大本教で本当の【元の金龍海】と称した場所で在り、綾部の大本教神苑の中に在る金龍池は単にその型に過ぎないということでした。地元の古老は、出口王仁三郎聖師は下半身を露出させてその周囲を回っておられたと言います。
      ​私は下半身露出に、男でアマノウズメの演技かと首を捻っておりましたが、それでユダヤ教の【割礼】の意味を紐解かせてくれました。言葉上の仕組です。

      その元の金龍海とは伝説では【底なし沼】とされていましたが、今は底なし沼跡にも多くの住宅が建っています。しかし、そこを見ていると、時には何万という金龍神や白龍神が天に上がって行く様が幻視出来たことがあります。金龍神だからと言って、一体ではないなのです。しかし、数万体の金龍神や白龍神が存在しても、それでは世の立替は出来ないでしょう。その底なし沼の水脈は国常立尊が御引退後に鎮まられたとされる若狭湾の【冠島】に繋がっているという説もあります。
      私がその二番目の師匠から聞いたのは、私が住む土地はその【陸(あげ)の龍宮城】の呼吸口に当たっているでした。私がこの土地で【大金龍神】を見たのは、この地が金龍海とされる場所だったからのようです。


      大本教の出口王仁三郎聖師は日本最強の予言者とされており、その内容は大本教から出版される書籍に記載されています。しかし、出口王仁三郎聖師発言の全てが書籍に記載されているのではなく、その直弟子達に直に告げた内容で大本教神典には何も記載されていない予言も存在していました。

      私が住む土地そのものではありませんが、その隣接地に関して出口王仁三郎聖師がその直弟子達に【あの土地には、みろく世で使われる神宝が埋まっている】と予言された場所があり、その土地の持ち主も密命を受けた大本教信徒さんだったようですが亡くなられて、その子孫が周辺には居らず、相続の所有者を探してその許可を取って、出口王仁三郎聖師の直弟子がブルドーザーで掘り返したが、何の神宝も出て来なかったとされる土地があります。
      私はその土地のことを購入した土地の所有者から直接に聞かされて唖然としました。豊受姫の私にこの地に戻って神界の御用と出たのは、単純な意味ではなかったなのです。また、大本教の出口王仁三郎聖師は自分の代では「世の大立替」がないことも知っておられたことになります。しかし、そこは私の所有地ではないのです。

      私は隣接地に埋められているとされるみろく世の神宝に関して、豊受姫の御代をしていた最初の師匠の元に聞きに行ったところ、【それは霊的な神宝で、掘り返したところで見えるものではありません。仮に霊的な物が見えたとしても、それは地中深くに存在しており、神霊でも掘り返せる物ではありません。時が来ればその神宝自体が自然と地上世界に現れます。その神宝は貴方の物であって、他の方や他の神達が所有されるべきものではありません】と言われます。
      出口王仁三郎聖師は【みろく世で使用される神宝】と予言されておりますが、如何なる神宝なのか?。最初の師匠に問うたところ、【如何なる神宝なのかは解りかねますが、おそらくは「如意宝珠」だろう】と言います。

      世間では【一厘の秘密】などと盛んに言われておりますが、一厘にそれほど意味はないと考えられます。大本教神諭は【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(経緯)】を予告しておりますが、九つ花に咲く一輪の言霊は【41】位の場所の「言霊」の示しにしか過ぎません。
      それ自身は言葉の仕組で紐解けますが、それを紐解いたからと言って現実の力の発動には何一つ結びつきません。私が大本教神諭予告【九つ花】を紐解いて、みろく神(369)とはお釈迦様の死後【五十六億七千万】後に現れて、お釈迦様の本当の悟り(人には良心と呼ばれる神が内在する)を出せたとしても、今の神霊世界は「愛」を言っても【良心】神を言う神霊や天使は亡きに等しい状態まで来ているのです。特に下級神霊界はひどい有様と言えます。
      日本の神智学では、「愛」ばかりを言うのは蛇霊神としますが、人は【愛の言葉に弱い】があります。

      それは、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、そなたは【イエスの愛の教えを恐れずに乗り越えよ】と告げられましたが、その段階を超えられていない神霊が多いとなります。お釈迦様の悟りを告げる【みろく】の意味すら理解出来ていないなのです。また、そうした神霊達は言葉の仕組も学ぼうともしないなのです。

      大本教霊界物語を読まれた方ならば解るかと思いますが、霊界物語の巻編としての【如意宝珠】があります。【如意宝珠】とは仏教用語で「意のままに願いをかなえる宝」のことです。
      しかしながら、仏教で見られる仏像には【如意宝珠】を持たれた仏像が多数あります。されど、そうした如来や明王や菩薩がいくら現出されても、現実にはさほど霊力を持ってはおられません。どの御神霊も個人レベルのことならば救う霊力はお持ちでしょうが、全人類が生きるか死ぬのかの瀬戸際では、そうした神霊の霊力はほとんど無意味なのです。
      ましてヨハネの黙示録で出された【私は新しい天地を見た】など、創造神段階の神霊であって、神社や仏閣に鎮まる霊の段階では何一つ出て来ない言葉と言えます。

      出口王仁三郎聖師が直弟子達に【みろく世で使用されるお宝】と予言されたものが、そもそもそうした【如意宝珠】なのか?。があります。大本教の出口王仁三郎聖師は予告として、【独国に埋められた如意宝珠は殻玉で、その精は日本から発動する】と予言しておられます。それは【玉】の類いではなくて【精】だとしておられます。
      大本教霊界物語で出された【如意宝珠】は霊界物語第16巻第13章に、【神集の玉】と言う「言葉」を発する生玉としています。今はウラナイ教の末流たる悪神の手に保存せられ、独逸(ドイツ)のある地点に秘蔵されありといふ。が、別の所では「その独逸の玉は殻玉で、その精は日本から発動する」と言われているのです。

      当時のドイツから言葉を駆使して出たのは【人ラー(ヒトラー)】であり、私は言葉の仕組で【神ラー】を説いたのです。
      ​だが、出口王仁三郎聖師が予告されたのは、みろく世の宝は【言葉】を発する生玉。


      言葉を発する【生玉】など、世に出ておられる神々でも見たことがない代物なので、解らないことをあまり論じても意味はないでしょう。出たとこ勝負と言えます。
      ただ、私が豊受姫から言われた人類の問題ではなく神界の問題であれば、一部の霊能者が言うこの土地は超太古の昔の神界の中心点で【神謀りに謀りたまい、神集いに集いたまい】をさせる【神集の玉】が存在する場所かも知れないなのです。ただ、それは現時点では地上界に上がって来てはいません。
      私の最初の師匠は、【その地は正しい神達が故郷(神の御国)に帰る場所。邪神達にとっては逆に恐ろしい場所】と言いました。
       
      ​私がそうした事柄を知らない時、私の家の神棚に10名ほどの山賊なのか海賊なのかは定かではありませんでしたが、荒くれの姿をした霊達がやって来て、私に【自分達は既に10個の神宝を手に入れた。残るは後2つ。それらの玉が揃えば天下は自分達のものになる。その二つの玉はお前が隠し持っているだろう。出せ!。出さぬと痛い目に遭わせるぞ!。】と言います。
      私からすると「キョトン」で、何が何だかさっぱり解りません。私が玉を二つ持っている?。男の私が持ってるとすれば、金の玉が二つですが、それが神宝ですか?。と返したところ、当然に俺達をバカにするのかと怒ります。
      だいぶわめいておりましたが、私が何も知らぬ者と解ったようで、「こいつは何も知っておらぬようだ」と帰って行ったことがありました。
      私は神宝に関してはよく解りませんが、既に10個の神宝が邪神達の手にあるとすれば、由々しき事態にあるのかも知れません。

       
      第××項 天之御柱、国之御柱
       
      私はこの地で不思議な光景を見ていました。それは、私が前の家が空家になったので購入して更地にした場所です。元々は私が住む土地と一対の土地だったのですが、前の所有者がお金に困って分筆して売った土地です。私が住む土地はあまりの水はけの悪さから嵩上げをしたので、その土地とは今では段差があります。その前の土地の一カ所が何故か気になるです。
       
      霊能者でもスピリチュアルでも国常立尊様と関係する方達は、特に女性は国常立尊さんのことを「おじいちゃん」などと言われます。神的に自分の魂と国常立尊様は祖父と孫の関係にあるなのです。それは大本教神諭に、ウシトラ金神に関係する魂の者達は紐をつけて放さないようにしてあるとありますので、国常立尊様、国常立尊様なのでしょう。そうした1人の女性が、やはり気になると指したのは同じ場所でした。
       
      私がそこで見たのは、宇宙と繋がる地球との霊子(たまのこ)線です。すると、そこが地球の「臍」となります。出口王仁三郎聖師が言われた地球の十字台とは違った意味です。
       
      通常言われる霊子(たまのこ)線は、人の肉体と魂を結ぶもので、自分の魂が肉体から抜けても肉体に帰れます。逆にそれを切断すると魂は肉体に戻れなくなります。為に、霊子(たまのこ)線が切断されると人はあの世へと旅立ちます。それをスピリチュアルではシルバーコードと呼んでいますが、必ずしも銀色線だけではありません。
       
      それとは別に肉体の「臍」からも線が出ています。この線は神の子宮たる神の御国(分かちの国)行きの線です。創造神とつながる線です。この線はあまり知られていないので、スピリチュアルでは言う方もないでしょう。シルバー・バーチ霊訓集にもないと思われます。またスウェーデンボルグの霊界本にもないでしょう。
       
      私が見た線は天帝の御座所と繋がる霊線です。豊受姫が言われた【時が来れば、万物の創造神が天下る場所】のことだと思われます。もしも天帝の天下りがないとしても、逆にこの地球からその線を通じて天帝の御座所に行くことが可能なのではないかと読み取れました。
      ​この霊子(たまのこ)線は霊線なのですが、天之御柱、国之御柱をも意味しています。私達が住む地球は楕円軌道を描いて飛んでいます。現代の科学ではそれは太陽の遠心力としています。しかし、大本教の出口王仁三郎聖師は天極から吊されて太陽を回っていると言われています。科学からすると全面否定でしょうが、科学で神の解明は不可能と言わざるおえません。
      ​地球の頂点は【N極】なのですが、その「N極」に相当するのが人間の頭部の頂点であり、臍に当たるのが綾部のこの土地に当たるのかも知れません。
       
      続く

       

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      第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか? その4

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        第××項 誰が【米一字】で【魂】の存在証明論を仕組んだのか?

        今の人類の世は終わったとしても、それは私達の永遠の命である【魂の消滅】とは違います。私達に永遠の命である【魂】が存在することによって、私達は低次元界とされるこの世に生きて、死んでから高次元界にと進む道もあります。どの次元界まで上がれるかは、この世における肉体の自分の精進次第なのです。

        この世は【魂の修行場】とされて来たが、それを理解している人は数少ない
        何が大切かと言いますと、永遠の命である魂を消滅させるなのです


        私自身は腐った魂、捻れた魂、どす黒く汚れた魂、反対にまるで【瑠璃】玉のような美しい魂をも見させられました。それらは自分自身がこの世で積んできた結果です。長い輪廻転生で自分の魂を磨いて来た結果です。神様神様と言っていれば、自分の魂が磨かれるではありません。自己努力の結果です。
        一部のスピリチュアルの論調に、【魂磨きは辛いから、捨てましょう】の意見があります。それこそ解っているじゃないかです。魂を磨くのは実に辛い作業なのです。だからと言って、辛いからと魂磨きを止めたならばどうなるのかです。
        ​邪神界の神霊などは正神界の神霊の様な振りをして、自己の魂磨きをさせないように甘い言葉を出して来ます。聖書にある蛇の囁きなどです。その魂を堕落させて、自分達の仲間に取り込む作戦です。
         
        魂を堕落させるのは簡単で、楽だが地獄界行き
        魂を磨くのは辛いが、結果として天国界行き
         
        なまじ霊能力があると、自分の目の前に出て来た霊が光輝いていると、それが正神なのか邪神なのか解りません。それは邪神とは醜い姿をした存在だと錯覚により思い込んでいるからです。邪神でもエネルギーがあれば強烈な光は出せるのです。
         
        闇の門を開けると、光を意味する日立(音)が出る
        なまじ霊能力がある人ほど、霊が見える会話が出来るで【道理】を見失うのです。霊を審神(サニワ)する。そうした言葉一つですら、理解しょうとしないからです。霊が見えることに天狗になるからです。
        ​邪神は自分が使いたい人間に知識を得られることを怖がります。下手に学ばれると、自分が邪神であることを見破られてしまうからです。ですから、知識を得ないように知識を得ないようにと働きかけます。本人の【奇魂】の働きをさせないことです。
         

        仏教には多少なりとも【魂】論がありますが、しかし、それが【玉思惟】であることは説かれていません。日本語でないからそれは無理かも知れません。
        キリスト教やイスラム教にはあまり魂論は存在しません。ただ、イエス一人を神の御子として拝せば天国だとか、神の名を称えてていればよいという誤った教えが宗教世界を支配しました。それでは自分の【魂】が磨かれません。人を殺す宗教テロ活動で、いくら【神は偉大なり】と称えても、創造神の怒りを買うだけになってしまいます。

        人の魂に内在する【良心神】が働いていれば、何の罪も無い人達を無差別テロで殺すなど、神の御言(命)に反することだと簡単に理解出来ることだからです。自己の良心神を見失うから、誤った道にと走るのです。

        大本教から【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】が世に出された時、【節分の炒り豆にも花が咲く】と歌われました。これが私達に初めて「鬼が云う」で【魂】の存在を具体的に知らしめるものでした。
         
        人は死んでは花実が咲かぬと言いますが
        世の大立替は【死んで花実を咲かせる】のです
        ​そこに、節分の炒り豆にも花が咲くとなります

         
        何度も示しましたが、【魂】とは節分の炒り豆の【鬼が云う】であって、大本教の出口喜三郎聖師に神が「喜三郎」ではなくて「鬼三郎」と名乗れと命じられても、「鬼はあんまりじゃ」と【王仁三郎】とされたのですが、節分の炒り豆で追われている【鬼が云う】でなければ、言葉の仕組上、私達の魂の中に【天帝の分魂たる直霊(人に内在する良心神)】は解らないのです。
        私は魂の中に【心棒】の存在を見ましたが、そんなことを今日まで誰も語っていないので、その【棒】が何なのかを知るまでにかなりの時間が掛かりました。まさに【心の棒」だったのです。何故に棒の字は木に「奉る」なのかと首を捻っていたのです。
        大本教から【ス】の神論が出されましたが、誰も何故に【ス】の神論が出たのか?。その意味すら考えずに理解出来ていなかったと言えます。それは世に出ている神々も「国常立尊」の言葉の仕組に誑かされたなのです。
         
        お釈迦様は菩提樹の下の悟りで、人には良心と呼ばれる神が内在していると悟られましたが、現在の仏教ではそれがほぼ消されています。それは日本語の言葉の仕組みで大本教神諭予告【九つ花】を紐解かないと、それが「みろく(369)」を示し、五十六億七千万年の数字の意味も解らないようになっていました。
         
        弥勒菩薩とは、この世の終末に現れて人類を未来の世に渡す未来仏とされたが、
        みろくが表に出なければ、誰もお釈迦様の悟りが何であったのかも解らないでいた。
         
        そうした言葉の仕組を見ずに、ただ自分の前に神霊が現れたで、そんな霊の存在に囚われていると本質を見失ってしまいます。何故ならば、そうした霊は言葉が仕組まれていたことすら解っていない段階の存在だからです。
        霊が見える。それは普段の時であればそれなりの意味もあるでしょう。また、そうした霊によって自分が助けられた。他人も助けることが出来た。しかし、【最後の審判】と呼ばれる事態が起きた時には、そんな霊が見える程度の霊力など何の役にも立たないかも知れないのです。
        それは豊受姫の神が、私に【貴方の言葉の教えに従えない神は、如何なる神とて天帝に対する反逆罪で裁かれる】と告げられたからです。
        私も豊受姫が言われた天帝の【詔】とは、大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密(火水)】だとは、【九つ花】を解読するまで気づきませんでした。
         
