九十九%は邪神の教えであっても、邪神の教えも全てが間違いでは無い。要は残る一厘。

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    日月神示等には【九十九%】は邪神等の教えとあるようですが、邪神だからと言って全ての教えが間違っているのではないのです。邪神でも【九十九%】までは行けるとされている様に、残る【一厘】の教えが出来ていたか出来ていなかっただけなのです。 

    では、どの邪神も【九十九%】まで説けているかと言いますと、私が見る限りそこまで説けた邪神そのものが見当たりません。もしも「九十九%」まで行けたら御立派なのです。

     

    この【九十九%】は邪神とあっても、その神を信仰したからと言って別に「地獄」界に行くではないからです。何故ならば【最後の審判】と呼ばれるものは、各自の魂の【良心神】の点数によって、新しい【みろく世】の地位が永遠に定まる話であって、お釈迦様の悟りは【人には良心と呼ばれる神が内在する】で、良心神の存在が理解出来たからと言って100点ではないからです。

    ただ、言えることはスピリチュアルに見られる【愛】ばかり言って、良心など重たいだけだから捨てましょう。悔い改めないことから、その行く先が【地獄】界になることを注意しているのです。

     

    私は人の魂に【点数】が出のを見て来ました。その点数とは「愛」の点数ではなくて【良心神】の点数でした。

    愛の教えだけだと魂の点数が上がらないのです。

     

    例え邪神の教えであろうとも、

    信徒を天国界に導ける教えであれば、どこが悪いとなります

     

    天国界とは、既に第一、第二、第三天国界が在ることは知られています。大本教の出口王仁三郎聖師は、更にその第一天国界の上に最上級天国界が在ると説かれましたが、これはある意味不可能な領域と考えるべき世界です。何故ならば、既に説かれている第一天国界ですら、仏教で説かれる【如来級】の世界だからです。

    この日本は大多数の国民は仏教徒です。それに【やおよろず(八百万)の神々】です。人は死ねば「仏」とは、皆が死後にお釈迦様の様な【仏陀】に成れるではありません。仏教で説かれる【菩薩】とは、【如来】界までには行けないが、その下の段階を意味して来ます。天国的に言えば【第二天国界】です。

    スピリチュアルに見られる【口先の愛】を説くではなく、【愛善の実践者】とは「菩薩」的な存在です。ですから、愛善の実践者は第二天国界には行けます。しかし、第一天国界は「如来」とされるような世界ですから難しいとなるのです。

     

    この世で多くの人を助けた人達は【菩薩界】

     

    この世で悪いことをさんざんしたとしても、悔い改めて一転して多くの人を助けた。ならばその方は【菩薩界】にと行けます。それこそ、「菩薩」の様な人だったからです。為には【悔い改める】が要るのです。

    この世に生きている時、菩薩のような生き方こそ出来なかったが、神仏を信仰をしていてさほどの悪事もしなかった。感謝で感謝で暮らして来たなれば、【第三天国界】には行けます。俗に言われる【お天道様信仰】などもそうです。その時、その人が信仰していた宗教の神仏の存在が正神とか邪神とかを問われることではないのです。

    何故ならば、人が自分が拝している神仏が、正神界の存在か邪神界の存在か?。そんなことを人の身では知らないからです。仮に、仏像に宿る霊が蛇霊や黒龍神とも知らず拝んでいても、それはほんどの人には解らないことであり、誰も批判など出来ません。

     

    要は、

    その人の信仰は、現世御利益主義で神を求めたか

     

    その人の信仰は、神に生かされている事に感謝か

     

    中堅どころの某宗教開祖は、人は自分が神だと思って信仰する存在が正神か邪神かが解らずに拝する。仮にそれが邪神で在ったとしても、その人がそれを正しい神だと信じて【真心】から拝んでいるのであれば、邪神を拝んだのではなくて本当の神を拝んでいると説いておられます。

    私は、その教祖様が教えの面では正しいことを知らずに説いておられることを知っています。それはその教祖様の【知識の勉強不足】からです。だが、この言われている内容は正しいと言えます。どこにも100%の教えなど出来る者がいないからです。

     

    宗教者が根本的に間違えるのは、

    我が宗派を信ずれば天国で、異教徒は地獄行き

     

    その宗教の教えよりも、その人の信仰が現世御利益を求めての信仰か、感謝心からの信仰か?。自分は目には見えない神様に生かされている。ありがとうございます。そうした信仰心の持ち主は地獄に墜ちようがないのです。

     

    本来の神は、個人の宗教宗派の所属など問うてはいない 

     

    私はお釈迦様の本当の悟りであったと思われる【人に内在する良心神】を説いていますが、その方自身はそうした教えを世に説いてはおられずとも、天人界の情報として、最後の審判は「各自の良心神の点数」説は既に出ています。どれだけ正しい方向に自分の信徒を導いたかです。

     

    宗教の【宗】とは、人の【胸(宗)に宿る】存在を説くが教え

     

    教祖個人を拝む宗派とは、【胸(六根)】の宿りの教えでない

     

    そこに、一つの問題が起きます。大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた

    人は邪神が説く【真理】に狂うことを悟るべし

     

    私は何人かの霊能者の方が、あの方は【救世主】様だとあまりにも言うので、その方に直接に出会いました。その教祖をスピリチュアルで有名な【元首相夫人】も信仰されているとのことでしたが、その信徒達を見ると皆さん白装束で頭には三角頭巾。信者達は死後は天国界ではなくて【亡者道】に入ると見えていました。

    当然にその教えは【愛】一辺倒です。多くの人は教祖が「愛」だけを説いていれば、この方は「救世主」様だ式になります。日本の神智学では【愛】しか言わない教えは【蛇霊】の教えとしますが、そんなことはほとんどの方は知らないのです。だいたいその手の教祖の背後は【黒龍神】だと知らないからです。人々が見る【奇蹟の数々は黒龍神の術】だからです。

     

    そうした奇蹟で導かれた方達に目を覚ませと説いても、ほとんど無理です。この教祖様に付いて行けば天国に行けるという「確信」の元で、聞く耳持たずとなります。【愛】の教えは、説いている人は絶対的に正しい人だと【錯覚】を起こさせます。

    その教祖様は刑事事件で刑務所に入りましたが、その信徒達は【教祖様は自分達信徒の罪の償いの為に刑務所に入られた。やはり教祖はイエスと同じだ。】と、より信頼を高めたがあります。何で刑務所に入ったのか?。それすら考えるが抜けて行くのです。教祖に【盲進】するなのです。

     

    その教祖は信者を集めて【上納金】を取るスタイルではなくて、「霊符パワー」と呼ばれる霊力が秘められたシールやカード等を販売する方法です。そのシールやカードには宇宙パワーが宿っていて、あらゆることに効能があるが歌い文句です。病気は治る。幸運になる等です。為にたくさんのシールや物品を買う。パワーを受ける為に講演会に出席するです。 この手の教祖様は以外に多く、最近も【お釈迦様やイエスや弘法大師や出口王仁三郎聖師】は九次元界の方であり、自分はその四人の魂を持つ【九次元界4人分で36次元】の者だと言われ、その方を信じる人達はその教祖様が「救世主様」だと宣伝されています。

    そうした教祖様達が見せる【奇跡】力とは、一種の【龍神パワー】と呼ばれるものであって、手かざし系宗教の【龍神パワー】と同様に病気治し等の【現世御利益】が主体であり、その教祖様を個人崇拝では、その教祖様が行く霊界より上の世界に入ることは出来ないなのです。教祖様が地獄に行けば、信徒も地獄に行くだけのことです。

     

    霊界の奇蹟パワーは、龍神の霊力に頼る

     

    私が言霊師の元で修業していた当時、私の言向けに対して蛇霊達は、【人が病気を治してくれと頼みに来る。その病気を治してやって、いくばくかのお礼や御神酒を貰ってどこが悪い。】と言われるので、私は病気治しが悪い等と一言も言っていません。貴方は自分の姿を見て、その姿から脱却しませんかと言っているだけですと答えました。

     

    私が求めているのは、

    巳(蛇)の姿から天人の姿に帰りましょうの【ミカエル】

     

     

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    令和に入って見られる聖地・霊場の浄化機能の低下で霊媒質者に霊憑依

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      未だ精神世界に関わっている一部の方の意見にしか過ぎませんが、西暦2019年は西暦1999年に言われたいたことと何か似ているがあります。

      そして、これも未だ一部の方にしか過ぎませんが、日本の元号が【令和】になったことで起きている霊界での変化です。これは令和と言うよりも、本来の【二線に別れる手前】の意味が強いと思われます。必然として令和の元号がきたのか、単なる偶然かは解りませんが、より【霊令】が強まったと言えます。

       

      一般的に霊的世界とは大多数の人間には見えない世界です。その霊的世界を見る能力を持った人達を【霊能力者】と呼称しています。そうした中で、自分は通常の霊能力者とは段違いの霊能力を保有していると言う方は、自らを【超霊能力者】と称しておられます。確かに、単なる霊能力者では無いと見受けられる方達が少数ですが居られます。

      また、霊能力者と呼ばれるほどの段階には到達していないが、一部の霊的世界が見える人達のことを俗に「霊感者」と言います。霊能力者とか霊感者とかは、霊的な事物が自分の目に見えるです。そこに人が存在していないのに、人の肉声と同じように会話して来る霊的存在と会話するです。

       

      それとは別に【霊媒者】と呼ばれる存在があります。世に混同される間違いとして【霊能力者=霊媒者】があります。昔の町の【拝屋(おがみや)】さんと言われて来た存在は、その「霊能力者=霊媒者」の両面だったからです。

      但し、霊能力者=霊媒者でありません。霊的能力があっても霊媒が出来ない。霊媒は出来ても、霊能力者の様な霊的活動は出来ないがあります。霊能力者と霊媒者の両面が備わっている方と、片方の霊能力の働きだけの人が存在するです。

       

      その「霊媒者」も霊的世界での段階で働きが違い。これまでの映画や心霊番組で見られる霊媒者(巫女)が「トランス状態」になって霊の言葉(神示等)を語るなどは、そこに出て来た存在が○○大神等と称していても、必ずしも本物とは言えません。いくらその方に霊媒としての素質があっても、【高級霊】は簡単に人に降りて来て懸からないからです。

      大本教神諭に、【この神(ウシトラ金神国常立尊)は巫女(女性の霊媒)や神主(男性の霊媒)には懸からない】とありますが、高級霊は霊媒だからと言って誰にでも「降臨」するではありません。神は【光】と言われる様に「光臨」なので、その光によって霊媒をする肉体に【発狂】を誘発したりするからです。

       

      精神病と霊障は紙(神)一重と言われるように、下手に霊的世界に関わると今生の魂の肉体にある精神に異常を来すことになりかねないのです。霊能力者は霊障を取り除くことは出来ても、精神病は治せないのです。それは大本教出口なお開祖の娘、福島久さんや大本教三代教主補の出口日出麿さんの精神の患いからでも解ります。どちらも精神世界に関わったことによる肉体の被害です。

      大本教の出口なお開祖や出口王仁三郎聖師自身の魂の格は、霊界では高かったことで肉体にそうした高い神霊の降臨(光臨)があったなのです。霊媒が出来る方の霊界での魂の格が低いと、高い霊界の魂がその肉体に降りられないからです。そこに【媒介天使】と呼ばれる中間に関わる存在も語られるのです。

       

      今はスピリチュアルが大繁盛で、高額料金のセミナーに参加して低級霊を憑けられて霊的なことが見えると喜んでいる方が増えて来ましたが、これは後の処理が大変なことになります。優秀な正しい霊能力者はなまじ霊が見える方に対しては、そうした世界に入り込まないように指導しているのに、片や低級霊が見えるようにする商売が流行しているなのです。 霊界は興味本位で関わってはいけないとされているのに、霊が見えると自分は特別な者だと錯覚させるなのです。

      どんな形であれ霊的世界が見えるならば、人は死ねば終わりではなくて死後の世界があると実感が出来たのであれば、そこにはそれなりの意味はあります。なまじ、霊の世界などは無い。人は死ねば終わりだと、霊的世界を説く者をオカルト攻撃をしている方が死後の世界で迷うよりもましだからです。

      私が何故に死後の世界たる霊世界があることを【啓発】しているのかと言うと、死後の世界で迷わない為なのです。死後の世界など無いと思って死後の世界に入ってしまいますと、生きている自分自身の存在に迷うからです。

       

      私が霊的世界に関わって知ったことは、神仏の世界で活動される霊媒者ではなくて【霊媒体質者】の存在です。この霊媒体質者とは必ずしも霊能力者の様に霊が見えるとか、霊と会話するではないので、為に自分が霊媒体質者であることそのものに気がつかず、霊の憑依によって肉体がその懸かって来た霊の浄化の苦しみを味わうです。

       

      自分が霊媒体質であると気づかないと、自分の病の原因も解らなくなる

       

      私は自分が霊能力者タイプではなくて、霊媒体質者タイプであると解って来たのは龍神の浄化とか稲荷の神霊をも浄化する能力からです。龍神の浄化などは肉体の死とか病院送りになるというほどきついもので、そうした神霊浄化の苦しみを味わって来たからです。

      龍神だから神霊だからと言って、その魂は磨かれていて汚れていないではないのです。

      黒蛇霊とか黒龍神はいくらそれ自体の魂は汚れていても、病治しの力を保有しているなどは、自らは汚れても霊力が強いことから病に打ち勝っているなのです。いくら善神や正神で魂は汚れていなくても、何の力も持たないのは霊力そのものを持っていないのです。

       

      なまじ霊力を持つと、その魂が汚れるがある

       

      私は神霊世界に修業に入って、後に弁天さんのお代と成られた方が多くの水子霊の憑依されて苦しんで、私にそれらの水子霊を転送されるなどを体験して来ましたが、私自身はそれらの霊憑依によって苦しむなどはありませんでした。

      言霊師であった2番目の師匠の元で、おまえは霊界の歩く霊浄化のバキュームカーとあだ名をつけられましたが、自分に憑依して来る霊を一々見るのではないのです。また通常の霊であれば何万体もの憑依を受けるでないと自分が倒れるがことないで、ほとんどそうした事柄に対する気づきがなかったのです。しかし、大黒龍神を自分の肉体で浄霊する時に死ぬほどの苦しみを味わって、霊界での【浄霊】の重要性を認識したと言えます。

       

      世にスピリチュアルの弊害が言われていますが、

      スピの弊害とは霊を浄霊するのでなく、逆に神域を汚す

       

      スピリチュアルの大御所を自認されている霊能者江原啓之さんは、霊はよく見える方ですが、浄霊能力はまるで備わっていないがあります。テレビ番組のオーラの泉で数十体程度の霊憑依でのびてしまわれて、その横にいた美輪明宏さんが慌てて九字をきって救出するがありましたが、単に霊が見える能力と霊そのものを浄化浄霊する能力はまったく別物なのです。霊を浄化浄霊する能力がさほど備わっていない人の霊談義に乗っかかってしまうと、後で偉い目に遭うなのです。

      最近はテレビでの心霊現象の番組は減ってしまいましたが、【世界の何だコレ⁉ミステリー】でアメリカのゴーストハンターシリーズで僅かなオーブが飛んでいる映像とか、原田龍二さんの座敷わらしシリーズで少しのオーブが写る程度のものしか出ていません。

       

      下記のビデオは以前に出したオーブ玉が飛んでいる映像にしか過ぎません。別にオーブ玉をビデオに撮ったからといって特段のことではありません。ただ、最近霊媒体質者が撮られたビデオでは、もっと凄まじい現象が写って来ています。明らかに霊界に異常が見られるのです。ただし、そうしたビデオはアップしません。もうそうしたことを知る学びの時ではないからです。

      こうしたものを見ても、スピですら意味が解らない人が大多数なのです。誰もスピリチュアル標榜者から、【霊界の浄化】などの話など聞いたこともないでしょう。逆に霊的世界を汚す行動に走っているからです。

      https://www.youtube.com/watch?v=xzv4eGzGpig

       

      こうした映像は霊能力者よりも【霊媒質者】の方が何かを感じて、スマホなどで撮ると写って来ます。霊媒体質の方だと、夜中でも気配で何かが飛んでいることに気づいてしまうのです。

      日中に神社等に行くと、何かキラキラした物が目に見えるがあります。そうした存在の夜中版と言えます。夜だから、玉が飛んでいることがよく解るのです。霊は光の玉と言われるように、太陽光が当たる場だと見えないが起きるからです。私も昼間はそうした物を見ても、夜中に飛んでいることまでは解りませんでした。だが、夜中に飛んでいる物が見えて来ました。その数を増して来ているなのです。

      ただ、こうした類いの物は本来は【祓い給え、清め給え】で浄化されて消えて行くものなのです。

      魂が腐ったり捻れたりで破砕されても、そうした欠片は霊的なもので思念と呼ばれる物が残っています。霊を浄化しないと【思念(死ねん)】が残ってしまうなのです。

       

      オーブ玉が盛んに飛んでいる現象は、聖地霊場などの磁場による【浄化】機能が強い場所で見られます。

       

      最近、霊媒体質者の方達から、霊の憑依がきつくなって来たと声が上がっています それは、これまでは霊の浄化の機能を受け持っていた神社や寺院が、その霊的浄化機能を失って来ている為に、霊を浄化する能力を持った【霊媒体質者】により多くの霊が憑依して来ているが起きているのです。

       

      そうした霊達の言葉を聞けるならば、【助けてください】と言っているのです

       

      本来の神社の神主や寺の僧侶とは、そうした霊を浄化する為に働かれる神仏に霊力を与える為に、自らの心を正して清廉な言霊を出して、自分が仕える神仏のパワーを強める為に【祝詞や御経】を上げるのです。そうした神主や僧侶が本来の役目を忘れて、金儲け主義に入っていると正しい御神霊はそこから去り、悪しき神霊が神社寺院に鎮座して来るなのです。

      もう既に多くの霊を浄化する機能を持った霊的磁場は消えつつあり、救いを求める霊が肉体が霊場の機能を持つ霊媒体質者に懸かって来ているなのです。

       

      物見遊山と欲の願いばかりが集まる神社仏閣は汚れに汚れており、私はスピで超有名な某神社に再度参拝した時、以前とまるで違いその神社の汚れで自分が吐きそうになりました。もう、この著名神社はダメだです。この神社の御祭神とされている御神霊が本当にその神社に鎮座されているのであれば、ここまでその神社が蛇霊のたまり場などになっていません。

      その後、ある筋からこの神社の宮司は欲惚けであり、神社に奉仕する巫女達は蛇霊に憑依されていると聞かされました。誰がここまで著名な神社を汚したかと言うと、霊感スピの女子達と言えます。その原因は自称スピリチュアルの大御所です。

       

      私が知る霊媒体質者の方達から、最近霊の憑依が凄まじいとの連絡が来ています。みろくの世に向かっているのであれば、霊の憑依が少なくなるはずなのに、逆の現象になっているです。そうした憑依して来る霊達の言い分がなんとなく解る方達は、多くの霊が【助けてください】と救いを求めて来ているなのです。

      そうした霊の多くは、これまでは大地の表面的な場所でそれなりに鎮まっていたと思われます。日本神道の世界では【土をいじると霊を揺り起こす】ことから、わざわざ【地鎮祭】を執り行っています。地鎮祭は単なる迷信ではなくて、土を動かすと霊が揺り起こされるからです。

       

      これまでは大地の表面に眠っていた霊は大地が揺り動かされて、眠っていたはずの霊が多くの天変地異の災害や交通事故などを誘発させて来ます。 

      霊媒体質者はそうした霊の憑依で苦しむことはあっても、そうした霊を「浄化」すれば御本人に霊力がつきます。何故ならば、この世での肉体の苦役は【自己の魂の過去世からの罪たるカルマ】を精算解消させるからです。

       

      最近、とある人物と出会って、私からその方に対しては何も言う必要はありませんでした。その肉体は神仏が見えるなどの霊的能力は何一つ持っておられませんでしたが、その肉体が発するオーラは光輝いておられたからです。この方は例え大峠が来たとしても楽に越せる方だと解りました。

       

      もう、弥勒世に向かって二線に別れる作業は始まっていると思われます。

       

       

       

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      人は自己の天命・宿命に従うのか?。人の世に生じる合縁奇縁

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        人は誰しも持った生まれた【天命・宿命】とか【星】があり、誰もそれからは逃げられないとされて来ました。

         

        天命とは辞書には次のように書かれています。

        ‥靴量仁瓠E靴人間に与えた使命。天のめぐりあわせ。天道。天理。

        天から与えられたいのち。天の定めた人間の寿命。天寿。

         

        宿命とは

        \犬泙譴覦柄阿ら定まっている運命。宿運。

        ∧語。宿世の生命。前世の生命。過去世での受報の差別・善悪苦楽などの総称。

         

        【前世の生命】とは【輪廻転生】があることであり

         

        【過去世での受報の差別】は【カルマ】と呼ばれる

         

        スピリチュアルでは、人は自分でこの世での「プログラム」を決めて出て来る等と主張される方が大勢です。ならば、誰も今生の自分が【不幸】に成るようなプログラムを組んで出て来るでしょうか?。

        誰も組まなかったはずです。現実にこの世に出て来たならば、上手くいかない事ばかり。どうしてこんな人生なのだ!。こんなはずではなかったのにとなります。

        その自分でプログラムを組んで出て来たと言う主張を補完する為か、【運命】は変えられますと主張される方が多いとも見受けられます。だが、そこに見られるのは自分が主宰する高額料金のセミナー等に人を巻き込もうとする戦略が見られます。

        そうした論理は、仏教で説かれて来た前世・過去世から来る【カルマ】の要因を見ていないがあります。

         

        大本教神諭に【この神(ウシトラ金神)は病気治しの神ではなく、心の立て替へ立て直しの神である。】とありますが、現在の神霊世界の神々は、【現世御利益】が主体の神達であり。その神達を信仰することによって、病気が治ったり。金銭的困窮から助けられた等は起きて来ます。

         

        神を認識することで、自分の運命が変わる

         

        霊力がある神霊なら、病が平癒するもある

         

        また、相手が何神であろうとその神を信仰することで、大難が中難に、中難が小難に、小難が消えるがあります。

        しかし、そこに新興宗教の実態として知られることに、その人に憑いていた霊障を起こす黒蛇霊等の存在を、より力が強い黒龍神とか大黒蛇霊がそうした霊障の黒蛇霊を剥がしただけのことであり、人がこの世に出て来る原理原則である【カルマ】の解消に繋がっていない問題が指摘されています。それらは、一時しのぎの対処法で終わるです。

        過去世からの【カルマ】を消せていないなのです。それだと今生での「苦」を逃れたとしても、来世でまたもや【カルマ】が出て来ます。いたちごっこの繰り返しになってしまうのです。

         

        そこにあるのは、自分で自分のプログラムを組んで来た云々ではなくて

         

        人は何故にこの世に出て来たのか?

         

        過去世の自分のカルマを解消する為 

         

        人の魂は、魂の「更生」の為に後世に「甦る」を起こして来た。

         

        人の魂は【輪廻転生】で幾度も生まれ変わり。良い人生の時もあれば、悪しき人生の時もあります。良い人生の時は文句を言わないが、悪しき人生の時は【不平不満や愚痴のタラタラ】。この世の「苦」をカルマの解消として【感謝心】で進む人は、自己の過去世からの【カルマ】が消えて行く。

         

        お釈迦様の悟りの教えとして、【この世は苦界】があります。だが、そうした教えも現在では無視されているのです。

        私が子供の頃、自分は旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。【人は生まれて死んで。生まれて死んでの繰り返しである。人はこの世に出て来た時、その姿や形は前世の自分の姿や形とは違う。肉体の両親もその時は前世の親とは違う。兄弟も違う。友達も周囲の人も違う。置かれた環境も違う。同じなのは、前世の自分の心と今世の自分の心は同じである。人が自分の前世が解らないのは、この神の恩寵である。過去の失敗の人生を思い出しても何の意味も無い。】と告げられたのです。

        さらに、【人はこの世で様々な違う魂と出会い縁(えにし)を結ぶ。この世での悪しき縁はこの世に捨てて、良い縁だけは魂の思い出としてあの世に持って帰りなさい。】と告げられました。

         

        魂がこの世で創った【カルマ(因縁)】は、この世に置いてある

         

        霊界に帰ったからと言って、霊界で「カルマ」の解消道は無い

         

        しかし、再度この世にオギャーと誕生して来ると、この世に置いていた過去世の自分が行った悪しき因縁が絡んで来ます。【カルマ】と呼ばれるものです。

        その【縁】によって、自分には予想外のことが起きて来ます。自分の予定通りには行かないなのです。これが仏教で説かれる【宿命】と言えます。前世の生命。過去世での受報の差別・善悪苦楽が出て来るなのです。

        しかし、全ての【カルマ】が悪しき物とは限りません。カルマは「因縁」とされますが、当然にこの世での良い「因縁」も残して置いたりしています。そうした時は過去世で良い因縁(縁)を持っていた魂と出会うと、何かと助けられたり援助を受けたりも出来るのです。

         

        スピリチュアル等は高額のセミナー募集が主体のようですが、そのセミナーの料金が低額であれば、それはそれなりの意義もあるでしょう。しかし巷に見られる料金には、あまりにも法外な料金が見られます。私が知るスピリチュアルの方は【ワンコイン(500円)】程度でセミナーを催しておられましたが、そんな方は少数です。大金を取る方が【愛】を説く。本来の【愛】とは無償で与えるものなのですが?。無償の愛を説く人が高額料金を設定する???。

         

        多くの人は間違った感覚を持っておられます。神は全て無料だ!

         

        私達が肉体を持ってこの世で生きて行く為には水や空気が必要で、そうしたものは【自然】と言う名の下に万物の創造神が無償で授けてくれています。創造神はそれらの使用にお金を要求されていません。それらの自然や空気や水を汚したの人間サイドなのです。自分達が儲かれば何をしてもいいと地球環境を破壊して来たのはユダヤの悪鬼と呼ばれる【資本主義】でもあるのです。

         

        万物の創造神からの【恵み】は無償であったとしても、神のお代とか霊能者は肉体を持つ身なので、自分の生活があります。その為に祈祷料とか相談料を頂くのは当たり前のことです。それをお金を取ると批判する人は、感覚がおかしいとは言えるでしょう。

         

        霊能者でスピリチュアラーでもいいのですが、私が伏見稲荷山に詣でている時、高価な指輪を無数にはめて、首には宝石の首輪をチャラチャラさせて、その信徒達に自慢気にその何百万円何十万円の高価な宝石類を見せびらかしている霊能者がいました。霊能者になれば、こんなに儲かるのだ。金持ちに成れるのだ。

        この手の霊能者やスピリチュアラーで、御膳谷の瀧場を覗いた為に豊受姫から金縛りにされて、高価な着物を着た状態で空中に吊されて、その高価な着物に瀧の水を厭と言うほど浴びせられた事件があります。

        自分には霊能力があり守護神と一体化していると言っても、豊受姫はその守護神霊ごと肉体を金縛りにしてしまうもありました。

         

        私に【おまえはどこ馬の骨か】と悪態をついた不動明王が、そのお代たる肉体と一緒に金縛りにされて、ゲーゲーと地面を転げて吐きまくるに遭ったことがあります。いくら霊が見える。霊と会話する霊能者やスピリチュアラーだからと言っていても、私を見て「どこの誰だか解らぬ馬の骨」と言った不動明王がごときがと、豊受姫が怒られた出来事でした。 誰に向かってそんな無礼なことを言うのかです。

        私は秘密裏に天から下ろされた者であり、神霊世界での自分の身分を明らかにしていません。それは、その霊に私の背後に存在する神霊が見えているのか、見えていないかを知る為でしょう。

         

        私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【今生のそなたの人生はとても辛い人生となる。あまりにも辛い役だから、他の神の御子にその役を命じることも出来ず。我が子なれば、死んで参れと告げるほどの役である。】と告げられており、ある程度の覚悟はしていました。

        しかし、ここまで自分を辛い目に遭わせるのかです。自殺を考えたことも幾度かあります。しかし。自殺が出来ないと解って、ある意味開き直ったとも言えます。ならば、生きてやれです。泣いて泣いて、その涙も涸れ果てたです。

        私は神霊世界の修業で学んだことは、人の魂は「輪廻転生」しており、その全ての人生が「幸福」であった等はあり得ないです。どこかの人生では幸福であっても、ある人生ではどん底で悲惨な人生もあったなのです。

         

        逃げても逃げても逃げ切れない道があるでした 

         

        自分がそうした悲惨な目に遭った時、人を恨み。社会を恨み。先祖霊を恨み。神をも恨む。それは間違いなのです。

         

        私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたの前世は悲劇の武将であった】と告げられました。その自分の前世霊は恨みから地獄に墜ちていました。私はそれが自分の前世とは知らずに、私に見えた武将霊に対して恨み辛みを捨てることを説きました。その武将霊が恨み辛みを捨てた時、その武将霊は一気に霊界の高い地位にと上がって行きました。それが私の【正守護神】です。自分の前世だからです。

        しかし、肉体の私には私の魂が武将であった時、いくら武士の習いが戦であったとしても多くの人を殺めました。その罪は今の肉体の私が被るなのです。

         

        今の自分の人生は辛い。それは前世の自分の魂の罪を償う過程でもあるのです 

         

        私は今の肉体が切り刻まれて殺されても誰も恨みません。全ては自分の魂が犯した罪が消えて行く過程と知るからです。

         

        聖書 【自分が播いた悪しき種の果は、自分で刈り取れ】

         

        自己の魂の過去世の罪を払い終えれば、魂は高次元に向かう

         

        世の【立替】とは、過去の自分の全ての罪を清算して永遠の未来たる【みろく世】にと入る

         

        私は小学生の頃までは、旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、中学生になった頃からはその声を聞かなくなりました。高校を出て社会人となって神の存在を忘れていたのですが、30歳に成る少し前から別の霊声を聞くようになりました。それで、自分は誰なのかを知りたくて多くの霊能者の方の門を叩きました。

        最初の師匠の門を叩く前、出雲の大国主命を祀る霊能者から、貴方の守護神は「不動明王】様だと教えられて、初めて催された近畿36不動尊が一堂に会する御開帳があり、そこに行くと7〜8体の不動明王からビシビシと得体が解らない物を飛ばされて、この野郎。やる気かとなったこともあります。子供の頃、本物かどうかは解りませんが旧約聖書の神と称する声が臨んでいたので、不動明王に負けるはずもないという意識があったからです。

         

        私が神霊世界に修業に入ってから、如何なる御神霊かは解りませんでしたが、【今生でそなたが仕事の関係で出会っている女性の何人かは、過去世でそなたとは深い縁があった者達である。そなたとの今生の出会いは、そなたの魂との永遠の別れになるから、今生が最後となるので出会わせるようにした。】と告げられます。

        私は自分の過去世を思い出すではありませんが、私が出会った方の中で過去世に出会っていたのではないかと思う人との出会いはありました。

         

        合縁奇縁(因縁と言う不思議な力による出会い)

         

        この合縁奇縁は【相縁機縁】とも書きます。人は縁と縁で結ばれているなのです。お釈迦様の教えに【縁無き衆生は度し難し】があります。これは仏縁のない者は慈悲の仏でも救えないの意味ですが、ここで言う【仏】とは人は皆死ねば「仏」の御先祖霊を指すのではありません。この宇宙を創って来たような段階の神仏のことです。

         

        人は神仏など自分には関係が無いと無縁で生きていても、ある日、突然に神仏世界に導かれるがあります。それは、今の世ではなくて、自己の魂の過去世に神仏との御縁があって、それが今の世に吹き出し来るなのです。

         

        私が子供の頃、私に旧約聖書の神と称する声が臨んで来て、【この神だけを唯一の神とせよ。】と告げて来られました。そして、【私はこの私だけを本当の唯一の神とする者達は、永遠の嬉し嬉しの世に渡す。が、この神を唯一の神としない者達とは永遠の別れになる。】と告げられたのです。それを聞いた時、私は【唯一神】とは何だろう?。と首を傾げました。西洋で言う創造神とか唯一の神の概念の言葉の内容では無いと感じたのです。

        大本教霊界物語に触れて、出口王仁三郎聖師の【唯一神】以外の神々は,神ではなくて「神司」とか「天使」のことであるの説は私も納得するでしたが、もう一つ理解には至りませんでした。何か腑に落ちないのです。だが、【縁】で意味が解けたなのです。

         

        鰯の頭も信心からと言います。蛇霊や狐霊も神として祀れば上(神)です。そこに出て来るのは【縁】なのです。この日本では創造神と呼ばれる様な神は【消えた神、消された神】と同様です。

        だが、その唯一神は私達の魂の中の核(円真)として存在して、日本神道では【直霊】と言いますが、人の【良心】の働きを司っておられます。スピリチュアルの様に自分には創造神が見えるとか見えないとかではなく、唯一神とされる【創造神】の存在は見えなくても、創造神の存在を信じることそのものが創造神との【縁結び】なのです。創造神だから神社や仏閣や教会やモスクに祀られるのではなく、各自の心の中に生きるなのです。

         

        旧約聖書の神と称する声は、子供の私に【この神を唯一の神として認める者は全て救う。】と告げられたましたが、【縁】が無ければ救えないと言う意味合いでもあったなのです。

         

         

        人の過去世の良縁は、この世で良縁として現れて

         

        人の過去世の悪縁は、この世で悪縁として現れる

         

        今の時さえ良ければそれで良い。それは大きな過ちを犯してしまいます。魂は永遠だ!。不滅だ!。と言われるように、魂は長い時間を生きます。今の僅かな時間の一生に囚われて、その永遠性の魂を無くすなどは実にもったいないことなのです。

         

         

         

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        古来より魂を磨けと教えられているが、魂磨きとは?

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          古来より、自分の【魂】を磨けと言われて来ました。そうした【魂】の存在とは、世界中で言われています。つまり【普遍】的な事実です。しかし、医学などではレントゲン写真などにその存在が写らない。死ぬ前の人の体重と死後の体重を計測しても体重が変わらないことから、魂の存在を否定する等の愚挙に入ってしまいました。

          現代科学とは【唯物論】であり、宗教は【唯心論】なので立場を異にします。唯物論で行くと、霊界とか【魂】の存在などは認められないのです。

           

          世界の古代の人達は、どうして魂の存在を知ったのか?