        朝鮮半島に残されていた預言、最後の審判前に【米一字】の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降りるがありました。
        未だ、そうした天罰は降りてはいませんが、誰が考えても【米一字】で教えは説けません。だが、その米一字は大本教神諭予告【九つ花】を持って来ると説けるようになっていたのです。
        それはいくら伊勢神宮に天照皇大御神と呼ばれる御神霊が鎮座され、出雲大社に大国主命と呼ばれる御神霊が鎮座されていようとも、【米一字】の仕組みをされたのはそれらの御神霊ではないのです。だから、世に出ておられる神々にも紐解けなかった。それらの神々よりも遙かに次元の高い神の存在が在るとしか言えないのです。
         
        ある方から伊勢神宮の天照皇大御神から私に伝言とのメールが来ました。私自身は伊勢神宮からの霊的な大神霊行列とか、【鶴と亀の紋様が入った着物】を着用された高貴な方と霊的には出会って来ました。
        その私に伝言と言われた方がどこまで本当に御神霊が見えているのかは解りませんが、その方が伊勢神宮に参拝されたところ、伊勢神宮の天照皇大御神から「神野公園」さんに伝言として、自分が三千年間に渡ってこの日本の総氏神を勤めた功績は忘れないで欲しいと伝言を託されたとのメールが来ました。
        確かに、伊勢神宮に鎮座されている御神霊には日本の総氏神としての役割はあるでしょうが、創造神ではないのでそこまでの段階なのです。伊勢神宮に行って喜んでいる霊的段階では、創造神とされる神の存在までとても目が行きません。
         
        私に子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、そなたの背後にこの私が在ることが解らぬ神では使い物にはならぬ神と告げられましたが、伊勢外宮の豊受姫の神は私が何者かをほぼご存知だったので、本当の伊勢内宮の天照皇大御神ならば、私のことはご存知なのかも知れません。
         
        私達が創造神と直接に繋がるのは、【自己の魂に内在する核(日本神道で天帝の直霊)】であり、その働きはお釈迦様の悟りである【人に内在する良心神】の「良心」として働いて来ます。それは大本教神諭予告の【この世の閻魔大王として現れる】の働き以外のなにものでもないのです。
        一部のスピリチュアルの人達は、【良心】など重いだけだから捨てましょうと説いておられます。確かに、良心の【呵責】は重たいのです。それは【この世の閻魔大王】だからです。
        【節分の炒り豆で追われている】のは閻魔大王の麾下の番卒である鬼達のことなのですが、その鬼は現代の悪を取り締まる【警察】です。警察とは「言葉を敬い宇宙を祭る」です。
         
        それは自己が犯した罪を認めず、その罪の償いから逃げる者達に対しての「鬼が云う魂」の意味であり、その結果として自分の魂の姿が霊界で蛇霊化、狐霊化、狸霊化、猫霊化を起こさせているのです。

        私が【神】とするのは万物の【創造神】だけであり、それ以外の御神霊に対して神と言う言葉を使っても、それは便宜上にしか過ぎません。聖書で言う【唯一】の神だけを神としているのです。
        最後の審判と呼ばれる事態が起きないのであれば、別に蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊を神様神様と拝んでいても大きな支障はありません。しかし、この世の終わりにはそうした段階の霊では対処が出来ないのです。

        叩平澄砲箸蓮言葉で示し申すの【叩曚里



        第××項 35万年間の苦しみは世に出ている神々では手がつけられない

        私が住む土地は、豊受姫からその土地に住みなさいと告げられた場所です。
        元々は私の母親が勤務先の定年前に定年後に住む為に古家で買った家と土地でしたが、あまりにも古い家で結婚が考えられる私と親子で住むには間取りも悪く、自家用車の出入りも適わないで別の場所に家と土地を買って母親と10年間ほどその地に住んでいました。
        私は東京から戻って来てその古い家に一年間ほど住んだのですが、そこを出て行く時、私は必ずこの土地に戻って来て神界の御用をするという不思議な意識が出て来て、この何の変哲もない土地で神界の御用と感じたことに首を捻っていました。

        その家と土地は私の高校時代の同級生に6年間ほど貸していましたが、その同級生が新築の家を建てて引っ越して行くことになりました。その古い家を壊して土地を売ろうと考えておりましたが、私は必ずこの地に戻って来て神界の御用をすると感じた意識が、私にその土地を売ろうとはさせませんでした。
        そこで当時の師匠を通じて豊受姫にその土地のことを聞いてもらったところ、その土地は神界にとってもっとも重要な機密の土地であり、その付近一帯は本来は人間が住んではいけない神域である。そなたとそなたの家族だけには住むことが許される。そなたはその土地に戻って神界の御用をすべきと告げられます。

        ところが、師匠が反対します。あんな汚れた土地に住んだならば、この人(私)は命を取られてしまいます。あんな恐ろしい場所は他にはありません。私ならば、行かなければ殺すと言われても絶対に行きません。どうして豊受姫はそうしたことをあの方に言われるのですかと問い返しをされたところ。
        私が行けと言っている以上、その土地に行け!。これは人間の問題では無くて神界の問題であって、人間が知る必要のない問題。この御用が出来る者は神ではなく、あの者ただ一人なのである。どの御神霊も、あの者がする役目は出来ない。
        そこまで言われると、私にはその土地に戻るより道はありませんでした。その地を出て行く時に、私は必ずこの土地に戻って来て神界の御用をすると感じた以上、その地に戻るのが私の定めと言えます。そこで古い家を取り壊して新しい家を建てたのです。

        その地鎮祭の時、私は霊能者をしているのではないのであまり神霊を見ることはありませんでしたが、その土地に【大金龍】がとぐろを巻いています。驚いた私は地鎮祭を執り行っている師匠に、大金龍神が見えましたがと聞くと、「大金龍神」だけではありません。この土地は今の世には出ておられない【太古の神々】が押しくら饅頭の様に閉じ込められておられます。が、その理由までは解りませんと言います。
        それらの神々は私達の様な人の姿ではなくて異様な姿であり、見るからにおぞましい姿です。今の時代の神々の姿ではありません。私達人類が歴史的にも知らない超太古の神々です。第三の神々とも言えます。この土地はそうした超太古の神々の恨みや怨念が渦巻いています。これらの神々の怨念が世の表に出て来たら、恐ろしいことになりますとその師匠は言います。
        後に私の家に宿泊した某大宗教の幹部で霊能者の方は、この土地は今の神代の話ではなくて超太古の神代の中心点であった。祝詞の神謀りに謀りてはこの土地を指した言葉だと告げられます。

        その土地に引っ越してからのある日、私に霊が懸かって私自身が【35万年間の苦しみから救ってくださってありがとうございます】と口を切りました。この土地に押し込められていた霊は【35万年】間も押し込められた霊達なのか?。今の私達が知る歴史における古代の話は、ウル・シュメール(メソポタミア)の時代にしても紀元前五千年とされています。もう歴史では調べようもない超古代です。
        大本教霊界物語に【国常立尊様、35万年前に御引退】とありますが、それに関わっている超太古の神々とも言えるのでしょう。

        それから数年後、私の家に【大ラップ現象】が生じて来ました。その大ラップ現象とはテレビの超常現象番組で放映されたラップ現象等と比較できないほどの強烈なものでした。昼間は別として、夜はラップ(騒霊)音で眠れません。もういつ自分の命が取られてしまうかの状態です。その当時は最初の師匠の元を離れていたので、いろんな霊能者の元を訪れて相談しましたが、自分なら簡単にラップ現象を鎮めると言われるどの霊能者の方も鎮めることが出来ませんでした。出雲大社教や大本教の霊能者も口だけで鎮めることが出来ませんでした。
        そこで、私を知る大阪の霊能者に相談したところ、その土地には得体の知れない怪物達が居る。それは伊勢神宮の天照皇大御神でも出雲の大国主様でも稲荷様でもお不動様でも束になっても鎮めることなど出来ない。ダメだ。とても手に負える様な存在ではない。その地を鎮めることが出来る神などこの日本には存在していない。あんた自身が鎮めないと鎮まらないと言われます。
        私からすれば、日本の神々が鎮められないものをどう鎮めよと言うのか?。です。そこで覚悟を決めて騒霊(ラップ)現象の鎮めに入ったのですが、最初の四十日間はほとんど夜は眠れない状態でした。その騒霊(ラップ)現象を鎮めるのに約3年間もかかったのです。

        私はスピリチュアルで自分はちょいのちょいので浄霊が出来る等と言っている方を見ると、バカではないかと思います。自分で浄霊したと思っているだけで、浄霊は簡単に出来る霊もあれば困難を極める霊もあるのです。その霊のカルマが軽ければ簡単であっても、カルマがきついと簡単ではないのです。

        後日、最初の師匠に出会った時、その師匠が【豊受姫様が言われたように、あの土地を鎮めることは世に出ている神々には出来ない。あなただけだと言われた通りでしたね】と言われます。それを聞いた私は憮然としていました。世に出ておられる神々が鎮められないで、私まかせかです。
        ただ、私がそうした中で暮らせたのは、私が通常の霊能者の様に霊が見えたり霊と会話が出来ない者であったので暮らすことが出来たのだろうと思われます。もしも、なまじ霊能者の様に霊が見えたり会話して来られたら、おそらく自分の命を持って行かれたかも知れません。

        後に数名の霊能者から、私が住む土地は【神界の機密ゲート】があり、そこを死守出来る方は神ではなく貴方一人だけであり、貴方がこの世を去ればその機密ゲートは永遠に封じられて、この世(地球)は終わると言われます。そして、【弥勒の世】と呼ばれる五次元世界が現れるです。
        それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る霊声が私に告げた【この世の幕引きと私のこの世での命が連動している】と同じ意味合いですが、本当のことなのかとなりますと私自身は疑ってはいるのです。皆さん、あまりにも途方もないことを言う。

        後日、私はあることを知ったのです。私が現在住む土地は大本教の出口王仁三郎聖師が教団には内密でその土地を死守せよと一部の信徒達に命じられて、そうした信徒さんの1人が建てた家だったのです。
        だが子孫の段階でお金に困ってその土地を分割して、前側の空地は売られて家が建ち、残った古家は私の母親が買ったでした。その古家を取り壊した時、その家の棟上げ式は大正九年であり、大本教【霊界物語】が書かれる1年も前だったのです。大本教霊界物語はそうした機密を隠して書かれているなのです。

        もしも、その土地に関して大本教の出口王仁三郎聖師が浄霊化出来る土地であったならば、何も信徒に大本教団に内密で死守させる必要はなかったはずです。自分の子孫の教祖の段階では、とても手が出せない問題だったのでしょう。

        私の前に大本教の出口王仁三郎聖師霊は三度出現されました。一つには、出口なお開祖と一緒に出て来て、大本教はまな板の鯉であり料理する必要がある。その鍵は「アラー」の神。一つには、大本教の演技を知るには「日本語」が必要で漢字を変換すること。そして、私が世に出て来るのが出口王仁三郎聖師からすると「遅かった」と言われます。

        私は大本教の信徒ではありませんが、大本教出口なお開祖と出口王仁三郎聖師の活躍がなければ、私にも神の仕組が紐解けなかった。それだけは間違いがないと言えます。

        私達日本人が言う神々とは、日本神話の中の天照皇大御神とか素戔嗚尊とか呼ばれる神です。私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、日本神話の【天の岩戸開け】などの事実は一切無い。全てはこの私が【予告】の為に仕組んだ神話であって、そなたはその【意味】を解読しなさいと告げられていました。
        豊受姫の元で修業に入った時、豊受姫の御代であったその師匠も、豊受姫から日本神話の天の岩戸開けなどの事実は存在していないと伺っていますと言われます。

        日本神話の天の岩戸開けは、各自の魂の核となる光の天照皇大御神が表に出る

        私達日本人が言う歴史とは、日本神道界で【皇紀26××年】などで言われる時代背景にしか過ぎませんが、そうした記紀神話に基づいて神社に祀られている神々よりも、遙かに超太古に神霊達が存在していたとなります。

        続く

         

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        第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その3

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          第××項 この世の全員が死ぬと言われる世の大立替。

          私は豊受姫の元で神霊界修行のお世話になっている過程で、子供の時に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声が私に告げられたのは【私はこの世の幕を降ろす】でした。日本では「世の大立替」と呼ばれていることに関して、その豊受姫の御代(オダイ)であった師匠を通じて豊受姫にどうなのですかと尋ねて貰いました。

          するとその答えは、【人類は誰一人として生き残らない。全員死ぬ。もし人類にそれから助かる道があるならば、この私が教えて欲しいぐらいだ。その時に助かる道などどこにも無い。それが何時かと聞かれれば、それが何時かとは解らない。ただ、貴方は間違いなくその日迄は生きていて、その立替の大嵐の中を突き抜けて行くだろう】と言われます。
          それは、私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る声が言った。「この世の終わりの日が何時かは言えない。ただ言えることはそなたはその終わりの日を自分の目で見届ける」と同じです。豊受姫は、その時には私もこの地球上では生きてはいないが、その大嵐の中を突き進んで別の世界で生きるです。言われる内容に大差はありませんでした。
           
          私が関わった【木花咲耶姫】様系の方からも、「木花咲耶姫」様も人類は全員死ぬと言われていると聞きましたので、豊受姫様も木花咲耶姫様も同様の発信をなされているようです。が、木花咲耶姫の場合はその後は「嬉し嬉しの世」で、その時の大嵐に関しては言及されているのかが不明でした。が、そうした警告発言は豊受姫様系よりも木花咲耶姫様系の霊能者の方が強く出されているような気がします。
          ある豊受姫の分魂を貰っている女性が、伏見稲荷山の主立った神達に向かって話をされているので、何事ですかと聞いたところ、私が会話しているのではありません。私の口を通じて豊受姫様が稲荷の神々に「世の立替」があることを話されているのですが、稲荷の神達は「世の立替」と言われてキョトンとされていると言われます。
          稲荷系の神霊は国常立尊様系列以外の稲荷は頼りにはならないのかも知れません。大本教神諭に世の立替があることはどの神柱もご存知なれどもとありますが、実際には知っていない有様と言えました。

          それは、聖書に示される【全員一度は死ぬの第一の死ぬ道】です。そして、次に霊魂となって審判を受けて天国(弥勒の世・高度の霊世界)に復活です。私はその大嵐の中を突き抜けて新しい未来の世に進むと言われたわけです。
          ​世の大立替を宣伝した大本教の王仁三郎聖師は類い希なる【大予言者】でもありました。出口王仁三郎聖師を通じて出された予言の数々は的中して来たわけです。しかし、出口王仁三郎聖師の予言で未だ的中していないのは【世の大立替】です。
          私がお世話になった豊受姫は、その御代を通して阪神淡路大震災や普賢岳爆発などを事前に予告されたほどの神霊なので、ある程度の予知が出来る御神霊でもあるわけです。
          無論、豊受姫の御代(オダイ)さんでもピンキリであって、御代を勤める方の魂の霊格が低いとそうしたことを一切語られないがあります。御代を勤める方の魂の霊格が高ければ、おそらく東日本大震災なども事前に告げられていた霊能者の方も出たでしょう。


          だが、子供の私に命じられたのは人類を救わんが為の道であって、今の世の人類は全員死ぬであっても未来永劫の世に人類を渡す道があるならば、その道を模索することしかありませんでした。全員死ぬとしても、その後に復活して永遠に生きる事態がさっぱり解らないなのです。
          豊受姫様の御代を勤めていた師匠から、豊受姫様から私に「人類の助かる道が見つかりましたか」とお尋ねがありました。どうなっていますかと言われたりしましたが、未だ解りませんと返事するのが精一杯でした。
          そこに出て来たのが大本教神諭予告【九つ花】を解読することによって解ったのですが、お釈迦様の悟りでもあった【人には良心と呼ばれる神が内在している】でした。新しきみろく世に入る為には【良心神】が必要なのです。


          一般的にはお釈迦様の菩提樹の下での悟りは【慈悲】であったとされています。お釈迦様の本当の悟りはお釈迦様の死後五十六億七千万年後に、弥勒菩薩が出て来ないと本当のことが解らないとされてはいましたが、五十六億七千万後などと途方も無い未来が予言されているのではないぐらい、よほどのバカでもなければ解ることです。
          まさか「みろく」神を説いた大本教神諭予告の【九つ花】に、その五十六億七千万の意味まで秘められていたとは、お釈迦様でも気がついてはおられなかったなのです。お釈迦様の祇園精舎の御守護神は【牛頭天王】ですが、大本教神諭には【艮】だけでなく、牛頭虎パンツの「牛虎」を告げています。
          ​私は2番目の師匠の元で修行中、【牛頭の侍姿】の霊が出て来て、【牛頭】の存在があることを知りました。
           
          大本教神諭予告、【九つ花】を紐解かないと【みろく】神は理解出来ない
           
          大本教神諭に【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】とあります。だが、私が神霊世界を見聞して来た限りにおいては、末端の神界においては「立替」があるなど知らない有様なのです。だが主立った神々は「立替」を言われる。このギャップは何だ!。なのです。
          一つには大本教で盛んに「立替」宣伝はなされましたが、本当の頂点の【国常立尊】は未だ世には出ていないなのです。
          今のスピリチュアルの世界とは、【雑魚】に等しい霊がミカエルだとかガブリエルだと勝手に天使名を名乗って出て来ています。もし私の前に出てくれば、とっちめてやります。そうした天使は恐くて私の前には出て来ないでしょう。
          そうした【雑魚】霊を一掃しないで【世の立替】など無理だと解ります。ならば、その前にとんでもない大掃除がなされる可能性があると言わざるおえないのです。
           
          この地球環境を元に戻すなどは、もはや不可能に近いでしょう。いくら天に向かってお祈りしても、元に戻せる【臨界点】を既に超えています。私達は神社に鎮座されている御神霊に天災が起きないように願っても、その神社そのものが地震などによって潰されたり津波や洪水で流されて行く様を見て来ました。世に出ている神々にそうしたエネルギーを阻止するだけの力はないのです。
          もう人類に残された時間は、ある意味カウントダウンが始まっていると言えます。さりとて、私達人類の手で地球環境を元に戻すことはモウ出来ないのです。

          しかしながら、私が紐解いたのは日本語による【言葉の仕組】であって、そんな言葉の仕組など「二束三文】程度のものだとのお叱りはあるでしょう。悔しかったらギャフンと言わせる神力を見せて見よ!。です。
          私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、そなたには最後の最後の時でないとこの私の力を授けないと言われて来ました。そのことに関して、旧約聖書の神と名乗る声は、【私は、肉体のそなたの肉を相手に斬らせて、相手の骨を絶つ】と言われただけなのです。私がそうした者達から肉を斬られても我慢していろです。後の決着はこの神がするです。
          ​それは豊受姫が私に言われた「貴方の言葉の教えを聞けぬ者は、如何なる神であっても最後に天帝により処罰される」なのでしょう。で、私は何の力もないので、そうしたあざ笑いの言葉を甘んじて受けます。
          一般的に言えば、自分に何の神力を与えない霊など信じてはいけない霊だとなります。自分に神力を与えてこその神だからです。もしかすると、私は欺しの霊に踊らされているのかも知れません。しかし、私は言葉の仕組は【万物の創造神】がなされたことであり、人類は万物の創造神の降臨によって【新しい天地】の世界に向かうと思っているだけなのです。
           
          豊受姫は人類は1人残らず死ぬと言われましたが、自分は霊となってもこの地球に永遠に留まるのだと主張するならば、不毛と成った地球に留まることも不可能ではないかと考えます。
          現実に一部の霊能者達は、その時に備えて【地下帝国】の建設に入っているからです。このグルーブはある【マーク】を使いますので判断は出来るのです。この派に属する霊能者は、私がこの世を去れば五次元世界が来ると言います。反対派の動きを見ていれば、まったくの妄想により起きているのではないぐらいは解るのです。


          第××項 日月を従える
           
          私が見た霊的に見たビジョンは、豊受姫の神が私に言われた【人類に助かる道などは無い】と同じ意味なのかは解りませんが、その光景ならば人類に今の世で生きる道はどこにも存在しないでした。だが、この世で助けることは出来なくても、未来の世(みろくの世)に向かう道は存在しているなのです。
          それはこの地球上で人類を救うのではなくて、私達が知ることがなかった科学でも解明出来ない高次元界に在るとされる別の地球に移るビジョンでした。その世界は天人世界であり、これまで宗教では予告された【神の御国】世界と言えます。だが、それはこの地球上ではないのです。今の地球とまったく同型の【新しい地球】なのです。
          新しい地球を見せられた方は私以外にも多々存在されますが、私も含めてそうした方達は全て霊界の【妄想】にやられていると言われれば、そうなのかも知れません。ただ、霊的世界のことは多数決の論理はあまり意味がないのです。自分の霊格が低いと、寄って来るのは低級霊だけだからです。
           
          スピリチュアルでは盛んに【何もしなくても、この地球が自然に五次元界に上がる】と説かれています。それならば、同じ【今の世は終わる】であっても何の問題も生じないでしょう。突然、ある日から【五次元世界に上がりました】と言っていればこと済むからです。
          しかし、今の世の人類の魂は【五次元世界】用の肉体たる霊体をまとってはいないのです。魂だけなばさらなる高次元界にも行けます。問題は自分の霊体がそれ即応するかなのです。何かと言えば「日月神示」の半霊半物質を持ち出す方がありますが、そうした半霊半物質体は白狐霊などに見られますが、今の私達の肉体ではそれは不可能な話です。
           
          そもそも白狐霊達から見れば、【人間の分際で頭が高い】と叱責が出るほどで、人間は白狐霊以下と見なされています。高次元の神の世界に入れる様な人は僅かしかおられないからです。行者でも白狐霊を使う方と白狐霊に使われている方があるのです。御利益ください御利益ください。そんな人間は白狐霊以下だからです。
           
          白狐霊に使われている行者では、白狐霊の段階を超えることは出来ません。白狐を神様と仰いでいれば、それが神様と呼ばれる存在であって万物の創造神を神として仰いでいるのではないからです。
          私の2番目の師匠が私の最初の師匠を霊視して、これは白狐の魂ではないかと私に言いましたが、私も最初の師匠と伏見稲荷山に同行していて、最初の師匠の魂は白狐であると気づいていましたので別に驚きはありませんでした。白狐の世界から今生は人間界に転出して来ていたからです。今生の精進と神界の働きで、神上がりの道に入っておられたなのです。
          ある日、私の母親の夢にその師匠が出て来て、楽しい世界がありますので見てみませんかと誘われたので行くと、白狐達が楽しく遊んでいる世界だったと言います。私の母親は夢の中で、その師匠に楽しい世界ではあるけれども自分が行く世界ではないと断ったと言います。そして、あの先生(師匠)は白狐だと言っておりました。その師匠は幼い頃から白狐と遊んでいたのです。
           
          子供の私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、私に【この地球は宇宙船と同じ事であり、この地球号とまったく同型の宇宙船が存在している。人類はその新しい地球船に移る】と告げられておりました。
          その新しい地球に関しては、聖書の【ヨハネの黙示録】に記載されており、一部の霊能者の方達も【新しい地球】【もう一つの地球】と説かれていますが、高次元の霊的世界には存在しているのです。ただ、それを言う方は一部の方にしか過ぎません。
          為には、霊的世界に関してもっと深い内容が説かれていなければ、その時になって私達は迷うことになりかねません。元々、人は死ねば終わりではなくて霊界と現世の往復を【輪廻転生】を通じてやって来たからです。

          私が現在住む「綾部」と呼ばれる土地で、明治25年(西暦1892年・いち早くに)大本教と呼ばれる宗教が誕生し、世の大立替を大宣伝をしました。しかしながら、その大立替とは人類の1/3だけが生き残るというものでした。
          ところが私に示されたのは人類は1人残らず死ぬというものであって、一度は死んで、次に嬉し嬉しの新しい世に復活するでした。大本教神諭の内容とは違っているのです。問題は聖書にある第一の死。そして次に最後の審判としての「第二の死」を乗り切れるかどうかなのです。

          それは私に豊受姫の神が【今の世の人類は1人残らず滅びるが、その魂は霊的世界にと渡って行く】と言われたのと同じ事であり、それが事実であれば、あまり大本教の人類の1/3だけが助かる立替論に固執するのは良くないとなります。全人類の1/3の枠決めではなくて、その世界に入れるかどうかの資格試験に等しいものかと推察出来ます。それは既存の天国の門をくぐるのとさほど違いはないのです。ただ、一部の宗教では今日まで誤った考え方をして来ました。我が宗教を信じれば天国だ!。異教徒は地獄に墜ちろ!です。
          天国行きは、本人のこの世の生き方次第であり、宗教の教えそのものとは関係ないのです。【自分の良心に基づいて、悔い改めるが重要なのです】。ですから、全ての人にその資格があれば全ての人が行くでしょう。大本教で説いたことは、この地球上を舞台にしたからです。まだ、真実を全て告げる時期でもなかったと言えます。

          ​要は創造神が乗りなさいと言われる【ノアの箱舟】に乗るのか?。それとも、そんなバカな話など信じないと拒否して【ノアの箱船】に乗らないかです。
          ​なまじ霊能力がある人ほど自分の霊能力に過信して、【ノアの箱舟】には乗らないと思われます。


          人の魂はこれまで【輪廻転生】をしており、生まれて死んで、生まれて死んでを繰り返して来ています。この世を去るとは、単に次に生まれてくる手段でしかないのです。死ぬとかこの世の終わりを何も恐れるとか怖がることではないのです。
          問題は、今回が魂の世界にとっての【最後の審判】であり、その審判によって永遠に霊界における魂の地位が決定してしまうことなのです。それは永遠に霊界での地位が固定されるのであり、大本教神諭に【こんなことならば、どうして前もって教えてくれなかったのかと】ありますが、後悔先に立たずになってしまうのです。

          霊能力がある方からは、この地球に第三次世界大戦が起きて核戦争で人類が滅びるビジョンが語られます。また、地球のポールシフトによる天変地異。天から隕石が火の玉の雨と成って落ちて来ると言われます。そうした映像が霊界にありますが、私が見たビジョンの人類の滅亡とは「核戦争」などではありませんでした。ただ、そうした破滅のビジョンが起きないとは誰にも言えません。ビジョンはビジョンであり、どれが正しいビジョンなのか?。解らないとは言えるからです。
          【Xデー】に向かって世界各地に天変地異は起きるでしょうが、そうした天変地異でこの世が終わるでは無いが私が見たビジョンです。その終わりの日は、突然に全ての【時間】が止まるであって、時が止まれば、全ての重力や動力がある物は停止するなのです。人間も動物も植物も全てその動力が停止する霊的映像でした。
          これまでの論理は、地球を初めとして万物が動いていることに関して、何の意味も感じていなかったなのです。

          私達は時の経過を【年月日】と呼びます。日月の月は「月」であり、「日」は太陽です。日本神話でも太陽と月は語られます。世界の神話も同じです。だが、そこに「年」の感覚が抜けています。「年」は【念】によって左右されているからです。だからそこに「ネン」と言う言葉があったと言えます。
          太陽神を天照大御神と唱えても、月神を月夜見尊と唱えても、誰も時の「年」を意味する神の存在に気づかなかったと言えるのです。岡本天明氏から【日月神示】なるものが降ろされましたが、太陽(日)や月のことばかりに目が行って、時を意味する【年月】の日月の感覚が抜けているのです。

          それは全ての命ある万物は宇宙の【念(意識)】によって成り立ったからです。その宇宙の念(意識)は【想像】とか【創造】とも呼べます。その創造の働きが【言葉】と言えます。
          仏教においては「無」から「有」が生じたとしますが、宇宙の初発に何の【念】も生じなかったならば、それは何時まで経っても【無】の世界であったのです。宇宙の意識が無から有を生じさせたのです。

          一部の霊能者の方達は、人類が地球の【想念】を汚したことにより、この地球が汚されて【念】のしっぺ返しを受けると言われていますが、それが原因の可能性はあるのかも知れません。
          伊勢神宮に行ったら天照皇大御神が出て来られた。月夜見尊が出て来られた。それでは何の気づきもなく【月日】の概念を失ってしまいます。
          スピリチュアルや一部の霊能者達は、【何をしても神の愛で赦されます】の一辺倒ですが、そこには【悪しき想念の汚れの浄化】が何一つ入っていません。人類が出した悪しき想念によって、人類は滅びかねないのです。
           
          何をしても神の愛で赦されるであれば、霊的【浄化】など最初から必要が無いことになります。
           
          世には【霊媒質】の方達が多数居られます。そうした霊媒質の方達は、他人の汚れた想念を被って非常に苦しんでおられます。そうした【想念の汚れ】たる事実を知るならば、何をしても神の愛で赦されますと説くのは、創造神の目からすればもっとも赦しがたき者達となります。【カルマ】の恐ろしさすら何も理解していない者なのです。
           
          自分には霊が見える。世に出ておられる神々と会話が出来る。されど、最後の審判が起きるとすれば、そうした神々によるものにはあらず、閻魔大王たる創造神によってなされるのであって、世に出ておられる神々ではどうにも出来ないのです。

          それは、全ての人の魂の核には天帝の分魂である【直霊(良心の働き)】が備わっているからです。

           

           
          第××項 果たして時間の停止などあり得るのだろうか?

          霊界では【時間と空間】の概念が無いと言われています。それが、何万年前と思われる霊が出て来たりする因とは言えます。また、霊は物質界を抜けて行きます。この時間と空間の概念が無いと言うことは、肉体を保持している身だと絶対に感覚としては解りません。掴めません。ある意味、肉体は不自由であり【型】に縛られるからです。
          俗に【幽体離脱】と呼ばれる現象があります。自分の肉体から自分の意識(魂)が抜けて行きますと、この世の物質体を全て通過して行きます。それを体験する自分に驚愕することになります。そうしたことの一つがお塚信仰などで解る石の中にも霊が宿るなのです。石の中にすら霊は身を置けるなのです。石とは「意思」なのです。

          また唯一教でもお釈迦様でも【偶像信仰の禁止】を言われたのですが、偶像には霊が宿るとなります。霊は石でも樹木にも金属にも宿ることが出来るからです。神社のお札にも宿ります。何故に偶像信仰はいけないと説かれたのか?。そこには偶像には霊が宿るがあるからです。観音様の像を拝していると、それは蛇霊であったりします。
          私が出したブログに【自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊】を書いていますが、霊はどのようにも変化して来るのです。

          単に偶像に宿った霊を拝しているであると、自己の魂の中に宿る神性を知るのは難しくなって来ます。何もかも物質に宿った【外在神】頼りになるからです。​外在神に頼ってしまいますと、自己に内在する神性が目覚めなくなるのです。
           
          人は自分は神の現身(うつそみ)ですと威張ってください
          ただ、それには神らしく振る舞わないといけないのです

          かってのSFで、宇宙船やロケットなどで宇宙空間に身を置いてしまうと、肉体の歳を経ないと言われて来ました。私達が歳を取るとは、時間が存在する世界に身を置いているからであり、地球を離れると歳を経ないなのです。日本のおとぎ話の龍宮城に行った【浦島太郎】の話などはそれを語るのです。
          私達は【時間】の世界に生きています。だが、宇宙空間(霊的世界)に入ってしまうと時間が存在しなくなります。実際には時間が存在しないのではなくて、この世の時間とは霊界の時間の流れが違って来るなのでしょう。そこに何故?が出て来ます。

          私達が知る「時間」とは、地球が【自転】しているからに過ぎません。地球が一回自転すると「一日」です。太陽の周囲を一回りすると「一年」です。では、地球が自転もしなければ、太陽の周囲を一回りもしなければ【時間】は発生しないとなります。 今日まで科学者達は何故に地球は【自転】しているのか?。その意味を深く考えてはおりませんでした。私は【神の時計】を見せられたことにより、そこに深い意味を知ったと言えます。


          大本教霊界物語には【主の神は35万年前に御引退】とあります。この世の一年は「約8765時間】です。神の時計では、この世の一年は神界の一時間にしか過ぎません。その35万年を8765年間で割ると約【40】となって来ます。
          その「40」の数字が持つ意味とは、モーゼの荒野の40年間、イエスの悪魔を退けた荒野の彷徨いたる「40」日間と数字的な関連が出て来ます。主も「40」の彷徨いから出られる時が近づいているなのです。
           
          私は大本教の出口王仁三郎聖師姿の霊から「アラー]神を示唆されました。日本語のアイウエオは、「ア」の門を出てから[ラ」に至る「41」で、【アラーとかアモン・ラー】。その「ラ」は大本教神諭予告にある「九つ花」の真ん中であり、今はその「ラ」を閉じているとなります。出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神ではないのです。
          大本教の出口王仁三郎聖師は自らが出した【ス】の神が本物ではなかったので、大本教霊界物語の題十三巻(アイウエオでスを意味する)に、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと告げられたのです。【みの尾張の国から】高山に向かうのは国道「41」号線。
          多少はそうした仕組を理解した神霊が、飛騨高山に「大神殿」を創っています。しかし、それが【良心神】を告げる為のものであったことまでは理解していなかったようです。
          こうした言葉の仕組をする為には、大本教神諭は「3000」年の月日が掛かったとします。
           