           

          古代の人ほど【霊性】が高くて、魂の存在が見えた

           

          私は霊能者をしているのではないので、常に人の魂が見えるではありませんが私を守護している霊から人の魂を見せられた等はあります。十人十色と言いますが、人の魂はそれぞれ違った色を持っているなのです。それが「性格」を創るのです。

           

          魂が美しい人ほど天国界にと向かい

           

          魂が汚れている人ほど地獄界に向かう

           

          そこに、この世は【魂の修行場】説が歴然と解るわけです。どの宗教の教えを信じたから、どの神を信じたから天国ではないのです。神仏を拝んでいた宗教家でも魂を汚していると地獄界へと墜ちます。

           

          その人の、この世での【行為の結果】が魂に反映される

           

          私は魂に【点数】が出ることを知りました。その点数とは、サイキッカー(超能力者)の方とか霊能者の方にも当たった結果、その点数とは各自の魂の【良心神】の点数であると解って来ました。

          【最後の審判】と呼ばれる審判は【輪廻転生の終了】時を意味するのですが、人の魂は今日迄輪廻転生をしていることで、その人生、その人生の死においても「審判」を受けて、霊界での地位が決まっていたなのです。

           

          輪廻転生があったので、人の魂には更生(後世)があった

          死者が通る【羅城門】は【来世門】で、羅王(閻魔大王)が霊界の地位を決める

           

          日本の新神道系では、この羅王(閻魔大王)のことを【ウシトラ金神・国常立尊】と申し上げたしだいなのです。天においてはその名を【天之御中主】とも申し上げます。大本教から同一神であることが世に明らかにされたなのです。

          大本教から、【節分の炒り豆にも花が咲く】と宣伝されたのもその為なのです。冥府の長官であり、天ではエジプトで説かれた太陽神ラーとも成るで、言霊としては【ラ】神論となるのです。

          天の最高神と地獄の長官が【同一神】だとは、にわかには信じられない内容でしょうが、人の魂が【輪廻転生】をしている事と照らし合わせするならば、そうでないと辻褄が合いません。不合理になるのです。

          地獄の一番底まで降りて見てください。そうすれば自然と意味が解ります。このことが理解出来ないと、大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた「正神界一八十段。邪神界一八十段。」の理論も解らないのです。何故、両方合わせれば【三六十度】なのかです。また、日月神示等に出て来た【一八十(イワト)開け】の意味も理解出来ないのです。そうでないと、日本神話の天の岩戸開け話を事実だと頭から信じてしまうとなります。

           

          私の肉体に懸かって出て来られた大本教出口なお開祖と思しき霊が、霊媒者を通じて「大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい。」と告げられて、続いて出口王仁三郎聖師と思しき霊が私に懸かられて、回教宣伝使の姿で「ア門・ラー」を暗示された時、まさか【言葉の仕組み】だとは思いもよらなかったのです。

           

          ウシトラ金神の言葉だけでも、とてつもない仕組み

           

          鬼が云うの【魂】は、【玉形の思惟(意識)】

           

          人は肉体が終わっても【意識】は玉(玉思惟)として生き続けます。だが、その魂を腐らせたり、元に戻すことが出来ないほど捻れさせてしまえば破砕で終わります。全ての人が人として「輪廻転生」をしているわけではありませんし、この世での生き方を間違えて他の動物界等に【転生】も起こして来ます。

          そこに蛇霊や狐霊などの姿に【身変える】があります。は虫類であった蛇や狐が神として祀られているのではないのです。蛇や狐が神と成るのであれば、人間はどうなのかとなるのです。

           

          そこに、

          人は人の姿の時が、神に一番近づいている

           

          人は人としてこの世に出て来ている時を大切にしないといけないのです。次に必ず人として出て来るとは限らないからです。では、霊界でより高い世界に行こうとすると、それは自己の魂の汚れを取るより方法がありません。そこに、古来の人達は【魂を磨け】と教えてくれたのです。

           

          古来の人達が教えてくれた魂磨きとは、

           

          苦労は他人から買ってでもせよ

           

          人はこの世の苦労で魂が磨かれる

           

          この世は【天人の苗床】説もあれば、【魂の刑務所】説もあります。それは、その【苦労】をどう捉えるかです。単に魂の刑務所に入れられていると【枠】に嵌まってしまうのか?。天人(神)に成るのだと修学するのとでは、まったく違うのです。この世を遊んでいれば「天人」などには成れません。

          宗教の教えとは個々の魂磨きの為の教えであり、世の為に人の為にと役立つ教義である必要があります。単に我が宗教の教えを信じれば天国などは宗教家の大嘘なのです。まして、教祖を個人崇拝するでは自己の魂を磨ききれません。その教祖の教えに学ぶでないと意味をなしません。

           

          スピリチュアルでは「魂磨き」を言われる方は数が少なく、逆に、【魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は重いから捨てましょう。】の論調が多いと言えます。確かに、魂磨きは辛いし、良心の呵責は重いのです。そこに【神の愛で何をしても赦されるのです。】と、とんでもないことを説く人達まで続出して、そうした方は自己を聖人化しているです。愛と言う言葉を発していれば、あの人は良い人だ!。聖人だ!。

           

          それでは、閻魔大王は悪神として追われる

           

          大本教から、艮(牛虎)金神・国常立尊は【悪神】として追われたと出されましたが、そこに【閻魔大王】の意味が解っていないと、大本教の【鬼として節分の炒り豆で追われた主の神(牛虎金神)】の意味が理解出来ないとなります。

           

          人の魂の表面の汚れを落とすのは【この世の苦労】で

           

          魂の心棒(良心神)は、この世の【辛抱】で成長する

           

          だが、人はそうした厳しい教えを受けると、その存在を【悪魔】呼ばわりします。自分に甘い存在を正しい神と思うなのです。で、人は【現世御利益】の神ばかりに目が行ったなのです。

          人の肉体に入っている魂とは、その肉体が大きな方もあれば小さな方もあります。しかし肉体に入る魂とは、人の肉体の大小ほどの差の違いはないのです。

          だが、その魂に与えられるこの世の「苦難」は、神からの【試練】とも言われ、その与え方が違っています。

           

          人の魂の大きさは変わらないが、その容量は変わるのです 

           

          魂(性格)が硬直していると、その容器の容量が大きくなりません。容れ物が固くなっているからです。その魂(性格)が柔軟であればあるほど、その容量は大きくなるのです。つまり、魂という意識の袋が膨張するなのです。

           

          魂の性格が柔軟な人ほど、苦労を苦労とも思わない

           

          性格が硬直していると、この世の苦労で魂が捻れる

           

          私は魂が捻れている人を見てきましたが、どうして魂が捻れてしまうのか意味がよく解りませんでした。だが、そうした人達には共通した性格が見られるのです。それは「性格が硬直」しているなのです。魂は性格が柔軟でないと、外圧によって変形した時に元に復元出来ないのです。魂が捻れに捻れてしまいますと、ともかくもその人がその性格を直さないと元に戻らないのです。いくら諸神にすがっても無理なのです。

           

          魂の捻れは【今の心】。今の人生の【念】折れなのです

          そこに、今の世での恨み辛みは捨てましょうがあるのです。人を恨んでも、一銭の得もありません。人を恨むなとは、神の愛などと言う論理ではないのです。自分の魂が損するからです。

           

          そこに、この世では「損」しても「尊」を取れなのです。

           

           

          下記の図は、魂の苦労の意味を図式したものです。

           

           

          今の世は【七(質)】の世で、次に【八】の世が来ます

          その「七(質)」の世の終わりの時は【艱難】の時で、私達にとっては【苦】の時です。ただ、その【苦】によって多くの魂は汚れが【浄化】されるとなります。

           

          私達は世間をよく観察していますと、同じ様な【苦労】をしても、それを【苦】に感じていない人と、愚痴ばかり言う人が居ることに気づきます。 そこにどの様な差があるのかです。

           

          この世は【魂の修業場】と言われる意味の中には、そこには【世間観察】があります。苦労を苦労とも思わない人は、実に出来ている人だと感心するがあります。だが、愚痴ってばかりいる人を見ると、この人はいったい「何だ!。」となります。自己の魂を磨くとは、【他山の石】を持って玉を磨くもあるのです。

           

          自分に興味があることしか見ないでは、魂は磨けません。

           

          この世に生きている存在は全て自分の教師だと学ぶのです。

           

          我さえ良ければそれで良いの人は、【世間観察】をしない為に、世に生かされている自分に気づくこともなければ、他人に感謝も出来ないとなるのです。

           

           

           

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          令和の元号で霊界に何等かの変化が起きたか?。赤ヘル軍団は何を語るのか?

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            5月1日。これまでの平成天皇が譲位されて、元号が【令和】となりました。この「令和」という文字に関して、スピリチュアルの世界でもいろいろ言われている方達があります。人それぞれ、その解釈は違うかとは思います。

             

            神は【言葉】とも言いますが、

            特に日本語の場合は、言霊と数霊が連動して動くがあります

             

            私は30代の頃、仕事で「や 88 17−53」の發鮹紊韻深屬魃薪召靴討い銅紊辰燭海箸あります。あまりの不思議に当時お世話になった豊受姫にお尋ねすると、【五八じゃ。】と言われます。「五八?」。豊受姫から車の發鮓なさいと告げられて、なるほど5つの8です。非常に縁起が良い發任呂△襪、【そなたは、数霊の影響をモロに受けやすい体質】とのことで、特製のお守りを造っていただいたところ、ピタリとその現象が止まりました。

            その後、言霊師の師匠についたことで、日本人のほとんどの人が気づいていない【言霊】が霊的世界に多大な作用している事実を知ることになったわけです。そこに、祝詞や御経には効能があるです。言霊の働きだからです。

            聖書には、【最初に言葉は神と共にあった。】と記されますが、キリスト教徒は誰も「言霊」には気づいていないと言えます。日本では大本教と呼ばれる宗教が起きて、出口王仁三郎聖師の活動によって「言霊」が解って来たがあります。霊界に関わっていますと、漢字が霊的に【金文字】として出て来て光を放つがあります。

             

            新元号の【令和】の「令」とは命令の「令」です。ですから、ある意味「冷たい」感じを持ちます。令も冷も同じ「レイ」だからです。また【霊】も「レイ」であり、霊に対しての「和」ともなります。 

            令は君主からの命令ともしますが、元々は天からの【神意】の意味です。天の神からの命令です。他に【促す】の意味があります。天皇と言う言葉は人間である天皇家ではなくて、天の皇(スメラ)大御神の意味です。

             

            天の皇命は、命に如何なる「令」を発せられたのか?

             

            いったい天の皇大御神は何を【促す】命令を発せられたのか?。で、問題は次の【和】の漢字にあります。多くの方はこの「和」は平和の和と思っておられるです。

            現時点では一部の方になりますが、この【令和】の元号が霊界で大きな変化をもたらすと感じている方達があります。

             

            私がこの「令和」が発表された時、私にはその「令」が【麗】の字に見えて来たのです。「令和」ではなくて「麗和」の働きです。「麗」の字は「麗しい」なので、?と思ったのですが、麗は「殺した鹿の皮」を並べるです。果て、何のことかと思っておりましたが、前段のブログにも書きました「鏖殺」の意味です。 問題は誰に対しての【鏖殺】かです。

             

            5月1日が来る10日程前、私は幻視で不思議な光景を見ていました。それは赤ヘル軍団です。普通赤ヘル軍団と言いますとプロ野球の広島カープのことですが、そうではなくて赤いヘルメットの様な兜。その指揮者の兜の頭には「鹿の角」の様な飾りがあり、赤胴の鎧を着けた武者達の霊集団です。

            この様な赤ヘル兜の武者集団とは、戦国時代には幾つかありました。甲斐武田軍の騎馬隊の「飯富虎昌」が最初とされ、【赤備え】と言われて来ました。甲斐武田軍の最強精鋭部隊で、後に弟か甥の「山県昌景」がその赤備えの部隊を率いて、映画などでも武田騎馬軍の山県隊として、その名が知られたしだいです。

            そして「真田幸村」の部隊も同じ赤備えで、その猛勇振りは誰もが知るところです。それに「井伊直政」も、その武田軍の赤備えの部隊を家臣団として採用したことで猛勇の武将として知られています。井伊直政はその武田軍の赤備えの家臣団を持ったことで、数々の武勲を立てて出世したです。以後、最強部隊を意味するのが「赤備え」の軍団と言えます。

            その霊界の赤備えの武士団だけを見ていても、それが如何なる部隊なのかが解りません。その部隊を旗竿を見ますと【六文銭】でした。その六文銭を見て「真田幸村」の部隊だと解ったしだいです。調べると、その赤兜に鹿の角がある兜は真田幸村の兜とも解りました。が、どうして真田幸村の霊軍団が出て来たのか?。その意味は三途の川の渡し賃の【六文銭】かと思われます。

             

            古来より、冥土の土産には六文銭

             

            冥土の土産に六文銭と言われた意味は、【冥】の字の下部に「六」の字があるこからだとされて来ました。【冥】は「日」に従いて「六」に従うです。この「六」は、数字としては使われていますが、その成り立ちの意義はよく解っていません。私が感じたのは「六」は「八」を蓋をしているです。その蓋を取れば「八」の世となる。【八】は末広がりですが、別れる時を意味します。

             

            この赤備えの武者集団の霊は、関ヶ原の戦いや大阪城で戦った真田幸村が指揮した武者達の亡霊ではなく【天の軍】だと解って来ました。何故ならば、これらの赤備えの武者達の霊は現れた「黒龍神」を刀で斬ったからです。私は黒龍神を真っ二つに切る赤兜の指揮官たる武者を見ていて、もしかするとあの剣は【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)】ではないのかと一瞬感じたほどです。

             

            天叢雲剣(草薙の剣)とは、【三種の神器】の一つとして知られています。今回の天皇交代の儀式においても、三種の神器を持つ者が本当の天皇とされますが、天叢雲剣だけは天皇家にあるのではなくて【熱田神宮】にあります。で、残りの二点を持って天皇である証の儀式が行われたなのです。それに関してはニュースでも天叢雲剣は熱田神宮にあると流されていました。

            しかしながら、霊的世界に関わっているとどの御神霊も「鏡・玉・剣」の三種を持っておられます。古代においては、「鏡・玉・剣」は別に天皇たる証ではなくて、支配者としての象徴ではなかったのかと言われています。それは古代の遺跡発掘において、「鏡・玉・剣」の組み合わせが出土するからです。

             

            天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とは、素戔嗚尊が【八岐大蛇】を退治した時にその大蛇から取り出した剣とされ、それを日本武尊(倭建命)が東征をする時に伊勢神宮の斎宮「倭姫命」から日本武尊に渡されたとします。その日本武尊の出来事から別名「草薙の剣」とも呼び、日本武尊が亡くなった後にその従者たる尾張氏が熱田神宮に剣を御神体として祀ったとします。

            一方、形代として宮中に残された天叢雲剣は、源平合戦の壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水したことにより、関門海峡の海の底に沈んだことで天皇家にも存在しません。

            私は神霊世界を見聞した中で、俗に言われる神鏡と神剣とは私達が思っている鉄とか青銅の類い物ではないことを知りました。霊的世界ではそうした神鏡とか神剣は間違いなく存在しているのです。ですから、この世にあるのは「レプリカ」とか模造品的なものと言えます。一部の霊能者の方達のなかには、自分は霊的な三種の神器を持っていると公言される方達がありますが、それは神々も三種の神器を持っておられることからして嘘だとは言い切れないのです。

            例えば、西洋で天使とされる存在の霊達も神刀を持っています。私達日本人にとっては馴染みが深い不動明王や明王と呼ばれる仏界の仏像にしても、どの仏像も剣を持っています。霊界においては、神仏や天使達は霊剣を持っているなのです。

             

            私は神霊世界の修業に入った頃、豊受姫の庇護の元に修行して来ました。すると多くの行者さんから、私が豊受姫から霊的な【御神刀】を賜っていないと知ると、皆さんからあり得ないと言われてしまいました。行者であれば自分の身を守る為に御神霊から「神刀」を賜るものだからです。

            確かに、日本の神社の神達の中では、参って来た者に「神刀」を贈り物として渡すがあります。神界では神刀は【贈答品】の役割もあるなのです。

            私は2番目の師匠の元で、自分はどの神様からも「神刀」を賜ってないと話したところ、国常立尊を詐称していたその御祭神から「神刀」を賜ったのですが、この神刀はまさに妖刀村正みたいな神刀で、霊達が自分を斬ってください。自分を斬ってくださいと押しかけて来るので、あまりの凄さにその神刀を捨てました。すると、霊の懸かりが起きなくなりました。

            何故に、霊達は私にその神刀で斬ってくださいと押しかけて来たのか?。その理由は大国主命様の神刀の使い道で理由が解りました。それは、霊界で自己の魂が汚れてしまったことによる苦痛を消す為には、魂の汚れた部分を神刀で削って(身削ぎ)くださいと言うことだったのです。

             

            つまり、

            神刀の使い道には魂の禊ぎ(身削ぎ)もあり

             

            天叢雲剣とは、天の剣で業(カルマ)を取る

             

            為に、本当の天叢雲剣を持つのが天の皇(スメラ)命であり、別に日本の天皇家の意味ではないのです。

             

            そこで、改めて【令和】の意味を見ますと、【和】は平和の和の意味ではありませんでした。和の漢字は「禾(のぎ)と口」ですが、この【禾】は軍門の標識です。軍事力を持って、天の神意に従うのか従わないのかを聞く意味なのです。それに従うのが和議であり、平和がもたらされる意味の和なのです。

             

            令和とは、天帝の神意たる軍事力に従うか従わないのか

             

            天の神から【最後通牒】が発せられたと思われる 

             

            この日本での最強黒龍神と考えられる存在から愛されている霊能者の方の元に、黒衣の西洋風騎士が数千体集まり、その黒龍神に従わない他の黒龍神達を、その黒衣の西洋風騎士団達が討伐に入ったとの話が昨年の暮れに私に来ました。

            その黒衣の西洋風騎士団の副指揮官が私の「正守護神」を調べたら、どこにもその姿が見当たらないではないかと言って来られました。確かに、私の正守護神は数年前からその姿を私にも見せなくなっています。私自身、自分の正守護神はどこに行ったのだと思っていたほどだからです。

            私の正守護神たる武者姿の霊は、豊受姫から【貴方は神界を血の海にする気ですか。それは自制して欲しい。】と告げられた後、その姿を私に見せなくなっていたのです。たぶん、その時節が来るまで身を隠したのでしょう。

             

            そうした黒龍神の動きは、黒龍神界の中での【覇権】争いであろうと見ていました。あちらの宗教。こちらの宗教と宗教世界のバックボーンとなる霊力は、それらの宗教団の背後にある黒龍神達の数によります。【奇跡力】の現出です。人は奇跡を見ないと神の存在を知ろうとはしないからです。その黒龍神界の中で力がある黒龍神の統一に向けた動きです。それは、これまでは群雄割拠であった霊界での統一に向けた動きであろうと推察していました。

             

            だが、5月1日の午前二時頃、目覚めた私の元に鎧兜の武者姿の霊が出て来ました。私の正守護神です。私の正守護神が着用している兜とは、赤ヘルではなくて【五月五日】の武者人形の様な兜で違います。その旗下に就いたのが赤ヘルの軍団と言えるでしょう。 それは【令和】の元号で、霊的世界が動き出したとも考えられます。

             

            私に見えた幻視が本当なのかどうかは、ある一点で決まります。それは「真田幸村」としてこの世に出た魂は、日本武尊(倭建命)として出た魂の生まれ変わりであったかどうかです。もし、戦国時代に世に出た「真田幸村」が日本武尊(倭建命)の魂であったならば、大本教神諭の、この神の「三千年に渡る仕組み」の一環であり霊的世界に動きが出て来ているともなります。

             

            弥勒とは、兜を率いる【兜率天】

             

            令和は、いよいよ改革の力の弥勒

             

            赤い兜を着用した武者軍団。そこで、改めて【赤】の字の意味を調べましたところ、大と火に従うであり。火によって人の罪を祓うがあります。最後の審判は【火の審判】と呼ばれていますが、

             

            貴方の罪を赦すの【赦】は、火を持って攴で撃つ

             

            その火攻めを祓うのが【草薙の剣(天叢雲剣)】

             

            日本の霊能者の一部に日本の天皇が【救世主】との説がありますが、それは【天叢雲剣(草薙の剣)】を持っていたならばの話なのでしょう。私は【天叢雲剣】と【草薙の剣】が、何故に同一の剣となっているのか首を傾げていましたが、私が子供の頃に臨んでいた声は自分は旧約聖書の神との名乗りで、日本の神話はこの私が創作したものであると言われた意味が、さらに強まったと感じるしだいです。

             

             

             

             

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            イエスは何故に旧約聖書の神(国常立尊)を地獄の長官で【サタン(悪魔)】としていたのか?