          その仕組の為だけではないでしょうが、地球は「自転」をして、一年が8765時間の必要があったとなります。また、今の世が【七】の世だと知らないと、みろくの【五六億七千万】の意味も理解出来て来ません。私はどうして【五六億七千万】だと?。既に仏教で説いた「末法の時代」に入っているのにと首を傾げていました。日本神話は【神代七代】として、今が七(質)の世ですと教えてはいます。ここが解ると「五六億七千万」の意味も解けて来るのです。

          私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、【日本神話はこの私が創作させたものであって、実際の話ではあらず。何故に私がそうした作為をしたのか。そなたは読み解け】と告げられました。
          みろくの世は「永遠の世」と予告されて来ました。その「永遠の世」の為には、この地球が「自転」を止めるなります。
          しかし私が見た霊的ビジョンは、みろく世の為にこの地球が「自転」を止めるのではなくて、地球が自らが「自転」する為の「エネルギー」を失う問題から、この地球が自転を停止してしまうなのです。その時、この地球の【重力】は全て失われるとなります。その時期が解っているのは創造神のみかも知れません。
           
          未来永劫のみろくの世とは、そうした観点からもヨハネの黙示録にある、【これまでの天地は消えて、私は新しい天地を見た】の「新地球」に人類は移行するのではないかと考えることが出来るのです。
          ただ、今の世の人類を新しい地球にそのまま全員移行させるのであれば、またもやその地球も汚されてしまうでしょう。そこに誰もこの世を去れば行ける【四次元世界】の霊界ではなくて、【五次元世界】に進むであり、みろくの世は五次元世界だと語られる由縁があるのでしょう。
           
          みろくの世は永遠の世とされますが、今の地球上だと永遠の世を創るのは不可能と考えざるにはおられません。
          為には一度、今の太陽を終わらせる必要があるのでしょう。【天の岩戸開け】ではなくて【天の岩戸閉め】です。
          大本教神典に天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しいとあり、私はこの意味に頭を抱えて考えていた時がありました。開けて閉めるのではなくて、閉めてから再度開けるなのです。だから、閉める時の役が難しいのです。
           
          問題は、スピリチュアルでは何をしなくてもこの地球が五次元世界に上昇するだけのことですの論調で、五次元世界に進む為の【悔い改める】姿勢が何一つ説かれていないことが大きな過ちを引き起こすことになりかねないのです。
           

          続く


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          第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その2

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            第××項 豊受姫から告げられた【貴方は言葉の神】

            私が長じてから私の身に摩訶不思議なことが起きるようになって来ました。特に昭和五十五年に私の身に起きた摩訶不思議な出来事から、私は覚悟を決めて神霊世界の修行にと入ったのです。
            私にとって知りたかったのは、子供の頃に私に臨んだ霊声は【旧約聖書】の神と名乗っていましたが、本当に創造神と呼ばれるような高い神霊が私に語っていたのだろうか?。そうした疑いと、本当にこの世は終わるのだろうかでした。
            まだ当時は、科学者が人類に21世紀は訪れても22世紀は訪れないというような地球環境破壊は起きていませんでした。オゾン層の破壊程度です。私には、この世の幕を引くと言われる意味がさっぱり解らなかったと言えます。

            私が当時燐市の稲荷神社で神主を務めて伏見稲荷大社講の支部長でもあった女性霊能者の方の元を訪れたところ、その神社の御祭神である豊受姫が私の霊界修行の面倒を見ようとのことで、そのお世話になることになったのです。その師匠は、稲荷神系の行者としては当時癸韻箸眈里気譴襪曚匹亮汰派でした。
            私がその師匠と初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷大社の豊受姫の神から私に対して、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴い御方で、貴方の言葉による教えは「天帝の詔」と同じ事であり、貴方の言葉による教えが聞けぬ神は如何なる神とて、天帝に対する反逆罪の神として最終段階で天帝により処罰されることになります】と言われます。すると、私が子供の頃に臨んでいた霊声は「天帝」だったのだろうか?。
            ​しかし、私の言葉の教えが聞けぬ神は如何なる神でも天帝により裁かれるとは、天帝とはどれほどの神力なのかと聞いておりました。天帝の実力のほどが解らないからです。
             
            そして、【言葉】による教えとは何のことか?。です。


            豊受姫の神は私の背後には【天帝たる天之御中主】様の御使者神が存在すると告げられます。そして【国常立尊】様が貴方の【本守護神】だとも言われます。が、当時の私は天之御御中主様と国常立尊様の意味の違いすら解らなかったと言えます。
            また、後に豊受姫の神以外の神に仕えておられる霊能者の方にも当たりましたところ、私が見てもらった全ての霊能者がその神名を言うことはありませんでしたが、7〜8名の霊能者の方から貴方の本守護神は【国常立尊】だと告げられ、他には天之御中主とも閻魔大王様とも言われる霊能者の方もありました。

            天に在りて【天之御中主】。地に在りて【国常立尊】。地獄界に在りて【閻魔(閻羅)大王】。それらは同一神の働きであるとは、当時は理解するにはなかなか難しい面がありました。
            私が子供の頃に臨んでいた霊声は「旧約聖書」の神と名乗っていましたが、それは国常立尊様と同一神ということなのかも知れません。どちらも【祟り神】とされているからです。

            私が豊受姫の神から告げられた【言葉の神】など初めて聞く言葉であり、世間一般にも【言葉の神】などは言われていません。その存在すら世に知られていません。後に聖書のヨハネの黙示録にある、白馬に跨がって血が滴る剣を持つ「言葉の王」が、私の正守護神の姿と似ていることに気づいたしだいです。
            私がその【言葉の神】であり、私が説く言葉の教えに従わない神霊ならば、如何なる神霊と言えども天帝から反逆罪で処罰される?。
            いったい、天帝の【詔(みことのり)】とは何だろう?。私が子供の時に旧約聖書の神と名乗る霊声から告げられたのは、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国(日本)に住む者ならばそれらは解る】と告げられたことだけです。
             
            私は豊受姫の神から貴方は【言葉の神】と呼ばれる方ですと告げられても、聖書に【言葉は神(創造神)と共に在った。言葉は神であった】とありますが、それだけでは何も解らないが本当でした。
            その時、私はかって読んだ預言書に【ユダヤ人ではなく、異国の人が異国の言葉で主を語る。その異国の人はその国では「言葉の君」と呼ばれている。言葉の君は自分は主を知らないと言うが、主はその異国の人のことを御存じで、万軍の主は全ての裁きを終えた後、その異国の人を万軍の主の元に呼び寄せて、万軍の主はその全権を言葉の君に渡す。その日をもって、ユダヤ人は救われる】とあったことです。最終日と呼ばれる中の一つと思われます。
            その日をもってユダヤ人は救われるであれば、それはユダヤ教で言う【メシヤ】と言うことになります。
             
            私が2番目の師匠の元に居る頃、立派な羊の姿をした霊が幾体も私の元に来て、自分達は3000年以上前のユダヤ民族の族長で、霊界に居て「イエス」の登場をも見ましたが彼はユダヤ民族の救い主ではありませんでした。貴方が放っておられる光はこれまで見たこともない【緑色】の光で、イエスが出していた光とは違います。イエスと同じ光を出している方は、これまでも何人かありましたが、メシヤではありませんでした。そこで、貴方こそが旧約聖書に預言されている方ではないかと考えて、族長達で揃って訪ねて来たしだいですと言います。
            それはユダヤ民族で言うところの「メシヤ」と言うことなのでしょうが、私にはどうにも「メシヤ」の言葉そのものに合点が行きません。油に塗られし者など何の意味もないからです。誰かが自分は「メシヤ」だと名乗れば人類が救われるなど、無知そのものの論理と言えます。
             
            私は伏見稲荷山でイエスが見せた奇跡の規模までは行きませんが、それと同類の規模の小さな奇跡の数々は見て来ました。ある霊的なメカニズムがあるのです。そんな霊的な奇跡の現出で「メシヤ」などおこがましいとしか言えないのです。そうした奇跡で人類を救える筈などないからです。
            ただ、私を霊界から見ていたユダヤの族長霊達の3000年間においては、私はこれまで見たこともない【緑色】の光を放っている?。【緑色】とは何か?。そして、何故に三千年前のユダヤ民族の族長達の霊は【羊】の姿をしているのか?。です。
            彼らは私に不思議なことを言います。自分たちは霊界でも荒野の様な世界に居て、とてもそれは「天国」と言うような世界では無いと言います。羊の姿なのですから、住むのは荒野となります。
            すると、ユダヤ人の魂が救われるのはこの世の終わりの時なのかも知れないと感じたしだいです。
             
            私はその【異国の言葉】とは日本語であろうか?。日本語で創造神を語ることが出来るであろうかと取り組んでみたのです。すると、日本語の「メシヤ」には意味が出て来ることが解りました。 私には日本語の仕組みで主を語ることが出来ると解りましたが、私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声が私に言った【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国(日本)に住むならばそれらは解る】そのものでした。日本に満ちあふれているのは【日本語】です。日本の国に常に立つ御言(ミコト)だからです。
             
            私が「言葉の仕組」で見た【メシヤ】とは、大本教神諭予告【九つ花】に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)であり、朝鮮に残されていた予言、【最後の審判前、人類救済の為に「米」一字の教えが起きる】の「米」の飯屋(メシヤ)の仕組です。それは仏教的に言えば【みろく(身禄)】の仕組なのです。

            誰がそこまで言葉と言えども組み立てることが出来るでしょうか?。
            それが解らずに自分の目に見えた神霊に狂っているならば、豊受姫が言われる天帝により裁かれる対象なのでしょう。
            ただ、それは大本教神諭が予告してきた【九つ花】の仕組自体のことで、人の身で自分が「みろく」だとか、「メシヤ」だと称することとはまったく違っていたのです。
            ただ、神でもない人間の私が【言葉の神】と名乗るのはあまりにもおこがましいことであり、そこでユダヤ人でない異国の人が異国の言葉で主を語れるので、私の世間に対する名乗りは【言葉の君】としたしだいなのです。

             
            私を見て私がメシヤと思う人は間違える=「米(みろくの九つ花)」一字にメシヤを見る
            人の魂の核たる直霊はお釈迦様の悟りたる良心神の働きで、天帝からの分魂
            故に、【人は神の子・神の宮】
            ​他の人に、自分の罪の救いを頼るべき話では無い

             
            私が出した言葉の仕組、【米】型の「メシヤ」の仕組そのものに創造神を見ずに、私という愚かな人間の行動に懐疑心や批判をしている人は、神と呼ばれる存在を人間の枠に当てはめようとしている段階から一歩も抜け切れていないと言えます。肉体を持った者は、誰であっても【いと小さき者】なのです。 私も聖人ではなくて愚人です。それは人だからです。
             
            【私を見て父(創造神)を見よではありません。言葉の仕組を見て、創造神を見よ】なのです
             
            人は万能ではありません。誰しも欠点があって当たり前です。それを人の身に当てはめると、とても創造神と呼ばれる神の存在の大きさが見えては来ないのです。
             
            私は【言霊】とは何かと知った時、「驚愕」しました。いくら聖書に【初めに言葉があった。言葉は神と共にあった】と記載されていても、その意味すら理解出来ていなかったからです。それはイエスですら言霊とは何かを理解していなかったと解ります。イエスは人であっても「言葉」そのものではなかったからです。
            私はその【言霊】とは何かを知ったのは、大本教の出口王仁三郎聖師が最初で、他には若干名の方しか理解出来ていなかったと見ています。大本教の出口王仁三郎聖師を崇敬される方は多いのですが、それは出口王仁三郎聖師のスケールが大きい人間性に対する尊敬であって、出口王仁三郎聖師に【言葉の仕組】そのものを見ている方はいないと言えます。
             
            私は【言葉の仕組に創造神の存在を確信】した時、私にとっては伊勢神宮の御神霊も出雲大社の御神霊も、そこに鎮座するのは高貴な霊人であっても私が言うところの創造神ではありませんでした。
             
            ​ただ、豊受姫の神が私に対して【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き方です】と告げられていなかったならば、私も「言葉に創造神を見る者」には至らなかったでしょう。その意味では、私を目覚めさせてくださったのは豊受姫なのです。
            最近、豊受姫と名乗るニセ神も排出して来ています。本当の豊受姫の神ならば、私のことは【言葉の神】と呼ばれた存在なのです。


             
            第××項 何故に神々は蛇や狐や狸霊や猫霊の姿に【ミカエル(身変える)】のか?

            私自身が神霊世界を歩んで見たものは、私の最初の師匠が御祭神の豊受姫から書けと命令されて書いた著書に、【自分は神様とは蛇や狐だと思っています】と記したように、蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等と言われている神霊だらけであって、此所は天之御中主様を国常立尊様を祭ってありますと言われても、どこにも【創造神】と呼ばれる様な存在の神の影も形も見当たらないなのです。
            豊受姫かその師匠に神々は「蛇や狐」ですと書かせた意味が解らぬようでは、どうにもならぬ者となります。

            大本教と呼ばれる宗教から【艮(ウシトラ)金神・国常立尊】と称する神霊が出られましたが、それだけではとても【創造神】とは言い切れません。大本教の出口王仁三郎聖師は傑出した【大予言者】であることは間違いないのですが、それでも世を立替るほどの神力が当時の大本教から出ていないからです。大本教は【立替予告の為】の教団だったと言われていますが、まさに立替予告の為の教団だったとは言えます。
            金井南龍と呼ばれる行者の世界では有名な方は、大本教は【神様革命】の神界クーデタであった。だが、神界クーデタは失敗したと述べておられます。出口王仁三郎聖師という傑出した存在をもってしても失敗したです。伊勢神宮という天皇を現神(あらひとがみ)とする国家神道に破れたわけです。だが、それは予告の為であって本番ではないなのです。
             
            大本教に【国常立尊】が鎮座されているかと、幾多の霊能者が大本教を訪れても、どこにも【国常立尊】のお姿も影も無いと言われます。それらは霊能者だけでなく、幾多の霊達も大本教に行ってもどこにも【国常立尊】のお姿が見えない言います。本当に綾部の大本教に【創造神】と呼ばれる様な神霊が鎮座されているならば、霊能者達や霊からどこにもその姿が無いと言う言葉は聞こて来ないでしょう。
             
            真の神は人に懸かり、その肉体人を使って活動する(その人のみたまに相応する)

            神界と呼ばれている世界において、そこに出て来る霊の○○大神等の名乗りは、単にその霊がそう名乗っているだけであって、全てが本物とは限りません。また、神名とはその名前を名乗ることが出来るであって、そこにはその神名を名乗る霊の【序列】が存在しています。
            そうしたことは一部の行者の間では【神の高山(神界ビラミッド)】や【天使の階級
            (天使には階級が在り、その名乗りに欺されてはいけない。その階級を確かめる)】で語られていますが、スピリチュアルの世界にうかつに入ってしまいますとそうしたことを知らずに、俗に言う動物霊や眷属達が自称する神名を恭しく拝しているであって、自分自身が低級霊の容器と化してしまいます。

            霊能者と呼ばれる方達の中には奇跡力や霊力は凄くても、実に【卑しい人品】の方達が少なからず居られます。霊力があるから【正神】ではなく、邪神に魅入られてしまうなのです。こうした霊能者は、【金、金、金】式になります。
            私の最初の師匠は豊受姫の御代で、豊受姫の御代としては癸韻箸盡世錣譴討い泙靴燭、自分のところに霊感がある人が相談に来ると、その霊が見える能力を消していました。消しても消しても霊が見える人だけを選んで修行させるでした。なまじ霊が見えると、その霊に本人が欺されてしまうからです。
             
            霊の欺しは一体の霊がするのではなくて、時には何十体もの霊が役割を決めて、集団で欺して来ます。劇場型俺々詐欺みたいな役割分担で来ますので、まさか集団で欺されるとは思わないのです。ですから、霊が見えるのは好ましくないのです。また、神社の前であろうとも神社から出て来ますので、自分が欺されていることが解らなくなるのです。
            私の最初の師匠の元で現在は不動明王の御代をされていますが、豊川稲荷を勧請して祀られた講員さんがありました。そこに多くの不動尊行者が来て祭壇を拝んだのですが、一人としてその豊川神が眷属であると見破れた不動尊行者がいませんでした。本体神と眷属の違いすら解っていないのです。

            ​私が2番目の師匠の元に居る時、生前は信仰が篤く、自分は貧乏生活をしていても地元の氏神様に石の大鳥居を寄付した私の大叔父が霊界のどの辺に居るのか知りたくて、その地元神社の氏神様にお尋ねしたところ、【あの方は私(地元氏神神社の神霊)など及びも付かない高い霊界に進まれておられまして、私などでは詳細が分かりかねます】と答えられます。大社と呼ばれる神社は別としても、末端の氏神神社の御神霊に尋ねても、詳しいことはご存じないのが実状なのです。
            そこで大叔父に降りて来て貰ったところ、三途川を色彩で飾られた【龍船】で渡ったと言います。普通では考えられない渡り方です。もう氏神として田舎の神社に赴任する霊の段階を超えていたのです。それは普段は貧しい生活をしていても、地元の氏神社に石の大鳥居を寄進した、その徳の篤さがあったからでしょう。また、氏神社の御祭神の段階では、高度の霊界のことはまず解らないのも本当でしょう。
             
            その大叔父は、神様から何かをして貰おう信仰でなく、日々感謝で神様に何かをして差し上げる信仰だったのです。
            そうした信仰をなさっている方は、霊界では高い地位にと進めます。
            別に神霊の姿が見えるとか、霊の声が聞こえるなど必要がないのです。
            人はこの世の生き方しだいで、氏神と呼ばれる段階の神霊よりも高度の霊界に入られる方は幾らでも存在しています。

            巷では自分に【創造神】が臨んで来ると言う方が後を絶ちませんが、どなたもその背後の霊は蛇霊(霊界の年老いた蛇霊たる龍神を含む)・狐霊・狸霊・猫霊や天狗から逃げ切れておられません。
            また、スピリチュアルで自分には天使長ミカエルとか大天使カブリエルが降りて来る等と言っている人達もその例外ではないのです。スピリチュアルで言う光などは、【霊界の太陽】とは比較にはならないのです。
            そうした天使と名乗る霊は【愛】という言葉の連発で、何の中味も意味も無いお粗末なメッセージばかりを送って来るなど本当の天使とは言えません。それでは何時まで経っても、霊界の内容が見えて来ないとなります。
             
            この世の幕を降ろすとか世を立替るなどは途方も無い【エネルギー(火水)】を必要とするのであって、個々の人間に現世御利益的幸せを与えるとか病気治しをするなどとは、遙かに使われるエネルギーの桁も次元も違うからです。
            伊勢神宮も出雲大社にも各地の霊場にそれなりの御神霊が鎮座され、その配下に龍神と呼ばれる存在も見受けられますが、とても世を立替るなどの力(エネルギー)を保有された存在ではないと言えます。
            私は日本語による【言葉の仕組み】を解読しましたが、言葉による仕組みが出来るほどの神霊がそうした神社に鎮座されているではなかったのです。神社等に鎮座されている神霊は言葉を仕組んだ神に比べたら、そのスケールとか尺度の桁が違っているとしか言えません。
             
            なまじ自分に霊力があり、世に出ておられる神霊の姿が見えるとか会話が出来ると自分は偉い者だとか凄い者だと思いがちですが、言葉で仕組をするということがどれほど難しいか気づかなくなってしまいます。
            そうした方達は、私がいくら言葉の仕組を解説したところで、それがどれほどのスケールなのか気づかずに、自分の目に見えたものに惑わされるとなります。

            私が神霊世界に入った切っ掛けは、自分の目は開いているにも関わらず、何の光も見えない状態に追い込まれたからです。それはある意味、聖書にある何の光も輝かない暗闇世界であり、全ての人を生きたまま暗闇の中に叩き込むことさえ出来るのです。そこまで体験した霊能者はそれほど多くないはずです。
             
            そして、私は盲目の霊能者の存在も見て来ました。そんなことは科学者は絶対に信じません。頭から否定して、現実にそうした霊能者に出会うともしない為に、驚きを得ることすら出来ないのです。それらは奇跡ではなくて霊界のメカニズムなのです。
            目は見えなくても霊的映像は見えるのです。霊能者は目を閉じていても霊的映像を見ます。私は眠ろうとして暗闇の中で霊界の太陽の現出により眠れないを夜の連続体験をして来ましたが、それすら神界の入り口の現象でしかありませんでした。
            私達の目に見えている物は「錯覚」の要因ともなるのです。まして霊界では違う存在に化けるが日常茶飯事的にあります。物質変化が自在の化学(ばけがく)の世界だからです。だから、自分の目に見える霊に惑わされる危険性があるのです。その霊が言う言葉が本当に正神の言葉なのか?。吟味する必要が常にあるのです。そこに言われるのが審神(サニワ)なのです。
             
            巷で自分が「創造神」だとか「メシヤ」だとか名乗るそうした自称者霊能者を100人集めれば、その100人が100人とも、自分だけが本物で自分以外の自称者は蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊に欺されているだけと言われます。だが、それは自分も他の霊能者からはそうした霊が背後だと言われかねないのです。
            自分が創造神だとかメシヤだと自称される霊能者の方は、スピリチュアル等と比較するとかなり霊能力を持った方が多く、霊がよく見えることから人型で見える霊でも、それが蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊だと見抜く霊力を持っておられます。

            それはどの自称創造神とかメシヤと名乗る霊能者から見ても、神々と呼ばれている存在がそうした蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊の姿だからと言えます。
            大本教神諭、世に出ておられる神々が【四つ足】であることを暴くぞ
            とありましたが、それが解っていなければそうした存在から欺されてしまいます。
             
            自称創造神とかメシヤと称する方は、惜しむらくは蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊と攻撃するのでは無く、どうして世に神と呼ばれている霊達がそうした姿なのか?。何故に人型でありながら、動物霊や爬虫類の姿に見返って(身替えって)いるのか?。そこに何の意識も働かせていないと言えます。

            大本教の出口王仁三郎聖師は、ミカエルとは【省みる】ことで、ミカエルなどの天使長は存在しないと述べておられますが、

            ミカエルとは、霊の心境(神鏡)に応じた姿に【身変える】させて写すです

            ​私は豊受姫が神鏡を持ち出されて講員信徒を写す様で、その信徒の魂の心境(神鏡)から【身変える】を知ったのです。神鏡と呼ばれる物は世間で言われている物とは働きが違っていました。たぶん、この世には存在しない特殊な鉱物で造られた霊的な鏡と言えます。
            自分が蛇の心であれば蛇となり、狐の心であれば狐となる。狸の心であれば狸となり、猫の心であれば猫となる。蛇、狐、狸、猫はその動物にはあらず、その漢字が示す「言葉の意味」なのです。


            神々を蛇や狐や狸や猫等の姿に写し出すのは、魂の中の心鏡たる【良心】神
            日本昔話、【狼がくれたまつげ】。良心神を獣化させた姿(狼)
            世に出ている神々も、創造神の言葉の仕組からは逃げ切れない
             
            私は【狼】の漢字に、果て?。どうして良に獣なのか?。狼が「大神」の言葉に掛けてあることぐらいは解るのですが、首を傾げていた時もありました。ただ、神々を見ていて、神とは【良心を失った霊】達かと思っておりましたが、良心の働きを失っての「獣」化なのです。
            言葉の仕組は、横のつながりを理解していないと本当の意味が理解出来ません。下に恐ろしきは言葉の働き。
             
            私自身が体験した【ミカエル】は、ヒンズー教のヴェーダ典に記載されます。【人の中に眠るコブラ(眼鏡蛇)が目覚めて走り上がる時、その人は「真理」に目覚める】でした。その体験以後、私はただ一筋に【真理】を追い求めたのです。お釈迦様は真理を理解されていたが、イエスは理解出来ていなかった。その違いで解ると感じました。で、お釈迦様は何を悟られたのかです。
            一般的にはお釈迦様の悟りは「慈悲」とされていますが、慈悲ならばイエスの愛の教えとはさほど違いません。だが、私は旧約聖書の神と名乗る声から、【イエスの愛の教えを乗り越えて行け】と告げられています。
            お釈迦様の悟りが【慈悲】とされるのは、それは後世の書き換えによるもので違っていたはずです。だが、五十六億七千万の【みろく(大本教神諭予告・九つ花)】によって、その違いは判明しました。
            お釈迦様の本当の悟りは、【人には良心と呼ばれる神が内在する】だったのです。
             
            聖書では、人類の【原罪】は「蛇霊のそそのかし」にあります。エデンの園たる神の御国に行く為には、最後の審判においてその蛇を帰らせる必要があります。それが【天使長ミカエル】です。
             
            天使長とは、【巳(蛇)帰る(ミカエル)】させる者なのです

            ​日本語は同じ発音でも、いくつもの言葉の意味が出るようになっています。創造=想像など、言葉によって神の仕組が説けるのです。それは英語圏では無理なのです。世界の民族の中で、只一つの国だけ【神の言葉】が使える国があるとされて来ました。それがこの日本なのです。日本民族とは、神の言葉の使用が許されている民族なのです。

            日本の国に常に立つ御言(みこと)は【国常立尊】



            各言う私も、そうした人を欺しても心に何の良心の呵責を持たない神に化けた霊に欺されている一人かも知れません。しかし、【私は言葉の仕組で主神を語ることが出来た者であり、私は主神を知らずとも主は私を知っているとは言える者】なのです。ですから、世に出ておられる神々からは、【良心】神の教えは何も出て来ないのです。
             
            神霊世界に関わると、本当の創造神はどこに居るのか?。それとも最初から創造神など存在していなかったのか?。そうした疑念にぶつかります。
            されど、私が言葉の仕組みで紐解いたものは既存の御神霊でどの御神霊も説かれたものではありませんでした。私が出ることによって、言葉による神の仕組みが明らかになったとも言えます。

            私は言葉で仕組みをした証こそ、【創造神】が存在する【証明】だと思っています。

            何故ならば、証明は【言葉で正しく明らかにする】ことだからです。自分に霊が見えたなどで踊っていると、その霊が名乗る神名に欺されていることに気づくことが遅くなってしまうのです。
             
            続く

             

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            第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか? その1

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              私儀、昨年末に長年続けていたブログの筆を置かせていただきました。

              それは、私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する霊声が、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた1人だけにはこの神の仕組を見せる故に、それらを見て人々に告げなさい】と言われたことが自分自身を縛り、その仕組とは日本語と呼ばれる日本の国に満ちあふれている言葉の仕組であることを知り、自分の任務として長年に渡って言葉の仕組をHPや掲示板やブログで発表解説して来ました。

              だが、私が言葉の仕組から読み取ったことが本当に正しいのか間違っていないのかがあります。もしも間違っていたならば、その影響を計り知れないからです。

              一般的に見られるのは、自分に何らかの神霊が懸かって来て、懇切に教えてくれるです。それならば話は簡単なのですが、私の場合は神霊が姿を見せられても、私に教えてくれる神霊は存在しませんでした。​私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫の神は貴方に教えが出来る神など存在しておりませんと告げられましたが、それを地で行ったようなものです。


              ​大本教神諭に【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあること、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】とありますが、世界で一人だけその神の大望を知っていても、何の力も与えられていなければほとんど役に立たないのです。私一人でどう戦えと言われるのか?。です。
              そのことに関して、子供の頃に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、【もしも、そなたが教えを間違えたならば、それはそなたの責任ではなく、この神の仕組そのものが悪かったのである。その責任はそなたにあるのではなく、仕組をしたこの神自身にある】と告げられました。とは言え、日本に満ちあふれている仕組を人々に告げるのは神ではなくて私なので注意に注意をして来ました。


              しかし、それは世の人にとってはどうでもよいことだったと見受けられます。この世の終わりが訪れない限り、どうでもよい教えだからです。常識で考えれば、この世の終わりなどあり得ることではないからです。
               
              そして、私に解る範囲のことは全て世に出し切ったことで、自分の任務が一段落したと感じて、昨年末に筆を置いたしだいです。
              だが、多くの方が半年を過ぎても私の過去のブログを読んでおられる。ブログを長々と書いたことにより、最初に出したHP等の文章量とは違い大量になり、総体的に文章としてのまとまりを欠いてしまいましたので、より分かり易いように本のように新しい文章をまとめておりました。それらは出来上がりしだい、より多くの人の参考になるように無料で見られる形でインターネット上に出したいと思います。
               
              私自身は神霊世界を知る為に、今日まで膨大な費用や時間を注ぎ込みました。自分が地位や名誉を得る為とか金儲けをする為ではなくて、ある意味奉仕です。自分から学ばなくても神霊が何もかも教えてくれるでは、その神霊の教えしか解らずにそれが正しいと思い込み、自分自身が大きな間違いに入った時、制御が効かなくなります。間違った教えを受けたままあの世に渡るです。​
              私は死後の霊界に入ってからも、今日までも間違った方向に走ったままの霊達の存在を見て来ました。生前はそれなりの行者であり霊能者だったのでしょう。だが、どこかで間違ってしまった。為に今もなお、霊界で生前に会得したお経や祝詞を上げているだけで、霊界をその信者諸共何百年間と彷徨っている霊達の存在を知りました。いくら生前は神仏に祝詞やお経を上げていても、死後の霊界で自分が拝んでいた神仏霊から助けられていない有様をです。

              霊能者でもある美輪明宏さんは霊能者の看板を上げている中で本物と呼べる者は20人に1人程度だと言っておられますが、実はもっと根深いのです。私がある著名な霊能者から直接に聞いたことは、霊能者千人とか一万人に対して一人程度しか本物と呼ばれる者は出ないと言うほど過酷な世界なのです。神を信じて霊の嘘の言葉に踊らされるなのです。
               
              多くの方がテレビの人気番組オーラの泉で霊能者江原敬之さんが霊視していた俳優宇舵さんの背後霊に襲われて倒れ、急遽側に居た美輪明宏さんが九字を切って助けた場面を見られたと思いますが、霊に攻撃されて倒れるではいくら霊的なものが見えても、本物とは言えないのです。それでは、力がある霊が居る場所から逃げ出すことになってしまいます。
              よく正神界と邪神界が言われますが、一般の私達にすれば、そこに出ている神霊が正神なのか邪神なのかまず判断が出来ません。邪神の姿は醜いではないからです。光輝いている霊とて邪神であったりしているからです。それが正神なのか邪神なのか解らずに接しているのが今の私達の現状なのです。
              自分の霊能力を過信して、命を落とした行者や霊能者は多数あるのです。私自身は黒龍神やその黒龍神群団に襲われたこともあります。力が支配している今の霊世界では【真実】よりも力の支配がより重要だからです。私は霊能者から死神も送りつけられたりして来ました。それらの死神とは正義とかで動いていないのです。
               
              神に会えば神を斬り、仏に会えば仏をも斬る。そうした斬った張ったの賭場を行く。そこまで体験を積まないで軽々しく言える世界ではないということなのです。綺麗事など通用しないのです。
               
              そうした中で、どうして私が【言葉の仕組の解説】に入ったのか、そこにはそれなりの経緯が存在します。その部分だけが全体の文書より早く仕上がりましたので、未だそれがこれから出す予定の著本形式の第何章第何項になるのか確定は出来ませんが、その部分だけを先に出したいとここに書いたしだいです。

              創造神による日本語による言葉の仕組など、誰も思いつかないことであり、気がつくことではありません。今日までの神の存在は奇跡や病気治しの霊力の現出に頼っていたからです。そうした分野の力の誇示だけです。奇跡や病気治しは邪神も出来るのです。それで、何故に私がこうした物を書いたのかの説明となります。

               

              第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?
               