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              日本では世界の三大宗教として、キリスト教、イスラム教、仏教とします。しかしながら、信者数から言えば世界の三大宗教とはキリスト教、イスラム教、ヒンズー教となります。仏教もヒンズー教もその根はバラモン教にありますので、日本人から見ると同一的な要素があります。

              旧約聖書はユダヤ教の聖典であり。キリスト教でも新訳聖書と旧約聖書を併せて聖書としています。また、イスラム教においても旧約聖書の一部を聖典としている関係上、キリスト教とイスラム教とユダヤ教は【三姉妹】教ともされます。されど、この三教の争いは同じ旧約聖書の神を神としておきながら、キリスト教とイスラム教の間は犬猿であり戦争して来ました。イスラム教とユダヤ教の間ではパレスチナを巡って戦争。ユダヤ教徒はキリスト教徒から大迫害を受けて来ました。

               

              キリスト教徒は、イエスは旧約聖書に預言されていた【主の一人御子】の認識に立っています。しかし、ユダヤ教徒はイエスはその預言された人物とは今日まで見ていません。また、イスラム教の開祖のムハンマドはイエスは旧約聖書に書かれた主の御子でなく。尊敬されるべき偉大な預言者としてイエスの主の御子説を否定しています。この三教は【イエス】に対する位置づけが、かなり違うと言えます。

              それらを見た時、本当にこの三教は【同一神】を信仰して来たのだろうかと疑いが出ます。それに関して西洋人からは、同じ旧約聖書を使うことから【三姉妹】教でも、姉妹でも喧嘩するでしょうとの説明がなされるなどがありますが、私達日本人の大多数は仏教徒なのでよく解らないことなのですが、何かがおかしいのです。あまりにも血で血を洗いすぎています。

               

              私は大本教が【綾部は末で神の聖都】とした意味合いの霊的映像を何種類か見させられましたが、その中には「疑問」を抱く映像がありました。

               

              その霊的映像では、【綾部は神の聖都】となっていて、日本神道の神社や仏教寺院なども建ち並んでいます。そして、イスラム教のモスクもありました。そこには多数の「イスラム教巡礼団」の姿も見られます。エルサレムのように宗教都市となっているのです。だが、何故かキリスト教徒が一人も見当たりません。キリスト教の教会すら見当たらないのです。

              その映像は今の世のことではなくて、何回か見せられた霊的映像から、この地球とまったく瓜二つの寸部と違わない新地球の「みろく世」での未来の霊的光景と判断しました。

               

              すると、 みろくの世にキリスト教徒は行けないのか?

               

              私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。その声は、【旧約聖書は我が書であるなれども暗号化してあり、本当の意味を知るにはそのままに読むと意味を間違えてしまう。暗号を解読しない限り何人も間違えてしまう。ナザレのイエスは我が子には非ず、他の神の御子である。新約聖書は我が書には非ず、人の子達が為した「偽書」である。私の本当の教えは旧訳聖書にあるのではなく、日本昔話や日本民話や日本の童(わらべ)歌の中に秘めてある。そなたは日本の昔話や民話や童歌から、この神の教えを知るべし。】と告げられたのです。

               

              新訳聖書は、人の子達が為した【偽書】とは何だ?

               

              旧約聖書の神の教えは、聖書ではなく日本にある?

               

              それらは、私にとっては大きな【謎】として出て来ました。

               

              私は豊受姫の命令で古い家を壊して家を建て替えて住んだ場所が、大本教の出口王仁三郎聖師がその信徒達に、【教団には内密でその土地を死守せよ。】と頼んだ土地とは知らずに住みました。そこで3年間に渡る大ラップ現象の中に身を置きました。そして、不思議なことに大本教霊学に導かれて霊界物語も読みました。だが、その中には「イエス」に対してのそうした記述が見られません。

              私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から聞かされた内容と、大本教の霊界物語との中には少し【差異】があります。イエスが旧約聖書の神の一人御子だとすると、私が聞かされた内容とではどうにも辻褄が合って来ないのです。これはどういうことだろうかと首を捻っていました。

               

              イエスはいったい如何なる神を【父なる神と呼んだのか?。】です。ユダヤ教徒やイスラム教徒は、どうしてイエスを旧約聖書の預言の【主の一人御子】として認めないのか?。

              旧約聖書に記載される主の一人御子とは、その前段として【男女2名の預言者】が登場して来なければなりません。しかし、イエスの前段にはバプテスマ(洗礼)のヨハネのみで、どこにも女性の預言者たる存在が出ていないのです。

               

              私が日本神道でもある稲荷神界から離れて、言霊師の師匠の元に行ったところ、その師匠は自分が【国常立尊たる現身(うつそみ)】と称していました。その師匠が見せる【言霊の力】とは稲荷神界が見せる奇跡とはまるで違います。言霊だけで医師が見放した赤子の心臓弁膜症を治すなど、言霊の威力をいやというほど見させられたからです。

              また、その師匠の元には日本昔話などの子供向けの本や漫画が並んでいて、日本昔話には神の教えがあると言われます。それは、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から告げられたのと同じです。私はその師匠が本物の方だと信じてしまいました。

               

              その師匠の御祭神である【国常立尊】と称されている霊は私にも見えましたが、ある疑問が生じて来ました。私は伊勢神宮の御祭神を拝見しましたが、その時には一万体霊にも及ぶであろう絢爛豪華な神霊行列を見せていただきました。伊勢神宮に鎮座する神霊としての威力です。

              また、鍾馗神の御案内で中国の盤古大神と呼ばれる御神霊にも拝謁しましたが、その宮殿の拝謁の座に行くまでには二千体ほどの甲冑を身に着けた将軍とおぼしき霊達の間を通る必要がありました。そして、その宮殿の広場には何万体もの古代中国兵の様な服装をした兵士霊達が宮殿を守っていました。例えそれが私を騙す為のものであっても、それだけの霊達を動員している神霊とは、力が強い霊であることは確かだと言えました。

              ところが、その言霊師であった師匠は桁外れの霊能力者でしたが、その御祭神の部下霊があまりにも数が少ない。これで神霊世界で戦えるだろうか?。そこに私の疑問が膨らんだのです。一説では、国常立尊様は九億九千万の龍神を従えて出て来るとも言われる方達があります。それとはあまりにも桁数が違いすぎるのです。

               

              私の元には、自分は盤古大神と一対一で霊剣を交えて戦って倒した。自分が「メシア」であると言って来られた方がありましたが、これなどは漫画かアニメの見過ぎです。伊勢神宮の御祭神であろうとも、盤古大神であろうとも、それを守っているのは軍のような存在であり、その御神霊が一対一で戦おうと剣を持った出て来るような存在ではないはずなのです。しかし、スピリチュアルではこの手の方が多すぎるのです。

              私が稲荷山の修業でお世話になった豊受姫は、伏見稲荷山の稜線を白狐のひげ提灯で点されて、最初の師匠とその信徒達に見せられたそうですが、その師匠によれば約一万匹の白狐霊が動員されたと言います。私自身が伏見稲荷山に行った時、自分が仕えるべき主神が居なくなった稲荷山の御塚の白狐達が私について綾部にきましたが、千体ぐらいはいました。これらは私の部下として存在するのではなく、綾部の豊川稲荷神を御祭神とする稲荷社に預けました。大本教の出口なお開祖が信仰された九鬼神道家の稲荷社です。

              元々、大本教が【世継山】とした四つ尾山には知られてはいませんが、麓には幾つもの稲荷社があり大量の白狐霊達が存在しています。私は現実界で物質化した子牛ほどある夫婦の白狐に出会っています。四つ尾山(世継山)では霊的に見えた光景であれば、何百体もの子牛ほどの白狐霊達を見ています。

               

              スピリチュアルでも霊感者でも一緒ですが、いくら高い神名を名乗って出て来る霊でも、その霊に従っている配下霊の数が少なければ疑ってかかれなのです。私は当時は高校生ぐらいの少女に出会いましたが、その少女には何百体もの黒龍神が従っていました。現在の神霊界は【数は力】なりですから、従っている霊が少ないとなると霊力の発揮は出来ないのです。

               

              そんなことで、聖書にはあまり触りませんでしたので、私が知る聖書の知識とは僅かなものでしかありません。しかし、日本神道の世界に飛び込んで目にしたものは、【日本神道】とは【旧約聖書】の世界かと驚くことばかりでした。 旧約聖書の神とはユダヤ人の神ではなくて、この日本の神だ!。です。

              明治25年に大本教と呼ばれた宗教が発祥した時、大本教で説かれた【ウシトラ金神・国常立尊】は「祟りの神」であり、あまりにも「旧約聖書の神」と性質が類似していることから、知識人の間では大本教の神と旧約聖書の神は【同一神】ではないかの声が上がりました。

               

              大本教の出口王仁三郎聖師は、自分と出口なお開祖は「旧約聖書」の中の【メシヤ出現前】の【男女の二人の預言者】の役割だとも語っておられます。とすれば、当然に「ウシトラ金神」と「旧約聖書の神」は同一神と理解されていたとなります。

               

              私は神霊世界での修行中。立派な羊の姿をした何体もの霊の訪問を受けて、2番目の師匠の元で霊媒通しを頼んだところ、それらの立派な羊の姿をした霊達の名乗りは三千年ほど昔の古代ユダヤ民族の族長であった者達で、彼らの名乗りはヤコブやヨハネとか名乗っていました。ユダヤ人にはありふれた名です。

              旧約聖書の成立時に関しては諸説あるようですが、モーゼは紀元前16世紀か紀元前13世紀の人とされていますので、三千年前のユダヤ民族の族長との名乗りは特に怪しいとは言えません。

               

              彼らは、霊界から三千年間に渡ってこの世を見ていて「イエス」の登場で、イエスが予言されていたユダヤ民族の【救い主】かと一時的には思いましたが、イエスは旧約聖書に記載される予言の救い主ではありませんでした。彼らは、未だユダヤ民族の魂は救われていないと言います。

              彼らが私を訪ねてきた理由は、【もしかすると、貴方が旧約聖書に予言されている主の一人御子ではないのですか?。】の問いでした。私がどうしてそう思うのですかと尋ねますと、貴方の魂が放っている光とは【緑光色】で、霊界からこの世を三千年間に渡って見て来ましたが、これまでにも「緑光色」の光を放つ魂の方は幾人かはありました。イエスもそうした一人でした。が、貴方はこれまでとはまるで違う初めて見る【緑光色】の光を放っている方だったからですと言います。

              当時の私は2番目の師匠が【救い主】かと思ってましたので、その師匠に救いを求められたらと言いましたところ、自分達はその方が該当者だとは思いませんと言われます。で、私は自分は【救世主】ではありませんからと、お引き取りを願ったしだいです。が、どうにもその【羊】霊の姿が気になります。どうして【羊の姿?】なのかです。

               

              日本神道界では、蛇、狐、狸、猫霊等は言います。それに天狗霊や龍神です。これは霊的にそうした姿で見えるのです。私も伏見稲荷山の修業の中では、そうした霊達と少しは関わって来ました。しかし、【羊】の姿の霊の存在は聞きませんでした。

               

              羊の言葉とは【譱(善)】と言い、羊は善人を意味する

               

              私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【イエスは我が子には非ず。他の神の御子である。】と言われましたが、如何なる神の御子(分魂)であるかまでは言われませんでした。

              大本教霊界物語に従えば、国常立尊が神界の表舞台から退かれた後、地上神界の主宰神の座に就かれたのは【木星神たる中国の盤古大神】とされます。ギリシャ神話だと【木星神はゼウス神(ジュピター)】となります。イエスがゼウス神(盤古大神)の御子であるならば、イエスが言う父なる神は妥当性を持ちます。木星神たるゼウス(盤古大神)は、国常立尊が地上神界の主宰神から退かれた後の地上神界のトップ神であられたからです。

               

              だが、世の【大立替】を予告した大本教霊界物語は、【盤古大神から国常立尊への神界の大政奉還】を出したのです。これまでは悪神として退いていた「国常立尊」様が地上神界のトップの座に帰り咲くです。

               

              日本の行者世界でその名が高いある方は、大本教が起こしたのは神界における【神様革命】の宣言であり、【神界のクーデター】である。大本教は「神様革命」に失敗したが、あれは予告編で【本番】はこれから先にあると言われます。つまり、大本教を通じて【予告編】ばかりが先行しているなのです。

              それは大本教の出口王仁三聖師も語っておられ、大本教の【神芝居】は未だ3幕目の段階であり、これから先の舞台があるです。つまり、大本教が見せた【神の芝居】は未だ最終幕の本番には至っていないなのです。それを如実に語るのが、【大本教は七代女子の教祖が続く】です。

               

              大本教は七代まで女子の教祖で続くの予言は、3代目教祖が神の命令には従わずに4代目教祖を本来の後継女子の妹に勝手に変えてしまったのですが、その正当女子の系統は既に7代目教祖予定の女子まで育っています。私の元にちょこちょこ見知らぬ霊が来て、誰かと思っていましたら本来の大本教4代教主になる方の御主人の生き霊でした。大本教4代教主補になる予定の方でしたが、もうお亡くなりになっています。その時は、私に大本教を救って欲しいとの内容でした。

              私は大本教信徒ではありませんし、大本教4代教主補に予定の方の生き霊から「大本教を救って欲しい」と言われても、どうにか出来る立場ではありません。ただ、その件によって現在の大本教の教祖は正統性から外れていることが解ったなのです。

               

              私の家に宿泊された日蓮宗系の教団幹部たる霊能者の方からも、貴方は大本教に入って大本教を内部から立て直すべきだと告げられ、別の霊能者は私が大本教を創った張本人たる神だと言う方もあれば、宇佐八幡宮の使いと称する霊の肉体からは、出口王仁三郎聖師が淡路島で行った神業は【天則違反】であり、その罪は出口王仁三郎聖師の上司である貴方の責任であり、どう責任を取る気ですかと詰問状も送られても来ました。

              また、自称創造神と称する方からは、貴方の魂の半分は大本教の出口王仁三郎聖師と同じ神の系列だと指摘されましたが、私の魂の半分は大本教の出口王仁三郎聖師と同じ神の系列ですが、その役目役割は出口王仁三郎聖と同じではありません。私は貴方はあまりにも大本教に片寄っているとの指摘は受けますが、それは致し方ないのです。私は旧約聖書の神と称する声から、【そなたも神の舞台に上がる役者の一人。】に過ぎないからです。その神の舞台の大演技は大本教にあったからです。

               

              私は【真性天照大御神】に関して調べていました。日本の一部の霊能者の間では、真性天照大御神とは【素戔嗚尊】のことではないかの説があります。それとは別に、これも一部の霊能者の間で言われていたことですが、【月読尊=素戔嗚尊】は同一神はほぼ間違いがないと解って来ました。大本教霊界物語でも、素戔嗚尊は霊国で月として現れるとあります。それらを調べている中で【光の貴公子】と呼ばれる存在があったのです。

              日本神道系の一部の霊能者からは、天の岩戸に隠れている天照大御神とは光の天使長と言われた【ルシファー】ではないかの説があります。

              スピリチュアルなどにおける【サタン=ルシファー】説は、現在ではヘブライ語とギリシャ語における翻訳の過程で間違って記載されたことが解っています。翻訳の課程で単に間違えたのか?。翻訳者に作為があったのかまでは解ってはいません。なので、【サタン】とは何かを調べたのです。すると、

               

              ヘブライ語における「サタン」とは、【敵対者】の意味にしか過ぎません

               

              私はこのことに関して、今日迄あまり調べていませんでした。スピリチュアルにおける【サタン】とは悪魔だけであり、キリスト教の影響を受けての発言でしかありません。創世記における「サタン」とは、アダムとイヴのイヴに善悪を知る木の実を食べさせた「蛇」霊のことです。人類の【原罪】と呼ばれる蛇の囁きです。これは意味としても解ります。

              現代のスピリチュアルのほとんどの方は【蛇霊】に支配されていることは優れた行者達には解っています。そこに日本神智学においては、【愛】ばかりを言っている者は蛇霊に犯された者達ともされます。まったく方向違いの【サタン=ルシファー】説を広めたのは、初期のキリスト教父と呼ばれる存在でした。

              日本の神道系の霊能者であれば、蛇霊の存在を知らない者などおりません。無論、仏教系の霊能者の方も知ります。皆、蛇霊の存在を見ています。スピリチュアルと行者系の大きな違いは、そこに出て来ている霊が人型でも【蛇や狐や狸や猫霊】だと見抜く力です。だが、キリスト教の牧師などは「霊」が見えると、即座に悪魔使いの烙印を押すがあります。

               

              大本教の出口王仁三聖師が、地獄を覗けば牧師や僧侶で一杯だと言われた意味は、そうした牧師達の姿勢もあります。イエス一人だけが主の神の御子で、それ以外は何でも悪魔呼ばわりだからです。自分達だけが全て正しいと思っている「狭い教義」に縛られているなのです。

               

              また、キリスト教神学における「サタン」とは【地獄の長官】のことであり。

               

              地獄の長官とは、仏教的に言えば【閻魔大王(ウシトラ金神)】のことです。

               

              どうして悪魂を【更生】させる為に地獄に落とすのが悪魔なのか?