              第××項 ことの起こり

              私がこの章で言う【Xデー】とは、聖書に記載される【火の審判と言われる最後の審判】や、日本で言われる【世の大立替・天の岩戸開け】や、スピリチュアルで盛んに言われている【弥勒世の到来】そのものの日にちではありませんが、そうした出来事も全て含んだ「今の世が終わる」とされる最終日に関することです。この世における【身の終わり(美濃尾張)】です。
              最近、天才理論物理学者である【ホーキング博士】は、地球の気温は250度まで上昇し硫酸の雨が降る。このままだと人類は滅亡で、この先100年以内に人類は他の惑星に入植しなければならないと語っておられます。100年以内ともなれば、今の私達にとっても関係無いとは言い切れません。子孫の時代の問題になります。単に他の惑星に入植するでは事済まないからです。それでは人類の上に未来が見えて来ない話となり、絶望的な話になってしまいます。
               
              神や霊の言葉だけに囚われていると【硫酸の雨】には気がつきませんでした。現在の私達は中国から押し寄せて来る大気汚染の中にあり、「酸性雨」の被害を各地で見ることが出来ます。これまで大丈夫だと思われていたコンクリート構造物も酸性雨により少しずつ劣化破壊されています。以前はコンクリートは大丈夫と言われていましたが、そうした被害が現実に出て来ていても硫酸の雨が降るに気づかなかったところです。そうした酸性雨の中に「硫酸イオン」や「硝酸イオン」が含まれています。
              二十世紀末に世界の科学者が集まって催された会議で、このままでは地球は環境汚染で人類に21世紀は訪れても22世紀は訪れない。至急に対策を打つべきだとされて、それ以後それなりに地球環境を改善する会議や条約の締結はなされました。が、中国やアメリカの大国のエゴのむき出しであまり改善もされず、ホーキング博士は既に【手遅れ】だと述べておられます。そこに出て来るのがこの地球から脱出論となります。それ以外に人類の滅亡から助かる方策など見つからないなのです。
              ​ネットの世界で凡人レベルの方が「ホーキング博士」の理論は絶対にあり得ないと主張されていますが、天才の頭の構造は凡人レベルの頭の構造とは違いますので、あり得ないではなくて留意する必要があるのです。

              ​スピリチュアルでは安易にその時は宇宙人が【UFO】で助けに来てくれると言いますが、次元が違う世界に肉体を持った私達がどうやって行けるのか具体的に説明して見なさいなのです。神霊や霊人達と交信することと、肉体を持って自分がその世界に行くことが可能かどうかは同一線上の話ではないからです。いくら神霊と会話出来ても、霊界に魂を飛ばせても、その世界は今の肉体の自分自身が入れるではないからです。
               
              このまま行けばこの地球が【環境汚染】で住めない星になるなど、別に宇宙理論や科学で構築しなくても私達自身は誰も肌身で感じています。地球の気象が異常であることぐらい解るからです。そうした時、今の人類に他の星に移るなどの芸当が出来るかです。他の惑星に宇宙基地を造って移れるとしても、費用を考えればその惑星に行ける人など僅かな選ばれた人だけとなるでしょう。ほとんどの大衆は置き去りにされてしまうのです。
              創造神と呼ばれるような神が存在して、人類を他の星に移す。そうした劇的なことでも起きない限り、おそらく人類はこの先滅びるでしょう。
              それは大本教神諭にありました、ユダヤの悪鬼(資本主義)が【この世を泥海にする仕組】に他なりません。後先を考えず、結果を予測せずに儲かればいいとこの世に敷いた線路に人類が乗っかって走った結果です。

              聖書では【始めにして終わりの創造神】の存在が告げられていますが、人類がその始めにして終わりの創造神を見たかとなりますと、これまで見ていないと言えます。キリスト教では神の御子イエス1人を通じてしか解らぬ存在として来ましたが、人類の【みの終わり】でないと見えない存在だからです。
               
              この世の終わりの日が何時なのか?。そうしたことが世に語られてはおりますが、それは誰も解らないなのです。例え世に出でおられる如何なる神もその日は知らないなのです。ただ、一部の御神霊のみが【警告】を発しておられるだけです。口酸っぱく言っておられるのは【木花咲耶姫】と称される霊とか【豊受姫】と称される霊ぐらいです。ほとんどの御神霊は黙示です。
              ただ、そうしたことを云ったからと言って、その神霊に助かる道が見えていないのであれば黙するのみとはなります。
              ですから、それは【Xデー】といえます。そんなことが果たして起きるのか?。起きないのか。それすら神々にも誰にも断定など出来ないのです。
              まさに創造神のみが知るなのですが、その創造神と呼ばれる神ですら、本当に存在するのか?。それすら断定出来ないところがあるのです。
               
              日本の大本教から今日まで退かされていた創造神として、【艮金神・国常立尊】の名が世に出されました。艮とは、退くの艮です。今は表舞台から退いている創造神です。その大本教からは一貫して、【我れよし、自己中】の多くの人の生き様が批判されましたが、それでよくなるどころか、ますます【我れよし・自己中】の人が蔓延したと言えます。特にスピリチュアルの何をしてもよいと言う論法は、世を良くするどころか悪くする一方の論法だと言えます。それに荷担する霊が多いというのが現状なのです。


              ただ、死後の世界(あの世)と呼ばれる霊的世界。死後の世界等無いと思っている方にすれば滑稽な話なのですが、その死後の世界(あの世)に多少なりとも関わるとあの世(霊界)が存在することは解ります。そうした【Xデー】に関わる映像が霊界に存在することも解って来ます。それらの【身の終わり】の話の源は霊界における【霊的映像】が起こしているなのです。

              大本教から【美濃か尾張の女子】が宣伝されましたが、これは【身の終わり】であって、それが自分だと思う者は、邪神(禍神・まがつかみ)に欺されているなのです。
              みのか尾張の国としたことから、言葉の仕組で大本教神諭予告の【九つ花】の答えが見えて来るなのです。だから、それが自分だと思う者は邪神なのです。

              【誠】の女子とは、【九つ花】の「言霊で成る」仕組を述べているのです。美濃か尾張の国から富山(十三)山を目指して高山を走る国道は【41】号線。その「41」を読み解く必要があったのです。それに踊った邪神は数知れずなのです。
              実際に私は【自分が美濃尾張の女子】だと主張される方を数々見て来ましたが、そうした名乗りをいくらしても世を立替るなどの力を持った霊がその方の背後には存在しませんでした。辰聾斥佞納┐型修垢任△蝓言葉を仕組む神の存在を単純に見ていたのでしょう。
               
              世の大立替等の途方もないことが本当に起きるとすれば、そこには私達が知る科学では計り知れない【力(エネルギー)】が必要となります。
              私達日本人は神社・仏閣に鎮座する神霊の存在を知ります。しかし、そうした神社に鎮座される御神霊でそうした【力(エネルギー)】を持つ御神霊が見当たるかとなりますと、どこの神社・仏閣にも見当たらないが本当のところなのです。
              確かに世に龍神と呼ばれる【エネルギー体】は存在しています。しかしながら、そうした龍神を数百体集合させても、万体集合させても、世の大立替と呼ばれる事態に起きるであろうエネルギーには到底足りないとなります。世の大立替とは大地震や台風のエネルギーとは桁も規模も違うからです。そこに、どうしてそうしたことが今日まで語られるのかがあります。
               
              私が未だ小学校一年生か二年生の頃、夜空の星々を見つめて、【自分の肉体の両親は貧乏でも優しくて、その恩は山より高く海よりも深い。だが、私は夜空に輝くどこかの星からこの世に出て来たのであって、そこには私の魂の父たる存在が居る。その魂の父の元に帰りたい】と泣いていました。
              すると、私の耳に霊声が臨み、【私はこの世の幕を引くにあたって、人類を助けるが為にそなたを地球に遣わした。そなたはこの地球と言う星で、その任務をしなければ行けない。もし、出来ないと言うのであれば、そなたはこの私の元に帰って来る必要は無い。そなたはこの地球と言う星で永遠に暮らすがいい】と言われます。
              さらに、【そなたの役目はあまりにも辛い。為に、他の神の御子にその役目を言いつけるわけにもいかず、我が子なれば、この父の為に死んでこいと申しつけるほどなり】と言われます。

              私はその霊の言葉に驚いて、あなた様はどなたですかと問いかけたところ、その霊声の主は私に【私は私であり、アブラハムの神であり、そなたの神であり、旧約聖書の神である】と告げられたました。が、私はそうした霊の声が自分に臨んで聞こえて来たことに何も驚きませんでした。ただ、そうしたことを肉親の両親に伝えても信じて貰えないとは理解出来ていましたので両親には話しませんでした。
              ただ、それが本当にその名乗り通りの旧約聖書の神だったのかは、子供の私にはとうてい解るはずなどありませんでした。

              ある時、私はその旧約聖書の神と名乗る霊声に、【あなた様はイエスの上に臨まれたことがありますか?】と問いかけました。するとその霊声は、【私はナザレのイエスの上に一度たりとも臨んだことがない。ナザレのイエスは私の子ではなくて他の神の御子である】と告げられます。意外な言葉です。
              いったいイエスは誰を指して「父なる神」を語ったのか?。私は子供心にも大いなる疑問を持ったのです。

              私は神霊世界に関わってから、5月5日の武者人形で知られる鍾馗神の御案内で、中国で創造神ともされる盤古大神(木星神)に拝謁をして、大本教霊界物語によって、その盤古大神は国常立尊御引退の後に地上神界の主宰神となられた神、すなわちギリシャ神話の【ゼウス(木星神)】神であることを知りました。
              大本教の霊界物語によれば、この盤古大神(木星神)が国常立尊の後引退後に地上神界の主宰神として君臨されていた。すると、大本教が世に出した【艮(表舞台から退いている)金神・国常立尊】とは、西洋の宗教ではとても説明不可能な存在だと解ったしだいです。

              ただ、その霊声は【私はこの世の幕を引くに当たって、人類を救わんが為にそなたを地上世界に使わした】と言われます。されど、【そなたに、この神の力を与えるのは最後の最後の時である。そなたにはその日まで何の神の力も与えない】と告げられます。
              私は子供心にも驚きました。この世の幕が降りるなどとても信じられないので、その霊声に問うたのです。【その終わりの日は何時のことなのですか?。その日まで私がこの世に生きている保証もないでしょうに】と。
              するとその霊声は私に言ったのです。【その日が何時なのかは今は言えない。ただ言える事は、そなたはその終わりの日まで生き続けて、その終わりの日を目にするであろう。そなたはその終わりの日には私の側に居て、この世の終わりを見届けるであろう。何故に人類は終わらなければいけなかったのか?。その理由をつぶさに見届けよ!。そなたは次の世の為に、このことを見聞して記録しないといけない】。

              私に臨んだその霊声は、別の時にこの世の幕が降りた後には【嬉し嬉しの世が来る】と告げられたので、一度はこの世と呼ばれる世界の幕は降りるが、その後には嬉し嬉しの未来の世が開かれると理解したしだいです。更にその霊声は、【この世が終わった後の未来に訪れる世界は永遠の世である】と私に告げられたのです。それが俗に言われる【みろくの世】です。
              私は子供心に、例え今の世は終わったとしても、未来と呼ばれる次の世が来ると聞かされて安堵したしだいです。だが、子供であったことから【永遠の世】の意味の理解がまるで足りていませんでした。

              神霊世界に飛び込んで自分なりに学んで来て、その【永遠の世】が持つ意味の恐ろしさに誰も気づいていないことに驚きました。これまでは【輪廻転生】によって永遠の世には至らなかったのです。その【輪廻転生】が存続する限り、誰も知る必要性も無かったと言えます。
              私が霊界見聞をしていて驚いたのは「輪廻転生」の意味がほとんど世に理解されていなかったことです。その「輪廻転生」には深く【カルマ(過去の業)】が関わっているのです。聖書の【目には目。歯には歯を】の本当の意味です。我が宗教の教えを信じれば天国など、どこにもそんな論理は存在していないなのです。
               
              永遠の世=輪廻転生の終わりに訪れる
               
              私は子供心にも最後の最後の日でないと、この私に何の神の力も与えない。それでいながら人類を救えとは如何なることなのかと疑問を持ちました。
              それに対して旧約聖書の神と名乗る霊声は私に言ったのです。【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、この国(日本)に住むならばそれらは解る。そなたは1人だけにはこの神の仕組を見せる故、この日本の国に満ちあふれているこの神の仕組みを紐解いて人々に告げなさい】と言われました。
              この日本の国に満ちあふれている何らかの仕組みを知り、それを学んだ者達は例え今の世が終わっても新しい永遠の嬉し嬉しの世に向かうことになるです。

              その旧約聖書の神と名乗る霊は、【そなたの背後にこの神があることを見抜けぬ神ならば、とても使い物とはならぬ神である。為に、そなたの本当の身分は神々には解らないようにしてある。無論、そなたも自分が本当は何者かを知らない】と告げられます。それはキリスト教やイスラム教で言う唯一なる神以外にも、神と呼ばれる存在の霊達があることに他なりません。
              そして私に言われます。【ナザレのイエスは千年級。弘法大師やマホメットは六百年級。そなたは三千年級の者なので、ナザレのイエスの「愛の教え」を何一つ恐れずに乗り越えて行け】と。だが、私が三千年級の者の意味は解けませんでした。
              当時は【イエスの愛の教え以上のものがある】の言葉に、愛以上のものとは何のことかさっぱり解りませんでしたが、ナザレのイエスの愛の教えよりも、遙かに高い教えがあるのだなとは理解したのです。

              一神教の世界では唯一神の存在の意味が解らず、多神教の世界において、初めて【唯一神】の存在が解るなのです。
               
              ただ、当時の私にはその旧約聖書の神と名乗る霊声が言う【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、それは私の仕組みだと言われたことが、何の仕組みだろうと迷うばかりだったのです。
              そうした中で、5月5日の武者人形で知られる鍾馗神の御案内で、中国で創造神とされている【盤古大神(木星神)】に拝謁して、大本教霊界物語の【盤古大神から日本の国祖神国常立尊様に地上神界の主宰神の地位の大政奉還】を知り、それは日本の国に常に立つ御言で、日本の言葉の仕組は中国の漢字を変換することを前提とするまで仕組んであると知ったのです。とてつもない仕組です。
              もし、大本教霊界物語にその内容がなければ、私は日本語による【言葉の変換(返還)】に気づくことすらなかったでしょう。大本教では三千年に渡る仕組としましたが、それぐらいの年月は掛かるでしょう。

              私も大きくなるにつれて、旧約聖書の神と名乗る霊声が臨むこともなくなり、人の世の習いで私も何時しか神などと呼ばれる存在のことすら、すっかり忘れて大人にと成長して行きました。
              ただ、その旧約聖書の神と名乗る霊声が私に言った、【そなたを社会の底辺に身を置かせる。そなたは社会の底辺を「ウジ虫」の如く這ってでも生き、【社会の底辺で「人の心の在り方」に関して学ばせる】と告げられたのですが、その社会の底辺からはなかな抜けきれなかったと言えます。しかし、その社会の底辺で【人の心の在り方】に関しては学ばさせて貰ったとは言えます。

              私は【自己の魂を磨く】を説いて来ました。この「自己の魂を磨く」は、社会の上流界に生まれたならば、まず磨ききれません。仮にお釈迦様の様なシャカ族の王家の様な立場に生まれたならば、その地位を捨てて社会の底辺に身を置く必要はあるのです。それは魂の汚れなど簡単に取れるものではないからです。社会と言う荒波に耐えてこそ、人の魂は磨かれるなのです。
               
              イエスが説いた【幸いなるかな貧乏人】なのですが、貧乏人だから魂が磨かれるではないのです。ただ、金持ちよりは天国門を開けやすいなのです。逆に金持ちの家に生まれたならば、狭き天国門をくぐれるような人にはなりにくいなのです。そこにあるのは、この世は「楽だ!。楽だ!」で遊んでいれば、裁く(砂漠)の道で天国の門が通れない【魂の磨き】の問題なのです。
              私はその時に告げられた社会の底辺を【這う】という言葉に強い印象を持ったのです。這うとは【言の道】です。社会の底辺で言葉の道を這わせろ?。這うとは不思議な漢字だ!。何の意味かと?。
               
              人によっては、私が書いたことを単なる【言葉遊び】と捉えた方達が多数あったと思います。それは、言葉の仕組がまったく理解されていなかったからと言えます。聖書に「言葉は神と共に在った。言葉は神であった」とあります。それすら理解されていなかったと言えるでしょう。日本でも言霊とは何かを知る霊能者は若干名です。まして、スピリチュアルともなれば全滅でしょう。
              だが、日本語が言葉で仕組まれていると理解出来るならば、何故に砂漠(さばく)に駱駝(らくだ)が居るのか?。その必然性に驚くことになります。大本教神諭が何故に「ひらかな」にしてあったのか?。それは出口開祖が文盲であっからではなくて、そこに創造神の深い仕組があったなのです。言葉の変換です。
              ですから、言葉の仕組がどれほどのスケールなのか理解出来るのであれば、神社や仏閣に鎮まる神霊の段階では無いと解るはずなのです。

              大本教からは世の大立替として【三千世界、節分の炒り豆にも花が咲く】と大宣伝がなされました。大本教が出した【ウシトラ】には節分の牛頭虎パンツの【鬼と云う牛虎】があります。
               
              その鬼と云うのは【魂】のことで
              世に出ている御神霊達も一柱残らずその魂を改める大審判がなされるのです。
              その時には天地の【一八十】度のでんぐり返しがなされるので、それを【イワト(一八十)】開けともいうのです。
              それらを言葉遊びと思ってるようでは、永遠に創造神を見ない者となってしまいます。

               
              次回に続く

               

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              長らくお世話になりましたが、この大晦日をもって休止とさせてもらいます。嘘で踊らされた道なれども

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                私は長らく大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】と朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その「米」一字の教えに従った者達の上には天罰は降りないが、それに従わなかった者達の上には天罰が降りる】とあったのを一つにまとめて、みろく世への【米】教として説いて来ました。
                 

                 

                その【九つ花】の紐解きとは、大本教にはその教えの紐解き為の根本の内容は無く、霊界からその都度に降りて来る霊的な事柄を参照に解説させていただきました。ところが、ここに来て私に何一つ霊的な事柄に関するものが降りて来なくなりました。
                 

                 

                もう、言葉の仕組みを紐解いて、それを人々に告げる必要はなくなったです
                 

                 

                もう言葉の仕組みに目新しい物はなく、私自身、言葉の仕組みの解読のお役目の終了が言い渡されました。
                 

                私は何事が起きたのか詳細が掴めないでいましたが、一部の方からのメールに国常立尊様は世の大立替を断念。一斉に行われる予定であった各自の肉体と魂の離脱の霊子線切断は中止で、立替が見送られたと来ました。それが本当に正しい情報かの判断は私には解りません。
                ただ、霊子線切断の中止内容は俗に言われて来た【白山菊理姫】の御魂を持つ【みの終わりの女子】が出て来ないとなります。みの終わりの女子の育成に失敗したとなります。私自身の判断としては「みのおわりの女子の育成失敗」は織り込み済みで、大本教神芝居のシナリオ変更は大本教の型演技は今後は通用しないとなるのです。


                私が世にあまり知られていない受け入れられない霊界情報に従事することになったのは、私は子供の頃、自分は誰だろうと常に思っておりました。
                自分は人の姿はしているが人では無くて、本当は神と呼ばれる者。それも日本の寺や神社に鎮座されている神々よりも遙かに高い天の位者なれども、特別の任務を負っている為にその身分を隠してこの世に降りて来ているでした。この不思議な想いが子供心にどうにも消せませんでした。

                そんな子供の私に、旧約聖書の神と名乗る声が臨み、その声の主は、【私はこの世の幕を引くにあたって、人類を救わんが為にそなたをこの世に使わした。そなたは人類を救いなさい。この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなたはこの国に満ちあふれている仕組みを人々に告げなさい。その仕組みを知ることで助かるだろう】でした。

                さらに、【そなたの歩く道は、今日までの人類の誰一人として歩いたことがない道であり、釈迦やイエスの道では無い。そなたがその道の初めての者であり、そなたがその道を歩く最後の者となる。そなたの前にそなたと同じ道を歩いた者は居らず、そなたの後にそなたはもう出ない。何故ならば、その道はそなたが歩いた後には、もはや誰も歩くことを必要としない道となるからである】。

                【ナザレのイエスは1000年級の者。マホメットや弘法大師は600年級の者。そなたは3000年級の者なれば、イエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行きなさい】と言われます。また、その声は旧約聖書の神と名乗って、【私はそなたの父である。そなたは私の子なり。そなたの歩く道はあまりにも厳しくて辛い道なれば、他の神の御子にその役を勤めさせるわけにも行かず。私の子ゆえに死んでくれと告げる道なり】と言われます。

                私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受の神は【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き身分の御方で、貴方の言葉による教えは天帝の「詔(みことのり)」と同じであり、貴方の言葉による教えに従えぬと言う神達は、如何なる神であろうとも天帝に対する反逆罪と見なされて天帝から処断されます】。天帝に逆らって勝てる神などありませんと言われます。
                ただ、私自身神霊世界を見聞した中では、どの神も天帝に従って自分の命を長らえるではなくて、滅びの美学の中に居られると感じましたので、神界最終戦争は回避することは不可能だと感じました。滅びの美学の中には、悔い改めて生きる道そのものがないからです。死んでやるです。

                私は豊受の神が告げられた【貴方は言葉の神】から、大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を知り、また朝鮮に残されていた予言。【最後の審判前、救世の為に「米」一字の教えが起きる。その教えに従った者達の上には天からの神罰は降りないが、そうでなかった者達の上には天罰が降るであろうの魂は助かる教えだけは出せたしだいです。

                私が子供の頃、私を呼ぶ声は何故か【素戔嗚】と呼ぶ名前でした。私が虐めっ子に虐められて泣いていると、私に聞こえて来る声は【泣くな!。素戔嗚。お前が泣けば地球が泣く】。私が怒っていると【怒るな!。素戔嗚。お前が怒れば地球が怒る】。
                どうして私が怒ったり泣いたりすれば地球に関わるのかさっぱり解らないまま、泣くにも泣けず。怒るにも怒れませんでした。自分は「素戔嗚尊」なのだろうか?。

                私が旧約聖書の神と名乗る声から告げられたのは、そなたはこの地球号の最後を勤める船長職であり、この地球船から人類が離れなければならない時、地球船から総員退船せよの命令を発しなければならない。神々は地球船の乗組員たる神司達ではあるが、全ての乗組員たる神々がそなたが地球船の船長だと知るのではない。多くの神々はそなたを誰かと知らないと告げられたのです。

                大本教の出口王仁三郎聖師は自分は素戔嗚尊と名乗っておられましたが、それはニセ者ではなくて、素戔嗚尊神界において私の部下に該当される方だとの情報も寄せられて来ました。

                私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から【そなたの前世は人の魂胆が解らずに悲劇の武将となった】と教えられましたが、自分の前世にはどうも「源の義経」の時があったと解って来ました。
                大本教の出口王仁三郎聖師は救世主は【源の日出男】と称して源の義経伝説の蒙古に渡られましたが、大本教神諭に一つの魂を二つに割って東西で御用をさせるとありますが、私の魂の半分は【瑞霊の素戔嗚尊であり、その魂の前世に源の義経役】があったとなります。残りの半分は厳霊魂で「日之出神(天之常立尊日立之宮)」という魂の二つの魂の合体構成なのです。
                 

                 

                私自身に私が「天之常立尊日立之宮」と呼ばれる者と出て来た時、これは何事かと豊受神の元に走って、この「日立之宮」とは何者ですかとお尋ねしたところ、【それが大本教から出された通称日之出神の正式の神名です】と告げられました。私には【音】様の別称がありますが、「日立から来る音様」でした。この「音」が「言葉」であり、豊受の神が私を「言葉の神」とお呼びになった一因なのです。

                 

                私は豊受神から、この仕事は貴方以外のどの神様にも出来ずで、現在住んでいる土地は大本教の出口王仁三郎聖師さんがその信徒の一部達に教団に内密で死守せよと命じられた土地の一角に住み、霊能者達の調べでその土地に神界の機密ゲートの存在が解って来ました。霊能者達の調べでは、三次元から五次元界に入る為のゲートです。

                そうした意味からしますと、大本教の型演技は人知れずに実行されて来たとなります。


                私が豊受様から命じられて住んだその土地に出口王仁三郎聖師の霊が出て来られる。しかも鍾馗神の御案内で私は中国の盤古大神に拝謁することで、大本教霊界物語の中の「中国の盤古大神から日本の国祖神国常立尊様に神界の大政奉還」で、言葉を漢字に変換することを出口王仁三郎聖師から教えられるとなりました。

                私は大本教神諭が予告した【九つ花】に関わる土地に住み、言葉の仕組みを紐解き、神界の型を踏んで来ました。
                私が出会った霊能者の方達からは、貴方は救世主様ですか?。出口王仁三郎聖師さんの上司とか国常立尊様その方とか言われたり、貴方の背後には宇宙最高神が在るとか言われたり、神々から平伏土下座も受けて来ました。

                 

                しかし、私は霊能者のように神霊パワーを何も保有しておらず、言葉の解釈だけに特化している為に私のことを見誤られた方達が続出するになりました。

                私の任務は神界の舞台の台詞回しであった以上、それはやむ得ないことだったでしょう。

                私が子供の頃に告げられたのは、この地球の上で未来永劫の嬉し嬉しの世の到来ではありませんでした。聖書のヨハネの黙示録にありますこれまでの天地は消えて、私は新しい天地を見たの新しい天地での光景です。
                一部の方が言われる新しい地球(バックアップ地球、予備地球とも言う)での話です。それらは霊的光景としては存在して来ます。

                今の私達の人類の歴史など、メソポタミア文化からしてもたかだか「10000」年程度の歴史にしか過ぎません。いったい、人類はどこからやって来たのか?。さっぱり解っていないのが実状です。世の立替があろうと無かろうと

                間違いなく言えることは、【霊的世界は存在しています】なのです

                私自身はこれを持ちまして筆を置きます。もう言葉の仕組みで解説する時期は終わったからです。

                 

                 

                その霊的世界では、神と呼ばれる者達。霊人と呼ばれる者達。宇宙人と呼ばれる者達。その姿は爬虫類や動物や鳥などへの変化も起きますが、あらりあらゆる物が存在しているのです。そこには天国と呼ばれる様な世界や地獄と呼ばれる様な世界も存在はしているです。

                私自身が見て来たのは【旧約聖書の神】と名乗る声が仕組んで来た数々です。その声の主は、丹波の片田舎「綾部」で九つ花と言う仕組みを創り出された。その名を旧約聖書の神とは言わずに、ウシトラ金神「国常立尊」と私達日本人は呼んで来たなのです。

                私自身はその神の本当の力を知りません。何故ならば、その声は【そなたにこの神の力を与えるのは、最後の最後の時である】とだけ告げられたからです。だが正直言って私も老いました。衰えた肉体には神の舞台の役者は勤まりません。
                 

                 

                今では自分も単に神の舞台に踊っただけの役者に過ぎないと自覚するしだいです

                 

                神の舞台の役に騙されて騙されて知る神の仕組みです

                 


                このまま進めば間違いなく人類は自己滅亡の中に進みます。だが、そうした世界から人類を救い出す為の神の計画書は存在したと言えます。それが「みろくの世の計画書」です。しかし、それを実行に移せるだけの神は存在しなかったのかも知れません。

                 

                否、これだけの仕組みが出来た以上、それらを「叶」とする神が在るのかも知れません。

                来年は「トリの年」。終焉の終わりのトリを秘めた「ラ神とス神」の【大ラス】にと向かうのか?。
                はたまた、人類を一斉に救う「みろく世」の仕組みは消えて、長い自滅への道のりにと行くのか?。


                それらは、次の神の舞台の役者の演技に引き継がれて行くでしょう。

                 

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                以前は多くの人が世の立替論を説いたが、今では世の立替を説く人は僅か。世の立替は完了したのか?

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                  西暦一八九二(いち早くに)年、丹波の片田舎の綾部と言う土地から大本教と呼ばれる宗教が起こり、【節分の炒り豆にも花が咲く】で鬼と云う「魂」の御祖(みおや)神である【国常立尊】の牛虎(ウシトラ)金神創造神論が展開されました。
                  ただ、大本教では今は引退しているの「艮」の漢字が主体のウシトラでしたので、ほとんどの方が「鬼」の「牛虎」の【ウシトラ】の意味に気づかれなかったとは言えます。

                  その大本教からは【みろく】神が説かれたのですが、それは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解くことで、五十六億七千万の「みろく」の仕組みでお釈迦様の悟りが何であったかを教えるものでした。

                  それらを紐解く「キー・ワード」しとて、大本教から「言霊神」「霊子線(西洋ではシルバー・コード。但し銀色線とは限らない)」「竜宮の乙姫(音秘め)、言霊と数霊の働き」「みのか尾張の誠の女子」「いろは四十八士」「達磨大師として現れた」「この世の閻魔大王」等の数々が出されました。それらは「九つ花」を紐解いた時、その意味が解るです。

                  特に重要なのは、大本教の出口王仁三郎聖師は天使長「ミカエル」は存在しない。省みるの「ミカエル」のことだと説かれたことだと言えるでしょう。
                  私自身はヴェーダ典の奥義書に記載されるとする「人の中に眠るコブラが走り上がる」でミカエルの意味を知り、また神々が蛇や狐や狸や猫霊等の姿に「身変える」実態で、【言霊神】の存在に気づいたと言えます。
                  その大本教から出された予告は、旧来の日本の御神霊では何一つ紐解くことが出来なかった仕組みと言えます。大本教神諭には神々の姿が四つ足であることを暴くぞとありますが、世の表には出ずに、影に隠れていた恐るべき神の存在と言えます。

                  その中でもっとも解らない意味が【言霊神】で、聖書の万物の創造の始めに言葉は神と共に在ったの言霊神です。日本における伊勢神宮の天照大御神であろうと出雲の大国主命様であろうと、万物の創造神では無い為に、単なる神様論では言霊神は解らない存在なのです。


                  下記の写真はウシトラ金神が初めて大本教開祖【出口なお】に下って懸かったとされる綾部の元屋敷地の前庭
                  大本教・綾部みろく殿正面前。神木の扱いがなされています。

                  ウシトラ金神・国常立尊の降臨地。 
                  大本教神諭は【ここは漢部(神戸・かんべ)】。綾部の古名は漢部。

                  この樹何の樹 気になる樹

                  神霊が降臨するにあたっては、寄り代と成る磐座などが必要ですが、出口なお開祖の家の前にあったこの樹が最初に神の依り代となったのでしょう。


                  大本教の2代教主補であった出口王仁三郎聖師の予言は近世の最高予言とされますが、日ソ不可侵条約をロシアが破って参戦して来る。広島や長崎に新型爆弾が落ちて火の海になる。太平洋戦争の日本の敗戦。関東大震災や原首相暗殺は知られていますが、何と言ってもテレビジョン時代の到来の予言です。テレビジョンによって世が大きく変わったからです。
                  大正時代に出された大本教霊界物語では、現在のスマホで解る花の東京の芝居を地方で懐中時計ほどの大きさのもので見られるが出されました。また、空中を飛ぶ郵便物です。それらは現代のスマホ等のメールや映像のことですが、明治・大正時代に誰がそんな時代の到来を予言出来たかです。人間の知恵の予想外のものです。

                  私は出口王仁三郎聖師予言だけで、未来を見通す神の存在を知りました

                  こうした点だけを捉えても、出口王仁三郎聖師が予言されて実際に起きた出来事は、他の神や霊の存在を説く方の追随を許さず、大本教の背後にかっては絶対的な神が存在していた確信になります。
                  スピリチュアルと称して、何の中味も無い愛ばかりの言葉を連発されていたわけではないからです。

                  一部に大本教出口王仁三郎聖師が予言された現代のスマホの存在から、既に【みろく世】に入っていると説かれる方達がありますが、科学的には明治大正時代から大きな進化がなされていますが、将来的に私達に良い未来が見えているのかとなると、世の中のシステム的には誰をもってしても改革が出来ないお先真っ暗の世が見えて来ていると言えます。

                  例えばこの日本を見た時、少子化と呼ばれる若い人の人口減で税や年金システムの崩壊が見えて来ています。税を納める者が減少するのですから年金や医療保険は物理的に崩壊します。政府が出す試算表などは物理的に支える者が居なければ崩壊することをごまかしている表にしか過ぎません。支える人が居ないで誰が年寄り達を養うのか?。です。

                  支える者が居なければ、どのようなシステムでも崩壊するのです

                  日本の国債などは既に1000兆円超えで、いくら大国主命様が小槌を振っても国民一人頭八百数十万円の借金、四人家族で二千四百万円以上の借金など、国債の金利が上昇すれば金利の支払いだけで国は火の車であり、物理的に見ても永遠に返しようなどないのです。日本経済が崩壊するのは時間の問題にしか過ぎないのです。
                  そうした社会システムの崩壊は隣国中国でも同じで、一人っ子政策から生じた老人大国にと向かって行きます。何億の人口を持っていても世代的に支えられない。またアメリカでも各地でインフラの寿命が来ており、それをどうするのかの問題を生じます。形ある物は朽ち果てる宿命です。日本もインフラの交換にはとんでもない費用が要るのです。過疎地ではインフラ整備の復旧すら危ないのです。

                  また世界の火薬庫である中東に端を発する問題は、宗教の枠を乗り越えて大同団結のかけ声では解決等できないでしょう。もう土台から根本的に作り替えないとどうにもならなくなって来ているからです。

                  そうした人間生活のバックボーンを見た時、もう私達人類は行き詰まってしまっているのです。誰もそれを改革できない。大本教神諭が予告しました、【ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組み】に入っているからです。

                  しかし、神霊世界にはそうしたことを何一つ口にしないで「愛だ!」。「光だ!」。そんなことばかりを言っている霊達。そうした霊達を大天使ミカエルだとかカブリエルだと言って喜んでいるスピリチュアルと称する者達。浮かれているだけで現実を何一つ見ていない者達。
                  いくら既存の日本の神社で出て来る神霊であろうとも、この危機的状態を何一つ把握していない神霊ならば、そんな神霊はもはや神霊とは言えないのです。早々と神位をお返し願わなければなりません。

                  私はそれが本物であったかどうかの真偽は別として、一通り伊勢の天照大御神様とか出雲の大国主命様とか見て来ましたが、申し訳ありませんがこれらの御神霊では世は立て替えられないのです。明らかに力不足です。



                  だが大本教神諭予告【九つ花】の仕組みを見れば、伊勢神宮だ出雲だ白山だ。そんな小さな仕組みではないことだけは解るのです。

                  いったい、誰がこんなとんでもない仕組みをなされたのか!?
                  私はこの存在を【宇宙大王】と呼んでいます。破壊と創造の権化。



                  以前は幾ばくかの方達が【世の立替】を宣伝しておられました。だが、今はそうした人達もほとんど消えて行かれたようです。今は世の立替を説くのではなくて、実にくだらない内容。中味が無い霊の教えを言う方が圧倒的に増えて来ました。

                  世の立替論は、消滅したのか?