              キリスト教は、まったく意味が解らないことを説いていたなのです。

               

              その答えは、イエスは魂が【輪廻転生】するを知らなかった

               

              輪廻転生を知らないと、地獄の長官をサタン(悪魔)と誤る

              キリスト教は、【大誤解】と【大錯覚】の元に広がった宗教と解って来ました。

               

              ウィキペディア上にあるヨハネの黙示録のヨハネではないヨハネの福音書8章42節から44節には、【イエスは当時のユダヤ人たちを「悪魔から出てきた者」と呼び、サタンを父としているという扱いをされた。サタンのことを「初めからの人殺し」「偽り者」「偽りの父」と呼び、サタンのうちには真理が無い事を曝露された。】とあります。

               

              イエスは旧約聖書の神を【サタン】としていた

               

              私は日本に住んでいた為に、キリスト教徒のユダヤ教徒の迫害は、イエスを十字架に磔つけさせたのはユダヤ教徒だの思いからだと誤った解釈をしていました。また、キリスト教と対立するイスラム教が起こり、何故に【ムハンマド】はイエスは尊敬される偉大な預言者だが旧約聖書の中の一人御子と認めずに対立して来たのか?。それに対する深い【考察力】が出来ていませんでした。

              ユダヤ教では、今日でもイエスを旧約聖書に予告として書かれた【主の一人御子(メシヤ)】とは認めていません。為に、キリスト教徒から今日まで【大迫害】を受けて来ました。ヒトラーのユダヤ人の大虐殺はその典型です。

               

              そのヨハネの福音書でその意味が解りました。イエスはユダヤ人が崇める旧約聖書の神を「サタン」だと思っていたのです。イエスは反国常立尊派の神で、国常立尊の跡を追って地上神界の主宰神となられた盤古大神(ゼウス)の御子だったのかも知れません。盤古大神は性格が温和なので【国常立尊】を悪神とする勢力に担ぎ上げられて地上神界の主宰神と成られた存在だからです。

              そうでなければ、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が、【ナザレのイエスは我が子ではない。他の神の御子である。】と言われた意味が解けません。

              また、【そなたはナザレのイエスの愛の教えを何一つ恐れずに、それを乗り越えて行きなさい。】と言われた意味も、【ナザレのイエスのパンの教えは美味なれども、真ん中の穴が無いパンの教え。】と出たのは、イエスには【41の真理】がお釈迦様の悟りと違って解っていなかったなのです。ですから、この仕組みは【イエスの再来】ではなく、【みろく神】でないと解らないことだったのです。

               

              日本のスピリチュアル標榜者の中には、【何をしても神の愛で赦されます。】と説く方が多いのですが、そこにはイエスと同様に【地獄界の主宰神はサタン(悪魔)だ】の勘違いが生じているのかと思われます。

              大本教が世に問うた閻魔大王(ウシトラ金神)の理解が出来ていないなのです。

               

              霊能者の間で、これまである「謎」が言われていました。天国には第一天国、第二天国、第三天国があることは現在では解って来ていますが、キリスト教徒だけは何故か第一天国界に進めていない。どうして、キリスト教徒は第一天国界に行けないのかが謎と言われていました。

              私はキリスト教の教義、イエス一人だけが主の神の御子と認めない者は地獄に落ちるの教えが根本的誤りであり、それでは【創造神】には辿り着けないが起きます。イスラム教の場合は、信徒達はアラーの神を直接信仰するで、創造神と信徒の間にイスラム教開祖の【ムハンマド(マホメット)】を代理者として置いていないのです。これは大きな違いを出すのです。

               

              イエス一人を神の御子と信じた者が天国ではなく、

               

              人は誰もが【神の子・神の宮】であり

               

              自分が蒔いた悪しき種の実りは自分で刈り取りなさい

               

              この日本は、江戸時代にキリスト教の侵略を防ぐ為に【鎖国】制度を取り入れました。もしも、その当時にキリスト教を日本に入れていれば、日本は西洋列強諸国の植民地にされていたでしょう。当時の日本での宣教使が日本人を奴隷としてブラジルで売っていた記録がブラジルで発見されています。世界中に奴隷制度を持ち込んだのはキリスト教の宣教師でした。彼らは神の名を語りながら人を金で売買する悪事を行っていことが、今や次々と暴露される時となったのです。

               

              キリスト教が積んだ【カルマ】は限りなく重い

               

              また、カトリックでは司祭達がシスター達を性の奴隷としていたことが暴露されて来ました。また幼い子供達にもです。司祭達は神の名を語りながら、していることは悪魔の所業と言えます。日本でも大阪のキリスト教会の牧師が、多くの信者の娘達を性の慰みにしていました。

              無論、キリスト教の牧師達の中にも素晴らしい方達はいます。しかし、キリスト教と言う一連の括りの中では、あまりにも悪魔達を出し過ぎました。もう神の【千年王国】もない以上、終焉かも知れません。

               

              私は幼稚園児の頃、キリスト教の教会で十字架に貼り付けされているイエス像を見て泣きました。そして、イエスよ。私は貴方を必ずやその十字架の責め苦から解放してあげると心で言っていました。イエス一人に自分達が犯した罪の償いを押しつけているキリスト教の教えを終わらせるです。自分が犯した罪は自分で刈り取る。そんなことも解らないのかです。

              私はマリアの【処女受胎】だけは嘘であって欲しいと願っていました。処女受胎は不可能ではありませんが、その場合「処女受胎」をさせた相手は【蛇霊】等になるからです。普通の男性と普通の女性の間で妊娠した肉体の子に【神の魂】を持った者は降ろせるからです。創造神は間違っても処女受胎などさせるはずがないからです。

               

              私はイエスは蛇霊神の子供ではなく、今日までの地上神界のトップ神とされて来た盤古大神(木星神なのでゼウス神)の分魂らしいと解って来て安心したしだいです。

              蛇霊神の子供という話は、以前のブログに蛇霊による魂の食い破りも書きましたが、日本における三輪山の大神伝説では三輪山の神は黒蛇霊(黒龍神)ともされ、未婚の女性を受胎させて出来た子供が三輪氏の先祖になったとされています。日本書紀には、その三輪山の大神の正体は蛇体とあります。だが、西洋ではこの手の話がないので、処女受胎の話がまかり通ったのでしょう。

               

              イエスは魂の【輪廻転生】が解らずに地獄の長官の意味を理解していなかった

               

              それでは、真理たる「41位」の「良心神」が解らずに、「愛」しか説けない

               

              キリスト教には、魂の【輪廻転生】の教えがない大欠点がある

               

              私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は。【私の本当の教えは、この日本でしか花咲かない。】と告げられました。もし、私も西洋で生まれていれば、こうしたことは何も理解出来なかったと思われます。誤ったキリスト教の神学の前に何も出来なかったでしょう。

              大本教の出口王仁三聖師は、自分はナザレのイエスに何一つ劣っていないと言われましたが、優秀な霊能者達からはほぼ同格だったと見られています。無論、大本教の信徒数とキリスト教の信徒数では天地ほどの差はあります。しかし、多数決だから正しいではないのです。

              大本教の出口王仁三郎聖師は「イエス」と同格だからと、出口王仁三郎聖師を【個人崇拝】するではありません。

               

              大本教神諭では、末で世界の宗教は一つになると予告されました。仏教は「みろく仏」で、日本神道は「国常立尊(天之御中主)」で、イスラム教は「ラー」の神で呼び方は違っていても同じ神を指しますが、キリスト教の場合は「イエス」個人を崇拝するになっていますので、みろくの世には【個人崇拝】の教義は存在して来ないという意味の霊的映像なのかも知れません。

               

               

               

              精神世界

               


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              汝、偶像を拝むことなかれ?。人も偶像、御守りの文字にも言葉にも霊は宿るが創造神には非ず

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                イスラム教では【偶像崇拝】は禁じられており、イスラム教過激派は世界的遺産でもある宗教建造物や偶像を破壊して来ました。人類の歴史的美術的価値から言えばもったいない話ですが、何故にそのような教えがなされたのかがあります。

                私は仏像などの偶像に霊が宿ることは知っています。だからと言って美術的価値がある物を破壊したり焼くなどは意味が無いと言います。その偶像に霊が宿っていて差し障りがあるのであれば、その偶像から霊(魂)を抜けばいいだけの話です。

                 

                私達日本人は大多数は「仏教徒」ですから、墓や仏壇や位牌や仏像に【魂入れ】とか【魂抜き】をお寺さんにして貰っています。つまり、墓や偶像には霊が宿る証明です。日本の神社でも「お札」や「御御魂」などに魂入れをしています。その「お札」等を返すと「お炊き上げ」と称される事で火で焼きます。また、日本神道では【榊】は神の宿り樹ともします。

                当然に神社の「お札」類にも霊は宿ります。お守りにも宿ります。長い期間お札などを使用していますと、そのお札に宿った霊的事物(光)が汚れて悪霊の住処ともなりますので、定期的に替えて火で焼くとなるのです。古いお札が処分されずにあると、そこに悪霊が住み着くなどもあります。ただ、こうしたことは実践霊能者で無いと解らないがあります。

                 

                霊能者として少しは世に知られていた方が描いた龍の絵の写真を掲載したその方の著本がありました。私はその著本の龍絵の写真を見た時、これはまずいと思って書庫にしまったのですが、ある時、霊媒者2人にその著本の写真を見せたら吐いてしまいました。写真からでも波動が来ると云う代物です。それだけこの霊能者の方の背後の龍神は強烈だったのですが、そうした写真や本などにも霊は宿ります。霊能者が書いた本から麗しい花の香が来るものもあれば、悪臭を放っているものもあるなのです。

                ある霊能力がある方が開いたHpを私が覗いた時、その方のHpから悪臭が匂って来ます。そこで霊媒能力がある方にそのHpを見て貰ったら頭がくらくらするです。そのHp開設者に直ちにそのHpを閉鎖するように忠告したところ、パスワードが解らなくなって長く捨てていたとの返事です。捨てておたいことで、そこに何時の間にか悪霊が住み着いたなのです。本でもインターネット上でも霊は動いているのです。

                 

                あるキリスト教の日本人牧師は、日本人は日本神道の【紙に書かれた文字を神として拝んでいる。それに対して自分達キリスト教の牧師は、絶対的な神の一人御子であるイエス様の偶像を拝している。】と紙に書かれた文字の意味を理解していませんでした。

                 

                それには、聖書に【初めに言葉は神と共にあった。】とあるように、【言葉が神】の概念が必要なのです。だが、【神と紙】の関係をまったく理解出来ていないなのです。言葉を記すには【文字】と【紙】が必要です。白紙ではダメなのです。しかも、その文字は英語のような「表音文字」ではなく、【形】から創られた【象形文字(感じ)】でないと言葉が働かないのです。

                日本語は【象形文字】である【表意文字】と、「ひらかな」や「カタカナ」に「ローマ字」などを混ぜて使っています。私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国】と言われましたが、日本で無いと創造神(想像神)の言葉の存在説明が出来なくなっているのです。

                 

                仏像と象形文字の【像・象】。像は【人等の象形】

                 

                日本人が使う「漢字」は、日本語の【感じ】を表す

                 

                神=紙=文字=言葉=叩文斥佞納┐型修后

                祈り=言葉=御経=祝詞(言葉を出して宣る)

                 

                仏教では【万物に霊性】があると説くように、霊というものは万物に宿っています。大切なことは、そこの理解なのです。

                 

                元々、聖書では偶像崇拝は禁じられていて、イスラム教にもユダヤ教にも偶像を崇拝する慣習はないのですが、キリスト教では十字架の上で磔になったイエス像を拝む偶像崇拝が公然と行われています。と言って、そのイエスの偶像に必ずしもイエスの霊が宿っているではないのです。

                仏教はと言えば、偶像信仰の花盛りです。が、お釈迦様は偶像崇拝は禁じらておれていたのです。何故なのでしょうか?。

                 

                仏像等の偶像には霊が宿り、宿った霊の正体は何者か?

                 

                唯一神は偶像には宿らず、偶像崇拝は唯一神に繋がらない

                 

                問題は、例えば観音像を彫り上げて鎮座させます。そして、魂入れをします。その時、その観音像に如何なる霊魂が宿ったのか?。誰がその確認をしているのですかなのです。単に仏師や僧侶だからと言って、霊が見えているわけではないのです。

                 

                私が豊受姫のお代であった最初の師匠の元に修業に入った頃、私の家系の菩提寺で父の供養をしてもらっていると、私の手が上下に振れます。俗に言う霊波動です。お寺のご本尊は釈迦如来三尊。そちらのご本尊の像からではなくて、本堂の横奥の別室に観音像があるはずで、そこから来る霊波動だと解りました。

                そこで、和尚にこのお寺は元は観世音菩薩さんのお寺だったのですかと聞くと、この寺の前身であった寺は尼寺で当時は観世音菩薩が祀られていましたが、今は曹洞宗に代わって釈迦如来三尊を本仏としています。その当時の観世音菩薩像は奥の別室に祀っていますと言われます。私の感は当たっていたです。

                その話を最初の師匠にしたところ、一喝されてしまいました。【貴方はいったい何をしてるのですか。それは観世音菩薩様からではなくて、その観世音菩薩像に入っている「黒龍神」からです。貴方は黒龍神がごときに、自分の手がコントロールされたのです。黒龍神程度が出して来る霊波動に負けていてどうするのですか。】です。

                 

                私の叔父が骨董屋で【薬師如来像】を見つけて買って来て祀った途端、これは祀りきれないで骨董屋に返しに行くと、骨董屋がお願いですから返さないでください。あまりにも恐ろしい仏像で、自分には手が負えませんと泣きつかれます。で、叔父も少しは霊能力があり、やむなく引き取ったのですが、この仏像はあまりにも【霊験】がきつすぎると、家人にはそのお給仕を一切させずに自分がしていました。

                その叔父が亡くなって、遺族がそのお給仕が出来ない【薬師如来像】をどうするかで、私が拝して見ましたところ、とんでもない「代物」です。暴れ「薬師如来」です。確かに「霊験」は凄まじい。病気治しをさせたら一級物です。 だから「薬師」なのでしょうが、その正体までは判りませんでした。

                この薬師如来像をお寺に預かって貰うとしたら、やがては霊験あらたかな薬師如来として寺は評判になると解りましたが、問題はそれをお寺の僧侶に管理が出来るかです。単なる「薬師如来像」ではなくて、暴れ「薬師如来」の像だからです。霊験を発揮させるには、その仏像の守りとなる人の霊能力が問われます。霊を抑えきれないと、その守りが出来ません。

                 

                私は子供の頃から真偽のほどは別として旧約聖書の神と称する声を聞いていた身で、そこには任務がありますので、その像を祀ることは出来ません。だがそうでなかったならば、この「薬師如来」像を祀れば、ある程度の大きな寺院にさせることは可能だと見ました。それだけの霊力がその仏像には宿っているのです。この仏像は力が強すぎるのでお寺に預けることも家人にも残すことが出来ない。危険すぎる。その霊力を封じることしかないなのです。

                行者ならばそうした仏像の霊力を封印出来る方もありますが、私は行者の様に霊を封印する作法を知りませんので、約30分間ほどその薬師如来像と対峙して般若心経の御経で封じました。私は神霊界修業に入る前、最初に行った霊能者の方から貴方にはお不動様が守護に就いておられるで、初めて行われた近畿36不動尊を一堂に御開帳に行ったところ、そこに鎮座していた有名な7〜8体の不動明王像から得体の知れない物をビシビシ飛ばされまして、【この野郎。やる気か!】となっていましたが、それと同じ物をその薬師如来像も飛ばして来たのです。

                 

                私が豊受姫のお代であった最初の師匠に、その近畿36不動尊の初御開帳で起きた事件のことを話しますと、その師匠は笑って、【お不動様達は貴方がどれほどの実力の持ち主なのか試したくて飛ばされたのです。貴方にとっては、そんなものはどうというほどの事でもなかったはずです。】と笑いながら言います。

                その時は近畿36不動明王の何体かの不動明王達は私の力量を試そうとされたのでしょうが、その「薬師如来像」は本気で私を攻撃して来ます。こうなると、逃げるわけにはいきません。戦うのみです。九字すら切れない私が持つのは「般若心経」の御経だけです。仮に行者が切る九字ではその仏像に宿る霊には効果がなく、反対に倒されていたでしょう。

                そのビシビシと飛んでくる得体の知れないものを受けながら、般若心経を続けていると、やがて何も飛んでこなくなりました。御経だけでその暴れ「薬師如来像」の霊をぐるぐる巻きにしてしまったということです。

                 

                この時、その薬師如来像や近畿36不動明王の幾体かの仏像が私に飛ばして来た霊的物。実は霊的世界の戦いの中では飛んでいるのです。私の最初の師匠は、不動明王様達が貴方の力量を試す為だったと言っていましたので、それは何かが解っていた様ですが、経典などいくら調べてもそうした記述はどこにもありません。霊的世界は体験無しでは学べないものです。 単に書いてある書物だけに頼っても、こうしたことは学べません。本当に体験している行者等は、著本を出す気も無ければ世に教えようともしないからです。

                 

                霊界は世に出回っている御経や書物だけでは解らない

                 

                私が浄霊の恐ろしさを体験したのは伏見稲荷大社講を離れて言霊師の師匠の元で言霊を習っている当時、私の元を訪れて来た黒龍神と称する龍神との間で悶着があり、私の守護神が私の肉体を使ってその黒龍神を浄霊をしようとして、とんでもない苦しみを味わうとなりました。そんな体験はどんなに書物を調べても書いてありません。後に私の最初の師匠にその話をしたところ、通常の霊能力者ならば命を取られていただろうと言います。

                私はその黒龍神が何者かを知らなかったのですが、当時の言霊師の師匠から黒龍神界の癸欧梁臺の黒海黒龍神で、その長さは四十キロに及ぶと聞かされました。そんな四十キロもの長さがある黒龍神を私の体内に入れるなど不可能と考えるのが筋でしょうが、そこには霊界なりのある意味があるのです。

                 

                大本教の出口王仁三聖師は、10センチ四方の社でも霊界では10キロ四方の社地になると言われています。すると、10万倍の縮小率となります。私の胎内が飲み込んだのは40センチ程度に見えている黒龍神でしたが、その10万倍となると40キロの長さの龍神と言えます。

                私の肉体は一見すると単なる人です。しかし、私は霊能者としては失格ですが霊媒体質者であり、自己の体内に大きな霊的空間を保有しているなのです。それは私の肉体の【腹】であり、私の肉体そのものが神社の様な「ヤシロ地」となっているなのです。人の腹は【原】であり、肉体の腹は【高天ヶ原】とも言いますが、こうしたことは実は霊媒体質者には備わっていたりするのです。

                 

                霊媒体質者の霊浄化は、その肉体の【腹】でする

                 

                で、他霊の浄化で霊媒体質者は【下痢】を起こす

                 

                自分が霊媒質者であることを気づかない人達は、人混みの中に入ると眠くなったり、下痢を起こす原因が自分が霊媒質者であり、汚れた霊の浄化の為に眠くなったり下痢をすることに気づいていないがあります。社会の人々は、何をしても良いとか自分勝手を推し進めます。その想念の汚れを霊媒質者はモロに受けているのです

                単に霊が見えたり霊と会話するは霊感者や霊能者ですが、霊媒質者は必ずしも霊が見えるではないのです。霊を浄化する力が強いなのです。為に、霊能者の間では優秀な霊媒者が欲しいで取り合いになることもあるのです。

                 

                私が大本教の出口王仁三聖師が【陸の龍宮城】とされた場所で見た金龍神は約40メートルぐらいの大きさで、そんなに大きいとは思わなかったのですが、出口王仁三郎聖師の論理の10万倍ともなれば四千キロの長さとも言えます。無論、その時の縮小率に関しての断定は出来ません。

                国常立尊様の働きは金龍神とも言われており、この日本列島の長さに匹敵するとも言われています。だが、金龍神は一体には非ず。無数に存在しています。すると、日本列島の約二千キロの長さでもおかしくはないのですが、見え方の問題とも言えます。また、無数に存在する以上、金龍神=国常立尊は成り立たないとなります。金龍神は国常立尊様の働きと見るのが妥当ではないかと私個人は見ています。

                 

                霊的世界は、アラジンの【魔法のランプ】 

                 

                霊能者でもスピリチュアルでも同じですが、自分に山ほどの高さに見える御神霊が出て来た。で、自分は凄いのだと自慢される方達があります。

                私の2番目の師匠の御祭神は「国常立尊」と詐称しておられましたが、ある日、その国常立尊と称する霊が私に富士山の火口の上に居る自分の姿を見せてやるとのことで見ていましたところ、霊的に見えて来る映像では富士山の山頂に火口よりも大きな透明の玉があり、その玉の中に一体の御神霊が存在しておられます。その神だと言われます。富士山の火口の直径は700メートルとされていますので、その玉は火口を塞ぐほどの玉なので霊的には800メートルぐらいの玉でしょうか。

                その玉の大きさを見た私の感想は、その大きさに驚いたのではなくて、どの御神霊達も【富士山】の意味を取り間違えておられるのではないだろうかです。富士山の火口の上に立っても何の意味も無い。富士の意味が違うのではないかです。

                神霊段階に入って来ますと、神霊はかなり大きな姿を見せることが出来ます。また、逆に小さな姿に成ることも出来ます。神霊に仕える蛇などは、一瞬にしてその身が鉛筆程度に縮小して、人の目から姿を隠すがあります。そうした自在が神霊とも言えます。

                 

                小さな偶像であっても、そこには無数の霊が宿っています。その像自体がある程度の霊界の「社(屋代)」と成るからです。

                 

                大きな寺院では大きな仏像建設に躍起になられます。偶像は大きければ大きいほど多数の霊が宿るとなります。 日本のあちらこちらに仏像や祠があります。中には荒れ果てた像や祠などもあります。そうした荒れた像や祠をやたらに拝むなと言う話があります。何故なのでしょうか?。そうした像や祠に宿る霊には正体不明の霊があるからです。なまじそうした像や祠を拝んだことで、蛇霊や野狐霊のみならず、地縛霊などに憑依されるが起きるからです。

                霊媒質者が、お盆などの時期に墓参りに行くと、おかしな霊に憑依されて一騒動があります。お盆の時期など、地縛霊や浮遊霊などが墓場などに出て来るというのは霊媒質者から見ると迷信の類いではなくて現実なのです。

                 

                問題は、そうした地縛霊や浮遊霊が世にウロウロしていることなのです 

                 

                そうした中で【愉快犯】霊などは、いろんな名乗りをして来ます。例えば、自分は【天之御中主】等の高級神名などです。そうした霊に欺されて信じていれば、図に乗ってあちらの神社に行け。こちらの神社に行け等で、霊感者の中には神業で貯金が無くなった。借金して回っている等も見受けられます。他の人に借金までしての【神業】などは、最初からおかしいと思わなければいけないのです。愉快犯霊と疑って見るも必要なのです。

                 

                私は幾度も霊媒質者の苦しみを書いて来ました。世の中には自分が霊媒質者であることが解らずに、そうした苦しみを味わっている方が多数あります。だが、世間の無知からその苦しみがまるで理解されないがあります。

                 

                そうした霊媒質者に霊が宿るように、

                 

                人はある意味、【歩く偶像(霊止)】なのです 

                 

                物質に宿るのが偶像ならば、人に宿るは【霊(ヒ)止(ト)】なり

                 

                肉体の人を拝むも【偶像】崇拝。

                 

                汝、偶像を拝むことなかれ

                 

                神の教えや存在を説く者は全て神の下僕であり、それ以上でなければそれ以下でも無い。

                 

                 

                 

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                何故に霊界は階層社会なのか?。全ての人が満足する一つの世界は存在しない

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                  人が死後に【霊魂】となって渡って行く世界は【霊界】と呼ばれています。一般的には【あの世】とやらにです。

                  キリスト教等は【二元論】で成り立っていて、【イエス一人だけを神の御子と信じる者は天国】で、犯罪者やイエス一人を神の御子と認めない異教徒は地獄に行く。そこから【思考回路】が完全に抜けているがあります。

                  世界の中には【キリスト】と【マイトレーヤ(弥勒菩薩)】を同一視する方達もありますが、弥勒菩薩とは【思考】する菩薩として知られています。【思考】を欠かしてしまいますと、【真理】は見えて来ません。

                   

                  そうした宗教の教えではなく、霊的世界を見聞をして来た者達による霊学における体勢の意見は、霊界は【第一天国界、第二天国界、第三天国界、中有界、第一地獄界、第二地獄界、第三地獄界】があるとします。その中でもさすがに第一天国界は難しいとは言えます。仏教的に言えば【如来】界のような世界だからです。

                  如来の世界は【智慧(真理を明らかにして悟りに至る)】が必要となります。イエスはその弟子達に蛇の様に賢くあれと説いたとされますが、蛇の場合は「知恵」であり「智慧」ではないのです。単に知恵では知識で「真理」に至らないのです。みろく菩薩は【思考】する像で有名ですが、魂とは【玉思惟】であり。深く思考(思惟)する姿勢が無ければ仏陀とはならないなのです。第二天国界であれば、自分は他を助ける【菩薩】行を積んできたとなります。

                  ほとんどの人の場合は、単にこの世に生きただけで終わってしまうので【中有界】となります。そこにもう一度この世に戻って【やり直せ】で、魂の【更生】の為に【甦(更生)る輪廻転生】を煩雑に起こすとなります。で、何度も何度も生まれ代わるです。

                   

                  ほとんどのスピリチュアル標榜者の言うことを聞いていると、【輪廻転生】からの解脱は難しいと思われます。そこに【輪廻転生】から外れて行かれた、お釈迦様の【悟り】が重要となるのです。

                   

                  何故に、ここまで【みろく】の存在が言われたのか?

                   

                  そこには、【輪廻転生】から外れるがあるのです。

                   

                  そうしたことが

                  仏教で説かれる死後に【三途の川】を渡るとは、【天国界、中有界、地獄界】の三途のどこかの途に行くということを語ったのです。せめてそれぐらいの「知識」は必要です。

                   

                  出来得れば、誰しも【天国界】に行きたい

                   

                  そこに、我が宗教の教えを信じれば【天国界(極楽)】に往生する等の教えが起きて来たなのです。問題は、我が宗教の教えを信じれば天国界で、異教徒は地獄に墜ちる式をやりすぎたなのです。

                  大本教の出口王仁三郎聖師は、地獄を覗けば【牧師や僧侶で一杯だ!】と残しておられますが、これはそうした宗教家が「我が宗派の教えを信じれば天国で、他宗の教えを信じた者は地獄だ!」と説いたことが要因となっていると考えられます。

                   

                  宗教とは、人の胸(宗)に宿る【魂】の存在を教える

                  そこに、大本教は【鬼が云う】の【牛虎(艮)】による【魂】論を秘めたのです。

                   

                  大本教の出口王仁三郎聖師は、【信徒を天国に案内するといいながら、地獄に導く者ばかり】と嘆いておられましたが、これは現代の【スピリチュアル】にも当てはまるのです。

                  スピリチュアルで自分には【宇宙神】が降りて来る式の方を、一部の日本神道系では密かにサニワ(審神)するが行われていました。そこでは、スピリチュアルで「宇宙語」と称している今の世で聞いたことが無い言葉で語る謎なども、言語学者を動員して調査されて来ました。すると、その言語は古代の言葉で現在は使われていない過去の言葉であり、それらの宇宙人とは「蛇霊」であったなども記録に残っています。

                  但し、この手の本は発行部数が極端に少なく、中古本で売られることも無いのでほとんど手に入りませんので、多くの人がそれを知ることはありません。日本神道系の本は非常に高価な物が多いのです。私の2番目の師匠が持っていた集本を私も欲しかったのですが、聞くと神田の古本屋で当時で100万円も支払ったと言います。知識を得るにも大変な労力が要ります。

                   

                  蛇霊とは私達が日常的に見る蛇のことではありません。人であった身が蛇霊化して蛇の様な姿になっていることを言っているだけであって、古代人の霊であったりするなのです。ですから、そうした霊に憑依されるとその古代時に使われていた言葉で、そうした憑依された者達の間ではその消えた古代語で会話が成り立つです。それをスピリチュアルで「宇宙語」だと言っていた等がサニワ(審神)によって明らかになったなどです。

                   

                  しかし、今はそうしたサニワ(審神)をする人達は減っており、その活動内容がはっきりとしません。何故かと言いますと、個人的には「一円の金儲けにもならないからです」。有料相談ではなく霊界の実体を知る為のサニワ(審神)とは完全に神霊世界でのボランティア活動であり、その活動にはそれなりの費用もかかります。研究する人が自分の金の持ち出しです。それ以上に優秀な霊媒者がもう居なくなっているからです。

                  サニワ(審神)には霊を下ろす霊能者に霊媒者が必要であり、時にはアクシデントも起きますので、何人もの人が集まって行っています。皆、自分の時間をその為に使うのです。それでも霊に懸かられて心臓停止などもあります。素人集団では出来ないのです。私もそうした場に居て、憑依霊による心臓停止を起こしています。

                  現代スピリチュアルとは、霊界を真摯に研究するではなくて、いかに金儲けをするかに走っているからです。出始めの頃は、よい霊能者なり霊媒者だと思っていても、有名になって来ると金儲けに走って背後の神霊が何時の間にか蛇霊に交替している等となるのです。為に、そうしたスピリチュアルの高額のセミナーに行くと、黒蛇等を着けられたなどで一悶着起きるのです。

                   

                  スピリチュアル標榜者で【魂磨き】を言う方は数少ないと言えます。ひどい方になると、【この世は遊ぶところだ!】とか【好き勝手をしていいところ】だと説いておられます。それが「あるがまま」などととんでもないことを言われます。

                  もっとひどいスピリチュアルになると、【良心など持っていると重たいだけだから捨てましょう。】となります。良心が重いものと知っているのです。それが解りながら、【神の愛で何をしても赦されるのです】等と説いているなのです。

                  ところが、そうしたスピリチュアルの言葉に何の「疑問」も抱かずに、その人が名乗る【聖者】などの言葉を信じて付いて行く人達が多数あるなのです。

                   

                  巷には、自分が【救世主】ですと称している方を宣伝している信徒のブログがあり、そうした一つ内容を読んで唖然としました。その方が見せる【小さな奇蹟】で、その方が救世主だと頭からの信じ込みです。

                  私は霊能者としては「失格者」の部類ですが、霊能者としては飛び抜けた二人の師匠を通じて霊界見聞を積ませていただきました。人が空中に浮くとか、お菓子などの食べ物が飛んで来る等の物理現象に反するものです。そうした奇蹟はイエスやサイババでも知られています。そうした奇蹟を見せる霊能者の背後に居る神霊と呼ばれる姿が、【蛇や狐や狸や猫霊】として見えて来るなどです。

                   

                  巷で自称「救世主」と名乗って居る人達の背後には、より強烈な力を見せて来る龍神などが見られます。私は修業の過程において、そうした【黒龍神】群団に襲われて逃げ回っていた者ですから、偉そうなことは言えません。しかも、黒龍神達からあまり霊界のことを暴露をすると殺すぞと脅迫も受けて来ました。

                  ある霊能力者の方から、【貴方はあまり正義を振り回していると、そうした勢力に殺されてしますます。自分はそうした正義を貫いて、邪神に殺された霊能者達を多数知っています。貴方も殺されてしまいます。あまり正義を言わない方が貴方の為になります。】と忠告を頂きました。

                  その忠告を受ける以前に、既に私は黒龍神群団から【おとなしくしていないと殺すぞ。】と脅迫を受けて来ていますので、この世での命を惜しんで、彼らに従うなど殺されても出来ないなのです。

                   

                  私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたの骨は拾ってやる。】と告げられましたが、この地上世界に降りて【真理】を紐解いて説くなどは容易なことではないなのです。骨を拾ってやるなどは、殺されることを覚悟して行けです。自分の命を惜しんでいれば出来ない作業なのです。

                   

                  霊界は【階層社会】だと知られています。一般的に言う【次元界】の違いです。黒龍神を背後に持たれて【自称救世主】と名乗る方の多くは、そうした黒龍神達が持つ霊的パワーで【病気治し】が出来る。それで教団化がなされて教祖と成る。より多数の黒龍神が集まる教団ほど大きくなるが見られます。

                  出口王仁三郎聖師の弟子で、出口王仁三郎聖師をして自分より霊視能力が高いと云わしめた世界救世教開祖の岡田茂吉師は、信徒数十万の某教団の御祭神天照大御神は「赤龍」だと残しておられました。龍神と呼ばれる存在をバックにしないと「奇蹟」の現出は難しいがあります。そうした龍神を天照大御神だと信じて信仰するなのです。 そうした教団の教義とは、ほとんど【真理】には向かっていません。奇蹟力で人々を惑わすです。

                   

                  黒龍神等の龍神か説く【神論】では、【真理】が見えないがあります。

                  黒龍神の真理とは、数は力なり。力こそ全て

                   

                  黒龍神等の論理では【六次元界】迄が関の山

                  それでは、「幽の幽界(世に出ている神々ですら知らない神界)」に存在するとされている創造神の事がよく解りません。

                   

                  何故に霊界は【階層社会】なのか?。それは人は誰が見ても【多様な意見】を持っていて、皆、自己主張をします。要するに意見がまとまらないなのです。自分と同じ主義主張の者が集まって【徒党(グループ)】を組むとなります。

                  スピリチュアルでは【類が類を呼ぶ】と言いますが、霊界ではその【類】の者ばかりが集まって、一つの社会を形成して行きます。天国も地獄も、その類が集まって社会を形成しているのです。天国とは、天国的な人ばかりが集まって社会を形成するので、その世界では争い事が生じません。平和な世界です。一方、地獄的な人ばかり集まった霊社会では俺が俺がで争い事が絶えない世界となるのです。

                  それは、類は類を呼んでいるのですが、私は霊界は【どんぐりの背比べ】と言っています。霊界で一つのグループに行くと、そこは皆同じ思考の持ち主ばかりで顔まで似通って来ます。その世界は【思考】が同じだからです。

                   

                  霊界は【思考】の違いで、住む層が隔離されている

                  みろく世は【五六七】と宣伝されて来ましたが、それは三つの【次元】のどこかの次元に行くと説明しているのです。

                   

                  仏教では【三千世界】を説きます。この三千世界とは三千の世界があるのではなくて、千の世界が一つに成る世界が千個あり。その千の世界を一つにして、更に千個もの世界があると言う意味で、1000×1000×1000=1,000,000,000(10億)もの世界が在ると言う意味が【三千世界】ですが、実際には10億個などの数ではなく、もっと膨大な数の世界だと言えるでしょう。

                  私達が日常的に言う霊界とは「地球霊界」の意味であって、宇宙全体の霊界を意味しているわけではありません。行者筋には【天使の記章】を言われる方達がありますが、この地球霊界に関わっておられる御神霊は、宇宙における【天使の記章】的なことで見るならば、トップクラスの御神霊が地球上に降りておられるではないのです。そこに、大本教神諭の【世に出ておられる神々の心の持ち方が悪かった。】があります。

                   

                  この地球は【魂の刑務所】や【天人の苗床】説があります。この世が魂にとっての【修学の場】であることは確かなのです。その世界で、遊んでいれば良いなどと説いているスピリチュアルなどは論外なのです。私達はこの世の【在り方】しだいで、上の霊界にと進めるからです。

                   

                  自己の魂を磨くことで、高い霊世界にと進める

                   

                   

                  世の大立替と【みろく】神を宣伝した大本教の出現により、大本教神諭予告の【九つ花】を紐解きますと、そこに【五十六億七千万】の数字と、お釈迦様の本当の悟りであった【悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する。】と悟られた意味が出て来ます。

                   

                  一部の霊能者達は知っていることですが、人の魂には点数が出ます。その魂の点数とは各自の魂の【良心神】の点数です。その点数に応じて、第一天国界、第二天国界、第三天国界、中有界、第一地獄界、第二地獄界、第三地獄界が定まって来ます。決して、自分が信じた宗教の教えに依るではないのです。

                  その良心神の点数とは、【誠とか正義、他者を助けた義の行い。ボランティア(奉仕)活動等の「犠牲心」の積み重ね。社会の底辺で正しく生きた。】等の点数と言えます。

                  いくら自分には霊が見えるとか霊と会話すると言っても、その人のこの世での行いが【自己利益や優越感】によるものであるならば、それは良心神の点数とはなりません。つまり、【現世御利益】信仰に走っていると、良心神の点数とは成らないのです。なまじ霊が見える。霊と会話するよりも、この世で【世根(米)】として生きた方が遙かに高い点数が出ています。俗に言う【菩薩】行をこなしたなのです。こうした方の多くは第二天国界にと進まれておられます。

                   

                  スピリチュアルでは何かと言えば、【ソウルメイト】を連発されますが、【魂世界の友】とは、同じグループに所属していた仲間の魂の意味であり、その世界では同じ【思考】に入りますので徒党的には行けますが、自分は何の為にこの世に降りて来たのかとなりますと、霊界における【地位の向上】が目的であったはずです。