                  くだらない内容を発信する霊達は多数存在しているのですが、まともなことを言える霊が見えなくなっているのです

                  大本教出口王仁三郎聖師ほどの大予言者は別として、この世に起きる出来事が何一つ見通せない天使長や大天使と称する霊達の続出は何を意味するのか?


                  私は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を紐解いた時、信じられない。あり得ない神の存在を認識しました。


                  明治・大正期には、今の世(スマホの世)の到来を予言出来た神霊は存在していたのです

                  そうした神霊達は、どこに消えたのか?

                  世に立替の欠片など何も出て来ていないと、たかをくくっていると危ないのです。特に誰も立替を説かなくなった時が危ないと言えるのです。



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                  【天の岩戸開け】の一八十(イワト)回転と六道輪廻の「6」の数字の【96】回転

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                    日本神話の中の【天の岩戸開け】とは、岡本天明氏の日月神示で語られました【一(イ)八(ワ)十(ト)】開けで、そこには百八十度ひっくり返す。クルリとどんでん返しにする意味が秘められています。世の大立替とも説かれます上下の峠だけでなく神の上下を示す「裃」ともなります。

                    おそらく、日月神示において天の岩戸開けが【一八十(イワト)】開けだと告げられますまで、誰一人として天の岩戸開けに「百八十」度転回の意味があるなど、世に出ておられ神々でさえ気づかれておられなかったでしょう。
                    ただ、多くの神霊世界に関わった方が語られます【真性天照大御神(男神)】の登場ということは、その全てをひっくり返す時期が同じだと言うことなのです。

                    この天の岩戸開けの【一八十度】返しとは、意外なことにも共通しているのです。ほとんどの日本人は「仏教徒」なので、仏教の教えとして【六道輪廻】の教えを知ります。知りますと言っても、言葉としては聞いたことがある程度で、その「六道輪廻」の中味まで深く理解しているではなかったはずです。
                    その六道輪廻の中でもっとも知られるのは【貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)】の「三毒」の言葉です。仏教のお葬式の時など、この「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」とは幾度も僧侶の口から出て来るでしょう。
                    六道そのものは、それ以前は五道で語られていたように六道であることに特別に意味などありません。厳とした区分けが見当たらないからです。

                    では、仏教で説かれる【六道輪廻図】を出します。これは一般的に【六道輪廻図】として出されている手のものです。
                    私達は各自の【三毒】によって、「天道」「人間道」「修羅道」【餓鬼道」「畜生道」「地獄道」の【六道】の何れかに生まれ出ると説かれるものです。そしてその「因」となる要素として「十二の因縁」があるとされることです。
                    仏教ではこの【六道輪廻】から脱して、その上界とされる「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」「仏界」の四界を合わせて「十界」を説くのですが、日本では日本の神々より仏界の仏が神界の神よりも上位と言う誤った考え方が生じたのは、この【六道】の「天」が原因と言えるかも知れません。
                    外国から入ってきた仏教思想の天の神と日本の神は同じ「天人」たる神と見たわけです。そうでなければ、日本古来の神に仏教界から大菩薩等の称号を贈るなどの行為がなされなかったと考えられるからです。

                    神の世界であろうと仏の世界であろうと、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた神霊世界は「一八十」階級。行者の世界で説かれる神の高山【十合】説で個々の神霊の段階を見ていかないと、如来や菩薩や明王等と名乗って出て来る霊の名乗りだけでは、その神霊の力がどれほどだか解らないからです。
                    私が修業時代に不動明王と一体化している御婦人が、私がある方のお祭りに持参した御神酒に対して、どこの馬の骨か解らぬ者(私のこと)が持参して来たまずい酒など飲めるかと私に毒づいて、何と失礼な人だと思っておりましたが。それはその御婦人の口を借りた不動明王が私に毒づいたしだいです。

                    その言葉を聞いた豊受の神が、「不動明王が如き分際でどなたに対して大きな口を叩いているのだ」と、その不動明王と一体化しているその御婦人諸共金縛りにされる事件がありましたが、先日その不動明王はどこのどなただったのかと、そのご婦人がその不動明王を祭る為に建立されたお塚を見て来ましたところ「成田山不動明王」として祭られていました。
                    その時の不動明王が成田山の不動明王系だと解って、なるほどそれであの御婦人を不動尊行者達が拝んでいたのかと?。変な納得もしました。

                    いくら成田山不動明王でも、神の高山の三合目とか四合目当たりの不動明王では話にはならないということなのです。いくら如来や菩薩や明王だと名乗っていても、非常に限定された力しか保有していない如来や菩薩や明王が存在して来るからです。そんな中で、いくら「声聞界」「縁覚界」「菩薩界」「仏界」だと言っても、出て来られる如来や菩薩や明王を見ていると、今もそんな構図を出して論じることそのものがナンセンスとなります。





                    仏教で説く【三毒】は諸悪の根源

                    ′邸覆箸鵝法瓩爐気椶襦K阿ことを知らずに物を欲しがる
                    今+貝(財)=財欲に溺れることですが、我愛(我よし者)も「貪(とん)」に入るのです。
                    動物に例える時は「豚」となります。食い意地ばかり走って限度をわきまえないでブクブク太る者は豚と言うのと同じ事です。


                    ≒咫覆犬鵝法疆椶蠅凌粥怒りで一杯になった目、目を見張る
                    目+眞(真)
                    これは「諦」の漢字があきらめるではなく、言葉で明らかにする意味であるのと同様に、真(眞)理に向かわない目は「毒」のことなのです。何故ならば、この瞋は動物に比較する時には「蛇」とされているからです。蛇の目は常に真理への道を閉ざすからです。


                    a(ち)=真理に対する無知の心のことです
                    疑+病
                    無知と言うのは知らないの意味の無知ではなくて、疑問を持って物事を考えないことが無知なのです。霊的に見えたからと言って、その霊の言葉を頭から信じるでは「癡の者」です。古今東西。霊が「真理」を語ったなどないでしょう。夢夢疑うことなかれでなくて、疑って疑って疑ってかかる必要があるのです。

                    人がこの世を去って霊的世界に入って蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や鳥霊等に【身替える】を起こす。そこに仏教で古来より説かれて来た【貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)】の「三毒」が働いている。それらは決して古い教えではなくて「真理」に基づいた教えと言えるのです。

                    私は自分が少しばかり神霊世界を歩いて来たから言えることですが、私の前に「ミカエル」だとか「ガブリエル」とか名乗って出て来る霊などは捕縛した方がいいかと見ています。そんな名乗りをする霊は驚くほど無知だからです。

                    スピリチュアルなどは、まず【疑う】をしません。疑うことをしない病に犯されているのです。ですから霊的「痴呆症」となるのです。スピリチュアル系で論理が説ける者が居ないのは、そうした「無知者」として自分が踊っているからです。
                    この疑うことを知らない病に犯された者は「鳥」をあてがいます。本当の天使に羽根などはありません。羽根の意味の間違いを犯した鳥たちです。


                    私は大本教神諭が予告した【九つ花に咲く一輪の言霊の火水(秘密)】に基づいて、【ラ(羅)神論による輪廻転生】を説いて来ました。
                    誰も日本語と呼ばれる言葉で、【五十六億七千万】の仕組みでお釈迦様の悟りを告げる【みろく神】が出て来るなど、言葉的には想像を絶する仕組みになっていると思いも付かないことでした。

                    その【九つ花】で【六道】を考えると、まったく別の【六道】が出て来ます
                    そこにあるのは、お釈迦様は【この世は苦(9)界】と説かれました。

                    この世の【苦(9)】は、天で【禄(6)】になるなのです




                    私は【太極図】を見た時、最初は「陰陽」の玉の感覚しか持っておりませんでした。しかし、日本語で6を言う時は「六」であり、9を言う時は「九」ですので、6と9が【一八十】度回転に気づかなかったと言えます。

                    6と9は、霊学の数学としては逆転しているなのです。


                    天国は【禄(6)】の世界であり、地獄は【苦(9)】の世界です




                    大本教神諭は【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】を予告しましたが、大本教の出口王仁三郎聖師はそれを紐解くはされませんでした。また、現在の大本教がその重大性を何一つ認識していないもあります。

                     

                     

                    それではこの世の「9」が

                    天の「6」と咲く身【禄】になることも

                    理解出来ないとなります


                     

                     

                     

                     

                     

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                    この世での幸せを求めぬ者は居ない。されど、幸せに成れないのは霊界のシステムか?

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                      人は誰しもこの世に生まれ出て、幸せを求めない人など存在しないでしょう。だが、自分はこの世での幸せを求めているにも関わらず、自分の力ではどうすることも出来ない力によって、自分が不幸の中に置かれているを体験するわけです。そして幸せを求めて神仏に願掛けなどもなされるわけです。

                      スピリチュアルと称する人達の中から、次のような話が出て来ます。【人はこの世に生まれ出て来るに当たって、全て自分で自分の一生を計画して、そのブログラムに従って生まれて来ているのだ】と。
                      仮にそうだとして、自分で自分が不幸せに成るような人生プログラムを作るでしょうか?。あり得ないと考えるべきでしょう。誰しも自分が幸せな人生を求めて生まれ出て来たのであって、わざわざ不幸になる人生を望んで生まれ出て来ることなど考えられないわけです。
                      なのに不幸が来るとすれば、スピリチュアルの自分でプログラムを作って生まれ出て来るの説はかなりいい加減だと言えます。

                      では、【幸せを求めて生まれ出たこの世において、不幸に成る人生】とは。そこに如何なるシステムがあるのかです。そして何故に幸せを「阻害」しているかです。

                      仏教の開祖である【お釈迦様】は、人は【何故に死ぬのだろうか?】。そうした疑問から仏教を説かれたとします。人は誰でも必ず死にます。天皇だから国王だからで死は止められません。絶対的な神が存在していたとしても、人が死ぬことは止められないのです。どうしてお釈迦様は、そんなことに疑問を持たれたかです。それはまさにお釈迦様だったからです。他の方だと考えも及ばなかったでしょう。

                       

                      そして菩提樹の下の瞑想で、悪魔は実態を持たない現れで在り、人には良心と呼ばれる神が内在していると悟られたわけですが、良心神とはバラモン教の如来とか菩薩とか明王とは意味が違いますので、お釈迦様以外の聖者や覚者には「人に内在の良心神」の理解は難しかったと思われます。
                       


                      そうした中でお釈迦様から【因果応報】と【縁】が説かれました。この世に起きる出来事は全て必然の結果であり、偶然などは無いとするわけです。偶然に起きたと見える出来事も全て必然性があったなのです。私はよくここまで覚られたものだとびっくりしました。

                      それらを知るには、私達の目には見えない世界たる【霊界】が存在しており、私達の命は肉体の一生で消え去るものではないことに対する理解力が要ります。肉体が死ねば魂は終わりではないわけです。【輪廻転生】の存在です。

                      その【輪廻転生】とは、人間界から次の世は動物界等へ【転生】だけではなく、人の身であった霊が「蛇や狐や狸や猫」霊の姿に【身変える】問題も含んでいたわけです。それは天使だとか宇宙人と称する霊も含んでいるわけです。

                       

                      スピリチュアルでは自分には天使長ミカエルが降りて来る式の方が多いのですが、本当にそれが天使長ならば私が明らかにしている論理ぐらいは出しなさいよなのです。そうしたことも語らないで天使長です。あまりにもバカげています。

                      それは俗に言われる【魂は不滅】の論です。現実には腐ったり潰れる魂もあるので魂は不滅ではありませんが、その魂には【正負(+−の火水エネルギー)の原則】たる「目には目・歯には歯を(自分が犯した罪の贖罪)」の法則が【カルマ】として来世にも渡り、【縁】としてそれらが吹き出して来る(因果)です。それは誰をしてもそれから逃げられないが大前提としてあることを知ることなのです。

                      自己の魂の中のカルマを消滅させないで、本当の幸せなど無い

                      仏教では「執着」から離れなさいと説きます。カルマと呼ばれるものは自分では意図しない執着なので、自分は要らないと言って切り捨てることなど出来ないのです。そんなカルマの吹き出しの中でも瞬時的な幸せはあります。

                       

                      輪廻転生の中で、生まれ出る人生。生まれ出る人生。おぞましい環境の中に置かれていたケースが見当たります。神罰と呼ばれる類いのものです。その光景を見ているだけでそのおぞましさのあまり、こちらが吐くがあります。そんなおぞましい人生の中でも、365日おぞましいはありません。時にはそれから逃れる時間もあるわけです。

                      私達の魂は仏教で説かれる【過去・現在・未来】の三世に渡ります。どこかの人生でめちゃめちゃひどくても、どこかの人生では好かったがあります。今の人生が悪かったとしても、次の人生が好いかも知れないのです。ですから、今の人生が悪いからと言って自殺することは許されないのです。巡るとか巡り合わせも理解すべきことだったからです。





                      私の最初の師匠は豊受の神のお代(寄り代)をされていましたが、いくら多くの信徒から「先生」「先生」と奉られようとも、「普通の人で暮らせた方が遙かに幸せですよ!」と言っていたように、神霊世界に関わるよりも普通の人として暮らせる方が遙かに幸せです。その言葉は優秀な霊能者ならばどなたも言われるでしょう。

                      今の世はスピでセミナーを催して、スピで金儲けをしよう等の風潮が流行っていますが、霊界の仕組みそのものを無視した流れで行くと、

                      スピは金儲けが出来ると霊界に飛び込んだ者は、後で泣き目に出会う

                      私の師匠が私に言ったのは、【人としてこの世の人生がどれほど苦しく辛くても、たかだか50年程度に過ぎません。それよりも神界に仕えて、自分も神霊として500年間も祀られるとしたならば、どちらが得か考えれば解ることです】。
                      確かに日本神道系などを見ていますと、田舎の氏神社等にはこの世で人で在った方が、死後にそうした神社の御祭神として赴任するがあります。この世で神霊世界に仕えるとか関わるのは、この世での幸せを得る為ではなくて、死後の霊界の【後生大事】なのです。

                      平坦地を行けば浮き沈みも少なく、見晴らしが好い高地に行けば、上るも下るも労力が居る。

                       

                      何かを得れば何かを失う。苦労をして得た幸せは大きい。

                       

                      人の幸せ度に尺度などは無い。小さな幸せに満足していれば不満も起きない。

                       

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