                  霊界ではどうしても【類が類を呼ぶ】なので、【思考】の向上には向きません。仲間が皆同じ【思考】だからです。それが「ドングリの背比べ」と云えます。自分が出て来た霊界の位置に留まるのであればそれはそれでいいのですが、自分がこの世に降りた目的はどこにあったのかです。より高い霊界に進むことが目的で、この世に降りたのではないのですかです。

                   

                  私は霊的世界での地位向上の為には、【同じ土俵上で相撲を取るな】と言っています。地獄行き的な人といくら議論しても、この世の僅かな限られた時間の中で学ばなければならないのに、その時間を無駄にして自分の霊界での地位を落とすだけになってしまうからです。

                  残念ながらスピリチュアル標榜者の中には、この世は遊ぶところだと説いている方達がかなりあります。その結果、霊界に戻ったならば、元の霊界での位置よりも墜ちることになったで、泣いたところで【後の祭り】なのです。

                   

                  この世で苦労や努力した結果は、霊界で反映される

                   

                  それは、神社に参拝したから、どこどこの神を信じたからではないのです。

                   

                  自分はこの世で、何を学んだかの結果です

                   

                  霊界では自分の想念によって「類が類を呼ぶ」で【グループ】化しており、仲間達とは【ドングリの背比べ】で向上が出来ません。この世に降りて来て、世の中にはとんでもない奴が居るで、そこから大きな学びが得られるのです。反面教師です。【赤信号、皆で渡れば怖くない】で、得をしたと思ったら魂的には損をしているのです。エンジェルを見たから等ではありません。私は泥をすすったことがない「エンゼル」など神界では使い物にならないと言っています。

                   

                  仏教の【南無妙法蓮華経】とは、

                  例え根は泥の中にあっても、水面には美しい花を咲かせる

                   

                  であって、【南無妙法蓮華経】とは「お題目」を唱える教えではないのです。この南無妙法蓮華経の言葉はサンスクリット語においては、【自分は白蓮の様な仏様に帰依します。】の意味であり、根は泥池の中にあっても汚れが無い【白蓮】の意味を知ることにあります。今の自分が置かれた環境は、例え泥や悪の中にあっても魂は【汚さない】にあるのです。

                   

                  人は各自色々な思考を持ちますので、全ての人が【満足】する一つの世界は存在していません。そうした世界を創ろうとするならば、全員が同じ【思考】を持たない限り不可能と言えます。

                  では、絶対に出来ないのかとなりますと、そうではありません。

                   

                  全員が【仏陀】になれば、

                  この世は【おシャカ】にしても良いのです

                  お釈迦様は自分は二度とこの世に出て来ないと言われたのは、魂の修業場であるこの世に出る必要がなくなったのです。

                   

                  為には、お釈迦様は本当は何を悟られたのかが重要だったのです。その悟りは【みろく】によって解き明かされる。それは、自分が「みろく」ですと名乗っている人の言葉を信じるのではなくて、日本語と言う【言葉】による【三六九(みろく)仕組み】だったのです。

                   

                  人は自分の【奇魂】の働きに応じた内容しか「理解」出来ないがあります。私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は神々に対して教えを説く方】と告げられましたが、今の世に出ておられる神々のどの方もこうしたことが説けなかったのは、【奇魂】の働きにもよるのです。つまり、【奇】蹟の示しではなく、【奇】魂の示しだったのです。

                   

                   

                   

                   

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                  何故に世の大立替?。ユダヤの悪鬼がこの世を泥海にする仕組みが最大の要因

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                    明治25年(西暦1892年・いち早くに)。丹波の片田舎の大本教出口なお開祖に懸かった【牛虎(艮)金神・国常立尊】による【世の大立替】の予告が宣伝されました。それこそ「立替」等といきなり言われても、私達からすると何が何だかさっぱり解らないことが予告されたとなります。

                    私自身が神霊世界に修業に入って、そんなことが果たして起きるのかと尋ねたところ、高級神霊達は「立替」があると言われますが霊界でも低い段階の霊達は、それこそ何の事かとちんぷんかんぷんなのです。

                     

                    何故に、世の大立替なるものが「いち早くに」予告されたのか?。それは、大本教神諭にある

                     

                    ユダヤの悪鬼が、この世を【泥海】にする仕組み

                     

                    これが最大の要因なのです。

                     

                    このユダヤの悪鬼とは、別に人類を最初から泥海世界に入れようと計画したのではないのです。自分達の思惑の世界を創ろうとしただけなのです。このユダヤの悪鬼の先兵となって働いたのが【黒龍神】達と言えます。

                    されど、言うなれば創造神とは違って、あまりにも未来を見通す計画がずさんであり。未来に向かう線路を黒龍神達を使って施設させたまではいいのですが、気がついたらその行き先は【泥海】しかなかったなのです。今の人類がそのままに進めば、悲惨な滅亡の道しか残っていないのです。

                     

                    このユダヤの悪鬼とは、俗に言う凶悪犯とか暴力団の様な犯罪に絡む【悪霊】の類いではないのです。今の神霊世界では【勝てば官軍、負ければ賊軍】であり、自分達が「正神」だと名乗れば、反対勢力側を「悪神」呼ばわりとなります。

                    スピリチュアルを標榜する人達の中には【国常立尊は悪神】だとしている方達もありますが、日本の国会における自民党とそれを批判している野党と同じような構図の意味合いです。それに「ユダヤ(猶太)」と名が付しあるのは、酋には「頭」の意味があり、それに獣偏が付してあるなのです。【鬼】とは力を有している存在に対して言う言葉です。

                     

                    猶太(ユダヤ)とは、尊(御言)を獣にした太いもの

                     

                    ただ、ユダヤの悪鬼と書かれているだけでは意味が解りにくいと言えます。今の私達がそれを知るのは【フリーメイソン(秘密結社)】と呼ばれる言葉からです。元々は「石工組合」の言葉でした。現在では【国際金融資本】を動かしている陰の力に対して言われたりしています。世界の金融界を陰から操っているのが「ユダヤ資本」とされているからです。

                    フリーメイソンも神として掲げているのは「YHWH(ヤハウェ)」ですが、同じ旧約聖書の神を掲げるイスラム教では他人に金を貸すにあたっては、利子を取ってはいけないとあるように基本理念が違っています。

                     

                    それは資本主義による【地球環境破壊】

                     

                    どこかの時点で、その線路の施設計画を変えて安全な方向にと施設計画を変えていれば、そうした事態に成らなくてもよかったのかも知れません。しかし、それを変えられるポイントを通過したことから変えることそのものが不可能なのです。このまま突き進むより道は無しなのです。 そこに言われていることが、この地球船がコントロール出来なくなるなのです。気象異常、大地震、噴火、大洪水、地軸の変動。更に月の崩れなどによる隕石の火の雨が予告されて来たなのです。

                     

                    今の地球は、宇宙の大海原に沈み行く船

                     

                    スピリチュアルなどでは、人類の未来は見えていません。人類の意識次第でどのようにもなるのですといい加減なことばかり連発されますが、大本教の出口王仁三聖師が予言をされて言い当てられて来た数々の事実を知るならば、創造神には人類の未来が見えていたから【予言】がなされたことすら理解が出来ていないのかとなります。

                     

                    今の人類には未来が見えませんは、その捉え方が違っている

                     

                    そうしたスピリチュアルの人達が、大本教の出口王仁三聖師以上の大予言の数々を言い。それが当たるのであれば、そうしたスピリチュアルの人達の背後にはそれだけの力を持った神が就いておられると認めることは出来ますが、そうした予言が出来る方達があまり見当たりません。

                    多くの人達は自分の個人レベルのことを予言して当てて貰えればいいで、自分の恋愛はどうでしょうか。仕事運はどうでしょうか。金運はどうでしょうかで、社会がどうなろうとまったく関心がありません。無関心です。そこにこの世の人間よりも先が見える蛇霊とか狐霊の活躍の場があります。それを悪いと言うのではなくて、この先の人類の行く末を案じる存在で無いと、本当の神とは言えないでしょう。

                     

                    スピリチュアルで、いくら自分は【アカシックレコード】が読めますと豪語していても、【虚空蔵】に存在するのは【大地震】や【大噴火】や【大洪水】の映像だけで、【バラ色の未来図】等どこにも存在していないでしょう。言うなれば、もう今の人類の行く先には未来が見えないのです。これから先の【未来の災害】を予言する方は出て来ても、どんな世が来るのかの予言が無いのです。

                    今日迄、多くの人が予言して来た【みろくの世】はやがては来るでしょう。だが、それがどんな世なのか具体的ものは何も出て来ていません。それだけで逆手に取るならば、大本教が予告して来た【世の大立替】など嘘だと言うことは簡単です。

                     

                    先日も、自分に「天之御中主」様が降りられて、上野公園と称する者が言っていることは全て「嘘」記事だと言われたと、メールを送って来られた方がありました。別にそうしたことはその方だけでなく、自分には大国主命様が出て来られる。大国主命様から言葉の教えなど一切聞いてはならない。そうしたことは邪神の仕組みだと告げられた等と言われる方達もあります。

                    逆に、あるブログ主のブログにはその方に神が降りられて、言葉の仕組みは「上野公園」と名乗る者が既に世に説いてブログで発信している。だが、「言葉の封印」を紐解く者は「上野公園」ではなく、おまえであると告げられた。そうしたブログも出ていると、そのブログを読んだ方から教えていただきました。確かに、私は「言葉の封印」に関しては紐解けませんので、その任務が出来る方が世に居られるのかどうかまでは、私は預かり知らないとしか言えません。

                     

                    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、【この国(日本)は私の教えで満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなた一人だけにはその仕組みを見せるので、それを世の人々に告げなさい。】との命令を受けただけで、私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫のお代であった師匠を通じて豊受姫が言われたのは、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴きお方で、貴方の言葉による教えは天帝の「詔」と同じであり、貴方の教えが聞けないという神は如何なる神であっても、やがて天帝によって裁かれる】と告げられたことから、【この国に満ちあふれているのは日本語だ】と気づいて言葉の仕組みを説きだしたに過ぎません。

                     

                    こうした【言葉の仕組み】は、邪神の仕業だ

                     

                    そうした事を言われる御神霊達が居ても私は別に意にも介しません。今の神霊界は【小さな奇蹟】を見せて、それで自分は「天之御中主」だとか「天照大御神」だとか称しておられる御神霊が多いからです。私は伏見稲荷山で山の行も積み、数々の【奇蹟】を見聞して来ました。私はそうした「奇蹟」を見せる神霊の段階では【言葉の仕組み】は出来ない。不可能との認識に立っているのです。

                     

                    国常立尊様は地上神界の主宰神たる地位から退かされたことから、退くの【艮】金神とはしますが、その国常立尊様に代わって地上神界の主宰神となられた【盤古大神(木星神)】は性格が温和なことから反国常立尊派の神々から祭り上げられてその地位に就かれたのですが、もうこれから先は手を打つ策もなく、地上神界の主宰神の地位を退くことを決意されたことが、大本教霊界物語にある【盤古大神から国祖国常立尊に地上神界の大政奉還】なのです。

                     

                    盤古大神の神界の大政奉還の裏は、もう万策が尽きたから

                     

                    私達日本人は明治維新のことを歴史から知ります。徳川慶喜は総合戦力から言えば、薩長連合軍と戦えば勝てたはずなのです。圧倒的に徳川軍の方が総合力は強かったのです。だが、総大将たる徳川慶喜にはそれを仕切るだけの器量や策が無かったので、大阪城から船で大将が先にとんずらしてしてしまったと言えます。

                    私は鍾馗神の御案内で盤古大神に拝謁して、その軍事力に威圧されました。が、その後に盤古大神がどこかに逃げて行く。とんずらする霊的光景を見ていて、これは何だろうと見ていました。理由が解らぬです。その時は、まさか、万策が尽きたとは思っていなかったからです。

                     

                    これまでの地上神界に関わる最高権力者たる盤古大神(木星神ゼウス)はその地位を退かれたとしても、国常立尊を実質に追いやった勢力の【ユダヤの悪鬼】達は、徹底抗戦の構えです。だが、将来に対する策は未だ何も持たないなのです。 

                    私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたは、何故にこの世が終わるのか。その意味をよく知り、その内容を次の世の歴史として書記しなさい。為に、そなただけには仕組みを見せる。】と告げられていました。

                    大本教霊界物語に「盤古大神から国祖国常立尊に神界の大政奉還」と書かれていても、誰もその裏を見ていなかったとなります。

                     

                    このユダヤの悪鬼とは、今の世で考えますとユダヤの【旧約聖書の神】を指しているのかと思えますが、そうではありません。それは今の人類の時代の話ではないのです。遙かなる超太古の昔。神代と呼ばれる時代まで遡りますので考古学的に語ることが出来る話ではありません。大本教霊界物語でも【嘘】だと言えば、誰も【証明】など出来ません。

                     

                    私は日本で【大国主命】と呼ばれている出雲の御神霊が、どうして仏教の【大黒天】になるのだろうか?。と疑問を持っていました。ところが三つ目の青黒憤怒相のお姿で、それは今から30万年以上も昔のお姿と判断しました。日本における縄文時代とか弥生時代に近い話ではありませんので、記紀神話に出て来る神々をいくら持ち出しても語れるような内容ではないのです。

                    国常立尊が表舞台に立たれていた頃、神霊世界では闘争があったのです。大本教霊界物語に書かれているような国常立尊派と反国常立尊派の神々の戦いです。その反国常立尊派の中心をなした統領格の神霊達が力があったことから【ユダヤの悪鬼】と書かれているのです。この頃は神界の戦いの中では【UFO】なども飛んでいたのです。いずれ人類はそうした【UFO】群団を見るでしょう。

                    国常立尊様の御引退後、その部下であった天使達もことごとく主を失った状態で地に落ちてしまったなのです。

                     

                    大本教霊界物語に、国常立尊の【御引退】の経緯は書かれていますが、時の国常立尊様の【天使長】のことは詳しくは書かれていません。時の天使長は別名【光の貴公子】と呼ばれていたのです。スピリチュアルで語る天使長【ミカエル】という名の天使長名ではありません。

                    大本教の出口王仁三聖師は、元々「ミカエル」などと言う名の天使長は存在していない。ミカエルとは【省みる】の言葉の意味だと語っておられますが、私は【巳(蛇)帰る】の言葉の意味だと言っています。

                    私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、旧約聖書は我が書であるなれども、その中身は【暗号】であって、暗号として読まないと意味は解らぬぞと告げられていましたので、当然に【ミカエル】は暗号であるとの理解に立っています。モーゼ外伝の最後の審判時に蛇の尾を踏む者の意味で、尾を踏まれた蛇は【巳(蛇)帰る】を起こすで、ミカエルとは固有名の天使長の名ではないなのです。それが私の主張です。

                     

                    ヘブライ語と日本語には共通する内容があり、そこに【日ユ同祖論】などがありますが、今の時代の日本とユダヤの話ではないのです。そんな浅い歴史の話ではありません。日本とイスラエル地方の関係とは今の時代のことではなくて、現代の歴史では証明が不可能な超太古の時代まで遡るのです。

                    その頃は、世界中の言葉が「日本語」使用(仕様)だったのです。このことを知っている神霊ならば、日本語は神の言葉と言われるのです。

                    言うなれば世界に大日本帝国が存在していたのです。その時の首都がエルサレムで、日本語の名残が今のイスラエル地方にも言葉として残っているなのです。旧約聖書の神をユダヤ人の神だと思っていると意味が解けないのです。 その当時のユダヤ人とは、今の日本人のことだからです。

                    そのイスラエル地方で勢力を伸ばした反国常立尊派の神達が、大本教神諭には【ユダヤの悪鬼】と書かれているのです。

                     

                    現在の資本主義とは、そのユダヤの悪鬼のことです

                     

                    国常立尊様の御引退に関しては、最初に【光の貴公子】と呼ばれた国常立尊様のもっとも忠実な天使長が反国常立尊派の神々が仕掛けた罠により天使長の職を解かれてしまって、地に落とされてしまったなのです。これによって、国常立尊様の手足となるもっとも忠実な部下を失われたのです。

                    これが、大本教神諭にある【国常立尊】を自分の手足を持たない【ダルマ】と揶揄された意味なのです。反国常立尊派の神々から、おまえの手足となって働く者はもう居なくなっただろうなのです。この時に落とされた光の貴公子が西洋では堕天使【ルシファー】とされたのでしょう。

                     

                    日本の霊能者の中では、この光の天使長が隠れた意味が【天の岩戸閉め】ではないかという説があります。

                    大本教の神典に、【天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しい。】とありますが、光の天使長が神界に復帰しないと、これは難しいとも言えます。

                     

                    最近。自分が【イエスの再来】と称していた某教祖が死んで、これまでその教団が「ニセ霊能者」を使って貴方の家系の御先祖霊が苦しんでおられるで、高価な壺や印鑑や絵画を買わせる【霊感商法】を数々してきたので、これでそうした被害者も減るだろうと思っていましたが、その教団幹部であった者が今度は自分が【卑弥呼】とか「天照大御神」ですと称して、何百万円もの入会金で信徒募集をしているが流れています。

                    スピリチュアルの世界とは、中には一種の【オレオレ詐欺師】霊の集まりもありますので、引っかかったやつが悪いで終わりです。

                     

                    私は魂には点数が出るを知りました。それは私だけだろうかと?。自分は欺されているのではないだろうかとも考えました。だが、私が出会った霊感者や霊能者の方の中にも、そうした魂に点数が出ることを知る方達もありましたので、それは自分に見えるとか見えないだけの問題だろうと理解して来ました。

                    行者の世界では神の高山(神界ピラミッド)の合目で、出て来る霊の存在の高さを判断される筋もあります。また、天使の階級と言う【軍隊記章】の様な物で判断される筋もあります。どの見方であっても、その霊が名乗る神名とか天使名を頭から信じて疑わないというのは致命的な失敗を犯してしまいます。

                     

                    日本のスピリチュアルの大御所と自称されている霊能者の【江原啓之】さんの師匠格である【美輪明宏】さんは、優れた霊能力を保持されている方ですが、本物の霊能者と言える方は霊能者の看板を上げている方の5%(20人に1人)程度だと言われていますが、そんなものでしょう。

                    テレビで出て来てその名を馳せている霊能者としては【下ヨシ子】師や美輪明宏さんが推挙される【木村藤子】師は著名ですが、それは一般的霊界に関わる存在であり、大本教の【出口王仁三聖師】や【出口なお】開祖の様な宗教存在とは趣を異にするのです。

                     

                    一部に、創造神ならば【どのようにでも出来る】で、この地球の環境破壊にしても創造神ならば復旧が可能だろうと考えられる方達もあるでしょう。そんなに瞬時に回復するなど創造神であっても出来ないのです。

                    ネット教祖として巷で有名な方は、この地球の回復には10万年はかかると言われていますが、私は100万年はかかるだろうと見ています。スピリチュアルでこの地球が五次元界に上昇したならば可能だろうと考える方もあるでしょうが、この地球は日月神示に【三四五(みよいづ)】とあるように、三次元世界の土台が崩れるので五次元界に上昇しても崩れるは変わらないのです。

                     

                    だからと言って、この地球に住む多くの魂を路頭に迷わすなど天の創造神にとっては絶対に出来ないことなのです。私は新地球を言う派の一員にしか過ぎませんが、その新地球に関して知る方は、その新地球は【宇宙創成】の時から天の創造神が隠し秘めておかれた予備(バックアップ)地球だと言います。その存在が神々にも解らなかったのは、七次元界でどの神達にも解らないように隠されていたからと言います。

                     

                    よく一厘の秘密が言われています。私が説いているのは大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(火水)】ですが、どの神々も知らない一厘の秘密ともなれば、霊界物語の中の「シナイ山に密かに隠された神宝」ではなく、【新地球】の存在とも言えるのです。今の世に出ておられる神々は、その存在をほとんど知らないからです。

                     

                    大本教神諭、【世の立替があることは、どの神もご存じなれども、肝心要のことはご存じない。】とありますが、その立替すら知らないという神々とは、どう考えたらいいのか?。それはあります。

                    さりとて、今の地球に住む私達の魂を全員七次元界に引き上げるのは、これはいくら創造神でも無理筋なのです。で、その予備地球を五次元迄卸して今の人類の魂を【新しい世(みろく)世】に移すなのです。

                     

                    その時に考えられるのは、二つの案(選択)と考えられます。 

                     

                    無条件でこの地球の全員の魂を新地球に移す

                    (その場合は、汚れた魂は徹底的に禊ぎ(身削ぎ)させる)

                     

                    条件付きで選別した魂だけを新地球に移す

                    (みろく世のお祝いとしての恩赦や特赦は与えない)

                     

                    この地球は優秀な霊能者であれば、【天人の苗床】説と【魂の刑務所】説があります。いずれにしても、今の世は【悪が許される】なのです。それは魂の【勉学】の世だからです。しかし、新地球では【悪】は許されない世界となるのです。【悔い改めをしない者】を新次元に移行されば、またもや【悪】がはびこります。

                     

                    それを決定されるのはスピリチュアル標榜者の勝手な言い分ではなくて、【天帝】の判断なのです。

                     

                    私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫から【貴方は天帝のお使い。】と聞かされました。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声の教えを聞いていましたので、天帝のお使いと言われたならば、その可能性はゼロではないとは感じています。

                     

                    自分には豊受姫や大国主命様や神々が出て来ると言っておられる霊感者の方が、その方に出る豊受姫や大国主命と称する霊から、そもそも【天帝】などの存在は無い。言葉の教えなども無い。神之公園(上野公園)は邪神界の者だと告げられたそうで、その方のシンパの方達からも貴方は邪神だとか悪神だと攻撃も受けて来ました。私の前に出て来られる豊受姫や大国主命は、他の方に出て来る豊受姫や大国主命様とは違っていたりします。

                    今の神霊世界は自分に出て来る御神霊が本物で、自分以外に出ているのは「ニセ者」呼ばわりの世界だからです。

                     

                    この地球が危なくなっているのに、今の世が永遠に続くと思っている神々からすれば、世の立替論を言う私を「邪神」呼ばわりは別におかしくはありません。

                    今の時の幸せだけを見ているのか?。自己の魂の将来を見ているのかの違いだけです。

                     

                    確かに、どこを見ても【天帝】と呼ぶべき存在は見当たらないでしょう

                     

                    天帝と呼ばれている神は、この地球上には存在しておられません。日本の神社に祀られている存在ではないからです。宇宙の初めに存在して、終わりの時まで存在する神。【終わりにして初めの神】のことです。

                     

                    私の元に質問メールが来ました。それによると、日月神示にこの艮金神が人民に成り代わって天の大神様に日々お詫び申し上げているとありますが、艮金神よりも高い天の大神様が居られるのですか?。そうした質問状です。この艮金神が人民に成り代わって天の大神様に日々、お詫び申し上げているとある存在が【天帝】と呼ばれる存在なのです。

                     

                     

                     

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                    自分の本守護神・正守護神・肉体に内在する玉も、神社に鎮座する神々の玉も大小以外は同じこと

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                      新日本神道系の宗教では【本守護神】【正守護神】の存在が説かれます。この本守護神・正守護神はスピリチュアルで言うところの「ハイヤーセルフ」と一見同じ存在を説いているようには受け取られますが、スピリチュアルはどうも話におかしな面があります。それは魂の大きさをまったく論じていないからです。

                       

                      西暦2018年10月23日の私のブログにも書きましたが、スピリチュアル標榜でも自分がスピリチュアルの言葉を広めたと自画自賛しておられる自称スピリチュアル界の大御所、霊能者【江原啓之】さんやその師匠と言うべき【美輪明宏】さんなどは、コップ一杯の水とスポイトの一滴論で間違ってはおられないのですが、【ハイヤーセルフ】を口走っているスピリチュアル標榜者は、本当に理解しているのかとなります。

                      もし、そのことが理解出来ているのであれば、【ハイヤーセルフ】の言葉の連発が自己の魂磨きにつながっていないと理解出来ないはずがないからです。再度、その時の図を出します。この絵だけだと肉体にある魂と「正守護神」の魂との関係程度なのです。それで別の図も追加します。

                       

                       

                       

                      そのコップ一杯の水とスポイトの一滴の関係は、

                       

                      肉体の魂を汚すと本体のコップ(正守護神)に戻れず

                       

                      肉体の魂は浄化が出来るまで【輪廻転生】に入る

                       

                      大本教の出口王仁三郎聖師は、ウシトラ金神国常立尊様が地球上全体の全海の水だとすれば、肉体の自分達とは【柄杓の一杯】の水の分量に過ぎないと語っておられます。それこそ、コップの水とスポイトの一滴の比ではないのです。天文学的数字の違いです。

                      コップ全体の水とスポイトの一滴とされる段階は、肉体の自分にある魂と自己の【正守護神】との違いの意味合いなのです。人の魂が増えるのは、本守護神から出た正守護神段階の魂の分派によるのであって、人にある魂がまず神界に帰る目標は【正守護神】段階にあるからです。

                       

                      新日本神道系では【神人合一】が説かれて来ましたが、それは自分の魂の【正守護神】に帰結することを説いているのです。それはスピリチュアルの「ハイヤーセルフ」などで理解出来ることではないのです。更に、その上には「本守護神」とされる宇宙サイドの【天津神】の段階があるからです。

                       

                       

                       

                       

                       

                      上記の図は正確な比率ではありません。そうした違いがあることの意味です。この日本でかなり著名な某宗教家の方がそのお弟子達と撮られた集合写真の中に、その背後に巨大な玉が写った白黒写真があります。もしこれがカラー写真であったならば、いろんなことが読み取れたでしょう。

                      その写真の玉の大きさは、日本の神社に鎮座されている御神霊の玉よりも遙かに大きなものでした。この宗教開祖が霊界でもかなり高い地位から降りて来られたのは間違いないとなります。私もこの宗教家の方は尊敬しています。この宗教家の方はスピリチュアルの言葉は使われましたが、巷に溢れているスピリチュアル標榜者の方達とは、その魂の違いは歴然としています。

                       

                      ただ、この宗教組織から出されている出版物にはその手の写真はありません。それらの写真は、その宗教開祖の側近たる幹部の方達が【御神体】として密かに管理されているものです。私はその開祖の側近であったらしい方から複写を頂きましたが、世には見せないようにして欲しいで、信義上その写真の公開は出来ません。だが、その写真を見るとスピリチュアルのハイヤーセルフなどは何を言っているのだとなります。

                      私自身は自分の霊視上では神社の御神霊の玉を見ることはありましたが、どれもスピリチュアルで言うところのオーブ玉のような小さな物ではありません。神社の神々の段階であれば離れたところから写真に撮ることが可能ならばフレーム内に入るでしょうが、本守護神級になりますと写真のフレーム等に収まる様な大きさではありません。魂を磨くとは、玉を磨くのです。玉を育てるのです。

                       

                      多くの人の勘違いは、神社に鎮座されている御神霊の方達が神で、

                       

                      自分の魂の先祖たる魂。【本守護神】の存在を理解していない。

                       

                      私なども「オーブ写真」は大量に撮っていますが、さすがに魂の写真ともなると撮れていません。そこで、私のブログでは何度か出しましたが、故人である霊能者【田響降仁】氏が撮影されたものを借用して来ました。

                      下部の巨大な涅槃像から見てもかなり大きな玉と思われます。カラー写真なので、この玉には色があることが解ります。世に出ておられる御神霊達の玉もこの様に各種の色があるのです。しかし、日本でも著名な宗教家であった方が信徒達との集合写真に写っている玉とは、もっともっと巨大な玉なのです。

                       

                       

                       

                      人の魂は【輪廻転生】しているとされますが

                       

                      それは【正守護神・本守護神】の段階ではありません 

                       

                      この世に降りて肉体に宿った魂が、この世で自分の魂を汚したことによって、本体たる正守護神の元(コップの水本体)に帰れなくなっているなのです。

                       

                      大本教から【人は神の子・神の宮】が出されましたが、人は誰であっても「正守護神」以上から出た分派魂だからです。中にはそうでない魂もありますが、基本的は大本教が出した【人は神の子・神の宮】にあるのです。自分が【創造神】と呼ばれる様な存在に出会えるとか出会えないの問題は、自分の魂が霊界のどの次元に所属しているかの話であって、イエス一人だけが神の御子などの論理はどこにもないのです。

                       

                      その神の世界に帰れなくなった【分派魂】は、神の世界に帰れるまでの長い旅路に入ったなのです。それが【輪廻転生の原因】なのです。

                       

                      お釈迦様は、自分は2度とこの世には出て来ないと言われたのは、その必要がなくなったからです。巷で自分はお釈迦様の生まれ変わりと称する方は全員ニセ者の呼称なのです。そう名乗ると、引っかかって来る人が世には多いからです。オーム真理教の「麻原彰晃」などがその典型です。そうた教祖の新宗教などは俺俺詐欺集団だと言えるのです。

                      この世に「再来」しないお釈迦様の悟りは「みろく菩薩」が代わって語るとされている意味が、大本教から【みろく】神として出された要因です。但し、それには【九つ花】の解読が必要だったのです。 

                       

                      人によっては、その方の元の魂は霊界でも非常に高い地位から降りたにも関わらず、その時のこの世の生き方に失敗をして「地獄界」に落ちたような方もあります。通常、各自の副守護神は自分が生まれた家系の御先祖霊で地獄から抜けられる一歩手前の方が、子孫の肉体を守護して一緒に天国(神界)を目指して副守護神の地位に就くともされていますが、自分の魂が過去世において地獄に落ちている様な方の場合、その方の自分の過去世霊がその副守護神格にあるなども起きています。

                      新神道系で【神人合一】が叫ばれて来たのは、ほとんどの方に出ているのは【副守護神】の段階で、これでは【神界】に戻れません。【輪廻転生】から逃げ切れないなのです。

                      為に、自己の【正守護神】段階に戻る為に【神人合一】が説かれているのです。 自己の「正守護神」が表に出て来ていると、もう「輪廻転生」の世界からは離れるなのです。

                      但し、ほとんどの方の正守護神とはこの世に出た人生は必ずしも歴史に残る有名人ではありません。市井の人(庶民)として正しく生きて正しく信仰した等であって、その時の名を突き止めることはほとんど出来ないのです。その名を求める必要はないのです。

                       

                      その神界の最低ランクたる次元界が【五次元界】であって、スピリチュアルでも【五次元界】上昇と宣伝するのは間違ってはいないのです。人類は【五六七(みろく)の世】に向かっており、人は死ねば誰もが行く中有界(四次元界)が徐々に消滅しつつあるという説も一理あるのです。

                       

                       

                       

                      私達の魂はこの世で自分の魂の汚れを取って神界の自分に戻る

                       

                      自分の肉親であった存在が霊界に帰ってから、○○神社の祭神として赴任せよとの命令を受けて、その地の神社に赴任した等の報告があります。その場合、その名乗りはこの世に生きていた当時の名前ではなく、その神社の御祭神たる神の名になります。

                      神霊の名乗りは記紀神話等に出て来る神名の名乗りが多用されますが、同じ神名使用でも平社員格、主任格、課長格、部長格、取締役格等の違いがあるのです。また、場合によっては神社などでは、その眷属霊が名代として名乗る。その上に完全なニセ者霊も出て来ますので、神名の名乗りだけでは信用がおけないがあります。

                      しかし、その玉を見られてしまったならば、それが本物かニセ者かは歴然として来るなのです。 ただ、そうした玉を霊視でも見ると言うのは、人の形で出て来る存在を「蛇や狐や狸や猫」霊などと見破るよりも難しいでしょう。何故ならば優れた霊能者は「蛇や狐や狸や猫」などを言い。人形の姿をしていても見破りますが、玉の大きさに関しては今日までさほど語られていないからです。それは霊的にも見た方が少ないということなのです。

                       

                      そうした神社の御神霊となった玉と、自己の正守護神が出ていた場合、自己の正守護神の玉の方が遙かに大きいがあります。そうなりますと、神社の祭神と言えども立場上、下にならなければならないが起きます。それこそ、誰に向かって物を申しているのかです。そこに、高い正守護神が出ている様な方の場合。神社の御神霊が平伏して歓待するなどがあります。神社の御神霊よりも、自分の正守護神の方が霊界での地位が高い場合などです。

                      ただし、そうした場合でも何十体かの霊が集まっていれば、各種の神霊に化けて劇場型俺俺詐欺を見せて来ます。自分がそうした神霊に平伏されて、それに欺された霊能者は数知れずなのです。

                       

                      私は、そこに出て来た神霊の自分は天照大御神等の名乗りではなくて、その神霊にどれほどの部下数の霊が見えるか、そこが重要だと言っているのです。例え、それが「ニセ神」であっても今の神霊界は【数は力】なりなので欺されてもやむ得ないとなりますが、小さな集団だと疑ってかかるべきなのです。

                       

                      私が修業に入った頃、私に【どこの馬の骨かと】悪態をついた不動明王が、豊受姫の怒りを受けてその不動明王と一体化していた肉体を金縛りにされて、その場の座敷をのたうち回ってゲーゲーと吐き続けるがありました。その当時の私には自己の「正守護神」が出ておりませんでしたので、豊受姫が代わって不動明王と言えども「どこの馬の骨か」の言葉に怒られたのでしょう。

                      私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【肉体のそなたはバカを演じていればよい。神界で働くのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂(正守護神)の方である。肉体のそなたを見ても、この私は見えない。神々には簡単には解らぬぞ。】と告げられました。

                       

                      が、私が子供の頃は旧約聖書の神と称されていましたが、幾多の霊能者から貴方の本守護神は【国常立尊】様と告げられました。その本守護神ではなくて、霊界で働く私の魂である私の【正守護神】を見た方達の多くは、その姿は若武者で緋色の鎧兜を身につけておられる。その兜の吹返の片方には【太陽】が、片方は【月】が表されていると言われます。

                      そんな緋色の鎧兜姿で、兜の吹返に「太陽」と「月」がある存在の霊を見たならば、それは私の【正守護神】です。軍馬や兵をも率いておられますので、その霊を見たならばどなたかが解って来ます。とても若い美青年の顔立ちの方です。

                      この私の本体たる正守護神の魂と肉体の私の魂の大きさは、5〜6万倍ぐらい違います。同じ魂ではあっても肉体の私とでは比較にはならないのです。肉体の私の魂は低次元界仕様の物なのです。

                       

                      つい最近、六次元界と思われる黒龍神が大集合している某霊山とその麓の著名神社を根拠とする霊達から担がれている方が、その神霊団が私の「正守護神」調査をしたところ、霊界のどこにもその姿が見当たらないと言って来られました。そこは日本有数の霊場です。その霊場の霊には私の正守護神は居ないではなくて、見るだけの力がなかったのでしょう。

                       

                      いくら自分には霊が見える。神霊と会話が出来る。で、一人一人の霊能者の方に出ている神霊と言えども、他の人の神霊を判断した時、それが全員一致しているではありません。私は多くの霊能者の方から霊査を受けましたが、その中で本守護神名が一致した方は7〜8名。また、それ近い存在を言われた方が別に5〜6名ありました。だが、それ以外の方はまるで違うでした。当然に、貴方にはたいした方は就いてえおられませんと言われる霊能者もあります。霊能者と称しておられても、その実情はピンキリなのです。

                       

                      巷には自分の前世は釈迦であったとかイエスであったとか称しておられる方は多数あります。誰の言葉を信じるかの判断はその方の守護神(多くは副守護神段階)です。いくらその方に霊が見える霊と会話できる能力があっても、自己の「正守護神」「本守護神」が解ってないとなると、その方を指導している霊的存在は副守護神格で、そうした名乗り者の言葉を見誤るが起きて来るのです。だが、自己の守護神が高ければそうした方の元には行かないとなるのです。

                       

                      私に言葉の仕組みを紐解かせているのは、私の「正守護神」です

                       

                      自己の肉体に内在する魂ではなくて、外から来る天之御中主とか天照大御神と名乗る霊ではなくて、自己の魂の本体たる「正守護神」に帰結する。自分が生まれ出た「神界に戻る」。それを学ぶ必要があるのです。

                      そうしなければ、いくら外から来る魂が高い神霊であったとしても【輪廻転生】の輪から抜けられないのです。

                       

                      肉体にある魂とは、いと小さき者用なのです

                       

                       

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